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〇実家の旧宅と納屋の分別整理バタバタと何となく慌ただしく一週間が過ぎる。特筆していない日は、実家に通って家や納屋のゴミ状態のものを分別する。衣類・布類、古紙、雑誌、段ボール類、金属ゴミ、家電類、その他の燃やせるゴミと燃やせないゴミに分類。家電類までは「じゅんかんコンビニ24」に運び込む。こんな作業はまとめて業者に頼めば楽なのだが、やはり実家の歴史が紛れ込んでいるので、一応目を通さなければ申し訳ない気がするのだ。一番大変だったのが写真やアルバム類。両親ともにカメラ好きで、膨大な量のアルバムや、結婚式や葬儀の時の記念写真がある。知っている人のものもあるけれど、昔のものになるとわかるのは両親や祖父母くらいで、それで親族のものであったとは思うけれど、私達の知らない世界である。そんなものを見ていると、今の私達があるのは、数知れない過去の人達の流れの中の命なのだと思う。しかし、感性というものは人それぞれで、同じものを見ても妹には何の感慨もないらしい。とにかく早く処分したいという気持ちが先行しているようで、いちいちチェックする私をまどろっこしく思っているような気もする。驚いたのは、父や亡くなった叔父の小学校時代からの成績表などが全部残っていたこと。当然、私達のものもある。65年ぶりくらいに自分の成績表を見て驚いたり懐かしかったり…。私は自分の分だけは自宅に持ち帰って来たが、妹は「私のはもう見たから燃やせるゴミにした」という。それでも、ざっくりと見た発見はあったようで、妹は大器晩成型、私は早熟型だったようだ。つまり、妹は小学生の頃はあまり成績は良くなかったようなのだが、高校・大学になるにつれて成績が向上。反対に私は、小中学校時代は成績が良い方だったが、高校に入る頃から自分で勉強する習慣がなかったせいで、ガクンと成績が落ちた。本当に私と妹は、あらゆる面で性格が反対である。考えてみると、息子たちや父と叔父も正反対の性格だった。兄弟姉妹はそうなる傾向が強いような感じもする。ともあれ、昨日までで少しは整理の目途が付き、次は来週に引き取り業者に来てもらい、残ったものを処分する作業に入る。大量の食器や花瓶、家庭用品などがあるので、それを棚から出すだけで大仕事だった。そのほかにも、旅館だったのかと思われるほどの布団類がある。これもまとめて処分を頼むことになる。7月19日(金)数年ぶりにNさんとJさんとでランチとおしゃべり。この三人は、もう45年近く前に読書サークルで知り合った。私が参加していたのは2年間くらいだと思うが、その後も時々会ったりはしている。7月25日(木)残っているそば粉で夫が蕎麦を打ち、私は前日に煮物を作り、息子たちの家に行く。長男が倉庫の横に煉瓦でピザ窯を作ったそうで、孫がピザ生地を作っていた。この日は、一昨年長期間ボランティアで滞在していたTさんが来ていて、総勢8人でワイワイと蕎麦やピザを楽しむ。簡易的なピザ窯だけど、薪の香りが風味となり本当に美味しかった。窯はこれと同じ。(一番簡単な四角い形、耐火煉瓦20000円くらいだったそうだ)燃料は廃材や大量のブドウの剪定枝があるし、意外と短時間で出来るのにびっくり。本州から来たTさんは、私達が持参したとうもろこし(前日に親戚から買ってすぐに茹で、ラップで保存してきた)を、窯で焼いたりして大喜び。彼らに言わせたら、「こんな贅沢なことはここでしかできない!」。実は、私も同感である。
2024年07月27日
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とりあえずメモ。7月14日(日)シネマ歌舞伎「桜姫東文章 下の巻」を観るために札幌へ。歌舞伎ならではの様式美というのだろうか、練り上げられてきた舞台は美しい。それとやっぱり、仁左衛門と玉三郎が秀逸。因果と宿命をこれでもかと描いて、その考え方にはさほど共感はできないけれど、時代の中ではそのような納得の仕方や結末は庶民には必要だったのかもしれない。いや、現代も同じなのかもしれないな。7月15日(月)着物買い取り業者が実家の旧宅に来てくれて、かなりの着物を持って行ってくれた。いくら高額で買った和服であったとしても、今では二束三文とわかっていたのだが、思ったよりも活用してくれるようなのでありがたかった。買い取ってくれないのは、喪服、道行などやウールのものなど。帯締め、帯揚げなどの小物はほとんど持って行ってくれたので本当に良かった。7月17日~18日実家の片付け作業。整理して分別したものをじゅんかんコンビニに運び込む。このような場所があって本当にありがたい。2日とも暑い日だったので、汗だくで作業して午前中で終える。7月17日(水)夜9時半頃、関西に住む中学時代の同級生からの電話。17歳のお孫さんが自死したとのこと。絶句。この件については別に書こうと思う。7月18日(木)Facebookで、知人のご主人が90日間の在宅介護医療を経て亡くなったことを知る。毎日のように介護記録をアップしていたので、ずっと気にしていたのだが、そもそも入院していた病院では余命があとわずかということで、それなら在宅で看ようと彼女が決心し、家族や在宅診療を行う医師や看護師とのチームワークで3か月も大好きな自宅で過ごすことになった。彼女のことは本当に素晴らしい人だと以前から尊敬していたが、今回のことで偉大な人だと思っている。決断力、愛情深さ、どんな時も笑顔を忘れず前向きに考えることができる力、そして、一番に思うのは多くの人を巻き込みそれぞれの力を借りたり返したりの調整力、これは本当に素晴らしいリーダーの資質だと思う。知人ではあるけれど、日常的なかかわりのある人ではないので、そっとご冥福を祈り、最後まで諦めずに力を尽くしたご夫婦とご家族、その周囲の人たちに拍手を送りたい。彼女のことで考えて来た看取りや介護のこと、そして自分のこれからについては、別に書きたいと思っているのだが、さて書けるだろうか。
2024年07月19日
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何となく忙しくしていて、日々のできごとも書いてなかった。でも、日常のことだから取り立てて書くことでもないのだけれど、とりあえず予定表に書いてあったものをメモ。7月2日(火) クリニックに定期受診。市の特定検診もも含めての検査も行う。この日から三日間、実家に住む二番目の妹が大学時代の友人と会うために仙台に出かけるので、下の妹が留守番役で来ることになった。実家には猫が二匹いるのだが、一匹が常に強い便秘で排便の時に介助が必要。とても臆病で妹以外は警戒してすぐに逃げるのだが、下の二人の妹は雰囲気が似ているのか逃げない。ということで、留守番役のために本州からやってきたのだ。クリニックが終わって立ち寄って少しおしゃべりして帰る。7月3日(水) ぶどう畑手伝い。暑かった。7月7日(日)三姉妹で、由仁のキッチンファームヤードでランチ。7月10日(水)ブドウ畑手伝い。一週間でブドウがグングン伸びてワッサワサ。私は誘引作業と脇芽取り。夫は株周りの除草。7月12日(金) 町内会の花壇の草取り作業。その後実家の旧宅に行き、母の残した着物を全部出して並べる。友人が着物のリメイクを趣味にしているので、使えるものを持って行ってくれないかと頼んだら、この日の午後に来てくれることになったのだ。めぼしいものは以前に買い取り業者に持って行ってもらったのだが、その時は全部は出してはいなかった。あまりにも大量なので、覚悟を決めて始めないとならずそのままになっていた。ということで、約三時間、汗だくになりながら箪笥四棹から運び出したが、母の着物道楽には今更ながら恐れ入った。三時半に友人が来てくれてかなり持って行ってくれたが、友人のお姉さんが暮らしている障碍者施設でも着物リメイクの作業をしているというので、次の日に来てくれることになる。7月13日(土) 友人とそのお姉さん二人、運転手として姪御さんが来てくれて、かなりの着物を持って行ってくれた。着物をほどいて洗濯してアイロンかけも作業の一環としているらしい。友人のお姉さんだけあって、施設で暮らしているお姉さんも手作業が得意で、もう一人のお姉さんはやはり着物や洋服地で帽子づくりをするらしい。そのような人たちだから、大喜びであれこれと選んで持って行ってくれた。私も、母の着物をゴミにするのは忍び難い気持ちもあったので、少しでも活用してもらえるなら本当に嬉しい限りだ。
2024年07月14日
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6月1日 畑の手伝い。ブドウの株周りの除草。6月5日 雨模様の日なので、夫が打った蕎麦と私の天婦羅を息子の家に持参し、蕎麦会。6月7日 9月の母の一周忌法要の打ち合わせを近くのベルコで妹と。 私達家族と親しくしている親戚のみの予定。6月13日Iさんが、私の誕生日ランチということで、長沼のクレスに連れて行ってくれた。久しぶりに野菜たっぷりのビュッフェとおしゃべりを楽しむ。おいしいものを食べながらの思うままのおしゃべりは至福の時間。Iさんとの出会いを心から感謝せずにはいられない。本当にありがとう。これからもよろしくね。6月14日 次男、孫、私の誕生日が6月なので、合同誕生会。 この数年は寿都に牡蠣とホタテを買い出しに行ってのバーベキューだったが、今年は牡蠣が終了したとのことで、市内のスーパーで食材を購入してのバーベキュー。牡蠣、ツブ、ホタテ、焼き鳥、ソーセージなどをスーパーで買い、肉系はA肉屋で。ここの焼き肉は少し高いのだがとても美味しいので、子ども達が家に居る頃は1か月に一度は買いに行った。久しぶりに買いに行ったのだが、以前と変わらぬ店構えで懐かしかった。息子の倉庫でのバーベキューだが、今年の研修生はよく食べる若者で、その様子を見ていると嬉しくなる。あまりバーベキューなどをした経験がなく育ったようで、牡蠣やツブを食べるたびに「ヤバいっす!」を連発。「ヤバイ」という言葉が感動表現ということにいまだに慣れないおばあちゃんの私は、そのたびに「何かまずいことが?」とドッキリしてしまう。息子たちも孫たちも、あまり「ヤバイ」を使っていないのだ。多分孫たちは友達同士では使っているのだろうけれど、使わない世代の私達の前では使わないのかもしれない。いつから「ヤバイ」が、良いことから危険なことまでの広い意味で使われるようになったのだろう。この一言で全部の驚きの表現にしてしまうって、ヤバくないのだろうか。6月15日 息子の畑の一角に撒いてもらった夫の蕎麦と大豆の除草のため、息子の畑に。 夫が耕運機で除草をしている間に、私は葡萄の枝の番線への整理作業。 天気が良く爽やかな1日だった。6月16日 前日とは一転、夕方から雨模様なので次男が泊りがけで来て、近くの居酒屋に行く。 次男は独身なので、彼が来た時に一緒にどこかに食事に連れて行くのが夫の楽しみ。 私もその方が楽だし楽しい。
2024年06月17日
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4月13日(土)三姉妹が揃っているので、久しぶりに「安暖亭」でのディナーを楽しむ。このお店は創作和食のお店でいつもそのお料理が楽しみなのだが、意外にも末の妹はまだ行ったことがないというのでこのお店に予約した。さほど大きいお店ではないので、この日は一階の席は満席なので、二回の宴会場で四人がゆったりと食事を楽しむ。どの御料理も丁寧に作られていることがわかるもので、見た目も味も大満足だった。4月16日(火)息子たちの畑の作業。この日も剪定枝集め。腰に負担がかからないようにビニールシートに枝を集めて引っ張り下ろすことにした。それでも、午前中の作業でやはり腰が疲れてきたので、午後からの途中からは番線張りの作業にしてもらった。殺風景な山々にコブシの花がぼんぼりのように浮かんで見える。コブシの季節にはいつも、小学校の時の担任の西木先生を思い出す。先生が亡くなってからもう何年たっただろう。そうだ、ブログに書いていたっけと調べたらN先生の思い出があった。ああ、もう36年も経ったのだな。本当に月日が過ぎるのは早いものだ。4月19日(金)Tさんと札幌のシネマフロンティアで、「オッペンハイマー」を観る。彼女とは随分前に違う映画を観ようと日程を決めていたのだが、胃腸の調子が悪化して入院してしまっていた。彼女はこの数年、次々と色々な不調が続いていて、体調が回復した時には励ましのために食事をしたり映画をみたりする状態が続いている。今回も、ずっとまともな食事ができないうえに動くことも少なくなり、体力が落ちたと聞いていたので当日も大丈夫かと心配していた。でも、久しぶりの彼女は確かに体力は落ちて歩くのも以前に増してゆっくりになったような気がしたが、明るい顔をしていたのでホッとした。さて映画であるが、予想通りの重たい映画であった。私は事前に映画の公式サイトを見て予習していたので、Tさんには概略を映画の前に話しておいた。彼女はうつ病のせいでもあるのか、なかなか自分で決めることができない傾向がある。だからいつも、時間やお互いの興味の傾向を考え、複数の映画を示して選んでもらうようにしている。今回もそうしたのだが、やはり彼女は映画の内容もよくわからないせいか、私のチョイスに従った形だ。調子のよい時は控えめにではあるが自分で選ぶので、今回は不調なのかもしれないとも感じた。そんな感じで今回の映画は私が見たかったのだが、内容は少し重たいはずなので、彼女にとってあまり良くないかもしれないとの懸念もあった。鑑賞後、彼女のお腹に優しいであろうと思った「オムライスドリア」を食べながら映画のことを話したのだが、やはり映画の重さをどのようにプラスに考えられるかが私の修行でもあった。どれほど真面目に頑張って努力しても、それが望む結果にはならないことがこの世には多いし、それは彼女の人生そのものであるところもあるからだ。それでも、誠実に自分の心に正直に自分とも周囲とも折り合いをつけながら頑張るのは、人間の価値でもある。結果がどのようになったからといって、真面目に良いことを願い続けて努力することは決して悪いことではない。帰宅後、彼女からのラインが届いた。「自分一人で見たら重い気持ちになってしまったでしょうが、その後色々話したことで暗くならずにすみました」。それを読んでホッとしている。
2024年04月20日
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気付けば、日々の出来事を全く記録していなかった。寝ていたわけでもないという証しにメモしておこう。1月18日(木) 友人Iさんの誕生祝に、苫小牧のビストロエゼでランチ。知り合いの息子さんのお店で、一度行きたいと思っていたお店。シェフのおまかせランチをお願いしていたのだが、大満足。1月23日(火)従妹の通夜に妹と参列。母の一番上のお姉さんの娘なので、従妹といっても93歳。農家に嫁ぎ、立派に育った後継ぎと、孫の成長を楽しみにしていた時にその息子が急逝。その後も色々あったけれど、愚痴も言わず物静かな優しくきれいな従妹だった。農家で働き詰めだった人とは思えない美しさで、妹と二人ため息。でも、美人だから幸せな人生になるとは限らないもので、苦労の多い人生だったと思う。きっと今頃は、あちらの世界で母や叔母さん達に大歓迎されて楽しくおしゃべりしているんじゃないだろうか。1月25日(木)母の月命日なので実家に行くつもりだったけれど、大吹雪で車も出せず。1月30日(火)ほぼ一年ぶりくらいで、Iさん、Hさんと北広島の良寿司でおしゃべり。ここは個室でお値段も手ごろなのでお気に入り。とは言っても三人では初めてかな? いや二回目?興味や関心が共通しているので、楽しい時間だった。2月5日(月) 母の遺産相続の関係で税理士さんと打ち合わせ。三月には色々なことが整理できる予定。2月17日(土)本当に久しぶりにTさんとIさんと一緒に札幌で映画とランチ。彼女がずっと体調が悪かったので、心配しながら行ったのだが、思ったより元気そうでホッとした。映画は「夜明けのすべて」。いい映画だった。この映画については、また別に書きたい。まだ何かあったような気もするが、予定表に書いてあるものだけしか思い出せない
2024年02月19日
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今回の能登地震や航空機事故では、色々と考えさせられた。私ができることを忘れないようにメモしておこう。●災害に備えて我が家でできること・貴重品(通帳・印鑑・身分証明免許証など)はまとめて身近に置いておく。・特に冬季の災害に備え、ホッカイロ・ペットボトルの水、数日分の食糧、保存のきく栄養補助食品なども常備。・地域の防災訓練に参加し、避難所の災害備蓄品を確認し、少ないと感じたら行政に要望する。 今回の能登地方の避難所の様子を見ると、明らかに防災準備が甘かったと感じられる。●万が一航空機事故に遭遇したら・貴重品や身分がわかるものなどは小さめのポシェットなどにまとめ、上着の内側に身につける。コートなどはひざ掛け代わりにしておく。・パニックを増幅しないために、乗務員の言うとおりにしようと周囲に声をかける。・かかとのある靴は避ける。
2024年01月06日
