Selfishly

Selfishly

百年続く恋 p5


~~~ 百年続く恋 p5 ~~~






  ・・・・・ 【 恋花 】 ・・・・・ act 4




 のどかな田園風景が続いていた車窓の風景も、そろそろ家や街並みが見える光景に変わっていく。
 中途半端な時間の為か、車内はさほど混み合ってもおらず、二人は広い座席を確保してのんびりと寛ぎながら、
 変わる風景を眺めていた。

「兄さん、もう少しで着きそうだね」
 珍しく転寝もせずに風景を眺めていたエドワードにアルフォンスが話しかける。
「おう、今回も順調な旅だったよな」
 伸びをしながら、くわぁーと品の無い欠伸を見せてエドワードが答える。そんなエドワードの様子に、
 アルフォンスはおや?と心理描写で目を細めて兄の様子を見守る。
 エドワードは暇潰しに本を読むわけでも、新しい練成陣を思考するでもなく、機嫌良さ気に
 のんびりと車窓からの風景を眺めている。
 これはエドワードにしては、とても珍しい事なのだ。
 何せこの兄は、暇を持て余すのが我慢できない性質で、起きている時には頭を回転させるのを止める事が無く、
 止めている時は寝ている時だけなのだから。
 ―― ここ最近、ゆとりが持てるようになったみたい…――
 旅から旅へと情報を追いかける兄弟の中でも、特に兄のエドワードはアルフォンスが心配になるほど、
 切羽詰って追いかける感がひしひしとアルフォンスにも伝わってきてた程だったが、最近は纏っていた焦燥感も
 少しずつなりを潜めているのだ。
 それは傍から見ている者にとっては、ほっと安堵感を持つような変化だ。身体を早く戻したいとは、
 どちらも願ってはいるが、だからといって命を削るようにして追い求めようとする兄を見ているのは、…本当に辛い。
 だから、そんな兄の心境の変化が見れた事は、アルフォンスにとっては凄く嬉しい事でもある。

「皆、びっくりするだろうね」
 心の内が映されたように、話しかけるアルフォンスの声も弾んでいる。
「ん?」
 怪訝そうに振り返ったエドワードが、アルフォンスを見る。
「だって僕達。この前出てからまだ一月足らずで行くわけでしょ? こんなに直ぐに行くのなんて無かったから、
 皆驚くだろうなぁと思って」
「… そういやぁ、そうだよな」
 くすりと笑うエドワードに、アルフォンスも頷く。
「でも、今回のは元々そういう計画立ててたからな」
「それはそうだけど。…大佐には感謝しないとね」
 そのアルフォンスの言葉に、エドワードは肩を竦めて返す。
「べっーつに、たまたま書庫に本が搬入されるだけだろ」
「でも、その本だって大佐が頼んでくれたからこそ、入るんだよ?」
「まぁ…、それはそうだけど」
 エドワードは鼻の頭を掻きながら、アルフォンスの言葉に同意する。
「大佐、本当に良くしてくれるよね。兄さんと仲良しだからだよね」
 そんな風に、茶化すように言えば。
「ばっ! 何言ってんだよ! 餓鬼じゃないんだぞ、餓鬼じゃ!」
 顔を赤くして、ムキになって言い返すエドワードに、アルフォンスはクスクスと笑い声を上げて、言葉を続ける。
「えー? じゃあ、兄さん、大佐とは仲良くないわけ?」
 先日の査定の折には、随分と面倒を見てもらっていたようだ。それを知っていたからのアルフォンスのからいかいなのだ。
「べ…別に、仲良くないわけじゃ…。まぁ、あいつもちょっとはいい奴みたいだし…さ」
 アルフォンスはそのエドワードの言葉に、心の中で目を丸くする。
 天邪鬼な兄からしてみれば、仲良くないわけじゃないとは、仲良いと言ってる様なものだ。しかも…。
 アルフォンスは自分が鎧姿だったのを、少しだけ良かったと思った。
 そうでなければ、そっぽを向いて隠しているつもりの兄の照れている様子に、思わず我が事のように自分まで、
 恥かしくなって赤くなってしまってただろう。
 ―― 兄さん…判りやすすぎ…――
 横顔を見せている兄の頬も耳も、普段なら熱でもあるのかと疑うくらい赤く染め、固く結んでいる口元は、
 笑みを堪えている所為か、ぴくぴくと小さな反応を見せている。
 そして、エドワードの素直を両目は、兄の心の中を綺麗に映し出して輝いている。
