備  忘

2019/12/08
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
​​
今日は太平洋戦争開戦の日だ。

1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が始まった。

今から78年も前だ。

1945年(昭和20年)8月15日に日本の敗戦で

戦争は終わった。

3年と9か月続いた戦争で

軍人等が230万人一般国民80万人

合計310万人の国民が亡くなった。

8月の終戦記念日が近づくと

太平洋戦争の悲惨さを伝える特別番組がよく放映されるが

真珠湾攻撃をした開戦の日の事はあまり放映されない。

マスコミ的にはあまり興味がないのかな?

あまり思い出したくない日なのかもしれない。


ワタクシは右翼でも左翼でもない

取り柄のない人畜無害なジジイだと思う。

広島に行けばついでに平和記念公園行くし

長崎に行けば平和公園にも行く。

神も仏も信じないけど寺にも神社にも教会にも行く。


数日前には暇だったので

鹿児島の知覧まで行って来た。

知覧は太平洋戦争末期に特攻と言う

人類史上、類の無い本当にバカで愚かな

飛行機もろとも敵艦に体当たり作戦を決行した事で

知られている。







特攻機と言えば「ゼロ戦」のイメージを持つ人が多いが

「ゼロ戦」は海軍の飛行機なので

海軍は同じ鹿児島県だが鹿屋基地から特攻に出撃した。

知覧は陸軍の基地なのでここから出撃したのは

陸軍の戦闘機「隼」や「飛燕」だった事はなぜか知らない人が多い。

学校ではこんな事は教えていないから仕方がないか!



知覧の特攻平和会館には

特攻隊員の遺品や遺書を展示してあった。

特攻に出撃して行ったのは

20歳前後の若者たちが大多数だ。

なんとも切ない気分になる。

遺書に「天皇陛下万歳」や「悔いは無し」なんて書いてあるが

こんなのはみんな嘘だろう。

言論統制された中で

手紙類はみんな検閲されると分かっている。

実際に「検閲済」の判が押してある展示物がたくさんある。

本当の気持ちなんて絶対に書けるはずがない。

国の為に喜んで死にますなんて本当に思った人は

ほとんどいないのではないか?

志願と言う名の強制や召集令状一枚で集められ

親や妻や子供を残して

喜んで死にますなんて言えないだろう。



ワタクシが幼少の頃お世話になった

海軍の写真班あがりのおっちゃんが言っていたが

戦争に反対して特高警察に捕まって

拷問され獄死した人もいたらしいが

家族・親戚一同は非国民の身内として

悲惨な生活を送らなければならなかったらしい。

それは嫌だから志願して特攻の道を

選んだ若者も多かったと聞いた。

ワタクシが小学生の頃、近くの家、数軒に

「遺族の家」と書かれた札が貼ってあった。

子供の頃は「遺族」という意味がもう一つ判ってなかったが

物心ついてからは、 この4文字はとても悲しい思いがした。

愛する家族が戦場に散るという事は

残された家族にとってはものすごく辛い事だと思う。

本当に戦争は悲惨だと思う。

70数年前には生きたくても生きることが出来なかった

若者たちがいた。

それを今の若い人に言っても

なかなか理解できないかもしれないが


ワタクシは今

戦争のない

平和な時代を過ごすことができて幸せだと思う。

願わくばこの平和な世の中が

孫やひ孫その先の先の代まで

永遠に続く事をを願っている。
​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019/12/08 11:45:38 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: