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二人の関係 11
―: It wakes out of a dream up
「・・・もう少しにこやかな顔をしたら?」
腕を組んでいる美女からの言葉で、ロイは自分がどんな表情をしているのかを知った。
「―― 済まない、少々警護の方が気になってね」
作った笑みで尤もな言い訳を口にするロイに、彼女は面白そうな彩を瞳に浮かべて見返してくる。
「そう? 私はてっきり貴方の関心を惹く美女でも見つけたのかと思ったわ」
愉しみを見つけた時のように、そう語る美女の表情は期待に輝いている。
「私が? 君のような美しい女性を伴っているというのに?」
言葉は淀みなくすらすらと舌の上を滑っていく。そんなロイの様子さえ面白いと感じているのか、同伴した女性はクスクスと成熟した女性らしい艶めいた笑を零している。
互いに顔を寄せ合って話し込んでいる美男美女のカップルのそんな様子は、周囲の男性からは羨望や嫉妬。女性からは嘆きと落胆を生んでいる。
いつも公式の場では副官のリザ・ホークアイを伴っての参加をしていたロイ・マスタングが、今回に限って非の打ち所の無い女性を伴っていると聞いて、好奇心やら値踏みするつもりで一目見ようと周囲には人が集まっている。
それでも今回はロイの周囲に集まる人だかりは少ない方だ。
ロイが副官以外の女性を同伴している以上に、今回は話題を呼ぶ人物がこの会場に参加しているからだった。
「君が顔を出すとは珍しいことも有るじゃないか?」
口々に交わされる挨拶の始まり文句は、殆どの者が同じだった。
「お久しぶりです、ミラー博士」
エドワードは何十人目になるのかも忘れてしまう挨拶の言葉を返す。
「やぁ、リズ。今日はいつにも増して綺麗だな」
「ありがとうございます。博士にそう言って頂けると、少しは自信がもてますわ」
毎年参加している彼女には顔見知りも多いのか、気安い受け答えを返している。博士の言葉ではないが、今日の彼女の装いは、女性の身なりには疎いエドワードでも、綺麗だと思える。待ち合わせの場所で会った時に、彼女におかしくないかと訊ねられ、エドワードは自分の思ったとおりの感想をリズに伝えた。その時の彼女の嬉しそうな、誇らしげな表情に、ちらりと褒めるのが上手な男の顔が浮かんで、彼が女性を褒める気持ちが少しだけ判った気がした。
今年も行われている国立研究所の創立セレモニーの会場には、知識人や経済界の重鎮、軍からの高官が揃って出席している。仰々しい形式はなく、各方面からの簡単な祝辞の後は、それぞれの交流会を目的としているパーティーとなっており、各界の名士と知り合いになりたい者が招待状を手にする為に奔走するらしい。
研究所の職員で招待されるのは、その年度に成果を上げた功労者が中心で、所属しているからと簡単には招待はしてもらえない。
エドワードは毎年貰っていた招待状を、同じチームの人間に代理と云う事で渡して終わらせていた。
その所為もあって、エドワードとリズの周辺からは人だかりが消えない。
エドワードと直接の知り合いでない者は、このチャンスとばかりに仲介者を連れて挨拶をしてくるし、自分の娘を売り込むチャンスと考えている者達は、意気揚々と着飾った淑女をエドワードの前に連れてやってくるのだから。
そんな様子を、ロイは会場に入った時からずっと気づかれないように目で追っていた。エドワードの方がロイに気づいたかは判らない。今日はまだ1度も言葉を交わせていないのだ。近づこうにも、どちらも取り巻きや野次馬が多すぎて、身動きが取れ難い。
そっと窺った先では、エドワードが落ち着いた仕草で談笑をしているのが見えている。堅苦しい席は嫌いだと常日頃から言っているが、いざその場になれば誰よりも自然に溶け込んで振舞えるのだ、彼は。
タキシードにブラック・タイを着けたエドワードを始めて見た。
紹介されている女性達の表情が陶然としてしまうのも仕方が無いほど、その姿のエドワードは決まっている。シャンデリアの光に輝く金糸が、どんな宝飾品よりも彼を飾り、不可思議な輝きを秘めた金目が幻想的な空気を彼に纏わせているのだ。
