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にほんブログ村 「高見彰七がいきなり大手建設メーカと手を組んで、 大観音建立というビッグ・プロジェクトに携われたのはなぜか?」「高見彰七調査隊」の皆さん、謎は解けましたか?コメントでは、かなり良い御推理がされていたかと思います。それでは、謎の答えです。〇観音像の建つ場所について 愛知池は恵日山青峯山観音寺の土地の一部を 買収して造られた巨大な人工池です。 池の造成で観音寺の私有地が、池の中に小島として残りました。 しかし池の中の小島を私有地とするのは、 将来、池の拡張の支障となるため、 池の外に観音寺の管理地が移されました。 現在、観音像はこの移転地に建てられ、 小島は野鳥の巣となっています。〇なぜ観音像は建立されたのか? 調査隊の皆さんのコメントにもありましたが、 愛地池の造成はビッグプロジェクトでした。 その工事の際に事故で亡くなられた方がおられ、 その供養のために観音像が建てられることとなったそうです。〇なぜ観音像の作家として高見彰七氏が選ばれたのか? 昭和35年の愛知池の観音像建立の頃、 高見彰七氏のご自宅前には250体の観音像が並び、 観光バスが来るほど有名になっていました。 高見彰七氏は観音像の作家として、 愛知池近隣でも知られていました。 そのため観音寺を通じて、愛知池の犠牲者の供養のために 高見彰七氏が大観音像を「寄贈」されたとのことです。 観音像は発注されたのではなく、高見彰七氏の「寄贈」でした。〇高見彰七氏と建設メーカとの関連は? 高見彰七氏は観音像を寄贈し、建設メーカが設置施工しました。 高見彰七氏と建設メーカの間に、 特に関連があったわけではありません。若干、複雑でしたが、如何でしょうか。観音像は「寄贈」という点がポイントです。今後も「謎」に関しては推理形式を採ることがあると思います。謎解きをお楽しみください。【 バスクチーズケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.23
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にほんブログ村 愛知県の愛知池にある大観音。この大観音は、私にとって大きな謎でした。作家 高見彰七、施工 鹿島建設㈱の大観音。昭和35年、仏像製作10年の農業が専門の彰七が、いきなり大手建設メーカと協業できたのはあまりに不自然です。如何にして、大観音建立のプロジェクトを任されたのか?大手建設メーカと、どの様な縁があったのか?考えるほど、謎が深まります。今回、この謎も解明できました。しかし、すぐに答えを示すのも、楽しみがないでしょう。みなさんも、「高見彰七調査隊」の一員として、ぜひこの謎を推理なさってください。推理のお題は、「高見彰七がいきなり大手建設メーカと手を組んで、 大観音建立というビッグ・プロジェクトに携われたのはなぜか?」です。答えは次回の記事で掲載します。【 冬のぶどう 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.20
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にほんブログ村 今回も民家敷地内の観音像を、撮影許可を頂いて紹介します。背景などはAI処理、トリミングしていますので、違和感がある箇所もあるかと思います。やや経年を感じさせる風化が進んでいます。お顔もややわかり難くなっています。高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.30として登録します。リンク集2 (No.30) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 高さ105cm, 胸部幅30cm, 胸部厚さ20cmこの観音像には像の前面/背面の境界に、縦に明瞭なヒビ割れがあります。高見観音の製法は、1)前面,背面を別々に半割りの像として作り、2)その後、前面,背面を接合して一体化して立像としたということが、ご親族の情報から確認できました。観音像の観察から推定していた「半割り接合製法説」は正しかったことがわかりました。半割りであれば接合面を下にして、像を造形できます。一方で、接合面が弱く、ヒビ割れなどの劣化が進み易くなります。モルタルを使いコンクリート像を作ることは、一見、容易なようで、実際は難しいことがよくわかります。【 元祖 くず餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.18
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にほんブログ村 今回ご紹介する新発見の高見彰七作品は、重要な意味を持っています。民家の敷地内にありますので、詳細は省かせて頂きます。撮影許可などを頂いての画像掲載となります。まずはご覧ください。一見して高見観音とわかります。ただ服装の表現などが、多くの高見観音とは異なります。微笑みは少なめで、お顔も下膨れのふくよかなお顔ではありませんが、高見観音で見かける表現です。実はこの観音像、高見彰七作品であって、高見彰七作品ではありません。今までこの作風の観音像も含めて、私は高見彰七作品としてきました。しかしこれは、「高見正美」氏の作品です。高見正美氏は、彰七氏の御子息に当たります。高見彰七氏と正美氏の親子は、時に協同で作品の製作に携わった様です。今回ご紹介の観音像は、高見正美氏単独での作品例です。思えば高見観音を私が4分類に整理した時、第2分類の観音像の作風は一定ではなく、その理由に悩んでいました。もちろん製作活動での試行錯誤と捉えることはできますが、彰七氏と正美氏の両者の手が加わっていたということであれば、より納得ができます。【第2分類】 「高見彰七作品 第2分類」いずれにしても「高見彰七としていた人物はふたりいた」というのは、私にとっては衝撃の新事実でした。まずは従来通り、高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.29として登録します。リンク集2 (No.29) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし, 高見正美作品 ・特徴: 高さ120cm, 胸部幅25cm, 胸部厚さ15cm今後、リンク集を活用して、明らかに高見正美氏の作品と判明した作品があれば、その旨を表記したいと思います。次回はさらに新発見の作品の紹介をしつつ、また別の重要な情報をお伝えしたいと思います。【 福寿柿 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.15
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にほんブログ村 今回以降お伝えするのは、高見彰七のご親族3名の方からのヒアリング結果です。最も御詳しい彰七氏の御孫さんにたどり着くのにやや手間取りましたが、皆さん丁寧にご対応下さり、ヒアリング継続中です。まず、新情報1件目です。高見彰七の活動期間が判明しました。80歳で他界されましたが、79歳まで製作活動を続けていました。活動期間を年表で整理します。没年、昭和45年。製作活動は、昭和25年から44年の19年間。この期間に、あれほど多数の作品を製作されたわけです。しかも当初は木彫りの仏像を製作していましたので、コンクリート像の製作期間は更に短くなります。ここで奇妙なことに気付きます。没年以降に建立された観音像もありますが、これは移設でしょうか。実はそこには驚愕の新情報が隠されていました。そのお話は次回以降でお伝えします。【 かぼちゃ バウム 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.13
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にほんブログ村 驚愕の新情報の前に、高見彰七作品、新発見のご報告から。この作品は以前から確認していましたが、民家敷地内にあるため、許可を頂く関係で掲載が遅れました。大きく重そうな狸です。民家ゆえ、背景は一部AI処理しています。比較的状態は良さそうです。やや野性味があり、みよし市の大狐にも似ています。リンク集3 (No.7) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 象嵌あり ・寸法: 高さ 110cm神馬,稲荷大狐以外の動物は、初めての発見例でしょう。次回は、まず問題提起の新情報から。【 とんぼ玉 たぬき 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.11
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にほんブログ村 高見彰七について、幾つもの新情報が得られました。その中には、すべての前提をくつがえす、驚愕の新情報もあります。私自身、大混乱で、なにからお伝えすべきか迷います。情報を整理しつつ、まずは新発見の高見彰七作品からご紹介したいと思います。新発見の作品にも、皆さん驚かれることでしょう。そして新情報は、謎を解くことにもなりますが、さらなる混乱を生むことにもなります。次回以降の記事にご期待ください。【 ショコラクリスタル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.09
