小道の詩

小道の詩

ガラスの目のネコ


 冬にも春にも属さない半端な季節。誰も必要としない季節。だけど、貴重な季節。そして不可欠な季節。




 私は数年ぶりにここに帰ってきた。母と父は少し老けたようだ。やはりここに残るべきだったかな、そう考えると、胸にナイフで切り裂かれたような痛みが走る。
「店は大丈夫だから、外でも散歩してきたら?」
私の気持ちを察してなのか、レジ打ちをしていた母がそう言った。こう言われて、私がここに居る理由はなくなった。私は母の言葉に頷き散歩に出かけた。
 私の実家は自営業を営んでいる。二十四時間営業の大型スーパーができたのは確か三年前のこと。そう、この出来事のおかげで、私はひとり祖父母の家に引っ越すこととなった。「私、店を手伝う。」そう言ったこともあった。だけど、私のことを想ってだろう「あなたは気にしなくていいの。」と一言。全く優しい両親をもってしまったものだ。私の気持ちよりも、苦労させないことを第一に考えている。だけど、私もこの人たちの娘だ。しっかりとこの遺伝子が受け継がれている。

 歩きなれた道は私がいない間に少し変わってしまったようだ。空き地だった場所には大きなマンションが建ち、小学生の頃、お化け屋敷とののしった家はなくなり真新しい一軒家が建っていた。
すーっと、風が吹きぬける。私を無の存在のように感じさせる。半端な季節、私も同じだ。
 私は大通りからそれ、細いわき道に入る。どうやら、ここは何も変わっていないらしい。坂の下にあるこの地域は古い家が多い。午前中は日の光があたらず暗い。そしてひんやりとしている。だけど、夕方になると綺麗なオレンジ色に染まる。どこか奇妙で、神秘的な場所。私はこの場所を好いていたのだろうか。もう憶えていない。ただ、すごく懐かしい。
 ちょうど昼食を食べ終えたのだろう、家々からは食器を洗うカチャカチャという音が聞こえる。私は小さい頃からこの音が好きだ。食器と食器が触れ合うときの音。私の母が食器を洗う音。朝、目が覚めたときにこの音が聞こえるとなぜか、安心した。私はここにいるのだと実感できた。
 小さい頃の記憶といった類は、私の脳細胞のどこかに蓄積されているのだろう。それと同様に一瞬一瞬に感じた気持ちなんかも蓄積されているのだろうか。そして古い、必要のない記憶から削除されていくのだろうか。人間の爪みたいに古い爪は新しい爪に押しやられ、朽ち、鮮やかさを失い、そして切り取られるのだろうか。
 最近、私はこんなことばかり考えている。「どうしてしまったの?」自問しても答えはかえってこない。だから、ひたすら考える。答えに辿りつけるわけもなく。

 私は歩く、神秘的な道を、深く深く、朽ちたはずの細胞を探して、歩く、歩く、暗い道を、ずっと、ずっと。

ずいぶん歩いた。お腹がすいた。でも足はとまらない。短日植物しか育たないような道を歩く。視界には薄暗い道しか映らない。はずなのに、何か黒いものが映った。黒いもの、ネコだ。この暗さだ、普通の黒ネコなら気付かなくても不異議はない。

 だけどこのネコ、左目が光っている。

 暗い道で一匹と一人が対峙した。一匹は右目で一人をみつめ、一人は両目で一匹の左目をみつめた。
私の一部の細胞が再生する。朽ちたはずの細胞が鮮やかに色をつけ、私の脳内にフラッシュバックする。わたしこのネコ知ってる、声にならない声でそう呟くと同時にネコは私に尻をむけ歩き出した。私もそれに続いた。

 一人と一匹の距離は縮まない、ひろがらない。一人と一匹はこの距離を保つ。両者にこの距離をかえる気はない。ただ、歩く。一匹は一人の記憶の案内人。歩くにつれ一人はこのネコとの出会いを思い出す。

 そうだ。あれは確か、私が小学生の頃だ。私は今みたいに一人でこの道を歩いていた。この薄暗い道を歩くと肝試しをしているようで楽しかった、のだろうか。
 歩いた。今より小さい歩幅で、何も考えずただ前を見て歩いていた。雑念などないキレイな気持ちで。あのときもネコを追った。足を忍ばせて、ゆっくり。ネコは気付いていたはずだが、私を気にせずズンズン薄暗い道を歩いてた。そして、ネコはある家の前で足をとめた。


 ここまで思い出して胸の中がザワザワした。足をとめたいがとまらない。足が私の命令を無視する。足の筋細胞が伸縮して私を前へ導く。
 だめ。私はあの人に会えない。私はあのときの私じゃない。きっと嫌われる。いやだ。あの人の中の私は昔の私。今の私を受け入れるはずがない。あの人の中だけでも昔の私のままでいてほしい。だから、いや。足をとめて・・。
 そんな私の脳細胞の命令を無視して両脚の筋細胞は働く。私を前にすすめる。筋細胞はなつかしむように歩く。脳細胞はそれを望んでいない。



 ネコは足をとめた。
 あの家についた。
 あの人がいる。
 白髪が増えたみたい。
 私に背を向けて花を植えてる。
 あの人が振り向く。
 私と目が合う。
 そして笑う。
 あの人が植えていた花は長日植物。


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