ロイは知らず知らずの内に、口元に当てた指を噛みながらその光景を目に収めている。
「そうは思わないかね、マスタング君」
どこの誰だったか忘れてしまった人物が、ロイに賛同を得ようと話を振ってくるのに、ロイは今の今まで聞いていなかったことなど嘘のように、如才なく話しに加わったのだった。
*****
「はぁ・・・。結構、疲れるよな」
ダンスが始まったのを契機に、エドワードは酔いを醒ますと断わって会場を離れる事にした。出きればダンスの1度くらいと願っていた者達に、不調法者で踊れないからと断われば、皆渋々の体ではあったが引き止めることはされなかった。
どこか休む処をと視線を向けるが、扉の近くのバルコニーのベンチは先約達で一杯だ。熱心に仕事の話をしている無粋な者達から、意気投合して話しに色めいた言葉を語り合っている者と様々な様子を横目に、グルリと回り込んで人気の無い場所を探して歩いて行った。
「あいつも来てたんだ・・・・・」
やっと見つけた無人のベンチの1つに腰掛けながら、エドワードは会場で見ていた光景を思い出す。美しい女性を伴って、華やかな人々に囲まれていたロイを見ていれば、あれが正しい姿なんだと思い知らされた。
自分はしがない一研究員で、あちらは国を代表する将軍閣下様だ。
ああやって多くの人たちに取り囲まれて堂々としている様は、思わず同じ男でも見惚れてしまうものがある。
悠々泰然としていた相手を思い返して、エドワードはツキリと痛む胸を上着の上から押さえ込んだ。
「こんな処まで来てたの?」
呆れたような声に、現実に引き戻される。
「リズ・・・」
今日の同伴者の彼女には、ダンスを楽しんでくるようにとだけ伝えて、行動を別にしたのだが。その彼女が自分を探して来たのは、また誰かに紹介でも頼まれたのだろうか。
「はい、喉が渇いたんじゃない?」
そう言って差し出されたグラスを受け取る。会場では乾杯の度に新しいグラスが渡されたから、正直それ程、喉は渇いてはいなかったが、折角持って来てくれたものを断わるのは悪い。
エドワードがグラスを受け取ると、リズも自分のグラスを片手にエドワードの横へと腰を掛けてくる。
「ダンスはもういいのか?」
エドワードが踊れないと言った時、結構な男性達がリズを誘っていたようだったのに。
「別にダンスが目的でここに来てるわけじゃないし」
その言葉に少々困惑を浮かべる。
ストラストへの出向に選んだ者は、エドワードのチームのNO2でこのパーティーにもリズと参加する予定だったのだ。では他の者に出席してもらおうかと声を掛けてみれば、急だった事もあり都合がつかない者、気後れするから無理だと言う者ばかりで、欠席にしようかと思案していたエドワードを、リズが説得してきたのだった。
――― 『年に1回の盛大なパーティーなのよ?
私も準備をして楽しみにしていたのに・・・』と。
準備までし終わっているなら、参加を見合わせるのは申し訳ない。そう思って請われるままエドワードが同伴して来たのだが・・・。
ダンスも楽しみの1つではないのだろうか?
余程怪訝な表情をしていたのだろう。リズはエドワードの顔を見て、可笑しそうに笑い声を零した。
「ねぇ、エドワード。ダンスは機会が有れば誰とでも踊れるわ。
――― でもあなたとこうやって過ごせる機会は、早々無いじゃない」
覗きこまれるように話しかけられた時に、退くべきだったのだと気づいたのは、唇に温かい感触を感じた後だった。
思わず肩を退こうとしたエドワードの首に腕を回し、リズは体ごとエドワードに密着してきたのだ。
「・・・・・・!? ――― 駄目だっ」
女性に手荒な真似をするのは気が引けるが、かといってキスに応える気にはさらさらならない。
エドワードが彼女の体を押しのけた時、手に持っていたグラスが離れて行った。―― ガシャン と耳障りな音を響かせ粉々になったその場からは、濃厚な甘いカクテルの匂いが立ち昇ってくる。
「ど・・・うして? ねぇ、どうして私じゃ駄目なの?」
エドワードの強い拒否にリズは涙を浮かべて訴えてくる。
「――― 別に今すぐ好きになって欲しいなんて・・・言ってないじゃない!
