Selfishly

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白昼夢 p7


 ~~~ 白昼夢 7 ~~~



 ・・・『失って初めてその大切さを知る・・・。
      そうして、人は抗う強さを学ぶ』・・・




―― なぁ、大佐。何で俺も一緒に行っちゃぁ、駄目なんだよ?――



車中の中から目に映る景色をぼんやりと眺めながら、出掛けのことを思い返す。

週末になって、リリー・メイラーの所へと訪れるロイに、エドワードはてっきり自分も
連れて行ってもらえるものだと思っていたらしく、「連れては行かない」と言ったロイに
大きな目を瞠ってロイを見つめていた。
その後暫く押し問答が続いたが、ロイはエドワードを連れて行く事を認めず、
不満ありありな様子のエドワードを置いて、独り列車へと乗り込んだのだった。


・・・・・ 連れて行かないではなく、
            ―― 私が連れて行きたくないだけなんだろうな ・・・・

そう、自己分析をしては溜息を吐く。


リリーとは一時期、一般で言う恋人同士の関係だった。
が、事実は言葉のような甘い関係ではなく、どちらかと言うと互いの空虚な隙間を
埋めるように付き合っていたと言った方がしっくりくる。
その頃のロイは、イシュバールから戻ってきたばかりで、心身とも荒みきった思いを
引き摺って、一時の忘却を手に入れることで何とか平素の均衡を保っているような状況で。
彼女は彼女で、自分の足らぬ分を補うのに必死になっていた。

どちらがより多く、相手に縋っていたのだろうか・・・。

月日が流れる中で、ロイは未来を見据えて歩きだせるようになり、段々と彼女との逢瀬も
減って行く。忙殺される職務の中で、彼女を思い出さなかったと言えば嘘になる。
その程度位には、ロイは彼女に情を持っていたはずなのだ。

はずなのだ。――― と言うのも、彼女と会わなくなった最後の頃を、余り良く覚えていない。
東方に任地が決まり、慣れない重責に必死になっていたからだろうか・・・。
気付けば、彼女は軍を抜けて消息を絶った後だったから。

・・・探そうと思えば、探し出せたはずだ。

そうしなかったと言うのは、ロイの彼女に抱く思いの度合いを表していたのだろう。


―― これがもし、彼なら・・・。
    自分はこうもあっさり忘却の果てに置き去ったり出来ただろうか ――

 否。それは・・・、無理だろう。

1度目は捨て去る覚悟だった。
そう決心を付けることさえ、身が切られるほどの思いを抱えるはめになり。
事実、自分が捨て去られたような状況になった時・・・、恐怖が生まれた。

―― 1度目に、あの決断が出来たのは・・・二人してだったからだ。
   思いを胸の中の墓地へと葬り去ろうが、それを共有しているからこそ
   耐え忍ぶことが出来た。

   が・・・、その儚いものさえ消えうせようとした時。
   抑え付けていた感情が猛烈に暴れ出す。
   瀕死の状態での最後の抗い。―― それは本能だ。
   消え去りたくない。消されたくないと闘う本能 ――


 失う辛さを身を持って実感した今は・・・。
 その痛みと辛さに再び襲われない為に、失わずにいられるように抗い、闘う勇気が持てた。

 『不思議なことだ・・・』
減速して行く列車を感じロイは降り立つ準備を始める。
思考とは別に、身体は必要な行動を行って行く。

『―― どうしてこんな簡単な決断が、あの時には出来なかったのか・・・』

この駅で降りるのは、どうやらロイだけのようだった。
元々空いている車内だったから、それも不思議ではない。
この駅の少し先に、この地方での中心都市があるので、今残る人々の大半は、
その街まで行くのだろう。

列車からホームへ一歩を踏み出すと、いきなり視界が広がったように思えて、
ロイは遮るものなく降り注ぐ陽光から、手を翳しホームを眺める。

『そうか・・・・・・・。

 痛みを・・・。
 恐怖を・・・・・・、実感(知った)からだ・・・』

知らずにいた時には、決断が出来た。