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12月18日(月) クリニック受診、今年はコロナに感染してしまったが、それ以外は特になし。血圧も安定している。12月20日(水)現在は後方支援中の子育て支援グループの例会で、市内のフリースクールの説明とお願い。そのために、全国の不登校等の学校に行っていない子ども達の状況や教育支援センター、フリースクールなどの状況を説明。市内のフリースクールについては、これからも可能な協力をしていこうと思っている。12月X日 正確な日時を忘れてしまったが、Iさんと千歳で久しぶりにランチ。ビュッフェスタイルなのでどうしても食べすぎ😢(笑)12月25日(月)山形に住む孫が一泊二日の帰省。久しぶりに家族が揃ってのクリスマスパーティとなる。今回は奮発して、カニ三種(タラバガニ、ズワイガニ、毛ガニ)と、生寿司、ホタテとサーモン等の刺身などを用意。下の孫は、勤めているパン屋さんの特性シュトーレン三本。そのうちの一本はシェフからのクリスマスプレゼント。息子たちは、長沼で買ってきたクリスマスケーキと、いただいたというシュトーレン。洋風のものばかりではと、煮物とポテトサラダ。ポテトサラダは孫たちが小さい頃から大好きだったので、彼らが来る時には大量に作る。山形の孫は、「ポテトサラダ、時々作ってみるけどおばあちゃんの作る味にならないんだよね」と嬉しいことを言ってくれる。特別なことはしていないのたが、多分食べる時の雰囲気の味も大きいんじゃないだろうか。それと、私が作る時は大量、孫は少量しか作らないだろうし。それにしても、我が家の男たちは大食いばかりである。今年の年末年始は、久しぶりに息子たちが我が家に泊まることになった。コロナ期間中は泊まらずに日帰りを繰り返していたので楽だったが、泊まるとなると布団の準備などで大変なのだ。億劫だという気持ちもあるけれど、泊まりたいと言われることはありがたいことだし、私が元気でなければ泊めることもできない。というわけで、久しぶりに年末年始の準備に追われている。
2023年12月30日
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時間の流れが速い!ということで、できごとメモ。12月3日(日)長男が、久しぶりに市内で開かれたワイン会に参加するため、夜は泊まる。このワイン会は、息子が自分でワインを造り始めた頃から応援してくれていたKさんが、二年ほど前に亡くなったとのことで、彼が所蔵していたワインを飲みながらの追悼ワイン会だったとか。 時々ぶどう畑にも来てくれていたのだが、しばらく会わないなと思っていたら亡くなっていたとは! 本当に命はいつ尽きるかわからないものだ。12月4日(月) 小中学時代の幼馴染が来道に合わせて、なつかしい思い出の場所をたどりたいというので付き合う。私はこの町でずっと住み続けているのだが、この50年で随分様相は変わっている。かつての通学路も、住宅地造成に伴い道路も変わっているので、二人で「あっちかな? こっちかな?」とウロウロ。その日のことは、ブログ「都市をとると鮭になるのか?」に書いていた。12月9日(土)岩見沢市で開催されたた「家族サポートグループgem(ジェム)」主催のシンポジウムに参加。この会の代表者は、私がずっと関わっている会に岩見沢市から参加していた人で、8月からこの会を立ち上げた。ということで、今回は私達の会もそのサポートのために何人か参加した次第。学校に行かない・行けない子の数はコロナ渦の要因も加わって着々と増加中。学校に行かない子は「困った子ではなくて困っている子」で、その子の保護者も当然色々な意味で困っている。この会が、学校に関わることで困っている子どもやその親たちを支え、新しい力を見つけていく場になってほしい。12月11日(月)関わっている会の会報の印刷と発送作業。その後友人のKさんの家に、ほどいた着物3着分を持参し、リメイクをお願いする。12月14日(木)久しぶりに、Iさん、Mさんと千歳のANAクラウンプラザ ホテル千歳でビュッフェランチ。久しぶりにMさんとゆっくり話が出来て良かった。誘ってくれたIさん、ありがとう。ビュッフェの食事はつい食べすぎてしまって、夜になってもずーっと胸が一杯だった。どうも、消化機能が低下しているようだ。
2023年12月15日
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9月1日(金) 夫の大腸検査。いくつかポリープは取ったようだが、問題なし。胃の検査もOK。9月2日(土) 今年は諸般の事情(?)で例年開催しているそらちワインピクニックが中止になり、岩見沢市内のワイナリーやヴィンヤード仲間と100人程度のワインイベントを開催することにしたという。 息子たちのブドウ畑広場で行うというので、出店しているイタリアンやフレンチのお店の食べ物を食べに行く。 何せ自分たちで企画・運営するので、とても大変だったようだ。 それでも参加してくれたコアなワインファンはとても喜んでくれていた。 ぜひ来年もと言われていたようだが、本人たちはあくまでもワインピクニックの代わりのつもり。 この時期は収穫前作業で忙しいのに、私もよくやったと思う。9月3日(日) 市内の市民会館で自衛隊音楽隊の演奏会があるというので、友人を誘って聴きに行く。 生コンサートは本当に久しぶりなので、とても楽しかった。9月5日(火) 本当は蕎麦の脱穀作業をするつもりで息子たちの畑に行ったのだが、前夜の豪雨でとても無理。 ということで、遅れているブドウ畑の手入れ作業を手伝う。 やっと気温も秋らしくなってきたけれど、やはりしばらくすると汗が噴き出してくる。 今年は夏は暑すぎて手伝いに行けず、いつもは助っ人で来てくれるワインファンのボランティアも来れず、昨年までいた研修生もいない。 その上に、お嫁さんのご実家のお母さんが入院して妻も不在。 だから、葡萄の手入れが全く追い付かず、葡萄たちは放置状態に近い。それでも生い茂るブドウの葉の陰で、健気に実をつけているブドウたちに「エライ、エライ」と声をかけながら作業を四時頃まで続ける。 この日は、札幌と鎌倉から来た人がお手伝いをしてくれていた。 さすがに体が疲れたうえ、夜間が涼しくなり、久しぶりに眠剤なしで寝ることができた。9月6日(水)やはり夜間に雨が降ったようだが、何とか作業ができる 今日こそはと少し地面が渇いてきた頃にソバ畑に脱穀機を設置し、早めの昼食を取ってから脱穀作業。 本当に久しぶりに、私たち夫婦と息子二人の四人家族のみでの作業だった。 その後、続けて唐箕作業。 残念ながら、今年はなぜかあまり収穫が出来ず夫はがっかりだと思うが、天候のせいか刈り取り時期が早すぎたのか、まあこんな年もありますね。 とにかく、夫がずっと気掛かりだった作業を終えることができて一安心。 この日も疲れ果てて、スーパーでお弁当を買ってきて夕食。こう書いている今日は、すっかり秋の風が吹いている。やっと暑い夏が終わったと一安心の後は、秋から冬へ向かう。これから収穫と仕込みがあるので、今月いっぱいは忙しくなると思う。
2023年09月07日
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クラス会以降、自分が何をしていたのかのメモをしていない。昨日のことも忘れてしまうような感じもするので、予定表に書いていたことだけでも羅列しておこう。6月26日(月)、27日(火) 長男の畑の手伝い。 長男の妻の実家のお母さんが入院し、手術が必要になったようだと急に実家に帰った。 今はブドウの枝が伸びてきて誘引が必要なので、手伝ってほしいと言われて出かける。6月28日(水) カーブスに行ってから、Iさんの家でおしゃべり。7月3日(月) 8月に甥夫婦が新婚旅行を兼ねて来るというので、母の施設に面会予約。Iさんと北広島市の「良寿司」でランチ。1300円で大満足。7月4日(火) ぶどう畑の手伝い。延々と誘引作業。7月5日(水) 母と初めての居室での面会。予想以上に頭もはっきりしていて会話もスムーズ。 母が娘時代に両親と姉妹で写真館で撮った写真を持参すると、とても懐かしそうに見ていた。 もしも食べられるならとケーキを3つ買って行ったが、何と「大きいのがいい」と言う。 しばらくケーキを食べていなかったせいだろうが、 食べる意欲があり、欲張りの母が戻ったねと妹と後で笑ってしまった。 施設の人達がよく介護してくれているから、母も穏やかに落ち着いているのだろう。 本当に良かったと安堵する。7月6日(木) ~7日(金) 午後から息子が除草作業に夫に手伝ってほしいと要請がある。 トラクターを使っての作業には三人が必要で、本州からの実習ボランティアTさんとの作業。 夫は運転係。私はまた誘引作業と番線へのクリップ止め。両日とも暑くて、水分補給に気をつけながらなんとか終えることが出来た。7月8日(土) ワイナリーでのビン詰め作業。 ワイナリーの地下での作業なのだが、地上と違いとても涼しくて助かった。何だか慌ただしい日々である。
2023年07月09日
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5月1日(日)母が隣町の介護医療院「えみの里」に入所。入院先のD病院から「えみの里」の移送車についていく形で、妹二人と「えみの里」へ。入所のための検査などをしている間、介護士・看護師・ソーシャルワーカーさん達が入れ代わり立ち代わりやってきて、確認や説明をしてくれる。みなさんとても感じのいい人たちばかりで、私達もとても安心した。その後、居室に行く前に母と面会。ストレッチャーに寝たままだったけれど、私達のことはすぐに理解してくれた。「とてもいい施設だよ。お医者さんも看護婦さんも、世話をしてくれる人もいい人たちで、私たちもとても安心したよ」と声をかけると、「そうかい、あ~良かった。あんたたちの顔も見れて良かった~」と返事をしてくれる。その後、院長先生も診察の結果などの説明をしてくれた。足の筋肉がほとんどなくて、「一応リハビリをするけれど、立って歩くようになるのは難しいだろうね」と言われる。もとより私達も、もうすぐ97歳になる母に嫌なことを無理やり強いてまで歩かせようとは思わない。「私達は、母が安心して嫌な思いをせずに穏やかに過ごしてくれることだけが望みです」と伝える。最後にどなたかの、「ここで最後までお過ごしいただき、お看取りさせていただくつもりです」という言葉に、なんだかとても安堵した。母は在宅の頃には施設入所は嫌がるだろうと思っていたが、入院してからはそれなりに諦めと納得をしてくれてきたので、それが本当にありがたい。面会は月一回で、今のところリモート面会の予定だ。この日の午後、姪一家が4年ぶりくらいに来道。コロナ禍の間に第二子を妊娠出産。共働きの姪夫婦は、祖母である妹の助っ人もあてにできず、本当に大変だっただろうし、それは現在進行形のようだ。姪はふっくらしていた顔がほっそりし、疲れているように見えた。それでもご主人が一緒に育児を担ってくれる人なので、本当に良かったと思う。この日の夜は、久しぶりにみんなで会食。5月2日(火) ぶどう畑作業。ひたすら誘引作業。5月4日(木) 息子たちのワイン用ブドウ畑で馬耕があるので、姪一家と見学に出かける。最近、馬耕をするワイナリーも増えてきて、かつ関心のある人も多くなっているので、この日も大勢の人たちが来ていた。姪のご主人と、小1の男の子は興味津々だが、もうすぐ二歳の女の子は怖がってお父さんの腕から降りようとしない。姪のご主人は馬耕体験もやりたかったようだが、研修体験をしている人をさしおくことはできず、諦めたようだ。その後、長沼にある「ハイジ牧場」へ。ここは、息子たちが幼い頃からあるので、息子たちや孫たちと何度も来た懐かしい場所だ。最後に行ったのは、孫たちがまだ幼い頃なので、多分十数年ぶりだと思う。駐車場には車が一杯だったが、牧場内が広いのでさほど混雑している感じはなかった。ここでは子ども達はヤギやウサギのエサやりに夢中。なかなか次のエリアに移動できなかったけれど、最終的には丘の上での凧揚げや迷路で遊びまくる。私達は途中のコンビニで買ってきた食べ物や飲み物を広げて、広大な北海道を満喫する。楽しい一日となった。5月5日(金)次の日には姪一家が帰るので、夫が蕎麦を打って夕食にする。大人達が蕎麦好きなのは知っていたが、幼い子ども達には蕎麦じゃかわいそうだろうと聞いてみるし、「子ども達もお蕎麦大好きです」とのこと。とはいっても、小1と二歳前の子なので、夫もそのつもりで準備したのだが…。この二人、本当に蕎麦好きだった。小1の男の子は、黙々と食べ続け、大盛以上をペロリ。女の子は、まだおぼつかない箸さばきでお椀に顔を突っ込むように食べている。これには私達もビックリであった。結局、夫や私たちはいつでも食べられるからと遠慮してほとんど食べなかったくらいだ。小1のR君は、夫を指さして「おじいちゃん、すごーい。美味しすぎる!」だって。小1ですでに蕎麦の良し悪しがわかるくらいに食べているようだ。「ラーメンとお蕎麦とどちらかだけしか食べられないとしてら、どっちにする?」と聞くと、「うーん」と悩んでいる。一般的に子どもなら、迷わずラーメンでしょう。こんな子どもは初めて見ましたよ。でも、とても喜んでくれて本当に良かった。5月10日、13日…畑作業の手伝い。その前後も、庭の雑草が伸び始めたので(雑草という草はないそうだが)在宅の時は草取り作業などの日々。しばらくブログを書いていないと、ついうかうかと日々が過ぎてゆく。来月は久しぶりの中学時代のクラス会があるので、感じ仲間との連絡もしていた。いろいろ気になるニュースがあったような気がするが、今は思い出せない😢
2023年05月14日
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色々と詳しく書きたいこともないわけではないけれど、とりあえず出来事メモ。4月15日(土) ぶどう畑の手伝い。この日は、お手伝いの人が二人。一人は鎌倉、一人は札幌から。4月19日(水) 同じくブドウ畑手伝い。4月24日(月)久しぶりに旧友三人でランチ。気を遣わずに思うことをなんでも話せる友人というのはとても貴重な存在。多分、このような友人を「親友」というのだろう。その割には、三人で会うのは年に1~2回程度。この日、母の転院先が決まる。北広島市にある介護療養型保健施設「えみの里」。ちょうど本州の妹が来ていたので、妹二人で施設に説明を聞きに行ってくれた。4月25日(火) 雨で畑作業が出来ないので、夫が打った蕎麦を持参してみんなで昼食。4月26日(水) 数か月母がお世話になった介護付き老人ホームから、母の荷物を引き取りに行く。4月27日(木) ぶどう畑手伝い。何とか芽吹く前に剪定と誘引ができそうでホッとする。4月28日(金) 天気が良いので花の苗を買いに行き、花壇やプランターに植える。今はこの地では桜が満開。レンギョうの黄色、紫ツツジ、チューリップが咲き競っている。4月29日(土) 町内会の春の清掃日。昨日とは一転、風が強く肌寒い。昨日植えた花たちも寒そうだけど、ガンバレ!このように書き並べたら、結構毎日色々あったなあ。統一選挙もあったけれど、まあまあ想定内で驚くこともない。函館の市長さんは大泉洋さんのお兄さんで、見た目はそっくりだけど性格は違うかも。函館市民の期待が高いだけに、これから大変なことだろう。
2023年04月29日
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なんだかバタバタしていて、何をしていたのか忘れている。ということで、スケジュールに入れてあったことだけメモ。4月10日(月) 二か月に一度のクリニック受診。いつも朝から混みあうので30分前に到着。前に並んでいた人が、実家の近所の人でビックリ。実家の近所とはいえ、その人とはほとんど会うことのなかった人なので、そのご家族の近況や周辺の人達のことなどを聞くことが出来た。4月11日(火)一年に数回ドライブに付き合うJさんと、恒例の支笏湖から長沼方面へ。栗山でランチをしようとしたお店が予約で満席で、次に行ったお店は定休日。ということで、前に息子たちと行ったカレー店「アース」へ。日替わりランチセットを頼んだのだが、ナンのボリュームがすごくて、半分持ち帰り。とてもお得感があり、かつ美味しかったので大満足。その後は、息子たちの畑を見たいというのでぐるっと回り、三笠の道の駅に立ち寄ったら焼き鳥のワゴン車に行列がない! (平日で二時過ぎで、かつ寒い日だったので人がいなかったのかな?)ラッキー!ということで、一家族20本の限界まで購入。ドライバーの彼女の分も、当然私が払いましたよ。買った焼き鳥は、また息子の家にまでお届け。Jさん、ありがとう。4月12日(木)息子の畑の手伝い。この日は剪定枝集め。私は午後から誘引作業。4月14日(金)北広島のボールパークでの日ハム西武戦を観戦。初めて行くので少し早くJRで行き、ボールパークに着いたのは四時半頃。それでも入場者の列がすごい! まあ、仕方がないですね。とにかく試合前に施設をぐるっと回って食事しようと思ったが、レストランやカフェはどこも長蛇の列。札幌ドームではあちこちにあったお弁当の売り場がないので、どこかで食べ物を手に入れなければと焦る。並ぶのが嫌いな夫は「もう、食べなくていい」なんて言い出すが、私はそれでは嫌だと列の少しでも短いところを探して、ミスドのお店が少しマシかなと並ぶ。何とか試合開始前にドーナツと飲み物を持って座席に着くことが出来てホッとする。三階外野席だったけれど、二階が入場口なので出入りはしやすいし、座席から屋外も見通せて解放感があり広い感じがする。この日は運よく勝利の日で、結構楽しむことが出来た。ピッチャーは加藤君、最後はちょっと心配したけれど完投し、よく頑張りました。帰りは混むと覚悟していたのだが、試合終了が早かったのと、シャトルバスが次々と来たので思ったよりもスムーズだった。まあ、私たちはそう行くことはないだろうけれど、食べ物だけはもう少し手軽に手に入れられる方がいい。札幌ドームのようにあちこちにお弁当が売っていればいいのにとは、私たち高齢者の意見です。4月15日(土) ぶどう畑の手伝い。夫はまたもや枝拾い、私は誘引作業。例年より芽吹きが早いようなので、早く作業をしなくてはと息子も気がせいているようだ。昨年までは実習生がいたけれど、今年はいないので大丈夫かな。そんなことを心配して、ボランティアの人が手伝いに来てくれていた。本当にありがたいことだと感謝するばかり。
2023年04月16日