付き合ってみて、それでも駄目なら諦めるのに・・・。
そのチャンスも私にくれないの?」
縋るように懇願されても、エドワードは頷けないでいる。
――― 違う、違うのだ。
チャンスを与える与えないではない・・・。
自分は彼女では、駄目ななんだ。
無意識に手の甲で唇を拭うエドワードを、リズは悲壮な表情で見つめている。
何故、こんな事に気づいてしまったのだろう。
気づいてどうしろと? ・・・いいや、どうにもならない。
エドワードはそっと彼女の体を離すと立ち上がる。
「エ・・・ド」
綺麗な顔を歪ませながら縋るように自分を見ている同僚に、エドワードは重たい口を開く。
――― 『無理なんだ・・・・・』と。
綺麗なドレスを翻しながら走り去るシルエットを、エドワードは茫然としたまま見送る。その陰と入れ替わりにやって来た相手を認めて、エドワードは泣きそうな気にさせられた。
「・・・・・お邪魔だったかな」
幾分、いつもより硬めの声音なのは、エドワードを気遣ってのことなのか。
「――――― お邪魔だよ・・・」
素っ気無く返す言葉にも、覇気が無いエドワードの様子に、ロイは無言のまま近づき、エドワードが立ち上がったベンチに腰を下ろす。
「邪魔だって言ってんだろうが・・・」
不機嫌にそう告げても、一向に構わない様子のロイに、エドワードも諦めてベンチに座り直す。
「ほら」
と差し出されたハンカチを訝しんで、その後ロイを見ると彼はチョンチョンと自分の唇を指で指し示してくる。その仕草で思い当たったエドワードは、耳まで紅くして受け取ったハンカチでも口元を拭う。
「―― 女性のリップは落ち難いからな」
その言葉が慣れてるが故の発言だと思えば、ムッとした気持ちになるが、確かに拭っておきたい。べっとりと付いたカラーを目にして、エドワードを気落ちさせるのに拍車を駆ける。
「人気者は大変だな」
何が有ったのかを察しているのだろう。ロイのその言葉にはからかいは含まれておらず、同情が滲んでいる気がしてエドワードはロイを見返していた。
――― これと同じようなことが、こいつにも有ったんかな・・・。
多分、自分以上に有ったのだろう。が、自分よりずっと相手を傷つけずに済ませていることも想像に難くない。
そんな事を考えて見つめ過ぎていたのか、ロイが困ったような表情で自分を見つめているのに気づくのが遅れた。
「鋼の・・・・・、残っているぞ」
暫く逡巡していた様子のロイが、エドワードの頬に手を当ててそう告げてくる。拭き残しが有ったのだろうと、手の甲で口元を拭こうと上げようとした手が止められる。
「――― 自分では判り難いだろう。私が拭いてやる」
そう言ってくれるロイは、どうしてそんな真剣な表情をエドワードに向けてくるのだろう。そして自分はどうして「子供じゃ有るまいし」と頬に触れている手を振り解かないのだろうか。
ロイは丹念にリップを拭き取ってくれている、彼の唇で・・・。
軽く合わせた後、舌を何度も何度もエドワードの唇に這わせる。
その都度、エドワードの背には甘い疼きが走っては広がっていく。
丹念に舐め取って満足したのか、次は舌唇を食まれた。
色と一緒に刻まれた感触まで消そうというのか、ロイは自分の唇で挟み込むと擦り合せ、時に歯を軽くたてる。
「・・・・・・・んっ」
鼻から抜けるような吐息がエドワードの喉から生まれると、ロイは表情を和らげて目元を綻ばして見せる。
その黒曜石に喩えられる瞳の中には、それを甘受している自分が映っているのが見て取れた。
そこに何が有るのかを見定めようとするかのように、二人の目は開いたままだ。互いの瞳の中に相手を収め様とでもしているかのように・・・。
――― キスは気持ちいいもんなんだよな・・・。
1番最初にそれを教えたのは彼だった。
だから、どのキスもきっと同じなんだろうと、ただ漠然と思い込んでいた。
けど判った事がある。
