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滝田ゆうの作品で「泥鰌庵閑話」というのがある。酒好きの作者が、日常のあれこれや思い出話やちょっとしたことごとその他いろいろなことを、徒然に綴った漫画である。酒が身体に悪いとはっきり分かりながら、その酒のせいで体調を崩しながら、描くこと、漫画を創ることに苦しみながら、「それでも」酒を飲む話をその中で多く滝田ゆうは描いた。 当然のように酒が原因で滝田ゆうが死んだことを、それを読んでいる時に私は既に知っていたから、読むもの読むものが死に向かう記録のように見え、胸が詰まった。 その時と同じような読みを今回も多少していたのだが、勘違いだった。作者晩年に書かれたと思っていたこの作品の最後に「著者から読者へ」という文章があり、その中に「たかだか十年前に書かれた~」と書いてある。阿部昭が死んだのは1989年55歳。滝田ゆう1990年58歳。 「ああ、あの頃はよかったですな・・・・・・」などと言えば、お定まりの感傷的回顧談になって、往事を知らない世代にはただ馬鹿臭く聞こえるだけであろう。私も自分がそんなに老人くさくなったとは思いたくない。しかし、私は海辺の思い出をむりやり語らされるたびに、最後はきまってこう言いたくなるのである、「だから、昔の湘南はいまや私の文章の中にしかないのです」と。 すると相手は、私がずいぶんと大きな口をたたく、たいした自信家だ、と呆れて顔を見返すようである。なるほど、これはたしかに私の言い過ぎだ。湘南と言ったってずいぶん広いのだし、過去に多くの文人がこの海を写している。私の書いたものなんかそのはしくれにすぎない。 それなら、こう言い直すべきだろう。われわれは誰しもみな、なつかしい子供時代のふるさとの景色を、──歳月とともに消えてしまった過去の風景を、──記憶の中に畳み込んでいるが、もちろんそれはその人の記憶の中にしか存在しない映像で、その人がそれを文章にしようがしまいが、結局は小説の中の描写みたいなものでしかないのだ、と。眼前の景色と、回想の景色と、そのいずれが実像でいずれが虚像であるかは、まさにその人の心のおもむくまま、人生のあるがままである、と。「単純な」という言葉が本当に浮かんでくる。埴谷雄高を読んだ後だといっそう強く感じる。余計なものや、妙なひねくれのない文章、文体。拙いというわけではない。淡々と気楽に書いているように見えて、このように書くことはとても難しく、つらい。なんでもないような日常を、なんでもないような文章で書いてあるだけで面白いと人に感じさせるものには、その陰に厖大な年月の積み重ねがさり気なく、ある。 隔たりのある二人に見えて、似たようなことを書いていた。たまたま私が続けて読んだ二冊の中で。 ひょっとして、単純素朴なるものと見えるとすれば、それはつまり書かれたものだからである。なぜなら、一を書くことは九を書かないことだとも言えるほどに、現実の生活は書こうにも書きようのないことども、いっそ書く必要もないことどもに満ちている。しかも、一旦文章に移されたものは、それがどんなに現実そっくりに出来ていようと、もう現実そのものではない。目の前にしかと存在する物体と、鏡に写ったその彫像とを、同じものだと言う人はいないだろう。鏡は所詮一枚のガラス乃至金属にすぎない。「単純な生活」百二章より ただ有るもののみ有る。何故ならば有が有るが、無は有らぬゆえに。そして、彼の弟子はまったくの正反対語をこう述べたのだ。 何ものも有らぬ。有るにしても、何ものも知り得ない。たとい知り得るにしても、 それを何人も他の人に明かにすることは出来ないであろう。それは事物が言葉で はないためであり、また何人も他の人と同一のものを心に考えぬからである。 さあて、暗い人よ、この最後の謎をこそ解いてくれ。これらの二つの反対語を巨大な宇宙の暗箱のなかにさしいれて、よく攪拌し、それから、君独特の難解語でもいいから、窮極の一語こそをそこから、さて、取り出してみてくれ!」「ほほう、笑い人。君はすでにいっている。 言説は行動の陰である。 その通りさ。しかし「翳り」の謎について先程述べた俺からいわせると、こうなるのだ。