北海道の旅 0
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この歌も「悲しみ」である、しかも、それを忘れたいのかどこかにおきざりにした、という悲しみ。悲しみを置き去りにした、そのことの悲しみ。悲しみ、ペーソス、哀愁、そういう時代は戦争の後の日本の持つ感情でなかったのだろうか、ここ【 レコード・EP盤 】(中古) 吉田拓郎(よしだたくろう)/ おきざりにした悲しみはCDショップ アビーロード
2009.08.06
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拓郎物語見ればわかる
2009.07.26
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吉田拓郎 大いなるあなたのこころにささげます
2009.07.26
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明日に向かってはしれ、言葉をつくろうまえに1985年のつまごい。ゆけなかった君にささげる。ここ観衆が興味深いどこか、なつかしいしみんな、どこか、ちがう。おなじでない
2009.07.26
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所属レコード会社は23日、慢性気管支炎が完治しないため、開催準備をしていた残る2公演(25日の静岡・つま恋、8月3日の東京・NHKホール)を中止すると発表した。 吉田さんは6月から「最後の全国ツアー」を始めたが、7月8日の大阪公演以降の4公演を中止していた。読売そうか、最後のツアーもなくなったのか。拓郎。きにすんな!そのうちできるさ
2009.07.23
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拓郎の79年12/31のライブみつけた、70年代がおわろうとしていた。制服1975/6/1
2009.07.16
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体調不良のため8日大阪でのコンサートを中止したシンガー・ソングライターの吉田拓郎さん(63)が、14日福岡市、17日広島市、21日神戸市の3公演も中止するとコンサート事務局が9日発表した。医師の診断によると、吉田さんは「慢性気管支炎の悪化で約2週間の自宅療養が必要」という。25日と8月3日の公演については様子を見て判断する。問い合わせは、TYコンサート事務局 電話03(5768)2307。 2009年7月9日(木)18時37分配信 時事通信
2009.07.09
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シンガー・ソングライターの吉田拓郎さん(63)が8日、体調不良を理由に、大阪市内で同日予定されていたコンサートを中止した。吉田さんは6月から「最後の全国ツアー」として各地で公演中だった。所属レコード会社などによると、吉田さんは8日午後のリハーサル終了後、体調不良を訴えた。今後のツアーについては、医師の判断を待って決めるという。07年にも、ぜんそく性気管支炎のため全国ツアーを中止した.2009年7月8日(水)20時25分配信 共同通信拓郎!元気でいてくれるだけでいい。
2009.07.08
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BSエンターテインメント「大いなる明日へ~復活!吉田拓郎~」 3月22日(日)午後7:30~9:00 「祭りのあと」「伽草子」「夜霧よ今夜もありがとう」ほか (歌)吉田拓郎demasu
2009.03.20
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拓郎がドラマの中の歌として、中村雅敏さんに提供したうた、今日、すれ違う人も実は前にあったひとかもしれない、もしかして、来週会う人かもしれない、uchitamaさんは、ほんとうすばらしいTUBEをUPしてくれる、僕はファンなのだ。ここ
2009.01.01
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吉田拓郎「おやじの唄」
2008.03.29
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小室さんいいこえですね、こういう映像はなかなか貴重、ここ
2008.03.20
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吉田拓郎/一瞬の夏(CD)2005年03月24日発売タクローが、何でテイチクにいるのか、フォーライフをやめていたのは、いつのこと。収録曲 1.ああ青春2.マークII3.唇をかみしめて4.恋唄 5.家へ帰ろう6.全部抱きしめて7.夏休み(ボーナストラック) このCDがどれだけ売れるだろうか、小田さんを抜けるだろうか。
2008.02.29
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【 レコード・EP盤 】(中古) 吉田拓郎/結婚しようよ/今日までそして明日から2006 つま恋 拓郎、この歌はきき応えがある1975年と2006年同じ歌でも、ぜんぜん、ちがうな。若いときの歌は、つっぱったかんじ今のは、説得力。あるね。
2008.02.25
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旅の宿わかいな、1972年36年前・・
2008.02.25