キスが気持ち良いのではないのだということを。
誰とするのかが重要なんだということを。
気づいてしまったから、辛かった。
知らなければ良かったとさえ。
けど、今こうして気持ちが良いと感じる口付けをしていると、良かったと・・・、嬉しいと ―― 喜びに震える心を隠すことなど出来ないのだと。
そう感じたから、素直に腕を回せた。
そしてエドワードのその行動が引き金に、癒すような口付けは急激に熱を上げる。息するヒマさえ与えない激しさに、エドワードの思考が掠れてしまいそうだ。他の者との感触を消すどころか、きつく強く塗り替えたいとでも言う様に施される口付けは、火傷しそうに熱く、忘れられない記憶になりそうな痛みさえ生んでいる。
――― それでもエドワードは、回した腕を離そうとは思わなかった。
自分の口付けに身を任せているエドワードを抱きしめながら、ロイは先ほどの情景を思い返す。
会場から外へと出て行ったエドワードを目の端に留め、にこやかに自分の周囲に集う人々を会話を続けていても、心は出て行ったエドワードのことで気もそぞろになっていた。
そんな自分の背を押したのは、エドワードを追うようにして会場からバルコニーへと出て行く一人の女性の行動。
その彼女の行動を見た途端、ロイは周囲の者に少し席を外す旨を伝えていた。
「すまないが、少し外の様子を見回ってくるよ」
連れの女性にそう耳打ちをすれば、理解のある連れはその先まで気遣ってくる言葉を返してくれる。
「あら? 少しで大丈夫なのかしら?」
クスクスと控えめな笑い声を零してそう返す彼女に、ロイは瞬間言葉に詰まる。
「いいのよ、私の事はお気になさらず。お近づきになりたい人を見つけて、適当に帰らせて頂くから」
その気遣いには苦笑するしかない。
養母に頼んで派遣してもらった女性は、さすがの人材だ。
彼女にしてみても、楽しませてもくれないパートナーの男より、今後の自分に益が有る相手を選んだ方が数倍意義が有ることなのだろう。
連れに詫びの言葉を告げると、ロイは急く心のまま会場を横切っていく。
自分の行動が愚かで野暮だとは判っているが、感情は思考ほど簡単には納得をしてくれない。
――― 追ってどうすると?
自分の目から見ても似合いの二人だったのだ。出歯亀宜しく覗きでもする気なのか。理性はそう叱責をして警告を発してくるのに、気持ちは先走って歩調を速めていく。
そして角で走り去る女性とすれ違った時。
ロイは心底、安堵したのだ。
フェミニストだと自他とも認める自分が、泣いている女性を微塵も可哀相にも思わずに・・・・・。
少し疲れた様子を見せるエドワードの傍に近づいた。
強気で返す癖に、その綺麗な金の瞳に深く傷付いた彩を浮かべている。
そしてその彼の口元に残る女の残色を見止めると、どうしようもない怒りにも似た熱が胸を焦がす。
気づけば口付けていた。
彼に付いた不愉快な色を落としてやりたかった。
その行為で彼が何を思い何を感じたのかを思えば、抑えきれない焦燥感が込み上げてくる。
あの女性よりも。
いや、他の誰からも得れない感覚を刻みたい。
自分の所有を示すように。自分の存在を誇示するように。
唯ひたすら夢中でエドワードに口付ける。
――― 自分だけを感じて欲しいと・・・。
情熱の口付けが身体の奥に抑えこんでいた熾き火を煽るには十分だ。
口付けだけでは足りない。
衣服越しに感じるだけではもどかしい。
二人の情欲がシンクロしてヒートするまで後少し。
そして、鎮火は唐突にやってくる。
( ガゥーン・・・ )
風に乗った微かな音を耳に拾うと、二人は荒い息のまま身体を離す。そして音が流れた方向へと耳を澄ませてみると、聞こえるか聞こえないかの声を捕まえると同時に立ち上がった。
「君はここに居たまえ」
庭に走り降りようとしたロイが、エドワードにそう声を投げかけ走り出す。