が、今は――― 無明の闇の先には、それよりも更に虚しく辛い虚空が広がるのを垣間見てしまった。
一度でも味わえば、二度と戻りたいとは思わないほどの空虚感が敷き詰められている空間。

『あんな時で生きるのは、御免だな・・・』

ロイは一歩を踏み出し、今噛み締めている世界を体感する。

陽光が射し、風が流れ、匂いが包む・・・この世界を。

エドワードの居る世界がここならば、闇の中を歩いていても絶望せずに進んでいける。
いつか必ず、彼の元へと戻る希望を抱えながら。




 *****


駅とは言っても無人だ。
そんな村だから、駅前に店らしい店もない。余所者が降り立つのも珍しいのか、
ロイがリリーの家までの道筋を思案していると、見物がてらに眺めている村人の数人が声を掛けてくる。

「珍しい事もあるもんだ。何か御用かな?」
そう声を掛けてきた男は、田舎には不釣合いな服装をしている。
ベストにネクタイ、肘掛カバーをしている様子から、役場関係の者だろうか。
「ええ、人を訪ねて来たのですが」
「人? あんたのような方がねぇ」
珍しげな複数の視線がロイを検分するように集まってくる。
「・・・あのぉ、何か?」
躊躇いがちにその視線の意味を問うように訊ねてみれば、笑いを湛えた表情で
首を振って返された。
「いやぁ、お宅は健康そうなもんで、リリーさんのとこの患者には見えなかったんでね」
「患者?」
そう言われて思い当たった。リリーはこの村でカンセラーもどきを行っているとあった。
正式な医師ではなく、あくまでもボランティアの一環での事らしい。
「ああ。この村に入ってきなさる余所者は、殆どリリーさんとこのお客さんじゃ。
 それにしては、あんたさんは晴れ晴れとした顔をなさっているから、妙じゃなぁと」
老人とは思えぬ矍鑠とした夫人が、さばさばした口調で答えてくれる。
「晴れ晴れとした・・・」
思わず呟く口元も綻ぶロイの表情に、老婆も目を細めて見ている。

―― 年上の者の慧眼、侮れないな。――
見知りでない者でさえ、今のロイの状態をそう喩えるなら、軍にいる者たちや、
アルフォンスに・・・、エドワードも。今のロイを見れば直ぐに知られてしまうだろう。
ロイの、彼の心境の変化
それが楽しくもあり、少しだけ怖くもある。



駅から然程、遠くないところにリリーの家はあった。
3軒ほど家がぽつん、ぽつんと立ち並ぶ内の1つで、街の住宅街では考えられないほど
家同士の距離がある。
開け放たれた玄関の扉の横にある呼び鈴を押してみる。
無用心だと思うのは、ロイが都会で暮らしているからだろうか。

「はぁ~い」
落ち着いた懐かしい声は、家の中からではなく回り込んだ裏手から返ってきた。
そちらに廻った方が良いのかと思っていると、程なくして声の主が姿を現す。
「あら、ロイ。久しぶりね」
屈託の無い彼女の挨拶に、思わず変わらないなと苦笑が浮かぶ。
「久しぶり。―― 元気で過ごしているようだね」
裏で畑仕事でもしていたのか、農作業服に大きなつばのある帽子を被った彼女の姿は、
ロイが見てきたどの時よりも、彼女を溌剌と見せていた。
「ええ、おかげさまで」
にこりと笑って返す彼女の美しさは変わらないようだった。変わったところといえば、
日の下で働く女性らしく、鼻の頭に出来ているそばかすだろうが、それが彼女を歳よりも
若く見せている。
「どうぞ、入って頂戴。何もお構いは出来ないけど、そろそろ来るかと思って、
 クッキーを焼いてあったの」
その彼女の言葉を、やはりなと言う思いで聞く。
「・・・いや、こちらこそ女性の家を訪ねるのに、手土産も無く申し訳ない」
「ぶっ・・・くくく・・・」
小さく噴出して笑う様子に、ロイは怪訝になって彼女の方を見る。
「リリー?」
ロイがそう問いかけるように呼んでも、彼女は笑いを堪えながら首を横に振るだけで
先を進んで行く。
小さな家の中は入ればすぐにキッチン兼用のリビングがある。
そこに案内されながら、ロイは勧められた椅子に腰を掛ける。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「御免なさいね。別に悪気があって笑ったんじゃないのよ?