言説が行動の影であるのと、存在が言葉の影であるのとは、一つの同じものである──。そこで、さて、聞いてくれ。もし「ある」と「ない」を大宇宙の暗闇のなかへさしいれて果てもない果ての果てまで続けに続けながらよく攪拌したとしたら、ついに単一が全体となりおおせて存在も虚無も見分けがたく重なりあってしまったその純粋混沌の秘密の謎は、そのままでは、たとい千万言を費したとしても、とうてい解き得ないのだ。だが、「笑う人」よ、いま俺が述べたところの「言葉が存在の影である、とともにまた、存在が言葉の影である」という俺達がついにもち得た大いなる秘密をも絶対忘れず覚えておいてくれ。つまり・・・・・・(以下略埴谷雄高「死霊」八章より 二者の違いに書き写しながら思わず笑いがこぼれる。埴谷雄高──本名般若豊1997年2月19日午前10時45分永眠。享年87歳。 二年半の生活を書き綴った「単純な生活」には、年末のことも、正月のことも書かれている。ちょうどよい。阿部昭「単純な生活」(講談社文芸文庫 お取り寄せ)
2002/12/31
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読んでるうちにこれまでの話を思い出す。三輪高志・与志、首猛夫、矢場徹吾、黒川健吉、津田安寿子、津田夫人、「神様」、尾垣、李、津田夫人の夫の名前はなんだったか・・・ええと他には・・・・・・。何も見ずに思い出せた名前。おおまかな話の流れは思い出せた。 ああ、あの時津田夫人と首猛夫が車の中で長々とした話を時間にしたら僅かなうちに、だとか、最初、永久機関で動く時計を備え付けた病院に居る矢場徹吾の元に一同が集まったあの時、そういえば八章にも出てきた医者がそこに居た。ええと、そうだ岸博士! 三輪高志の枕元には幽霊が毎晩現われ、大勢を乗せたボートは川の真ん中でひっくり返り、そんな中でも激論は続く。天井裏に住む蝙蝠と毎日挨拶を交わすのは黒川健吉だったろうか。七章であの荒唐無限大な死者達の集団討論会の話をぶちまけたのは、矢場徹吾が、首猛夫に、だったろうか。それさえもうあやふやだ。 そして、はっきり言ってしまえば馬鹿馬鹿しいくらいの量を費やして書かれた、話の中の議論、誇大妄想の類は、はっきりと思い出せることなど、ほとんどない。読んでいる時はあれほど楽しんでいたのにもかかわらず。 そう、楽しんでいた。「死霊」という作品は、それを読むことただそれだけで奇矯な振舞いとして他人には映る、分厚く難解でしかも未完という代物なのである。その風評は同時に、ただそれだけの作品として端からは見えてしまう。「難解に書くことは優しく、単純にものを書くことは難しい」とは、世界中のどこかの誰かがこれまで何万回も書いてきたことだ。難解なものは難解なものとして一々理解して、理解しようとして読んでいないこともあるが──面白くなければ、読むことを楽しめなければ、こんな本は読めない。だから自分でも思っていた以上に、「楽しんでいた」という言葉がすんなり出てきたくらいに、「死霊」という作品は私には面白い。 ここで一つ不安が襲う。「死霊」にしろ、プラトンのいくつかの話にしろ、哲学的意味、人間の持つ叡智の結集の一つであるそれらの話から私は何かを学ぼうとはあまりしていない。他の多くの小説と同様に、小説として、物語として、大いに楽しむだけだ。「死霊」でのある対話に関して「これは一体どういう意味か? この男の言っていることが本当に分かっているか? 作者が言いたいことは何か?」などと問われても、私はろくすっぽ答えることが出来ないだろう。初めから答える気がないこともあるが──。それなりに真剣に考えてある答えをでっち上げたとしても、一瞬は正解らしく見えたものもすぐに自分で嫌気がさして消しゴムで塗りたくるに違いない。自分が好きになった作品を汚したくはない。私に書けるのはいつまで経っても、曖昧で無責任な「面白かった」、あるいはそうでなかったという感情の吐露と、その作品と自分とのごく限定された個人的関係についてのことばかりだ。だからこそ続いている。などと一年の終わりらしく思う。「死霊」を読むと、ぷふい! いう首猛夫の笑い声を真似したくなるものらしい。この笑い方で笑った後には、律儀に跳び上がらないといけない。誰も見ていない夜道でやるにしろ、それは少し変だ。疲れそうだ。埴谷雄高「死霊 八章」(講談社 この本は現在お取り扱いできません)「死霊〈3〉(七~九章)」(講談社)