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指がふれたら ぽつんと落ちてしまった 椿の花みたいに おそらく観念したんだネ 君はいつもの様に 電話に僕を呼びだし 僕を笑わせた後で ...これも、岡本まさみさん、ここ
2008.02.25
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【レコード・LP盤】(中古) 吉アジアの片隅で田拓郎/アジアの片隅で当時、長い長い間奏をききながら、針を眺め、アジアの情勢も不安定でいろいろ考えながら聞いたもの、僕の友人、中国や台湾、ベトナム、アジアの片隅で日本からの仕事をしている、それも、不思議な思いであるな。あまったれた子供たちは権利ばかり主張するだろう・・。岡本まさみさんの作詞は、旅ものがおおかった社会的な歌であった、今の人も聞くべきです。ここ
2008.02.25
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「ごぶさたしてます」拓郎4カ月ぶり肉声プレイバック2月25日17時1分配信 夕刊フジ ハリのある声で復活をアピールした拓郎 24日放送の「吉田拓郎のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)で、4カ月ぶりに肉声を聞かせたフォーク界の大御所、吉田拓郎(61)。元気な声で、今年夏にステージ復帰する計画や、音楽仲間との友情秘話、封印された青春時代の音楽遍歴も披露し、ファンを喜ばせた。聴けなかったお父さんのためにプレイバック!! 「エー、吉田拓郎です。ごぶさたしてます」 24日午後3時。時報とおなじみのジングル「♪ビバ、ヤング、パヤパヤ」が流れた後、拓郎の復帰第1声が響いた。 関係者によると、拓郎は収録日の23日午後、東京・有楽町のニッポン放送にワゴン車で到着。サングラスにジャンパー姿で後部席から颯爽と現れ、出迎えた関係者に「ウオー、イエーイ」と上機嫌に応じた。 顔色もよく、祝福に駆けつけた旧友の同局・亀渕昭信相談役(65)と握手し、抱擁。生ギターを携えてスタジオ入りし、マイクへ向かった。 収録冒頭、拓郎は療養中に「一番うれしかったこと」として、後輩・桑田佳祐(51)が復帰を願ってギターのテレキャスターを贈ってくれたエピソードを披露。感謝をこめ、桑田を「父親のような男」と絶賛した。 さらに、ツアー中の昨年10月にぜんそく性気管支炎と胸膜炎と診断される以前から、加齢による体調異変を感じていたことを告白。「このままツアーやるとひっくり返る。ファンより自分が大事、と決心した」と冗談ぽく、療養に入った当時の心境を明かした。 番組の楽曲は、学生時代に故郷・広島などで録音し、本人も「二十数回の引っ越しに、よく耐え抜いた」と感心する貴重な秘蔵音源を中心に構成。拓郎が「フォークの貴公子」としてブレークする前、R&Bなど洋楽カバーに明け暮れていたことを示すファン垂涎の資料が次々と披露された。 高校時代の名曲「ハウンド・ドッグ」の荒削りなカバー演奏を聞き返すと「後ろで叫んでるのは誰でしょう? 会いたいな。広島に帰りたくなりました」。 自作曲「兄ちゃんが赤くなった」の自宅録音テープの初々しい歌声には「おれが赤くなるよ!」と照れ笑い。ノってきて、お気に入りのフレーズを自ら弾き語る場面もしばしばあった。 さらに、今年夏には、大学時代のバンド「ダウンタウンズ」を広島で再々結成することを発表。東京でも「60年代のR&B中心に洋楽ポップスを扱ったカバーバンドのライブをやる」と宣言した。 「健康に気をつけてください。ふだんから注意して歩くように」とリスナーへのメッセージを告げて、2時間半に及ぶ収録は終了。 スタジオでは「駆けつけた歴代ディレクターに『おー、元気か』とうれしそうに声をかけて、同窓会ムードだった」(担当者)という拓郎は収録が終わると「飲みに行くぞ!」と関係者を誘い、元気よく出ていったという。ああ、よかったよ、
2008.02.25
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たくろう仕事復帰おかえり、ゆっくりと、あゆめ、そのまま、でいいんだ。生きているそのままんで一人のおとこであればいい。不自然でも自然でも流されても流れてもたくろうは、たくろうだ。ここ
2008.02.24
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昨年10月に体調を崩して全国ツアーを中止したフォーク歌手、吉田拓郎(61)が、24日放送のニッポン放送「オールナイトニッポン40時間スペシャル」のパーソナリティーで4カ月ぶりに表舞台に登場することが18日、発表された。体調も順調に回復した拓郎は、「ファンに『元気です』と伝えたい。青春時代の話もしたいな」と本番を楽しみにしている。自宅静養していた拓郎が、満を持して帰ってくる。24日午後3時から2時間にわたり放送する「吉田拓郎のオールナイトニッポン」が復活の場だ。拓郎は昨年8月下旬から全国ツアーをスタートさせたが、風邪をこじらせ2公演目でダウン。その後、再びツアーに臨んだものの、症状が悪化し、復帰と延期を繰り返した。再検査の結果、ぜんそく性気管支炎と胸膜炎を併発していることが判明。「約3カ月の加療を要する」と診断されたため、10月22日に19公演を残した全国ツアーの中止を決めていた。 以来、自宅静養に努めたこともあり、関係者によると、拓郎の体調は順調に回復してきたという。ただ、無理して表舞台に立つよりは、じっくり体を休ませた方がいいとの判断で、メディアへの露出は控えていた。元気になってよかったよ、心配してたんだ。へこんでないか、みんなそー、おもってる、きくよ!
