Hard-boiled or soft-boiled

神戸和歌山三重京都


『青春18切符、その愉快なる存在』

今度は4時起きだ。

唐突に一人旅に出てみることにしたため、
着替えなどをリュックに詰め込んでいたら、
深夜の1時を回ってしまっていた。

しかし、睡眠時間3時間弱でも
こんな時だけは起きられる。

まだ夜も明けない中、千葉駅へ向かったが、
この時間だとちょうどカラオケルームなどで
一晩過ごした若者がゾンビのように
ワサワサと街に跋扈しているので、
寂しい思いはせずに済む。
それどころかややウザい。

始発の快速電車に乗り込んで東京駅を目指す。

同じように大きなリュックを背負って
遥か彼方を目指すであろう人々も乗ってきた。
皆、電車が揺れはじめると一瞬で眠りに落ちたので、
車内にはのびた君が溢れることになった。

東京から熱海、浜松、豊橋と東海道線を乗り継いだ。

途中の熱海周辺では日の出を背にした海岸を
目の当たりにすることになったが、
あれを見てなぜサーファーたちの朝が早いのか
わかった気がした。

黄金に輝く海はサーフィンをやらない俺にとっても
魅力的で、そのまま車内から窓を突き破って
海へダイブしてしまいたい衝動を感じた。

ジャックピノーというチェスの日本チャンプの
書いた本を読みながら、時にまどろみながら
午後3時には神戸に到着した。
この間、ウーロン茶とコアラのマーチ以外の
一切を口にすることなく。

もっとも乗り換えの空き時間など、
昼飯を食べるチャンスは山ほどあったが、
財布にはわずか8円しか入っていなかったため、
その山ほどのチャンスすべてを逃すことになった。

だから三ノ宮に着いてまず最初におこなったことは、
郵便局もしくはIYバンクのあるセブンイレブンを探し、
そこで得たお金によって己の空腹を満たすことだった。

どこでもよかったのだが、
とりあえずマクドナルドに入った。

外観が関東のマックとは明らかに異なっており、
あのMcDonaldのネオン自体はけばけばしいのだが、
他の部分の色使いは微妙に落ち着きがあり、
その内装は風格すら備えていた。

この安っぽくないマック(関西ではマクドか)を見て、
この三ノ宮がかつて神戸大震災によって
甚大なる損害を被ったことを思い出した。

あの地震によって、俺が関東圏でよく行くような
マクドは跡形もなく消え去ってしまったのだろう。

そんな物思いに耽ることなく、
マクドではダブルチーズバーガーを食べながら、
周囲の人間観察に没頭した。


主な観察対象はギャルだ。


神戸のギャルというのはとかく評判が良い。
一種の都市伝説と言ってよいほどに、
神戸ギャルはイケていると神格化されている。

この噂の真贋を見極めること。

それがこの旅の最初の目的だった。

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マクドでのささやかな人間観察の結果、
神戸ギャルというよりも関西弁を操る
女子一般について自分の中での評価が定まった。

