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追跡者 10章
~ 追跡者 10章 ~
その後、思ったより早く着いた部隊に二・三の指示と確認をし、
ロイも知っている信頼できる将校の部隊に、後を任せて現場を離れる。
その間も、送迎の車が宿に着く間も、エドワードは一言も話さずに、大人しくじっとしてるだけだった。
そんなエドワードの様子に、込上げてくる不安を噛み下しながら、ロイはじっとりと汗が滲む拳を握り締めた。
宿に着くと、急な不在に謝罪し、部屋を移る旨を伝える。
迷惑料として多額のチップと先払いの宿代を払うと、店主が嬉々として、
最上階の1番良い部屋に案内してくれる。
その時も、エドワードが自分は別の部屋を頼むと言い張ったが、
それを黙らし、有無を言わさずに同じ部屋に連れてくる。
ひなびた町で最上の部屋と言っても、都会で暮らしているロイにとっては、
対したようには見えないが、上機嫌の店主が、このフロアーには泊まり客が居ないので、
気兼ねする事がない事を言っていたのが、まぁ、マシな環境というくらいだろう。
「疲れただろ? 着替えをするついでに、風呂にでも入ってくるといい。
ここの宿も、地下水を沸かして、温泉効果があると言っていたから、ゆっくり浸かるのにも最適だよ」
「うん。 じゃあ、先に入ってくるな」
そう力なく告げると、浴室へと姿を消していく。
室内にシャワーの音が響いてくると、ロイは耐えていた我慢を吐き出すように、
ベットに置いてある枕に拳を打ちつける。
自分でも抑えようのない苛立ちが、何の原因で湧き上がっているかは嫌と言うほど、わかっている。
多分、エドワードはあの時、あの邸で何が行われていたのかを、自分の纏う気配で察したに違いない。
どれだけ抑えようとも、ああいう後は、殺伐とした気配を消すことは難しい。
自分には馴染み深く、気に留めない程度のものでも、気配に敏感な彼の事だ、何か感じる事があったのだろう。
邸の中へと告げた時に、エドワードの瞳に過ぎっていた感情の色は、僅かな怯えと、後ろめたさ、そして、後悔だ。
その複雑な感情の色を浮かべた瞳で、ロイを見つめ否定してくる。
「くそぉ」
再度、枕を打ちつけながら、ロイは抑えた声を搾り出す。
漸く、手にした恋人なのだ。 彼を手に入れた喜びに、まだ一日と浸る間もなく、崩れてしまうなぞ・・・・。
そこまで考えて、自問自答する。
『手放せるのだろうか?』と考え、ゾッと身を悪寒が走り抜ける。
もしエドワードが、やはり生きる世界が違うと気づいて、自分から離れようとしたり、
避けられ、嫌われるような事が、もし起こったとして
・・・・・・・・・・、自分は、その手を放せるのだろうか。
ロイは、知らず知らずのうちに、打ち付けた手ともう片方とで身体を支え、首を振る。
『無理だ。 絶対に・・・放せない』
手にした喜びを知ってしまった以上、もう手放すなぞ、頭では納得できたとしても、
感情は付いていかないだろう、絶対に。
ふとした拍子に、思い浮かべては、心だけでなく。身体ごと囚われてしまうと言うのに。
自分自身以上に、愛せる相手を、そう簡単に手放せる勇気のある者は、
聖人君子でもなければ、絶対に無理な事だ。
昨日、話したではないか。
恋愛は奇麗ごとばかりではないと。
相手の幸せの為だけに、己を犠牲に出来るほど、人は尊い生き物ではない。
そんな事が可能なのは、自分の愛する子供くらいで、
自分に出来るのは、必要としている子供を、手放さない努力だけだ。
『もし、彼が去るような事を告げてきたり、自分を避けるようになってしまえば』
・・・ 自分はどうするのだろう・・・。
「なぁ? 風呂に入らないの?」
突然かけられた声に、エドワードが浴室から出てきていた事を知る。
ロイは手を付いたまま俯いていた顔を、エドワードの方に向ける。
湯上りの為、血色の良くなった頬は、ほんのりと紅く、匂い立つような色香を立ち昇らせている。
本来の色を取り戻した金糸の髪も、しっとりと解かれていて、
薄い備え付けのパジャマからは、彼のしなやかな肢体が透けて見えるようだ。
ロイは、ゆっくりと誘われるように惹き付けられると、愛しい人に触れようと手を伸ばすが、
「早く、入ってくれば?」
と、伸ばした手を避けるように、浴室への道を空ける相手の行動に打ちのめされた気にさせられた。
そんなロイの様子には気づかなかったのか、エドワードはさっさと備え付けの水瓶から、
コップに注いで飲み始めていた。
ロイは、焦燥で波立つ気持ちのまま、浴室に入り、熱くなっている思考を冷やすために、
湯にも切り替えずに、落ちてくる水に打たれ続けていく。
これ以上は、体調管理が出来無くなる寸前まで浴び続けた後、
そのまま凍えきった身体で、浴室から上がっていく。 落ちてくる雫を邪魔くさそうに吹き上げながら、
部屋への扉を開けると、片側のベットにうつ伏せに転寝している姿が見えた。
投げ出された手足と、捲れ上がった裾からは、白い肌が見えている。
それだけで、ズクリと疼く下半身に、厭きれるしかない。
そんな些細な日常的なシーンを目にしても、身体も心もざわつかせる相手に、
自分はどう抗えば良いと言うのだろう。
寝ている相手の傍まで行くと、ベットの端に腰をかけながら、散らばる金糸を拾い集める。
傍に人がいる気配があっても、起きること無いほど疲れているのだろうと思うが、
触れる手を止める事は出来なかった。
触れる指は、金糸から、幼さの残る頬に移り、次に小さく吐息を付いている唇に移る。
頬に沿わすと、ピクリと眉が顰められる。 冷え切っているロイの手では、冷たすぎたのだろう。
そして、唇に触れているのが、指だけでは我慢できなくなると、ゆっくりと身体を覆いかぶせて行く。
「冷た!!」
冷たさに驚き目覚めると、動かない身体にぎょっとし、その今の元凶を見つけると、更に、目を大きく瞠る。
「・・・あんた、何で、こんなに冷たいんだよ? 風呂に入って来たんじゃなかったのか?」
訝しい表情で、ロイに声をかけ、冷えた身体を嫌がるように、手を突っぱねて押しやってくる。
「冷たいって…! 離れろよ、俺が冷えるだろ」
自分を押しやろうとするエドワードの手を、易々とシーツに繋ぎとめると、
ロイは苦笑しながら、努めて茶化すように、
「冷たいなエドワード? 恋人の身体が凍えそうなんだから、温めてくれても良いだろう?」
そう囁き、体重をかけていく。
「ちょ、マジに止めろよ。 あんたは、も一回風呂に入ってくればいいだろ?
俺は、今日はもう寝るんだから」
押さえ込まれている手を取り戻そうと、力を籠めるが、ベットに沈んで行くほどの力を籠められ、
動かすことも出来ない。
相手が、本気で拘束しようとしているのに気づいたエドワードが、瞠った目を、ますます大きくしていく。
そんな彼に、小さく苦笑を返すと、ゆっくりと口付けを落とそうとして、寸でのところで、顔を背けられる。
「エドワード?」
「だ、駄目だ、今日は…。 俺は、もう寝るから、あんたもどけよ」
そんな恋人のつれない態度に、さっきまで浮かんでいた考えが、また顕われ、哀しみと共に自分に問いかける。
『放せるのか? 嫌われ、避けられたとして…』
そんな自分自身の問いかけに、鋭い痛みが胸を突き、心の蓋に亀裂が走る。
そして、その蓋の中からは真っ暗な底なしの闇が垣間見え、普段取り繕って隠している、
危険で、凶暴な、本能という欲望が湧き上がって来るのが判る。
理性や、常識、思いやりと言われている、人としての美点であり、いつも自分が纏っている皮が、
簡単に闇に染め上げられていく。
ロイは、押さえ込んでいた片方の手で、エドワードの顎を痛いほどの力で掴み上げると、
噛み付くような勢いで、口内を蹂躙する。
「んー!! んっ・・・んんーぅ 」
放された手で、ロイを打ちつけ、絡まれた足を解こうとバタつかせる。
口を閉じようとするが、掴まれている力でどうしようもないとわかると、激しく首を振る。
本気で抵抗しているせいか、口付けが難しくなると、ロイは露になっている喉元に、跡が付くほどきつく噛み付く。
「痛ったー」
途端に上がった悲鳴にも構わず、次は肩にも噛み付く。
「いっ!! 痛い、ロイ、痛いからヤメロって!」
エドワードの制止の声も、今のロイには届いてこない。
ロイがエドワードを手に入れるのに邪魔をするようなら、例え本人でも、
自分は許しはしないと言うように、三度目の牙を柔らかな身体に立てようとする。
その瞬間、バシッ と、大きな音と、頬が衝撃で熱くなったのに、
ロイが驚いて、茫然とエドワードを凝視する。
「何で、言ってんのに聞いてくれないんだよ!
あんた以前言っただろ! もう無理強いは絶対にしないって!」
彼の怒りで紅潮させている顔には、薄っすらと涙が浮いている。
ロイは、叩かれた頬に茫然と手を添え、目の前が暗くなるような想いに、愕然とする。
そうして、固まっているロイに目をやると、エドワードは嘆息を付いて、添えている手を外してやり、
昨日、ロイがしてくれたように、小さな唇を近づけて、
紅くなってしまった痕を躊躇いがちにたどたどしく舌を這わせていく。
そのエドワードの行動に、更に驚いたように反応し、その後、大人しくされるがままのロイの身体が、
震えているのに気づくと、ゆっくりと抱きしめてやる。
それに、すかさず相手も手を回して、自分以上の力で抱きしめてくるおかげで、
かなり冷たい思いをしなくてはならなかったが、小さく身を震わせてやり過ごすと、
抱きしめながら、聞いてやる。
「なぁ、どうしたんだよ? 何かあったのか? 急に、そのぉ、あんなになるような・・・」
あんな事件の後だ。 このいつも冷静な男が取り乱すような事があったのかも知れない。
そんな事を考えて、聞いてみるが、答えは逆に、問いで返された。
「君は・・・」
それだけ言うと、黙ってしまう相手に、エドワードは、目線を合わせて覗き込む。
「ん?」
「・・・・・・嫌になったのか、私を?」
瞬間、エドワードは合わせた目を真剣に見直してみる。
拗ねているのか? 冗談なのか? からかっているのか?
が、じっと見つめる先の闇には、哀しい色が浮いている以外は…。
どうやら、本気で聞いてるようだ。
エドワードは、相手の言葉の意味がわからず、思わず疑問が口を突いて出る。
「なんで?」
不思議そうに返された言葉には、それ以上の他意も感じられず、ロイの方も、戸惑いを深くする。
「何故って・・・、今日、ずっと避けてたじゃないか、私を・・・」
ロイの言葉に思うところがあったのか、「ああ・・・」と小さく頷くと、表情が翳る。
そんなエドワードの表情を見ていたくなくて、視線を落として、ずっと溜めていた不安を語り出す。
「君は、邸の中で、私が何をしていたのかを察したのだろ?」
それは断定。
疑問でも、問いかけでもない。 唯の事実の確認だ。
だから、エドワードも観念して、返事をする。
「ああ。 多分、解っていると思う」
だから、邸には入れなかった。 足が竦んでしまって・・・。
「だから、嫌になったんじゃないのか・・・?
