育児 0
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『ルノワール展』に行ってきた。http://renoir.exhn.jp/10時開場で10時半に着いたが、結構な人手。まぁ来やすいよね。ルノワールの絵の変遷を振り返ることができて初めての人にもわかりやすい。写真より不正確で時間もかかる絵画の意義がこの展示を見ていると伝わってくる。優れた技術をもって、時間をかけて、極めて儚い人生のほんの一瞬を切り取り、その時の思いをこめてキャンパスに閉じ込める。画家という人間がそれをしているから、同じ人間である我々という鑑賞者の心が揺り動かされる。特にこのルノワールは、子供を描いた時の果てしない優しさが卓越している。幸せな瞬間を切り取って、儚いはずの瞬間を永遠にしてくれる。他の誰にもできることではない。人工知能がレンブラントの新作を描いた、と話題になっているが、それがどうしたってなもんである。だらしないだけの醜い裸婦にどうしてここまでこだわったのは今の私には分からない。もう少し生きてみようと思う。ART BOOKルノワール 陽とバラの肌/ガブリエレ・クレパルディ【2500円以上送料無料】
2016年06月01日
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●得てして書けないもんだが以下の点について書く。・エロさ・「●悦」・アンドロメダを救う唯一の理由・センターで裸の後姿を見せつける大胆さ・聖母に対する抱いてはいけない感情・いやらしい流し目#エロ描写のみというわけではない
2009年03月21日
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●なんとなく心に留めていると、また触れられる虎ノ門にある「智美術館」でやっている「加藤唐九郎・重高・高宏 ―窯ぐれ三代」展http://www.musee-tomo.or.jp/exhibition.htmlやきもの展に行って、「志野焼」に衝撃を受けたのは確か一昨年のこと。「なんておいしそうなんだろう!」白い釉がクリームのように見える。全体的に何しろ優しい。食べてしまいたくなるやきもの、というのははじめて見た。桃山時代の陶芸の再現に力を注いだ加藤唐九郎の作品は写真集で見ていたが、実際に見るのはこれが初めて。懐かしさも感じさせるような志野・織部。やきものがそこに並べてあるだけで深呼吸したくなるような安心感がある。展示から出て行かなければならないのがなんだかさみしい。手元においていつでも見たい、という収集家の気持ちが分かるような気がした。あぶない。息子の重高はどちらかというと、大ぶりな作品に力を発揮しているような感じがした。確かに紫をうまく使った作品などもあり、父とは違う一面を見せており、うまいなぁとは思わせられる。孫の高宏はどちらかというと、可愛らしい、軽いタッチの作品であるように感じた。果物・・・桃のようなやきものは、それこそ「食べてみたくなるような」という感覚をつきつめたものだなぁと思われた。収集家になりたい、という夢の種が少し心に芽生える展示だった。#まずは金
2009年02月04日
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●美術鑑賞『ルノワール+ルノワール展』_オススメ度★★★(満点5点)『ルノワール+ルノワール展』。渋谷Bunkamuraでやっている。日曜とはいえ11時前に行ったせいかすいていた。これは企画の勝利かな。もちろん画家で有名なピエール=オーギュスト・ルノワールとその息子でこれまた高名なジャン・ルノワールの二人の作品を「共演」させた。54歳の時の子供であるジャン・ルノワールに対する、ピエール=オーギュスト・ルノワールの愛情。それを受けて育ち、その尊敬を自らの映画に投影するジャン。絵と映画のシーンの共通点・類似点を並べて見せて、親子の情愛を感じさせる。ジャン・ルノワールの映画は何作か観たことがあるが、また観てみたいなと思わされる。と思ったら、2月中は日仏学院やBunkamuraで上映していたらしい。4月からまたやるそうだが、間が空くとちょっとねぇ・・・。◇ルノワールの絵について感想・「後ろ姿で横たわる裸婦」なめらかな曲線と幸福な色に陶酔。・「帽子をかぶった若い女性」遠くから見てハッとした。帽子や服のうねうねとした曲線の美しさ。濃い色を使っているのだが、なんとなく淡くて非現実的なモデル。手のほうが全然顔より大きかったり、首が太すぎたりなどデッサンとしてはどうかと素人なりに思ったりもするがそんなことはつまらないことと思わせる絵。・「田舎のダンス」この展覧会の目玉の一つだが・・・。あれ?歯を見せて笑ってる。ルノワールにしては結構珍しい?調べようとは思わないが、滅多にない表情と感じた。・「テアトル・デ・ヴァリエテのボックス席」ボックス席の客の背中で画面の半分以上を占めている。これも珍しい構図だなぁと思った。一応背中の服の飾りや帽子を見せたかったのかもしれない。面白い。◇ジャン・ルノワールの映画・「草の上の昼食」カトリーヌ・ルーヴェルの池での入浴シーンは男なら目を奪われる(^^;#久しぶりの美術館で満足
2008年03月02日
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松屋銀座でやっている。昨日の日記で、プライベートはイマイチ、と書いたが、陶器や和の美術に関心を持ちだした、というのは大きな変化。今回もぷらっと寄った松屋で展示しているというので行った。展示自体はあまりピンと来なかった。遠州好みの茶入れや陶器があまりにも洗練されすぎていて、それほど感情移入できなかった、というあくまで個人的な好き嫌い。ビデオで流れていた、城作りや庭作りにも才能を発揮していたという話は面白かった。茶道具は実際に使ったことがないと、鑑賞するにもとっかかりがない。というわけで来年の目標に、【茶の湯体験】を追加することにした。あー来年も色々体験しよう、っと。
2007年12月31日
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●彼の写真も多く展示されており身近に感じることも出来る上野の森美術館でやっている「シャガール展」に行ってきた。真面目に見るのは10年以上ぶりかな。でも、彼の線・色は一目観ればそれと分かる。本当に彼独自の世界だ。少しくすんだ青色がシャガールのお気に入りの色かと思っていたが、違った。ものすごくいろんな種類の色を使っている。青・赤・黄、などなどなんでもあり。見ているだけで楽しい。展覧会図録をちょっと読んだら、同時代に生きたピカソのことをライバル視していたらしい。で、ピカソはシャガールのことを「ルノワール以来の色彩の使い手」と高く評価していた様子。シャガールは1987年没、ピカソは1973年没。ピカソはともかく、物心ついたときに?シャガールはまだ生きていたんだなぁ。。。重力に囚われず浮遊している絵の中の人物も楽しい。シャガールの絵本があったら買いたいな。線が柔らかいよね。迷いなくすーっと描く感じ。でっかいロバとかたまにぎょっとする題材も取り上げるが、基本的に胸にストン、と落ちる感じの絵が多くて楽しい。あー、よかった。日曜日午後に行ったが、それほど混んでなかった。#俺にでも描けそうな、と錯覚可能。