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にほんブログ村 浅野祥雲と1歳違いで同世代だった高見彰七。それなのに知名度がある浅野祥雲に比べて、高見彰七が忘れ去られてしまったのはなぜでしょうか?むしろ、作家銘すら残さないコンクリート像作家が忘れられるのは自然なことだと私は思います。浅野祥雲の知名度の高さが特殊なのです。そこで、なぜ浅野祥雲の知名度が高いのかを考察したいと思います。以下はその理由と思われる点です。1)浅野祥雲の作品は、多色に塗装された作品が多い 多色に塗られた人物像は表情がユニークに見えます。 そのため、テレビ番組でも取り上げられました。 一方、今日残る高見彰七の観音像は大半が塗装が残っていません。2)浅野祥雲の作品は、まとまって観られるスポットがある 関ケ原ウォーランド、五色園、桃太郎神社などでは、 浅野祥雲の作品をまとまって観ることができる。 高見彰七の作品は基本、分散している。 妙楽寺の58体は廃棄を免れているにすぎない。3)大竹敏之氏の貢献が大きい 大竹敏之氏は浅野祥雲について詳細に調べ、 書籍を出版されています。 様々な浅野祥雲のPR活動を行い、さらに五色園の浅野祥雲作品の 定期的な再塗装活動もしています。 これらの活動は浅野祥雲の知名度向上に 大きく貢献していると思います。実は私も以前に、大竹敏之氏が説明役の五色園見学会に参加しています。その際に私は大竹敏之氏の著書を購入して、サインも頂いています。マニアックな見学会で参加者も限られていました。Xで私のコンクリート像関係の投稿に「いいね」を下さる方の中には、あの時の見学会の参加者もおられるのでは?と思ったりもしています。【 浅野祥雲大全 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.07
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にほんブログ村 高見彰七について色々とわかってきました。そこで一度、重要な事項を整理します。1)高見彰七は昭和25年頃から、夢に見た観音像を追って、 観音像の製作を開始した2)高見彰七は農家の人であり、プロの作家ではない3)昭和31年にはみよし市の大狐、昭和35年には愛知池の大観音など、 代表作と言える大型作品も製作している 「みよし市の大狐」 「愛知池の大観音」4)昭和36年には道路沿いに並ぶ250体の作品とともに、 当時71歳の高見彰七が全国誌で紹介される5)その後、昭和46年の昌福寺の観音像まで、 作家活動が確認されている 「昌福寺の観音像」6)道路沿いの250体の作品群は、平成2年頃に安全上の理由から撤去7)そのうち58体は妙楽寺に置かれている8)宮口神社の神馬、森下交差点の観音像など、 その後も作品の廃却が続いている9)多くの作品が各地に移設されて四散し、現在捜索中 現在まで約110点の作品が発見されているにすぎない10)長野県での作品の確認例もあり、作品の分布は愛知県に留まらない11)高見彰七は知名度が高いコンクリート像作家・浅野祥雲より 1歳年上の同世代の作家であったが、 今日ではほぼ完全に忘れられてしまった約20年間ほどの活動で、高見彰七は多くの作品を残しました。一時期は高い知名度があった高見彰七ですが、その後、急速に人々の記憶から消えました。人の記憶の儚さには驚くばかりです。【 大須 栗りん 栗三秋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.04
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にほんブログ村 愛知県 鞍ヶ池公園東の矢並町にある八柱神社。その八柱神社の神馬の続きです。この神馬には台座がありません。しかし銘板があります。昭和29年と読めます。その横に書かれているのは、奉納者のお名前です。神馬のお顔、たてがみ、尾、脚の造形や大きさから、高見彰七作品で間違いないと思います。調査中、地区の方にお会いしました。神馬は昨年(2023年)に再塗装したばかりで、まさにお会いした方が再塗装されたそうです。地区の方には製作年などのご確認をお願いしました。少し時間はかかるものの、町内会の折に記録を確認くださるそうです。記録でも製作年が昭和29年であれば、製作年を登録します。その場合は、みよし市の大狐像より古く、製作年が判明したものでは、最古の高見彰七作品となります。(みよし市の大狐像は昭和31年2月建立)地区の方には、永くこの神馬を保存くださるようにお願いしました。また、かつて道路沿いにあった250体の高見彰七作品は地区の方もご存知で、当時は有名だったとのことです。ところで、この矢並八柱神社の神馬を見ていて、あらためて先日の茨城県 八溝山の神馬がよく似ていると感じました。八溝山の神馬についても、もう少し検討したいと思います。【 レゴ 名馬8体セット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.02
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にほんブログ村 お待たせしました。ようやく以前から報告を頂いていた高見彰七作品候補の現地確認をしました。今回の新発見は神馬です。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」豊田市にある人気観光スポットの鞍ヶ池公園。観光客で賑わう鞍ヶ池公園を東に過ぎると閑静な矢並町。そこに神馬のある八柱神社があります。名鉄バス矢並区民会館から南へ徒歩数分。突然目の前に意外な風景が広がります。田園風景に存在感のある真っ白な神馬。もうこの時点で、高見彰七作品への期待が膨らみます。さらに接近。はい、高見彰七の神馬決定です。(リスト集1「神馬」 No.8) ・所在地: 愛知県豊田市矢並町 八柱神社 ・製作年月: 判読不能 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 190cm, 前後長195cm ・発見者: @FDG_official01 さんまずは神馬をご覧ください。現地確認では、この神馬などを管理されている地区の方のお話も聴けました。次回はその情報と、神馬の銘板などをご紹介します。【 おすわりマスコット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.30
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にほんブログ村 茨城県の八溝山には、日輪寺という寺院もあります。こてらは八溝嶺神社からも近い様です。ネット情報で、日輪寺に下記の画像がありました。(画像出典: 「Laugh and grow fat」 )親子の神馬で、八溝嶺神社とイメージが違っています。シャープな造形で、コンクリート像(モルタル製)ではなく、石像の可能性も出てきます。はたしてこれらの神馬は、高見彰七作品でしょうか?【 ねんりん屋 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.19
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にほんブログ村 茨城県の八溝山、八溝嶺神社の神馬。はたして、これは愛知から最遠方にある高見彰七の神馬でしょうか。通常の神馬は駆ける姿で造られます。しかし高見彰七の神馬は、四つ脚で立つ静止した姿であるという特徴があります。おそらくコンクリート像の劣化による破損を避けるためでしょう。神馬に限らず、高見彰七の作品は破損を避ける造形がなされています。たてがみ、尾の造形など、八溝嶺神社の神馬は高見彰七の神馬によく似ています。しかしこれだけでは判別できません。そこで、さらにネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「YAMAP」 )神馬の正面からの画像で、正面から見るとひび割れがあります。この神馬は石像ではなく、コンクリート像の可能性がありそうです。ただし神馬の顔つきが、高見彰七の神馬にしてはシャープです。また、正面からは銘板も読めます。拡大しましょう。奉納者が常陸屋商店であることと、店主のお名前があります。年号は「昭和五十五年」あるいは「昭和三十三年」と読めます。高見彰七の年表で確認しましょう。昭和三十三年であれば、まさに高見彰七の活動期です。一方、昭和五十五年の場合は、移設された可能性が出てきます。そう悩んでいましたが、下記のネット情報で昭和五十五年奉納と分かりました。もし高見彰七の神馬であれば、移設となるでしょう。 【奉納年の情報: 「茨城見聞録」 )残念ながら、高見彰七の神馬であるという確証を持つには到りません。可能性はあるとは思いますが。今後、新たな情報が待たれます。またネット調査の中で、八溝嶺神社近くに別の神馬も見つけました。次回、こちらも紹介します。【 栗秋山 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.17
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にほんブログ村 しばらく遠方に出ていました。その間にX(旧Twitter)を見ていて、興味深いものを見つけました。それは高見彰七作品によく似た神馬です。場所は、茨城県の八溝山にある八溝嶺神社です。写真は 「ツネツネツネ」さん の許可を頂いて転載しています。如何でしょうか。四つ脚で立つ姿、たてがみ、尾の造形など、高見彰七の神馬によく似ていないでしょうか?ネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「CROW'S CLOW」 )高見彰七の神馬に比べると、やや細身の神馬です。高見彰七作品の様な、違う様な……。また別の方の画像から。(画像出典: 『栃木発「ちゃりあん」ブログ2』 )やや小柄な神馬らしい。高見彰七の神馬と酷似した台座には、銘板が見えます。もし茨城県での発見となれば、愛知から最遠方での発見例。真贋が気になります。さらに調べると、別の方の画像で銘板も解読できました。それをご紹介しつつ、次回はこの神馬の謎解きを試みます。【 秋の味覚 食べ比べ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.15
