** 長島便り **

2005年の経過前半




2005年1月1日(土)
大学時代の友人が年賀メールをくれる。
妊娠中で3月に女の子のママになるとの事。
月末、私の帰省中に東京で会おうと言う。
お腹の大きな彼女に会う。
気を遣わせないように明るく振舞おう。

2005年1月4日(火)
サイクル開始、Jamellaに電話してLIJ病院に
Tubal Catherization(卵管を開く手術)の
予約を入れてもらう。

2005年1月5日(水)
Barbaraに電話して今後治療の進め方のおさらい。
紙に手書きで不妊治療カレンダーを作った。
通院回数や、薬の種類が増えるので、
いつも目に付く場所に貼っておく事に。

2005年1月7日(金)
夫とLake Success officeへ。
Barbaraに sonogramをしてもらう。
ここでこんな風に彼女に世話になるとは、なんだかなぁ。。。
初めて夫も一緒にモニターを見る。
子宮の形、卵巣内の卵胞も異常なし。
Clomid(排卵誘発剤)のprescription(処方箋)をもらう。
Clomidもホルモンなので服用後はmoodyになるとのこと。
夫は看護婦達から「Be prepared」とからかわれる。


IVFのDr. ブレナーが Empire保険のメンバーではないので
OBGYNのDr. ゴールドマンにLIJへの紹介状を頼むため
Faxを送付。

2005年1月8日(土)
Clomidを飲みはじめる。毎晩1錠。
Moody, hungryになるといわれていた副作用は
特になし。安心する。

2005年1月10日(月)
Melville officeにてblood workを診てもらう。
CatherizationのためのAntibiotics Doxycyclineの
Prescriptionをもらう。
先日Faxを送ったので、Dr. ゴールドマン East Northport office
へ行きCatherizationのPrescriptionをもらう。
LIJに電話を掛けなおし、手術当日のInstructionを聞く。
Do not eat after midnight.
Take antibiotics with sips of water.
Have someone to drive.
Recannulization Takes 2-3 hours total.
Location: Main building 2FL. Radiology Dept.
Be there at 8:30 am.とのこと。

2005年1月11日(火)
Doxycycline飲みはじめ、朝夕2回を四日間。
副作用 特になし。

2005年1月12日(水)
手術当日。LIJ総合病院へ。担当医Dr. Lobko。
待合室で1時間待つ。
術着に着替えて処置室へ。夫も一緒に説明を受ける。
左腕にIDタグ、右腕に血圧測定器と点滴、
右人差し指に酸素測定器、胸には数箇所心電図のコード、
鼻に酸素チューブで挑む。夫が退室後、処置が始まる。
麻酔が入ると10秒で意識が無くなる。
自分の心電図の音を聞きながら眠ってしまう。
HSGではしんどい思いをしたが、今回は
全身麻酔のおかげで寝ているうちに痛くもかゆくも無く終わる。
途中起こされて2~3会話をしたが内容は全く記憶に無い。
多分、左右両方の卵管を開きましたよ、と言われた、と思う。
「終わりましたよ」と再び起こされ、私はお礼を言って
自分で動ける旨を伝え自力でストレッチャーに移ったのは
覚えているが、次に目が覚めたらHolding roomのベッドの上。
途中、途中の記憶がすっかりすっとんでおり、自分の事ながら笑える。
夫が呼ばれ、帰ろうかと思ったら血圧が50/80からなかなか上がらず
帰らせてもらえない。
ジュースやお菓子をもらってモリモリ食べる。
朝を食べていない夫ももらって夫婦してモリモリ食べる。
大げさにWheel chairを用意されるが断って歩いて駐車場へ。
真っ直ぐ帰宅して今日一日安静にと言われるも
インドカレー屋に行ってランチビュッフェを
たらふく食べてから帰宅。
麻酔が残っており、帰りの車中の記憶ゼロ。
恐ろしい事に帰宅後昼寝をして、夜は翌日昼まで熟睡する。
麻酔が効きやすい体質であること判明。

Melville Officeから電話、
先日の血液検査の結果問題なしとの知らせを受ける。

2005年1月15日(土)
今日からOvulation monitoringだったのに
行くのを忘れた、というか起きられなかった。
自己嫌悪。。。
こんなんで母親になれるのかワタシ?
授乳の時間に起きられませんでしたでは
すまないというのに。
自宅でLH Serge test をしてみる、排卵が近い。

2005年1月16日(日)
Monitoring初日。
夫が勤務中のLake Success Officeへ。
血液検査とSonogram。
バーバラにSonogramをしてもらう。
Follicle(卵胞)ふたつ!Clomid(排卵誘発剤)の力を見た。
二つとも大分大きくなっており、明日あたり排卵の様子。
両方に受精して着床してしまったら、双子だ、困る。。。
念のためここでもLH serge testをする。
今日のprescriptionは「have sex tonight. It’s cheaper!」との事。
帰りにバーバラから先日のカルビの残りをもらう。

2005年1月17日(月)
モニタリング二日目。
Lake Success officeへ行く予定だったが、雪のため、急遽
近い方のMelville Officeへ割り込ませてもらう。
8:30に到着。血液検査とSonogram。
昨日15ミリメートルだったFollicleはさらに破裂寸前まで
大きくなっている。この両の卵胞から卵子が出て、
両の卵子に受精してしまったら双子になってしまう。
今回は右の卵巣から排卵。右の卵管も開いたことだし、成功させたい。

