全12件 (12件中 1-12件目)
1
にほんブログ村 お待たせしました。ようやく以前から報告を頂いていた高見彰七作品候補の現地確認をしました。今回の新発見は神馬です。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」豊田市にある人気観光スポットの鞍ヶ池公園。観光客で賑わう鞍ヶ池公園を東に過ぎると閑静な矢並町。そこに神馬のある八柱神社があります。名鉄バス矢並区民会館から南へ徒歩数分。突然目の前に意外な風景が広がります。田園風景に存在感のある真っ白な神馬。もうこの時点で、高見彰七作品への期待が膨らみます。さらに接近。はい、高見彰七の神馬決定です。(リスト集1「神馬」 No.8) ・所在地: 愛知県豊田市矢並町 八柱神社 ・製作年月: 判読不能 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 190cm, 前後長195cm ・発見者: @FDG_official01 さんまずは神馬をご覧ください。現地確認では、この神馬などを管理されている地区の方のお話も聴けました。次回はその情報と、神馬の銘板などをご紹介します。【 おすわりマスコット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.30
コメント(50)
にほんブログ村 八浜児島淡水湖近くの化粧地蔵、続きです。今回は残り3体をご紹介します。児島湾は、かつて海でした。その湾の海側入り口に堤防を造り、内側を干拓しました。その時、干拓されずに残ったのが、児島淡水湖です。こちらのお顔は線描きです。こちらは色落ち、お化粧直しが必要でしょう。こちらのお地蔵様は真っ赤なお顔。お酒でも呑まれたのでしょうか。 化粧地蔵の場所のGoogle mapストリートビューです。先のだんじり小屋を川沿いに進んだ所にあります。岡山県玉野市八浜町八浜1396真っ赤なベンガラが特徴的な八浜地区らしい化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その38)」【 電気圧力鍋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.28
コメント(34)
にほんブログ村 先回ご紹介した岡山県玉野市八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵。その場所から川沿いを北に約250m。八浜中学校南西の児島淡水湖近くにも、別の化粧地蔵様がおられます。祠の中には、9体の化粧地蔵様。赤い前掛で隠れていますが、ベンガラが塗られています。ベンガラ塗は、八浜地区の化粧地蔵の特徴です。左端は六地蔵ならぬ、五地蔵。5体なのは、別に1体あるということでしょうか。その六地蔵の1体と思われる、大きめのお地蔵様。ベンガラを吹き付けたのか、横のブロックまで赤く染まっています。頭の周囲の赤いベンガラは、頭巾の表現でしょうか。表情もユニークです。前掛で隠れてお化粧がよく見えないのが残念。赤い前掛の下の体もおそらく真っ赤でしょう。残り3体の化粧地蔵とストリートビューを次回にご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その37)」【 ベンガラ 試し塗り用 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.26
コメント(36)
にほんブログ村 八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵、続きです。祠の隣にだんじり小屋があります。この地区の祭りは盛大らしく、説明板もあります。だんじりは2基ですが、精緻な彫刻がされているとのこと。残念ながら秋まつりは観れませんでしたが、まつりとともに化粧地蔵も永く守られていて欲しいものです。化粧地蔵の場所のGoogle mapストリートビューです。川沿いのわかりやすい場所にあります。岡山県玉野市八浜町八浜181児島湖にほど近い、明るく開けた場所にある化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その36)」【 岡山 蒜山ヨーグルトクリーム大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.23
コメント(42)
にほんブログ村 今回は、岡山県玉野市八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵をご紹介します。 化粧地蔵の祠の隣に見えるのは、この地区のだんじり小屋です。大きなお地蔵様。輪郭を黒く縁取りした質素な御化粧です。八浜地区は児島半島の北部、児島淡水湖側に位置します。今までご紹介することが多かった東児・胸上地区とは御化粧が違います。八浜地区にはベンガラで赤く塗られた化粧地蔵があります。今回の化粧地蔵はベンガラを使わず、極めてシンプルな御化粧です。御化粧は質素ですが、綺麗な祠と地域住民の信心で守られた幸せなお地蔵様でした。次回はストリートビューと、だんじりの話を少々ご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その35)」【 岡山津山ホルモンカレー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.21