・・・私の事が、怖くなって…、疎ましく思ったから…だから…」
「…ロイ」
思わず小さく名を呼ぶ。 余りにも辛そうに語るから・・・。
「…それでも、君とは生きてる世界が違うとわかっていても…、
君の、…君の幸せを思えば…手を放すべきだと…思ってはいても」
ぐっと握り込まれている手が、色が白くなり、小刻みに震えている。
その手を、自分の目の先で開き、
「この薄汚い手を、放してやれないんだ…」
そう告げながら、自分の手を侮蔑するように凝視している。
そんなロイの様子に、エドワードは初めて知る。
辛そうに自分に懺悔するこの男も、自分同様に、苦しい世界で生きている事を。
人は誰しも、他人に許しを祈っているのかもしれない。
精一杯に生きても、人は罪を重ねていく。
罪の重さ、軽さ、大きさ、小ささは有るだろうが、
生きていく間中、ずっと、人は罪を重ねて生きていくしか出来ない弱くて、愚かな生き物なのだ。
エドワードが、ロイの言葉で、自分の罪悪感が、少しだけ薄れたように、
ロイもまた、自分にそれを見ているのだ。
だから、エドワードも素直に話してやる。
今のこの哀しい男には、それが必要だと思うから…。
「ロイ。 俺は確かに、邸での事は、俺とは違う領域だと思っている。
でも、だからって、あんたが俺らとは違う人間だとか、ましてや
怖いとか思ったわけじゃないんだ。
俺は…、自分が情けなくて仕方なかったんだ。
罪を犯して尚、あんたや、中尉や、皆みたいに覚悟も決められなくて
…奇麗事ばかり言ってる中途半端な自分が…。
本当に…情けなくて…、
ごめんな、役に立たない奴で…」
「エド…ワード…」
「それに、手加減出来るような世界じゃないだろ? あんたが生きる世界は。
いいんだよ、あんたはあんたの世界で、必死に生きて。
俺は、手助けは出来ないかも知れないけど、理解は出来ると思うし、
そんな事で、あんたを嫌いにならないし、疎んだりしないって、誓えるから」
強い眼差しが、自分に真っ直ぐに向けられている。
ロイは、その琥珀より遥かに綺麗な瞳を、信じられないものを見ているような気にさせられながら、
じっと魅せられる。
この瞳が、これだけ美しいと気が付いたのは、最初に抱いた日の書庫でだった。
無垢な美しさが、無機質な輝きを見せて、自分を映したとき、ロイは体の中に、
痺れるような感覚が走った、あの時。
でも、今の方が遥かに綺麗で、ずっと自分を惹きつけて仕方が無い。
同様な無垢な輝きは変わらないのに、もっとずっと、ずっと有機的に、身近に思える。
ロイは、恐れて伸ばせなかった手を伸ばす。
汚れてても構わないと言ってくれた、最愛の人に触れる為に。
エドワードは、恐る恐る伸ばされた手が、自分の頬を包むとき、
思わず湧き上がる安堵感と、喜びで、自然と頬が緩み、唇が微笑んで行くのを感じていた。
自分が微笑むのと反比例して、泣きそうな表情を浮かべている相手を、
少し困ったように首を傾げて見、優しく名を呼ぶ。
「ロイ」と…。
その声が、余りに甘くて優しかったから、ロイは堪えていたものが、溢れ出して、押さえ切れなくなる。
昨晩から、何度この子供には驚かされているだろう。
小さな身体からは、考えられないような過酷な運命に立ち向かい、更に罪を背負う大人に許しを与えていく。
どこまでも強く、大きな精神は、許しを乞えない立場の自分でさえ、ゆっくりと癒していってくれる。
自分の頬を伝うものは、涙なんかでは無いと言い切れる。
これは、彼への贖罪であり、感謝の祈りだ。
神にも見放されている自分達が、それでも人としての幸せを手にしようと足掻くことを許してくれる、
慈悲深い子供への。
結局、人を許すのは、人にしか出来ず、
人を救う者も、やはり、人以外では有り得ないのだから。
今度は、寄り添い口付ける事を拒まないその身体を、優しく、
でも、決して放さないと言うようにしっかりと抱きしめる。
エドワードは、何度も自分の名を囁いては、口付けてくる相手のキスの上手さに、
ポッーとなる意識を、懸命に繋いでいた。
彼とのキスの難点は、上手すぎる事だろう。
始まってしまえば、思考も、言葉も出なくなって、伝えたい事もきっちりと伝えられ無くなる。
ロイとの口付けは、好きだ。 気持ちがいいから…。
抱きしめられるのも、結構好きかもしれない。 安心感で一杯になるから…。
その先も、決して嫌いではない、嫌いではないが…。
既に口付けは、首にまで降りており、先ほどの噛み跡を丁寧に嘗めている。
抱きしめている身体には、徐々に体重がかけられて、このままだと、確実に倒れる事になるだろう…ベットに。
「ろ、ロイ。 ちょ、ちょっとタンマ!
待て、待てってば!」
エドワードの必死の言葉に、合わされて瞳が、またしても翳る。
それを見れば、言うしかなくて…。
「ロイ! 今日は、駄目だから!
