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2012年03月20日
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カテゴリ: 桜隊原爆忌

7 終戦「芝居ができるわ」=広岩近広
≪記事≫
          (毎日新聞 2012年3月20日 大阪朝刊)

 宝塚歌劇団から舞台女優を目指して桜隊の丸山定夫に師事した園井恵子は、岩手県の松尾村(現八幡平市)で1913(大正2)年8月6日に生まれた。32歳の誕生日の朝、原爆に見舞われたのだから、非情な運命である。だが園井は一時、運命の女神に救われたと思っていた。「六甲のママ」と慕った神戸の中井志づさん宅に飛び込んだとき、園井は真っ先に口にしている。「私、助かったのよ、助かったのよ」

 当時の園井については、結婚して中井家の近くに住んでいた元タカラジェンヌの内海明子さん(91)が詳しい。加古まち子の芸名で宝塚の舞台に立った内海さんは、7歳上の園井から妹のように可愛がられた。園井の本名が袴田トミなので、「ハカマちゃん」「アーちゃん」と呼び合い、園井が中井家を訪問するときは決まってお供をしている。

 内海さんは「大好きなハカマちゃん」の記憶が薄れることはなく、むしろ鮮明になってきたという。

 「広島のハカマちゃんが心配で中井のおばさまを訪ねると、浴衣を着たハカマちゃんが出てきて、ニコニコしながら元気に私を迎えてくれたのです。それも無傷ですから、抱き合って無事を喜び合いました」

 実は--広島に原爆が落とされる直前の7月末、園井は公演の合間をぬって中井家でくつろいだ。広島に戻る8月1日、内海さんは相談を受ける。

 「私が広島出身なので、よい疎開先はないだろうかって、ハカマちゃんに聞かれたのです。お寺を紹介したのですが、すでに大学生が借りていました」

 そうした経緯もあって内海さんは園井を案じていた。8月8日に中井家で再会できると、やっと安らいだ。「洗髪したら髪の毛が抜けたので、中井のおばさまから、髪に触らないようにと言われて、そのことをよく守っていました」

 一方、園井と助け合って、広島から中井家にたどり着いた舞台監督兼俳優の高山象三は衰残の身だった。

 「象ちゃん、大丈夫、と何度も声をかけて、ハカマちゃんは象三さんの看病に懸命でした。たしか8月11日だったと思います。歩けない象三さんを荷車に乗せて、中井家の人たちと病院に連れて行ったのですよ、ハカマちゃんは」

 東北人の粘り強い性格にもよるのだろうが、このとき園井には、21歳の高山よりも体力が残っていた。

 終戦を迎えた8月15日、内海さんは園井の輝く瞳を見た。「これで思いっきり、お芝居ができるわ。そう言って、ハカマちゃんは心の底から喜んでいました」

 8月17日、園井は故郷の実母に宛てて、神戸から希望をこめた手紙を出した。

 <お会いしたく、たまらなくなりました。ほんとうに九死に一生を得たとはこのことです。しかも八月六日、生まれた日に助かるなんて、ほんとうに生まれ変わったんですね。健康に立ち返る日も近いでしょう。そうしたら、元気でもりもりやります。やりぬきます。母さん江>(骨子)(次回は27日に掲載)

毎日新聞連載07PHO





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最終更新日  2012年05月31日 14時51分39秒
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