この14年間、ず~っと、
プライベートで聴いている音楽の8割は
小沢健二の曲なのだけれど、
最初の頃は、とにかく「ある状態」になることが
不思議でたまらなかった。
歌詞には、1回も出てこないのに
「君は、それでいい!」
と言われているような気持ちになるのだ。
「そのままの君でいて」とか
「ありのままの君が好き・・・」とか歌っている曲は、
他にいくらでもあるのに。
それを聴いたからと言って
「あぁ、そうだね!」と思うことはない。
でも、なぜだろう・・・、
小沢健二の音楽に触れるたび、
自分が 「圧倒的に肯定」
された気分になり、
とめどない「幸福感」に満たされてしまう。
裏を返せば、自分がそれほどに
「自己否定」を繰り返してきたということなのだけれど。
長い間、自分で自分に「石つぶて」を投げつけていた、
その間に小沢健二の「音楽」は立ちはだかって、
「この人は、これで良いのだから!」
と
両手を広げて守ってくれたような気がするのだ。
その頃の私は、そんな感覚をただただ味わいたくて、
中毒のように、朝から晩まで彼の音楽を
聴き続けてしまったのだった。
やがて、それは 心のメトロノーム
のようなものになった。
行き詰った時、焦った時、失敗した時、
どうしたらいいのかわからなくなった時、
めちゃくちゃ悲しい時、
そして、自分はなんてダメな人間なんだろう・・と思った時、
小沢健二の音楽を聴くだけで、スッと我に返ることができる。
「あ、そうだ!
私ってこういうリズムで生きているのだった」
と、心が静まってくるのだ。
ある程度生きていれば、
たいていの人は、何かそういう
「サバイバルグッズ」みたいなものを持っていると思うけれど、
それが「もの」じゃなくて、
「人」であることが最良なのかもしれないけれど。
人を信じられない私は「音楽」にそれを見つけた。
そして、14年経った今でも、
小沢健二の曲に全く飽きることはなく、
それどころか、何千回聴いたのかわからないのに、
「ハッ!」と新しく気づくことがあったり、
「本当にそうだよね!」と心から相槌をうったり、
ここは、まだ手が届かないなぁ…と思う
深遠な部分があったりと、
掘っても、掘っても、
宝物が出てくる砂浜にいるようで、
惹きつけられてやまない世界を漂ってしまうのだった。
(つづく)