関西弁を話す女から受ける印象は、
その女の声の高さに依存する。

声の高い女の子に「いややわぁ~」とでも
言われてみると、もうトロけそうになる。
しかし、声の低い女の子に同じこと言われても
あっそとしか思えない。

どうも声の低い女が関西弁を喋ると
途端にオバサン臭くなるように思えて仕方がない。

言語の奥深さをピクルスとともに噛み締めながら、
一応の結論らしきものを得ると、
背中の荷物をどうにかするため、
すぐさまカプセルホテルに向かった。

初日の宿くらいはあらかじめネットで目星を付けており、
道に迷うこともなく、目当ての建物は見つかった。
そこもやはり新しい建物だった。

何度かカプセルホテルには泊まったことがあるが、
外観の綺麗さはそこが断然で、


しかし、入店するとさらに驚くべき事態が俺を待っていた。


受付が女だ。


しかも、全員が二十歳そこそこと思われる若さと、
やっぱり神戸ギャルはイケてるのかと思わせる
可愛さを併せ持っていた。

再び、阪神大震災が起きてしまった、俺の頭の中で。

自動ドアのところでまごついている俺に
若さと可愛さを併せ持った女が
笑顔でこちらへどうぞと招き入れた。

温泉、サウナ、ネット環境と
ハードの部分でも申し分ない上に、
このソフト面の充実とくれば、
もはやこのカプホに敵はいない。

一般的なカプホよりも1000円ほど
寝が張るが、これなら納得プライスだ。

宿を確保し、身軽になったところで、
三ノ宮から2つ駅を挟んだ神戸へ向かった。
もちろん港を目指してのことだ。

男にはわけもなく港を目指す、そんな時がある。

神戸駅から港まではそれほどの距離はなく、
横浜よりも発展している地域の面積が狭いため、
街全体としての見事な統一感が出せている。

やはり発展させなければいけない面積が広くなれば、
それだけ誘致するテナントもありがちなところを
混ぜなければ成立しないのだろう。
ここは狭いがゆえに、逆に成功しているのではないか。

なにをするでもなく、商業集積であるモザイクを
ぶらぶら歩きし、港へ出て夕暮れの海を眺めた。

薄暗い港にいた、カップル以外の例外的な人類は
犬の散歩などをしている地元のおっさんか、
もしくは浮浪者、そして俺だけだった。

手ぶらだった俺は、他人からは
地元のおっさんとして認識されていたことだろう。


一人旅初日、早速切なくなり宿に帰った。

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カプホでそれなりに快適な睡眠をとり、
6時には起きて再び三ノ宮の街を彷徨った。

そう言えばかつてドイツやオランダに行った時も
家では考えられないくらい早起きをして
街を彷徨っていた。

人間のやることなんて大差はないが、
人間が長い時をかけて作った都市は別だ。
僅かな差が蓄積し、
塵も積もれば山となるという諺を体現している。

そして、その違いを味わうには朝に限る。

昨晩、受付の女性にちょっと話し掛けてみたのだが、
みんな随分と夜遅くまで働いており、
神戸ギャルと一緒に神戸牛を食すことはできなかった。

神戸ギャルと神戸牛には未練が残ったが、
早々にチェックアウトすると、
三ノ宮駅で青春18切符を購入し、
そのまま大阪へ向かう電車に乗り込んだ。

どうも天気が悪いのが気になったが、
もともとが怪人・雨男なので仕方ない。

ちょうど通勤の時間帯に差し掛かる頃だったが、
東京ほどは混んではいないようで、
神戸から大阪までは20分ほどだが、非常に快適だった。

阪神と和歌山を繋ぐ阪和線、
大阪でその列車に乗り換えようと思った時に
問題は起こった。

人身事故でダイヤに乱れが発生している。

そのアナウンスの後、別のホームへの案内があった。
それに従って新しい電車を探し当てた時、
再び別のホームへの案内が伝えられた。

JR西日本が混乱している上に、
阪和線はもともとそれほど本数が多くないので、
結局、30分以上も大阪で足止めを食らった。

ようやく見つけた和歌山行きの電車に
座り込んでいると、窓に雨粒がこびりついてきた。


いよいよ怪人の本領発揮だ。


ここからひたすら電車で座って、
周囲の会話に聞き耳を立てながらの
読書タイムを過ごす。

目的地である白浜に着いた時には
既に正午をかなり回っていた。

すぐにコインロッカーに荷物を入れ、
駅前のロータリーを囲む飲食店の一軒に入った。
ロータリーを囲んで似たような店が並んでいたが、
その中からその店を選んだのは、
赤いのぼりが目に入ったからだ。

そののぼりには、
「本場和歌山ラーメン」と書かれていた。

本来ならば、途中の和歌山駅で途中下車し、
駅周辺の和歌山ラーメンの店を探す予定だったが、
ダイヤの乱れと雨により探索を断念せざるをえず、
その代わりに白浜で美味しい和歌山ラーメンが
食べられることを期待した。