「馬~鹿ぁ、ここで退くわけないだろ!」
走り出したロイの近くで返答が返される。ロイと同時に走り出したエドワードだった。会場の見取り図を頭に浮かべ、騒ぎが起こっているだろう地点にいち早く着くルートを弾き出す。
「鋼の! 民間人が出張ることじゃないっ」
全速力で駆けながらも、そんな説教をしてくる彼は天晴れだ。
「そんなことを言ってる暇が有ったら、とっとと足を動かせ」
「動かしている!」
先ほどまでの艶めいた空気など微塵も感じさせない軽口の応酬だ。
驚くほど早く地点に辿り着いた二人は、一見しただけで予想の通りの展開になっている現場に眉を顰める。
「ハボック、どうなってる!」
騒ぎが発生して暫く経っているから、彼がここに居ないはずは無い。
案の定、車の陰からひょっこりと顔を覗かせたハボックが、場の緊張感には相応しくない表情で「すんません」と謝りを伝えてきた。
「直ぐに取り押さえるつもりだったんですが、潜んでいた奴が発砲しちまって」
「で、この騒ぎか・・・」
「はぁ。まぁ救援も呼んであるんで、直ぐに治まるとは思うんですけどね」
特に深刻な状態に陥ってるわけではないのだろう。
「―― どこに潜んでるって?」
話に割って入って来た人物に目を止めて、ハボックはポカーンとした表情でエドワードの格好をまじまじと眺める。
「大将、えらく気合の入った格好してんな」
「ああ、今日のパーティーに参加しててさ、―― ってそんな事言ってる場合じゃないだろ」
「ああ、そうだな。・・・っと」
ガサガサと周辺の地図を広げてみせるハボックに、ロイとエドワードはそれを覗き込むようにして見る。
「こことここ。んでこちら側にも数箇所潜んでます。応戦して取り押さえるのは難しくないでしょうが、それだと・・・」
「中に騒ぎが伝わるな」
二人のやり取りにエドワードも成る程と頷く。
今の膠着状態は応戦していないからの嵐の静けさだ。あちらも一向に動かない軍を訝しんで様子を見ているのだろう。
「今日は結構なお偉いさんばっかり集まってるじゃないですか、出きれば穏便に片付けたいんですけどね」
騒ぎが大きくなれば責任者の叱責の要因を作ってしまう。荒立てずに防げるなら時間稼ぎをして防ぎたい。
一同が思案している最中に、通信係りから伝言が回ってくる。
先にメモに目を通したハボックが眉を顰め。
「あいたっ・・・」
回されたメモには、別働隊の妨害に手間取っている旨が書かれている。
「――― 時間稼ぎをしてる場合じゃなくなったな」
「・・・ですね」
「手分けして潰してしまおう」
ロイが地図に指を指して早口に指示を与えていく。
「そうすると、こっち側が出遅れませんか?」
手持ちを割いて当たるには、やや人員が薄すぎる。
「そこは仕方が無い。出来るだけ早く取り押さえた者が回る・・・」
そこまで黙って二人のやり取りを聞いていたエドワードが、口を挟んでくる。
「俺、俺が空いてる」
自分を指差して示すエドワードに、ロイは呆れた様に嘆息し、ハボックはそんな上司を窺うような反応を見せている。
「―― 鋼の。さっきも言ったが・・・」
「んな悠長なこと言ってる場合かよ。長引けば巻き込まれる人達だって出てくるんだぜ? 錬金術が使えなくても、この人数程度は倒せるって」
「そういう問題じゃないっ。君はもう軍には関係ないんだ。気持ちは有り難いが」
「じゃ、そう云う事で!」
「!? 鋼のっ!」
呼び止めた頃には、路地の中へと姿を消してしまっていた。
「・・・ 閣下、俺らもさっさと動いた方が早く終わりますって」
苦笑しながらのハボックの助言に、ロイは忌々しく舌打ちをして持ち場に行くようにと伝えて自分も走り出したのだった。
*****
「君は何度同じ事を言わせたら判るんだっ!!」
事件自体は互いに分担した箇所を押さえ、呆気なく解決した。