2002/12/30
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「幼年時代」を読んだ時のように、自分の過去の記憶に悩まされることはなかった。私はロシア人でも貴族階級でもトルストイでもニコーレニカ・イルチェーニエフでもない。 祖母の遺体が家の中にあるあいだずっと、わたしは死の恐怖の重苦しい気持ちを味わいつづけていた。つまり、死体がわたしもいつかは死なねばならぬ身であることを、不快にまざまざと思い起させるのだった。なぜか人々が悲しみと混同する習慣になっている、あの感情である。わたしは祖母の死を嘆かなかった。それに、だれかしら祖母の死の死を心から嘆いた人がはたしてあっただろうか。家じゅう弔問客でいっぱいだったにもかかわらず、だれも祖母の死を悲しんではいなかった。 祖父の死以来、死の記述に自然と心が向く。小説の中ではなにがしかの死について書かれることは非常に多い。死はそれ自体が物語を孕んでいるから、話になりやすいというのは当然として、葬儀という、あの、表向きはともかく、だらだらとした空間の中では、ものを考えることが多いからというのも理由の一つにあると思う。自分が死んだ時家族はどんな顔をするか? 友達の誰々が死んだ時、自分はどんな感情を抱くか? 誰も死なない世の中になったら、悲しみや喜びはどこへ行くか? 埒もないことにのんべんだらりと頭を巡らせながら、親戚一同の中で少しの酒に饒舌になりやかましくなった父親を宥めたり、祖父の思い出話の取っかかりを探したり。それらは死者を悼む心からどんどん離れていいくように思える。やがて自分達もああなる、と心の底では脅えている。気が付いていない振りをするというより、当然のことすぎて意識に昇らせるのも馬鹿らしいと、誰も表向きには口に出さない。しかし数年前の祖母の時よりも全員確実に歳を取り、死に近づいていた。 読者よ、あなた方も人生のある時期に、さながらそれまで見なれていたあらゆるものが突然まだ知らなかった別の顔を示したかのように、ものの見方がまったく変ってくることにふと気づいたことがあるだろう。その種の精神的変化が、この旅のあいだにはじめてわたしの内部に生じたので、わたしはこのときを少年時代のはじまりと見なしているのだ。 幼年時代なら甘美な思い出だけでも描ける。甘美な思い出のある者ならば。また、甘美に見えるように工夫した物語を創れるものならば。 少年時代には幼年時代には思わなかった/思えなかったことを思うようになる。幼年時代の自分を鑑みるに、奇妙な気遣いはあるものの、その発想はやはり幼稚なものだった。「忍者になるには家出をしなければならない。しかしその時、この汽車のおもちゃはやはり置いていかなければならないんだろうか。修行の邪魔になるだけだろうが、でもこれを失うのはとてもつらい」などという類。これがもう少し経つと「現代の日本で忍者が修行出来るところは少ない。うちには庭がないので麻(成長が速いので、毎日跳躍の修行に使う植物)を植えることは出来ない。第一、今の時代忍者になってどうしようというのだろう」と変わる。「何故あの時さっさと忍者になってしまわなかったのだろう」という後悔に襲われたことはまだない。多分これからもない。 共感出来る部分も多いが、「『僕が大人になったら』二階の自分の部屋に戻ってから、わたしはひとりで思案した。『ペトロフスコエ村は僕のものになるし、ワシーリイもマーシャも僕の農奴になる~」などという文章に出くわすとはっとする。自分が領主になった時、現在恋愛に悩む二人の召使に金と自由を与え結婚を許してやることを空想することが出来る人は限られている。こんなことは「幼年時代」でもあったはずだろうが、意識はしなかった。じっと、自分の思い出に浸るだけで精一杯だった。一冊の本に詰め込むことが出来るほど、思い出というやつは少なくはない。だが事実をありのまま長ったらしく書けばいいというものではない。「自伝的小説」としてトルストイは優れたものを残した。トルストイ「少年時代」原卓也 訳(新潮文庫 この本は現在お取り扱いできません)同岩波文庫版 藤沼貴 訳