しかし、出された和歌山ラーメンはとんだ代物だった。

明らかにスープの量が多く、
麺はなぜかやや延びており、
やっつけで切ったハムが乗っている。

どう考えてもその店の料理人は
そのメニューを作り慣れていなかった。

こういった観光客相手の店にまともな味を
期待した自分の愚かさを痛感した。

この不味い炭水化物を、
なるべく早く胃の中から追い出したいと思い、
雨の中、白浜まで歩くことにした。

途中、あまりに雨がひどいので
コンビニに寄ってレインコートを入手した。
ズボンは一枚しか持ってきていないので、
それを濡らさないためには必須のアイテムだった。

さらに、これがあとあととても役に立つのだが、
それはまた別のお話。

上り下りの坂道を何度も越え、
その度に「あの山を越えれば海が見える」と
中学校の国語で読んだ大岡昇平の小説の一節が
当時の女教師の声で脳内にこだました。

ようやく辿り着いた和歌山の白浜はその名の通り、
ゴミのない白い美しい浜だった。


しかし、すべてを雨が台なしにした。


白い浜はどこまでも続いていたが、
肝心の青い海はどこにもなかった。

==============================

雨にも負けず、風にも負けず、
千畳敷、三段壁といわゆる名所、景勝をこなした。

ともに崖の一種で、古い地層が
それぞれ名前の通りの形で露出している。
色、紋様の形、ともに独特で
一歩踏み入ると異世界へ行った気になる。

雄大な自然、その表現がまさしくぴったりだ。

繰り返しになるが、この日は一日天気が悪かった。
しかし、天気が悪かったから
日本海のように高い波が次々に襲ってくるきて、
かえって迫力が増していたのかとも思える。

そう考えると悪天候も悪くはなかったが、
今夜のことを思うと憂鬱になった。

その夜は駅で寝るつもりだったからだ。

三段壁付近からの帰りはさすがにバスを利用したが、
白浜駅に帰ってきたのは結局6時過ぎだった。
観光客相手の不味いラーメン屋しかない土地で
夕食をとる気はさらさらなかったので、
紀伊半島を進めるだけ進もうと電車に飛び乗った。

そして、辿り着いたのが熊野市という駅だ。

もう既に11時を回っていたが、
東京の感覚だと開いている店はいくらでもあるし、
少なくともコンビニなら24時間開いているはずだ。

しかし、駅前にはその便利なお店は存在しなかった。

おかげで夕食は持参したチョコレート味の
カロリーメイトになった。
それでも2箱食べれば800キロカロリー、
どうにか飢えを感じることなく夜を過ごせるだろう。

問題は寝る場所だった。

以前、新潟、鳥取で駅寝をしたことがある。
その時は一人ではなかったが、
駅の待ち合い室みたいなところに入ることができ、
ベンチの上で新聞紙にくるまって寝た。

ところが、この和歌山の熊野市では
駅の待ち合い室から閉め出しを食らった。
コンビニを探しに駅からちょっと離れた隙に、
最終列車を送りだした駅員が鍵を閉めたのだろう。

仕方なく待ち合い室のドアの前の、
明るいところに新聞紙を敷いて寝ることにした。
とりあえず駅の軒下で雨だけはかわすことができた。

先ほど買った安物のレインコートが
体温の放出を防いでくれ、
寒さに震えて眠れないということはなかった。

灯ったままの駅の電気と雨音に、
深い眠りにつくことは妨げられたが、
どうにかまどろむことはできた。

しかし、そのまどろみすら
車のブレーキ音によってかき消された。

目の前のロータリーに
真っ黒い車が2台、急停止した。

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暗闇から急に現れた2台は、
ロータリーの真ん中で、
排気ガスとけたたましい笑い声を周囲に
まき散らしていた。