 ただ・・・、あなたはすっかりと変わったなぁと思って」
お茶と菓子を差し出しながら、リリーはそう告げてロイの前の椅子に座る。
「変わった・・・?」
そうだろうか? ロイにとっては自分の事なので、特に変わったようには思わないのだが。
そんな考えが仕草に出ていたのか、首を傾げるロイをリリーは目を細め笑みを口元に湛えて
見つめている。
「ええ・・・・・変わったわ。
 随分、――― 大人になった」
そう告げる彼女の瞳が、先程とは違って微かに翳る。
「昔は・・・・・、とても人の事まで思いやるような余裕が無かった」
その言葉に、ロイは「ああ」と呟いて頷く。
「・・・そうだな。あの頃は、息をする事さえ辛かった時期だったから・・・」
息もし難い。が、止める事など、出来るわけも無い。止める事は生きないという事だ。
息もし難いと言うのは、生きるのが辛いと同義語だろう。
「―― そうね。でもあなたはちゃんと立ち直って戻って行った」
そう話すリリーの表情に自嘲の笑みを見て取り、ロイは静かに問いかける。
「――― 君は、どうしていきなり軍を・・・?」
ロイの問いかけに、リリーは何も告げずにじっと見つめ返してくる。
そんな彼女を急かす事無く、ロイは不透明な時間をじっと黙ったまま待つ。
「――― そう・・・、もう話しても構わないわね」
リリーはそう告げると、カップを手の平で包むようにして持ち上げ、一口飲み干す。

ロイが知っている彼女は、自信に満ち、華やかで鮮麗されたものが大好きだった。
美しい髪形に、美しく施された化粧。言動や動作にしても、流麗で品良くを心掛けていたように思う。
が、今の彼女を見ていると、これが本来の彼女に備わていた所作なのだと確信する。

――― ならあの頃の彼女は、相当無理をしていたのだろうか・・・? ―――

頭に浮かんだ結論を、ロイは胸の中で否定する。
彼女なら、それを無理とではなく、望んで行っていたと言うだろうから。

リリーは机に置いたカップで手の平を温めるようにして包み、視線もそこに注ぐ。
「私は・・・、軍を辞めたんじゃない」
彼女が話し出した最初の言葉に、ロイは訝しむように声に出して繰り返す。
「辞めたのじゃない?」
言葉に含まれる戸惑いに気付いたのか、リリーは小さく哂う。
「ええ、辞めたんじゃなくて辞めさせられたのよ」
と、あっさりと告げた。
予想外の話に内心は驚きもしたが、話に水を差さぬようにロイは黙ってリリーの話に
耳を傾けた。

「自分に才があると思た時・・・、嬉しかった。
 山間の貧しい村での暮らしには、随分辟易していたから、漸くここを出て行けるってね。

 国家錬金術師の資格に落ちた時でも、特に大きくは失望はしなかった。
 何しろ、自分の未来は拓けたばかりで、まだまだこれからだと夢描いていたし。
 そんな時・・・・・諜報部からのスカウトは、やはりと思ったわ。
 自分には、ちゃんと違う舞台が用意されてるんだって。
 それから暫く訓練を積んで、小さな任務もこなしたりして・・・有頂天になっていたのね。

 そんな時にあなたと会った。
 戦争からの帰還者は沢山見た。皆一様に負の気配を負っていたから、一目で判るもの。
 けど・・・・・あなたは、そんな人々とも違って、悲惨な経験から目を背けるのではなく、
 向き合って行く道を選んで足掻いていたように見えた。
 最初の興味は、それだけだった。そして、それから暫くしてあなたに強い興味を惹かれたのは
 あなたが錬金術師だと判ったから。

 私は・・・・・、錬金術師としては未熟で無知だった。何とか、自分の能力を上げたいと
 躍起になっていた頃だったから、あなたへの関心が強くなっていたんでしょうね。

 だから声をかけた。――― そこから暫くの事は、あなたも知ってるわよね?」
リリーは確認を取るようにロイを見つめ、ロイも頷いて返す。
「けど・・・・・、私にはどうしても錬金術は理解し切れなかった。
 ロイ ――― あなたも気付いていたでしょう?