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にほんブログ村 愛知県豊田市 八王山 春光院の観音像の注目点をご紹介します。(1)失われた首飾り春光院の観音像も首飾りをしています。ただし他の観音像の様に2重の首飾りではありません。その特徴としては、首飾りのペンダントが取れていることがあります。渡刈町の与次の観音像は写真の様に、円い飾りが付いています。「渡刈町 『与次』観音像」当初は渡刈町の様なモルタルの飾りが付いていたのか、それとも別の象嵌風の飾りが貼りつけられていたのか。あまりに綺麗にはがれています。モルタル以外の飾りの貼り付けの可能性を感じます。(2)消えた作家銘?観音像の背面右下に、違和感のある模様が見えます。次の様な作家銘の可能性はないでしょうか。作家銘を示す長方形の縁取りと「七」の文字が見えませんか。参考に、今は亡き宮口神社の神馬にあった高見彰七の作家銘を示します。「七」がよく似ていませんか。春光院の観音像は、作家銘の上半分が補修用のモルタルで消されている様に見えます。「与次=高見彰七の弟子」に加えて、「与次=高見彰七」の可能性も高まった様に思います。はたして「与次」とは誰でしょうか。いささか「見たいものが見える」、心霊写真的な要素がありますが、もし作家銘ならば、「与次」の重要な手がかりにもなるかもしれません。【前の記事】 「春光院 1」【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.09
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にほんブログ村 高見彰七と深い関連があると推定される謎の作家「与次」の観音像の現地確認第2段です。場所は豊田市の八王山 春光院。豊田市渡刈町の銘「与次」の観音像(リスト集2 No.25)とよく似た観音像です。(No.24)【八王山 春光院】 ・所在地: 愛知県豊田市岩倉町 八王山 春光院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 銘板なし 「与次」作と推定 ・発見者: 「FDG公式」さん ・台上高さ: 140cm, 胸部幅: 30cm, 裾幅: 40cm, 胸部厚: 30cm, 直立形高さ140cmは、豊田市渡刈町の観音像と同じです。幅などもNo.25とほぼ同じですが、厚みは春光院の方が厚くなっています。背面には、銘板は確認できません。前後境界面のひび割れは、軽微ですがあります。この場所は第2東海自動車道の高架下付近。さらに巴川とに挟まれた、交通量も少ない閑静な場所。観音様も人恋しくなるかもしれません。ポストの横に立つ観音様は、日に数度、郵便局員に会うのを楽しみにしているのかもしれません。渡刈町の「与次」と瓜二つなお顔の観音像は、今日も笑顔で私達を迎えてくれます。*次回はこの春光院の観音像の注目点2ヶ所をご紹介します。それは「与次」の謎の解明に迫るものかもしれません。【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.06
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にほんブログ村 渡刈町 銘「与次」の観音像の続き、観音像の由来です。地主さんのお話から。******かつてこの交差点脇には貴人の墓(古墳)があったそうです。地区の皆さんは貴人の墓は祀るべきと考えていました。折しも破棄される予定の観音像があり、その観音像を譲り受け、墓に祀ったそうです。しかし道路拡張工事の際、墓は撤去されてしまいました。その時、「観音像が泣いているように見えた」そうです。泣く観音像を不憫に思った皆さんは、墓がなくなった後も観音像を移設し祀りました。その後も交差点付近を転々と場所を変え、今の場所になりました。また経年劣化の傷みは、石工に依頼して補修もしたそうです。******この観音像は「破棄される予定の観音像」だったそうです。これは「撤去された高見彰七の250体の作品群」を示しているのかもしれません。それであれば、「与次」=「高見彰七」の可能性が高まります。この観音像に、人々は「鳴き顔」を見たそうです。高見彰七は夢に見た理想の観音像を追い、その創作に「まごころ」を込めました。人々が鳴き顔を見た観音像が、もし高見彰七作品だとしたら、高見彰七は、その夢をかなえていたのかもしれません。【 人形ライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.04
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にほんブログ村 猛暑で遅れていた高見彰七作品の現地確認、ようやく再開しました。まずは「与次」銘の観音像の現地確認です。背面の銘「与次」も確認できます。観音像の下部に傷みもあります。高見彰七作品の特徴、前後境界面のひび割れもあります。胸に抱えた蓮の花、前に垂れた2本の帯紐。やはり高見彰七作品の特徴が確認できます。「与次」は高見彰七自身でしょうか。それともそのお弟子か、ご親族でしょうか。(No.25)【豊田市 渡刈町2丁目交差点】 ・所在地: 愛知県豊田市渡刈町2丁目交差点 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 在銘 「与次作」 ・発見者: 「FDG公式」さん寸法も測定しました。 ・台上高さ: 140cm, 胸部幅: 35cm, 裾幅: 50cm, 胸部厚: 18cm, 直立形高さは見徳寺の観音像の高さ113cmより大柄ですが、他の幅、厚さなどはほぼ同寸です。実はこの観音像のある場所は、交差点の角地ですが私有地です。その私有地の地主さんから、この観音像の由来を聴くことができました。その話の中には、「与次」の謎に迫る重要な情報もありました。次回はその観音像の由来についてご紹介します。【 切り落とし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.02
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類4は、未解明の存在です。分類4の作家銘は「与次」。細部には高見彰七の特徴がありますが。高見彰七作品か否かもわかりません。全体的な体形が異なるため、高見彰七が銘を変えたのかもしれません。あるいは「与次」は「世継ぎ」と読めることから、弟子の作品の可能性もあると推定しています。【分類4の特徴】a)造形 非常に安定感のある重厚な造形。 胸に抱えた蓮の花、帯紐などに高見彰七作品の特徴あり。 x)直立形のみ。b)材質 モルタルの粒度等は未確認。 経年劣化は少なめ。c)造形 重厚で安定感がある。分類4の確認例は2024年9月現在で3件のみ。「豊田市 渡刈町 路傍」 在銘「与次」 (画像提供:FDG公式さん)「見徳寺」 銘板を剥がした痕あり「八王山 春光院」 無銘 (画像提供:FDG公式さん)銘「与次」の謎は、今後解明しなくてはなりません。【 ウッドスピーカ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.25
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類3は不思議な観音像です。分類3は妙楽寺のみで見られます。特に顔が簡略化され、像の劣化は少なく、比較的新しい晩年の作品と推定しています。高見彰七氏は夢枕に表れた観音様を作ろうとしたはずです。それとは異なるであろう略式の造形をなぜ試みたのでしょう。【分類3の特徴】a)造形 首がなく、楕円形の顔が独立してある。 衣装なども簡略化され、平面的。 2重の首飾りはある。 x)直立形とy)流れ形がある。b)材質 モルタルの粒度は細かい。 経年劣化は少なく白っぽい。c)造形 前面と背面の継ぎ目の有無は、 他の像の陰になり未確認。分類3の例は妙楽寺のみ。とても不思議で謎のある観音像です。【 宇宙飛行士 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.23
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類2は厄介です。分類2は作風が一定していません。それは試行錯誤のためとみられ、比較的初期の作品と推定しています。【分類2の特徴】a)造形 微笑みのない表情。 指の造形などが簡略化。 x)直立形が主。b)材質 モルタル中の粒度が粗い。 経年劣化が激しい。c)造形 前面と背面に継ぎ目状に亀裂がある。分類2の例です。「割目池」 地蔵菩薩像と並び立つ「吉浜 柳池院」 「妙楽寺」 子安観音「妙楽寺」 劣化が激しい分類2は、大形像はないように思います。また全て無銘です。【 ナイトライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.21
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の分類1は、最も代表的な作品です。【分類1の特徴】a)造形 微笑んだふくよかな顔。 胸に蓮の花を持つ例が多い。 足元に”く”形の造形例が多い。 x)直立形とy)流れ形がある。 建設業者との共作の大形作品もある。b)材質 背面のモルタル中の小石の粒度が粗い。 前面は粒度の細かいモルタル。c)造形 前面と背面に継ぎ目状に亀裂がある。 継ぎ目は特に大形作品で多く見られる。それでは分類1の例を見ましょう。「愛知池」 鹿島建設との共作による大型像「古瀬間御嶽神社」 流れ形「豊田市中町」 前後の接合面が明瞭「野見御嶽神社」 彩色あり「妙楽寺」 ほほえみ【 ねこ目覚まし時計 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.19