2008.02.19
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23日17時1分配信 夕刊フジ 拓郎が復活した! シンガー・ソングライター、吉田拓郎(61)が映画「結婚しようよ」(2月2日公開)の公式ホームページにコメントを寄せ、元気ぶりをアピールしている。昨年10月に体調不良でコンサートツアーを中止して以来、久々の本人コメントだけに、ファンは一安心だ。 21日夜、拓郎はこんなコメントを寄せた。 《映画に出演しているわけでもないのに、ドキドキして眠れない日が続いています。もちろん観に行く勇気も未だに出てきません。子供達の晴れ姿を、どうか暖かいお気持ちで見守ってやってください》 自らの曲がモチーフになった映画の公開を心待ちにしている様子がうかがえる。 「結婚しようよ」は、三宅裕司(56)主演で、妻と2人の娘との一家そろっての夕食を楽しみにしている拓郎ファンのサラリーマンが、娘たちの自立に戸惑いつつ、歌に励まされて人生を見つめ直すホームドラマ。 タイトルにもなった「結婚しようよ」はもちろん、「落陽」「今日までそして明日から」など20曲の拓郎ソングが全編を彩っている。拓郎は出演していないが、2006年9月23日に行われた「つま恋」コンサートで拓郎が熱唱する映像が盛り込まれている。 「半落ち」「夕凪の街 桜の国」など話題作を連発してきた佐々部清監督(50)が熱烈な拓郎ファンで、20歳ごろから構想を練ってきた。 2年前、拓郎サイドから「好きな曲を使っていいよ」と映画化の了解が出て撮影。「つま恋」にも佐々部監督ら製作スタッフも観客としてステージを見守っていた、栃木県佐野市で行われたロケでは、三宅や岩城滉一(56)、モト冬樹(56)ら“拓郎世代”の出演者たちがそろって参加。「撮影の待ち時間の間は『僕はこの曲が好き』という拓郎談義で盛り上がっていた。『拓郎さんも現場に来てくれたらいいのになぁ』と口々に話していた」(映画スタッフ)。 昨年11月に完成披露試写会が行われたが、このころから製作側は拓郎サイドに「直接は無理でもビデオレターやコメントなどで元気な姿を知らせてほしい」と打診を重ねてきた。「事務所側は『体調は元気で問題ない』と話していたが、事情を考えると無理強いはできなかった。そんな矢先にコメントが届いたので本当に安心した」と製作関係者は胸をなでおろす。ただ、現時点では、公開初日の舞台あいさつに拓郎が登場する可能性は「限りなくゼロ」(同)というから、ちょっと残念。 気になる映画の出来映えについて、映画評論家の垣井道弘氏は、「拓郎好きなら絶対に楽しめる。団塊世代、フォーク世代の心に染みるキーワードが散りばめられていて、自分の人生と照らし合わせて感情移入できる巧みな演出だ」と話している 映画楽しみ。
2008.01.24
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この歌は、実は意味がわからない部分があります。先日、あさ・がおさんが「ベルベット・イースター」の意味はまったくわからない、といっていたが、自分もよく考えれば、わからない。わからないけど、聞いている、雰囲気できいている。このたくろうの「人生を語らず」といいながら、人生を語る。朝日が 昇るから 起きるんじゃなくて 目覚める時だから 旅をする教えられるものに 別れを告げて 届かないものを 身近に感じて越えて行け そこを 越えて行け それを 今はまだ 人生を 人生を語らず朝日が昇るからおきるというのは、日常のことで、日常の生活でないものをみつけるために目覚めた(人生に?)から、行動するということ。難解、教えられたものにというのは、親の教育かな、そこからもっと、自分をたかめろ。ということだろーか。売れる歌は要素として、フレーズごとに、いい言葉を隠し、その言葉に反応し歌全体をききたくなり、なんども、聞いてると、その歌が好きになる。好きになるは、意味がない。3番のあの人のための 自分などと言わず あの人のために 去り行く事だ空を飛ぶ事よりは 地をはうために 口を閉ざすんだ 臆病者としてここが僕がすきなところ、なんか、どうもいえないが、このフレーズは、い。今はまだまだ 人生を語らず 目の前にも まだ道はなし越えるものは すべて手さぐりの中で 見知らぬ旅人に 夢よ多かれ越えて行け そこを 越えて行け それを 今はまだ 人生を 人生を語らずやっぱり、最後のこのフレーズがいいね。人生というものがわからない若いときに後ろから押される気分。そういう、たくろうの歌がいまさら、染みますね。
2007.12.26
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また逢おうぜ あばよ-吉田拓郎拓郎!どうしてる心配だ
2007.12.10
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どうしてこんなに悲しいんだろう人の心はあたたかいのさ
2007.11.30
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流星
2007.11.30
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人生を語らずいまはまだ、人生はかたらず?
