頭痛の種

●頭痛の種

「あぁなんだそうか、そんな簡単なことだったんだ」
頭痛の種を消す方法がやっと見つかりました。
「一+一は田んぼの田」みたいに笑ってしまうようなところに答えはあったのです。
それに気がつくことができず一人で悩んでもうダメかと思ったときもあったけれど… 今、私は幸せです。



冷蔵庫のあるキッチンでビールのプルトップをあげキンキンに冷えた液体を口に含んでその冷たさを胃の中…身体の中で感じます。



この飲み方を教わったのは他でもない今隣の部屋で眠っている母です。



父は私が中学生のときに他所で女の人を作り出て行ってしまいました。
最初の数年は期限通りに振り込まれていた養育費も段々と期限を過ぎるようになり、最終的には高校生にならない頃にはもう一円も振り込まれなくなりました。



だから母は働いたのです、ノルマのキツイ保険会社に勤め朝から晩まで。
親戚や友人や知人に哀れな自分を見せては保険に勧誘していました。
母は周りの人から疎遠になりました、その理由は自分でもわかっていると思います。



そして母は仕事から疲れて帰って来ては必ず晩酌をするようになりました。



私が高校生になると母に迷惑や負担を掛けまいと、私自身もアルバイトに勤しみました。
少ないながらも食費ぐらいは自分で稼ぎたかったのです。



母が晩酌で飲むお酒の量は年を追うごとに多くなっていきました。
仕事もパートタイムでパンを朝早くに工場で作るものに変えました。



母の呂律が危なっかしくなったのはその半年くらい前です。



「全てはお酒がイケないのよ」、と親戚の叔母さんは言いました。
確かに母はお酒を飲むと怒りっぽくなりモノを壊したり私に酷い事を言ったりしました。



でもそれも全部、母のせいじゃないんだと私は思っています。
お酒が入り深く酔うと「父がイケないのよ」と母は私に言うようになりました。
私もそうだと深く頷き、泣きわめき暴れる母をなだめたりしました。




高校を卒業してすぐ私は証券会社に入社しました。
家にはお金はありません。
私が稼ぐしかないのです。



母は仕事の量を段々と減らし穏やかな日々を過ごしています。



でも晩酌のお酒の量は減りません、逆に増えていっているように思います。
昼ごろに仕事を切り上げ、帰宅するとお酒を飲み始めるらしく私が帰宅する夕方頃にはもう…



私は母のためにとずっと生きてきました。
愛する唯一の家族だと親子二人三脚なんだと過ごしてきました。



今日も母はお酒をたくさん飲んだらしく眠っています。
いびきが大きくなってきたようです。
私が考え事をしている間にお酒に混ぜておいた薬が効き始めたようです。



今、私はキッチンの棚から母に高校卒業祝いに「いずれお嫁にいくのだから」と一緒に銀座の専門店まで買いに行った包丁のセットを取り出し一本一本を研いでいます。
あの時の母と私の満面の笑みはお店のご主人に撮ってもらった写真に収められテレビの上に写真立てに入れ飾ってあります。
はにかんだ母の顔が凄く愛おしいです。
お店のご主人も「良いお母さんを持って幸せだね」と言ってくれました。
あの言葉で私は泣いてしまったのだよなぁと、母も涙ぐんで大きく育ってくれてと…



母からのプレゼント。



一本一本心を込めて研いでいます。



キレイにキレイに…



スッと簡単に母の心臓まで届くように。


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