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(恐怖なしに生きる:p214:J.クリシュナムルティ:有為エンジェル(訳):平河出版社)より引用『脳そのものが独自のリズムで活動しているわけですが…「脳独自の」です。 思考に強いられた活動ではなく…』 脳に干渉しないこと…
2007年11月29日
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(恐怖なしに生きる:p189:J.クリシュナムルティ:有為エンジェル(訳):平河出版社)より引用『人はともかく徹底的に、しかも自然に苦もなく「権力」と「成功」から離れねばならない。 そして選択なしに直面し、理解し、気づかされるとき、残骸(記憶)や孤独がまったくちがった意味をもつようになる』
2007年11月28日
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自転車海の近くイナリ湖(フィンランド)
2007年11月28日
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この世が幻であると、しっかり実感されるなら、生きていて何をしているだとか、何をしたってどうせ死ぬんだから、だとかいったことは、まったく問題ではなくなり、自由で豊かである。
2007年11月27日
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カサブランカ
2007年11月27日
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(あなたは世界だ:p116:J.クリシュナムルティ:竹淵智子(訳):星雲社)より引用『事実は、あなたがたが観察することであり、意見を必要とはしないのです。 事実とはなにかということをわざわざ話してもらう必要はありません。 観察することができれば、それはそこにあるのです。』 事実についての考えは、事実ではなく、意見や判断である。 事実は言葉でできておらず、事実は瞬間ごとにそこにある。
2007年11月26日
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「子供たちとの対話:J.クリシュナムルティ(著):藤仲孝司(訳):平河出版社」を読んでいると、これまたすばらしい本なんだけれども、こんなこと子供に語れる教師なんて、クリシュナムルティひとりしかいないんじゃないかな、と思える。 それにしてもすばらしい本だな。教科書にすればいいのにな。
2007年11月25日
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一人暮らしをしていると、自分の家は、チェックインやチェックアウトの時間の無い、いつでも気軽に利用できるホテルみたいなものだ。 よく見ると、そこには、見たことのない、壁や床や道具が並んでいる。
2007年11月25日
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この世において、自分の作ったもの、自分の所有物など、いっさい無い。 自分の感覚も、自分の頭に流れている言葉も、自分の所有物ではない。 そもそも自分の体や脳が、自分の作った物ではないのだから。 体や脳が、自分のものではないのだから。 そもそも「自分」が、実体ではなく、作り話なのだから。 だからこそ、自由で豊かである。
2007年11月25日
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言葉抜きの知覚
2007年11月22日
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(恐怖なしに生きる:p168:J.クリシュナムルティ:有為エンジェル:平河出版社)より引用『恐怖と、そのさまざまな形態である罪悪感、不安、希望、絶望などは、関係から生じるあらゆる動きの中につねにある。 それは安心感を求めるときに決まって生じる。』 罪悪感、不安、希望、絶望が、恐怖のさまざまな現われ方だというのは、何と見事な洞察なんだろう。
2007年11月21日
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(白い炎:p128:クリシュナムルティ:大野純一(訳):コスモス・ライブラリー)より引用『生の目的は、私によれば、いかなる伝統にも、いかなる形の思考にも捕らわれず、完全に、全面的に、優雅に自由になること、依存せず、自足することです。これを、思考の腐敗に他ならない自己満足と混同しないでください。』 クリシュナムルティは本気だけれども、いかなる形の思考にも捕らわれないだなんて…刻々と自由であるだなんて…
2007年11月18日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー1:p253/254:クリシュナムルティ:大野純一(訳):春秋社)より引用『「しかし、どうしたらよいのですか?」 あなたは、その質問を繰り返し続けておいでだ。あなたが何をなすべきかは、重要ではない。 肝要なことは、あなたが何をしているかに気づくことなのだ。』 ポイントは、本当に、この一点なのかもしれない。 意識あるかぎり、できるかぎり、していることに気づくこと。
2007年11月14日
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感動した風景/光景をもういちど見たいと思ってうまくゆかなくなる理由は、瞬間ごとの風景/光景が、どれもこれもうっとりする場面であることに気づけず、感動したある特定の場面にこだわってしまうからだろう。
2007年11月10日
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結局のところ、言葉を使って考え抜くことは重要である。なぜなら、「言葉は事実ではない」という文章をきちんと理解するには、言葉抜きの知覚だけではなく、言葉を使っての把握が必要なのだろうから。
2007年11月10日
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(恐怖なしに生きる:p131/132:J.クリシュナムルティ:有為エンジェル:平河出版社)より引用『言葉による説明とともに、言葉によらない知覚もなければなりません。というのも描写は事実ではなく、それは言葉で述べられていることにすぎないからです。 説明は明らかに説明されている事柄ではありません。言葉は決して事実そのものではないのです。』
2007年11月08日
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頭に流れている言葉と一体化しているときには、目がきちんと見えていない。 頭に流れている言葉に気づくと、目がきちんと見えるようになる。すると、頭に流れていた言葉が消えることもある。 頭に言葉が流れていないときには、言葉に逃げようとしなければ、目はきちんと見てくれる。
2007年11月07日
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「私はさまざまな要因によって条件づけられている」というのは、誤解を招く表現だ。 じつのところ、「さまざまな要因による条件づけが「私」を作る」のであって、条件づけがなければ「私」はいない。 条件づけと「私」は、同時に発生する。
2007年11月05日
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電車たち駅細部
2007年11月05日
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(自我の終焉:p418:J.クリシュナムーティ:根木宏・山口圭三(訳):篠崎書林)より引用『生きること自体が初めであり、同時に終わりなのです。 問題なのは、私たちの人生が空虚であるために、私たちが人生の目的を求め、それに向かって努力しようとすることなのです。 そういう人生の目的は何の現実性も持たない、単なる知的遊戯に過ぎません。』
2007年11月04日
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以前に書いた文章を読んでいたら、ちょっと気に入った言葉がありました。 僕の墓とは、僕の記憶のことだ。 僕は、僕の墓の中で暮らしている。 墓に入りたくなければ、記憶の中で暮らさないことだ。
2007年11月04日
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(自我の終焉:p396:J.クリシュナムーティ:根木宏・山口圭三(訳):篠崎書林)より引用『挑戦は常に新しく、問題は常に新しいのではないでしょうか。 たとえば、あなたの昨日の問題はすっかり変化してしまって、あなたが今日その問題にぶつかったときには、それはすでに新しいものなのです。 しかしあなたは古いものを持ってそれに出会うのです。』 ああ、そうだな…一瞬たりとも、同じ出来事は起こりはしない。
2007年11月01日
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