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何となくバタバタしていて、日々のことをあまり記録していなかったので、備忘録。3月6日(月) 久しぶりに札幌の中村屋旅館で、TさんとIさんとの三人でランチ。 このところ、Tさんの調子が悪そうだったので心配だったのだが、 直接会って話をすることで少しホッとする。 もうすぐ春だから、彼女の心の調子が上向きますように。3月8日(水) ワインのラベル貼りの手伝い。 この時期は、ワイン会も続くようで息子たちも忙しそう。 三月下旬の一般販売に向けて、メール会員や酒販店への出荷もあり 小さなワイナリーの中はワインのカートをあちこちに移動しながらの作業。3月9日(木) 息子たちが以前から話していた滝川の「鮨おくの」で、 超美味な料理やお寿司を堪能。 私達のような貧乏人には縁がなかった料理で、感動の連続だった。 息子たちはワイン生産のおかげで、分不相応のレストランなどともつながり、 このお店にもワインを置いてもらっているそうだ。 「和食にワインは合わないだろう」と今も私は思っているのだが、 彼らに言わせれば和食と合うワインも日本ワインには多くなっているという。 とにかく、美味しかったの一言である。 誘ってくれた息子たちに感謝。 今見たら、こんな記事もありました。
2023年03月12日
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きょう2日 北海道と東北は暴風雪に警戒 関東から西は乾燥した晴天 北風が冷たい2/2(木) 5:44 tenki.jp(前略)北海道と東北は大雪や暴風雪に警戒きょう2日(木)、前線を伴った低気圧が北海道付近にあって、急速に発達しながら北東に進んでいます。低気圧が通過した後、強い寒気が流れ込み、日本付近は冬型の気圧配置が強まる見込みです。北海道は広く雪が降り、台風並みの暴風が吹き荒れるでしょう。見通しが全くきかないほどの猛ふぶきとなり、大荒れの天気となるおそれがあります。猛ふふぶきや吹きだまりによる交通障害に警戒してください。なお、断続的に雪の降り方が強まるため、大雪にも警戒が必要です。東北の日本海側も雪で、ふぶくでしょう。電線や樹木への着雪に注意が必要です。昼頃まで局地的に雷を伴う見込みです。太平洋側は晴れ間が出ますが、雪雲が流れ込むこともあるでしょう。(後略)JR北海道、2日は札幌圏を中心に425本運休2023年2月2日 07:32(2月2日 08:31更新) 北海道新聞(前略) JR北海道は2日、発達した低気圧の影響で、札幌圏の朝の通勤時間帯を中心に425本を運休した。 快速エアポートは始発から午前9時半ごろまで運転を見合わせるほか、函館や旭川、釧路などから札幌までを結ぶ特急43本も運休した。(後略)今朝カーテンを開けると、窓が半分吹き溜まりで埋まっていた。今は晴れているので、もう降らないでほしいと願うばかり。私はこんなことをしているが、夫はせっせと除雪に汗を流している。実は、一週間前から肩と足首が痛くなり、足首が腫れてきたので昨日は整形外科に行き、検査してきた。格別思い当たることがないし、レントゲンでは骨に異常がないのに腫れたのは気になるということで、血液検査をしてきた。とりあえず腫れが引くまでは負担になることは避けた方が良いだろうと、除雪を免除してもらった。←これはラッキー!とにかく、暴風雪の被害が広がらないように願う。北海道はあと一か月は一番厳しい季節です。
2023年02月02日
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8月も今日で終わる。今年の夏は、じめっとして雨や曇りの日が多かったので、あまり「暑い~!」という感じがなくて過ぎてしまった。毎日、それなりに庭仕事など雑事をしているうちに過ぎてゆき、メモなしで思い出そうとしても何があったのか思い出せない。せめて、予定表に入っていた分だけでもメモしておこう。8月19日眼科の定期検診。視力が安定しているので、眼鏡を作るための視力検査。その検査結果を持ち、すぐにメガネ屋さんへ。8月21日(日)次男のブドウ畑の手伝い。いつもの通り、株周りの除草と病果などの摘果と脇芽取り。思ったより暑くなくて4時くらいまで作業。8月25日(木)長男の畑での蕎麦刈り作業。今年は家族だけ5人での作業だったが、午前中に蕎麦刈りを終え、栗山町のアースというネパールカレーの店で昼食。初めてのお店だったが、カレー専門店としてはお手頃価格でボリュームもあり満足。午後からは、刈った蕎麦のニオ立て作業。これで2週間くらい天日干しする。8月26日(金)後方支援をしている不登校の親の会の例会。11時半頃に中一の男の子が来たので、2時頃まで話をする。車で1時間くらいの町からやってくるのだが、多分2か月ぶりくらいかな。成長期のようで、また一段と背が伸びて声変わりもしてきた。話が途切れないようにと「話のネタ」(好きな食べ物、行ってみたいところ、嫌いなもの等)を羅列したものを用意して、その回答をお互いに見せ合いながら話をした。これが思ったよりうまくいって、2時くらいまで途切れることなくおしゃべり。この子は小学校三年生頃から登校できないままで、現在も自宅で過ごしている。しかし、お母さんの話だと、この場に来ることは自分で希望するらしい。まあ、あまり会えないでいるようなおばあちゃんの代役のつもりでいる。しかし、帰宅したお母さんからのラインで(そうなんだ~)と思ったことがある。「紙に字を書いて話をしている息子の姿に感動しました」だそうだ。そうか、しばらく字を書いている姿は見ていないんだな。不登校になった子が、学校に関することを強く拒否することはよくあるのだけど、随分長くその状態が続いているようだ。ネットから色々な情報を得ていることは話していてよくわかるし、年齢相応の文字や文章は読めると思うが(ネット記事を音読してもらったことが何度かある)文字は書いていないのだな。そういえば、紙にシャープペンシルで書いた文字はとても薄くて、ひらがなばかりだった。文字を書くことに自信がないのがそれを見た時も感じたけれど、そういうことなんだと再認識。次回はも「話のネタ」を彼に書いてきてもらうことにしたのだが、さてどんなことを書いてくるだろう。8月29日(月)友人に誘われてニセコ方面にドライブ。彼女は独身で、なかなか気軽に誘える相手がいないとのことで、時々私に声を掛けてくれる。まあ、彼女の性格や、彼女が独身であることを考えると、なかなか誘える相手がいないということも理解できる。良い天気に恵まれ、まずは京極町の吹き出し公園へ。ここには子ども達と一緒に来たり、友人とも来たはずだが、随分様子が変わっていた。とても広い名水公園として整備されていて、昔がどんな感じだったか思い出せないくらい。年をとったものだ。その後、倶知安をまわりここも激しくリゾート地化した様子をみる。こんなにホテルや別荘などを建てて、これからどうなるのかと心配になる。今までもニュースなどでリゾート開発について知ってはいたが、実際に見たらやはりビックリ。開発には当然外資が入っているはずだが、この景観がゴーストタウン化しないことを祈る。その後、ニセコ駅に併設されているレストランでハンバーグランチの昼食。ここは、以前に来た時と同じレトロな内装で、とても懐かしさを感じた。駅前には大きなカボチャが山と積まれていた。もうハロウィンの準備か?その後は、ニセコの道の駅で野菜を買い、真狩の道の駅に立ち寄り、帰宅途中で真狩の無人販売所で百合の球根と大根を買い、帰宅の途へ。友人は苫小牧に抜ける道から帰ろうと思っていたようだが、何か勘違いをしたようで道を見違え、美笛峠から支笏湖を抜けるルートで午後3時半頃に帰宅。私としては早く帰れたので良かった。8月30日(火)次男のぶどう畑へ。収穫期を前にして、獣害防止のネットと電柵張りを手伝い始めたが、私の肩が痛むので私はまた除草やブドウのお掃除と脇枝除去作業。電柵やネット張りよりは軽い作業だが、やはり疲れた。ということで、本日8月の最終日は休養日として、このブログを書いている。
2022年08月31日
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8月5日(金)ブドウ畑作業。思ったより暑くなくて、除草や脇芽取りなどに汗を流す。しかし、午後三時半頃、夫が草に紛れて見えていなかったスズメバチの巣を突っついてしまい、両腕4か所を刺されてしまう。その日は、夫はそれで作業を終了し、私は彼が腕を冷やしながら休んでいる30分くらい作業して帰宅。8月6日(土)夫の蜂に刺された腕は前日より腫れているが、「さほど痛くもかゆくもない」というので、そのまま冷シップを続けて様子を見る。しかし、腫れはその後も次第にひどくなってきて、私は病院に行くように言ったのだが、夫は体の具合が悪いわけではないとそのまま。8月9日(火)血圧の薬がなくなってきたので、お盆前にとかかりつけのクリニックへ。8月11日(木)苫小牧の義姉の家にお盆参り。その前に、苫小牧の港市場食堂に行って昼食を取ることにした。祝日のせいかとても混んでいて、みなと食堂に行ったらお店によっては長蛇の列。並んでいるのは海鮮丼とホッキカレーのようだ。苫小牧は北寄(ホッキ)貝で有名なのだ。今調べたら、「うば貝」が本名のようだ。私達は並んでまで食べるつもりはないので、比較的すいていたお店に入る。夫はホッキカレーとラーメンのセット、私はホッキチャーハン。その後、義姉の家に向かう。義姉は90歳なのだが本当に元気。しかし、今年の冬に転んでから足腰の痛みがつづいているらしい。それでも、子ども達に頼らずに一人暮らしをしているのだから立派!私もそのような90代を迎えたい。8月12日(木)夕方、札幌の孫がバイト終了後にこちらに泊まってもいいかと連絡が来る。次の日は恒例のお盆行事で息子たちもこちらに集まることになっているのだ。当然OKであるが、孫が着いたのは午後十時半頃。その後、用意しておいた軽食を食べさせたり、近況報告などを聞いていたらあっという間に12時過ぎ。次の日のために私は眠剤を飲んで寝る。8月13日(土)十時頃に実家に集合し、実家の母に顔を見せて仏壇にお参りし、市内の墓苑でお墓を二か所(私は友人のお墓にも)→実家の菩提寺の納骨堂、→お昼になったので隣町の蕎麦屋でみんなで蕎麦を食べ、義姉のお墓へ。その後、墓苑の近くの姪夫婦の農場でとうもろこしを買い込み、敷地内のブルーベリーをみんなで採らせてもらう。姪一家はトウモロコシの出荷と販売で手一杯なので、いつもこの時期は親戚一同がブルーベリー収穫をするのが恒例行事の一つだ。その後は我が家でお盆会食。夫の誕生日でもあるので、息子たちがケーキを買ってきてくれた。若い頃は、お盆にも夫の親族が集まっていたので、当時を思えば本当に家族だけの集まりで気楽。あの当時は、お盆とお正月は本当に大変だった。私も若かったからできたなと懐かしくは思うけれど、もう一度あの時代に戻りたいとは思わない。この日は次男が泊まり、長男一家は帰る。8月14日(日)朝食後次男が帰ってからは、洗濯や前日の後片付け。その後は読みたかった本を読んだり、庭の草むしりなどでのんびり。8月15日(月)夫はゴルフなので、思い立って札幌に出かける。一番の目的は、孫のバイト先のお蕎麦屋さんに行き、働く孫の様子をみること。孫は今月限りでこのバイト先を辞めて、来年からの就職が決まったTという菓子店でアルバイトをすることになったという。現在のバイト先は札幌駅の地下街にあるので行きやすく、一度は行ってみたかったのだ。せっかく札幌に行くのだから映画でも観ようと探すが、シネコンはどこも夏休みのせいか私好みの映画はない。それで、久しぶりにシアターキノに行って「1640日の家族」を観る。監督の少年時代の体験を基に映画化フランスの里親制度から“家族のかたち”を描く感動作長編デビュー作『ディアーヌならできる』が、第9回マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバルで映画監督審査員賞を受賞したファビアン・ゴルジュアール監督。2作目となる本作は監督が子どもの頃、両親が生後18ヶ月の子どもを里子として迎えて6歳まで一緒に暮らした経験を、記憶を掘り起こしながら映画化したもの。もうひとつ物語のモデルとなったのは、監督が福祉関係者や里親とのインタビューで知った父と息子のエピソードだ。子どもが誕生後すぐに母親が亡くなり、打ちのめされた父親は子どもと引き離されてしまったという。里親制度をサポートする組織や里親の役割もリアルに紹介され、子どもの幸せを願う周囲の温かさが伝わってくる。監督が複雑な愛情関係を脚本に落とし込む中で参考にしたのは、『キッド』、『クレイマー、クレイマー』、『E.T.』の傑作群。深い愛で結ばれた絆と別れのエッセンスが、本作の隅々まで行き渡っている。愛情豊かで賑やかな里親家庭と、実父の間で揺れる少年シモンを演じるのは、演技初挑戦のガブリエル・パヴィ。公園で母親と遊んでいたところ、監督とキャスティング・ディレクターによって見出されたという。映画初出演にして一躍スターダムにのしあがった『存在のない子供たち』のゼイン・アル=ラフィーアや『ミナリ』のアラン・キムに継ぐ、新たな天才子役が誕生した。里親のアンナには、『海の上のピアニスト』のメラニー・ティエリー、夫のドリスには『キャメラを止めるな!』のリエ・サレムら実力派が出演。今は一緒にいなくても、血がつながってなくても、家族だった時間は消えない。さまざまなかたちの家族にエールを送る奇跡の物語。フランスの里親制度はこのようになっているのかとか、子どもにとっての幸せは何かとか、色々なことを考えさせられる良い映画だった。シモン少年を演じる子役が本当に可愛いし、素晴らしい。あのような演技を引き出した周囲の大人達もきっと素晴らしかったのだろう。その後、孫の働くお蕎麦屋さんに11時半頃行ったのだが、お盆休暇のせいなのかとても混んでいた。しかし、その中でテキパキと働く孫の姿は、とてもカッコよかったし頼もしかった。もしも空いていたら職場の人に「孫がお世話になっています」くらいの挨拶がしたかったが、とてもそんな雰囲気ではなかった。しかし、孫がそれなりに気遣ってくれているのは感じて嬉しかった。先日バイト先でのエピソードを話してくれた中では、意地悪だったり感じの悪いお客さんもいて嫌になると言っていたが、見ている限りは皆さん笑顔で明るくテキパキ接客していて、あのようなバイトに嫌味や文句を言う客もいるんだなと思う。そうそう、お客さんの多くはずっとスマホを見ていて、注文の品を持って行っても顔も見ない人が多いと話していた。若い人が多いのかと思ったら、中高年のおじさんが多いとか。確かに、その日私は一人だったのでカウンター席に座ったのだが、隣に座った60代くらいの男性は、ずーっとスマホを見ていたし、注文の品や蕎麦湯を持ってきたときにも知らん顔をしていたな。せめて、店員に会釈や「どうも」くらい言えないのか。情けない。そんな人がきっと、「今の若い奴は」なんて言うんだろう。中高年のおじさんたち、スマホより大切なことを忘れないでください。その後は東急ハンズでブラブラして帰宅。久しぶりの都会は疲れた。
2022年08月16日
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最近は旧統一教会と政治家のことに関心が向き、自分の出来事をメモしていなかったので備忘録を急いで書く。7月26日(水)旧統一教会から随分前に脱会した友人と、札幌の中村屋旅館で会う。彼女は学生時代に統一教会に入り、その後本当に様々な困難の中を生きてきた。その過程で息子さんを亡くし、ご自分もうつ病となり、長い療養生活が続いている。統一教会に入ってしまったのも、ご多分に漏れず家庭内で辛いことがあり、その傷つく心を癒してくれる仲間との出会いと、世界が理想的なみんなが幸せなものになるようにとの純粋な気持ちからだったようだ。随分前に退会はしているのだが、時折その時代の洗脳の痕跡を垣間見るような気がすることがあり、今回の事件で彼女の精神状態がまた不安定になっているのではないかと急遽会うことにした。結果的には、やはり会って良かったと思ってる。本当にとんでもない組織だったとあらためて痛感しているようだし、一つだけ懸念があるとしたら、彼女の後悔や当時の自分への反省が強すぎること。それに対して私は、何度も何度も繰り返す。「騙した方が悪いのであり、騙された貴女が悪いわけじゃない」でも、周囲の多くの人は「騙された方も悪い」という言葉が多くて、それが刃となって彼女の心を突き刺すようなのだ。7月30日届けるものがあり長男の家に。畑は雨上がりで濡れているので手伝いも出来ない。8月1日このところの北海道の天気は湿った日が多く、この日は久しぶりに息子の畑の手伝いに行く。湿った日が続くと、草は伸びるし虫や病気は発生しやすくなる、特に次男の畑は、防除のタイミングが悪く、今年の状況はあまり良くない。「まあ、二年続けて良かったから、今年は収穫と仕込みは楽になるということで…」明らかに負け惜しみだけど、まあ仕方がない。せっせと脇芽取りと株周りの除草で一日過ぎる。8月3日東北・北陸の線状降水帯の被害で、山形に住む孫の地域は全町避難対象になる。それをテレビニュースで知り、孫に大丈夫かとラインをする。しばらくして、「自宅まわりの道路が冠水。避難準備中」との返信。大丈夫であれと祈っていたら、夜中近くに「会社の人がトラックで迎えに来てくれたので高台に避難して大丈夫。怖かった~!」と返事。命だけあればあとは大丈夫と思い、あとは親に途中経過を連絡してくれたらいいからと返信。8月4日まだ避難生活なのだろうかと案じていたら、アパートは無事だったので帰っているとの連絡。ホッと一安心だった。命が無事だと知ったら、次は「住む場所は?」と心配になるし、それが大丈夫と知ったら次は車は? 会社は?とエンドレスなのが人間の不安感。息子が大学生の頃の阪神淡路大震災のことを思い出す。ただ違うのは、今は孫のことであり、本当に心配しているのは私達より両親だということ。8月5日またまた次男の畑の手伝いへ。長男の畑には研修生もいるので、私たちは次男の畑に行くことがほとんど。久しぶりに北海道の夏らしい爽やかな日で、二日前と同じ作業で一日が過ぎる。爽やかな天気とは言え、やはり一日戸外作業は疲れます。そんなことが出来る自分の健康に感謝!
