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2011年12月10日
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「白土三平伝」毛利甚八 小学館
四方犬彦氏の「白土三平論」 が白土三平評伝の決定版だと思っていたのであるが、これはあくまで作品論であった。今年さらにその上を行く決定的に面白い本が出た。

毛利甚八氏は「家裁の人」で知られるマンガ原作者であるが、千葉の白土家へ何度も足をを運び、白土氏から直接白土の人生を聞き、そしてなおかつ白土の住んでいた土地を調べて尋ねる、というドキュメンタリー作家の王道の調査を行った。実に面白い伝記評論だった。

いくつか興味深かった点をメモする。

戦前、プロレタリア画家の父・岡本唐貴は東京、大阪を転々としていたが、一時期大阪の鶴橋の近くにある朝鮮人部落にすんでいた。苦労して毛利氏はその地を突き止める。ここで幼い白土は高さんという人と仲良くなる。この辺りに、カムイ伝の被差別部落の原風景がありそうだと、毛利氏は考える。特に苔丸や竜之進が非人部落に逃げ込み、被差別の暮らしを身をもって体験し、自分の常識を高めていくというモチーフはここら辺りにあるだろうと。

少年のころ、白土氏は「水中世界」という魚と漁をする人との葛藤の話を描いていたと言うのを聞いて毛利氏は思わず言う。

白土氏は問われることが心外だという顔つきでこう答えたという。
「だって、強い者から見る体験をしてないもの」


社会への目覚めは早い。
昭和21年(14歳)のころ、東京でアルバイトをしたりしているが、単独講和反対のデモに出かけたりもしている(19才のころ?)。

そのころ、父・岡本唐貴もプロレタリア芸術運動の路線をめぐって仲間との乖離が進んでいたようだ。(「岡本唐貴自伝的回想画集」東峰書房1983)

日本共産党へ入党申請をしてなぜか申請を受け付けてもらえなかったらしい。どのような事実関係があったのかは不明だ。今では調べようはないかもしれない。

1952年、20歳の登青年は血のメーデー事件の現場に居た。まるで白兵戦のような現場で、人が撃たれた所も見たという。「これは「忍者武芸帳」や「カムイ伝」にとって役に立った」と白土氏は証言している。確かに絵を描く人間にとっては決定的な体験だったろう。そして、 ここまでの人生経緯がまさに父岡本唐貴(本名は登)の人生と瓜二つだった と言うことは、既に書いた。そういえば、白土三平の本名も「岡本登」である。そうやって、父から子へ「影丸」のように「サスケ」のように、「何か」が受け継がれていくことを「宿命」のように背負っていたのが、白土三平という人生だったのかもしれない。

「ガロ」という雑誌名は白土作品の忍者名から取られたものであるが、我々の道という「我路」という意味合いがあった他、アメリカマフィアの名前も念頭にあった戸という。

「カムイ伝」初期の小島剛夕との協力の仕方や、別れ方がこの本で初めて明かされていて、びっくりする。

白土は岡本唐貴の血を受け継ぎ、長男家長の役割を生涯持った。その白土が今独りになっている。残念でならない。

千葉の大多喜町に商人宿があり、白土がやがて「カムイ伝」の仕事場として使い、若きつげ義春が一人残されて大きく脱皮する舞台になったという。この商人宿がまだ残っているならば、せめて当時の風景が残っているならば、ぜひとも一度は尋ねて見たい場所になった。