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にほんブログ村 高見彰七の観音像の判別には、観音像の分類が必要と考えていました。そこで、a)造形,b)材質,c)製法に着目して4つに大別しました。1) 分類1: 代表形 高見彰七らしい、微笑んだふくよかな顔の像。 観音像の姿勢は、x)直立形とy)流れ形がある。 また建設業者との共作の大形作品もある。2) 分類2: 多様形 作風が不安定。微笑んでいない像,材質が粗い像が多い。 姿勢は、x)直立形が多い。3) 分類3: 簡略形 現在、妙楽寺のみでしか確認例がない簡略化された像。 楕円形の顔が、衣装に張り付いた様な造形。 姿勢は、x)直立形とy)流れ形がある。4)分類4: 銘「与次」 高見彰七作品の特徴を持つ、「与次」銘の像。 無銘の像を含めて、3例しか発見されていない。 観音像の姿勢は、x)直立形のみ。まずは大別です。次回以降、その詳細を見ていきます。【 ひよこ形目覚まし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.16
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にほんブログ村 愛知県は今なお36℃越えの猛暑予報。外出は控えめに、写真の整理等をしています。写真の整理中、妙楽寺のコンクリート仏の数を修正する必要があると気づきました。正面から見える像、背面にある像、下から見て左方に離れた場所の像。全56体としていました。(三好森下交差点からの移設を加えると57体)「正面」「背後」「左方」写真を整理していると、最大の観音像より右方に離れた場所にもう一体、観音像があるのに気付きました。これを加えると、全57体( + 三好森下交差点移設1体)。実際は、他の像の陰で見えない像がまだあるのでしょう。かつて豊田市の道路沿いに並んでいた250体。そのうちの1/5強が妙楽寺に移設されたことになります。高見彰七の作品の確認数は、今回の1体を加えると、全106体になります。まだ他に4体の候補作(現地未確認など)があります。もう少し気温が下がれば確認などして、掲載を急ぎたいと思います。【 なごやん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.09.08
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にほんブログ村 時間をかけて、霊岩寺の地蔵菩薩像を検証しました。地蔵菩薩の比較には、妙楽寺の作品を参照します。【関連記事】 「霊岩寺の謎のコンクリート像1」【関連記事】 「霊岩寺の謎のコンクリート像2」左は霊岩寺、右は妙楽寺の地蔵菩薩像です。(類似点)・顔形(目鼻口、眉などの形と配置)・なで肩・上半身の着物の表現・体に付いた平面的な錫杖・錫杖を持つ右手の位置・簡略化された指の表現・体の前後に接合部がある(相違点)・妙楽寺の地蔵は微笑んでいる・妙楽寺の地蔵の方がやや耳が大きい・着物の裾の表現・妙楽寺の地蔵の方がやや平面的な造形・妙楽寺の錫杖は長い上半身、特に肩から右手周辺は酷似しています。一方で着物の裾などは違いがあります。ただし相違点の「着物の裾の表現」については、別の類似作があります。それは霊岩寺の近くにある京町区民会館の観音像です。以下、左は霊岩寺、右は京町区民会館のコンクリート像です。腰から下の表現が、両者でよく似ているのが分かると思います。3メートル程度の高見彰七氏の作品は、左官などとの共作の可能性があります。高見彰七作品らしくない花入などが気になりますが、類似箇所が酷似していますので、「高見彰七氏が関わった作品」と考えて間違いはないと判断しました。105体目の高見彰七作品として、リンク集3 No.6に登録したいと思います。【 静岡抹茶バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.23
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にほんブログ村 猛暑で外出も避けたくなります。これを機会に、高見彰七氏の作品リンク集を大幅に更新しました。現在、リンク集の掲載数は、104体になっています。●【リンク集】 「高見彰七 リンク集」皆様の情報提供には感謝致します。今後もご存じの情報がございましたら、よろしくお願いします。【 とろける料亭のプリン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.15
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にほんブログ村 豊田市墓地の釈迦如来像(推定)。この斜め前に、小さなコンクリート像があります。このコンクリート像も高見彰七作品ではないかと思います。根拠はその製法にあります。小さな像ですが、前後に接合部があります。高見彰七作品に多い特徴です。像のデザインンは従来の高見彰七作品とは異なります。まるで円空仏の様な造形です。この様な「高見彰七作品かもしれない」例の扱いも、今後、考えなくてはなりません。悩みますね。【 パイナップルケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.01
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にほんブログ村 先に掲載した高見彰七作の座像について訂正します。豊田市墓地の座像ですが、当初、私は大日如来としていました。しかし検討の結果、釈迦如来像に訂正致します。●【訂正記事】 「墓地の高見彰七作品(リスト集3 No.5 掲載予定)」皆さんのコメントの整合性を考慮して、修正の履歴を残しました。大日如来と釈迦如来、どちらも法界定印を結びます。しかし質素な衣装の如来像のなかで、大日如来像のみはしばしば装飾具を身に付けます。今回の墓地の座像も質素な衣装で釈迦如来像とみなしました。また長野県専照寺の高見彰七作品も釈迦如来像です。この専照寺と今回の墓地の座像はよく似ています。この点からも、今回の墓地の座像も釈迦如来像として良いでしょう。●【リスト集3 No.3】 「専照寺の釈迦如来座像」●【MR2さん】 「MR2さんのフォト蔵」「墓地の座像」「専照寺の釈迦如来座像」 (写真撮影: MR2さん)「墓地の座像」「専照寺の釈迦如来座像」 (写真撮影: MR2さん)すみませんが、過去記事を訂正致します。【 ハイジのおやつ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.15
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にほんブログ村 今回は、久々の神馬新発見のご報告です。猛暑の中、現地確認を完了しました。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」川沿いの道を歩くと、神馬のお尻から見えてきます。高見彰七作品らしい神馬です。塗装もされています。作家銘、製作年は確認できませんでしたが、高見彰七作品として間違いはないでしょう。久しぶりにリスト集1への登録になります。神馬の新発見は諦めていました。FDG公式さん、ありがとうございます。(リスト集1「神馬」 No.7) ・所在地: 愛知県豊田市本徳町 本徳八柱神社 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 220cm, 最上段台座寸法 幅180cm,奥行き55cm ・発見者: @FDG_official01 さん八柱神社の本殿はこじんまりとしていますが、綺麗です。鳥居の前の神馬は存在感があります。良いお顔です。若干、眼が小さいでしょうか。今更ですが、神馬の尾は紐で縛られている様ですね。ようやく気付きました。今回も公共交通機関、鉄道・バスで神社に行きました。豊田市とは言え、山間部への移動は大変です。最も神社に近いバス停でも、神社から片道1.4km。しかも起伏の大きな道のりです。また、私は周辺の探索まで実施してしまいました。38℃の猛暑日、炎天下、起伏の大きな道のりを数時間も歩けばどうなるか、予想はつきますね。次回はその関係の雑談と、一部掲載記事の訂正をします。【 北国のいちご大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.11
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にほんブログ村 豊田市路傍に並んでいた約250体の高見彰七作品。これはいつまで並んでいたのでしょうか?これについて、ご親族のお話をうかがうことができました。撤去されたのは。1990年(平成2年)頃。観音像は僧侶に魂抜きをして頂き、撤去されたそうです。では、なぜ撤去されたのでしょうか?それは行政からの指導だったとのことです。コンクリート像が傷み、倒壊の怖れありとの指導でした。その頃には塗装が剥離していたのでしょうか?あるいは初めから未塗装の観音像もあったかもしれません。コンクリート像は定期的な再塗装が必要です。これらの情報も加えて、年表も見直しました。年表から、色々な推察ができます。ゆっくりと年表を眺めて,考えたいと思います。【 訳ありミニクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.07
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にほんブログ村 前の記事でお伝えしたとおり、高見彰七作品、新発見のおしらせです。8体発見しておりますが、都合により5体ご紹介します。路傍に突然、草に埋もれたコンクリート作品があります。宝船でしょうか?その右隣には、4体の仏像があります。まずは、馴染のあるデザインの高見観音。無塗装です。その右隣は、今までにないデザインの作品。しかも、多色の彩色です。その隣はやや小振りな作品ですが、多色の彩色です。こちらも今までにないデザイン。その隣も多色彩色。手には多くのお賽銭が置かれています。信仰する方がおられるということでしょう。5体まとめて、リンク集2「観世音菩薩像」にNo.28として登録します。リンク集2 (No.28) ・所在地: 豊田市 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 5体(宝船,彩色仏像含む)高見彰七氏の核心に近づき、情報の公開が難しくなってきました。お伝えできるのは限定的となるかもしれません。歯切れの悪さを御了承ください。【 十勝豚丼 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.03