2022年08月06日
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色々と気になるニュースや選挙があり、出来事をメモしておかなきゃ忘れてしまう。6月17日(金) 息子の畑に行き、帰宅途中に「ゆんにの湯」で疲れを取る。6月22日(水) 右目の白内障手術。想像より簡単で怖くもなく無事終了。 しばらくは保護メガネを就寝中もかけなくてはならないことと、毎日4回の目薬点眼が面倒。6月23日(木) 歯科医最終日。やっと終わった。7月1日~13日 自宅の浴室などのリフォーム。毎晩の入浴は、近くの温泉。ここは、銭湯料金で施設も充実しているので、とてもありがたい。 7月7日(木) 久しぶりに以前から誘われていたJさんとドライブとランチ。ずっと独身で登山が趣味だった彼女は、最近膝が痛くなり今は養生中で登山ができず寂しい様子。友人たちは子どものことや親の介護が始まる年頃で、結局愚痴を聞くことになるので次第に疎遠になったとのこと。ということで、私と会っておしゃべりすることがとても楽しみだという。しかし、私の気持ちと言えば、ずっと以前から私は彼女の愚痴を聞き続けてきたので、ちょっと複雑な気分。まあ、仕方がないな。時々は聞き役を続けるしかない。長年の付き合いなので、私は結構はっきりと彼女の考え方で異なる意見の時は指摘する。今回も選挙のことで「それはおかしい!」と言ったのだが、なぜか彼女はあまり反論もせず。まあ、いいか。7月12日(火) Iさん、Hさんと、安平の「レストランみやもと」で久々のランチ。この二人とのおしゃべりは本当に楽しい。お互いに読書好きなので、いつも読んだ本のことなどを話したり、おすすめ本の貸し借りをする。Hさんも言っていたのだが、自分があまり手に取ることのない本と出合うので、とても刺激になる。7月14日(木) 長男のお嫁さんと、恵庭市で開催されている「ガーデンフェスタ北海道2022」に行く。メイン会場「花の拠点 はなふる」は北海道らしくとても広くて、会場を様々な花壇やミニ庭園の数々、コンテナガーデンなどをみて回ると約2時間、7000歩近く歩いていた。近くの道の駅で食事をしようと思ったが、これもとても混雑していたので、まず隣の「かのな」へ。地元のとれたて野菜を中心にした品ぞろえは豊富で、見て回るだけでも楽しい。そこで少し買い物をしたあとに「道と川の駅花ロード」に行き少し待っていたら席が空いたので、「12種野菜のカレー」を注文。鉄のフライパンに乗ったカレーには、想像以上に野菜たっぷりで、たんぱく質は足りないかもしれないけれどこれで980円は大満足だった。久しぶりにお嫁さんと色々な話も出来たし、多くのボランティアスタッフが活躍しているのを見ることもできて、本当に幸せな気持ちになった。私も、もう少し近い会場ならお手伝いの真似事もしたい気分。7月15日(金) 町内会花壇の除草作業。
2022年07月16日
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ブログ更新しない癖がついてしまったようで、気付けば6月に入ってからの日々のことは書いてなかった。というわけで、スケジュール帳を見ながらメモ。〇5月の下旬から6月7日まで、茨城に住む末妹が帰省していたので、時々実家に行ったり妹の家の庭木の剪定を手伝ったり。当然自宅の庭の除草作業も日々の仕事である。妹夫婦は転勤を期に茨城にも自宅を持ち、転勤前に建てた家は貸していたのだが、旦那さんも70歳になったのでそろそろ北海道に戻る予定。今回は、そのためにリフォームする必要があり、その準備も兼ねて帰っていたのだ。来年には引っ越しをするつもりのようである。〇歯科医通院義歯の不具合により歯科医に行ったら、予想以上の大工事になってしまった。全部終了するのは今月末になるのかな。〇眼科医通院今は老眼鏡だけ使っているのだが、右目が見えづらくなったし、葡萄の手入れの作業のために「遠近両用」の眼鏡を作るつもりで眼科に行ったら「右目は白内障」の診断。色々と相談して、右目の白内障手術をしてから眼鏡を処方してもらうことになる。手術は6月22日。日帰り手術である。〇かかりつけ医受診…6月6日数年前から高血圧の薬を処方してもらうことになり、1年に一度は検査もする。この日はその日で、自治体の特定検査と兼ねて検査を受ける。しばらく落ち着いていた「気管支喘息」の数値が上がっているとのことで、2日に一度の吸入薬を処方された。自覚症状はほとんどないのだが、先生に言わせると検査での数値はそう出ているという。うーん、症状なくても吸入が必要なのかとちょっと首を傾げてしまうが、時々痰が絡むような時もあるのでそうなのかもしれない。ちょっとのことで咳き込むのはコロナが収まっていない現在嫌なので、言われたようにしようと思う。〇息子の畑の手伝い6月7日、14日、16日。今は株周りの除草と、伸びてきた枝を番線の中に入れる作業。除草作業は腕が痛くなり、枝の処理はとにかく歩き回る。どちらもなぜか腰が痛くなる。やはり年のせいか?〇合同牡蠣パーティー6月は、次男、孫、私の誕生月。去年と今年は、寿都に牡蠣とホタテを買いに行き、夕方は息子の倉庫でBBQである。朝早くに出発し、寿都着は11時頃。そこまでの間に、2か所の道の駅でBBQ野菜を探す。今年は、ゆり根、アスパラ、根パセリ。根パセリを食べたことはなく、白い大き目の人参のような姿にビックリしながらゲット。アスパラは不揃いの規格外なのだが、太くて新鮮なので美味しそう。ゆり根は去年も買ってアルミ箔で包んで焼いたらとても美味だったので購入。牡蠣は寿都の森越水産で購入。昨年知人から紹介されて行ったのだが、安いしたくさん買うとおまけも景気よく入れてくれる。今回は牡蠣の大(120円)を80個、ホタテを25枚(小さめなのが80円)。おまけは小さめの牡蠣を20個くらい入れてくれた。帰宅途中で実家と知人に牡蠣15個を届けた。夕方に息子の家に到着し、7人でのBBQ。当然全部食べられるわけもなく、残った牡蠣はみんなで分けて持ち帰る。我が家では次の日に蒸して食べたが、とても美味でした。〇母の受診付き添い…16日96歳になった母を病院に連れて行くのは妹一人だけでは無理なので付き添い。それでも、介助されながらでも自分の足を使って歩けるのは上々だ。採血の時に「イタイ、イタイ」という母に驚く。妹の話では、ワクチン接種の時もそうだったらしい。(私はその時は待合室にいて聞こえてなかった)痛みに過敏になったのか、それとも我慢することができなくなったのか。昔の母なら「こんなことくらい我慢できなくてどうする」と言うような人だったのに。これも年を取った証拠かな。この日は雨模様で、次男が来たので一緒に母に顔を見せに行ったのだが、いつもと違って次男のことがすぐに分かった。午前中の病院での刺激で血流がよくなったからかもしれない。
2022年06月18日
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5月10日 ぶどう畑Aの手伝い。息子たちは途中で雑誌の取材対応をしていた。 私たちはひたすら番線上げ。疲れたが、一段落してホッとする。5月11日 二年半ぶりの子育て支援グループY会の例会。 本当に久しぶりなので、みんな嬉しそう。もちろん私も。5月12日 長男の家で、夫は頼まれた大工作業。私は番線上げ。 傍らでは馬耕作業。この風景はなかなかいい。 最近はNさんも注目されてきていて、仕事も増えているようで良かった。5月13日 休養日にしたのだが、前日のハードな作業の疲れが抜けない。
2022年05月14日
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昨日は、夜に雨の予想だったので数日前に買っておいた花苗を植える。花の苗は全部で4300円くらいだったのだが、これで秋ごろまで楽しめる。今朝は、前夜の風で花が弱っているのではと心配しながら見てみたら、たっぷりと水を吸って生き生きとしている。殺風景だった玄関前も、花が揺れていることで明るくなった。もう少し暖かくなったら、ミニトマトなどを植える予定。庭には、黄色いかたくり、水仙、チューリップが花盛り。今日は母の日ということで、ケーキを買って実家へ。母は本当に記憶が遠のいているようで、その分だけぼんやり穏やかになってきてくれた。「こんなものが生きていて申し訳ない」なんて言う。その言い方も、以前とは違い柔らかくなっているので、年を取るのは悪いことではないと感じる。昨夜の風雨で、桜の花もすっかり散ってしまった。ゴールデンウィークも終わり、これからのコロナの拡大が心配。
2022年05月08日
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気付けは、日常のメモ的なことも書いていなかった。4月15日(金) 実家のぶどう棚の整備4月16日(土) ぶどう畑作業4月17日(日) 町内会春の清掃4月20日~21日 二日続けてブドウ畑作業。剪定枝集め作業がほとんど。へとへと。4月22日(金) 会報の印刷と発送。 その後、布の絵本を作り続けていたボランティアグルーブの人から、最後の絵本を受け取る。 Iさん、長い間、本当にお世話になりました。4月23日(土) ぶどう畑作業。多分、この後もどこかで作業に言ったと思うが、記録してなかった。4月27日(水) 支笏湖方面にピョンを採りに行ったが、まだ小さいのがあるばかり。 諦めて支笏湖に行ったのだが、とても風が強くて湖面に白波が立っていた。 4月29日(金) 不登校の親の会の日で、子どもが来た時のために自宅待機。 結局来なかったので、会の終了の頃に世話人の人に話があったのででかけて、少し話す。5月3日(火) 花壇の花の苗を買ってきたが、まだ寒い日も風の強い日もあるので、少し養生することにする。5月4日(水) 札幌の平岡梅林へ。丘の上の方はものすごく風が強く吹き飛ばされそう。 梅は見頃だったけど。 帰る途中ちょっと足を延ばして、北広島の日本ハムボールパークの周囲をぐるり。 予想通りものすごく大きい。 ここで試合をする頃には、ファイターズも少し強くなっていてほしい。 5月5日(木) 子どもの日も、孫が成長したら無関係になってしまった。 ということで、この日もブドウ畑の手伝いに行くと、今年初めてAさんがボランティアに来てくれていた。 久しぶりに一緒に昼食を取りながら、ボランティア仲間の人達の話を聞く。 息子たちは本当に良い人たちと出会い、助けられていると感謝するばかりだ。5月6日(金) 再度ピョン採りに行ってみたが、やはり小さいものばかり。 周囲には鹿の糞が沢山あったので、どうも「シカの餌場」になっているような感じだ。 収穫がないのも悔しいので、何とかビニール袋一つ分だけ採って帰る。
2022年05月07日
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3月25日(金)不登校の保護者の集まる例会に、一緒に来る子供と遊ぶために出かける。久しぶりに会った小6の男の子と、彼が持参したゲームで遊ぶ。ゲームは年齢問わずに対等に遊べるのでとても良いツールだと眼から鱗だった。子どもらしい笑顔を見ることが出来て、とても嬉しかった。3月27日(日)息子たちのワイナリーでの自宅販売の日。事前に購入希望してくれた人だけに販売するのだが、親しいイタリアンレストランのシェフがイタリアンおつまみセットやピザを用意してくれて、みんなでワイナリーの前で楽しそうにワインなどを楽しんでくれていた。私達はいつもは行かないのだけれど、この日は天気が良かったし、ピザを食べたいという気持ちもあって出かけてきた。あんな田舎に、みんなよく来てくださるものだと感謝するばかりだ。3月30日(水)血圧の薬がなくなったので、かかりつけのクリニックへ。次第に患者さんが増えているのか、4か月前にも増して待ち時間が長くなってしまった。何とかしてほしいというのが、正直なところである。3月31日(木)久しぶりにIさんとランチ。気を遣わずに何でも話せて、かつ共感しあえる友人の存在は本当にありがたいと思う。4月1日(金)次男が急に泊まりに来る、ということで、夕食はトンカツ屋さん。久しぶりに揚げたてサクサクのトンカツ&カキフライ定食。やっぱり揚げ物はお店がおいしい!というより、子どもや孫がいなくなってからは、カツを揚げることはほとんどなくなってしまった。4月4日(月)春休みなので、札幌の孫が遊びに来て、今回の夕食は回転ずし。一泊して次の日に帰宅。4月5日あたりからとても暖かくなり、庭の雪もグングン消えていった。今年の豪雪で庭木や蔓バラの棚やクレマチスの棚が押しつぶされ、夫と二人で剪定したり補修作業。4月13日(水)久しぶりに子育て支援のボランティア団体の役員会へ。私は代表も降りているのだが、今後の会の方向性を話し合うため来てほしいとのことで、最後のご奉公のつもりで参加。自分が考えて来たことなどを話して、先に失礼する。やはり、今後のことを決めるためには私がいない方がいいと思ったから。4月14日(木)今年のブドウ畑の初仕事。ひたすら番線上げ作業のために、勾配のある畑を行ったり来たり。やはり、初仕事は疲れた。
2022年04月15日
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3月17日(木)早朝の強い地震で目が覚めてから、私達も別の意味での驚きと不安の一日だった。孫娘が強い腹痛で内科に行くと、卵巣腫瘍の疑いと言われて婦人科を受診。手術が必要かもしれないということで、札幌の専門病院を紹介されてそのまま入院。ということで、ワイン出荷に向けてラベル貼りの作業の人手がなくなり、私達に出動要請。夕方まで作業して帰宅。3月18日(金)友達三人とのランチを約束していたので、長沼のファームレストランへ。久しぶりのおしゃべりと食事は楽しかったのだが、この日は孫娘の手術日だったので、私はスマホを気にしながら無事に手術が終わることを願っていた。お昼過ぎにお嫁さんからの連絡が入り、無事に手術も終わったとのことでホッとする。「傍卵巣嚢腫」ということで、幸いにも卵巣卵管に支障はなかったとのことで安堵。こんな病気があることを初めて知ったが、自分の身体の中で何が起きているのか全く分からないというのが人体の不思議だと再確認。この日は、山形に住む上の孫が大学の寮を出て、就職先の町への引っ越しの日。その手伝いのために前日、長男は山形に向かっていた。地震の影響で少し移動には時間がかかったようだが、無事に引っ越しも終えたようだ。まったく、重なる時には重なるものである。3月19日(土)札幌在住で乳がん手術をして放射線治療を続けている知人が、コロナに感染してしまったとの連絡が夜に入る。連休なのでどうなるのだろうかと心配。3月21日(月)孫娘の退院日。この日もラベル貼りの手伝いに出かける。孫娘の好物の「稲荷寿司」を私達の昼食を兼ねて作り持参。今週末にワイナリーでの販売をすることと、注文されたものの出荷作業があるので、9時頃から4時頃まで昼食時間を除いて立ちっぱなしの作業。昼過ぎに孫が退院して帰ってきたので、色々と詳しいことを聞くこともできた。もう少し遅かったら卵巣や卵管も無事だったかどうかと言われて、あらためてホッとする。内視鏡手術だったそうで、傷が治れば問題はないだろう。あの日、すぐに病院から専門医を紹介され、すぐに入院できたのが幸いだった。こんなことがあると、我が家には最強の守護神が守ってくれているような気がしてしまう。どなたが守護神かわかりませんが、多分ご先祖様だと思うので、感謝を忘れないようにしなくちゃ。3月22日(火)この日は、本州も北海道並みに冷え込んだようで、本州でも結構な降雪があったようだ。東京都内で雪やみぞれ 夕方にかけて山沿いで大雪の可能性三寒四温の季節ではあるが、私達の感覚では四寒三温かそれ以下。でも、間違いなく春は近づいている。