2002/12/26
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野坂昭如「文壇」で、井上光晴「妊婦たちの明日」と野坂の「骨我身峠死人葛」の関係について書いてあったところがあったような気がしたが、「文壇」を読んでいる時は井上光晴を読もうとは思っていなかったのでチェックしておらず、見つけにくいので、見つからない。「そんなにいうなら金下さい」「え、金」 なにが、そんあになら金なのか。どうしてこんな島にいるのかときいたからか、女の不意の申し出に私は驚き、混乱しながら「泊めてもらうんだから、そりゃ」といった。「博打場に行っとれば、どうせみんな消えたとですよ。わたしは金だけでいいんだから」「いくらですか」「全部もらいたかねえ」 女は指と指の間の疥癬を掻きつづけた。『妊婦たちの明日』より 閉山された鉱山のある島。もはや何も生み出さない島。そこに住み続ける理由がない人達が住み続ける島。腹の膨らんだ娼婦達と何を言ってるかさっぱり要領を得ない男達。空き家を走り回るネズミとそれを食べるバカ鳥。うまく書けない。静かな迫力があるということ、面白かったということ、単純なことを表わすのに、言葉が出てこない、書くことが見当たらない。読み終わった後、あまりこの本のことを考えていなかった。井上光晴「眼の皮膚 遊園地にて」(講談社文芸文庫 お取り寄せ)
2002/12/24
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電車が止まり、隣の駅まで歩いた。たまたま育った町の隣の駅から電車に乗るところだった。しばらくすれば電車は動くかもしれない。のんびりと歩くか、そう思い、歩いた。 懐かしいと言っても、離れたといっても、そこから数駅先に移っただけだ、数年前にはしょっちゅう通った場所だ、そう大きな違いは──、そこまで思いふと気付く。様々な思い出は昨日の出来事のようにはっきりと思い出せる。昔よく遊びに行った友達の家はまだある。昔私が住んでいたところもそのままだ。ここの家の前で飼われていた犬がいないが、それは冬だから年寄りだから、部屋の中へ移されているだけかもしれない。商店街は、元々そんなに店を知っていたわけではないから、何処が潰れたとかよくわからないけれど、そう大きな変化はない。全体的にいくらか小綺麗にはなっているが、そう、劇的な変化というものはない。そして数年前と今の私では、そんなに自分では違っているようにも、少なくとも外見的には、思えない。なのに。なのに、今という時は昔ではない! 小さい頃と同じように無邪気に遊び回ることも、昔好きだった人も、あの時と同じ姿ではない。それぞれまだ何者でもなかった知り合いたちも、今では否応もなく何者かになってしまっているはずだ。記憶の中では昔も昨日も差はないのに、現実には取り返しのつかない時間が経ってしまっている。商店街に流れる曲は、何が良いのかさっぱり分からないような最近の曲だ。その曲は、昔、どこにもありはしなかった。 人生の一日。 しかしその時ふっと私の唇をついて出かかったこの一とふしの言葉のおかげで、私は自分が長年心に感じていながらろくに考えもしないできた或る事柄に、あらためて突きあたったように思った。 いやそうではない、と私は考え直したのだ。あの男の子はきょうという一日のことを完全に忘れ去るのではない。いったんは忘れるかもしれない。だがそれは他のどんな一日にもまして強く思い出すために、しばらくは忘れたふりをするのにすぎない。そうして彼が何年か先のある日、どこかの海辺を吹きわたるつよい風のなかで、きょうという一日のしかもあの一分たらずの時間を、見知らぬ家の玄関先ですげなく追い返された瞬間と母親がなにかつまらぬことでよその男に心を傷つけられた瞬間とを思い出すとき、彼は名前を知らないこの私の顔をもありありと思い出すのだ。