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にほんブログ村 高見彰七作品、新発見です。今回は仏像ですので、リンク集3「その他」になります。墓地に白く塗装されたコンクリート像があります。台座から上の座像の部分だけでも高さ2メートルあります。法界定印を結んでおられるので、装束から釈迦如来座像でしょうか。台座には、「昭和三十一年三月ノ建 高見彰七作」「南無阿弥陀仏」とあります。座像の横には、台座だけがあります。何を乗せる予定だったのでしょうか。リンク集3 (No.5) ・所在地: 豊田市 墓地 ・製作年月: 昭和31年3月 ・作家銘: 高見彰七作 ・特徴: 白色塗装 ・寸法: 座像(台座上)高さ 200cm,台座高さ 150cm 座像膝部幅 110cm,胸部厚さ 50cm 座部厚さ 110cmこの墓地には高見家の墓が多数あります。そのためプライバシーの観点から、所在地は略しています。高見彰七氏の謎の解明も目前となった気がします。次回は、総数8体の新発見、高見彰七作品をご紹介します。ご期待ください。(注記)当初「大日如来」としていましたが、装束から「釈迦如来」と みなしを変更しました (変更日 2024年7月8日)【 神戸味噌だれ餃子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.01
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像 リンク集2「観世音菩薩像」更新しました。新情報のご提供、ありがとうございました。まだ新情報はありますので、準備でき次第ご紹介します。●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集2「観世音菩薩」編】 ★ 更新 ★ 「高見彰七 観世音菩薩編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【妙楽寺の仏像群】 「妙楽寺」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」【 どら焼きセット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.27
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にほんブログ村 高見彰七氏の観音像の製作風景をご覧ください。型ずれや割れの形状から、ある大きさ(70~80cm)以上の像には、型枠を使って作成し、前後を接合した像があると私は推定しています。写真の観音像も前半分しかないように見えないでしょうか。製作に3ヶ月かかったものもあるとされ、少なくとも仕上げは細かな手作業があったとわかります。高見彰七氏と浅野祥雲氏の活動時期やエリアは重なります。高見彰七氏は1890年生まれ、浅野祥雲氏は1891年生まれ。高見彰七氏が1歳年上でした。大きな違いは、浅野祥雲氏が造形を職業としたのに対して、高見彰七氏はあくまで農業を本職としていた点です。活動エリアも時期も重複する浅野祥雲氏を、高見彰七氏が意識しなかったわけはないでしょう。高見彰七氏は、インタビューに答えています。「素材はコンクリートでも問題ではありません。まごころです。」【 ドゥーブルフロマージュ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.24
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にほんブログ村 今回は高見彰七氏の姿をご覧頂きましょう。高見彰七氏の姿は、全国紙の雑誌にも掲載されています。次の写真は、昭和36年、高見彰七氏が71歳の時のお姿です。とても快活そうなお姿なのは、高見氏が普段から体を動かしていたからでしょう。高見氏の本業は農業で、観音像作りはあくまで趣味でした。若い頃から信心深かった高見氏は、夢枕に観音像の御姿を見たという。それから約40年後の昭和22年、仏像そっくりの木に出会いました。その木を素材に仏像を彫ると、なかなか上出来だったそうです。ただし木材は入手が困難です。そこで25年頃から、コンクリート(モルタル)を素材に代え、次々と観音像などを作りだしました。願ったのは「夢の観音像の再現」でした。つまり、少なくとも250体以上の作品を、たった11年で作ったわけです。本業とは別の取り組みにも関わらず。高見彰七氏は、インタビューにこう答えています。「死ぬまで元気に作り続けます。」写真の高見彰七氏は、自作の馬にまたがっています。その姿からは、作品に対する強い愛着が感じられます。しかし、この写真の馬にも、私はまだ出会えていません。【 冷やし大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.22
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にほんブログ村 多数の高見彰七が発見されました。現在、公開登録総数は98体(内、妙楽寺56体)になりました。なぜ、私が高見彰七を追うのか。それを理解頂くためにも、皆さんにも「高見彰七の真実」の一部をお伝えしたいと思います。妙楽寺の高見彰七作品群は、かつては他の寺院にありました。そしてその寺院が引き取る前は、道路沿いに並んでいました。その道路沿いの作品群が、どれほどのものであったのか。次の1961年(昭和36年)の豊田市宮口の写真をご覧ください。道路沿いに並ぶのは、高見彰七の作品群です。幅50メートル、5段の土手に並ぶ作品群は、総数250体。あまりの数に驚かれたのではないでしょうか。土手の最上段にあるのは、高見彰七の住宅です。当時、この場所は名所になり、観光バスも来ていたそうです。その後、何があり250もの作品が撤去されたのか。その一部でも保存するため、高見彰七はどれほど東奔西走したのか。神社、寺院のみでなく、公園、池の縁、路傍、交差点、駐車場。あらゆる場所でみつかる高見彰七作品。吉浜人形本店では、高見彰七から観音像の設置を懇願されたという記録。新発見があるたびに、高見彰七を襲った悲劇と苦労が偲ばれます。名所になり、有名人でもあった高見彰七が、なぜこれほど地元の人の記憶からさえ消えてしまったのでしょうか。人は何も残すことはできないのでしょうか。その答えが知りたくて、私は高見彰七を追っています。そのわずかな痕跡を追い、出会えた高見彰七作品は、まだ100体にもなりません。【 焦がしキャラメル・バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.20
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にほんブログ村 新発見の高見観音をご紹介します。実は本件は発見者「おいもさん」から、かなり前にご連絡を頂きました。【おいもさん】 「おいもさんのX(旧Twitter)」ところが私がこの場所を個人私有地と勘違い。紹介を断念していましたが、実は日泰寺の一部でした。(No.27) ・所在地: 名古屋市 日泰寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 未確認 ・特徴: 半流れ形,白色塗装 ・発見者: おいもさん( @oimokotaro )塗装された等身大の高見観音です。何度も来た日泰寺ですが、周囲には広大な霊園なども広がります。そのため、未踏の地も少なくありません。日泰寺の外周には「四国八十八ヶ所めぐり」の石仏群もあります。この高見観音は、そのエリア、日泰寺の東側にあります。このエリアはフェンスで囲まれ、入り口は閉じられています。つまり立ち入り禁止です。そのため、高見観音の撮影はフェンス越しになります。私が紹介をためらったのもそのためです。台座は新調されていて、塗装もまだ綺麗です。信仰者がおられる安心感はありますが、立ち入り禁止扱いには維持管理の不安も感じます。おいもさん、確認、公開などが遅れてすみませんでした。また貴重な情報、ありがとうございました。【 塩レモンピール生チョコ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.17
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にほんブログ村 京町公園、推定・高見観音の続きです。観音像のモルタルの材質までのコメントも頂き、みなさんの高見彰七作品への精通ぶりには驚くばかりです。私は独特のお顔を見て、「あれだ」と思いました。あれとは何か?それは法隆寺夢殿の秘仏、救世観音(くぜかんのん)像です。かつて救世観音は絶対秘仏でしたが、今は期間限定で公開されています。私も秘仏公開で救世観音を拝見しました。それでは救世観音とお顔を比較しましょう。右が救世観音です。(救世観音画像出典: 辻本米三郎氏影撮,https://takashikun.blogspot.com/2012/06/blog-post_1435.html)日本人離れした分厚い唇と微笑みが特徴の救世観音。いかがです? 似ていませんか?そういえば、厚みの薄い高見観音のフォルムや衣装は、飛鳥仏に似ている様にも思います。救世観音は本来、仏教にはおられません。ですので、仏教的な比較ではありません。ただ似ているというだけです。一方で、救世観音は聖徳太子の顔を模したとも言われます。故に、聖徳太子は渡来人という説もあります。仮に高見彰七が聖徳太子をイメージして救世観音を作ったとしたら、どんな想いがあったのか、思いを馳せては如何でしょうか?【 水あんみつ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.15