幸いエドワードにも怪我1つもなく、銃の代わりに携帯しているショックガンなるもので相手を混沌させて、彼らのベルトを使って器用に括りつけていた。
取り押さえ後の更迭と調書は部下に任せ、ロイは埃まみれになった衣服を着替えにと軍の送迎車に乗る。その車の中では延々とロイの怒りの小言が続けられており、着いてこれで開放されると思った時には、エドワードは心からほっと胸を撫で下ろしたのだが・・・。
当然、短い道中くらいでロイの怒りが消えることも無く、無言で腕を捉まれたままロイの家へと連行されていった。
「―― 兎に角、シャワーを浴びて来い。一体、どこを這ったんだ? タキシードが悲惨だぞ」
「後ろに回り込む時にちょっと・・・。拙いよな、これ借り物なのにさ」
顔を歪めて嘆くエドワードに同情は必要ない。
ロイは無言で背を押すと、バタンと浴室の扉を締めた。
着替えにロイのパジャマを放り込み、後は勝手にしろと腹立ちを抑えられないまま自室に着替えに入った。
――― 一体、いつになったら落ち着くんだっっ。
無鉄砲にも程がある!
感情のまま手荒に衣服を脱ぎ落とすと、部屋の電話が鳴り始めた。
「私だっ」
多分、事件の報告だろう。ロイは苛立ちのまま電話に出ると。
『お疲れさまでした』
冷静な副官の声に、習慣のように感情の波が退いていく。
「あ、ああ、・・・君か」
『はい、現場の方は片付き、出席者の方々も無事に帰宅に着かれました』
「―― 判った、ご苦労」
『調書は直ぐにでも取りたいのですが、犯人の過半数が昏睡させられている状態で、医師も様子を見て明日にした方が良いのと見解でした』
「・・・・・・」
少々、八つ当たり気味にやり過ぎたかも知れない。
『ですのでこちらにお越し頂く必要はございません。
お疲れさまでした、では明日』
「あっ・・・・」
反論する間も与えないホークアイの口調に、どうやら静かに彼女が怒っている事に気づかされた。
「はぁ・・・・。どうして私が・・・」
力を加減しなかったのは自分が悪い。その所為で司令部に詰めている者達の仕事を遅らせてしまった自覚は、今・・・起きた。
が、元を糺せばロイ以上に無茶をしたエドワードの行動が要因のはず。
「そうか・・・」
そのエドワードを引き止められなかったことも含めて、腹を立てているのだろう。
咄嗟に動けなかったのは自分が悪い。エドワードの姿が見えなくなった瞬間、肝が冷えて凍りつきそうにさえなった。引き止められなかった不甲斐なさに腹を立てていた所為で、少々、犯人取り押さえの時には乱暴になっていたかも知れない。
着替える前にと2階にもあるシャワーを浴び、新しいシャツとスラックスに穿き替えて階下に下りる。
リビングで気配がしているから、もう風呂から出たのだろう。
中を窺うようにして入っていくと、シャワーを浴びて頭が冷えたのか、気まずそうにロイを見てくるエドワードが立っていた。
「――― 座ったらどうだ」
「あっ・・・と。う、うん」
神妙な表情で大人しく座るエドワードの様子に、ロイは苦笑を浮かべる。
そんなエドワードを見つめて、ふっと肩の力を抜いた。
その気配が伝わったのだろう。恐る恐る見てくるエドワードに、ロイは苦笑しながら「飲み物を持ってくる」とだけ告げて部屋を出て行く。
――― 彼は変わりようがないのだ。
見てみぬ振りが出来ない気質なのも、昔からのもの。
それだからこそ、あれだけ傷だらけになって歩いていたのではないか。
ならそれを留め立てする事は、ロイには無理だ。
が、代わりに見守り手を差し出してやることは出来るはずだ。
ずっと・・・ずっと、そうやって見守ってきたのだから。
そう考えれば、気持ちの整理もついた。
ずっと避けて見ない振りをするにも限界がある。
なら・・・―――。
カチャリと開けた冷蔵庫の中のジュースに、手を伸ばそうとして留める。
ジュース以外に目に入った物をじっと眺め、こくりと唾を飲み込むと手にした物を取って扉を締める。
