先日、息子と一緒に地元の農業用水路を見に行った。実はこの用水路、分水され 自宅前にも 田植え期のみは流れている。しかし、常時水量のある本水路には、川を越える「水道橋」があるとの記事を息子が市民新聞で読んだためだ。
[地元を流れる農業用水路]
息子は授業の一環で、河川(高野川)から農業水路への取込口を社会見学してきたとのこと。この農業用水路の歴史は古く、江戸時代初期(1655~1662年頃)に作られたそうだ。
八瀬付近で水を取り込み、川北地域を 東西に 通り、南北に流れる花園川を立体交差の水道橋で越え、岩倉の京都国際会館近くまで流れ、今も近隣の田畑で利用されている。
[花園川を越えて流れる農業用水路]
橋の部分は、直径約0.8mほどの鋼管を二つ割にした半円状にしたものを2本並べてある。長さは4mほどであろうか。現在でこそ鉄やコンクリートを簡単に作れるが、江戸時代には何を使って作ったのだろうか興味のあるところだ。
[水道橋部からいつも渡る橋を望む]
因みにこの水道橋は維持管理のため人も渡れるが、一般人の通行は制限されている。また、子供だけの見学は危険を伴うため、厳に謹んでほしい。
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