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にほんブログ村 高見観音の新発見の御報せを頂き、現地確認致しました。今回も発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」ただし今回の新発見も難題です。私は高見彰七作品と思いますが、あまりに造形が独特なので確率80%として登録させて頂きました。(与次作品の発見により、弱気の認定となっています)(No.26) ・所在地: 愛知県豊田市京町 京町区民会館(京町公園北) ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率80%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から200cm 胸部幅55cm,胸部厚さ30cm先回、霊岩寺の謎のコンクリート像をご紹介しましたが、あの巨大な地蔵像には、この京町の観音像の現地調査に行き、近隣の調査で出会いました。観音像の寸法を計測していますが、ちょうど区民会館の始業時間で、さらに観音像側の窓が開けられ、窓際で計測している私の不審な行動が会館の皆さんには気になったことでしょう。ご迷惑をおかけしました。では、今回の観音像をご覧頂ください。独特のお顔で、従来の高見観音とは異なります。FDG公式さんによると、この観音像は移設とのことでした。もともとは付近の道の分岐点にあり、区画整備で移設されたとのこと。いかがでしょうか。眼には象嵌が埋め込まれています。推定・高見観音では、初の象嵌を使った眼となります。これは型を使うだけではできないでしょう。背面に粒径が大きな石が入っています。背面に粗いモルタルを使う、高見彰七作品の特徴があります。FDG公式さんからの写真を拝見した時、「この観音像はあれだ」と私は思いました。何を思ったのか、次回、お話ししますので、皆さんも御推察ください。【 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.13
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にほんブログ村 驚きの新事実が発覚しました。岡崎市 享禄山 見徳寺の観音像を覚えておられるでしょうか。リスト第2集No.23に、確率50%の高見彰七作品として登録した観音像です。「No.23 見徳寺」別の観音像の関係から、「FDG公式さん」の過去の公開情報を閲覧させて頂いていました。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」その中に、見徳寺の観音像によく似た観音像があるのに気づきました。「豊田市 八王山 春光院」FDG公式さんも、初めは高見彰七作品と思われたようです。しかし次の渡刈町の観音像に遭遇され、作家は「与次」であり、高見彰七作品ではないと考えられたそうです。「豊田市渡刈町 路傍」 (背面に「与次作」とある)春光院、渡刈町の観音像の画像はFDG公式さんからお借りしました。見徳寺、春光院、渡刈町の観音像は、全て「与次」作と思われます。胸に抱いた蓮の花、前に垂れた2本の紐なども共通しています。●「与次」とは誰か?与次のコンクリート像の造形が、高見彰七作品と良く似ています。これだけ類似しているのですから、高見彰七と無関係とは思えません。「与次」は「よつぎ」、つまり「世継ぎ」とも読めます。そのことから、高見彰七の弟子、または御親族かもしれません。自身を銘板に「高見彰七老人」と刻むほど洒落っ気がある高見氏ですから、後継者を「与次」としても不思議ではないでしょう。●「与次」は「雲岳」の様な存在か?あるいは浅野祥雲作品の例が思い出されます。浅野祥雲作品と酷似したコンクリート像には「雲岳」銘の像があります。雲岳は浅野祥雲と同一人物とも、別の人物とも言われ、まだ確定はしていません。与次と高見彰七が同一人物である可能性も否定できません。●なぜ見徳寺の銘板は剥がされたのか?見徳寺の観音像の銘板は剥がされています。「与次」と作家銘があったのであれば、剥がす理由は何でしょうか?これもまた不思議です。「与次」銘の登場で、高見彰七の謎がさらに深まりました。そしてさらに探究が面白くなってきました。見徳寺の観音像の判断は悩みましたが、「高見観音である確率50%」でまさに正解でした。「与次」銘の作品は、実際「高見彰七作品確率50%」の存在です。見徳寺や、FDG公式さんの画像データとの出会いや入手順序、その出会いに運命的なものを感じています。春光院をNo.24、渡刈町をNo.25に「作家銘:与次」として登録します。【 栗きんとん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.11
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にほんブログ村 享禄山 見徳寺のコンクリート像(モルタル像)、第3回です。●高見彰七作品とする理由 2 (紐)見徳寺の観音像の脚部をご覧ください。着物前に2本の紐が垂れています。そして向かって左の紐がやや短くなっています。では、浄嚴寺の高見観音を見ましょう。同じく、左が短い2本の紐が垂れています。これも多くの直立形の高見観音に共通した特徴です。●高見彰七作品とする理由 3 (足元)上記の浄嚴寺の高見観音をもう一度ご覧ください。多くの石像と同じく、高見観音でも脚が省略されています。そして向かって左の足元に、謎の「く」の字の表現があります。直立形,流れ形を問わず高見観音に現れる「く」。初め、これが何かわかりませんでした。ここで、古瀬間御嶽神社の高見観音をご覧ください。これを見る限り、「く」は着物の裾の表現です。たしかに石仏などでも、似た裾の表現はあります。そして「く」は、今回の見徳寺の観音像にもあります。前回の「ハス」、「指」、「腕」、今回の「2本の紐」と「く」。それらも含めて、私は見徳寺の観音像も確率50%で高見彰七作品としてリスト登録しました。【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その1」【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その2」ここで突然ですが、次回は謎のコンクリート像の情報提供を呼びかけます。高さ3メートル強の巨大コンクリート像と遭遇しました。高見彰七作品の特徴もありますが、浅野祥雲作品の特徴もあります。次回、その新発見(?)を公開します。【 ひんやり涼菓セット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.05
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にほんブログ村 享禄山 見徳寺のコンクリート像(モルタル像)、続きです。●まず初めに、この観音像は移設と推定されます。 観音像の背面をご覧ください。脚の部分に四角い凹みがあります。これはおそらく銘板を意図的に剥がした痕でしょう。寄進者や建立者の書かれた銘板を剥がすというは、観音像が当初はこの寺に寄進されたものではないからでしょう。銘板といえば、吉浜善光寺本坊 柳池院の観音像を思い出します。高見観音と推定しているリストNo.6の観音像です。●高見彰七作品とする理由 1 (蓮の花)今回の観音像の胸元を見てみます。胸元に抱えたハスの花が目立ちます。観音像といえば持物はハスの花ではありますが、このハスの持ち方は高見観音特有です。多くの観音像は下記の様に、花瓶に入ったハスを持ちます。さらに手の指は簡略化され、平面的な表現です。また多くの場合、左手が前です。腕も身体と一体化し、立体的な腕ではありません。立体的な腕は破損しやすいためでしょう。このハス、指、腕の表現は、直立形の高見観音の多くに共通して見られます。一例として、浄嚴寺の高見観音の画像を挙げます。ご覧ください。似た造形があるのがわかるでしょうか。次回、決定的とも言える、もうひとつの判別理由をお示しします。【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その1」【 もちぷりん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.03
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にほんブログ村 すっかり高見観音の鑑定士級になった皆さんに、問題作をご紹介しましょう。その問題の観音像があるのは岡崎市 享禄山 見徳寺です。1体の観音像があります。かなり特異なお姿の観音像です。私が発見後も悩んでいましたが、確率50%の高見彰七作品として登録します。(No.23) ・所在地: 愛知県岡崎市仁木町 享禄山 見徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率50%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から113cm,台座含めて126cm 胸部幅32cm,胸部厚さ20cm,裾幅48cm岡崎市にはもう1件、同名の「見徳寺」があります。ご注意ください。今回の見徳寺はこちらです。 〇享禄山 見徳寺: 愛知県岡崎市仁木町字東郷48・49まずはじっくりとご覧頂き、皆さんもお考え下さい。三角形のお鼻が印象的です。大きく開いた裾も独特です。問題作ですので、次回、細部を検証します。私がこの観音像を高見観音とする根拠を説明します。【 箸置き 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.01