しかもその記憶はよみがえったが最後、死ぬまでずっと彼につきまとうだろう。どうしてあんな何でもないような平凡な一日が、事あるごとにまっさきに思い出されるのか、大人の彼は当惑しつづけて一生を終るだろう。だがそれはその日が──私流に言えば──彼にとって「人生の一日」であったからだとでも言う他はない。 知った顔に出会った時、向こうにはこちらが分かるだろうか? 多分すれ違ったくらいでは分からないだろう。それは私が変わったということではなく、私がいろいろな面々と毎日見る夢の中で会って、起きた後思い出したようには、向こうは心に留めていないだろうから。夢には何故出てくるか分からないような、顔を知っているだけの人まで多く出る。 あれはひょっとして○○ではなかろうか、というようなことが三度あった。狭い町ではない。ただ知った顔が多いというだけだ。だがどれにも自信は持てなかった。こちらが懐かしい気持ちでいるから──、誰もかれもが懐かしい顔に見えるだけなのかもしれない。事実、今住む駅に降りた時でさえ、そこにいるはずもない誰彼の面影をすれ違う人達の上に見出せた。その気になれば、誰でも、誰かに似ているように見える。 先日珍しくフェリーニの映画のことなどを書いた。その後「道」という短篇で阿部昭は映画「道」について書いていた。 結局、ゆっくりと辿り着いた駅でもまだ電車は動いておらず、別の駅まで歩いた。その頃には疲れていて、感傷的な気分は吹き飛んでいた。阿部昭「無縁の生活・人生の一日」(講談社文芸文庫 この本は現在お取り扱いできません)
2002/12/22
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「内向の世代」と呼ばれる作家群に惹かれる、自然な流れ。 一ページか二ページ読んだところで、ばさっと畳の上に投げ出して、まどろむ。胸の上に開いたままにしていることもある。 その調子だと、うんと短い小説を読むにも半日も一日もかかったが、それでちょうどよいとも言えた。おかげで、さっきどこまで読んだか思い出すためにしばしば後戻りさせられたし、微妙にはぐらかされた個所をもう一度復習することにもなった。 なにも急ぐことはない。第一、それによって書かれてあることがよく呑み込めるし、場所にも人物にも馴染みが増すし、時にはいま読んだばかりの数行の場面が、映画みたいに適当に潤色されて浅い夢のなかに出てきたりした。なるほど、こんなにして読むのも一つの読み方ではあるな、と彼は一人でおかしがっていた。 いくら短くてもちゃんと運命的な人死にのある話、小さな誤解からまた一つ死体がそこにころがる話、まるで自分の息子が犬死にするのを見るような話、人の心を麻酔なしで手術するようなタッチ。痛烈に人をうらぎったかとおもうと、それを倍にして裏切り返されるスリル。労苦はけっして酬いられることはなく、まごころは必ず踏みにじられるといったこの世のならわし。ああ小説はおもしろい!「まどろむ入り江」より」「文学1983」に入っていた「まどろむ入り江」を入り口として阿部昭に入る・・・いや、講談社文芸文庫の「戦後短篇小説再発見」で一つ読んでいた。しかし長谷川四郎のものと混同してたことに後で気付く。読みかけのセリーヌの匂い強く、昨冬より物が増した私の部屋ではファンヒーターは空気を埃臭くして喉を痛めるので、湯たんぽの方が効率よく身体を温める。ああ小説はおもしろい! ・・・・・・と、いつでも思えたら幸せ者だ。父と兄の話があれば、実際に父と兄を持つ私には──小説の中で書かれたものとは相当な隔たりがあるとはいえ──、「不用意なまでに入り込む読書」をすると、心苦しくなる。全く違う人間であっても、思い出してしまうのだ、読んでる最中に。それらはトルストイ「幼年時代」を読みながら思いだしたような懐かしく美しいことごとではない。 父が息をひきとるのと、ソバ屋の出前持ちが病室のカーテンごしに威勢よく声をかけるのとがほぼ同時だった。「お待ちどおさま!」 この本に入っている短篇と、今読んでいる「無縁の生活・人生の一日」の作品、それら全てごちゃ混ぜのまま「阿部昭」として今私の頭の中にある。住み着いている。まだ出ていかない。「内向の世代」という言葉に縛られて、内向きに内向きに心が傾く中、何か面白いのだろうか、何が面白いのだろうか、何故自分は読んでいるのだろうか、そんなことお構いなしに目が進む。ああ小説は・・・・・・ 図書館で借りた単行本はとうに絶版。阿部昭「千年・あの夏」(講談社文芸文庫 この本は現在お取り扱いできません)