俺、出来ないっ!!」
そう叫ぶと、訝しむ目で見返される。
それに、真っ赤になり俯きながら、情けない気持ちで、言葉を告げる。
「……今日、馬に初めて乗ったじゃんか」
消え入りそうな声で語られた意外な話に、ロイは何事かと思いながらも、「ああ?」と相槌を打ってやる。
「で、そのぉ…あれって、結構、擦るじゃんか…お尻…」
そこまで言われて、漸く気づいた。 エドワードが何を言いたいか。
「そうか…、そうだな…。
初めてで、あれだけ長時間乗れば、確かにそうなる…な。
しかも、君は今日、スカートだったね…」
ロイはその時の事を思い出しながら、苦い目をする。
しかも、しがみ付かれるのを喜んで、結構走らせていたりもしていた。
「……だろ?」
小さい身体を、余計に縮込めている彼を見て、申し訳ない気が浮かんでくる。
自分も始めたばかりの時は、正直座るのも大変な時があった。
「じゃあ、さっき断ったのも…」
「うん、今日は絶対無理…、腰も昨日のと今日のとで、かなりきてるし。
でも、俺、触られると駄目だって言ったろ?
だから、残念だけど……」
『残念』の言葉が、本当に悔しそうに聞こえて、ロイはくすりと笑ってしまう。
そう、思ってくれる事が嬉しくて…。
でもどうやら、エドワードは、そうは取らなかったようだ。
「なんだよ…、大体、あんたがあんな無茶な乗り方するから悪いんだろ」
恥ずかしさと、怒りで、真っ赤になった顔で、睨みつけてくる。
それに「済まない」と心から詫びながら、なるべくそっと、肩を抱きしめる。
「じゃあ、さっきの風呂から出たときも、触れさせてくれなかったたのは、そう言うわけで?」
「ああ、あれは、それだけじゃなくて…。
あんた、戻ってきた時の俺らって、どんなだったか、わかって言ってんの?」
そう言えばと思う。 馬にあれだけ乗って、しかも潜入捜査してでは、かなり泥だらけで、埃っぽかっただろう。
「それなのに、上がってきたばかりに触られでもしたら…。
大体、あんた、それで終わらないじゃんか。
俺、風呂に入るのにも、かなり…」
痛みを思い出したのか、エドワードが口を噛み締めている。
「そうだね…、多分、いや、かなり染みた筈だ」
労わるように、肩を撫でてやる。
散々悩み、葛藤していた時間も、真相を聞いてみればどうという事でもなく。
その後は、もう自分の馬鹿さ加減が、嫌になって、腹ただしくて、呆れてしまっう…。
少し考えれば、わかるような事ばかり、
気づいて当然の事ばかりで・・・・・・。
浮かれ過ぎていたとしか、言いようが無い。
己の馬鹿さかげんに、自己嫌悪してしまう。
そんな思いに捕らわれて瞳を翳らすロイを、エドワードは心配そうに、覗き込んで呼びかける。
「ロイ?」
「いや…、本当に自分が嫌になってね。
少し考えれば、君が言った言葉を、簡単に違えるような人間でない事なぞ、わかりきっていた事なのに・・・。
それなのに、私ときたら、自分自身さえ信じられないような事ばかりしている」
そのロイの言葉に、どうやら今度は落ち込んでいるらしいと察する。
忙しい奴だなと思いはするが、自分の態度にも問題があったのだからと、
慰めてやろうとして困惑する。
大人の男を、どうしたら慰めてやれるかが、解らない。 解らなかったから。
「エドワード?」
自分の頭を一生懸命に撫でてくれている相手に、ロイは思わず顔を上げる。
「いいじゃん、別に、そんな時があっても。
俺もあんたも神様じゃないから、全部が全部、上手くばかり行かないさ。
今日反省した事は、取りあえず、明日からは気をつけるって言うんで。
俺も、言葉足りない奴だから、わかりにくかったら、聞いてくれよな?
あんた、溜めるととんでもない行動に出ること多いから、溜めないで、聞いてくれればいいから。
俺も…出来るだけ伝えるように頑張るから」
健気にも、そう言ってくれる彼に、ロイはこの夜始めての、心からの笑みを浮かべた。
その後、嫌がるエドワードを宥めつくして、擦り傷に薬を塗らせて貰う事にする。
そして、下着の下には、可哀相な位真っ赤なお尻が、一皮むけているのを目にして、心から深く反省した。
そして、仲良くうつ伏せで、寄り添って眠る。
手を繋ぎ、心を寄り添わして…、
最愛の人を手にしたばかりの喜びに包まれながら…。
***
翌朝、最速で来てくれたのだろう、馴染みのメンバーが、泊まっていた宿に姿を現した。
「お疲れ様です」
キビキビと敬礼をし、事の成り行きを話し出す。
「昨日、更迭した者達に関しては、北方が責任を持って調べ上げてくれるそうです」
「そうか、彼ならきっちりと隅から隅まで調べ上げてくれるだろうが、
どうせ、後ろは白を切り通すだろうがな」
「はい。 その件は、いかがされますか?」
「昨日、証拠物件は押さえておいた。 それは、東方に持ち帰り、きっちりと方をつけておく。
今後の周囲への牽制も含めてな。
で、そちらからは何か出たか?」
「はい、調べたところ、かなり無茶をしているようですが、特に突くべきは、使い込みと賄賂ですね」
「なるほど、次のターゲットは東方と言うわけか」
「そうですね。 空いた席が欲しかったんでしょう」
「全く…、そう簡単に空くわけがないだろうが。
が、強硬に出るには、何か理由があったんだろう?」
「はい、もともと色々な不穏な噂が飛び交っていた人物ですから、
今度、中央からの大々的な監査が、入る計画が進んでいたようだとヒューズ中佐からの言葉でした」
「なるほど、それまでに埋めて、危ない場所は、さっさと去るつもりだったわけだ。 安易な考えだな」
肩を竦めて呆れたように話すロイに、冷たい視線を注いで聞いている。
「まだ、何か…」
少々、気圧されしながらも、その視線の意味を問う。
「いえ…。 馬鹿な計画を実行するにあたっては、馬鹿みたいなチャンスが舞い込んだからだろうと」
しらっと言われた言葉に、言い返す愚かな事はせず、エドワードが待っている席へと、そそくさと戻っていく。
「んじゃ、ここには少尉と中尉だけで来たんだ」
「おう、更迭は北方がしてくれるとなると、特に俺らが動く必要がないからな。
今向こうで、これから必要になる調査の確証を急いでんじゃないか」
「じゃあ、俺らが急ぎ戻った方が良かったんじゃないのか?」
わざわざ、迎えに来てもらうためだけに、人員を割くのは無駄の気がして、言ってみる。
「そりゃそうだろうけど、そんなわけに行かないだろうが?