2007.11.30
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人生を語らず超えてゆけそれを
2007.11.30
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この歌が好きなんです。数え歌です。松本隆は天才です。まず、テレビの音だけの歌ができてたくろうがつくるんですが、これこのなかにでてくる、「人生後味わるい」75年8月2日、「吉田拓郎&かぐや姫」オールナイトのコンサートが開催された。「ああ青春」の大合唱と拓郎の「朝までやるよ!」の絶叫で幕を開けた。たくろうは、いまどうしてるのかなうつになってないか、しんぱい。
2007.11.21
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ここ
2007.11.10
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拓郎のメーリングリストのかたが先日の記事をUPされています。ここ
2007.10.28
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全国ツアー中の歌手、吉田拓郎(61)が22日、ツアーを休止すると発表した。所属するインペリアルレコードが発表したもので、休止となるのは10月23日の徳島文化センター公演から、振替公演である2008年1月23日の岸和田市立浪切ホールまでの計19公演。 同社によると、拓郎は熊本市民会館からの全国ツアーを行っていたが、計6公演を実施後に医師の再診察を受けたころ、「慢性気管支炎」に「胸膜炎」を併発していたことが判明。約3カ月の加療を要すると診断されたという。 拓郎は9月30日、熊本市民会館公演でツアーを再開させ、40日ぶりにファンの前に姿を見せたばかりだった。【コメント全文】本当に申し訳ありません。今年は何やら体のバイオリズムのようなものが最悪のようであります。ライブを楽しみにしていてくれた皆さんには心から謝らせてください。僕自身も今回のカントリーは初めての街が多く新鮮な構成など、とても楽しみにしていただけに残念でなりません。志なかばで矢折れてしまいました事を無念に思います。この際あせらずに40年に及ぶ蓄積された悪玉達を追い出す日常を送ろうと決心いたしました。わがままな吉田をどうぞお許しください。我が街の空より皆様の健康と幸せをお祈りいたしております。2007年10月22日 吉田拓郎いいよ、たくろう、ゆっくりなおしてね無理はいけないよ。みんな、わかっちょるイメージの詩
2007.10.22
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拝啓吉田拓郎様あなたの活躍をみるたびにはげまされ、元気がでてきます。人間のなかみのことを僕たちが右も左もわからないときにあのあなたの歌で教えていただきました。昔の歌を何度も、何度も何度も繰り返し、歌うのはつらいだろうか。かみ締めてうたうのだろうか。ツアーたいへんですか?お体は大丈夫ですか?明日からも、こうして生きてゆくのだから。僕も今日を生きてみました。つまごい
2007.10.12
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シンシア 吉田拓郎よしだたくろうとかまやつひろしの「シンシア」(1974年、よしだたくろう『今はまだ人生を語らず』収録)は、南沙織に捧げた楽曲。ラジオから流れてくる、南の6枚目のシングル「早春の港」を聴いて感動し、そのアンサーソングとして制作したと言われている。1974年11月12日放送の「ミュージックフェア」では、よしだたくろう・南沙織・かまやつひろしの三人で出演。かわいい、南沙織たくろうにくわれなくてよかった。前編後編たくろうも、ムッシュもわかいセクシー
2007.10.11