「・・・・・ほら」
そう言って差し出されたものをまじまじと見つめ、ロイの真意を探るように目を向ける。ロイは再度エドワードに受け取るように促し、受け取った後はソファーに座って、自分用の缶のプルトップを開けて飲み始める。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいるロイに釣られて、エドワードも一瞬の躊躇の後に同じように開けて飲み始めた。
――― 度数の低いものだしな。
この程度で酔うような事はない。咽喉越しに落ちていく清涼感が、渇きを癒してくれる。
一足早く飲み終わっていたロイが、エドワードが飲んでいるのをじっと見つめている。
「もう1本、飲むか?」
そう訊ねてくるロイに、どうしようかと思案する。
確かに風呂上りに最高な飲みものだが、酒で失敗している身には慎んだ方が良い気がするし。暫しの躊躇いの後、エドワードは首を横に振った。
ロイもそれ以上勧めてくるようなことはなく、「そうか」とだけ返して自分もお替わりをする様子は見せなかった。
暫く空の缶を掌の上で転がしていたロイが、エドワードに視線を向けてくる。
そして・・・・・。
「エドワード」
滅多に呼ばれない名を呼ばれ、エドワードは軽く目を瞠る。
「・・・・・ 私は酔ったらしい。―― 君は?」
酔っているわけがないだろう。その言葉が喉に詰まって出てこない。
「あっ・・・―――」
返答に詰まっている間にも、ロイはエドワードの傍へと近づいてくる。
「―― 君も・・・酔っているんだろ?」
耳元で囁くように訊ねられた言葉に、無意識のうちに1つ頷き返していた。
ロイの嬉しそうな表情が目に映る。
ゆっくりと頬を撫でる感触が気持ちよくて、エドワードはうっとりと瞳を閉じた。
それが合図に仄暗い寝室へと手を引かれ入っていく。
扉がパタンと閉まった音を響かせた時、背筋に甘い痺れが走った。
アツイ・・・。
触れ合っている身体のどこもかしこも、伝染したように熱を訴えてくる。
ただの粘膜の接触だと言われればそれまでなのに、どうしてこんなにも感じてしまうのだろう。
最初こそは気遣うような触れ方を示していたのに、気づけばどちらの息も上がるほど熱中している。
――― リズ・・・・・。
彼女が強引にキスをしてこなければ、きっともっと気づくのは遅かっただろう。
けれど、遅かれ早かれきっと自分は気づいていた。
口付けには然したる意味はない事を・・・。
誰としているかが、これほど自分の心を燃え立たせるのだと。
ロイがどうしてまたエドワードに手を伸ばしたのかは解らない。
けれど、エドワードにはそれに応えた自分の心がはっきりと解る。
――― 俺は・・・こいつが、ロイが好きなんだ。
そう認めることで、内心に溜め込んでいた葛藤がサラサラと跡形も無く崩れていく。
認めたからとどうなるもんでもない。
ロイにしてみれば、興が向いただけの事なのかも知れない。
ただそれだけの理由だったとしても、それに身体を差し出すほど・・・。
――――――――― エドワードは、彼に心を奪われているのだ。
ホロホロと零れている涙にも気づけないでいるエドワードを、ロイは哀しそうな目で見つめている。
――― 違う・・・。あんたが悪いんじゃない。
俺は・・・俺は・・・。
嬉しいのだと。
人に恋すると云う事はどんな事かを知り、そしてそれを出来た自分が。
例え彼が同じ気持ちでないとしても、それでも構わないと思えるほど自分が、他人を恋い慕うことが出来たなんて・・・。
――― 快挙だよな。
だからエドワードは精一杯に微笑んで見せる。
気遣うロイが悲しむことの無いように・・・・・。
「そんな顔をしないでくれ・・・。―― 君の優しさに付込んでいる自分を思い知らされる」
苦しげな顔でロイがそう呟いた。
――― そんな顔? ・・・どんな顔をしてるんだ、俺・・・?