大将は、あんま考えてないんだろうけど、軍の高官や少佐待遇の人間が、
普通はホイホイお守りもつけずに動くほうが、有り得ないんだぜ?」
そう言えばそうだった。 年がら旅している自分は、そこら辺は頓着していなかったが、
確かに高官が一人でなんて、いくら総統府からとは言え、無謀すぎる。
「じゃあ、何で…」
エドワードの呟きに、ハボックは苦笑して、それは本人に聞いてくれと、やってくる人物と交代で、席を立つ。
「どうした?」
近づいた自分を、二人して奇妙な表情で見つめている。
「いえ。 で、すぐに戻りますか?」
話を切り替えてくるハボックを、不審には思うが、急ぐに越した事がないので、頷いて出立の準備を頼む。
***
就寝の時間になり、各々が用意していた部屋に入っていく。
さすが軍用車の高官用とは言え、二人で寝るほどのベットは置いているわけがない。
エドワードが下は嫌だと言ったので、彼は上段に、ロイが下段のベットに入る。
列車は途中に1度だけ、補給の為に停車し、後はそのままイーストへと走り続けている。
明日の朝には、到着するようだ。
不安定に揺れる列車の中で、静かに目を閉じていると、次々と色々な思いが浮かんでくる
ここ数日は、本当に色々な事があった。 思い起こすだけで、頭と感情が一杯一杯になる。
イーストに着いてアルフォンスと合流したら、少しだけ落ち着く時間を持ちたいと切実に思う。
ロイに逢わなかった間に、考えたもろもろの覚悟や決意も、逢ってしまえば、あっさりと覆ってしまう。
本当に、このままロイの想いを受け入れてしまう事が、良い事なのだろうか…。
今更、二人の関係を無しにしようとは思わないが、このまま流されたように付き合っていくのも、不安なのだ。
相手が真剣で、一生懸命になればなるほど、エドワードは不安になる。
自分の未来も見通せないのに、人一人の想いを更に負う事なぞ、今の自分には到底不可能にも思える。
『それに、アルフォンスには…』 どうしろと言うのか。
話すなぞとてもじゃないが、考えられない。 が、かと言って、知られずに済むかと言えば、
敏感な弟が、いつまで気づかずに済んで居てくれるか…。
知らず知らずのうちに寝返りを何度も打っていたのだろう。
「眠れないのか?」
下から、低い声が問いかけてくる。
「いや…、ごめん。 もう寝るから」
気配が薄くなっていたから、すっかり寝てるものだとばかり思っていた。
実際、今まで寝ていたのかも知れない。 エドワードの動く気配で、覚めたのだろうか。
寝なくちゃと、ぎゅっと目を瞑っていると、ふわりと気配が動いたのが感じられ、そっと目を開けてみると、
少し困ったような表情で、自分を見ている相手と視線が合う。
「あっ…、ごめん、もう寝るから」
完全に起こしてしまった相手に、申し訳なくて言葉を告げる。
それに、小さく首を振ると、ロイは手を伸ばして、寝ている相手の頬に触れる。
「大佐…?」
どうしたのかと目で問いかけるが、じっと自分を見つめてくる。
頬に置かれた手の平からは、ほんわりとした温かさが広がっていき、思わず手の平に頬を摺り寄せていた。
そんなエドワードの仕草に、小さく笑みを浮かべると。
「…君が戸惑う気持ちはわかる。 大人への入り口に立ったばかりの君に、
私のような年嵩の者に気持ちをぶつけて来られても、受け止めきれないとは解っているんだ」
そう少しだけ哀しそうに語られた言葉に、エドワードがギクリと身を固くする。
「それでなくとも、我々は色々と違う点ばかりの二人だ。
互いに気持ちを確認して行く時間もなかったしね。
でも、少なくとも今持つ気持ちを否定したり、消そうとはしないでくれ。
時には感情に付いて行けない時もあるさ。
私だって、君を思う気持ちに振りまわされぱなしで、どうにも出来ない事ばかりなんだ。
君に自分の持つ感情を、全て把握しろとは言えないさ。
いや、出来なくて当然なんだ。
そう言う事は、これから二人で過ごすうちに、だんだんと自分の中に染み込んで、
落ち着いていくものだと思っている。
性急に答えを出す必要はない、そんな戸惑う自分を許してやってくれ」
心地よい揺れの中、静かに、懇々と告げられる言葉は、エドワードの先ほどまでの心の戸惑いを、
少しずつ解して行ってくれる。
「ん」
小さく頷き返すと、ロイもホッとしたように微笑み返す。
そして、視線を少しだけ俯かせると、きっぱりと顔を上げて、
エドワードを見つめてくる。
『まだ、何かあるのだろうか?』と不思議そうに見返すと、
「エドワード。 これは、少し言いにくいんだが…」
そこで言葉を止めて、口篭る様子に、エドワードの眉が寄る。
そして、次の言葉に、細めた瞳が、大きく瞠られるような言葉を聞かされる。
「いずれ、アルフォンス君には、我々の関係は、きちんと話した方がいい」
「なっ!!」
思わず身体を起こしそうになって、ここが天井の低い寝台車である事に気づいて、
身体を横にして、頭を上げるのに止める。