2007年11月04日
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●頼むからホントみんな来ないでくれ上野の東京国立博物館でやっている「大徳川展」に行ってきた。金曜休んで14時半くらいに着いたのだが、盛況。国宝、重文がなかなか多い。漫画「へうげもの」で日本の文化・茶器に関心が高まっている?中、やっぱり注目は茶入「初花」。渋いなぁ・・・。たかが茶入、されど茶入。この曲線と、この色の味わい。茶杓「泪」は良さがなかなか分からないが、由来や名前のセンスに、ちょっとやられた、と思う。このHPで展示品が少し見られる。行った後、振り返るのにもいい。千姫婚礼調度品も豪華絢爛。黄金の茶器って馬鹿馬鹿しいけど、本当にそれを作ろうと言う発想がすごい。そうそう、大名物「大高麗茶碗」「白天目」を見て、前で見ていたオッチャンが、「こんな茶碗、100円ショップでも売ってそうだなぁ」と笑っていた。そのオッチャンに効果的なツッコミが出来ない以上、そのオッチャンのことが笑えない・・・。混んでいるのはホント閉口だったが、もの凄く長い時代支配を行い、日本の精神に多大な影響を与えた徳川時代の文化に触れることは貴重だと思う。お勧め。#見学後疲れて椅子で30分熟睡
2007年10月19日
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●コレクターってうらやましい3月23日の日記に書いたが、出光美術館でやっていた「志野と織部」展以来、東洋系の美術にもっと触れようと思っている。志野茶碗を食べたくなった、という経験は新鮮だった。三井記念美術館にて、 「美の求道者 安宅英一の眼 ― 安宅コレクション」を観た。 この前「青山二郎の眼」という展示を見て、 美に関して修行を積んだ人が認めた作品と言うのは 一見の価値がある、と実感。 かつて業界9位であった安宅産業が事業として 美術品の収集を行い、その選定をしていた安宅英一が 認めた作品群。実際、観る価値があった。 「東洋陶磁」、韓国がメインだが、中国もなかなか。 国宝2点と重文11点。それに限らず、見ごたえ十分。 一個一個に小宇宙があり、美しさ・可愛らしさ・厳しさ・ 遊び心を感じることが出来る。 触ったらどんな感触だろう、重みはどんなもんだろう、 匂いはどんなだろう、使い心地はどんなだろう。 なんでこんな文様をしているのだろう。この色目はどこから 来ていて、ここまで心をざわつかせるのだろう。 青磁や白磁は食べたくならない。 観ているだけでもずっしりとした感触を感じ、 幸せになれる。 今はもうちょっと東洋ものを見続けたい。 久々に図録購入。#あー楽しい。
2007年10月13日
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●美術「青山二郎の眼」展_オススメ度★★★★(満点5点)最近焼き物が気になって仕方がない。3月23日の日記に書いたが、出光美術館でやっていた「志野と織部」展で頭をガツンとやられたのが直接のきっかけ。器の中に試行錯誤の歴史・この器に賭ける感情・練り上げていった文化が詰まっていると強く感じた。陶芸家中野純の立野窯を定点観測している。「友達に陶芸家がいてさぁ」とは誰しも言ってみたい台詞で、彼はそれを可能にしてくれる貴重な友人(笑)。ほぼ毎年松屋銀座で個展を開いているので、見続けていると少しずつ自分の焼き物に関する眼が開かれていくような感覚を得ていた。そこに、「志野と織部」で爆発が生まれた。さて、「青山二郎の眼」展青山二郎という人の名前は白洲正子を少し読んでいたときからなんとなく知ってはいた。「高等遊民」。そうなりたいもんだ。中学が一緒ということは今回初めて知り、ちょっと親近感。自分では何も生み出さず、評論みたいなことをしているだけじゃ、大したことないなぁなどと不遜なことを考えていたのだが、世間で評価されていない作品を再評価し、見出す、という行為はいわば美を再発見していることでもあり、創造にも近しいものかもしれない、とも今回思った。本展で一番楽しみにしていたのは、日本の焼き物だったのだが、一番衝撃を受けたのは朝鮮李朝の白磁。白磁丸壺 銘「白袴」。上記HPに写真が出ている壺。朝鮮の白磁などは博物館でチラチラ見たことがあったが、なんだか、白くてドテッとしていてでかいだけじゃねぇかと感じており、いつもスルーしていた。今回の展示物は違った。白が深いのだ。色んな方向から見ると色んな味を見せる。テカッとしているようで実は奥行きがある。宇宙にポワッと浮かびじっくりと存在している。その存在感がおしつけがましくもなく、自然と眼を引き寄せられる。シンメトリーじゃないのもいい。ガウディでも美は曲線にあり、と感じたが、美は不均衡にこそあるのかもしれない。不均衡であり不完全であるからこそありとあらゆるところから自分の解釈が可能であり、作品により近づくことが出来る。この美しさに眼を開かせてくれただけでもこの展示に来た甲斐があった。青山二郎と一緒に生きた人は、こんな開眼を何度も経験してきたんだろうなと容易に想像がついた。人を導こうとはしないのだろうが、自然と導いているような。他にも唐津焼・呉州赤絵なども展示されていて、それはそれでよかったが、今回は白磁に出会えただけで大満足。#どんどん広がっていくなぁ
2007年07月16日
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●自然なうねりに感動するテレビ「世界遺産」でガウディを二週にわたってやっていたので見た。現地バルセロナで見たときの感動が少し蘇ってきた。あの曲線の美には身震いしたものだが、テレビを通じてみてもやっぱり感動する。なんで建物は直線が多いんだろう、全部曲線にすればいいのに、とも思ったものだが、だからこそ曲線の美が際立つのだからいい。グエル、という太いパトロンをつかんでいたくらいだから少しは世間にも理解者がいたのかなと思っていたが、生きていたときはそれほどには評価が高くなかったみたい。ガウディといえばサグラダファミリアがいつも取り上げられるが、個人的にはグエル公園のおもちゃのような夢のような作り、カサ・ミラの波のようなうねりの方が好きだ。あー、また行ってもいいなぁ、バルセロナ。このTV「世界遺産」、要チェックだ。#今年はロシアかな