2002/12/16
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文壇には馴染みがない。野坂昭如の文章には馴染んでいる。色川武大の新人賞受賞パーティーから始まる話に散りばめられている文人、編集者、他多数の著名人、名前だけは知った名、その中に私が読んでいる作家の名前はあまり多くはない。「第三の世代」と呼ばれる作家群、吉行淳之介、丸谷才一、永六輔、三島由起夫。野坂昭如はよく読んでも、野坂昭如が自分の周りによく描くその辺りには私にはあまり馴染みがない。「内向の世代」の人達は後藤明生が少し。65-70年前後の「文壇」。 「アメリカひじき」で妙に自身を抱いたが、かりに候補となって、落ちたら今度はがっくりする、「しんみり、しっとり」私小説、題名は「蛍の川」とし、すぐ伊藤桂一の受賞作「蛍の河」に思い当たり、しかし蛍に執着があった。百科事典をひくと、古語に「火垂る」、火が垂れる、つまり空襲、すぐ「墓」とつづいた。書き始めたのが午前六時、正午近くまで机に向い、ことさらかわいそうな戦災孤児の兄妹、舞台は、空襲後二ヶ月余り過ごしたあたりに設定。実際の妹は一歳四ヶ月、これでは会話ができない。十六年生れということにし、急性腸炎で三日寝つき死んだ、前の妹と同年。あの妹が生きていたらと、はっきり残る面影をしのび、戦時下とはいえ、暮しにゆとりがあって、ぼくは確かにかわいがった。この気持を、まったく異なる飢餓状況下に置きかえた。 これまでに何度も読んだエピソードが多く出る。「赫奕たる逆光」や「人称代名詞」他なんでもいい。多くの、本当に多くの初期短篇群。それらで書かれたこと、またそれらを書いていた時のこと。野坂昭如を多く読んでいる者には面白い。「火垂るの墓」が映画通りの話ではないことは当たり前のこととしてこの身にある。初期作品を読んだ後に野坂昭如年譜を見て、現実とは大きく違う両親の描き方に、関係のないこちらが時代を超えて心配したものだが、野坂自身そのことは大きく気に病んでいると書いている。人間、外面から内面は計れない。 4月25日第1刷、7月5日第5刷。随分売れている。野坂昭如「文壇」(文芸春秋社)
2002/12/13
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フェリーニの「ジンジャーとフレッド」はとても痛々しい映画だった。昔はそれなりに人気を博した芸人でも、老人になってからテレビに引っ張り出されては醜態を晒す以外に出来ることはない。冷たく扱われ、肝心の舞台本番では停電に見舞われ、待つ間逃げることを決意した二人の老人男女には、その時に限って明るい光が当てられる。マルチェロ・マストロヤンニとジュリエッタ・マシーナの若く美しい頃を知っているから、物語上のことだけではなく、現実のものとして見ていてつらい。フェリーニは「インテルビスタ」でも、「甘い生活」のかつてのヒロイン、今は歳と取りふくよかに太ったアニタ・エクバーグを出演させていた。残酷な人だ。 だから主人公が舞台芸人のこの話も、今読むとその芸には痛々しさしか読みとれないんじゃないかと思いながら読んでいたが、そうでもない。そもそも舞台袖からの描写や、出演者の一人が他の芸人の芸を参考に観るというようなもので、主人公自身の芸自体はっきりとどんなものか分かりにくい。ストリッパーの力強さだけは強調されている。だから幸いなことに、人を喜ばそうとしている人をふとまじまじと見つめた時に生み出される悲観的な雰囲気はあまりない。 ただ、深沢七郎の、朴訥な文体で、「暴かれて」いくと、たとえば主人公と寝て、すぐに飽きられるダンサーの描き方など、単純明快で怖い。 前二冊と比べるとすーっと読めすぎて、それほど書くことがない。深沢七郎「千秋楽」(新潮文庫 この本は現在お取り扱いできません)深沢七郎集(筑摩書房)