「君からは言いにくい話だとは思うが、君らは普通の兄弟とは違う。
絆の深さも、互いを思う心も、他よりも遥かに強い関係だ。
言わずに済む事ではないし、気づかれずに済むほど、彼は鈍感ではない。
君の変調はすぐにばれるだろう。
後から知って、彼が傷つくような事があれば、君はそれ以上に傷つくし」
(この私との関係を止めようとするだろう)
最後の言葉は、ロイの心の内だけで呟かれたが、それは確信だ。
弟に反対されれば、彼は必ず、自分の気持ちを封じてでも、ロイとの関係も無くそうとするはずだ。
だから、ずっと考えていた。 エドワードを愛していると自覚してからは特に。
エドワードを完全に手に入れる為に、必要な事はと。
「そ、そんなの…無理だ・・・。 どう・・やって言うってんだよ。
お、俺とあんたが、そんな関係でしたなんて…」
薄暗い灯りの中でも見て取れるほど、顔を蒼くして動揺に唇を震わせながら、きれぎれに告げてくる。
「全てを話す必要はない。 ただ、我々が付き合っている事位は、きちんと話しておくべきだ」
ロイも、少し声を大きくして、必死に話す。 いつかは必ず通るか、引っ掛かる事柄なのだ。
この兄弟の繋がりを知っているからこそ、後からになればなるほど、
知らずにおらされた弟との亀裂が深くなる事が予想される。
「大丈夫だ。 あの弟なら、きちんと話せば、必ず解ってくれる。
もし君が言いにくいなら、私が…」
「駄目だ!! アルには言わない! アルに言う位なら」
「エドワード!!」
ロイの強い口調に遮られ、ビクリと肩を竦める。
「そんな、哀しい事を言おうとしないでくれ。
今すぐと言ってるわけじゃない。 気持ちが落ち着いてからでいいんだ」
辛そうに語られる言葉に背を向けながら、エドワードはシーツを握り締めて身体を丸める。
「でも…、アルは…身体も…なくて、そんな相手にも出会えないのに、
それを…俺が…この俺が、自分だけ…」
「エドワード、悪いと思うかどうかは、彼が決める事だ。
私達は、きちんと彼に話すべきだ。
彼を、本当に大切に想うなら」
そう告げる声を聞きたくないと言うように、エドワードは耳を塞いでシーツに潜り込んでしまう。
その様子に、ロイは嘆息して、丸まっている身体を、ポンポンと軽く叩いてから、
自分のベットに戻っていった。
そして、ゴロリと寝転びながら、狭いベットの天井を見る。
確かに今の彼には、無理難題な事柄だ。 自分の気持ちさえ、掴みがたい彼に、
肉親の、しかも罪悪を抱えている相手に対して、告げる事なぞ。
が、そうしなければ、ロイは今の不安定で不透明な状態で彼を手にしている事に、
恐れと焦燥を抱えて行かねばならず、彼は彼で間違いなく、後ろめたさに押し潰されて行くだろう。
自分の幸せを、悉く否定して生きているような彼では、等価の法則で割り切っていた時ならいざ知らず、
自分の為にと気づき始めている今、弟への贖罪の意識が強くなれば、あっさりと全てを捨てかねない。
そうなれば、ロイは自分がその時に、何をしようとするかわからないのだ。
最悪な事を引き起こしてしまう前に、二人の関係をきっちりと確立している方がよい。
エドワードの性格から、弟に打ち明ければ、今度はそれを順守しようとするようになるだろう。
弟の心を煩わせたと思えば、今後ないようにと自分の気持ちに枷をかける。
それは彼らしい生き方で、ロイには願ってもない事だ。
一生涯、自分以外に心惹かれる人間を作らないように、恋人が生きてくれる。
それは、ロイには堪らない誘惑だ。
結局、エドワードの中では、アルフォンスが1番なのだ。
彼の幸せも、二人のこれからの未来も、鍵は全てアルフォンスが握っている。
それを寂しいとは思わない。
自身のことさえ、1番に出来ない彼だからこそ、許せることではあるが…。
が、今の状態では、そう都合よくは進まないだろう…。
***
「兄さ~ん!」
駅に着くと、大きな鎧姿が、手を振っているのが見える。
「アルー!!」
降りて姿を認めると、一目散に走り寄って行く。
そのまま、弟の腕に縋る様子に、アルフォンスがオロオロとしている。
「ど、どうしたの? 何かあった? あっ、それともしんどいとか?」
いつも兄貴風を吹かして、自分の前では悠々としているエドワードが、
小さな子供のようにアルフォンスに縋りつくなど、珍しいを通り越して、心配になる。
「やぁ、アルフォンス君」
その声に、ビクリと反応するエドワードと、そんな兄を気遣いながらも、挨拶を返すアルフォンス。
「あっ、大佐。 こんにちは。 あのぉ、何か兄がご迷惑かけたんでしょうか?」
あきらかに大佐を視界に入れようとしない兄の様子は、叱られる前の子供のようだ。
「いや、彼には私が助けてもらった位でね。
これは、昨夜少々、鋼ののご機嫌を損ねるような事を、私が言ってしまったからだろう。
すまなかったね」
最後の言葉は、エドワードの方に向けられていた。
「兄さんたら…」
この兄が、大佐からの言葉に、良く反発を示すのは今に始まった事ではない、ないが…。