2007年07月15日
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●ユトリロ展in三鷹_オススメ度★★★★(満点5点)三鷹市美術ギャラリーで『モーリス・ユトリロ展』を やっていた。 http://mitaka.jpn.org/calender/gallery/ 東大の神野経済学教授が甲高い声で「ユトリロはやっぱり 『白』がいいですよね~」と言っていたことを なぜかよく覚えていて、心にひっかかる存在だった。 なかなかまとめて観る機会がなかったが、 今回観ることが出来て非常にスッキリした。 80作品くらい来ていて見ごたえあり。 実際に使っていたパレットや絵の具なども 展示されている。 くすんだ白の壁、今にも雪や雨が降り出しそうな ぼーっとした白い空。で、後期になるほど 茶色なども白に混ぜていたりして、 彼の意図をあれこれと想像したくなる。 リアルすぎない色がいい。 遠近法が面白い。パリの街並を描くことばかりなのだが、 道が画面の奥の方に伸びていき、人が行き来している。 道がどこにつながっているかは明示的には描かれていない。 これってアルコール中毒だった彼の気持ちの表れ? などと妄想。 意外と白以外の色も使っているのも面白い。 鉄の格子がついた部屋に閉じこもりながら絵を 描いているのに、いやそうだからこそなのか、 通行人を多く描いている。 そこから、人間への関心があるのかと 思いきや、女性の腰は妙に大きく描いたりしているのが 侮蔑の気持ちの表れなど解説されてあったりしていて、 一筋縄ではいかない男である。 あ~楽しかった。マイナーな美術館、というか ギャラリーは人が少なくてじっくり見られるからいい。 平日夕方だったけど、20時まで開館しているのも ユーザーフレンドリーで素晴らしい。 またいい展示があれば行ってみたい。 #くすんだ白ばんざい
2007年07月04日
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●展覧会「志野と織部」_オススメ度★★★★★(満点5点)初めて出光美術館に行ってみた。初めて焼き物系の美術展に行ってみた。「志野と織部 ―風流なるうつわ―」もの凄く惹かれた。志野の柔らかさ。見ている人をホッとさせる。可愛らしい。愛しいものを見ると自然と目が細くなる、という気持ちが分かる。織部の創意。歴史を踏まえた工夫と風流。美しき緑。遊び心満載の形。食べてしまいたい。「うつわ」に盛った料理をではなく、その「うつわ」を食べてしまいたい。食べてしまったら「うつわ」がなくなってしまうことが分かるので、かろうじて踏みとどまる。「うつわ」なんて展覧会で見る気になれない。たかが「うつわ」でしょ?と思い込んでいた。違う。「うつわ」を見るだけではない。その中に含まれ、刻まれた人の心や歴史を味わうのだ。一つの「うつわ」にどれだけの気持ちが含まれているか。十二分に想像がつく。大ハマりにハマった川端康成の気持ち。漫画「へうげもの」で主人公が「名物」にハマる気持ち。あー、幸せだった。図録を買うか買わないか迷って、結局買わなかったのだが今後悔している。買いに行くかな…。本当は、本物の「うつわ」をこそ買うべきなのだろうが…。#これからはちょっと日本文化に時間を割いてみようか。
2007年03月23日
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●「オルセー美術館展」東京都美術館_オススメ度★★(満点5点)平日に休みが取れたので美術館へ。14時着で少しタイミングを逸したかなぁと思っていたら、まさに大失敗。なんで平日昼間っぱらから5重の人垣に邪魔されながら絵を観なければいけないんだー!!ホントに絵に関心があるのか?暇つぶしとしてとりあえずやってみたいことランキングの上位に絵画鑑賞が入るということか。最近ではメジャーになってきた、解説音声を聞きながら鑑賞する、という習慣のせいもあろう。並んでまで見たくない。ゆえに5重の人垣の後ろから目も良くはないのに、パッパッと見て回った。その中でも印象に残るものの前には流石に立ち止まる。ルノワールの『ジュリー・マネ ( あるいは猫を抱く子ども ) 』ルノワールの幸福そうな少年少女の絵は昔から好きで、ポスターを買ったこともある。そういう嗜好を持つ己をロリコンなのか?と疑うこともあったが、そうではなく単純に純真・幸福・優しさ・富裕・暖かさをもの凄く美しく描いている絵に純粋に惹かれるからだろうと思う。純粋さに勝てる理念はない。今回もノックアウトされて、この絵の携帯クリーナーとクリアファイルを買ってしまった。この携帯クリーナーは人前で見せない方がいいと友人から忠告も受けたが…(^^;あとは、普通にゴッホの黄色い部屋の絵、ギュスターヴ・モローの奴が印象に。モローは必ず本場の美術館に行きたい。どこかで見たことのあるような印象派の絵はいい加減飽きてきたな。・美術館運営重い荷物を持っていったのでコインロッカーに入れようと思ったが、どれもこれも埋まっていた。係員に預かってもらおうと尋ねたら、コインロッカーに入れてください、とマニュアルどおり。仕方ないので荷物を持ったまま鑑賞したのも、あまり楽しくなかった理由の一つ。俺が次回都知事選に出馬する時には、東京都美術館のコインロッカー増設を公約の一つに挙げたい。さらに、展示時間の延長でサラリーマンにも美術を開いていきたい。50票は固い。#真面目に、2週間に1日くらいは平日も長めに展示してほしいものだ。
2007年03月08日
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●ライブはいいなぁライブハウス「リゴ・フェスティーノ」が閉店するというので最終日に行った。ちょっと古めの洋楽を女性歌手が歌って踊るのを見る20-30人程度入る六本木の店。10数年続いていたという老舗だが、諸般の事情から本日2月23日に閉店となった。2,3ヶ月前から行き始めて、合計5-6回しか行っていなかったが、20人程度入れば結構な入りだなぁと思える程度だった。流石に最終日と言うことで立ち見も出て40-50人程度入ったんじゃなかろうか。ものすごく盛り上がった。以前この店で歌っていたベテラン?歌手もやってきてパフォーマンスの質を上げていた。やっぱり何かが終わるのに立ち会うというのは感慨がある。パフォーマンスを見せる方は様々な想い、悲しさを持ちながらも前向きに今できるベストを出し切ろうとする。パフォーマンスを見るほうは暖かく見守り、受け止め、その想いに答えるべく盛り上げる。小さなライブハウスに人の想いがグルグル循環し、少しずつ大きくなり、非日常が形成される。踊っている身体にも感じるものがある。上手い人の踊りを見ていると、流れが感じられる。流麗さや情熱や激しい気持ち。とても同じようには踊れないが、自分の体の中で眠っている感覚が起き出して、共鳴してくる。音楽に、踊りに身を任せ自分の好きなように体を揺らせているだけで一種のトランス状態にもなる。もの凄くいい一夜を過ごすことが出来た。#閉店するライブハウスを探して通うという悪趣味に走る手もある。