 そんな兄を暫く眺めていて、アルフォンスはそんな兄の変化を喜びつつ見守る。頑なな兄の心を、
 少しでも広げてくれる人が増えたことは、とても喜ばしく、大切な事だと感じながら。







 車窓の風景から街並みが増えていくたびに、エドワードの気持ちは弾んでいく。
 何がそんなに楽しいんだ? と聞かれたら、何となく…としか答えようがないのだが、軽く、
 明るくなっていく気持ちは増えていく。

 ―― あん時は、ビックリしたよな…――

 エドワードは前回に査定の為に滞在していた時の出来事を思い出して、思わず口元を綻ばす。
 深夜まで大佐と議論していた所為で、朝気付けば、どうやらそのまま寝てしまっていたようだった。
 鳴り響く電話の音で驚いて目を開いてみれば、自分と同様に驚き目覚めた大佐と目が合った。
 エドワードが茫然としている間に、大佐は大慌てで出て行ったから、その時の自分の驚きを彼には知られずに済んだのだが、
 ―― 本当に、驚いた…。
 状況が読めずにただ座り込んでいた自分に、大佐は寝ておくように言って出て行ったが、とても寝れるような心持ではなく、
 暫くベッドの上でジタバタとのたうってしまった位だった。
 寝直すのは諦めて起きてみれば、いつもより体が軽いのに気づく。
 ここ最近、良く寝れない日が続いていたのが嘘のように熟睡できたおかげだろうと気付いて、不思議な気持ちになったのだ。
 辛い夢も見ず、温かな空気に包まれ、自分は酷く安心して眠っていられた。
 そんな風に感じながら眠れたのは、いつくらいぶりだっただろう…。
 人の体温も、感じる温もりも思い出せなくなって久しい。
 それを感じさせてくれたのが…、思い出させてくれたのが、大佐だったのが不思議だったけど、嫌ではなかった。
 最初は、いつも自分をからかってばかりいるいけ好かない野郎だと思ってもいた。皮肉に嫌味の応酬に、
 辟易させられた事など山ほどある。
 言い返せば上官命令だ、軍規だと命令され、面倒ごとばかり押し付けてくる。
 そんな相手だったから、余り近寄りたくも係わり合いを持ちたくもなかったのだ。
 が………、本当は、彼がそれだけの人間でも無い事は―― エドワードにだって判ってもいた。
 からかわれムキになって返している内に、自分は元気になって立ち直ってたり。
 皮肉や嫌味の中には、自分達兄弟を気遣う心が見え隠れしてたり。
 上官命令や軍規と言っては、それれとなく自分達を危険から遠ざけていたり。
 そして、彼の援護がなければ、エドワード達兄弟は、ここまで多くの情報も、
 自由に動き回る事も―― 決して出来はしない。

 彼だからこそ、―― ロイ・マスタングという男だからこそ、
 エドワード達は今、前を見つめて歩いていけてるのだ。




 車窓からの風景に田園が消えていく。列車はイーストシティーへと入って行ってるのだ。
 エドワードが気づこうが気づかまいが、街へと近付く列車に喜びを隠せない心が告げている。

 ―― ロイはエドワードの特別な人間なのだと…――






 *****

「ちはー」
「お久しぶりです!」
 明るく元気な声が司令室に響き渡ると、それまで精を出して勤務していた面々も、仕事を置いて声を上げる。
「おう! 珍しい事もあるもんだな? 今回は最短期間でのお帰りじゃないのか」
「エドワードさん、こんにちは! 変わらず元気そうですね」
「どうした? また何かやらかしたか?」
 からかい混じりの皆の声に、エドワードとアルフォンスも負けじと挨拶を返していく。
「何もやってねぇよ! そうそう毎回毎回、事件ばかりに首を突っ込んでいられるかってぇーの」
 威勢良く吠えているエドワードの横では、アルフォンスが和やかにホークアイと会話をしている。
「今回は前回の時に、図書館に本が入るのを教えてもらってたんです」
「あら、そうだったのね」
 普段、余り表情を変えないホークアイも、この兄弟には些か甘い所為か、二人に椅子を勧めて話に花を咲かせている。

 一頻り互いの近況を交換し終わると、エドワードがちらちらと執務室の方を気にしているのに、
 ホークアイが気づいて話してくれる。
「エドワード君、大佐は会議で席を外しているのよ」
 ホークアイの説明に、エドワードは目を瞬かせ慌てて否定する。