白土の「様々な人物やモチーフが重層的に描かれていく」長編小説の手法は、白土の口から出てきたこととして「戦争と平和」「静かなドン」を読んだ記憶から得ているという。

「カムイ伝」第一部が終ったあとになかなか続きを書くことができなかった理由は度々証言しているが、今回一歩踏み込んだ発言があった。
「情勢が変わってしまい物語を書きにくくなった。新左翼とかが出てきて状況が変わってきたし、共産国がうまくいっていないことがわかっていた。俺自身も、これ以上仕事をすると身体がぶっ壊れちゃうのが分かっていた」
新左翼が「革命のバイブル」と持上げたのは、白土にとっては迷惑だったのかもしれない。また、おそらく共産主義的ユートピアの崩壊或いは北海道の地で僅かに実現、というイメージを第二部以降に持っていたのかもしれないが、それの修正を余儀なくされたのだろう。だから、我々は一生待っても、アイヌの蜂起に竜之進やカムイが参加するという物語は見ることができない、ということなのだろう。
「主題はアイヌと組んで、いろんなことをやる群像が居て、一つのことを追求すると、多くのことが失われるというようなドラマを考えていた。その群像を持つ過去を描くのが第一部で、第二部はその人物たちの放浪と白いオオカミの物語を考えていたんですがね。」

しかし、白土のドラマつくりの特徴は同じテーマが繰返し、繰り返し、現れるというところにあった。

「カムイ伝」第二部の特徴は、毛利氏が述べているように千葉・内房の海に暮らした体験と教育論にあるのかもしれない。ただ、それからはみ出ているところが、実は白土の白土たるところなのだと私は思う。第二部はずっと雑誌で読んでいて、実は途中で単行本も買わなくなった。しかし、もう一度その全体像を再検討するべきなのかもしれない。

白土三平という漫画家の全体像を、別の言葉で言えば、戦後マンガ史の全体を明らかにするために劇画界の大きな峰の全体像を明らかにするべき時期が来ている。この本はそのための、そのためだけの本である。






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最終更新日  2011年12月10日 17時49分19秒
コメント(10) | コメントを書く


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Re:「白土三平伝」戦後マンガ史に貴重な成果(12/10)  
薔薇豪城  さん
 何しろすごい人ですよね。悠々と好きな釣りをたんのうしている「老後」も、許してあげたい。
 大多喜町の商人宿、探してみますね。私はつげ義春の「西部田村事件」の現地を探したらほんとうに西部田部落があってびっくり。大多喜町のそばです。 (2011年12月10日 22時18分20秒)

ぼろぼろ  
まろ0301  さん
 カムイ伝は、ぼろぼろになるまで読みました。ホントにぼろぼろになり、本自体が解体していったので、愛蔵版を買いました。
 戦後の漫画史の中で、特異な一冊であることは確かだと思っています。私にとっての漫画の神様は手塚さんですが、何度も繰り返し読んだ漫画となるとカムイ伝かもしれません。
 その後、「ビッグ・コミック」で<神話伝説シリーズ>等が連載され、カムイ伝の第二部も連載されましたが、何の記憶も残っていません。
 あの第一部だけで白土さんは漫画史に名を刻んだと思っています。 (2011年12月11日 00時04分38秒)

Re[1]:「白土三平伝」戦後マンガ史に貴重な成果(12/10)  
KUMA0504 さん
薔薇豪城さん
> 何しろすごい人ですよね。悠々と好きな釣りをたんのうしている「老後」も、許してあげたい。
> 大多喜町の商人宿、探してみますね。私はつげ義春の「西部田村事件」の現地を探したらほんとうに西部田部落があってびっくり。大多喜町のそばです。
-----
是非とも探してください。
それを目標に千葉へ絶対に旅します。 (2011年12月11日 11時11分24秒)

Re:ぼろぼろ(12/10)  
KUMA0504 さん
まろ0301さん
> カムイ伝は、ぼろぼろになるまで読みました。ホントにぼろぼろになり、本自体が解体していったので、愛蔵版を買いました。
> 戦後の漫画史の中で、特異な一冊であることは確かだと思っています。私にとっての漫画の神様は手塚さんですが、何度も繰り返し読んだ漫画となるとカムイ伝かもしれません。
> その後、「ビッグ・コミック」で<神話伝説シリーズ>等が連載され、カムイ伝の第二部も連載されましたが、何の記憶も残っていません。
> あの第一部だけで白土さんは漫画史に名を刻んだと思っています。
-----
私も第一部はおそらく10回ぐらい読んだと思います。
ただ、神話伝説シリーズや女星シリーズ、カムイ外伝などもっと評価されるべきだと思っています。特に「鬼棚」と神話伝説シリーズの、一切セリフがなくて、洞窟で生まれた兄弟の一人が怪物で、やがて世界を支配し、兄弟のもう一つの系統がそれを倒すために、洞窟のなかで、命を繋いで行くという話は、まだ正統に評価されていません。60年代の作品もまだ埋れているのがある気がする。
白土三平の正統な評価は、これからなされるべきです。 (2011年12月11日 11時24分18秒)