2007年02月23日
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●個人的にオススメ「風鈴丸」展示が新宿伊勢丹でやっていたので行ってみた。過去彼女の展覧会には5回以上行っている。以前浜松にいたことがあり、そこで見かけたのがきっかけ。手書きの詩と、鮮やかな色が魅力だった。森の風景などをよく描いており、まったく森林生活などしたことないのに、なんとなく懐かしさを感じさせる。人物の目がまた好み。もちろん描き方は作者の変化とともに変わっているのだが、死んでいるんだか生きているのか分からない、でもなんとなく楽しかったりなんとなく悲しかったりする気持ちが現れているような感触がして興味が薄れない。直近見たのは3年前(^^;と大分古いが、渋谷のBunkamura。この時は、過去10年程度の作品が並べられていて、作品の変遷がよく分かり面白かった。もの凄く精神的に沈んでいて、周囲に対する敵意に満ち満ちた作品を作っている時代もあれば、ふんわり穏やかで楽しげな作品を生み出した時代もあり、恐ろしいくらい。一人の作家を追い続けるというのは、その人の変貌を楽しむことが出来るし、その作品に対峙した時の自分の感じ取り方の変貌を楽しむことが出来るので面白い。リトマス試験紙のような…。とはいえ試験紙自体も変わっているから、いいたとえではないが。。。今回、近年の作品を観るに、明るさ、楽しさが増している印象を受けた。作者もいて、お客がその変化について質問しており、「(人生を)歩き始めたというか」と答えていた。よく分からんけど、そんなもんなんだろう(^^;前述のページのちょっと下のほうにある、もう2006年11月に終了した松坂屋静岡店美術画廊での展示ポスターの絵が展示されていて、これが一番良かった。青とオレンジが調和し、落ち着いた理性と前向きなエネルギーとが同居している。木版画自体は8万円とかそれ以上余裕でするので、私程度の財政資金では買えない。見て楽しむだけだが、大変面白かった。ただ最近、作者の童心にあふれた詩を読むのが照れくさくていけない。関心を持たれた方は行ってみてください。ただし、明日までで、かつ最終日なので午後4時半までです(笑)風鈴丸のHPもあることに今気づいた。#作家自身と話してみたいがその勇気は出ず(^^;
2007年02月12日
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●情熱に触れる昔サッカー日本代表戦を見に行っていたときには何回かやったことがある。久しぶりに会社を17時ちょっと過ぎに出た。まー幸せな職場環境だ。いつまで続くかは分からないが。理由がある。今、上野の森美術館で「ダリ展」をやっていて、最終入場時間が17時半。18時に閉館なのだ。ぎりぎりセーフ。流石にそんな時間から入場するような奇特な人間も少なくて、そこそこ空いた状態で観る事が出来た。それにしても、美術館は美術好きなサラリーマンの存在を認めていないとしか思えない。平日18時に閉まる美術館に普通行けるワケなかろう。もっと改善してほしいものだ。せめて金曜日は20時までやるとか。正直、スペインのフィゲラスでダリ劇場美術館には行ったことがあるので、「俺は本場を見ているから別にどうでもいいけど」と思っていた。不遜にも(笑)全然見たことのない作品も多くて、今回の展示に行ってよかった。フィゲラスにもう一度行きたくなった。フロリダにも美術館があるらしいので行ってみたいものだ。初期の作品などは、「あっ!スーラだ」「お、これはルネ・マグリット?」「これはキリコかぁ」などと影響を受けていることがよく分かるものも多く、それはそれで面白い。中期以降は結局完全に「ダリの作品」になるわけだが。『手(良心の呵責)』がインパクトあったなぁ。後で解説書を読むと、ある詩人を冒涜した作品らしいが、そんな意図とは関係なく、絵としての迫力がある。なんじゃこりゃと。そもそもダリの絵はもの凄い技術力と、ワケが分からず口をあんぐりとさせられてしまうようなイメージが特徴。こいつただもんじゃねぇよなぁとすぐに分かる。世界を作り上げている。他の作品も面白いのが多くて良かった。時間がなく、上映していた映画『アンダルシアの犬』も途中からしか見られず、印象的なオープニングの「目」も観る事が出来なかったのが残念。この映画を大学の「芸術」という授業で見たことを今でもよく覚えている。思えばあの授業で俺も映画や美術に目覚めたところはあるなぁ。いい授業、いい講師だった。画集を買ってきてパラパラ見ている。楽しい。解説もなかなか興味深い。ピカソとの出会いを書いている。*********************************************『ルーヴル美術館に行く前に』と私は言った。『真っ先にあなたを訪ねに来ました』『それで良かったんだよ』とピカソは答えた。*********************************************いいねぇ。短い会話の中にもピカソへの愛情jと、ピカソの自信とがうかがえて。彼の自伝で『我が秘められた生涯』という本があるが、どうも売られていない。Amazonで見たら9,800円…。厳しいなぁ。図書館で探すくらいか。とにかく30分だけの鑑賞だったが、気持ちいい日となった。#潤いを自ら見つけ出すこと
2006年11月22日
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●賛否両論あるバンドのようですが…。妹から以前推薦してもらっていて、大学の友人がカラオケで熱唱したのを覚えていて1ヶ月ほど前に借りた。サンボマスター『新しき日本語ロックの道と光』というアルバム。I-PODでヘビーローテーションとなった。少し前にBSでやってたサンボマスターのライブを録画して見た。熱くて感動した。一曲ごとに「ありがとう」と言いつづけるボーカル。ロックとしての熱量が多くて、変にマイナスの方向ではなくプラスの方向での情熱。うまい、という感じではないが、過剰なトークとサービス精神は感じられる。ああ、そうだな。俺は「過剰」なのが好きなんだ。なぜそこまで情熱を燃やす?と不思議になるくらいのパワーに引き寄せられる。荒木飛呂彦の『ジョジョ』、ピーターグリーナウェイの映画、筒井康隆の文章。そういったものに引かれる。「今」「ここで」を大事に思う。「いつか」「将来は」。そんなもん後回し。目の前の観客との一体感を大事に思う。久々に大事なものを思い出させてもらった。こいつらのライブには行ってみたいなぁと思った。調べたけど東京でやる奴は平日19時から、と微妙に行きづらい。情熱を出して何かを表現・発信するとそれに共鳴するヒトは必ずいる。何も発信しないと何も返ってこない。引きこもりながらもとりあえず世界の片隅でHPだけは更新して生きている証を立てようとする。誰に?誰かに。今はそれでいい。#「今」「ここで」何が出来るか。