 私の能力は不完全だと」
リリーの言葉には責める響きは無く、ただ事実を確認しているだけなのが判る。
「・・・・・ ああ、君の能力は ――― 正確に言えば、錬金術とは違うとは・・・」
彼女の向学熱心な態度には好感を持っていたが、彼女が優秀な錬金術しだと思っていたかと
言えば、それは別だ。あの頃、ロイが彼女に持っていた関心は、彼女の能力ではなく
彼女が与えてくれる一時の快楽の時間だ。荒みきっていた身体では、いつ隙が生じるか判らない。
その点、彼女は都合が良かった。ロイと同業者であり、重ならない部署の人間で、
余計な事を聞かない限り、彼女も一般の女性のようにロイの仕事に興味を持たない。

彼女は、ロイの仕事や地位ではなく、完全に錬金術師としての能力にだけ関心を寄せていたから。
だから、閨でも安心して浸る事が出来る時間を得れる。寝首をかかれる心配も少なく、
またロイが気が昂って傷つける事もない。
――― 純粋に、肉欲に溺れるだけの時間を得れる相手 ―――
それが彼女だったのだから。

「・・・・・気付かなかったのは、私だけ。
 小さな任務をこなせば、段々と難しい仕事を要求されるようになるのは
 当たり前だけど、私はそれが ――― 上手くこなせ無くなった。

 その焦りが、あなたから学ぶもので解消できたらと思ったけど・・・。
 やっぱり、無理だったのよね。

 ――― で、当然、軍もそれに気付いて、さっさとお払い箱にされたと言うわけ」
そう言って肩を竦めて微笑む彼女に、ロイは言ってやる言葉も無い。

――― 彼女のような特殊な部門についていた者が、何故もあっさり辞められたのかが
    不思議だった。内部に詳しくなり、極秘任務についたりすれば、辞めるにしても
    軍の監視や、制限が付き纏うのにと。

    今の話を聞いて理解できた。彼女はそこまでの任務をこなすことも、与えられる事も無く
    終わったからなのだろう。―――

「メッキが剥がれたと言う事ね。

 それからは場所を点々と変えて、色々とやってみたけど、なかなか自分が思うものには
 当たらなかった。そうなっていけば都会での暮らしさえ、自分には苦しくて惨めな気がして・・・。
 気付けば、ふふふ。可笑しなことよね? 育った村と良く似た場所に落ち着いたんだから。

 自給自足と物々交換が主流のな~んにもないとこが、一番自分が落ち着く場所だったなんて」

そう話す彼女の言動からは、自分を卑下した感は無い。彼女はもう、それらを乗り越し
今ある自分を受け入れているからだろう。

「―― 君の出している本は、女性方から好評だと聞いたよ」
「あら、さすがに詳しく調べ上げているのね。
 本当に・・・何が役立つのか判らないものね。精神や心理の勉強では、専門の事は
 全然覚えられなかったのに、副産物の方で上手くいくなんてね」
彼女が応募したコラムが人気を博し、掲載化し本にまでなっているそれは、