それに、大佐の方から折れてくるのも、余りない事で…。
妙な気配に、アルフォンスも困惑を浮かべるが、何故か追及もしにくくて。
「取りあえず、疲れているだろうから、宿に連れて行ってやってくれ。
軍の方では、しばらく忙しくなりそうでね。
報告書は落ち着いた頃に、届けてくれればいい。
ただし、今回の事件が解決するまでは、イーストからは出ないように」
「はい、わかりました」
そっぽを向いて、応えようとしない兄の代わりに、アルフォンスが了解を伝える。
そして、踵を返そうとして、ピタリと動きを止めると、弟の横で、
微動だにしないエドワードの頭に、軽く手を触れる。
「鋼の。 私は自分の気持ちに恥じる事はないし、それが他より劣るとも思ってない。
それは、覚えていてくれ」
それだけ告げると、返事も待たずに、軍のメンバーが待っている方向へと歩き出す。
「ねえ、兄さん? 今のどういう事? 大佐に何かお話されたの?」
「何でもない。 アイツの事なんか、知らねえよ。
とっとと、宿に行こうぜ」
「兄さん…」
先に歩き出すエドワードの背中を見て、アルフォンスは弾かれた自分を感じて仕方がなかった。
「ああっ、くそぉ!」
数度目の苛立ちの声を上げて、エドワードは忌々しげに手を打ち鳴らして、
練成でペンと零れたインクを元通りにする。
宿に入って、報告書を仕上げると言ってから2日過ぎるが、一向にページが進まず、
進まない割りにペンが何回も駄目になっている。
「や~めた」
コロリとペンを机に投げ出すと、エドワードは横のベットに仰向けに転がった。
こうやって時間が空いてしまうと、考えるのはロイが最後に言った言葉ばかりだ。
彼が恥じないと言ったように、自分も気持ちを恥じるような事はない。 恥ずかしいのとは、別だ。
けど、だからと言って、アルフォンスに伝えるかは、エドワードの中では、全くの別問題なのだ。
『自分達が、身体を取り戻すまでは…』
今は、とても自分だけが、そんな想いを持っている事なぞ、伝えるのが恐ろしい。
だからと言って、ロイを見捨てる事も、自分が彼を失う事も、
怖くて仕方がない。
確かに、身体から始まった関係だったが、互いが一緒に過ごす間に、心が育たないなぞ誰が言うだろうか。
少なくとも自分の中では、ロイは住み着いてしまっており、
それを許した時から、自分の心も急激に彼に傾いて行っている。
アルフォンスの事を思えば、後ろめたさで心が引き攣れ、ロイの事を考えれば、
針が刺さったような痛みを胸に抱く。
堂々巡りの思考も、感情も、苛立ちを増やして行く以外、何も解決を生み出してもいかない。
エドワードは、もう何十回、何百回目かわからないため息を付く。
そして、そう言う負の感情は、近くの人間にも、当然、伝染していくのだ。
「兄さん! いい加減にしてよ!」
「アルフォンス…?」
弟の声ではっと周囲を見回せば、ちょうど食事時で、宿の食堂に下りてきていた事を思い出す。
「あっ、ごめん」
慌ててナイフとフォークを動かして、食事を再開する。
対して食欲も湧かないが、食べないと煩い弟の手前、必要最低限は採らなくてはならない。
『そうだ、弟は食事もままならないのに…』
そう浮かんだ思いに、また嘆息を付く。
「兄さん!」
怒鳴られたように呼ばれ、ぼんやりと顔を上げ、視線を合わす。
「もういいよ! どうせ、僕なんかに話しても、仕方ないことなんでしょ。
僕、部屋に戻ってるから」
「アル!!」
言い終わると、音を立てて席から立ち上がり、振り返りもせずに部屋へと上がって行く。
エドワードは慌てて代金を支払い、追いかけるようにして、階段を上がって行く。
部屋へ戻ると、窓に向いてアルフォンスが椅子に座っている。
「アル…」
エドワードが呼びかけても、振り返ろうとしない弟に、胸がズキリと痛む。
「ごめん…」
そう告げて黙り込むと、それ以上の言葉がないエドワードと、
応えようとしないアルフォンスとの間に、重い空気が留まってしまう。
止まってしまったかの様な時が、アルフォンスの声で動く。
「兄さん、何か僕に言いたい事があるんでしょ?」
アルフォンスの指摘に、エドワードは一瞬表情を歪めるが、すぐに無表情を作り、「別に」 と返す。
「兄さん! いい加減にしてって言ったでしょ!?
なんか最近の兄さん、僕を凄く意識してるし、それに…それに、
酷く辛そうに見てるの解ってる?」
「アル…」
何も言い返せず、エドワードは名を呟く。
「止めてよ! そんな表情で、そんな声で僕を呼ぶのは!
僕が、僕が……惨めになるでしょ!!」
アルフォンスの悲痛な声に、エドワードは愕然と相手を凝視する。
視線の先では、怒りと哀しみの為か、小刻みに肩を震わせて話し出すアルフォンスがいる。
「最近の兄さん、いつも僕に悪いって顔してる。
ねぇ、僕、そんなに可哀相? そんなに、惨めかな?」
「アル!」
「確かに僕の身体は鎧だよ、人間じゃない。
でも、ちゃんと心は人間だし、今の自分を惨めだとは思ってない!