既に雨は止んでおり、
開け放った窓から男女の声が
光も音もない夜によく響いた。

話の内容と話し方から判断すると、
車内にいたのは典型的な田舎のヤンキーだった。

横になりながら薄目でその様子を眺めていたが、
突如彼らが静かになり、
徐行でロータリーを周回し始めた時は
戦慄を覚え、どこに逃げるかを考えた。

ロータリーを周回する車が、
俺の前に来ると少し減速しているように
思えたからだ。

もちろん車の中は見えないが、
携帯電話で2台の車が連絡を取り合っている
可能性はかなり高く、
自分が彼らの話題の主になっている可能性も
同じくらい高かった。

しばらくそうして周回していた車は、
一瞬止まったかと思うと、今度は一気に
アクセルを吹かして走り去っていった。

走り去る様子を見ながら、
すっかり目が覚めてしまった俺は、
これからどうすべきかを考えていた。

また彼らが戻ってくることはないだろうが、
別なヤンキーが現れたらまた眠れなくなるし、
なにより面倒だ。

結局、近くの線路をまたぐ歩道橋の上に避難した。

そこは当然、雨に濡れており、
新聞紙は役立たなくなってしまったが、
万が一先ほどの彼らが戻ってきても
まず見つかるはずのない安全な場所だった。

そこでしばらく新聞紙の上に座っていると、
何と先ほど車がロータリーに戻ってきた。
またもやけたたましいブレーキ音をともないながら。


それも黒い車は3台に増えていた。


そして、新参と思われる1台の窓から
「いねぇじゃねぇかよ~」との大声が聞こえた時、
気分はすっかりハーレイ・J・オスメントだった。

つまり、自分にはシックスセンスがあると
確信するようになった。

あのまま、あそこで寝ていたら、
果たして伊勢湾の魚の餌になったか、
それとも紀伊山地の木の栄養になったかの
どちらかだろう。
まさか親切にも彼らの一人の家に
泊めてくれるなんてことはありえない。

その日は寒さと恐ろしさで眠れやしなかった。

次の朝、鬼ケ城という名所で朝日を見る予定だったが、
そんなものは当然キャンセルで、
逃げるようにして始発に飛び乗った。

長い長い紀伊半島の鈍行の旅、
この日は次の目的地である鳥羽まで、
景色を楽しむことなく、
昨夜不足した分の睡眠を
取り戻すことにまさに夢中だった。

==============================

志摩半島は鳥羽、
その鳥羽をさらに
青春18切符の使えない近鉄線で南下し、
結局、賢島まで辿り着いた。

ここは、かしこじま、と読む。

ガイドブックで見た
合歓の郷の自然が素晴らしく、
当初の目的地はそこだった。

こちらは、ねむのさと、と読む。

しかし、よくよくガイドブックを見ていると、
そこは入園料をとるらしいことに気付いた、
それも夏目さん一枚。

そして郷まで行くためにはバスに乗らざるをえず、
そのバスというのは観光地だから
無駄に高いに決まっている。

そこで急遽、合歓の郷行きのバスが出ている
鵜方をスルーし、賢島へやって来た。

志摩半島の最南端である賢島ならば、
合歓の郷に負けないだけの自然が、
ただで味わえるのではないかと期待してのことだ。

この辺の判断は賭けに近い。

賢島駅には観光案内所と言う名の
遊覧船への斡旋場があり、
それを見た俺は嫌な予感がした。

それでも荷物をコインロッカーに入れ、
帰りの電車の時刻をチェックして、
コンタクト、折り畳み傘と
万全の装備を整えて探検に出発した。

しばらく付近を散策した結果、
嫌な予感は的中した。

歩いて見える風景ははっきり言ってしょぼい。
どうやらリアス式海岸は海から眺めるものらしく
陸からは大した風景は見られなかった。

やはりここでも金だ。

先進資本主義国家である日本では、
風景にすら市場原理が働いており、
払ったお金に応じて見ることができる
風景のレベルは決まっているのだ。

きっと夏目さん三枚払って遊覧船に乗れば、
それに見合った美しいリアス式海岸が
拝めたことだろう。

結局、俺は賭けに負けたというわけだ。

伊達に毎週末競馬で負けてはいない。
こんな賭けに負けたことぐらい些細なことだ。
しかし、一方で、昨晩の恐怖体験から
これまでになく信心深くなっている俺は、
天啓のように1つの考えを思い付いた。