ハーブの効用や育て方から、調理方法、保存方法などを纏めたものだ。
最近では美容液にも応用が広がり、巷の若い女性には喜ばれている。
「それでも、良かったよ。君の努力が実を結んだんだ」
「そうね・・・。今は気負う事無く、そう思えるわ。
 これで ――― 良かったんだ、私の人生は・・・と」

一時でも深く関わった彼女の事だ。その人が幸せだと思える道を進んでくれていることは、
ロイにとっても喜ばしい事だ・・・・・が。

「リリー。どうして彼の記憶を?」
ロイは表情を無くしてリリーを見つめる。
「・・・・・ どうしてとは?」
思わせぶりな微笑を作ってロイに見せてくる彼女は、昔の頃の彼女を思い出させる。
「君は錬金術師ではなく―― 感応者だね」
「ええ・・・微弱な程度だけど」
「その君が、何故、わざわざ鋼のの記憶の中で、私の事を選んで消したのかだ。

 最初の頃は驚きが勝って気付かないでいたが・・・。
 ――― 君は、何か私に言いたい事があったのではないかと」
ロイが推測を告げていると、リリーは小さく笑う。
「だから、彼からあなたの記憶を消したと?」
馬鹿馬鹿しいと言動で示す彼女に、ロイは臆する事無く話す。
「ああ・・・、そうとしか考えられない。
 君は偶々、彼の知りたい記憶を写し持っていた。それと交換に、君は
 彼の記憶から私の記憶を抜いた。

 それを私が放置しない事を――― 君は知ったからじゃないのか?」


リリーは目の前にいるロイをじっと見る。入って来た時とは、見せる表情も、
言葉遣いも、纏う空気さえ変わっている事を、彼は気づいているのだろうか。

――― それだけ、あなたにとって大切な人間・・・なのね、彼は ――

光のような少年だった。真っ直ぐな瞳に、自信溢れる物腰。
自分のような似非錬金術師とは違う。本物の選ばれた人間。
少し前なら、そんな少年を妬み嫉妬したかも知れない。
が、今の自分はそんな世界とは無縁に暮らし、そこそこ成功もしている。
だから彼が欲しいといった記憶 ――― 自分には何にも判らなかった記憶が
役に立つと言うのなら、見せてやることくらいさした事ではなかったのだ。

なのに・・・、あんな取引をしてしまったのは、少年から感じた記憶にロイを感じたから。

大切にされているのだと。
深く愛されているのだと。

そう伝える記憶を見た時、自分の中の何かが弾けるように飛び出した。

だから、交換を持ち出した。
この少年は、必ずその条件を飲む事を感じていたから・・・。
そして、見事にその予感は当たり、少年の中からロイの記憶は消されて行った。


リリーは視線をロイに合わせ、きっぱりと告げる。
「渡した記憶の代価に記憶を。あなたたちが好きな言葉・・・等価交換でしょ?
 あの少年は、それを知った上で了解したのよ。私の責任ではないわ。

 そう ――― 偶々消えた記憶が、あなたに関するものだっただけ。
 私は最初にちゃんと告げたのよ?