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にほんブログ村 高見観音新発見のおしらせと現地確認です。今回も、ご連絡は「FDG公式さん」からです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」FDGさん、いつもありがとうございます。先日はイベントでお会いでき、嬉しく思います。さて、今回の推定・高見彰七作の観音像は路傍にあります。地元の生活道路の様な道ですので、とても自力では発見できません。(No.22) ・所在地: 愛知県豊田市御立町 路傍の祠 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形,高さ100cm,胸部幅22cm ・発見者: @FDG_official01 さん観音像の背後にある額内は「般若心経」です。今回は場所がわかり難いのでストリートビューを貼ります。ところで今回の観音像に似た高見観音があります。豊田市 浄法寺の観音像(No.13)です。比較してみましょう。「御立町 路傍」「浄法寺」直立形と流れ形の違いがあります。「御立町 路傍」「浄法寺」高見彰七氏は似た観音像を、直立形と流れ形のセットで製作したこともあるのかもしれません。次回は、再び私からの高見観音新発見のご報告です。ただし問題のある作品ですので、心してご覧ください。【 仕事猫 小学校 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.30
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にほんブログ村 以前から気になっていた豊田市の高徳寺。ペット供養にも力を入れている、活気のあるお寺です。写真の両側にある多数の写真は、供養されたペットの写真です。山門の前に観音像と石仏があります。近寄ると、間違いなく高見彰七作品、高見観音と判ります。多少の傷みがありますが、状態は良好です。塗装の残りらしき痕もあります。山間部の高徳寺まで来た甲斐がありました。高見観音、新発見です。(No.21) ・所在地: 愛知県豊田市九久平町 高徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 半流れ形,高さ97cm,胸部幅26cm,胸部厚さ19cm 台座Φ46cm×厚さ19cm私が半流れ形と呼んでいる直立形に近い体形。大きさも含めて、これぐらいが最も良いバランスに思えます。お顔も自然で、手を隠した表現も良いと思います。完成度が高い私のお気に入りのタイプの観音像です。次回は新発見(現地確認済み)のご連絡を頂いていますので、ご紹介します。【 仕事猫 幼稚園 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.28
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にほんブログ村 名鉄三河線で、終点の猿投(さなげ)駅に向かいます。先日、2体の高見観音をご紹介した名鉄土橋駅もこの名鉄三河線の沿線です。猿投駅から路線バス「おいでんバス さなげ・足助線」に乗ります。方向は百年草行、浄嚴寺前(じょうごんじまえ)で降ります。浄嚴寺はバス停の目の前、広い駐車場もあります。お寺入り口の説明板には、檀家も多い寺院とあります。浄嚴寺に来たのは、高見観音新発見の現地確認です。ご連絡は「FDG公式さん」からです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」高見彰七作の観音像は、本堂前にあります。白色に塗装された大きな観音像です。高さは、台座上の足元から顎下まで260cmが実測できました。その比率から、全高は約320cmと推定します。塗装され、維持管理も良いためか、側面を見てもひび割れなどはありません。戦没病没者供養のためとの銘板が台座背面にあり、建立年の記述、作家銘ともにあります。有志200名の寄付で建立されたともあります。作家銘に「老人」と付いているのがユニークです。昭和45年には、高見彰七氏は高齢だったということでしょうか。(No.20) ・所在地: 愛知県豊田市御船町 浄嚴寺 ・製作年月: 昭和45年6月吉日 ・作家銘: 宮口 高見彰七老人 ・特徴: 直立形,白色塗装,高さ約320cm,足元幅86cm ・発見者: @FDG_official01 さん大型、在銘で、年表上2番目に新しい。素晴らしい新発見だと思います。FDG公式さん、新発見のご連絡ありがとうございました。次回は、私からの高見観音新発見のご報告です。【 歴代郵便ポスト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.26
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にほんブログ村 先回の大林町の観音像までは。名鉄土橋駅から、駅前付近を除いてほぼ一直線の片道3km。大林町に行く前に、まずは途中の成就律寺に立ち寄りました。お寺に入って、すぐ目に留まったのがこの光景。遠目で高見観音とすぐわかります。ただ大林町の観音像(No.18)の現地確認のつもりでしたので、「これが大林町の観音像?」と頭が混乱しました。しばらくよく考えて、これが予想外の高見観音の新発見と気づきました。(No.19) ・所在地: 愛知県豊田市大林町 成就律寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ166cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cmNo.18と同様に、向かって左の眉が上がっています。側面のヒビ割れはほとんどありませんが、モルタルが後ろから前へ被さった様になってます。観音像の衣装の表現でしょうか。No.18の大林町道沿いの観音像とほぼ同一体型です。No.18とNo.19はとても似通っていますが、細部に違いがあります。ただ「同一型」から作られた可能性が否定しきれないように思います。また成就律寺については気になる点や興味深い石仏もあります。今は新発見が続いていますのでその御報告を優先しますが、落ち着いたら、成就律寺についてもご紹介したいと思います。【 ミケ猫は見た 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.24
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にほんブログ村 大林町の観音像は疑いなく高見観音として登録しました。小嶋独観さんを通じて、新たな方からも新発見があり、嬉しく思います。【前の記事】 「豊田市 大林町1」さて、等身大の立派な高見観音ですが、状態はよくありません。まず、類例が多い「ヒビ割れ」があります。さらに腕付近は「剥離」しています。足元はさらに酷く剥離しています。この様に剥離するということは、モルタルを重ね塗りしているのでしょうか。交通量が多い道路脇。環境も良くありません。補修をしなければならない状況です。妙楽寺に破棄された三好森下交差点の観音像の様に、不幸な状況にならないことを願います。【 仔猫珈琲 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.22
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にほんブログ村 高見彰七の観音菩薩像新発見のお報せがあり、現地確認しました。今回は「ふじわら」さんから、「小嶋独観」さんを通じてご連絡を頂きました。ふじわらさんは小嶋独観さんのH.P.の読者さんです。【小嶋独観@珍寺大道場さん】 「珍寺大道場」場所は愛知県豊田市大林町12-1-2です。センターラインはありませんが交通量が多い道路沿いにあります。この地域に詳しい方しか発見できない場所。ご連絡に感謝します。大きさは等身大。直立形の観音像です。高見彰七作品リンク集に登録させて頂きます。(No.18) ・所在地: 愛知県豊田市大林町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ164cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: ふじわらさん,小嶋独観さんふじわらさん,小嶋独観さん、ありがとうございました。また、今回は別の新発見の報告も兼ねての現地調査でした。そのため電車・バス・徒歩で移動しました。大林町へは名鉄土橋駅から、片道3km歩きました。その公共機関での移動が幸いして、私も思わぬ新発見をすることになります。次々回以降で、私の新発見とご連絡頂いた別の新発見を御紹介したいと思います。その前に、次回は今回の新発見の高見観音をもう少し詳しくご紹介します。【 執事 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.20