「…やっ、べ、別に大佐はいいんだけどさ」
「そう? 」
 微笑みながらそう言われると、見透かされてるようで気まずい。
 エドワードは置かれていたカップを持ち上げると、気持ちを切り替えるように、軽い口調で話し出す。
「大佐も相変わらず元気にやってんの?」
 いつも何かと中尉に叱られ、脅されながら仕事をしているロイを見てきたから、今もそんな毎日を
 送ってるのだろうと思い描きながら、笑いながら訊ねてみる。ホークアイも笑いながら返してくれるだろうと…。
 が、返事は直ぐには返らず、少し困ったような表情で、周囲のメンバー達と顔を見合わせている。
「… どうかしたんか?」
 怪訝に思ったエドワードがそう再度訊ねると。
「大佐、ちょーと最近変なんだよな…」
 ハボックが困った様の表情で、顎を撫でながら話す。
「変?」
 途端に表情を曇らせたエドワードを見て、ホークアイがハボックに厳しい視線を向ける。
「ハボック少尉。―― エドワード君、別に心配する程の事じゃないのよ?
 別に体調が悪いとか、そういうのじゃないの」
 安心させるように、微笑みながら告げてくれるホークアイの気持ちは嬉しいが、
 中途半端に聞かされたエドワードからしてみれば、気懸かりが増えるだけだ。
「… あのぉ、体調じゃないんなら、どんな風に変なんですか?」
 兄の心中を察して、アルフォンスは控えめに伺ってみる。
 兄弟二人の表情から、話さずに済ませられないと判断したホークアイは、もう一度ハボックを睨んでから、話し出す。
「… 別に、本当にどこも何ともないのよ。ただ―― 最近、ぼんやりされてる時が多くなってて…」
「ぼんやり?」
「ええ…。何か考え込んでおられるんだと思うんだけど、話し掛けないと気づかない程だったり、
 話しかけても上の空だったり」
 困ったものだわと、苦笑を浮かべるホークアイに、兄弟は顔を見合わせる。
「そうそう、それに睡眠不足もあるのか、食欲も減ってるようでよ。
 俺、一緒に飯食うこと多いけど、食べないで飲み物だけとか、食べても残してたりもあるんだぜ」
 ハボックが言葉を付け足し始めると、ホークアイが一睨みして黙らせる。
「でも、本当に体のどこかに異常があるとかじゃないから。おかしいと思った時に、直ぐに軍医に診て貰ったから大丈夫なのよ」
 だから心配しないでと笑ってくれるホークアイに、二人は困惑しつつも頷いて返す。
 兄弟の不安が伝染したように、司令部内の空気が重くなる。
 と丁度その時に。

 バタンと開かれた扉に、皆が一斉に視線を向けると、その雰囲気に驚いたのか、立ち止まって目を丸くしている人物が一人。
「… どうしたんだ?」
 訝しむ視線を向けてきていたロイが、そこに居るいつも居ない存在に気づいて、嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「やぁ、戻って来てたんだな」
 声を掛けながら、近付いてくるロイの様子には、ホークアイに言われたように、特に変わった所は見受けられない。
「大佐、お久しぶりです。今回もありがとうございます」
 そう、切り替えの早い弟は、立ち上がって挨拶を返す。
「いや、対した事はしてないさ。たまたま、本の注文を私がする事になっていただけだからね。
 … 鋼の? どうしたんだ?」
 じっと自分を穴が空きそうなほど見ているエドワードに、ロイは怪訝そうに話しかける。
「…… 別に、何にも無いけど…」
 小さく呟かれた返事に、ロイは内心首を傾げる。
「そうか? ならいいんだが…」
 そう返しながら、周りに居るメンバーに尋ねるような視線を回すが、肩を竦めて返されるだけで終わる。
「エドワード君、報告が有るんでしょ? 今の時間なら大佐も大丈夫だから、良ければ先に報告してきたらどうかしら?」
 そのホークアイの申し出に、ロイは驚いたような表情を浮かべるが、勿論異論は言わない。
「中尉からの許しも出たし、鋼の先に報告を聞こうか」
 そうロイが促すと、「うん」と返事をして素直に着いてくる。そんなエドワードの様子に、
 珍しいこともあるもんだと思いながら、ロイは執務室に入っていく。