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ぜんそく性気管支炎のためライブ活動を休んでいた歌手、吉田拓郎(61)が9月30日、熊本市民会館公演で40日ぶりに全国ツアーを再開した。 拓郎は「今日が初日だと思ってやります。元気です」と全21曲、約2時間半を汗だくで歌いきった。8月24日、ツアー2カ所目の東京・パルテノン多摩公演のリハーサル中、不調を訴え、計8公演を延期していた。風邪による体調不良で全国ツアーを休止中の歌手、吉田拓郎(61)が、復帰予定だった9月4日の岩手・北上さくらホール公演など6公演を延期することを8月31日、所属するインペリアルレコードが発表した。同社によると、せきが止まらず、歌うのが難しい状態で、医師に「喘息(ぜんそく)性気管支炎のため、約3週間の安静加療を要する」との診断を受けたという。 拓郎は8月21日に全国ツアーをスタートさせたが、2公演目となる同24日の東京・パルテノン多摩公演のリハーサル中、風邪が原因でへんとう腺が腫れ、満足に声が出ないことから12月11日に延期。その後、都内の病院で「急性気管支炎のため、1週間の自宅療養、安静、加療を要する」と診断され、8月28日の江戸川区総合文化センター公演も延期していた。 だが、病状の回復が遅れ、このほど受けた再診で喘息性気管支炎で3週間の安静を求められたため、東北と関西の全6公演を延期した。拓郎は子供のころ、小児性喘息を患っていたという。ただ、日常生活に支障がないことから入院はせず、自宅療養に努めている。心配ですね肺がんもしてるし。肺の切除をすると、肺活量も減少し、気管支が負担かかるしね。ああ、ツアーなんて、いいのにさ、長生きしてよ。
2007.10.01
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トランザム / あゝ青春
2007.09.26
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人生を語らず1975年8月2~3日に静岡県掛川市・つま恋多目的広場に5万人の観客を集めて行われた伝説のオールナイト・コンサート。【収録内容】1:僕の唄はサヨナラだけ(リハーサル)/吉田拓郎2:僕の胸でおやすみ(リハーサル)/かぐや姫3:あゝ青春/吉田拓郎4:春だったね/吉田拓郎5:今日までそして明日から/吉田拓郎6:人生は流行ステップ/かぐや姫7:黄色い船/かぐや姫 ★8:なごり雪/かぐや姫9:妹/かぐや姫 ★10:あの人の手紙/かぐや姫11:夏休み/吉田拓郎12:襟裳岬/吉田拓郎13:三軒目の店ごと/吉田拓郎14:されど私の人生/吉田拓郎15:岬めぐり/山本コータローとウィークエンド ★16:赤ちょうちん/かぐや姫17:神田川/かぐや姫 ★18:22才の別れ/風 ★19:風の街 /山田パンダ ★20:幼い日に/南こうせつ ★21:君去りし後/吉田拓郎22:落陽/吉田拓郎23:人間なんて/吉田拓郎この映像の1部がCBSソニー・ミュージック(吉田拓郎)と日本クラウン(かぐや姫)から発売されたものの、マスター・フィルムは行方不明となってしまい、関係者が方々手を尽くして調べたのですが見つからず、永い年月が経ってしまっていました。しかし、今年の初めに、なんとコンサートの主催者であったユイ音楽工房(現・ユイミュージック)の倉庫から、くだんのフィルムが偶然にも発見されたのです。コンサートから30年目の奇跡でした。そしてちょうど30年目の2005年8月2日にDVD作品としてリリースされることとなったのです。この発売がきっかけで昨年のつまごいは、生まれた。
2007.08.16
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学生時代はきままに一人旅。決まって北海道、拓郎の「落陽」は、積丹YHで、歌った!積丹かもいYHでは、遠い世界になんとちーいんがむが・・
2007.08.09
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夏休み拓郎の夏休み。いい感じですよ。ここ
2007.08.09
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吉田拓郎フォークジャンボリー伝説の「人間なんて」長い。しかし、この舞台で、岡林から拓郎の時代になった、中津川フォークジャンボリーは一部のファンが舞台で討論をはじめ、演奏できなくなりもう、なくなってしまいます、時代が変わりつつあったのです。「今日までそして明日から」映画のテーマソングです。たどりついたらいつも雨ふりモップスの提供した拓郎の歌。唇をかみしめて鉄也が拓郎をなき落として、作らせた歌。せんこう花火あのコロの拓郎の歌は、なぜにいま心にずxしんんーーとくる、若い時の数十倍だ。それは、なつかしさと、いままでの時の長さと自分の経験が加算されるからだろうな。ああいい時代、ありがとう、感謝。