夫が帰宅後、聞いた今日のモニタリングの結果は、
明日insemination(人工授精)とのこと。ついにこの日を迎える。
ちなみにInseminationの成功率は私の年齢で20%弱らしい。
今回妊娠できなくても、落ち込まないように
不成功だった場合のシュミレーションをする。
「まだ若い。次があるさ」と思うようにしよう。

2005年1月18日(火)
Insemination(人工授精)当日
夫がうちから遠いPort Jefferson Officeでの勤務日のため
早朝、夫の車の後ろについて病院まで運転する。
運転中、眠いのに期待で妙にワクワクして仕方が無い。

病院到着後すぐに夫はspermサンプルを取る。
よく1時間以上頑張ってもサンプルが取れない
可愛そうな患者の旦那さんの話を聞いていたので
無事に取れて安心する。
夫の仕事場(検査室)に私もずっと張り付いている。
顕微鏡で精子の数を数え、運動量を見る。
ピンクの液体を混ぜて遠心分離機にかけ、精液の中から
精子だけを取り出すという洗浄作業をする。
再び顕微鏡で見ると、精液という障害物が無くなったため
精子たちは先程よりなお活発に泳いでいる。
この中のどの子が私の子になるのかなと物思いにふける。
「はい、邪魔だからどいて」と夫に言われ
検査室の隅の椅子で待つ。「邪魔」と言われて憤慨する。

今日inseminationをする別の患者がいて、
夫はniceに問診している。そして「Good luck」と優しく
見送る夫。私にも何か言え。。。

準備が整い、処置室へ。
PA(フィジシャンアシスト)のキャシーが担当してくれる。
Insemination自体はものの15分程度で終わると言うのに
夫は私に付き添わず、別の患者の相手をしている。
キャシーとパットが「You have to hold her hand」と夫を
呼び入れようとするも「ごめんね、忙しい」との返事。
仕方なくひとりで内診台に上がる。
指をクロスしてinseminationの処置を待つ。
パットが夫の代わりに処置室にやって来て、処置の間
親切に私の右手の甲に手を置いていてくれる。
アッという間に処置は終わり10分だけ安静にして退室。

夫のいる検査室に戻ると「しばらくここで休んで」と言われ
検査室の隅の椅子に座って寝た。
1時間後、ひとりで運転して帰宅。
職場だったし、看護婦たちの前だからなのか
自分の事なのにちょっと無関心なそぶりの夫だった。
その気持ちも分からなくもないのであえて何も言わず。
He has to go through all this because of meなのだ。

2005年1月19日(水)
友人が突然の訪問。理由は「妊娠の報告」だった。
10ヶ月前に結婚したばかりだが、常々早く欲しいと
言っていたので非常に幸せそうだ。
つい3週間前まで、不妊の可能性があると言って
私にずっと質問をしていたの彼女。
今日は打って変って、つわりや妊娠後の身体の変化を
色々と聞かせてくれる、嬉々としている。
また取り残されてしまった感が強いが
焦らず、落ち込まず、頑張ろう。

2005年1月21日(金)
IVF Billing Departmentのアデルから電話あり。
保険会社から1月7日以降のSonogramには
保険が適応されないと言ってきたらしい。
Sonogramだけで一回につき$250の請求がくる。
$1000の出費プラスα。
今後治療を進められなくなるかも。おちこむ。


2005年1月28日(金)
日本帰省中、夫からGood News。
Dr.ブレナーの計らいでSonogramの請求ナシとの事。

2005年2月3日(木)
良い知らせの後は悪い知らせ。
第1回目の人工授精は失敗。
来月もまた頑張ろう。

(1/24-2/16まで日本と韓国に帰省)

2005年2月24日(木)
4年前から話があったMather(メイザー)総合病院
からの引き抜き。今月頭に遂に夫が返事をした。
IVFの院長も快く勧めてくれた。
3月からそちらのスタッフになるため、この日は
Lake Success Officeにて夫の送別会に私も参加。
といっても、今後もここの患者としてお世話になる。

2005年3月1日(火)
夫、Mather総合病院にて勤務開始。
AndorologistからEmbryologistに。
うちも体外受精を考える日がくるかもしれないので
なにかと勉強になる。

問題発生。
2月中休んだ治療を再開しようとしたら
夫が新しい職場に移ったため、保険が変わる。
始めの3ヶ月はProbation期間で通常の保険プランに入れない。
短期間の高いプランしか選択肢がなく2週間ごとに$600かかる。
6月までの3ヶ月間、治療は諦めることに、非常に残念。
でも、その間に自然妊娠の可能性だって全く無いわけではない
と自分に言い聞かせる。
妊娠前に歯科と眼科にも行きたかったが、そちらも諦める。

2005年3月5日(土)
サイクル開始。
先月も自然妊娠は無かった。
本当に可能性なんてあるのかやや不安になるが、
まだ3月だ、諦めないように。
もし今月自然妊娠できたら、今年中に出産出来る。
上手くいきます様に。

2005年4月6日(水)
残念ながら2005年生まれの子供を産む夢は叶わず。
やっぱり私に自然妊娠は難しいのだろうか。
ただ、今回のサイクルで妊娠できたら
もしかすると来年の夫の誕生日に出産できるかも。
母のためにも、どうか一日でも早く。。。

2005年5月13日(金)
サイクルやや乱れる。
来月から治療開始できる、夫と相談の結果、
体外受精に踏み切ることに。
母の命のタイムリミットが新たなmotivationに。


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