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自分というものを考えるときには、そのときどきの自分に似た人たちが参考になりやすい。自分に似た(似た面が多い)人はそんなにいないようでも、100人に1人とか、1000人に1人くらいはいるものだ。(ある面に関して似た人なら、10人に1人くらいはいるかも)自分に似た人の言い分は、ふにおちやすい。
2019年01月31日
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考え方というのは、たかが生きる方便であって、自分の都合のいいように、その都度変えていい、とみなすなら、(自分の都合で考(変)えてはいけない、という考え方もあるわけだけれども、それはそれで、ひとつの考え方でありひとつの方便である)私の行動がその時々の私の考えによって左右されるのであってみれば、考え方を都合よく変えさえすれば、これまで考えもしなかった都合のいい行動ができる(かもしれない)
2019年01月28日
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えいごの解説ではありますが、そんなの聞く必要なくって(もちろん、聞ければ聞けばいいのですけど)、言葉抜きで、雪と生き物の映像が、まったく美しいです。雪(自然)の美しさ(クリックしてね)
2019年01月26日
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「この世界」というのは、人間の感覚器官を通して、「物」だとか「時間」だとか「空間」だとか「宇宙」だとか「生命」だとか「存在」だとか、みなしているわけで、そうした事柄を受信する装置(を有する生命)が消滅すれば、「この世界」もまた消滅する。
2019年01月24日
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しなければいけない(と思いこめる)ことがあれば、とやかく考えずにやるのだけれど、しなければいけない(と思いこめる)ことがないからといってぼんやり過ごすのが苦痛なら、できるだけつねに何をするか決めることになる。とか言いつつ、したい(と思いこんでいる)ことばかりしていると、優先順位をまちがうことになる。まずは、日々、一定のじかん(個人的には1じかんほど)思考を落とそうと試みるじかんを作ること。しっかりしていないと、どうしても、したいことにかまけてしまい、自分で作ったルールを守らなくなってしまう。「思考を落とそうと試みる」のすごいところは、うまくゆけば「思考を落とそうと試みる」こと自体が享楽(身心とも)になっている。■(私のための個人的な生活の手引き) 体操と散歩と合わせて日に1時間くらいは、体を動かす。合わせて日に1時間くらいは、思考を落とそうと試みる。できるだけ、ぼんやり過ごさない。自分の行為・認識を、あたりまえだとみなさない。生きているのはつねに不思議な状況だと(できるだけ)確認しつづける。
2019年01月21日
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ツイッターで救われた亡命者の話です。亡命者のツイッターが拡散し、国が話し合ったらしいです。ツイッターで救われた亡命者(クリックしてね)ただ、こんなにうまくいくのは例外なのでしょうけど…
2019年01月18日
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. 自由の猿緑色の猿 群れて狭く深い川 挟んで黄色いサル 投げたキャベツを食べながら水面へ沈む水中から見る月のうつくしいこんなことを自由と呼ぶのだろうか(アノネ)
2019年01月16日
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ぼくは、漫才(というか、お笑いいっぱん)のおもしろさは、ほとんどわからないのですが、この、島田紳介さんの漫才についての理屈(講義)はおもしろいです。島田紳介さんの講義(クリックしてね)でも、理屈はおもしろいのですが、実践された漫才なりお笑いなりは、個人的には、残念ながら、あまりおもしろくないです…でも、講義はおもしろいです。
2019年01月13日
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僕は、個人的には、ルールとか規則とか作るのが大好きなのですが、現実のこの世では、ルールとか規則とか、ほとんど「?」と思うことの多かりき。
2019年01月10日
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「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」を見ました。1973年に実際に行われた、女子テニスチャンピオンvs元男子テニスチャンピオンの試合(「The Battle Of The Sexes」という名で宣伝された!)にまつわる映画です。ほとんどの登場人物たちに(個人的には)それなりに共感(?)できる映画で、おもしろかったです。画面の切り取り方がとても格好いいです。
2019年01月07日
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思考錯誤に時間を使い過ぎると、試行錯誤のけっか見い出した方式を利用する時間が残っていなかったりもする。思考錯誤の結果を利用する時間があったとしたって、思考実験によるとうまくいくはずなのに、実際にやってみると思わぬことになって、うまくゆかないこともあるけれど、次の役に立つ。「実際にやってみる」はおもしろい。
2019年01月06日
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トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」という小説の冒頭部分の十数ページほど(とくに1ページ目)が大好きです。10代の頃も好きだったし、今だに好きです。(ただ、残念ながら、主人公が登場してから後は(ようするに、小説本体)あまり好きではありません)新潮文庫から村上春樹さんの訳と龍口直太郎さんの訳が出ていますが、(と書きかけて、ちょっと気になって調べてみたら、龍口直太郎さん訳(旧訳)の方は中古しかなく、絶版でした)1ページ目の終わり辺り(僕にとって最高の辺り)を引用してみます。龍口直太郎さん訳は、『たった一つしかない窓は、非常口に向って開くようになっていた。そういうお粗末なところだったが、ポケットの中でこの部屋の鍵に手が触れるたびに、私はとみに元気づくのであった。いかにも陰気臭いところではあったが、それでもそこは、私自身の場所と呼べる最初のところであり、そこに私の書物があり、削る鉛筆が何本も立っている鉛筆立があり、そのほか私がなりたいと思っていた作家になるために必要とすると感じた、ありとあらゆるものがあったのだ。』村上春樹さんの訳だと、『窓はひとつしかなく、それは非常階段に面していた。とはいえ、ポケットに手を入れてそのアパートメントの鍵に触れるたびに、僕の心は浮き立った。たしかにさえない部屋ではあったものの、そこは僕が生まれて初めて手にした自分だけの場所だった。僕の蔵書が置かれ、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立ての中で削られるのを待っていた。作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。』でも、なんといっても原文ですね。原文は、『The single window looked out on a fire escape.Even so, my spirits heightened whenever I felt in my pocket the key to this apartment; with all its gloom, it still was a place of my own, the first, and my books were there, and jars of pencils to sharpen, everything I needed, so I felt, to become the writer I wanted to be.』では、僕も翻訳に挑戦してみましょう。『ひとつしかない窓が非常階段に面しているような部屋だったけれど、ポケットの中でアパートの鍵に触れるたび、わくわくしたものだ。なんとも陰気な部屋にせよ、はじめての、僕のための場所だった。本とか、削る鉛筆の何本も入った鉛筆立てとか、そのほか、なりたかった作家になるために必要と思われるすべてがそこにはあった。』まあ、なんというか、小説を書きたかった若い僕は、小説を書こうとしている青年に感情移入したわけですが、けっきょくのところ僕の方は挫折し、けれども、小説を書くことには挫折したけれども、もっともっと不思議な体験を手にいれることになるのでした。
2019年01月02日
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