 今回は旅に出ていた期間も短かった為、報告は直ぐに終わり、中尉が差し入れてくれたお茶を飲みながらの
 雑談を始めたのだが…。
 ―― 大佐…、本当に大丈夫なのかな…――
 機嫌良さ気に話しているロイを見つめながら、ハボックが言ってた通り、薄っすらと目の下に隈が浮かんでいるのに気づく。
 顔色も、良いとは言えないが、悪いと言うほどでも無いかも知れない。不規則な仕事に就いている所為で、
 それ位の事は時たま見知ってもいた事もある。
 そんな事を考えていた所為で、ロイが自分を心配そうに見ている事に、エドワードは気づけないでいた。

 ―― どうしよう…。大丈夫かって聞いてみた方が、いいのかな…――

 聞いたからと素直に言ってくれるとは限らないが、聞かないでいれば、エドワードの中に浮かぶ不安は膨れていきそうだった。
 意を決して、尋ねてみようと思った矢先に。
「鋼の、大丈夫か?」
 とエドワードの額に手の平を当てて、心配そうに窺ってくるロイに驚かされる。
「なっ、なに?」
 思わず後ろに身体を引いて、驚くエドワードの様子にロイも目を丸くして見てくる。
「何って…。さっきから口数も少ないし…、どこか調子でも悪いんじゃないかと…」
 エドワードの額に当てられていた手は、触れる場所を失って宙ぶらりんに静止している。
「お、俺!? 俺は…全然大丈夫だけど」
 大丈夫じゃないのは、大佐の方じゃないのかと続けようとした言葉は言えないまま、口篭る。
「そうか? なら良いんだが…」
 訝しむように目を細めて窺ってくるロイに、エドワードは口早に言い訳になりそうなことを伝える。
「た、多分、昼喰ってなかったから、腹が空いてたからなんだ。
 俺…、食堂で何か食べてくるよ」
 そう言って、唐突に立ち上がったエドワードに、ロイは何か言いたげな表情を見せるが、
 それは直ぐに苦笑に変わり、「しっかり食べて来なさい」とだけ告げ、退出を許した。



 思いの他早く出てきたエドワードに司令部のメンバーは驚いたようだが、「腹が減ってて」と苦笑いして伝えると、
 納得したように笑って送り出してくれた。

 とぼとぼと食堂への廊下を歩きながら、エドワードは自己嫌悪に陥る。
 ―― 俺は馬鹿かよ。ちゃっちゃと聞けば済む事じゃんか…――
 そう自身を詰り、出来なかった理由を考える。
 ―― だって、もし…。
     大丈夫じゃないと言われたら…――
 そう言われたら、自分はどうしたら良いのだろう…。
 気遣う事も、心配する事も出来る。
 が、それだけ―― 出来るのはそれだけかも知れない…。
 ―― あん時みたいに…、何も出来なかったら…――

 エドワードの心配は、心の奥底の記憶と繋がり不安を大きくしていき、心の中を重くして行くのだった。


 その後、言った手前食堂に入ったが、食欲は湧かず、飲み物だけ注文してぼんやりと時間をやり過ごして司令室に戻る。
「あっお帰りー。お腹一杯になった?」
 アルフォンスが朗らかに掛けてきた声に、適当な相槌を打って返す。
「ねえ、兄さんはどうするの? 資料室に行く? それとも、まだ本は届いてないそうだけど、図書館に行ってみる?」
 この後の計画を聞いてくるアルフォンスに、司令部から出る気にならず資料室に行くと答える。
「そう。じゃあ僕は、図書館に行ってるね。前に読みかけだった本が有るから、先にそれを読んでおくよ」
「おう、俺は…査定のレポートが着てるって、大佐が言ってたから、それを読んでる」
 エドワードの言葉に、特に不審に思う事も無かったのか、アルフォンスはじゃあと声を掛けると、
 司令部のメンバーに挨拶をして出て行く。
 二人の会話を聞いていたメンバーが、気を利かせて資料室の鍵を出してくれる。
「国家錬金術師の査定レポートは、一応重要書類扱いだから、大佐が戻ってきたら、俺から伝えといてやるわ」
 そのハボックの言葉に、ロイがまた出掛けた事を知る。
「… 大佐、出掛けたんだ?」
「おう。何か、大佐にしか出来ない事があるからって、上から呼び出されたようだぜ。
 まぁ夕方には戻って来るから、また会えるさ」
「うん…そうだな」
 気落ちした気持ちを振り払うように、エドワードは鍵の礼を伝えながら受け取り、書庫へと向かう事にした。



 パラパラパラ