でも、兄さんは悉く、僕を可哀相だ、申し訳ないって顔で見てるんだ。
そんな風に見られたら、自分は惨めなんじゃないか?って思うしかないじゃないか!」
アルフォンスの告白を、エドワードは悲壮な顔で遮る。
「違う、違うんだ。 そうじゃないんだ! 俺は、俺は…。
兄ちゃん失格なんだよ……」
俯き、肩を震わせているエドワードに、今度はアルフォンスが驚かされ
しばし言葉を失った後、兄に小さく問いかける。
「どうして…?」
ぐっと唇を噛み締めて俯く兄が、酷く小さくて、頼りなく見える。
でも、と思う。 それで当たり前なのだと。
自分達は、世間で言えば、まだまだ保護者が必要な歳の子供なのだ。
天才と囃され、超児と驚かれていても、それでも子供に代わりはなかったのだ。
今の身体になってから、自分に弱みを見せなくなったせいで、兄がひどく大人で強く思えていたけど、
自分達は…たった、一つしか変わらないのだ。
今の兄の様子を目にして漸く気づかされた。
兄、エドワードもずっと不安に押し潰されそうになっていたのだと…。
「俺は、お前をそんなにした。 だから、それを戻してやる責任がある。
だから、自分の事なんて、考えてちゃいけないのに…」
「兄さん…」
責任感で雁字搦めになってしまっているエドワードに思いつけることなど、一つしかない。
常にそうしてきたように、今では、それが習性になってしまっている自己犠牲を。
決心し、アルフォンスに告げようとした一瞬、哀しそうな男の表情が浮かび、
エドワードの心を突き刺すような痛みが走るが、瞼を固く閉じて堪えると。
「ごめん、アル。 俺が馬鹿だった。 こんな事で、お前を傷つけるような事なんか、
あっては駄目だったんだ。
だから…、もう、大丈夫だ。 今後、絶対にそんな事ないから」
そう微笑んで告げた顔が、余りに哀しく見えて、辛くて、アルフォンスは力の限りに兄に叫ぶ。
「馬鹿! 馬鹿、兄! 馬鹿馬鹿馬鹿!! 依怙地、強情、分からんちん! 鈍ちんのボケボケ!
見かけ同様、心狭すぎるんじゃないの!!」
「なっ、お前、それどう言う意味だ! まさか、俺が…なんて、言ってんじゃないだろうな!!」
今まで萎れていたのに、禁句に引っ掛かると、途端に反応が激しくなる。
「なに? 僕がいつ、兄さんに責任を取ってくれなんて、言ったわけ?
母さんの事は、二人で決めて二人でやった事なんだよ!
だから、僕は僕の為に、兄さんは自分の為に、頑張ってるんじゃないか!
僕を馬鹿にするのは止めてよ!
そんな事してもらっても、僕には重荷だよ!! 」
肩を怒らして、一気にそこまで言うと、アルフォンスは、ぐっと手を握り締めた。
「アル…」
弟の拒絶に、エドワードは泣きたくなる。 いや、泣いてるのかも知れない…、とうに。
アルフォンスは深呼吸するように肩を上げて、気持ちを落ち着けると、
一言一言を区切るようにして、エドワードに語りだす。
「兄さん。 僕も兄さんも、ちゃんと生きてるんだよ?
だから、自分の為に、笑って、泣いて、怒って、喜んで…、そして、
一杯人も好きになっていって……それが、生きるって事じゃないの?」
「アルフォンス……」
「僕は僕の体の為だけに、兄さんが頑張るって言うなら反対する。
そして、生きることを止めなきゃ、叶えられないなら、もう叶えなくていい。
今、生きてないのに、将来生きていくなんて、無理でしょ?」
優しい言葉だからこそ、そして、それが本心からの言葉だからこそ、
エドワードには辛くて、痛くて、仕方がなかった。
「で、でも、俺、俺だけ…、お前は全然、手に…出来ないのに」
俯き、水溜りを床に作る兄の傍に膝まづくと、その小さな肩に手を置く。
「どうして? 僕は確かに身体がないから、食べる事は出来ないよ。
でも、兄さんが美味しそうな顔をしていれば、これは美味しいものなんだって、嬉しく思うし、
兄さんが、怪我すれば痛いって思う気持ちになるんだよ。
兄さんは、僕の兄さんなんだから、何でも先にやって見せてくれなくちゃ。
弟は要領がいいんだ。 兄の良いとこは見習って、駄目そうな事は上手に避けて通るんだよ?
だから兄さんが、僕を幸せにしたいんなら、まずは自分が一番、幸せにならなくちゃ」
ねっ?と囁いて自分を抱きしめたくれた身体に手を回す。
ロイの時のように温かくはなかったが、それでも酷く心地よかったのは、アルフォンスの心が、
ちゃんと生きていて、温かいからだと思う。
エドワードは、アルフォンスの温かい気持ちに包まれながら、
ここ暫くぶりの睡魔が襲ってくるのに抗う力も抜けていく。
アルフォンスへの想いと、ロイへの想いに板ばさみになりながら、眠れぬ日が続き、
イーストシティに戻ってからのエドワードは、心休まる時間がなかった。
極限ギリギリまで絞られていた精神は、弟の優しい思いと言葉に、綻び始める。
でも、言わなくてはいけないことが。 伝えなければ、いけないことがある。
『アルフォンスを大切に思うなら』。
「アル…、俺、大佐と付き合う事にしたんだ…」
それだけ言うのが限界で、薄れゆく意識の中で、アルフォンスが抱き上げてくれた感覚と、
「良かったね」と言う言葉が聞こえたて、『うん』と素直に頷いた気がしたが、それは心の中だけだったかも知れない。
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