徒然なるままに・・・

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【体験談】 おしるし~帝王切開



これは入院した日に、先生が言っていた言葉。
私は、「24週までもつかどうかもあやしい」といわれていました。
というのも、入院当初からすでに子宮口が3センチひらいてて、
赤ちゃんの足が子宮口からみえていたから。
25週には、臍帯がおりはじめ、それも子宮口から見えていました。
それでも、27週を突破。


24、26、28、32、37、40週という区切りの中で、
きっと、まだまだいけるはずだ!
28週といわず、32週まで!と目標にしていました。


でも、27週に入り、それは突然やってきました。
27週1日、おりものに血が混じりました。
入院中、おりものが増えることはよくあったけれど、血が混じったのは初めて。
なんだかいやな予感。
念のため、ラウンドにきた看護師さんに伝える。

早速、その日は診察。
子宮口の開きは4センチ。そしてゆるくなり始めてる。
足と臍帯がみえている状態。
それでも、もう少しは持つだろう、とのことでした。


しかし、翌日。
おりものにまざる血の量はどんどん増えていきます。
もう一度診察。そして、ノンストレステストも。
機械の判定によると陣痛は4分間隔。
でも、私はマグセントの血管痛の方がよっぽど痛く、
陣痛にもほとんど気がついていませんでした。
いつもより、張りが多い・・・かも?くらいな感じでした。


でも、それらを総合した結果、先生の答えは、
「できれば今日、出産しましょう」とのこと。


27週なので、双子ちゃんはもちろん、NICUに入院になります。
小さいので、他院へ輸送することは難しいだろうとの判断で、
先にNICUのベットの確保が行われることになりました。

その一方、先生がだんな様に緊急帝王切開をする旨の電話を。
23週で入院したときから、いつになってもおかしくない、とは言われていたので、
だんな様はそんなにあわてず。でも、自分が離れているのは私が可愛そうだから、といい、
最終便の飛行機で移動してきてくれることになり、
出産は一日おくらすことに。その間はウテメリンに加えマグセント投入。


そして、臍帯が一番下にある子は逆子。
この子が先に出てきた場合、臍帯がでるのが早すぎて、
脳に酸素がいかない状態になるとのこと。
逆子をなおすため、外回転術を実行!

エコーで赤ちゃんの頭とお尻の位置をたしかめ、
おなかの上からそれをつかみ、力ずくで、グルっとまわそうとしますw
赤ちゃんが小さい上に、ふたりもはいっているので、どうしても回せない!!!
そういいつつも、2時間ちかく、5~6人の先生が挑戦しました。
痛いのなんの!!!!

これは本当に痛かった。
今まで人生で一番痛いと思ったマグセントの強烈な血管痛をはるかに越える、
強烈な痛さでした。
そして、これはのちにくる帝王切開の後陣痛よりも痛かった。
これぞ、人生で一番痛いもの!
多分、死ぬまでにこれをこす痛さはないと思う、と確信してますw


それはさておき、27週3日。
ついに帝王切開。所要時間は63分。出血量は約1000ml。

Baby1号。876グラム。
生まれてすぐに産声をきかせてくれました。
でも、NICU到着後、呼吸器装着。

Baby2号。828グラム。
ちょっとの体重差が、見た目では大きな差。
Baby1号に比べると、やせっぽちでとても小さく見えました。
先生いわく、産声をあげたらしいのですが、
自発呼吸がとても弱く、手術室で即、呼吸器装着。


二人とも、身長は仲良く、32センチ。
男の人の両手のひらにすっぽりとおさまってしまうくらいの大きさです。
とっても、とっても小さく、あまりの小ささにビックリしました。

生まれてくるまで、性別の判定が出来ないままでしたが、
生まれてきたのは、パパ念願の女の子の双子ちゃんデシタ♪


小さい小さい赤ちゃん。
本当に小さかった。
でも、生死さえ危ぶまれていた23週の緊急入院から、1ヶ月。
27週までがんばって、二人とも生きて産まれてくれました。
そのことに感謝。

赤ちゃんを見せてもらった後は、手術台の上でそのまま意識がなくなりました。
赤ちゃんたちは、無事、NICUに入院できたようでした。
NICUには両親しかはいれないため、赤ちゃんに会えるのはパパだけ。
パパは先生から赤ちゃんたちの状況の説明を受けた後、面会にいったようでした。

一方、私は、貧血がすすんでいる上に、
酸素濃度が90%をきった状態が続いたため、
人工呼吸器がつけられ、ずっと寝たままでした。
手術室で会った後に、赤ちゃんに会えたのは、2生日目デシタ。


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