 本を捲る音だけが、静かな部屋に響いている。
 どうにも集中できず、エドワードは時間を潰すために一応査定レポートを繰ってはいるが、内容は殆ど頭に入っていない。
 ペラペラと紙面を繰りながらぼんやりと考え事をしていると。
「興味ある研究結果は無かったかな?」
 いきなり背後から掛けられた声に、驚いて後ろを振り返る。
「大佐…? 帰って来てたんだ…」
 そのエドワードの問いに、一瞬不思議そうな顔を見せるが、「ああ」と返事を返してくる。
「誰かに聞いてなかったのか? 夕刻には戻ってくる予定になってたんだが」
 そのロイの言葉に、エドワードは窓の方に視線を向ける。目を向けてみれば、窓の外はそろそろ暗闇に
 近付いている風景を映している。
「…もう、そんな時間になってたんだ…」
 驚いたように呟かれた言葉に、ロイが小さく笑う。
「君の集中力は相変わらずのようだな。が、帰ってきたばかりで、そんなに根を詰める事もあるまい。
 そろそろ終わりにして、食事にでも行かないか?」
 そう自然に誘われて、エドワードは嬉しくなって元気良く頷く。




 ―― 心配のし過ぎだったか…――
 ロイは元気に横を歩くエドワードを見つめながら、心の中でそんな風に思い浮かべる。
 戻ってきた時に、少し様子が変だったので気になっていたのだが、こうして横を歩いているエドワードを見てみると、
 いつもと変わらない様子を見せている。
 旅であった話を、面白そうに語るエドワードからは、昼に感じた思い詰めたような様子は感じられない。
 ロイはホッとしながら、エドワードの話を聞きながら、表情の良く変わるエドワードの顔を見つめる。

 前回戻っていた時に気づいたエドワードへの恋心は、今も変わらず持ち続けている。が、…だからと言って、
 どうする事も出来そうにない。
 相手は同性で、しかも十四歳も年下なうえ、自分が庇護しなければならない後見人なのだ。
 頭ではそんな色々な理由を冷静に挙げていけるくせに、生まれた感情はこうして傍に居ると、エドワードの方へ、
 方へと流れ出てしまって止められなくなるのだ。

 ―― 折角、こうして話せるようになってきたんだから…――

 この関係を壊すのは………怖い。
 壊して元に戻る程度なら良いが、避けられでもした日には、自分はその辛さに堪えれるだろうか…。
 得れるようになった時間を手放すのは、勇気がいることだ。
 が、ロイの抱えている思いは日に日に強くなっていって、抑えるのも苦しく、息が出来なくなりそうだ。

 楽しい恋は、何度もしてきた。
 すんなりと手に入る恋ばかりではなかったが、それも恋愛の醍醐味だ。
 そう思ってきたから、手放すことも出来た。

 が、こんなに哀しく痛い思いを抱える恋は、した事が無い。
 それは、この恋が叶わないと判っているから…。
 この想いを諦めるべきだと、知っているから…。
 だから、せめて傍に居られる時間を欲しいと願い、手放すのを恐れてしまう。
 恋愛は、臆病になってしまえば、もうそこで終わりだと判っているのに…。

 ロイがそんな物思いに落ち込んでいる間に、エドワードの表情は暗く、険しいものに変わっていく。

「大佐、帰ろう!」
 ガタンと大きな音を立てて椅子が引かれた事で、ロイは漸く目の前のエドワードの様子に気が回る。
「… どうしたんだい? いきなり…」
 そう声を掛けて、二人の間にあるテーブルを見てみれば、料理はまだだいぶんと残っている状態だ。
「口に合わなかったか?」
 怪訝そうに尋ねるロイに構わず、エドワードはレシートを手にして入り口へと歩き去っていく。
「は、鋼の!? ちょっと、待ちたまえ」
 慌てて後を追いかけてくるロイに、早くしろと急かす様に踏鞴を踏んでいる。
「一体、急にどうしたんだ?」
 慌てて問い質してくるロイの腕を掴んで、エドワードは黙り込んだまま引っ張るようにして歩き出す。
 ―― 上の空だったのが、拙かったか…――
 どうやら食事が始まってからの自分は、エドワードの事に気を取られすぎて、考え込んでいたようだったから。
 足早に歩く方向は、どうやらロイの家へと向かっているようだった。
「? 鋼の、私の家に行くのか?」
 それなら、それはそれで嬉しいが、一体急に何故?