2006年07月08日
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●悔しさ紛れに行動するとろくなことはない。「ポンペイの輝き」渋谷文化村でやっている展覧会。ポンペイの悲劇。ヴェスヴィオ火山の噴火で滅亡してしまった都市。西暦79年のこと。どんな形で残っているんだろう、と興味津々で、いずれ行くぞ、と心に決めていた都市だった。この前、友人が「出張のついでにポンペイに行って来たよ」と言われた。「ついで」かよ!相当うらやましく、やられた!と思った。じゃあ、とりあえず展覧会にでも行っておくか、ということで行ってみた。感想は…残念。期待が大きすぎた。というか、展覧会に求めるべきレベル以上のものを求めていた。静謐な空間の中で、噴火におびえる人、絶望、後悔、希望、これらの感情が通常以上のレベルで流れ出し、そして全てを凍結させてしまった。そういう世界を求めていた。そんなもんが展覧会にあるはずもない。検索システムはよかった。パネルをタッチすると、現地の風景や絵や装飾品がそこそこ大きな画面で見られるシステム。一個しかなくて、誰かが操作しているのを周りでみんな見ている、という形。もう2,3個あってもいい。行ってもあるかどうかは分からない。それでも、いずれ、行かなくてはならない。#期待しすぎただけだが。
2006年06月19日
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●また行きたい~。プラド美術館スペインには4,5年前に行った。無茶苦茶いいところだった。何しろ人間が明るい。英語が通じない人も多かったけど、困っている様子の旅人に手を差し伸べてくれる。料理もうまいし、ガウディは面白いし、美術館も感動。プラド美術館の展示をやっているというので花見がてら上野に行ってみた。2点か3点でも感じる絵があれば十分、という心持で最近は美術館に行っている。何しろ混んでいるのでゆっくり見られない。その中でも今回は3点感じる絵があったので大満足。上記リンクから「展示内容・作品リスト」を選ぶと一部画像が見られる。なかなかサービスがいい。以下の三つが特によかった。ポストカードも買った。下の二つは上記リンクから見られるので、よければ見てください。第1章スルバラン『神の愛の寓意』はっと足が止まる。美しさ。静謐でもあり、暖かくもあり、安定を感じる。焦げ茶がかったシンプルな絵。女性がスッと立って右手を顔の高さまで上げ、心臓のような形をした松明を掲げている。左手は随分と長い衣装の飾りを持ち、左足を軽く前に出している。なんとなく不自然だが、色の暖かさ、大きな目の落ち着きと知性が人をひきつける。それぞれの絵の部分に題名の「神の愛の寓意」の理由があるのだが、忘れた。次回スペインに行ったらこの人の絵をもっと注目して見たい。第3章ルーベンス『ヒッポダメイヤの略奪』さすが巨匠。ものすごい躍動感。絵全体で動きがよく分かる。これも、パッと目に入ってくる。インパクトの強さ。第5章ゴヤ『魔女の飛翔』ぎゃー気持ち悪い~。でもそれがいい。こういう演劇のシーンありそうだなぁ。ゴヤといえば黒い絵シリーズで、スペインでもものすごい印象をもらったが、この作品もそれを髣髴とさせる。1500円は高いが、まぁ行って見てもいい展覧会だろう。とにかく俺は旅をしたいんだな、と。実際の旅はもちろん、心の旅も含めて。放浪したい。ただし安全に、という贅沢な条件付。心だけは安全に旅できる。そのために本を読むし漫画を読むし美術を見るし、映画を観るし、音楽を聴く。なんでもする。#今更ながら気づいた。
2006年04月01日
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●「写真展_岡本太郎の視線」_オススメ度★★(満点5点)恵比寿にある東京都写真美術館で、「写真展_岡本太郎の視線」を見てきた。地方の祭りやそこに生活する人たちを写真に収めている。写真と言うのはすごいもので、その時代、その場所、その人を見ていた岡本太郎の視線を共有できる。岡本太郎がどんなことに気持ちを動かしたのか、注意を向けていたのかが一目瞭然である。何気なく撮ったものもあろう。しかしいくら「何気なく」とも、何かしらの気持ちが動いているのは間違いない。あとから写真を見るものは、何が彼の気持ちを動かしたのか想像するだけでも楽しい。写真、という美術分野にそれほど関心を抱いていなかったのだが、ちょっと注意してみるようにしてみたい。ただ今回の写真展は、岡本太郎に関心を持っている人じゃなければ面白くないだろう、と思ってオススメ度の星は落とし気味にした。写真を撮りたくなった。自分で以前撮った写真を見返してみた。3年半前カンボジアのアンコールワットに行った時の写真。確かに俺はここにいた。確かに俺はこの風景に感情が動いていた。確かに俺はこれを見ながら幸せを感じていた。確かに俺はこの一瞬を切り取る価値を感じた。写真を見返して自分の過去を取り戻す。写真を捨てることは自分の経験を捨てること。#写真を語るのに、「写真」という言葉を使いまくる愚
2006年01月07日
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●その愛は重すぎてシャンソンを聴きに行くというのも初めての体験。山越愛子リサイタル。題名が「告白」というので、何を告白されるのかドキドキではあった。ボーカルが山越愛子、ピアノ、ベース、キーボード、パーカッション。席は一番前だったので異様な迫力を感じる。2部構成。1部は女の人生の一部を切り取って、歌ごとに物語が進んでいくような形。2部はパリの雰囲気に満ちた歌を歌う形。正直知らない歌が多かったが、『愛の讃歌』、『最初から今まで(冬のソナタの主題歌)』など有名な歌もちりばめていたので問題なかった。1部で特に感じたのだが、愛の思いを切々と歌い上げる曲が多く、年齢を重ねてきたボーカルの感情移入も曲に乗り移り、異様に重かった。恋愛をするたびにこんなに重い気持ちを抱くのは相当大変。もしかしたらそういう思いを自分も抱いていて、気づいていないだけなのかもしれないが、こう、目の前に歌と言う形で見せられると重すぎる。結婚していて、もう他に愛を持つことが許されない状況下で、フィクションとしての愛を体験すると言う意味ではシャンソンという形でのこれっくらい濃い作品がいいのかもしれない。情熱であり、ロマンであり、これを忘れない。そういう意味でシャンソンは必要なのかもしれない。ポップなどは軽すぎて、演歌より日本の生活から離れていて、でも普遍的な恋愛感情を歌い上げる。シャンソンが流行っていると言う話は聞かないが、ある程度必要な文化なのかもしれない。#また行くかというと疑問だが。