2022年03月23日
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このところ、ウクライナのことばかりで自分の記録をしていなかった。2月25日(金) 側面支援をしている会の例会日。 このところの大雪で、二車線の車道は一車線、生活道路はやっと一台が走れるだけ。 さらに、歩道はない場所も多く、周囲を見回しながら車道を歩くなど、 外を歩くのも一苦労。 生活道路に大型車両が入れない場所も多く、ゴミ収集もこの三日間ほどされていない。 それを知らない市民が出したごみがカラスにつつかれて、周囲に散乱している場所も、 これも大雪被害に入るだろう。 例会には、いつもは自動車で来る隣町の人が、JRと徒歩でやってきた。 そのほかは世話人と当番だけの例会で子どもの参加は無し。 ということで、私は途中で帰宅する。3月1日(火) 札幌に住む孫が、アルバイト後にやってきて泊まる。3月2日(水) この日の夕方、山形に進学している孫が夕方帰省。 4月からは同じ山形県内で就職するので、その前に長めの帰省。 夕食は、息子一家も合流して、孫の少し早い卒業・就職祝い。 札幌の孫はこの日も泊まる。3月3日(木) 孫が札幌に帰るので、私も一緒に札幌に行き、一緒に映画を観る。 彼女も春休みでバイト以外は暇らしい。 おかげで、一緒に映画とランチを楽しめた。 「ドリームプラン」世界最強のテニスプレイヤー、ビーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹を世界チャンピオンに育て上げた実父リチャードの「計画書=ドリームプラン」にまつわる〈驚きの実話〉。テニスにはあまり関心がないので、ビーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹もあまり知らなかった。セリーナだけは、大坂なおみが優勝した試合で、セリーナが審判に猛然と抗議する姿で記憶に残っていただけ。しかし、この映画を観て、これが実話に添ったものだとするなら、彼女の怒りも理解できるような気がした。それにしても凄い父親である。色々な意味でとても感動し、考えさせられた。それは孫も同じだったようで、映画後の食事の時には色々な話をすることができた。それをきっかけに、今後の就職のことについても少し突っ込んだ話もできて、とても充実した時間となった。今までは「孫とおばあちゃん」なので、人生観や結婚観、女性の働き方などに関する話をする機会はなかったのだ。息子達とも話したことがないような話も出来て、本当に嬉しかった。3月5日(金) 友人と苫小牧イオンに出かける。 やはり苫小牧は雪も少なく、かつこの数日暖気になっているので、すっかり春の気配だ。 久しぶりにゆっくりと話すことが出来て楽しかった。3月5日(土) 友人のお父さんが95歳で亡くなったので通夜に参列。 友人は本州に住んでいるので、約2年ぶりの再会である。 95歳で施設に入っていたお父様は、様態急変で市内にいる家族も間に合わなかったそうだ。 つまり、「大往生」である。 コロナ感染が広がってからの葬儀は、身内だけの家族葬か、 約一時間の間、随時の故人とのお別れ形式がほとんど。 ということで、参列後に友人ともしばし話すことが出来た。 その時に、別の共通の友人とも久しぶりに会うことになった。 彼女は同じ市内に住んでいるのだが、その姿を見て少し驚いた。 とても同じ年齢には感じられず、そのせいですぐに気付けなかったほどだ。 会話もあまり弾まず、もともとちょっと苦手な人だったので、少し話してから別れた。 うーん、彼女、大丈夫なのだろうか。
2022年03月06日
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5日に、新聞で知人の奥さんの訃報を知った。以前仕事や地域活動で夫婦ともに旧知の人だったが、近年は年賀状で近況報告くらいのお付き合いだった。今年も年賀状が届いていたので、特にコメントは書かれていなかったが、変わらずお元気なのだろうと思っていた。その奥さんの方が、2日に亡くなられたという。新聞のお悔やみ欄で知ったのだが、すでに葬儀は終了していた。突然だったのだろうか、それとも以前から闘病していたのか、それはわからない。個人的に深い付き合いではなかったので、問い合わせることもしていないのだが、ご家族は悲しみの中にあることだろう。お二人とも私と同年代である。少しずつ、あちらの世界が近くなっていることを感じるのはこのような不法だ。だからこそ、今ある命を大切に生きなければと思う。その数日後、短大時代の数少ない旧友の娘さんからの挨拶状が届いた。「母は、昨年9月に他界しました」の文面に言葉を失った。私は昨年は義姉の喪中で年賀状の交換をしていなかったので、慌てて一昨年の年賀状を確認した。「お元気ですか? いつかお会いしたいですね」と書かれていた。彼女とは中退した短大で、同じ学科・同じ寮で出会った。同じ年とは思えないほど大人の感じがする人だったが、なぜか親しくなった。彼女は卒業して故郷の学校栄養士になり、定年まで勤めた。私がスクーリングで毎年上京していた時期、一度だけ会うことが出来た。その時(もう25年以上前)に、学校給食がいかに子ども達にとって大切なものなのかを力説してくれた。「給食だけがバランスの良い食事の子がいっぱいいるのよ。 給食はどの子も安心して食べられるように無料にすべきと思う。 できれば、希望者だけでも朝ごはん給食をしてほしい」その頃、私は子ども達の食生活にさほどの危機感を抱いていなかったので、彼女が怒りを込めて力説する言葉に、少し驚いたほどだった。しかし、時がたつにつれて彼女の言葉を重く思い出すようになっている。本当に子どものために税金を使うとするなら、まず毎日のバランスの良い食事の確保だ。全国で子ども食堂の活動が広がっているが、それが学校という場でできれば、どれだけ子ども達のためになることだろう。詳細を娘さんに問い合わせたいと思ったが、電話番号は記されていなかった。なんと、彼女の年賀状にも電話番号はなく、私の住所録にも登録されていなかった。考えてみれば、彼女と私が中退後もつながっていたのは、彼女が筆まめな人だったからだ。今は、彼女の冥福を静かに祈ろうと思う。長年のお付き合い、本当にありがとうございました。
2022年01月16日
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年が明けてあっという間にもう6日になってしまった。メモしておかなければ、何をしていたのかすぐに忘れてしまう。12月29日(水) 山形から大学四年生の孫が、久しぶりに年末に帰省。 4月からは、山形県内に就職が決まっているので、 またしばらくはお正月に帰省できないかもしれない。 千歳空港到着は午後8時半の予定だったが、一時間以上遅れてしまい、 我が家に着いたのは午後10時過ぎ。12月30日(木) 孫を送りがてら、長男一家の住むI市へ向かう。 この日は、いつも彼らと一緒に仕事をしたり手伝ってくれる人たちも含めての餅つきの日。 「お餅つき」は、長年私の実家の臼と杵を使ってきた。 つまり、私が物心ついてからずっと、家族の恒例行事としての餅つきが続いている。 孫が幼い頃は実家で行っていたけれど、やがて息子の家で行うようになり、 2018年からは私達も参加せず息子たちだけでやっている。 大雪(;´д` ) ブログのおかげで、それが何年だったかわかるのでありがたい。 この年は、確か年明けにお餅つきをしていたような気がする。 その時以来、息子たちが餅つきの手はずをするようになったことが、 友人知人も参加しての餅つき大会になったらしく、 年々参加者が口コミで増えてきて、今回は大人子ども合わせて20人になったとか。 孫も久しぶりの餅つき参加であった。 昔から、着いたお餅を「からみもち」にしていただくのが我が家の伝統。 私の子どもの頃は、鏡餅も伸し餅も搗いていて、 何臼も搗いたので結構時間がかかった。 息子夫婦と札幌の短大の孫が準備したのは、 からみもち4種類(大根おろし、納豆、黄な粉、餡こ)と、お雑煮。 サラダと知人からの差し入れの漬物と、ホッケの飯寿司。 私は、前日お煮しめを大量に作って持参した。 密になることを避けるため、倉庫にビールケースを並べた椅子やベニヤ板でのテーブル。 息子が少しでも寒さしのぎにと、ドラム缶利用の手作りストーブを燃やしていたが、 その周りだけは少しは暖かい程度。 でも、上手に工夫して、上に鍋ややかんを乗せて温めることが出来るので、 これは便利だと感心した。 お餅を搗くときの手水は、寒い場所ではすぐに冷えてしまうので、 お湯を足すことが出来たら本当にやりやすいのだ。 感心したのが、息子夫婦、特にお嫁さんの采配の良さだ。 やっぱり、経験は大切だとつくづく思う。 でも、あれだけの準備をするのは大変だったろうとお嫁さんをねぎらうと、 「ずっと餅つきのことが頭から離れませんでした」という。 私がやっていた頃は家族だけだったから、 面倒ではあってもそれほど大変ではなかった。 食べている時、「あの臼と杵はいつから使っているのですか?」と聞かれた。 改めて考えてみたら、大木を切ってそのまま臼にしたようなものなので、 多分、北海道に渡道した曾祖父の頃からではないだろうか。 だとすれば、多分100年は経っているはずで、 途切れることなく働き続けていることになる。 そう思うと、きっとあちらの世界のご先祖様たちも、きっと喜んでくれているだろう。 この調子では、まだまだ餅つき大会はこの先も続くだろうから、 なんだか歴史をつなぐ責任を果たしたようでありがたく思う1日になった。12月31日(金) 年越しの日には、夫の打つ蕎麦をメインに大宴会が20年ほど続いている。 そのほかには、孫たちが大好きな「握り寿司」や天婦羅、サラダ、漬物。 しかし、今年もコロナ禍が続いているので、孫たちは泊まらずに夜には帰宅した。 例年泊まる次男は、アルバイトをしている「M駅の除雪」当番で来れなかった。 というわけで、結婚以来初めての夫婦二人だけの年越しとなった。 つまり私にとっては結婚以来初めての、のんびりと過ごす31日であった。2022年元旦 無理にお正月に来なくてもいいよと行ったのだが、息子一家と次男が集まる。 3年ほど前から、冷凍御節を購入することにしたので、 お正月料理の準備は本当に楽になった。 それでも何品かは作ろうと、うま煮やきんぴらごぼう、 紅白大根なますの代わりに、生ハムと大根を使ったサラダ。 数の子や黒豆、紅白蒲鉾や昆布巻きは購入。 親戚からいただいた「キンキの飯寿司」や、妹手作りの「伊達巻」などが並ぶ。 実家にはみんなで顔を出して一緒に写真を撮るだけ。 今年も母を囲んで家族写真が撮れたことをありがたく思う。 購入したおせちには珍しいものもあり、なかなか楽しめるのだが、 女の孫が、「おばあちゃんの煮物やきんぴらは、やっぱりおいしいね」と言ってくれる。 うーん、こんなこと言われちゃったら、また作らなきゃね。 この日は、長男一家は帰り、次男だけが泊まる。1月2日(日) 市内の大型スーパーで5000円の「福箱」購入。 ここの福箱は、必ず3000円の商品券が入っていて、 その他もお菓子や調味料、カップ麺やレトルト食品など無駄がない。 ついでに、店内にあるパン屋さんで「パンの福袋」も買った。1月3日(月) 今年はとても雪が多くて寒い。 毎日真冬日が続いている。 夫も、毎日の除雪に余念がない。 実は私は、昨年の2月に玄関先の氷に足を取られて転倒して肩を痛めた。 少しずつ良くはなっているのだが、まだ力を入れると痛みが走り、 これ以上悪化させたくないので除雪免除の状態。 昨年10月頃に、念のためと整形外科に行ったのだが、レントゲンでは異常なし。 肩の電気治療とリハビリの運動を教えてもらったが、さほどの改善がない。 医師に聞くと「老化もありますからねえ」と言われてしまった。 老化であれば仕方がないし、日常生活にさほど不便はないので、 通院も勝手にやめてしまった。 しかし、除雪作業をすると、それがいかに肩に負荷がかかるかがよくわかる。 体というものは、何もない時には気付かないが、本当にうまく機能しているものだ。 というわけで、あまり大雪にならないことを祈るばかりだ。
2022年01月06日
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11月13日 本州に住む妹と、札幌に住む孫が来たので、実家でお食事会(ランチ)。 その後、孫は我が家に泊まる。 土日に用がないので「おばあちゃん家に泊まりに行っていい?」と前日連絡あり。 夕食は鍋。 息子たちや孫たちの幼い頃の写真を見ながら色々と話す。 11月14日(日) 孫の住むワンルーム学生向けマンションを見たいと思っていたので、札幌へ。 本当に久しぶりの札幌である。 せっかくだからと、孫が観たいという映画「そして、バトンは渡された」を サッポロファクトリーの映画館で観る。 私は映画などではうまり泣かない方なのだが、映画の思いがけない展開や 登場人物のそれぞれの優しさや愛情に最後は涙が流れた。 最近は人間のダメさ加減を感じることが多いので、このような映画は心のお薬になる。 その後孫の部屋に行き、とても機能的で便利にできていることに驚く。 私達の若い頃とは比較するべくもないが、 セキュリティーもしっかりしているしそれほど高額でもなく、 良い部屋に入ることが出来たことに感謝。11月15日(月) 会報の印刷と発行作業をIさんと。11月16日(火) 友人と三人で、札幌のコンサートホールkitaraで、混声合唱団フォレストのコンサートへ。 本当に久しぶりのコンサートだったし、その美しいハーモニーに心が洗われる思いだった。
2021年11月17日
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9月に入ってからは、息子たちの畑の手伝いや、実家の手伝いなどで日々が過ぎている感じだ。今日は、これから友人と久しぶりに会うので、パソコン確認ついでにちょっとだけメモ。息子の畑には、週に2~3回程度通っている。今は、収穫前に傷んだブドウを取り除く作業。今年は良い天気が続き、乾燥しているせいなのか、いつもよりも健康的なブドウが多く、このままいけばとても良いブドウを収穫できそうなのだが雨が降った後に「裂果、粒割れ」が起きている。割れたところからカビが生えたり腐ったりするので、ピンセットでそれを取り除くのだ。明日はまた雨が降りそうなので、心配だけと仕方がない。そうそう、14日には「蕎麦の脱穀作業」も行った。今年も、夫の手打ちそばが食べることが出来そうだ。読んだ本のメモも書いておこう。「ふたりぐらし」桜木紫乃 期待外れでも期待以上でもない彼女らしい作品。「家族趣味」乃南アサ 図書館で目についてまた借りてしまった。でも、△。「元気に下山」 五木寛之 寝る前に読むにはちょうど良い。「ペリリュー 楽園のゲルニカ 11」武田一義これが最終巻だろうか。コミックを自分で買うことはあまりないのだが、これは子孫にも読んでほしいと思っている。
2021年09月17日
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久しぶりに仲間と作業。午前中に作業を終え、今月開店した栗山町のレストランでランチ。このお店は、フレンチとイタリアンのシェフ二人で、ちょっぴり和風テイストも加えた地元の食材などに拘ったような素敵なお店。サメオト建設は三笠市の武部建設で、古民家の再生や古材の活用で実績のある会社。そこにも、サメオトの建設についてのページがあったのでご紹介します。店内の隅々まで工夫をこらし、センス抜群の素敵なお店だった。お聞きすると、シェフのパートナーが店内のコーディネートをしているらしい。もちろん、お料理はとても美味しかった。一見和食のお重に見えるのだが、どれもフレンチやイタリアンの技法や調味料を加味していて、シェフの説明ではボーダレス創作料理のようである。このお店に行ったのはシェフKさんが息子の友人で、時々畑に手伝いに来てくれる人だから。料理人とは知っていたが、なかなかの腕の人なんだとあらためて感動。自信を持ってお勧めできるお店です。
2021年08月19日
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7月末から、家の修理&リフォームをしていて、その間にエアコン設置や光回線の切り替えやスマホを購入するなど、なんだかバタバタ落ち着かない日々だった。やっとエアコンを設置して、猛暑からの脱出をはかることができ、ホッとしたのも束の間で、あっと言う間にそれまでの猛暑が嘘のような冷たい空気に覆われた。北海道はずーっと雨が降らず、干ばつ状態が続いていたが、本州はずーっと前線に覆われていて大雨続き。九州や中部地方は豪雨災害で大変のようだ。特に九州は毎年のように線状降水帯とやらで浸水被害が続いている地域もあるようだ。コロナの感染爆発は収束の見通しもたたないようで、病院は都市圏を中心に全国的に医療崩壊状態。これからどのような経緯をたどるのだろうか。そんな中でも、我が家は平和である。8月13日は息子や孫たちが来て、高齢のお墓参りと夫の誕生日&傘寿祝いの会食。数年前までは実家の母や妹も一緒だったが、コロナ感染が広がってからは用心をして、実家には仏壇にお参りがてら立ち寄る程度にしている。昨日の14日には、用があり空知の息子の畑に行き、ついでに留萌に足を延ばし→増毛→厚田→当別をドライブして帰宅。久しぶりの長距離ドライブだった。良い天気でもあり、立ち寄った道の駅などは人でにぎわっていたし、浜益の海水浴場は人で混雑していた。石狩や小樽の海水浴場は多分コロナ感染のために開いていないだろうから、こちらに流れたのかもしれない。これがさらなる感染の広がりにならなければいいがと、心配しながら見ていた。今日は、義妹の家にお盆参りに行く予定。何かと忙しい日々である。
2021年08月15日
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旅行中にタブレットが壊れてしまい、昨日は従来のガラホをスマホに買い替え、タブレットは使用しないことにした。ということで、昨日は慣れない操作に汗をかき続ける。また、昨日は旅行前に注文していたクーラーの取り付け作業と、屋根裏からの結露よるすが漏りをなくすための工事が始まる。今まではそんなことはなかったのだが、春先に天井から雨漏りがする感じで、慌てて知り合いのリフォーム業者に頼んでいたのだが、なにせ二人でやっている個人業者なので、今になってしまったのだ。それでも、原因もわかり、来週には終了するだろう。今日は一か月ぶりの小学生との絵本作りボランティア。帰宅してもなかなかゆっくりできない状態が続いている。
2021年07月30日
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いつの間にか日が過ぎてゆく。ボーっとしているわけではなく、その日その日にやるべきことをやっているのだが、今書きながら思い返しても、いつどんなことをしていたのか思い出せない。とりあえず、携帯スケジュールに残っている者だけメモしておく。6月13日 前日の牡蠣メインのバーベキューは、息子の倉庫の中で行ったのだが、その時に捨て猫の赤ちゃんを発見した。 どうも、倉庫の中で猫が出産したのだが息子たちは気付いておらず、 人の出入りに危険を察した母猫が子猫をどこかへ移動させたようだが、 バーベキューの時にはその子猫は間に合わず置き去りにさせられたらしい。 というより、少し高いところにいたので、その子猫は落ちたのではないかという話。 まだ目も開いておらず、最後の力を振り絞るような鳴き声に誰かが気付き、 段ボールにタオルを敷いた中にいたのだが、私達が触れると母猫のお乳を探すように必死に首を上げて鳴く。 せめて水分でもあげたいと、思いついて飼っている犬の餌をぬるま湯でふやかし、ストローをスポイト代わりにして口元に垂らすと、必死に飲もうとしている。 そんなことをしながらこちらは牡蠣を食べていたのだが、帰るときに私が 「なんだか末期の水を与えたようで複雑な気持ちだな…」と言うと、孫が 「それでも、気付かなければあのまま死んじゃったかもしれないんだから、最後に大切にされて良かったと思ってくれるよ」なんていう。 それが前日の夜のことなので、気になっていた私は明け方夢を見た。 子猫が母猫に甘えているような夢で、起きてすぐに孫に連絡したら、あれから家に連れてきて、体が冷たくなっていたのでペットボトルにお湯を入れて、一晩中添い寝をしていたという。 すると、なんだか元気になってきたみたいといい、もう少しで町に行って、猫のミルクを買ってくるという。 結局、そのミルクで夕方にはすっかり元気になってきたとの連絡で、「Rちゃんが子猫の命の恩人だね」と話した。 6月15日(火) この日は祖母の命日。もう21年が経ったのだと、月日の流れの速さに愕然。 久しぶりに友人と、長沼町のクレスでランチ。 このお店は、地元の野菜中心の料理のビュッフェスタイルなので、私の好きな店。6月16日(水) 息子の畑の手伝い。Kさんが気分転換代わりに手伝いに来てくれる。 生きていると色々なことがある。 しかし、真面目に前向きに生きていたら、必ず懐かしい思い出に変わるはず。 帰り道に息子に家に、先日命拾いをした子猫がどうなっているか見に行くと、 すっかり元気な子猫になっていた。 貰ってくれる飼い主も見つかったのだが、二人とも昼間は働いているので、普通の食事ができるようになったらその家に行くことになったとか。 本当に良かった。6月22日(火) 息子のの畑へ。この日もKさんが半日来てくれる。6月25日(金) 不登校の親の会の例会。私はカンボジアに送る絵本作りをRさんの息子さんと作業。 随分と緊張しなくなり、自分から話すことも増えたような気がする。 その後、札幌から来たTさん夫婦と世話人のIさんと一緒に遅めのランチ。 コロナワクチンの話題が多く、随分変な情報が飛び交っていると聞く。 世の中には、何の目的か知らないが不安を煽るような話を拡散したい人がいて、 それを真に受ける人も結構多いのだと感じる。 本当に正しいことは何なのかは私もわからないが、どんなことにもリスクは付き物で、 それをどのように自分で判断して選択するかが人生だと思う。 「私は、危険なリスクも理解したうえで、科学的に今こちらがいいと言われている方を選ぶよ」というような話をする。6月26日(土) 一回目のワクチン接種。6月28日(月) 40年来の知人と、栗山の「くりやまアンドアム」でランチとおしゃべり。 彼女も色々と紆余曲折の歩みをしてきたけれど、今は随分落ち着いているようで何よりだと思う。 ここのランチメニューは本当に良いと思うので、お近くの方はぜひ足を運んでください。 ただし、自動車でなくてはいけないところです。6月30日 (水) 息子の畑へ。 毎週のようにKさんもきてくれるので申し訳ないのだが、彼女は色々話ができるし気分転換になるから来たいのだと言ってくれる。有難いことだ。7月2日 Iさんの家でおしゃべり。心置きなく話せる友人はありがたい。7月3日(土) 息子たちの畑の手伝いに来てくれるAさんがくれたそば粉で夫がソバを打ち、 私は稲荷寿司を作って息子たちの家に持参する。 孫も札幌から戻ってきたので、牡蠣パーティー以来家族メンバーが揃う。 孫は札幌の短大一年生。短大なので、すでに進路を考えなくてはならないらしい。 彼女なりに色々と考えているようだし、バイトのことなども食事をしながら話してくれる。 食後も、息子たち夫婦と色々と愚痴を言ったり相談しているのを見ながら、 本当にまっすぐに素直に育ってくれたと感謝する。 息子たちは、私に似たのか、あるいは男だったからなのか、 自分で考えて決めて結論を私たちに言うことがほとんどだった。 私自身も、迷っている時点で親に相談することなどまったくなかったのだが、 孫たちは考えている途中でも普通に話すらしい。 こんな子たちもいるんだなあ。 親には話せない子も多いし、そもそも親のことや親子関係で悩んでいる子も沢山いるのにと、 息子家族の普通が本当にありがたいと思う。 7月4日 夫が新聞で見つけた「セタプクサ号で行く♪ ~ウポポイ・二風谷コタン匠の道の旅~」に参加。 ウポポイには一度行ってみたかったので参加したのだが、この日は何と3人の参加者。 二風谷コタンには、以前2度ほど行ったことはあるのだが、今回の目的は下記。 以前にテレビやYouTubeで見て一つは彼の作品を持っていたいと思っていた貝澤徹さんのお盆を購入した。 参考 🍀二風谷アイヌ匠の道part1🍀貝澤徹 編最初はイタを買いたいと思っていたが、高額でもありこれは日常的に使うにはもったいないと思ったので、薦めてくれたお盆にした。貝沢さんにはお会いできなかったが、店内の作品を見ているとその人柄がわかるような作品が一杯。二風谷は交通機関を使っていくにはとても不便なところなので、このバスツアーはお薦めだと思います。
2021年07月05日
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このところ、時間があれば庭の草取りなどをしていることが多く、個人的な日記を書かぬままに過ぎていた。ということで、簡単にカレンダー予定に載せてたものを記録。6月3日(木) 息子たちの畑の手伝い。夫は草取り、私は番線の巻蔓取り。 友達が腎臓結石の手術完了。ホッとした。6月6日(日) 以前、相模原の旧友がテレビに出ると聞いていたので見ようと思い調べたら、 北海道では放送されていなかった。残念。6月7日(月) 先日手術をした友人が退院したので、久しぶりに会う。 天気も良かったので支笏湖までドライブしたあと、千歳のドレモ・ルタオでランチ。6月8日(火) 夫のワクチン接種をパソコンで予約。思ったより簡単に完了して一安心。6月9日(水) 息子の畑の手伝い。 この日は、午前中に知人のKさんが見学がてら手伝いに来てくれた。 色々話をしながら作業していると、あっという間に時間が経過。 やはり、一人黙々と作業するより気分転換効果はありそうだ。6月10日(木) 母の95歳の誕生日。本当に丈夫な体質なのだろう。 少し前のことも忘れてしい、物忘れはあるがボケてはいない感じが不思議。6月12日(土) 2週間ほど前に、寿都の牡蠣情報を仕入れたので、寿都までドライブがてら牡蠣を仕入れに行く。 昼前には着いたので、寿都の大谷会館で昼食。私は牡蠣フライ定食、夫は磯ラーメン。趣のある建物で、価格もお手ごろ。会計時に、「随分以前からのお店ですか?」と聞くと、「100年くらい前からです」。うーん、さすがニシン漁で栄えたであろう漁師町!その後、知人から「牡蠣を買うなら森越水産」と聞いていたのでそのお店へ。確かに安いので、ホタテ20枚、牡蠣の特大・大・中を合わせて80個、比較するために小を10個ほど買おうと思ったら、「沢山買っていただいたので小はサービスします」とのこと。合わせて12000円(これも端数分はサービス)。その後、まっすぐに帰宅し、実家に母と妹分の牡蠣を置き、息子たちの家へ。6月は、孫・次男・私の誕生月なので、バーベキューパーティーをすることにしたのだ。次男が「一度、腹いっぱい牡蠣を食べてみたい」と言っていたので、これでもかと買ってきたわけだ。息子たちと研修生、私達と孫の友達の7人だったのだが、お嫁さんが野菜や焼き鳥なども準備していたので、いくら食べても牡蠣がなくならない。サービスの小さな牡蠣は結局20個近く入れてくれていて、さすがの大食いの息子たちも「もう、無理」。残った牡蠣は、私達が帰ったあとどのように分けたのか知らないが、森越水産さんに感謝の1日であった。寿都町も、このような地元の宝をもっと大切にしたほうが良いと心から思う。厚岸の牡蠣に比べてPR戦略が足りませんよ!