 ロイは困惑気味に、挙動不審なエドワードの行動に従って歩いていく。

 程なく家の門に着くと、早く開けろと急かすエドワードの言う通りに、門も玄関の鍵も開ける。
 玄関に入って漸く腕を離されたのを機に、再度尋ねてみる。
「…本当にどうしたんだ? 何か読みたい本でも、思い出したのかい?」
 一番ありそうな事を告げてみるが、返ってきたのは険しい視線と、罵倒だった。
「馬鹿野郎! ふざけたこと言ってんじゃねえよ。あんたはさっさと寝て、休め!」
「…どうして」
 エドワードの言葉の意図が判らず、ロイの困惑は大きくなる。
 そんなロイの態度に、エドワードは焦れたように苛々と言葉を吐き出す。
「あんた、最近体調が悪いんだろ! さっきだって…ずっとボーとしててさ。―― 飯だって、全然手を付けてなかった。
 そんな時に、何、俺と飯なんかしてるんだよ!
 さっさと家帰って、休むべきだろ!」
 そこまで言われて、漸くエドワードの不審な言動の意味に気づく。
 彼は…、ロイを心配してくれていたのだ。
 必死に自分を気遣ってくれるエドワードが嬉しくて、ロイは知らず微笑が浮かんでくる。
「……ありがとう。心配を掛けてしまったようだね。
 が、大丈夫だ。私は別にどこも悪くないから」
 エドワードの思いやりに感謝をし、杞憂を払ってやろうと告げた言葉なのに、エドワードは泣きそうに顔を
 歪めてロイを見つめてくる。
「……ぶじゃないだろ!」
 堪えるように吐き出された言葉に、ロイは目を瞠る。
「絶対に、大丈夫じゃない! ――― 母さんも、大丈夫だって…、どこも悪くないってずっと言ってた……。
 で、でも! っきゅ、急に倒れたんだからな!!」
 悲痛な叫びに、ロイは大きく目を開く。
「そ、それで…、それで、そのま・・ま――」
 大きな瞳が限界まで開かれ、泣くのを堪えているように揺らいでいる。
 ロイは堪えきれずに、エドワードを腕に抱きしめる。
「…… すまない。私が悪かった」
 謝りながら、小さく震える身体を抱きしめ、ロイは深い後悔を胸に抱く。自分の不甲斐なさで、
 大切な相手を不安に落とし込んでしまうなど…許される事ではない。
 彼は近しい者の死に敏感だ。そんなエドワードが、普段と違う自分の様子に敏感に感じて、
 心を痛めさせることになってしまったのだ。
「―― 違う、違うんだ。本当にどこも悪くないんだ。すまなかった。怖がらせてしまったな…」
 胸に刺さる悔恨の痛みに、ロイは顔を歪め、エドワードに謝り続ける。
 御気楽にも、心配してくれるエドワードの様子を喜んでいた自分の愚かさを、恥じながら。
「で…、でも…」
 払拭できない不安に、エドワードが疑いを示す。
「本当なんだ。どこも悪くない。心配を掛けて、すまなかった」
 はっきりと言い切って、抱き込んでいた腕を少し緩めると、エドワードの顔を覗き込むようにして笑ってやる。
 そんなロイの様子に、漸くエドワードも納得したのか、ホッと安堵して泣きそうに顔を歪めて、ロイに腕を回してしがみ付いてくる。
「…………… 良かった――」
 ロイの胸の中で、そう呟かれた小さな言葉に、ロイは申し訳なさで一杯の気持ちで、エドワードを強く抱きしめ返す。






「じゃあ、一体何だったんだよ。あんたの思わせぶりな態度は?」
 その後、エドワードの即席の夕食を二人して食べながら、エドワードは自分の思い違いの恥かしさを、
 ロイを問い詰める事で憂さ晴らしする。
「思わせぶりって…ねえ。別にそんなつもりは無かったんだが…」
 ―― 忍ぶれど、色に出にけり我が恋はと言うところか…――
 そんな事を思い浮かべて、苦笑する。