2007.08.01
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昨日のオフコース「生まれ来る子どもたちに」は、ヒットしなかった。その歌はメッセージを持つ歌で、もう1980年の若者における歌は、自由恋愛の歌、もしくは、メッセージの薄い音楽性の高いものが評価された。どれがよくて、だめだということでなく、要求されるものが変質してゆくのであった、恋愛というのが人生の最大のテーマの扱いを受ける世代は頭の中は、異性のことばかり、だから、結婚もして無いのに、子どもの未来のことまで考えられない。ひたすら、軽薄短小時代に突き進む。吉田拓郎はそういう時代における化学変化をもたらす幕末で言うと、長州の高杉のような存在。拓郎は60年代後半70年前半においては異端児であり「帰れ!」コールの対象人物であった。アングラ系のフォーク歌手とヒットを飛ばしまくる拓郎の歌は、商業主義ととられていたのだ。フォークが大衆の音楽でなく、一部の批判勢力学生運動見たいなそういう部分で烈しくやっていた頃、拓郎は、ユイ音楽工房を早稲田の後藤ユタからと設立する。「 今日までそして明日から 」ソニーに移籍後出されて曲も大ヒットした、拓郎が、政治や社会の批判でなく、等身大に置ける自分と自身の問題をテーマにすることで若者は親近感をえたうたのだろう。学生運動が壊滅し、安保は条約をし、敗北の中、批判組みは敬遠されつつあった。一番の大きなことは森進一に提供した、「襟裳岬」がヒットし、レコード大賞を獲得、レコード業界は、フォークは金儲けできるとおもったのだろう。1974年のことだ。陽水とともに翌年、高額納税者の音楽部門にランクインする。1975年8月2日たくろう・かぐや姫・イン・つまごいコンサート歴史に残るイベントがおこなわれる、昨年の同窓会コンサートをおもいだす。当時、もうかぐや姫は解散し、このときのために復活をしていた、ゲストには、風、ウイークエンドもでた。拓郎が、中津川フォークジャンボリーで「帰れ!コール」されてから、批判勢力が壊滅的な舞台侵攻をおこない、アングラ音楽はよりいっそうアングラ的な存在となり、拓郎とは対照的であった。もちろん、帰れコールは、だれもされない。オフコースも売れないコロ。前座であったり、商店街のレコード屋のまえとかそういうところで、無視や攻撃を受けて音楽のプライドを傷つけられ、「止めるならいまなら、まだ間に合う」と思い続け、やり続けた。拓郎のつまごいは、音楽シーンが変わった歴史的な幕開けであった。昨年のつまごいも、フォークという忘れていた音楽を思い返す歴史的なものであった。浜田省吾も、長渕剛も、拓郎の活躍を見て、音楽を目指す、拓郎の前座で、帰れコールをされてもひるまないことで、いまがある。オフコースのメッセージのあるその歌はその意義がある。竹内まりあが、出した新しいCDもう、メッセージがふんだんにつまり、聞いていて心に響く。音楽を聞く世代が多様化し、変質し、世代間の隔壁のようなものができ、それらの中で、ヒットするから聞くという音楽でなく。自分の心を揺さぶる歌を、聞きたいと思う。
2007.07.26
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今年に入って、深刻な「うつ状態」に陥っていたことを綴った告白文を一時、公式ホームページ上に掲載していた。ファンから心配する声もあがっていたが、文面はすでに削除。現在は夏のコンサートツアーに向けて万全だという。 拓郎の“うつ病告白”が掲載されていたのは、先月25日からの約1週間。 2003年に肺がんの手術を無事成功させ、昨年9月の「つま恋ライブ」では約3万5000人のファンを沸かせて完全復活を果たしただけに、ファンの間で衝撃が走った。 「ご無沙汰の極致でありました」で始まる文面では、今年1月ハワイ旅行に向かう機上で失神状態になったことを告白。 「ハショッテ言いますと…更年期障害、ストレス、うつ病への入り口 職業病などなど…肩こりなど無縁だったのに強烈に痛む、食事もビールも美味しいが吐き気も突然おいでになる、明るい性格で悩まない人だったのにウツだなんて…」など、ざっくばらんな口調ながら、苦悩の日々が綴られていた。 所属事務所に問い合わせると、「本人が書いたものです」と認めた上で、「ファンの皆さんを心配させるつもりで書いたものではありません」と説明。