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(自我の終焉:p382:J.クリシュナムーティ:根木宏・山口圭三(訳):篠崎書林)より引用『あなたはその経験について他の人に伝達するかもしれません。しかしそれを伝達するとき、それが真の経験であるなら、その経験の背後にある感情や、その言葉の裏の情緒的な内容は完全に消えてしまっているのです。』(このあと、「その(直接の)経験」の例として、「思考者が思考である(観察者とは観察されるものである)」を取りあげています)「事実の直接の体験」には、言葉によって生み出される感情や情緒的なものは含まれないので、その経験について伝達を試みるときには、感情や情緒から離れて、単純に事実の伝達を試みることになるのでしょう。
2007年10月31日
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「自分が何ものでもない」というのは、意見だし、言葉にすぎないけれども、「自分が何ものでもないという感じ」というのは、実感である。 結局のところ、人は実感によって導かれる。
2007年10月28日
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(自我の終焉:p368/369:J.クリシュナムーティ:根木宏・山口圭三(訳):篠崎書林)より引用『私たちは、家、形式、名前、家具、銀行預金、意見、酒やコーヒーなどの興奮性飲料というようなレッテルと同一化しているのです。私たちは皆、このように名前によって表わされた物なのです。こうして物や名前やレッテルが重要になってしまったのです。 そういうわけで中心とか核というものは、要するに言葉なのです。 もし言葉やレッテルがなければ、果して中心は存在するでしょうか? そこには分解と空虚が生じているのです。しかしそれは恐怖を伴う空虚ではなく、全く違ったものなのです。 そこには自分が何ものでもないという感じが生まれるのです。』
2007年10月28日
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物家道
2007年10月24日
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「人生をどう生きますか?:クリシュナムルティ:大野龍一(訳):コスモス・ライブラリー」の原題が、とても魅力的です。『What Are You Doing with Your Life ?』 どうです? うーん、まいったなって感じ、しません?
2007年10月21日
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(クリシュナムルティの日記:p50/p51:宮内勝典(訳):めるくまーる)より引用『あなたの心や精神は小さすぎて、思考による物事しかつかめない。そんなものは不毛だ。 もっと遠くへ、遙か遠くへ、すべてを置き去りにして谷から離れていきなさい。そうしようと思えばいつでも帰ってこれるし、置き去りにしたものを拾い上げることもできるのだ。しかし、すべてがもとの重要性を失っているだろう。 あなた自身が変わっているはずだ。』
2007年10月18日
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ボート椅子
2007年10月14日
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知覚は思考でできていないので、知覚について思考することはできるけれども、知覚についての思考は、知覚とは別である。
2007年10月11日
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きょうは、公園で、木の下のベンチに横たわって、風に揺られる葉と枝を眺めていたら、なんとも妖しく、きらめいていました。 この世は、こんな見事な状況を、惜しげもなく与えてくれているのだから、たしかに、ブッダがおっしゃったと言われているように、『この世界は美しいものだし、人の命は甘美なものだ』『人がこの世に生まれたならば、生きているのは楽しいことだ』
2007年10月10日
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(いかにして神と出会うか:p78:クリシュナムルティ:中川正生(訳):めるくまーる)より引用『ある問題に直面したとき、心はいつも出口を探そうとする。解決、克服、迂回、あるいは乗り越えられないかと試みたり、その問題を抱えたまま何かをして、問題に向き合ったり離れたりしている。 もし、心がどちらの方向にも動かず、内部にも外部にもまったく動きが見られないとき、しかも問題だけが存在するときには、当の問題は弾けてしまうだろう。』
2007年10月07日
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きょうは、夕方、公園で寝ころんで空を見ていました。 視野の端の方では、樹のてっぺんあたりの葉が一枚一枚、ちらちら揺れていて、視野の中央では、いろんな姿の雲がゆったりと流されてゆきます。
2007年10月04日
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(いかにして神と出会うか:p89:クリシュナムルティ:中川正生(訳):めるくまーる)より引用『鈍い心、無頓着な心は気づくことはない。判断することなく見ること、そこで起こっていることを正確に知ることが、気づきである。したがって、いまこの瞬間において、気づくことなくして神や真実を探そうとしても無駄である。それなら、まだしも寺に駆け込んだほうが楽だろう。しかし、それは頭でものを考えるだけの世界へ逃げ込むことである。真実在を理解するには、それを直接知らねばならない。 しかし、真実在が時空の中には存在しないことははっきりしている。 それは現在に存在し、その現在とは、われわれ自身の考えと行為である。』
2007年10月04日
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