2021年06月13日
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5月15日(土) 息子の畑の手伝い5月17日(月)義姉の一周忌が近いので、お参りに行く。このような時期であることと、姪の夫が療養中なので一周忌はせず、それぞれがお参りに行く形にしていた。ちょうど、姪一家も来たので、久しぶりに顔合わせをしてしばし歓談。義姉が亡くなった時はコロナ感染が広がっていたため、入院しても面会できず、葬儀も密葬に近い家族葬だった。「まさか、一年後がもっとひどくなっているなんて考えても見なかったね」と話す。来年は三回忌になるのだが、どうなるのだろう。5月18日(火)先週の検査で、レントゲン写真でちょっと気になるところがあるそうで、念のためにCT検査をするために市内の総合病院へ。なんだかものすごく混んでいて、少し怖くなるほど。検査終了後、検査結果をもってかかりつけのクリニックへ。結果としては、胃の一部が横隔膜の上に上がっていた。いわゆる「食道裂孔ヘルニア」というものらしい。そういえば、二年ほど前から油っこいものを食べたり少し食べすぎると胸焼けになったり、食後かがみこむ作業をすると胃から食べたものが逆流しそうな感じがすることがあった。年のせいかと思っていたが、原因はこれだったらしい。説明によると、胃がひょうたん型になっているらしい。昔から、「食べた後に横になると牛になる」といわれたが、あれは上段による戒めではなく、確かに胃袋が二つに見えるようになってしまうということか。「食後しばらくは横にならないように」と言われたことで、そんなことを思った。昔の人はすごいなあ。原因が分かったし、今すぐ心配する状態ではないそうなので、これ以上太らずに(太ると腹圧がかかって胃が上に上がってしまうらしい)食べた後すぐには寝ないようにしよう。5月20日(木) 息子の畑の番線上げを手伝う。5月21日(金) 町内の花壇の花植え作業。この間にも、北海道の感染者は全く減る気配はない。コロナワクチン接種も順調なのかどうなのかわからない。少なくても、私が二回目のワクチン接種ができるのは八月に入ってから。全国では、在宅療養中に入院も出来ずに亡くなっている人もいるのに、どうしてもオリンピックはやるみたいだ。国は、オリンピック参加者の「安心安全」は守っても、国民の安全は二の次のようだ。日本は本当に変な国になってしまった。
2021年05月23日
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5月7日(金)久しぶりにIさんの家に行き、おしゃべり。彼女は腎臓結石で手術待ち状態なので、おでかけはしばらくお預けである。5月8日(土)9日(日) 息子たちの畑の手伝い。5月10日(月) 半額割引券があるので、夫とユン二の湯へ。5月12日(水)高血圧の薬がなくなったので、かかりつけのクリニックへ。実は、受診に合わせて夫と共に「帯状疱疹ワクチン」の接種を予約していた。午後一番の予約の時間に行ったら「待ち時間4時間」にビックリ。今まで、「2時間待ち」は経験したけれど、4時間待ちとは…。午前受付の人がまだ終了していないのだという。受付の人に聞くと、予約してあるのでそれほど時間はかからないとのこと。私は1年に一度の検査も受ける予定で、心配になって「検査は次の時でもいいですよ」と言ったのだが、「ワクチンと検査は予定してありますから」というのでそのまま待つ。ワクチンだけの夫は30分程度で終了したが、私はそんなわけにはいかず、2時間以上はかかってしまった。それでも、コロナワクチン接種の予約もできたし、帯状疱疹にもしばらくはかからないだろう。このクリニックでは、かかりつけの患者に限ってコロナワクチンの予約を受け付けている。 5月13日(木) ぶどう畑手伝い。周囲の山々も色付いてきた。今年は、桜が開花してから寒い日が続いているので、まだ桜が満開状態。5月14日(金)やっと暖かい気温になったので、花の苗を買ってきて花壇やプランターの花植え。ミニトマトとヤーコンの苗も買ってきた。今年は苗を買いに行くのを遅くしたため、私の好きなビオラやパンジーを買えなかった。なかったのではなく、好きな色や元気な苗がなくなっていたのだ。それだけが残念!
2021年05月14日
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4月25日(日) 町内会清掃 本当は先週だったが、雨でこの日になった。 年々、参加する顔ぶれが減ってきている。 来年はどうなることやら。そのうち、わが区は私達だけでやることになったりして。4月27日~28日 二日間連続で息子たちの畑の手伝い。 今年の次男の畑の誘引作業はほとんど私がやったようなもの。 (まだ終わってないけど) 今年の枝ぶりの良し悪しは、私の責任なってしまうかも、 結構芽が膨らんできているので、どのように縛るかとか、芽に触れないようにと気を遣う。 でも、私はこの作業は嫌いではない。 数年前までは、作業終了後に近くの温泉施設に行ったものだが、 最近は温泉に入ってからの帰りの運転が疲れるので、家に直帰が多い。 4月30日(日) 関わっている会で行っている、ミャンマー難民キャンプに送る絵本へのシール貼り作業。 不登校状態の小6と小2の子どもと一緒に作業する。 この子たちと関わり始めてから数か月がたつけれど、 少しずつ慣れてきているような気がする。 私の経験では、この作業に継続的に参加する子は必ず元気になってゆき、 それなりに自分なりの歩き方を始めることが多い。 ボランティア活動をやってみたいと思う時点で元気が充電されているし、 他の国の子供達の状況を知ることで、 自分たちのことを客観視することができるようになるみたいだ。 さらに、自分たちの作業が誰かの役に立つと実感することが、何よりの元気の源になる。 小6の子は、本当は春から登校しようと思っていたのだが、やはり時期尚早だったらしい。 まあ、私も多分無理だろうし、行っても続かないだろうと予想していた。 彼が登校できなくなった環境が変わっていないのでは、無理に決まっている。 最近、旭川のいじめ自殺事件があった。参考「ふざけんな」「おぞましい」旭川少女イジメ凍死 ついに「臨時保護者会」開催も怒号飛び交う90分に《教育委員会は「重大事態」認定》4/30(金) 文春オンライン 程度の差こそあれ、イジメでの不登校の背景には、 不適切な周囲の大人(教師や保護者)の対応でこじれてしまい、子供の心に傷を残す。 その傷は、目に見えないだけに想像以上に厄介な後遺症を残すことがある。 しかし、人に傷つけられた心を癒すのは、人間との関りだ。 私も、彼らの心の傷が少しでも早く回復する手助けをしたいといつも思っている。 しかし、そんな子供と長時間付き合うのは、結構疲れるのも事実だ。 でも、日々辛い思いを抱え続けている当人やその親の疲れとは比べ物にならない。
2021年05月01日
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4月18日(日)夫の姪の家に、息子たちのワインを届けがてら久しぶりに話をしてくる。それぞれの家には、それぞれの事情も悩みもある。兄弟姉妹だからこその気づかいや、そのすれ違いも多いこともよくある。また、嫁姑関係もそれなりにあるものだ。私は昔から、親戚同士や姉妹関係、夫婦も親子関係ももちろん嫁姑関係も、基本は他人同士なのだから適当な距離は必要だと考えていた。見方によれば「冷淡」に見えるだろうし、実際にそう言われたことも自分でもそう思うこともあった。「私は元来、冷たい人間なのかもしれない」とずっと思っていたし、今でもそう思うことはある。それでも、そんな基本的な性格とスタンスは、人にあまり期待しないということにつながり、これまでさほど深刻な人間関係でドロドロしたという記憶はない(忘れたのかもしれないが)。とにかく、心の平安を守るためには、深入りしすぎず拒否もせず、誰に対しても親切と思える言動が一番のように思う。4月19日(月)関わっている団体の会報の印刷と発送作業のために、市内のNPOが運営する「たまり場」のような場所に行く。ここの会員になっていたら、印刷代が安いのだ。私は印刷のためだけにこの場所を利用しているが、そこは今では中高年の常連さんによるたまり場である。そこに行くと、いつでも知っている人が必ず数名はいるので、懐かしいこともあれば、「ああー、会っちゃった」と感じる人もいる。今回は、近況が気になる別のボランティア団体のメンバーと会えた。彼女は、私より年上なのだが、現在放送中の「おちょやん」のような幼少期を育った人だ。詳しいことはわからないが、子ども時代から苦労して、結婚してからも色々と心配事は続いていたらしい。やっと落ち着いた高齢期に入ってから、子供達への絵本の読み聞かせグループに入り、自分なりに色々と勉強したりしながら楽しそうに活動をしている人だ。このまま穏やかな老後になればいいけどと願っていたが、人生はままならないものだ。コロナのせいで生きがいの活動もできなくなり、それでも自分なりに頑張らねばと、結構な距離をリハビリを兼ねて歩いてきたという。(年末に軽い脳梗塞になったという)どうして神様は、苦労する人にばかり苦労を背負わせるのだ。そう思うと、平穏に暮らしている自分が申し訳ない気さえする。いやいや、自分に悩みのない平穏無事な人間だからできることだってある。そう思いながら帰路についた。4月21日(水)息子の畑の手伝い。この日は、次男と三人での作業。4月22日(木)札幌のTさんと友人の三人でランチをする予定だった。Tさんはうつ病を患っていて、コロナになる前は月に一度はランチや映画などでおしゃべりをすることがここ何年かのサイクルだった。しかし、コロナのせいでそれも出来なくなり、少し気がかりのこともあって彼女の調子が悪いと聞いていたので、この日に共通の友人の家で会うことにしていたのだ。ところが、その友人が急に体調が悪くなり、結局Tさん夫婦と近くのレストランでランチとおしゃべり。それでも、顔を見て話せたことで、私も少し安心したし、彼女も楽しそうだった。具合の悪くなった友人は、腎臓結石だったそうだ。彼女も石持ち体質だったか。4月23日(金)息子の畑の手伝い。この日は、長男と次男だけではなく、ボランティアの人や研修生も来てくれて、畑の杭や隅柱の補修作業。私は前回同様、剪定した枝の誘引作業を黙々と続ける。今週は、人の悩みや心配事を聞く機会が多かったので、作業をしながら自分の状況が本当にありがたいのだと痛感していた。息子たちが元気に働く様子を同じ場所で見れること、その息子たちを応援してくれる人が何人もいることを実感できること。そして私たち夫婦も、このように農作業が出来る体力があって元気なこと。遠くの山にはまだ残雪が白く輝いているが、周囲の殺風景な山々の木々も、新芽で少しずつ若草色になりかけているし、そんな木々の間に白いぼんぼりの灯りのようなコブシが見える。今年もまだ働けそうだ。
2021年04月24日
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日常生活の記録をほとんど書いてないので、覚えていることだけメモ。3月30日(火) 孫が4月から札幌の短大進学と同時に一人暮らしを始めるので、激励会を兼ねて息、子一家と私たち夫婦で北広島の「くるるの杜」で昼食。バイキングなのだが、今は全部小鉢に入れてあるものを取る方式。ホクレンが運営する農村レストランなので、野菜料理がメインで気に入っている。孫もお嫁さんも小食なのだが、小鉢形式で野菜メインなので結構食べていた。彼らは初めてだったが、孫は「また来たい!」と喜んでくれたので、私も嬉しかった。4月3日(土)市内の酒屋さんで息子たちのワインの試飲会があり、次男が宿泊。コロナなので、時間を区切って3回に分け、参加者も一回5~6人程度だそう。どこも色々と工夫して頑張っているようだ。4月7日(水)友人宅でおしゃべりとヨガの自主レッスン。実は、3月までは週に一度のヨガ教室に通っていたのだが、少し事情があって退会したので、これからは週に一度自主レッスンをすることにしたのだ。その後、軽いランチとおしゃべりを楽しんでいたら、お隣さんがやってきた。実はこのお隣さんは、私の小学校時代の同級生でもある。それで、その後は3人でおしゃべり。同級生だったTさんは、私の記憶ではおとなしい目立たない子。しかし、話してみると本当に沢山の思い出話をしてくれて、私の知らないことを沢山教えてくれた。そして、当時の私の彼女から見た印象は、私の「自己像」とは随分ギャップがある。しかしそれも当然で、私自身がクラスメイトにバリアーを張っていたから。それでも、彼女が見ていた私を含む友人たちや先生たちに対する記憶と印象は、ビックリするほど的を射ているものだった。私の目は節穴で、人を見る目や賢さは間違いなく私以上だと痛感。人間の賢さは、学生時代の成績とは無関係であることを、今回も再確認した。4月8日(木)実家にある和服類を買い取ってくれる業者が来るというので、その場に立ち会う。実家の古い家には祖母や母の和服類が箪笥何棹も眠り続けている。もう絶対に着ないものなのだが、ゴミに出すのも抵抗があるし、市内のリサイクル店に持ってゆくには大量で妹は頭を痛めていた。この業者の人は、手つきや着物を見て選んでゆく様子を見ると、もともと呉服を扱う人だと私達でもわかり、それだけでも安心できた。結局、書いとれるものだけ持って行ってくれたのだが、全部で10000円ちょっと。それでも、少しでもお金になったので、次はどうしようかな…。4月11日(日)天気が良いので、実家のハウス建てとブドウ棚の整備。ブログ確認したら、去年は4月12日に建てていた。今年もこの作業ができることを感謝する。4月12日(月)夫は今季初ゴルフ。私は数日前から、少しずつ納戸や押し入れの不要物をゴミ出しするために整理。三時頃に夫が帰宅してから、一緒に市内の温泉施設に行く。三月以来久しぶりに岩盤浴をしたが、前回より汗が出やすくなっているような気がする。
2021年04月13日
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2月12日(金) 久しぶりに友人の家でおしゃべり。 森氏の女性差別失言問題で、話は尽きない。 2月13日(土) しばらく息子の家の方に行っていないのだが、天気が悪くないので行こうかと都合を聞くと、 「雪も多いのでこちらから行きます」とのこと。 息子たちも、高齢になった夫の冬道運転を心配しているらしい。 孫が好きなお寿司やピザをテイクアウトして、遅めの昼食。2月15日(月) 夫の姉二人と姪が来るので、夫は蕎麦づくり、私は煮物や大量の天婦羅づくり。 義姉達は、90歳前後だがほぼ一人暮らし状態。 自分の身の回りのことや食事など、すべて自分でやっている。 本当にしっかりしていると感心する。 大量に天婦羅や煮物を作るのは、この二人や姪におみやげに持たせるため。 しかし、かつては大人数で集まったけれど、昨年長姉も亡くなり寂しくなった。 元気に集まれることを感謝しなければ。 それでも、人が来るために食べ物を用意するのは、やはり億劫でもある。 みんなを見送ると、「ああ、やれやれ、お仕事終了」という気分である。
2021年02月16日
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連日、北海道にしては暑い日が続いている。その中、土・日・火と息子たちのブドウ畑の手伝い続き。今日は休養日だが、庭の雑草が気になり、休み休み作業をしていた。友人のお母さまの訃報を新聞のお悔やみ欄で知り、お悔やみメールをする。この時期なので、家族葬だったという。95歳、私の母と二つ違い。娘たちに囲まれての嬉しそうな笑顔の写真が届いた。願わくば、母もこのように穏やかに人生を終えてもらいたいと思ってしまった。明日は蕎麦刈りの予定。予報では30℃越えのようだ。熱中症対策に気をつけなくては。
2020年08月26日
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うかうかしていると、すぐに数日が経ってしまう。この一週間は暑かったので、時間があってもパソコンに向かいたくなかったり、庭の雑草が気になったりで、書きたいこともないではないけどスルーしている。ということで、またまた備忘録。8月13日(木)この日は夫の誕生日でもあるので、息子たちが墓参りを兼ねてやってくる。例年通り、当市の墓苑の我が家の墓と、夫の義兄の墓、そして、10年前に亡くなった私の友人の墓巡り。コロナ対策でいつもは常備している水桶と手杓は撤去されている。数日前の墓掃除の時にそれはわかっていたので、百均で小さなバケツと手杓は準備していった。いつもお盆に墓参りに行くと、「日本人は本当に先祖供養は大切にするんだな」と思う。その次は、実家の檀家寺の納骨堂にお参り。その後、隣町の夫の長姉の墓に行き、途中で親戚の農家でとうきび購入。墓苑と近い場所にあるせいか、ひっきりなしに自家用車がやってきて、直売所は一家総出とアルバイトで大忙しの様子。初夏の時期の白菜は雨続きとぶつかってダメだったようだが、トウモロコシは順調に生育したようだし、コロナの影響で買ってくれる人が少ないかもと心配していたようだが、それは杞憂に終わり例年並みの来客とのこと。一通りの墓巡りが終わった後は、実家に立ち寄り母に息子たちが顔見世。母の頭の中では、高3の孫がまだ幼いイメージだったようで、「あんまり大きくなってビックリ!」と驚いている。実は、4月にも会っているはずなのだが、その時の記憶は消えているらしい。息子たちが買ってきてくれたショートケーキで、夫の誕生祝をした後実家を辞する。その後は我が家で、テイクアウトのお寿司や市販の揚げ物などやちょっと手を加えたオードブルなどで会食。暑いので、あまり台所で火を使いたくなかったのが本音である。ということで、我が家のお盆のメインイベント終了。8月14日(金)T市の夫の姉の家に、義兄のお盆参り。実はこの姉は88歳なのだが、義兄が亡くなった後に、若い頃の婚約者と再会し、その人も早くに奥さんを亡くされていたので、お互いの家を行ったり来たりの生活を続けている。彼の家は本州なので、今はこちらに滞在中。本当ならこの二人は結ばれるはずだったらしいが、家の事情などで結婚することが出来なかったようだ。色々な話を聞くと、こなこともあるんだなと思う。ダブルの人生を送っているような二人である。8月15日(土)終戦の日。色々なことを思いながら、新聞やテレビを見たり、ネットを見たり、その合間に庭の草むしりをしたり。暑いと思わず呟きそうになるたびに、この暑い季節に原爆に遭ったり、南方で死の淵をさまよう兵士たち、戦争が終わったのにソ連と闘った父たちのことを思い、暑いくらいで文句言っちゃだめだと思いなおす。8月16日(日)しばらく行っていなかったので、次男のブドウ畑の手伝い。この日の作業は、虫や病気にやられた病果の取り除き作業。一房一房、刷毛と摘果ばさみで取り除く。毎年のことながら、よくこんな面倒なことをするもんだと感心する。27℃前後ではあったが、風が吹いていたので昼食をはさんで午後3時半くらいまで作業が出来た。ずっとしゃがみっぱなしの作業で、腰と足のつま先が痛い。熱中症予防でこまめに水分補給に気をつけていたが、3時頃から妙に汗が流れ始めたので、これ以上はマズいかもしれないと作業をやめた。8月17日(月)所属する会の、会報印刷と発送作業。毎月一回、この作業で仲間と会って話をするのは楽しみである。今月も無事にこの作業が終わりホッとする。