文面を消去したことについては、「深い意味はなく、文章が(蓄積されて)縦長になるとスクロールしなければならず、読みにくい。以前から、新しい文章が届くと差し替えています」と一般のブログとは異なる“拓郎主義”を代弁した。 現在、拓郎は2月からスタートしたレコーディングの真っ最中。体調について周囲は、「まったく問題はありません。拓郎の場合、レコーディング中に新たなアイデアが沸くことがあったり、ミュージシャンや楽曲に携わるスタッフとの綿密な調整もあったりで、とくに長引いているわけではない」と話している。コンサートツアーは8月21日の埼玉・サンシティ越谷市民ホールからスタートし、11月30日まで全国26都市を回る。拓郎自身、現在のホームページ上には、「では旅の空にて満面の笑顔でお逢いしましょう 2007初夏 拓郎」と前向きな言葉を綴っている。そうか、つまごいの「落陽」の最後のときにすこし、へんだな、とかんじていたけど、そうか、やっぱり、吉田拓郎は、思うことがたくさんあるし、若いときの歌は、自分の肉や血を刻むような思いをして作ったんだろうとおもう。せいいっぱい、生きてくれ拓郎。
2007.07.11
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拓郎の生き方がいつも不思議でしかたない。すごいたくさん、UPしてくれた人がいてみてください、いいですよ、僕の唄はさよならハーモニカが泣かせるね。まにあうかもしれない拓郎は自分の歌の歌詞をおぼえていない、という、これは泣くよ
2007.06.29
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しぼったばかりの 夕陽の赤が水平線からもれている苫小牧発・仙台行きフェリーあのじいさんときたらわざわざ見送ってくれたよ岡本おさみの「旅物シリーズ」静かな「落陽」のりのいい「落陽」ぼくの中では、大学時代、この拓郎の歌からすでにかなり立っていたが落陽をみたさにいろんなところを一人旅した。で、この歌は、「サイコロ転がす」じいさんがでてくるのだが就職活動で悩んでいた頃、そういう生き方にあこがれた部分の投影もあるな・・・社会人になり、よく、カラオケにはまっていたころ。そう、あのカラオケBOX(火事で)によく、いっていた。しかし、拓郎に歌は、誰も知らない。世代の隔壁を感じ、ぼくが下手でわるいのだが、落陽をうたい、変な、歌ーーといわれ、ぐさりときたものだった。フォーク、ダサいな。古いな。そう思う自分もいたが、かっこいい音楽というものに心奪われてもそれは、結局。表面的なもので自分たちの時代は、自分たちのもので誰にも干渉されるものでなく批判されるものでもない。拓郎は、実に、かっこいいのである。
2007.06.11
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2007年の吉田拓郎のツアー
2007.05.30
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フォーク界のカリスマ、吉田拓郎(61)がデビュー37年で初めてバンドを結成した。6人組「Life is a Voyage」で、平均年齢54歳の熟練ぞろい。全国ツアーを8月から26カ所で開催し、全会場1700人以下の小規模ホールに限定。昨秋に3万5000人を集めた「つま恋ライブ」とは打って変わり、拓郎史上“最小規模”のツアーになる。 ≪8・21ツアー開始≫バンド名「Life is a Voyage」は「人生は1つの航海だ」の意味。03年に肺がんの摘出手術を受けるなど幾多の荒波を乗り越え、今月5日で61歳になった拓郎らしい名前だ。 アマチュア時代に「ダウンタウンズ」を結成したことはあるが、70年のデビュー後は初めて。昨年9月の「つま恋ライブ」で、拓郎はかつての思い出に浸らず、還暦を超えてなお新たな挑戦をし続けることを歌と演奏で表明。新たな扉の第1弾が、バンドの結成だ。 ボーカル&ギターを拓郎が務め、ドラムスに拓郎のコンサートでおなじみの島村英二、キーボードに中島みゆきの「夜会」の常連プレーヤーであるエルトン永田が参加するなど、平均年齢54歳のスゴ腕ぞろい。そんなメンバー6人の演奏を目の前で体感できるのが、8月21日の埼玉・サンシティ越谷市民ホールから始まる全国ツアーだ。 ツアータイトルは「Country(カントリー)」で、全26会場とも主要都市を外した異色の試み。