そうだ、お伊勢参りをしよう。

競馬に当たるように祈ろう、と。
賭けに勝てるように祈ろう、と。

賢くない俺はこの皮肉な名前の土地を後にし、
一気に北上して伊勢市へと向かった。

伊勢市に辿り着いたのは、ちょうど
胃がチョコ味のカロリーメイト以外の何かを
求めていた頃だった。

もちろんチーズ味やベジタブル味の
カロリーメイトを求めていたという意味ではなく、
カロリーメイト以外のパサパサしていない
食べ物を求めていたという意味だ。

昨日の昼間に不味い和歌山ラーメンを
食して以来、パサパサした
スティックを食べ続けている。

左側通行の外宮は、
かなり高い木々に参道が囲まれており、
それらによって太陽光が遮られ、
ほどよくひんやりした空気が
疲れ果てた体には気持ちよかった。

しかし、外宮には飲食できるようなところはないので、
内宮そばのおかげ横町へと急がねばならなかった。

==============================

おかげ横町は意外なにぎわいを見せていた。
松坂牛、薩摩揚げ、抹茶ソフトあたりが
キーワードで、その他いわゆる土産物屋が
かなり広い範囲に並んでいた。

もちろん赤福もあった。

レトロな町並み、というやつを
再現することにかなり金をかけており、
横町を一歩でると普通の民家が並んでいるのだが、
おかげ横町自体は計画的に建設された町らしく
見事に足並みを揃えた町並みに仕上がっていた。

ここではようやく昼飯をとることができた。

イカ天とコロッケ、焼き芋ソフトを
食べたが、イカ天が熱々で、
安い割にボリュームもあり旨かった。
コロッケ、焼き芋ソフトは並か。
期待以上でも、期待以下でもない。

右側通行の内宮は人が多く、
あまり快適な場所ではなかった。

外宮と内宮で、なぜこんなに混み具合が違うのか
理由はわからないが、とにかく全然混み方が
異なっていた。

ここで、松坂牛の値段の高さを知ったので、
松坂はスルーして、一気に京都まで
足を伸ばすことにした。

京都ならば、かなり都会なので、
駅で一夜を過ごしても、
怖い思いをすることはないだろう。

京都までの道中、かなりの高度のある土地、
そう、いかにも忍者の里みたいな土地を
通過したが、そこは忍者以外の者が住むには
苦労が大き過ぎる土地らしく、
未開発の自然がそのまま残っていた。

つまり、窓から見える景色は
緑、青、緑、青、だった。

京都に着いたのは夕飯時だったが、
一路、京都駅前の京都タワーの地下、
風呂に向かった。

かつて鳥取で駅寝をした時、
京都まで帰ってきて風呂を探そうと思ったら
駅の真ん前にあって、大助かりだった
京都タワー地下の風呂。

3年経った今も健在だった。

白浜で浴びた潮風と
伊勢でかいた汗を洗い流した
俺が次にやるべきことは
旨いラーメン屋を探すことだった。

京都タワーの3階が本屋になっており、
そこでラーメン本を参照して、
いくつかよさそうな店を見つけた。

そこは比較的駅に近かったので、
ほんの5分ほど歩いただけで見つかった。

しかし、せっかく見つけた店を前に
空腹の俺はもう一度選択を迫られることになった。

なぜなら、2軒のラーメン屋が
間に何も挟まず直接隣り合って
営業をしていたからだ。

ラーメン本で見つけた店とその隣の店、
客の入りは外から見る限り、ほぼ互角だった。


早速、お伊勢参りの成果が試される時がきた。

==============================

2軒並ぶラーメン屋は客の入りが互角である以上、
どちらかが極端に旨くてもう一方が極端に不味い、
なんてことはなさそうだった。

つまり、ポイントはどちらの店が
より自分の好みに近い味か、ということだ。

正面から見て、
右側にあったのが新福菜館・本店、
左側にあったのが第一旭・本店、
それぞれ赤と黄色で差別化を図っていた。

実はこの時、どちらに入るか
俺の腹は決まっていた。

ラーメン本でもっと細かくどんな麺で
どんなスープかまでチェックすれば、
そうしたまともな基準で選択することが
できるのだが、不幸なことに、
それほど細かくは見てこなかったし、
その本では片方の店しかチェックしなかった。

結局、競馬で言うと、
競馬新聞を持っていない状態で
予想するようなもので、
語呂だとか好きな数字だとかで
適当に買い目を決めざるをえない状態だった。

そして単純に、右に出るものナシ、という
言葉に従って、店側から見て右にある
第一旭・本店の方に入った。

なぜ唐突にそんな言葉が浮かび、
それに従ったかは今となっては謎だが、
この日の俺は格別信心深かったので、
その閃きを天の声だと勘違いしたのだろう。

そういうことにしておこう。

果たして本当に右に出るものナシかというと
もちろんそんなことはない味だったが、
いわゆる京都風のベーシックを味わうには
都合のいい店だったことは確かだ。

京都風のラーメンとは、
薄い醤油味のスープに蕎麦のような
中細ストレートの麺がからみ、
スープに浮かぶは薄切りチャーシューと
山ほどのネギ、そしてメンマというのがその基本形。