コメント(34)
にほんブログ村 茨城県の八溝山には、日輪寺という寺院もあります。こてらは八溝嶺神社からも近い様です。ネット情報で、日輪寺に下記の画像がありました。(画像出典: 「Laugh and grow fat」 )親子の神馬で、八溝嶺神社とイメージが違っています。シャープな造形で、コンクリート像(モルタル製)ではなく、石像の可能性も出てきます。はたしてこれらの神馬は、高見彰七作品でしょうか?【 ねんりん屋 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.19
コメント(40)
にほんブログ村 茨城県の八溝山、八溝嶺神社の神馬。はたして、これは愛知から最遠方にある高見彰七の神馬でしょうか。通常の神馬は駆ける姿で造られます。しかし高見彰七の神馬は、四つ脚で立つ静止した姿であるという特徴があります。おそらくコンクリート像の劣化による破損を避けるためでしょう。神馬に限らず、高見彰七の作品は破損を避ける造形がなされています。たてがみ、尾の造形など、八溝嶺神社の神馬は高見彰七の神馬によく似ています。しかしこれだけでは判別できません。そこで、さらにネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「YAMAP」 )神馬の正面からの画像で、正面から見るとひび割れがあります。この神馬は石像ではなく、コンクリート像の可能性がありそうです。ただし神馬の顔つきが、高見彰七の神馬にしてはシャープです。また、正面からは銘板も読めます。拡大しましょう。奉納者が常陸屋商店であることと、店主のお名前があります。年号は「昭和五十五年」あるいは「昭和三十三年」と読めます。高見彰七の年表で確認しましょう。昭和三十三年であれば、まさに高見彰七の活動期です。一方、昭和五十五年の場合は、移設された可能性が出てきます。そう悩んでいましたが、下記のネット情報で昭和五十五年奉納と分かりました。もし高見彰七の神馬であれば、移設となるでしょう。 【奉納年の情報: 「茨城見聞録」 )残念ながら、高見彰七の神馬であるという確証を持つには到りません。可能性はあるとは思いますが。今後、新たな情報が待たれます。またネット調査の中で、八溝嶺神社近くに別の神馬も見つけました。次回、こちらも紹介します。【 栗秋山 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.17
コメント(34)
にほんブログ村 しばらく遠方に出ていました。その間にX(旧Twitter)を見ていて、興味深いものを見つけました。それは高見彰七作品によく似た神馬です。場所は、茨城県の八溝山にある八溝嶺神社です。写真は 「ツネツネツネ」さん の許可を頂いて転載しています。如何でしょうか。四つ脚で立つ姿、たてがみ、尾の造形など、高見彰七の神馬によく似ていないでしょうか?ネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「CROW'S CLOW」 )高見彰七の神馬に比べると、やや細身の神馬です。高見彰七作品の様な、違う様な……。また別の方の画像から。(画像出典: 『栃木発「ちゃりあん」ブログ2』 )やや小柄な神馬らしい。高見彰七の神馬と酷似した台座には、銘板が見えます。もし茨城県での発見となれば、愛知から最遠方での発見例。真贋が気になります。さらに調べると、別の方の画像で銘板も解読できました。それをご紹介しつつ、次回はこの神馬の謎解きを試みます。【 秋の味覚 食べ比べ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.15
コメント(30)
にほんブログ村 愛知県豊田市 八王山 春光院の観音像の注目点をご紹介します。(1)失われた首飾り春光院の観音像も首飾りをしています。ただし他の観音像の様に2重の首飾りではありません。その特徴としては、首飾りのペンダントが取れていることがあります。渡刈町の与次の観音像は写真の様に、円い飾りが付いています。「渡刈町 『与次』観音像」当初は渡刈町の様なモルタルの飾りが付いていたのか、それとも別の象嵌風の飾りが貼りつけられていたのか。あまりに綺麗にはがれています。モルタル以外の飾りの貼り付けの可能性を感じます。(2)消えた作家銘?観音像の背面右下に、違和感のある模様が見えます。次の様な作家銘の可能性はないでしょうか。作家銘を示す長方形の縁取りと「七」の文字が見えませんか。参考に、今は亡き宮口神社の神馬にあった高見彰七の作家銘を示します。「七」がよく似ていませんか。春光院の観音像は、作家銘の上半分が補修用のモルタルで消されている様に見えます。「与次=高見彰七の弟子」に加えて、「与次=高見彰七」の可能性も高まった様に思います。はたして「与次」とは誰でしょうか。いささか「見たいものが見える」、心霊写真的な要素がありますが、もし作家銘ならば、「与次」の重要な手がかりにもなるかもしれません。【前の記事】 「春光院 1」【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.09