2020年08月18日
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今日は全国的に猛暑のようだ。我が家にはエアコンはないので、扇風機を回しっぱなしだけれど少し動くと汗が噴き出てくる。10時現在、室温は29℃。見ただけで熱中症になりそうだ。気付けば記録を残していないので、八月に入ってからの個人的備忘録。8月2日(日) 実家の檀家寺の盆参りということで実家へ。お寺も、コロナ感染対策のためにずっと法要をしておらず、月参りのキャンセルも多かったそうだ。9月からは通常のお寺の行事を再開するという話をしていた。お寺でもコロナでの減収は大きいだろう。8月4日(火)午前中は、母の手術1か月後の検診。何も問題なく、検査の数値も完璧。恐るべし94歳である。午後は、親戚の農家のブルーベリー摘み。この農家は、今はトウモロコシの販売で大忙しなので、ブルーベリーを摘む時間がなくて、親戚の者たちが次々とつみに行く。売り物にはしていないので、自分で好きなだけ取ってくるのだが、あまり取っても処理に困るので1時間ほどでやめる。帰宅してからはジャムづくりと一部は冷凍に。もちろん、トウモロコシとカボチャももらってきたので早速とうもろこしを茹でて食べる。絶品ですよ。8月6日(木)息子たちの家に用事もあったので畑を見に行く。家もかなり立ち上がり、畑のブドウたちの生育も順調。このまま良い流れが止まらなければいいけど。8月9日(日)孫がアルバイトをしているK町のイタリアンレストランへ。このお店は、息子たちのワインも常時置いてあり、様々な交流もある。その縁で孫もアルバイトをさせてもらっているようだ。この日は、実家の妹や息子たちも一緒にランチ会。孫がテキパキと働いている様子に、随分成長したと嬉しくなる。少なくても、私の高校生の頃よりはしっかりしている感じがする。ランチのコース料理はどれもとても美味しかった。さらに、この店では通年で厚岸の牡蠣が食べられるとのことで、生ガキ、蒸し牡蠣の両方いただく。高台の見晴らしの良い場所にあり、眺望も最高!お腹も心も大満足であった。8月11日(火)夫の姉二人と姪が、夫の蕎麦を食べるためにやってくる。もちろん夫が誘ったのであるが、お蕎麦だけでは寂しいので、前日からお煮しめとカボチャサラダを用意した。いつもは天婦羅を揚げるのだが、この日は暑いので冷たいものばかり。今年、長姉が亡くなったので、去年は一緒に食べたねとちょっとしんみり。来年も元気でいられますように。
2020年08月12日
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しばらく、出来事のメモをしていなかったので、携帯カレンダーに載せてあったことだけ記録しておこう。7月16日(木) М会の会報の印刷と発送作業。 今はこの作業だけ協力しているのだが、この作業の時に石〇さんと〇井さんと会って みんなの状況や昨今の諸々の話をすることが楽しみ。7月17日(金)町内会の花壇の除草作業。この作業をしていると、以前一緒に作業をした故人の顔が思い出される。そのうち私が出来なくなるころは、ひょっとすると町内会活動すら消滅してるかも。7月20日(月)天気が良かったので、夫がドライブに行こうという。今はサクランボの季節なので、仁木町方面に向かう。小規模な果樹園を見つけて入ったのだが、コロナのために持ち帰りはせずにその場で食べるだけ。いつもは1000円でおみやげ付きだそうだが、園内で食べるだけなので800円。通常は障がい者のためのエリアも開放しているので、とりやすくて食べやすくて、お腹を壊さないかと気になりながら食べてしまった。その後、余市の「柿崎商店」で昼食。初めてこのお店に行ったのは、息子が余市のブドウ農家で研修をしていた時。もう、20年以上も前になるが、あまりの安さにビックリした記憶がある。今は、お店も改築され、価格もお手頃ではあるがビックリするほどではない印象。有名なのだろう、次々と人が入ってきて忙しそうだった。7月30日(木)久しぶりに、以前からお子さんの不登校問題で出会った人と会う。本当に色々あったけれど、今は心配していたお子さん達も元気に自立しているUさん。話をしてみたら、中学校の後輩であることを知り、ローカルな話で盛り上がったりして…。彼女のしなやかな強さは、子ども時代の田舎での育ちが培ったのかもしれない。もう一人のTさんは、お子さんを自死で失っている。それでも、共に苦しい時期を励ましあってきた心許せる人との語らいは、今でも彼女の心を励ましているはずだ。7月31日(金)仕事をしていたころ、高校生ボランティアとして出会った人と再会。私が仕事を辞めてからは、一度くらい会ったような気がするが、ほぼ20年以上は会っていないと思う。その後の彼女の話はもとより、あの頃の仲間たちの消息も色々と話す。高校生の頃にボランティア活動でお年寄りや障碍を持つ人たちと出会ったことは、その後の彼らの進路に大きく影響を与えたようで、多くは福祉分野の仕事をしている。彼女も小規模多機能施設の仕事をしていて、今回のコロナ騒動では大変苦労しているようだ。色々な話をしたのだけれど、中でも彼らの離婚率が高いことに少し驚く。そもそも、当時一緒に仕事をしていた福祉施設の職員夫婦も離婚したし、彼らを慕っていたかつての若者たちの「離婚の壁」が低くなったのかも。大人が若者に与える直接・間接の影響は大きいのではないか。彼女の言葉が心に残った。「あの頃、男女も先輩後輩も、障害の有無も関係なく、対等に話したり活動するのが当たり前と思ってしまった。でも、社会や結婚生活ではそのままでは通らないことに驚いた。私達は特殊な経験をしたのかもしれない」その言葉に私は言い返さずにはいられなかった。「私は、違いはあっても人としては対等なんだとみんなにわかってほしかった。それが特殊だと感じる社会の方が間違ってると思ってる。苦労はあるかもしれないけれど、あなた達がちゃんと自分が正しいと思う生き方をしてほしいと思ってる」彼女はじっと私の顔を見ながらつぶやいた。「みらいさんって、昔と変わってなくて安心した…」ヤンキー系が多かった当時の高校生の中で彼女は比較的おとなしくて、あまり目立たない女の子だった。しかし、話をするうちに、ヤンキー系の友達とも仲良くしながら、自分なりの生き方をしているように思えて、私も安心した。今回は、彼女の娘さんのことで相談に乗る様な形での出会いだったが、話を聞いていると何も心配いらないような気がした。「今は疲れている時期だと思うから、焦らずに十分休ませてあげてね。貴女の考え方や娘さんへの愛情は本物だと思うし、小さい頃から貴女の多種多様な知人友人に可愛がられて育っているから、娘さんの人間としての土台はちゃんと育っている。何より、貴女がお母さんだもの、きっと大丈夫だよ」彼女を安心させ励まそうという気持ちは勿論あるが、それを抜きにしても私はそう信じている。
2020年08月03日
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私の箪笥の一棹のほとんどは、箪笥の肥やしと化している和服である。結婚する時に祖母や母が誂えたり縫ったりしてくれたものや、いつも私がお正月だけ母のご機嫌取りに和服を着たりしていたものだから、親戚の人が(故人)、「あんたは着物を着るからあげる」と言って押し付けられたもの。私も、いつか高齢になって和服を着る余裕が出るかもと思っていたが、もう面倒くさくなって着る機会はほとんどない。最後に着たのは、父の葬儀の時の喪服だ。お嫁さんも孫も和服を着るような気配はないし、いつか処分しなければと思っていた。以前、ボランティア活動で知り合った知人に一着だけリフォームをお願いした。それがこれ。うーん、画像が回転しない?まあいいか。彼女は残った記事で、ポンチョのようなものとバックインバックを作ってくれた。実はこの元々の着物は、私が学生時代に被服実習で縫ったものだ。後にも先にも、私が着物を縫ったのはこの一着だけで、一度くらい着たかもしれないけれど、私の苦労の証明のような作品だった。だから、捨てるにはやっぱり惜しいし、何より実習用に買った生地なので安価なウール。秋から冬にかけて、部屋着代わりに時々着ている。さて先日、この箪笥の湿気取りを取り換えていて、「やっぱり無用の長物だ。何とかしなくちゃ」と思い、自分でリフォームにチャレンジすることにした。図書館で着物リフォームの本を借りてきて、これなら作れそうだと思うものにチャレンジ。この着物は、数年前に一人暮らしをしていて97歳で亡くなった人のもの。紬の着物と道行のセットであった。まずは、身丈が短い道行の方をほどいて洗濯してアイロンがけ。簡単な型紙を使って裁断し、チクチク手縫い。実は、久しぶりにミシンを取り出したのだがなんだか調子が悪く、色々やっているうちにボビンを分解してしまい、元に戻らない。こんなことで汗をかくくらいなら縫った方が早いと手縫いとなったのだ。二日かけて縫ったものがこれ。まあ、実質丸一日くらいかな。思ったより簡単にできた。本では前開きで重ね合わせてボタンかスナップ止めで、内側にゴムを入れる形だったが、私は面倒なので全部縫ってしまい、余り布でベルト(?)を作って結ぶことにした。久しぶりの運針でちょっと肩が凝ったが、思ったよりうまくいった。布地がこんな模様なので、縫い目の粗さが目立たないのがとても良い。他にも、脇の袋縫いなど手間がかかるところは全部カット。自分用の普段着だから十分だろう。しかし、多分生地は結構良いものだと思われる。とても縫いやすいし手触りが良いのだ。まだ布は余っているので、袋物くらいなら手縫いでもできそう。意外と簡単だったので、早くミシンを治してまたチャレンジしたい。
2020年07月28日
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5月21日(木)良い天気のようなので。急遽息子たちの畑の手伝いに行く。この日は、先日張った一番下の番線への誘引作業。低い位置なので、立ったりしゃがんだりのスクワットの連続。スポーツジムに行っても、これだけの運動はしないだろう。タンポポの綿毛が顔に当たってうるさかった。5月22日(金)8時半から、町内の花壇の花植え作業。母の退院のために9時半には病院に向かうために、少し早くから作業に出る。全部終わることはできなかったが、みなさんに挨拶して病院へ。午前中に母が退院。入院以来会えなかったので、どのような状態になっているかと心配していたが、思ったより混乱はしておらず、安堵する。しかし、開口一番「どうして私はここに来たんだろう?」だから、やはり説明を受けても理解しきらずに、記憶にも定着していないようだ。退院できると喜んでいるので、「一週間くらいしたら検査のために病院に来なきゃいけないよ」とだけは、看護師さんにも念を押してもらう。その後の欠席除去の手術については、その次の段階なので話していない。「もう、入院はイヤだ」と断固拒否するような気がするので、そこをどのように持ってゆくかが次の課題。とりあえず、自宅に帰ることが出来てホッとしている。この頃、話題の黒川弘務氏(63)が、産経新聞社会部記者や朝日新聞の元検察担当記者らと賭けマージャンをしていたことのニュースが流れる。最初にニュースが流れた時は、賭けマージャンだったかどうかははっきりしていなかったが、若い頃はよく麻雀をしていた夫は断言する。「男がマージャンで賭けないなんて、ありえない。 まあ、賭けないマージャンがあるとしたら、老人ホームくらいだな」みんな、認知症の老人ホーム入所者並みに、どこかボケているのか?
2020年05月23日
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《5月4日(月)》3時頃から息子たちが実家に集まり、実家の畑の隅に植えていたウドやギョウジャニンニク、ピョンを移植するための掘り起こし作業。その近くの場所が住宅地になるので、建築のために掘り起こした土が入ってくるので、(どちらも元は実家所有地なので、少し窪地になっている場所に土を入れて平地にする予定)その前に息子の家や畑に移植しようというのだ。この場所は、かつては低地でありながらも日当たりも悪くはなく、風も強く当たらないので、色々な家庭用の野菜を作っていた。現在は、ウド、蕗、ギョウジャニンニク、ピョンなどをこの場所に集めていて、従来から生えていたミョウガやニラなども含めて、山菜園のような感じだった。ウドは根っこがものすごく大きくて、掘り起こすのも重労働。重機があれば簡単なのだが、そんなものはないので手作業で頑張るしかない。何とか息子の軽トラックに積んでからは、みんなでテイクアウトの夕食となる。お付き合いのある和食創作料理店も、現在は「お弁当」で頑張っているので、機会があればとろうと思っていたのだ。1500円のお弁当だったが、手間をかけた立派なもので、「これじゃあ、あまり儲けはないよね」なんて、ありがたくいただいた。早くお店で創作懐石料理をいただきたいものだ。その夜は、全員我が家に泊まる。iPadを使って、東北で寮生活をしている孫とテレビ電話でおしゃべり。このような時にはとても便利だと再確認。孫にとっては、まさに「オンライン帰省」という感じだっただろう。元気そうな様子に安堵する。《5月5日(火)》息子たちは朝食後帰宅し、孫だけが我が家に残る。孫たちが幼い頃には、この日は大人も無料になる滝野スズラン公園の「子どもの国」に行くことが恒例だった。最後に行ったのは、多分上の孫が中学生の頃ではないだろうか。この日は、久しぶりに映画を観ることにして、ツタヤで「僕のワンダフル・ジャーニー」を借りてくる。一言でいえば、犬のベイリーが生まれ変わりながら主人のイーサンや、イーサンの頼みを引き受けて孫娘を守り続ける物語。様々な思いが次々と沸き上がり、しみじみとした感動の余韻が残る良い映画だった。孫が来なければ、この映画に出会わなかったと感謝である。この日の夕食は、子どもの日でもあるので生ちらし寿司とサラダなど。《5月6日(水)》天気が良いので、孫を送がてら息子の畑の手伝いをする。この日は誘引作業と一番下の番線張で、夫は捕植のための穴掘り。番線張りは斜面を上り下りしながらの力作業であり、結構きつかった。次の日も手伝うことになり、この日は3時半で帰宅する。《5月7日(木)》この日も青空の広がる良い天気。前日と同じ作業をしたのだが、午後からは夫が番線を引っ張る作業に入ったため、私はそれについていくのに必死。(作業ははかどるのだが、ペースが速くなった)暑さもあり、途中で心臓バクバク、汗がタラタラとなり、熱中症寸前になる。何度もこのようになったことがあるので、この日は無理せず休憩し、事なきを得る。この日は、何とか終わらせて4時には畑から上がることが出来た。《5月8日(金)~9日(土)》やはり連休後半のハードな日々で疲れが残っている。そんな中でも、みんなが使ったシーツやパジャマ等の洗濯や、布団の後片付け。久しぶりの買い物などで終始する。9日には、庭で目立ってきた草を取ったりとガーデニングが半日程度。ニュースで、岡本行夫氏がコロナで亡くなっていたことを知る。岡本行夫さん死去 情熱の外交、日米から惜しむ声とても惜しい人が亡くなったと、残念である。
2020年05月10日
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暖かい日が続いて桜も開花し、レンギョウ、エゾムラサキツツジ、水仙やチューリップ、ヒヤシンスなどなど、周囲が一気に色鮮やかになってきた。市内の花苗農家さんで花や野菜の苗を買ってきて、夕方までかかって植え付けた。この苗屋さんは、大きなビニールハウス三棟にズラーッと並んでいる苗を、自分で選んで買ってくる方式なのだが、今年はプランターにすでに植え付けてあるものや、30株程度をまとめて置いてあって、それを買えるようなもの(セット販売)も用意していた。コロナウィルス対策で、ハウス内で大勢の人たちがウロウロすることを減らすためのようだ。買いに来る人もみんなマスク着用で、ハウス内は暖かいのでとても暑苦しい。これから暑くなってくるし、すでに本州は気温も上がり、マスクをつけ続けるのはみれから大変だなと思う。とりあえず花を植えることが出来てホッとしている。
2020年05月03日
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