2005年09月19日
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●帰宅後、睡眠>PC>読書>音楽=ほぼゼロバトンを渡されながら全く気づかず放置プレイ(笑)すんません>めそさんもともと音楽を聴く習慣が少ないので、あまり語れないと思うが…。・Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)435MB。エラク少ない、んでしょうねぇ。コンピューターで音楽を聴く習慣がない…。PC買ったときなんとなくうれしくて持っているCDをコピーした分ですな。その後1,2回しか聞いていないけど…。・Song playing right now (今聞いている曲)「今」!かぁ。聞いてないなぁ(爆)あえて書くなら、めそさんから紹介されたCrossの"Promise-to my heart-"だねぇ。地方アイドルというジャンルも聴いたことなかったし、俺の中では無名の人なんだけど、なかなか上手いし盛り上げ方も素直に乗っていきたくなるようなテンポ。コンサートまで聴きに行った田村直美と似たような感覚を受けた。早くナマで聞きたいものです(^^)この手のリズムや歌詞にはいまだに弱い(^^;なんかこう、明日に向かって頑張っていこうみたいなやつね。・The last CD I bought (最後に買った CD)ぐぇええ、これもいつだろう…。多分、これ。ア・カペラ / ゴスペラーズだぁああ。いつだよ、これ。2002年末に出てます…。2年半前かよ…。あ、CD-ROMなら、東洋経済新報社の株価チャートCD-ROM買ったぞ(笑)・Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲)1.尾崎豊死ぬ前から聴いていたが、ディープにはまり込むと言う感じでもなく、純粋に曲や詞がいいなぁと思っていた。歌い方ものめりこんでいて大変好きな姿勢だ(^^;母が死んだ時に作ったと言う”Mama、Say Goodbye”は何度も泣いてしまった覚えがある。私は幸い両親健在だが。とにかくこの人の曲を聴き込んでしまった故に、カラオケで誰を歌っても尾崎豊のように聞こえる、という難点が(笑)ゴスペラーズを歌っても平井堅を歌っても尾崎豊のように聞こえる、というのは相当問題が(^^;2.川本真琴この人の瑞々しい感性にはいつも驚かされた。すごくのめりこんだ自分の世界を持っており、歌詞のとっぴさの鋭敏さ・感性出しまくりの歌い方には傷つきやすさを見て共感した。自分の精神がある程度安定していないと聴く事が出来なかった。「宇宙へびゅう 手を伸ばしたら転びそう」って何?「びゅう」って?ヤクでもやってんじゃないか?っていう歌詞と歌い方が大好きで参ってました。(褒め言葉)コンサートに行ってみたいが、あまり開いていないらしい。3.エネヘ・ラ・バンダキューバのサルサバンド。さんざっぱら村上龍がキューバ音楽はすごい、と書いていたので彼がプロデュースしたというCDを聞いてみた。凄かった。異様に楽しさが伝わってくる。不勉強で、こんなリズムがあるなんて~と感動した。制約だらけのクソみたいな実社会にいるとどうしても自由にあこがれる。絶対一度はキューバに行ってやるぞ!と思っている。4.久保田利伸この人のCDは出るたび買ってたなぁ。日本人としては明らかに歌上手かったし。難しすぎてカラオケで歌えないのがつらい。今はまだNY?しゃにむに稼ぐ必要もないだろうしねぇ。5.矢野顕子その声は反則だろう、といつも思っていた。楽しげで幸せな世界を歌っているかと思っていたら、急に転換して心の奥底を覗き込むような雰囲気を出したりして、恐ろしく手持ちのカードが多い。のんびり系の歌が好きだなぁ。それでいて深さを感じさせるような…。・Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す 5 名)みゆきほんぽさんにお願いしようと思います。気が向いたらよろしく~。#帰宅したら音楽を聴くよりまずTVをつけちゃうんだよなぁ。
2005年07月05日
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●『ゴッホ展』_オススメ度★★(満点5点)「ひまわり」が置いてある損保ジャパン美術館でよくゴッホ展をやっていて、そのたびに見に行ったものだ。そのせいからか、今回の展示に驚きがない。「夜のカフェテラス」、「花魁」くらいだろうか。新鮮なのは。これは私の事情。さらに、ゴッホが影響を受けた絵が多く展示されており、純粋にゴッホの作品ばかりではない。ゴッホの代表作:約30点同時代の画家の作品:約30点資料:約60点チラシをはじめから見ておけば分かる話だが、ちょっと肩透かしを食らった。まー、「種まく人」、「黄色い家」、「夜のカフェテラス」の黄色が良く使われた三点が並んでいるところは面白い。「種まく人」が一番いいかなぁ。黄色と紫のコントラストがはっきりしていて、希望に満ちた感じがうかがえる。種をまいている人の手足が直線的に伸びていて、力強さ、活力を感じさせてうれしい。日曜昼12:30から入ったが、大変混んでいてキチンと見る気がしないくらいだった。どちらかと言うと、そのあと見た常設展のほうが良かった。近代美術の様々な作品が並んでいて面白く刺激的。そちらのほうが俺にとって新鮮だったから、というのもあるだろう。今回のゴッホの取り上げ方がそんなに無茶苦茶工夫があったかというと、なかったからではなかろうか。相当取り上げられている作家だから、そうそう新鮮な切り口があるわけでもないんだろうが…。常設展で印象に残ったのが、河原温「孕んだ女」。異彩を放っている。HP上で絵が見つからないので説明しづらい。1950年代の作品だが、すごい。気持ち悪く、輪郭がきっちりした顔・孕んだ腹の曲線の気持ち悪さ・重力が安定していない世界でこの世界を作り出しているかのような孕んだ腹、何かを見ているようで何も見ていない明確な目。こんなこと書いても駄目だ…。まだ生きていらっしゃる人らしい。この人の展覧会があればぜひ行ってみたいと感じた。以前の作品を乗り越えていこうというのが芸術の使命の一つであるならば、全ての芸術家はゴッホより刺激的な作品をどんどん作っていって欲しいものだ。#いわゆる人気展に行かれる時はくれぐれもお早く。