 残したい記憶があれば、3つだけ触れないでおくと。
 それでも彼は、その中にあなたの事を入れなかった。
 そうでしょ? ロイ。それが彼の答えだったのよ」

そう容赦なく告げると、ロイの黒の瞳が辛そうに伏せられるのを、
リリーは酷薄な思いで見つめる。
暫くそうして目を閉じていたかと思うと、ロイは意志の強さを見せる閃きと共に
目を開き、リリーを見据えて口を開いた。

「君の行った事で責任を問う積りは無いが、彼は有望な国家錬金術師だ。
 彼の身柄も、知識も軍の保有下にある。それを少しでも損なう行いは
 軍に刃向かうと捕らえられても仕方がない事だ」
そのロイの厳しい言葉にも、リリーは動じる事無く返す。
「で、どうしろと? 軍の処罰を恐れて、彼に記憶を返せとでも?」
嘲りにも取れる声音に、ロイは小さく首を横に振る。
「違う。・・・言っただろ? 君の責任を問う積りはないと。
 これは私個人の頼みになる。

 彼に・・・、エドワードに、記憶を戻してやってはくれないか?」
そう言って頭を下げるロイの思いを哂うかのように、リリーが声を上げる。
「あっはっ・・・はははっ。

 傑作ね。イシュバールの英雄と誉れも高いあなたが。
 たかが子飼いの少年の記憶を一つ戻すだけで、こうも簡単に頭を下げるの?
 しかも、その捨てられた記憶があなたのものなのに」




リリーの哄笑を聞きながら、ロイは下げた視線でじっと机の上を睨む。
膝に置いた拳は、きつく握り締めている為に小刻みに震えている。
それでも、どれ程馬鹿にされ、愚弄されても・・・こんな程度で意志は翻す気は毛頭ない。
自分が頼み込んで戻してくれると言うのなら、何度でも頭を下げてみせる。
そんな決意を胸の内で宿していると、予想外の言葉が落ちてきた。

「いいわよ。戻してあげても」

あっさりと快諾された驚きに、ロイは顔を上げてリリーを見つめる。
「・・・・・本・・当に」
喜びを滲ませた表情で、そう呟いたロイの声には深い安堵が滲んでいる。
「ええ、私にとっては必要ではない記憶ですもの。
 別に、彼に戻す事は全然構わないわ」
リリーの再度の了承の言葉に、ロイは体中から張っていた気持ちが抜け出しそうだった。
「あ、ありがとう、リリー。君が、承諾してくれて・・・」
感謝の言葉を告げようとしたロイを遮るように、リリーは指をロイの口元に触れる。
「待って、ロイ。感謝の言葉は、私の話を最後まで聞いてからよ」
そう言って、リリーはロイの唇の形をなぞる様に指を動かしてくる。
「私と彼との間には、等価交換で守られている。
 なら ――――― あなたは何と交換してくれるつもりかしら?」
嫣然と微笑むリリーに、ロイは先走りそうになっていた気持ちを引き締める。
これは紛れも無い取引なのだ。錬金術師の取引に、純然たる行為などは無い。
見合う対価が無ければ得れない。―― そう彼女は告げているのだから。
ロイは慎重に答えを返す。取引には冷静で思量深くないと駄目だ。
欲しいものが手に入る代価で、決してそれ以上を取られる事無く行わなければならない。

「―― 私に渡せるものなら」
ロイが声を低くしてそう伝えると、リリーは指を引っ込めてにっこりと微笑む。
「ええ・・・・・、勿論、あなたになら用意できるわ。
 いえ、あなたにしか提示できないものよ」
リリーの言葉で、ロイの思考が最速で働く。
自分の地位や金で支払えるか、準備できるもの。そして、彼女に欲するようなものといえば・・・。
ロイの造った無表情な表から何を読み取ったのか、リリーは小さく首を振ると。
「お金には困っていないわ。それに、今更地位も邪魔なだけ・・・」
仕方の無い人ねと、憂いを含んだ瞳でロイを見つめてくる。
「――― では、何が? 君の希望を言ってくれ」
言葉遊びを楽しむ気になどなれない。自分が用意できるものなら、無理や苦労があろうとも
ロイはリリーの要望に応えるつもりなのだから。
焦燥を隠し切れないロイの性急な態度に、リリーは両手を組んで頬杖を付いてロイに視線を送る。

「では・・・・・用意してくれるかしら?

 私が欲しいのは、あなた・・・ロイ・マスタングの恋人の地位よ」

その言葉に、ロイは言葉も無く黙り込んだのだった。








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