It's enough 2 make U wanna lose your mind   
モンテヤマサキ さん
私はかつて白土読みの白土知らずと言ったことがある。

白土氏「これから世界はどうなると思っているの?」

毛利氏 「僕は政治の世界はもう終わっていると思うのです。人間が求めている世界のモデルは、すでにボブ・ディランやジョン・レノンのようなサブカルチャーの人々によって提出されています。ただ、政治はそういうモデルをまだ実現できず、追いかけている状況じゃないでしょうか」

1990年代はじめ、「社会主義は終わった」とはよく聞こえてきた。

「先日、私は若い人から「社会主義の国はきらいだ」という言葉をきいた。第一の理由は、衣・食・住が保障されることだそうである。日本ならば、たとえ失敗しても、いっちょうやってやろうという夢があるとのことである。社会主義のもとでは、どれもこれも平等にされ、与えられた仕事をするだけの無気力な社会だと思っているらしい。」ゴールデンコミックス版(1964年発行)のあとがき

若書きの頃は、質問した答えに呆れたさまを作品に直接書くという即興さがあり、白土氏の生の反応がみれるのが面白い。

これから世界はどうなるのか。1996年11月三平の食堂では「国富みて人は病み、山河は消ゆ」と簡潔にいい、「若い衆はスマートな乗用車を乗りまわして悦に入っている」

「それをわかっていながら、その道を歩むしか無い我々・・・」1995年5月カムイの食卓「コゴ」

「いや、そうではない。~政治に反対するしかない」1997年3月カムイの食卓「狸汁」

(2011年12月13日 19時00分31秒)

いっそ狂ってしまいたいと望むには充分by Prince  
モンテヤマサキ さん
その道を歩むしか無いのではなくて、唯一の手段は、「政治に反対するしかない」というのが白土氏の策なわけだ。
所変われば、政治も社会主義もアカの思想もうまく機能している国がある。アカなぞと差別して人をいびったのは、こことマッカーシズムの吹き荒れた所だけだ。北欧には無い差別だ。原子力廃棄が民主主義の機能により決定した所もある。ここの失敗を大いに参考にして。

しかし政治が終わっていては何も始まらない。「その目が大きく見開かれて三角にとがった」のは当然である。

白土三平は、赤目の、つまり親父の主旨を理解して、狂人になるか忍ぶかと色々選択を迫られたようだが、何とかうまく切り抜けた聡明な子供だった。東ドイツの秘密警察が隆盛する頃は、家族同士が見張る、という状況もあった。変な方向へいけば、白土氏には父親を売るということさえ選択肢にはあったはずだ。

成人しても主旨を理解できなかった、あまり聡明でない人が、伝記の作者になるというのも期待薄だが、あの本は面白いのでしょうか。。 (2011年12月13日 19時04分38秒)

Re:いっそ狂ってしまいたいと望むには充分by Prince(12/10)  
KUMA0504  さん
モンテヤマサキさん
面白いか、どうかは、読んでみないことにはわからない。 (2011年12月14日 00時35分09秒)

白土三平は他人に優しい  
モンテヤマサキ さん
毛利甚八が本を出す前に、「千葉の白土家へ何度も足をを運び、白土氏から直接白土の人生を聞く」様子は、カムイ伝全集発刊記念の宣伝の附録でネットの連載があったのでタダで読めた。

その13回の連載の中で、

白土氏「これから世界はどうなると思っているの?」

毛利氏 「僕は政治の世界はもう終わっていると思うのです。人間が求めている世界のモデルは、すでにボブ・ディランやジョン・レノンのようなサブカルチャーの人々によって提出されています。ただ、政治はそういうモデルをまだ実現できず、追いかけている状況じゃないでしょうか」