2005年03月27日
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●「エミール・ガレ展」_オススメ度★★★★(満点5点)「エミール・ガレ展」に行って来た。漫画『ギャラリーフェイク』で名前だけは知っていたものの、浅学非才なもので、詳しくは知らなかった。日経夕刊で特集されていて、あまりにも美しいガラス工芸品だという印象を受けたので行ってみた。両国の江戸東京博物館で展示されている。パッと見ただけで違う。すごい。形がまず大変滑らかで目に快楽を与える。スペインでガウディの建築を見たときに思ったことをまた思い返した。「曲線は人を自由にし、直線は人を厳粛にする」勝手な造語だが。曲線を追う滑らかな眼球運動が快楽を呼び起こす。直線を見ると、そのゆるぎなき、妥協の許されぬ厳しさに自然と緊張せざるを得ない。ガレの作品はまた面白い。植物や昆虫をモチーフとして花器や小物入れを作る。形全体が植物であったり、装飾に昆虫を使ったり遊び心がうかがえる。またその造型が精密。植物・昆虫を題材として作品を作ることでその命を閉じ込め、それだけで永遠に輝き続ける権利を得ているような…。ナスをかたどった花器がある。一目、かわいらしい。少し長めのヘタと茎は紫で、実の部分は少し丸くて白を使い、装飾も入れている。曲線の魔法をいかにもうまく使っている。作品を作る前に描いた素描も展示されているのだが、これがまたそれだけで素晴らしい。その線の繊細さ・細密さに心打たれる。幻想的な世界・抽象的な観念が作品と言う形で詳細で具体的な像を結び、目の前に存在している。それを見ているだけで、心のくびきから解き放たれるような感覚が得られる。「普通はこうするよね」、「サラリーマンだったらこうしたほうがいいだろ!」、「サラリーマンリスクを考えるとさぁ。」…ほっとけ。心の垢となるような余計な観念はいらない。純粋に向き合いたい。行って良かったなぁと思える展示だった。混雑しているのでゆっくり見られないのが残念。常設展は江戸・明治など東京の風俗を見せるもので、こちらも見ごたえがありすぎるほどだった。町や店や庶民の家などの復元模型などが精密で、面白い。外人観光客もよく来ていた。どうせ行かれるなら、共通券を買って、時間をかけて見られるのをオススメします。#人に快楽を与える作品が如何に素晴らしいか。デジカメを持って入らなかったことが唯一の後悔。
2005年02月20日
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●「ピカソ展_躰とエロス」東京都現代美術館_オススメ度★★★★★(満点5点)こいつは、本当に凄い奴だ。何が凄いか。その生活の変化や精神の変化に応じて、本当に同一人物かと不思議に思えるくらいに画風を転換させている。その精神の自由さ・奔放さにまず感動する。偏執狂とまで思えるような、細密な書き込みをするかと思えば、幼児かとまで思えるような、単純な線と色による絵を描いたりもする。この展示で陳列されている作品で、人間を描きながらも、普通の人間の形をしている作品は少ない。パーツパーツを分解し、ピカソの頭の中でガラガラと組み立て直し、異形を作り上げている。凡人は目を奪われ、嫌悪や新鮮な感動や単純な不思議さが胸に去来する。そのうち、普通の人間像では飽き足らなくなる。「え?何これ、普通の人間じゃん?」高まりなのか単純な変化なのかは不明だが、その人の感受性に大きな影響を与える。愛人マリー・テレーズと出会えた喜びがいかにピカソの絵を変えたか。喜びに満ち溢れたまろやかな線と色。妻オルガとの対立から来る困難な時期に描かれる暗さ・非合理・暴力的なる内面の象徴としてのミノタウルス。生活から来る内面の変化が如実に現れるピカソ。「わたしは自伝を書くように絵を描く。わたしの画布は日記の一ページである。」彼の絵を前にすると、内面の喜び・不安・息苦しさが伝わってくるようだ。ユーモアもある。この展示の終わりにある、「ラファエロとラ・フォルナリーナ」連作を見て欲しい。覗き見する教皇には大笑い。87歳になり、さすがに身体が思うようにならないピカソ自身をうまいこと描いている。少しの休憩を入れて2時間半、たっぷり楽しめた。カタログも買った。じっくり読みたい。ピカソ展には何回か行っているが、こんなに感動したのは初めてだ。自分の感受性が変わってやっとピカソを受け入れられるようになったのか。それとも今回の展示がピカソが50歳代の作品が中心で、脂が乗っていた時のものばかりで、衝撃的だったからか。とにかく、行ってよかった。ぜひ皆さんも、行って欲しい。オススメです。#もっともっと美術館に行きたい。
2004年11月07日
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●「草間彌生展:永遠の現在」_オススメ度★★★★(満点5点)『無限の網~草間彌生自伝』草間弥生_オススメ度★★★★★(満点5点)orajiroさんにお勧めいただいた展示に早速行ってきた。まずはリンク先の、ものすごい迫力の顔をした人を見てください。この人が作者です。75歳です。東京国立近代美術館は竹橋駅からすぐなのだが、こんなに天気がいいので九段下で降りて、北の丸公園を散策しながら行くことにした。武道館で全国剣道大会が開かれていたり、芝生で妙な雰囲気の写真撮影が行われていたりしているのを横目で見ながら植物の美しさに浸った。美術館に着いてみて、驚いた。「本日無料」の看板が!そうかー、文化の日は国立美術館は無料なのか?!と思い当たる。来年も忘れずに国立美術館を訪ねることにしよう。多分こういう祝日に絡んだサービスは文化の日に限らず色んなところで行われているんだろうなぁ。キチンと調べれば、結構お徳かも…。誰か知ってたら教えてください(笑)展示は、65年前(!)のデッサンから最近の作品まで大変広い範囲をカバーしていた。この人の象徴ともいえる「水玉」と「ファルス(男根)」の連続・連鎖・反復もたっぷり見られる。今回はそれ以外の作品も数多く見られて、興味深かった。作品の遍歴は作者の魂の遍歴でもある。それを展示一つで追体験できるのは素晴らしい体験だ。「水上の蛍」という作品は一人でその展示部屋に入って鑑賞する、というスタイルなので、相当行列が出来ていた。30分並んだ。美術館に入る前ならともかく、入った後こんなに行列するのは珍しい。部屋に入っている時間は実質30秒程度。後に並んでいる人のことも気になるし。しかし、並んだだけのことはあった気がする。