「そんなつもりも、どんなつもりもないぜ! 傍迷惑な心配を掛けるだけかけて、何もありませんで済むかよ」
 安心したからか、腹が立つとお腹が空くのか、エドワードは豪快に料理を頬張りながら、プリプリと怒り続けている。
「―― 少し、悩み事を抱えていたもんでね…」
 自嘲気味に哂ってそう言うと、エドワードの表情が曇る。
 それに気づいたロイが、慌てて付け加える。
「気にする事じゃない。もう…終わっていることだから」
 そう語るロイの表情が、エドワードの目には酷く哀しげに見えたから、エドワードは思わず問い返してしまう。
「悩み事…、解決できたのか?」
 そう尋ねられ、ロイは思わずエドワードの顔を見る。
「解決は……出来ない問題なんだ。どうにも出来ない事だからね」
 苦笑しながらそう言うと、ロイは黙って食事を続ける。
「……… 俺が―― 聞いちゃ、駄目なこと?」
 何か出来るとか、してやれるとは思えないが、これ程ロイが辛そうなことなら、聞いてやる位は出来ないだろうか…。
 独りで悩み続ける辛さを、エドワードは痛いほど判っている。
 聞いてもらったからと、何かしてもらえると期待するほど愚かではないが、心のうちを吐き出すだけでも、
 気持ちは軽くなる事もある。
 自分は結構大佐には、愚痴や八つ当たりをしてきたと思う。
 けど、彼は嫌な顔一つせず、いつも聞いてくれて、からかいや皮肉、時には叱咤してき続けてくれた。
 だから、聞くだけしか出来なくても、少しでも大佐の気持ちが軽くなるなら。
 エドワードなりのロイへの思いやりを籠めて、そう告げたのだった。


 ロイは驚くようにエドワードの顔を見続け、その後暫く視線を俯かせて考え込んでいたようだった。
 そして、ぽつりと。
「―― 君が、聞いてくれるのかい…?」
 と、切ない色を瞳に湛えて尋ね返してくる。
「… それ位しか、出来ないとは思うけど…」
 視線を伏せて、そう返したエドワードに、ロイは微笑む。
「いや…。それで十分だよ」

 ―― ロイは不思議な心持で語り始める。

 まさか自分の恋心を、彼に話す時が来るとは思ってもみなかった。
 だからこそ、… 多分、一生で一度だけになるだろう自分の恋心を彼に語って聞かせる。

 彼に伝わらなくてもいい。
 それでも、ほんの少しでも自分の中にそんな感情もある事を、知ってもらえさえすれば………。 ――




 ロイが語り出すのを、エドワードは不思議な思いで聞き始める。
 それはエドワードが予想していたどれでもない話。
 そう―― 彼の恋心だったのだ…。

「……… 好きな人がいてね」
 静かに語り出したロイの最初の言葉に、エドワードは目を瞬かせる。
「―― 好き…な人?」
 思わず繰り返し呟いた言葉に、ロイは優しい表情で頷き返す。
「ああ…、とても好きで、大切に想う人が」
 その言葉を語る時のロイの表情が、余りにも優しく、切なそうで、エドワードはツキリと胸が痛む。
「とても好きで、大切な人だから、…諦めなくてはいけないんだ」
 そんな哀しい事を、ロイは微笑みながら話す。
「ど…どうして?」
 聞き返したエドワードに、ロイはきっぱりと言う。
「迷惑になるからだ」
「迷惑…?」
 そんなロイの回答に、エドワードの思考は混乱する頭で考える。
 好きな人がいて、それでも諦めなくてはいけない。相手の迷惑になるからだと言われれば、その相手と言うのは…。
「―― もしかして、結婚…してる人?」
 そう遠慮がちに尋ねられた言葉に、ロイは目を丸くし笑いながら首を横に振る。
「いいや、結婚はしてないはずだよ。―― まだ歳若いからね」
 エドワードを覗き込むようにして告げられた言葉に、エドワードは思わず頬が熱くなる。
 当然、自分の事をさしてるわけではないのだが。