コメント(33)
にほんブログ村 高見彰七と深い関連があると推定される謎の作家「与次」の観音像の現地確認第2段です。場所は豊田市の八王山 春光院。豊田市渡刈町の銘「与次」の観音像(リスト集2 No.25)とよく似た観音像です。(No.24)【八王山 春光院】 ・所在地: 愛知県豊田市岩倉町 八王山 春光院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 銘板なし 「与次」作と推定 ・発見者: 「FDG公式」さん ・台上高さ: 140cm, 胸部幅: 30cm, 裾幅: 40cm, 胸部厚: 30cm, 直立形高さ140cmは、豊田市渡刈町の観音像と同じです。幅などもNo.25とほぼ同じですが、厚みは春光院の方が厚くなっています。背面には、銘板は確認できません。前後境界面のひび割れは、軽微ですがあります。この場所は第2東海自動車道の高架下付近。さらに巴川とに挟まれた、交通量も少ない閑静な場所。観音様も人恋しくなるかもしれません。ポストの横に立つ観音様は、日に数度、郵便局員に会うのを楽しみにしているのかもしれません。渡刈町の「与次」と瓜二つなお顔の観音像は、今日も笑顔で私達を迎えてくれます。*次回はこの春光院の観音像の注目点2ヶ所をご紹介します。それは「与次」の謎の解明に迫るものかもしれません。【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.06
コメント(47)
にほんブログ村 渡刈町 銘「与次」の観音像の続き、観音像の由来です。地主さんのお話から。******かつてこの交差点脇には貴人の墓(古墳)があったそうです。地区の皆さんは貴人の墓は祀るべきと考えていました。折しも破棄される予定の観音像があり、その観音像を譲り受け、墓に祀ったそうです。しかし道路拡張工事の際、墓は撤去されてしまいました。その時、「観音像が泣いているように見えた」そうです。泣く観音像を不憫に思った皆さんは、墓がなくなった後も観音像を移設し祀りました。その後も交差点付近を転々と場所を変え、今の場所になりました。また経年劣化の傷みは、石工に依頼して補修もしたそうです。******この観音像は「破棄される予定の観音像」だったそうです。これは「撤去された高見彰七の250体の作品群」を示しているのかもしれません。それであれば、「与次」=「高見彰七」の可能性が高まります。この観音像に、人々は「鳴き顔」を見たそうです。高見彰七は夢に見た理想の観音像を追い、その創作に「まごころ」を込めました。人々が鳴き顔を見た観音像が、もし高見彰七作品だとしたら、高見彰七は、その夢をかなえていたのかもしれません。【 人形ライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.04
コメント(37)
にほんブログ村 猛暑で遅れていた高見彰七作品の現地確認、ようやく再開しました。まずは「与次」銘の観音像の現地確認です。背面の銘「与次」も確認できます。観音像の下部に傷みもあります。高見彰七作品の特徴、前後境界面のひび割れもあります。胸に抱えた蓮の花、前に垂れた2本の帯紐。やはり高見彰七作品の特徴が確認できます。「与次」は高見彰七自身でしょうか。それともそのお弟子か、ご親族でしょうか。(No.25)【豊田市 渡刈町2丁目交差点】 ・所在地: 愛知県豊田市渡刈町2丁目交差点 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 在銘 「与次作」 ・発見者: 「FDG公式」さん寸法も測定しました。 ・台上高さ: 140cm, 胸部幅: 35cm, 裾幅: 50cm, 胸部厚: 18cm, 直立形高さは見徳寺の観音像の高さ113cmより大柄ですが、他の幅、厚さなどはほぼ同寸です。実はこの観音像のある場所は、交差点の角地ですが私有地です。その私有地の地主さんから、この観音像の由来を聴くことができました。その話の中には、「与次」の謎に迫る重要な情報もありました。次回はその観音像の由来についてご紹介します。【 切り落とし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.02
コメント(36)
全12件 (12件中 1-12件目)
1