食している途中、
右大臣よりも左大臣の方が偉かったんじゃなかったかと
かすかな日本史の記憶を思い出したが、
それは別に第一旭に入ったことを
後悔しているわけではなかった。

それなりに満足して満腹になったその日は、
そのまま京都駅の周りに新聞紙でも敷いて
眠りに就くはずだった。

しかし、よくよく周囲を見回してみると、
あからさまなヤンキーが多い。

それも集団で駅の壁に背を付けて座り込み、
その目は眼光鋭く周囲の様子を伺っており、
俺はあの中に飛び込むだけの勇気を
残念ながら持ち合わせていなかった。

おそらくあそこで眠って、
翌朝起きた時に財布が消えていても
交番のお巡りさんはこう言うに決まっている。

「自己責任ですから(残念!)」

恐ろしい時代だ。

風呂にも入り、京風ラーメンも食し、
あとは寝るだけなのだが、
その寝床となる漫画喫茶を探して
その後、数時間街を彷徨うことになるとは
伊勢の神様以外誰も知らなかった。

京都ぐらいの大都市ならば
駅前をちょっと探せばカプセルホテルか
24時間営業の漫画喫茶はすぐに
見つかるだろうと思っていたが甘かった。

高島屋がある四条通りまで行かなければ、
京都は商業都市としては三流か四流だった。

結局、一晩2000円の漫画喫茶を選んだ。

リクライニングができるとはいえ、
やはり椅子で眠るというのは
肉体の緊張を緩める効果はそれほどはなかった。

さらに音楽や照明が熟睡を妨げ、
初日のカプセルホテルから、
悪夢の野宿、漫画喫茶を経て、
いよいよ精神と肉体が悲鳴を上げた夜だった。

==============================

精神と肉体が悲鳴を上げた翌日、
それらをなだめるための格好の場所を見つけた。

加茂川沿いのスターバックスだ。

橋と同じ高さの1階から入り、
水面に近い高さの地階に行けば、
もうそこはすっかりまどろみプレイスだ。

かなり広い部屋で、定番のジャズが流れ、
コーヒーの香りと加茂川の景色を楽しむ。

もちろんフカフカのソファに
下半身をうずめながら、
腹筋も背筋も完全に弛緩させ。

朝日を浴びながら窓際でまどろむ外国人、
1つのテーブルを囲む朝帰りの学生たち、
時間の流れを遅く感じる場所というのは
確かに存在した。

これまでにスターバックスは
国内だけで軽く50軒以上回ったことがあるが、
もちろんここに匹敵するような
快適な空間は見当たらず、
個人的にスタバの聖地と認定することにした。

よって、京都は様々な文化施設があり、
巡礼対象に事欠かないが、
このスタバがその仲間入りを果たしたことで、
京都の名所ツアーがさらに深くなったと
言えるだろう。

3箇所も連続で寺院を回れば、
いつの間にか個別の印象は薄まり、
記憶は曖昧になってしまう。

脳は楽をしたがる。

時にはカフェインで
刺激を与えてやることも必要だろう。

すっかり元気を取り戻した俺は、
その元気を他人に分け与えるため、
四条通り脇の献血ルームに行った。

千葉、東京以外での献血は初めてになるが、
京都は美人の多い土地だと感じたので、
ぐったりと血を抜かれながら、
白衣の美人を眺めてみるのも悪くなかった。

本来の意味とは違う旅打ちを楽しむと、
急いで京都駅に向かった。
電車のスケジュールがタイトで、
一歩間違えれば簡単に予定が狂ってしまうのが
鈍行の旅、18切符の旅だ。