 愛しそうな視線を向け優しく柔らかな笑みを湛えて、告げられれば違うと判っていても誤解しそうだ。
「…歳が離れてるんだ?」
「ああ、随分と離れてるね」
 そう、と呟きながらエドワードは視線を俯かせる。
 ―― どんな人なんだろう…――
 この相手に、そこまで思われている女の人は…。
 悪態を吐く事も度々あるが、大佐が優秀な軍人である事は判っている。そして、人としても良い奴だと。
 街に出れば、ロイのファンとかに沢山出合う。
 綺麗なお姉さん達も多いが、歳いったおばちゃん達や、親父さん達もロイを慕っている様子を伝えてくる。
 それだけ多くの人に好かれているこの男が、大切だと…迷惑になるから、諦めなくてはいけないとまで思い込む相手とは、
 一体どれだけ素晴らしい女性なんだろう…。
 先程ツキリと痛んだ胸は、段々と痛みを酷くして、今では間断なく訴えている。
「……… どんな人なんだ?」
 小さな呟きが口から零れ、それを掬い上げたロイが答えていく。
「明るくて、元気な人だよ。
 いつでも前向きで、少々やんちゃ過ぎる処もあるが、それも優しさの反動での事だ。正義感が溢れているから、
 見てみぬ振りが出来ないんだろうね。私のようなずるい大人からすれば、本当に眩しいくらい真っ直ぐな人だ。
 ―― そして、とても強くて優しい心を持っている。
 人の痛みが判る優しさと、自分が傷ついても相手を思いやる強さ。
 そのどちらも具えている」
 ロイの言葉は、まるで我が事のように誇らし気だ。
「―― 綺麗な人?」
 反してエドワードの声は、水辺から引き上げられた魚の様に、段々と弱く小さくなっていく。
「ああ。―― とても…とても綺麗だ」
 吐息のように告げられた言葉は、彼が心酔している気持ちを良く表している。とろけるような色を湛える瞳は、
 今エドワードを映しているがそれは彼にではなく、その人…ロイの心に住む人へと贈られる視線なのだ。
 そう思うと、エドワードは泣きたくなりそうだった。

 どうして、こんなに自分の胸が…心が痛むのだろう…。
 ロイの話を聞いてやるだけでもと思った筈なのに、何故こんなに耳を塞ぎたい感情が起こるのだろう…。
 ロイは、エドワードの申し出に真摯に答えてくれているだけだと言うのに…。

 知らず知らずの内に握り締めていた拳に力を入れる。
 自分から言い出した事なのだ。
 自分が出来る事を、ロイの為にしてやりたいと思ったのだから。
「す――好きなんだ?」
 自分の痛みを抑え込んで、エドワードは確認するように聞く。
 そんなエドワードに、ロイは一瞬目を瞠り、静かに瞼を下ろす。
 そして次に瞳を開いた時には、そこには強い光を宿して語る。

「ああ、とても…とても好きだ。―― 愛している」 と。

 そう語るロイは、エドワードが普段知っている彼のどれでもない。
 今目の前に居る相手は、たった独りの想い人を真摯に焦がれ続ける、恋する人間なのだ。


 ―― 馬鹿だな、俺って…。 
     気づいた時に失恋って、…早すぎるだろ………――


 真実の恋をしているロイの姿に、打ちのめされる。

 どうして、胸が痛むのか?
 簡単だ。自分はこの男が好きになっていたから…。

 何故、聞きたくなかったのか?
 それは、『嫉妬』していたからだ。ロイから、これ程の想いを抱かれる相手に…。
 自分がその人で在れなかった悲しみで…。


 エドワードはぎゅっと瞼を閉じ、拳に力を籠める。
 そして、顔をしっかりと上げて、ロイを見つめる。









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