の会話があるわけだが、毛利氏の言を聞いた白土氏は。「その目が大きく見開かれて三角にとがった」というように態度が変わるのである。「これ以上何か言ったら逆鱗に触れそうで怖くなったから、黙った」と確かそのような意味の文章が続くのだが、その白土の腹の中身は、「政治に反対するしかない」と常々思う中、若い人は何を考えて居るか興味があったのだろうが、その答えは全く予想外の

「政治の世界はもう終わっている」

だったのだからたまらない。そりゃ自分に厳しく他人に優しいから、切れそうになるのを抑えたんだろう。。「その目が大きく見開かれて三角にとが」りながら。

俺なんかは、これ読みながら気の毒にと思ったもんだ。


今回ここで、「白土氏は問われることが心外だという顔つきでこう答えたという」を読んだ。

また心外か。どうも私には「外」ばかりが続いていくような予感がしてならない。漱石でいえば夏目鏡子の「漱石の思い出」があった。とてもじゃないが白土氏の相手は無理だったんじゃないだろうか。。。目線を大分下げてくれてるんだよ。
(2011年12月15日 00時48分11秒)

強制的抜忍と確信的抜忍  
モンテヤマサキ さん
カムイは天下国家を揺るがす重大な秘密を知ってしまったために抜け忍となる。強制的事情から抜け忍となるのだ。

またカムイの師匠に赤目がいる。この場合は、強制的ではなくて、忍びの世界を見渡して熟考した結果、決断してカムイより先に抜け忍となる。ここに強制的抜忍と確信的抜忍の違いがある。


生まれてくるのに親は選べない。白土三平氏は、赤目から、つまり親父から天下国家を揺るがす重大な秘密を知らされる。他人に話せば命はない。

「社会への目覚めは早い。
昭和21年(14歳)のころ、東京でアルバイトをしたりしている」どころではなくて、

敗戦前の12,3歳で強制的な選択を強いられ、なんとか切り抜けて生き残るのである。どんなに遅くても13歳の時には、もう社会を正確に観察し把握し得るという手本を見せられていた。どんなに偉いとされる学者・人物もあてにならない。しかし親父は違う。そんな風景をみていたのだろう。
この体験がカムイの抜け忍になる事情である。

つまり抜け忍という言葉は、白土氏にとっては、現実把握の原風景ということだ。漱石でいう「私の個人主義」福澤諭吉なら「独立自尊」に等しい。
これが本当に等しいかどうかはともかくとして、そのような体験を「強制的に」するのである。
(2011年12月15日 01時32分30秒)

みずから赤目になるとき  
モンテヤマサキ さん
幼少~12,3歳までに強烈な現実を知り、うまく切り抜けた白土氏であった。ちなみに白土氏は1932年生まれ、手塚治虫は1928年生まれ、手塚氏の著書によれば、彼は軍国少年だった。空襲の現実を知り、態度を変えたのは、敗戦後であったろう。手塚氏に限らず、漫画家で、おそらくは敗戦前に軍国日本を批判的に考えていたのは白土氏以外には居なかっただろうし、あっても余程の例外だ。久米宏や筑紫哲也よりも段違いに優れた大橋巨泉は1934年生まれ。彼も敗戦前は軍国少年で洗脳されていた。と自分で語っていた。

12,3で、敗戦前から白土氏は全然別物であったのだ。


戦後、腹を空かせた漫画仲間10人(水木しげる含む)ばかしに、スパゲティを奢るほどになった時、つまり経済的に多少の余裕が出来たとき、白土三平は再び大きな決断をする。今度は強制じゃない。しかし、加藤周一の言った大勢順応主義に埋没するかどうかを公言する重大な決断である。

つまり、赤目のやった確信的抜忍だ。


つまり、カムイと赤目が抜け忍になる、というのは全部マジ話で、作り事じゃないっていうことだ。それさえ掴めば第一部は読む必要がない。これが私の考える「カムイ伝の真実」である。 (2011年12月15日 02時11分07秒)

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