しかし、この日は一歩どころか、
一歩を踏み出す前から間違えていた。

時刻表を見て、つながっていない路線を
勝手につながっているものと思い込み、
そこを通って琵琶湖を一周するつもりでいた。

ちょっとした時刻表の見間違いなのだが、
かなり決定的なミスで、昨晩漫画喫茶で
寝るのも惜しんで作った旅行計画は
あっさりと水泡に帰した。

仕方なく、近くの名所ということで、
草津へと移動した。

ちなみにここにも滋賀唯一のスターバックスが
あったが、商業集積の中にあるよくあるタイプで、
残念ながら特筆すべきところはなかった。

時間だけが余ってしまい、
草津駅付近には時間を潰せそうな
場所もなかったことから、
必然的にこの日の午後の時間の使い道が決まった。

歩くのだ。

どこまで歩くのかというと、
夕方に入る予定の温泉がある大津までだ。

この日は旅行最後の日にして
初めて晴れた日だ。

おかげでテンションがおかしくなっていたのだろう。

草津~大津の距離は直線距離ではそれほどないが、
ウネウネと実際に歩いたら20キロはある。

スニーカーでジョギングするなら、
どうにか許容範囲だろうが、
サンダルで重い荷物を背負いながら歩くと、
菅直人も真っ青の地獄行脚になることは
明白だった。


きっと、すべて太陽が悪いんだ。

==============================

太陽光線から頭部と首の後ろを保護するため、
タオルを頭部に巻く必要がある。
そして、巻いたタオルが湖からの風に飛ばされないよう、
どこかで固定する必要もある。

この2つの条件を満たすため、
例の泥棒スタイルにならざるをえなかった。

「野菜泥棒に注意」の立て札を見る度、
キョロキョロと周囲にパトカーや
パトサイクルがいないか確認してしまうが、
そもそもちょっと市街地から離れた
田園地帯には人陰がなく、ただ田畑あるのみだった。

そんなのどかな道を延々5時間ほど歩き続けた。

途中、橋を渡って科学研究所がある島を通過した時、
警察のネズミ捕りの現場を目撃した。

島は研究所の敷地の外には2本の橋と、
それを結ぶ1本の道しかなく、
200mほど間を空けて、通過する車の速度を測る人と
速度オーバーをした車を捕獲する人が、
見事な連携を見せ、次々とネズミをその網に入れていた。

警察官を国家権力の犬と見る人も世の中にはいるが、
いやいやこの時ばかりは国家権力の猫だった。

この先ネズミ捕りアリ、の手信号を
自動車教習所で習ってこなかったので、
国家権力の猫をなすがままにさせてしまった。

どうやったら「ニャー」を上手く手信号で
表現できるのだろうか。

琵琶湖にかかる近畿大橋を渡り切った時は
さすがに達成感を感じたが、
そのあたりで足の裏のマメが潰れてしまい、
変な歩き方になって大津を目指した。

せっかく夜になって辿り着いた風呂も、
潰れたマメのせいで、中途半端にしか
楽しめず、再び京都駅に帰ってきた。

京都駅の伊勢丹の上には
ラーメン屋を集めたゾーンがあり、
昨日味わった京都風ラーメンのおさらいをした。

宝屋という店に入ったが、
そこも典型的な京風ラーメンを食べさせる店で、
薄い醤油味、蕎麦のようなラーメン、
薄切りチャーシューに山盛りネギという
キーワードはやはり共通のものだった。

ラーメン屋の前に並んでいる時、
いかにも京風の可愛い店員が、
中国人に中国語でメニューについて
質問されて困っていたが、
この時ほど中国語を学んでおけば
よかったと思ったことはない。

京都駅を9時頃出る電車に乗り、
翌朝、6時には千葉に帰ってこれた。

初めての一人旅だったが、
京都のよさと和歌山の怖さを
味わえたので、よしとしよう。

長時間、紀伊半島を電車で回っていると、
その紀伊半島で雨の中、徒歩で移動していると、
過去の友人たちとの楽しい旅の思い出が甦り、
なぜこんなところを一人旅しているのだろうと
後ろ向きの発想が湧いてきたが、
それも一時だけだった。

丸4日間、あれだけの距離を移動して
2万5千円の出費だったので、
ケチった成果もあった。


悪くない旅だった、と言えるだろう。
                   -了-
(2004年夏、海月の出る頃)


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