自分の表情は鏡にでも映さないと見えはしない。
ロイの瞳に映っている自分は、嬉しそうに微笑んでいるように見えるのに。
ロイが痛ましそうな目で自分を見つめている。
どうして彼はそんな表情を浮かべているのだろう?
自分はこんなにも幸せな気持ちで一杯だというのに・・・・・。
「エドワード・・・」
ロイがまた名前を呼ぶ。
自分をそう呼ぶ人たちは沢山居るのに、何故、彼が呼ぶ時だけ特別に感じるのは、どうしてなのだろう・・・。
「君は哂うか・・・。君に恋していると告げる私を・・・――」
瞬間・・・。時が弾けた気がした。
言葉も発せられないほど驚いている自分を余所に、ロイは表情を暗くしていく。
「―― 可笑しいのは自分でも判っている。
あの日以来、夜毎君を夢の中で抱いている。あんな狼藉を犯した私を許してくれた君への裏切りだと判っているのに・・・・・止めることが出来ない。
君に近づく女性達を、――― 消し炭にしてやりたいと、どれだけ思ったか・・・」
暗い炎をちらつかせてそう語るロイの言葉を茫然と聞いていたエドワードは、堪えきれない衝動で腕を伸ばしてロイを引き寄せる。
「エ、エドワード・・・!」
驚くロイの顔中に、エドワードは溢れる想いに感謝しつつキスを贈っていく。
彼の黒の双眸が好きだった。
全てを内包し、それでも見据える先が揺るがない強い視線が。
汗で張り付いてる髪をかき上げ、露になった額にもキスをする。
彼はエドワードが旅時代から、騒動を起こして還る兄弟に眉間に皺を寄せ、困ったポーズを見せては。それを甘受して来てくれた。
最近はすっかり見なくなった、皮肉な微笑を象る口元にも。
少年時代は彼のその微笑が嫌いだった。
大人の余裕を感じさせ、自分が酷く未熟で幼い気にさせられたから。
そして年を経た今。
自分は本当に子供だったのだと気づけたのだ。
皮肉を言ってはエドワードを奮起させ。
嫌味を言って、エドワードの負けん気を煽る。
そして・・・、
時にエドワードが戸惑うほどの、優しさを垣間見せる。
子供時代、そんな上辺に惑わされて『いけ好かない奴』だと決め付けていた反面。エドワードはロイに信頼を寄せていたし、自分も彼からの信頼に足る人間になりたいと心の奥底で、・・・・・願ってもいた本心。
幼い頃の反発心は、自分の幼さゆえ。
並び立てない事への悔しさだったのだと。
1つ1つキスを贈る度に、そんな過去を思い起こし流しさる。
最初は驚いてされるがままだったロイも、エドワードのその行動の意図が察せられたのか、信じられないと目を瞠って驚いた後、エドワードにお返しとばかりにキスの雨を降らせる。
くすぐったい思いでその行為を受けながら、エドワードは涙を溢れさせながらロイに自分の心を告げる。
「お、俺だって、あんたが好きだ! あんたが、過去を仄めかす度に嫌な気持ちにどうしようもなくなる位にっ」
エドワードの告白は、彼が好きなロイからの口付けによって、その中に直接吸い取られていく。
触れ合った箇所から全身に広がる熱が、快感なのだと始めて知った。
そしてそれを生み出せるのは、エドワードの恋している彼だけ。
エドワードだけの焔の錬金術師。
錬金術が使えなくなった自分に、運命が用意してくれた相手。
エドワードの頭脳から生み出された構築式を、これからは彼が生かしてくれる。それが彼の力になり、盾にもなるだろう。
互いに並びあって闘う事は出来なくとも、自分には自分に出来る手助けがあるのだ。
それがどれだけ幸せな事なのか、漸く理解できた・・・―――。
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