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像(モルタル像)「観世音菩薩像」編。第2集「観音菩薩」編、更新しました。(2024年10月10日)●(No.1)【高浜市 吉浜人形本店前】 「吉浜人形本店前 観世音菩薩」 ・所在地: 愛知県高浜市吉浜 吉浜人形前 ・製作年月: 昭和38年「花のとう」に合わせて開眼 ・作家銘: 「高見彰七」在銘 ・特徴: 「尼宮慈母観世音菩薩」 他2体 (半流れ形1,直立形1,流れ形1)●(No.2)【刈谷市 寿永山 昌福寺】 「昌福寺 観世音菩薩」 ・所在地: 愛知県 刈谷市野田町 寿永山 昌福寺 ・製作年月: 昭和46年8月8日 ・作家銘: 「豊田市 高見彰七」在銘 ・特徴: 「交通守護聖観世音菩薩」, 高さ3m前後 (直立形)●(No.3)【豊田市 古瀬間御嶽神社】 「古瀬間御嶽神社 交通安全観音」 ・所在地: 愛知県 豊田市古瀬間町 古瀬間御嶽神社 ・製作年月: 昭和40年7月16日建立 ・作家銘: 「宮口 高見彰七」在銘 ・特徴: 「交通安全観音」 (流れ形)●(No.4)【みよし市 森下交差点】 「みよし市 森下交差点 観音像」 ・所在地: 愛知県 みよし市三好町 森下交差点 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 白色塗装 (直立形),2022年11月頃妙楽寺に移設 ・発見者: @oimokotaroさん●(No.5)【岡崎市 真福寺仁王門前】 「真福寺仁王門前 家内安全観音」 ・所在地: 愛知県 岡崎市真福寺町 真福寺仁王門前 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 白色塗装剥離 (直立形)●(No.6)【高浜市 吉浜善光寺本坊柳池院】 「吉浜善光寺本坊柳池院 観音像」 ・所在地: 愛知県高浜市吉浜 吉浜善光寺本坊柳池院 ・製作年月: 昭和36年入佛 ・作家銘: 銘板はあるが無銘 ・特徴: 象嵌,銘板埋め込み。初期作? (直立形)●(No.7)【豊田市 中町】 「豊田市中町 子安観音像」 ・所在地: 愛知県豊田市中町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 前後型接合部に割目あり (直立形) ・発見者: @oimokotaroさん●(No.8)【愛知郡東郷町 愛知池展望台】 「愛知池 観音像」 ・所在地: 愛知県愛知郡東郷町 愛知池 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 鹿島建設施工 ・特徴: 大型・塗装剥離 (半流れ形) ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.9)【豊田市 高林寺 裏】 「豊田市 高林寺1」 「豊田市 高林寺2」 ・所在地: 愛知県豊田市 高林寺 裏 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 2体 (流れ形2) 大型観音像: 高さ160cm,最大幅40cm,最大厚さ40cm 小型観音像: 高さ 76cm,最大幅20cm,最大厚さ20cm ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.10)【長野県飯田市 来迎寺】 「長野県飯田市 来迎寺」 ・所在地: 長野県飯田市 来迎寺 ・製作年月: 昭和35年4月 ・作家銘: 高見彰七 ・特徴: 奉納者 今泉氏 (流れ形) ・確認者: MR2 さん●(No.11)【刈谷市 野田八幡宮近傍】 「野田八幡宮近傍」 ・所在地: 愛知県刈谷市 野田八幡宮近傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.12)【豊田市 浄法寺近傍】 「豊田市 浄法寺近傍1」 「豊田市 浄法寺近傍3」 ・所在地: 愛知県豊田市 浄法寺近傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形, 前後型に不整合あり ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.13)【豊田市 浄法寺弘法堂】 「豊田市 浄法寺弘法堂」 ・所在地: 愛知県豊田市 浄法寺弘法堂 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形 ・発見者: @FDG_official01 さん ・ kopanda06●(No.14)【豊田市 割目池】 「豊田市 割目池1」 「豊田市 割目池2」 「豊田市 割目池3」 ・所在地: 愛知県豊田市 割目池 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形 観音菩薩1,地蔵菩薩1 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.15)【豊田市 心学院】 「豊田市 心学院1」 「豊田市 心学院 2」 ・所在地: 愛知県豊田市 心学院 ・製作年月: 不明, 他所より移設? ・作家銘: 無銘 ・特徴: 台座に石臼流用, 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.16)【豊田市 野見御嶽神社】 「豊田市 野見御嶽神社1」 「豊田市 野見御嶽神社2」 ・所在地: 愛知県豊田市 野見御嶽神社 ・製作年月: 不明, 昭和62年3月松光院より移設 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 「しあわせ観音」, 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.17)【豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡)】 「豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡)」 ・所在地: 愛知県豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡) ・製作年月: 昭和40年10月18日 ・作家銘: 高見彰七 作 ・特徴: 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.18)【豊田市 大林町】 「豊田市 大林町1」 「豊田市 大林町2」 ・所在地: 愛知県豊田市大林町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ164cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: ふじわらさん,小嶋独観さん●(No.19)【豊田市 成就律寺】 「豊田市 成就律寺」 ・所在地: 愛知県豊田市大林町 成就律寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ166cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: kopanda06●(No.20)【豊田市 浄嚴寺】 「豊田市 浄嚴寺」 ・所在地: 愛知県豊田市御船町 浄嚴寺 ・製作年月: 昭和45年6月吉日 ・作家銘: 宮口 高見彰七老人 ・特徴: 直立形,白色塗装,高さ約320cm,足元幅86cm ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.21)【豊田市 高徳寺】 「豊田市 高徳寺」 ・所在地: 愛知県豊田市九久平町 高徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 半流れ形,高さ97cm,胸部幅26cm,胸部厚さ19cm 台座Φ46cm×厚さ19cm ・発見者: kopanda06(No.22)【豊田市 路傍】 「豊田市 路傍の祠」 ・所在地: 愛知県豊田市御立町 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形,高さ100cm,胸部幅22cm ・発見者: @FDG_official01 さん(No.23)【岡崎市 享禄山 見徳寺】 「享禄山 見徳寺1」 「享禄山 見徳寺2」 「享禄山 見徳寺3」 ・所在地: 愛知県岡崎市仁木町 享禄山 見徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率50%) 与次作と推定 ・特徴: 直立形,高さ台座上から113cm,台座含めて126cm 胸部幅32cm,胸部厚さ20cm,裾幅48cm ・発見者: kopanda06(No.24)【豊田市 八王山 春光院】 「春光院1」 「春光院2」 「与次とは?」 ・所在地: 愛知県豊田市 八王山 春光院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 与次作と推定 ・発見者: @FDG_official01 さん(No.25)【豊田市 渡刈町 路傍】 「渡刈町1」 「渡刈町2」 ・所在地: 愛知県豊田市渡刈町 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 在銘 「与次作」 ・発見者: @FDG_official01 さん(No.26)【豊田市 京町区民会館 】 「京町区民会館1」 「京町区民会館2」 ・所在地: 愛知県豊田市京町 京町区民会館(京町公園北) ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率80%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から200cm 胸部幅55cm,胸部厚さ30cm ・発見者: @FDG_official01 さん(No.27)【名古屋市 日泰寺】 「名古屋市 日泰寺」 ・所在地: 名古屋市 日泰寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 未確認 ・特徴: 半流れ形,白色塗装 ・発見者: おいもさん( @oimokotaro )(No.28)【豊田市 路傍 観音像など5体】 「観音像など5体」 ・所在地: 豊田市 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 5体(宝船,彩色仏像含む) ・発見者: kopanda06・・・・・・・・・・ リンク集 ・・・・・・・・・・●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【リンク集4「妙楽寺の石仏群」編】 「妙楽寺」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」【 すべり台にゃんこ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.18
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