2002/12/12
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祖父が死んだ。87歳。やがて母親の涙声に促されて、それぞれ片手をぎごちなく棺の中へ差し入れた。そのとたんに、「厭、お姉さん」と妹のほうが棺から手を引っこめ、宙に目を剥いて狂った笑いのような表情を浮べ、広部が息を呑んで見まもっていると、声はたてずに、むごたらしい泣き顔で崩れた。弥須子の最後の顔と同じだった。あれでもって、血のつながった人間の悶えでもって、死んだ者は慰められるのだ、と広部はふと迷信めいたことを思った。 病室に入る時にためらったのは以前と違う雰囲気に部屋を間違えたと思ったからだ。この間来た時にはなかった水色のカーテンの向こうで祖父は死んでいた。死ぬ間際では一分間で200回動いていた心臓の上だけが死後一時間経ったその時でもまだ暖かかった。祖父の顔は綺麗で肌がスベスベとしていてた。手や足の先はさすがに死者の様相を示していて、色が変わり、むくんでいた。 祖父が死ぬ前から登場人物の弥須子が死ぬ場面を現実と同じように重く受け止めていたので、それ以降も同じように読んでしまい、身が持たなくなった。当たり前だ。物語一つ一つを現実と変わらないものとして感じて読み続けていたら何度も死んだりしなければならなくなる。祖父の家に運ばれた祖父の死体が寝ていた部屋で一日泊まると喉がやられ寝ることも難しかった。吉行淳之介の書く「微熱の国はいいものだ」というのは、熱はないが息苦しくて寝られない病人には何の慰めにもなってくれない。 私は 午前中絵画 午後は囲碁 そして夜は久々に母となるものを交わす 乍残念 気分は合っても母は腰が痛い 父は上から行ふ(正常位)だと布団の上でも膝頭が痛くなる(赤くなる) 薄くなったのか骨が細くなったのか 一物は勢いよがよい母も喜?んではいる?のだが結局めでたしめでたしと終着駅までは行かない 手を変へ品を変へ乍ら途中下車と相成る それで満足?とは 一人楽しむと終着駅にめでたく下車と相成るが やはり体がものを言ふ時代?か とにかく一物が元気ピンピンは喜ぶべきであろうが 時々足が腰が痛むのは喜ばしき哉ではない 気分だけはムンムンでも プロレタリア文学集 徳永直 2 買ふ1987 4 26(祖父72歳の時の日記より) 私だけではない。父も、父の姉妹も、祖父のことはあまりよく知らなかったようだ。祖父の死体が寝転がる前でアルバムを広げて意外な写真を見つけて笑い転げる親戚と私との間にはあまり哀しみは横たわっていない。死んだ祖父に初めて対面した瞬間に流した父、二人の叔母、兄が見せたような素直な涙は私の目からは落ちなかった。それでもつい数日前に荒い呼吸を続けていた祖父が全身のどこにも動きを見せずに生を止めている姿を見た時には少し震えた。厳密な「生」と「死」との区別がまだちょっと見たところでは表れていないのにもかかわらず──そこにいる祖父は死んでいた。 骨となった祖父は、いなくなった。たとえ死んでも、数時間前まではいつでも手に触れられる存在として在ったものが、二度とほんとうに蘇らないものとして、骨になった。それまでの祖父と等号で結ぶことが今でも出来ない。骨に人間味はない。高温で焼かれ続けて細かい骨は粉々になり、漠然とした輪郭しか残っていないそれは、肉を纏っていないというだけで、本当にただの「物」になった。頭の上に置いていた入れ歯の歯の部分が綺麗に残り、キリスト教徒だったなら「天使の輪のよう」と喜ぶところだろう、と思いながら係員の説明を聞いていた。 その夜、祖父の家にあった木製の麻雀牌で囲んだ卓では、一度しかあがれなかった。 しばらく前に私にメモを送られた方、何でもない返事に書くことを迷い続けたあげく、いろいろ急用が入り、メモ保存をチェックし忘れていたために返信も出来なくなりました。申し訳ありません。古井由吉「櫛の火」(新潮文庫 この本は現在お取り扱いできません)
2002/12/10
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