全知覚で光の反復を味わうことが出来る。「銀色のオブジェ」という部屋では、彼女の作品を少しでも知っている人ならすぐに入り込める世界。うんうん、とうなずく。作品「死の海へ行く」を5年前の回顧展で見たときの衝撃は忘れられない。「天国への梯子」は単純ながらも、いいね。あこがれ、作者の精神がどこに向かっているかがよく分かる。「壮麗な開花」という部屋では最近の作品を中心に展示されている。ああ、ファルスは彼女の中でこんな風に変化しているんだなぁ、なかなか見やすくなってきた。存在感をより濃く出しながらも、受け入れやすくなってきた気がする、という感じ。あまりに感銘を受けたので、『無限の網~草間彌生自伝』を買ってしまった。お堀端をブラブラ歩いていたら、大手町に着いた。丸の内オアゾで丸善をのぞき、近くのスターバックスに入って読み出した。止まらない。面白すぎる。結局2時間強粘って、読み終えてしまった。若い頃から幻視・幻聴に悩まされながら、自分の内から湧き出るものを表現することにただただ専心し、ニューヨークに渡り、前衛的な活動を周囲の無理解に耐えながら行い続ける。すごい。以前京都の南禅寺山門に上り、一人で裏山を見ていたことがあった。色とりどりの緑の葉が風に吹かれさわさわと揺れているのをボーっと眺めているうちに涙が出てきた。こんなにも数多くの葉が重なり合い、美しい緑の調和を形作っている。そのさまは人間の細胞が奇跡的な調和で人間を形成しているさまを、そして地球の調和を、ひいては宇宙の調和をも感じさせてくれて、そこに立ち会っている自分と言う奇跡的な存在を感じ、感動したことがある。草間弥生の「水玉」や「反復」はある程度私のその感動と相通ずるものがあるのではないかと感じていたが、この本を読むことで恐らくそうだった、と勝手に親近感を新たにした。今彼女は日本でバリバリ活動している。繰り返すが、75歳だ。「私も追い込みに入っているから、熱狂的に作品を作っているのだ」こんな風に彼女は書いている。無茶苦茶元気だ。これを読んで元気にならないでどうする。ぜひ彼女のことを知って欲しい。#オレも、元気に、やろう。
2004年11月03日
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●マティス展_オススメ度★★★(満点5点)上野国立西洋美術館で展示されている、マティス展に行って来た。絵はそれほどよく分からないのだが、自分にない感覚を得たいという理由で、出来るだけ見に行こうと思っている。モネとかの印象派から入って、ギュスターヴ・モローの耽美派が相当気になっている、という現状。草間弥生の神経強迫症的作品も追いかけたい。マティスについてはよく分からなかったのだが、行ってみて少し近しいものとなった。解説にも書いてあるのだが、「一見たやすく書いているように見える」ような線を描く。しかし実は、同じモチーフを何度も繰り返し、少しずつ変えながら書いている、というプロセスがあるよ、ということを展示の見せ方できっちり分からせてくれる。なかなか親切な展示の仕方で好感が持てた。黄色や赤色といった原色を使い、楽しげな絵柄を書く事が出来る。線があっさりしたものなので、原色でもまぁ問題がない。環境や自身の問題もあり、絵柄は大変変わり、暗いタッチのものもあるが、画家としてそういう深さを持っている、ということになる。一番最後に展示されていた、まっ黄色な画面に、インクで書かれた顔っぽい作品が気に入った。シンプルで不思議な感じ。絵葉書になかったので、心の中に留めるだけにする。次回は、東京都現代美術館で展示されているピカソ展に行く予定~。#何が得られたかと言われると弱いが、まぁ新鮮な体験だったと言うことで。
2004年10月31日
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●また行きたい、ライブ。仕事帰りに六本木サテンドールでジャズを聴いた。1ヶ月に1回は行く、という友人に連れられて初めて赴いた。入店して見渡すと、ステージと客の距離が近く、迫力を感じられそうと早くも期待感。今日の演奏者はマリーン(Vo)、秋田慎治(p)、岩瀬立飛(Ds)、佐藤恭彦(B)、萩原亮(G)。ボーカルは以前アイドルだったらしい女性。よく知らなかった(^^;21:00過ぎに演奏が始まる。はじめはボーカル抜きで。久しぶりの生演奏、というだけで心が浮き立つ。ボーカル登場。パッと店全体が明るくなる。マリーン目当ての固定客もいるようだ。40代くらいの女性だろうが、笑顔がとってもよく、姿勢もキチンとして、声の迫力・ハスキーさが魅力で、フィリピン出身らしいが、日本語もユーモア交じりに話せる。場を上手く切り盛りして、笑いを引き起こしていた。しっとりした曲・情熱的な曲と色々と聴かせてくれたが、中でもクイーンの"I was born to love you"をリズムの良いジャズでアレンジして歌い上げていたのが印象に残った。ライブはとにかく、いい。いつ何が起こるかわからない。あっ!そんな風に演奏するんだ!と感動したり、そこはそう歌うのかぁと唸らせられたり、緊張感にあふれていて、自分の感覚が普段より鋭敏になった気がした。そこで題名に戻るわけだが、「人間は楽器になれる」そう、思った。楽器を使うわけではない。歌い、踊り、顔を歪め、手を振り上げ、何かを伝えようとする。その全てが楽器の営みだ。人は楽器になり、音楽を作り出し、伝える。もしかしたら、「人間は楽器だった」のかもしれない。いつしか、自らの身体そのもので音楽を奏でることを忘れ、生み出すことが出来なくなった。そこでギターやドラムなどの楽器を作り、それを媒介にして音楽を奏でようとする。以前は当たり前のように出来ていた音楽の創造を、モノを媒介にして取り戻そうとする人間の必死な試み。そんななか、「楽器になれる人間」は貴重だ。今夜のマリーンは楽器だった。人は皆楽器になれる素質があるが、それを封印している、ということにも考えは及んだ。その素質を感じるためには、人と話してみることだ。その言葉にはリズムはあるか、美しい旋律は感じられるか、凡庸で平凡な歌詞しか出てこないのではないか。こいつ、できるな、と感じたら、自分の音楽をぶつけてみよう。セッション出来るか、ぶつかり合いの中から新しい音楽が生まれるか、試してみよう。こいつとだったらいい音が生まれそうだ。そう感じた人同志が友人になり、恋人になる。自分の音楽を引き出してくれる人、新しい刺激を感じさせられる人。そういう人に出会いたいし、自分もそういう人でありたい。人は皆、自分という楽器を磨かなければならない。#自分はどんな楽器なのか、どんな楽曲が向いているのか、永遠の問い。
2004年08月06日
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