東京公演もパルテノン多摩、江戸川区総合文化センターの2会場で、大阪も岸和田市立浪切ホールといった具合。26カ所中、拓郎が立ったことのある会場はわずか5会場で、拓郎自身にとっても未知の舞台。収容人数も1085~1674人の小規模で、至近距離で“拓郎バンド”を満喫することができる。ツアーの総動員数が昨年の「つま恋ライブ」1回分の3万5000人というのもユニークだ。 このバンドメンバーを中心に、現在4年ぶりとなるオリジナルアルバム(8月発売予定)も製作中。拓郎は「(バンド結成は)ずっと温めてきた企画。ぜひ皆さんのお近くの会場に足を運んでください。こんな旅ならではのステージをお楽しみに」と張り切っている。 ▼バンドの顔ぶれ 島村英二(ドラムス) 79年のツアーに同行して以来、拓郎の作品、コンサートに欠かすことのできない人に。 エルトン永田(キーボード) 拓郎のバックとして82年のツアーに参加。中島みゆきの「夜会」の常連プレーヤー。 徳武弘文(ギター) ブレッド&バターのサポートメンバーを経て、ドラマの音楽やCM曲の製作も手掛けている。 松尾一彦(ギター) 76年に清水仁、大間ジローとともにオフコースに参加。90年から拓郎のバックミュージシャンに。 松原秀樹(ベース) 80年にジャニーズ事務所からバンド「ANKH」でデビュー。84年からスタジオミュージシャン。 吉田拓郎 Life is a Voyage コンサ-トスケジュール吉田拓郎 Life is a Voyage コンサ-トスケジュールが発表されました。全国25都市 (23都道府県)埼玉県越谷市 東京都多摩市 東京都江戸川区岩手県北上市 宮城県石巻市和歌山県和歌山市大阪府岸和田市奈良県奈良市熊本県熊本市福岡県飯塚市福岡県筑後市三重県伊勢市岐阜県多治見市愛知県瀬戸市徳島県徳島市香川県高松市 高知県高知市福井県越前市 富山県射水市 神奈川県鎌倉市静岡県三島市茨城県結城市山口県周南市鳥取県立倉吉市岡山県倉敷市ハコが小さいのでおそらく、完売してます。総合お問い合わせ先:TYコンサート事務局 03-5768-2307 「結婚しようよ!」吉田拓郎の名曲が藤澤恵麻、三宅裕司で映画化 半落ち』『出口のない海』などで知られる佐々部清監督の最新作、『結婚しようよ』の撮影現場が公開された。大泉の東映撮影所に作られたライブハウスのセット内に、佐々部監督を始め、主演の三宅裕司、真野響子、藤澤恵麻、AYAKO(中ノ森バンド)、岩城滉一が登場した。 吉田拓郎の大ファンだという監督が、タイトルにもなっている「結婚しようよ」はもちろん、そのほか20曲近い吉田のヒット曲と映画をリンクさせた作品を撮影中だ。“泣ける映画の監督”として知られる監督は「監督生命をかけて“笑えて泣ける映画”を作ります! すでに名作に仕上がる予感がしています」と笑顔で語った。 主演の三宅は「吉田拓郎さんの歌を聞いていた団塊の世代にはたまらない映画だと思います。あと娘さんがいるお父さんも必見です」と作品をアピール。娘役には藤澤恵麻とAYAKO(中ノ森バンド)がふんし、劇中で吉田の曲をカバーしたAYAKOは「吉田拓郎さんの曲を若者世代にも広げていきたい!」と熱く抱負を語った。 佐々部監督渾身の最新作は、平凡なサラリーマン家庭をコメディタッチで描いた感動作であるとともに、団塊の世代と若者世代が見事に融合した作品になっているようだ。『結婚しようよ』は2007年全国公開。この映画の脚本はあの寺崎要氏。ヤンタンの作家。中島みゆきのラジオのサポートもしていたのだ。
2007.05.28
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そう、この作品は拓郎の作品。石野真子、じつに、カワイかったあ。ぼくの知り合いの知り合いの話はまえにした?聞いた?聞いてない?そう、電車でいつも会う、八重歯のかわいい女の子毎日会うたびに、もう、どきどき、同じ車両にのるために。。そう、一目ぼれである。みわたすと、同じような危険な、男の数人あるひ、そいつは、いを決して「好きです、おつきあい。。」ラブレターをわたす、芦屋のホームのはしで。。。しかし!みごとに、ふられた!あるひ、そいつは、日曜日なにげなくテレビをみていると!!!そこには、あああ!あのこ。アイドルに振られたとは!それでは、拓郎の 私の将軍さま、でなくて私の組長でなく私の 首領(どん) をみてください、しかしすごいいタイトル!どうですか、かわいかったですね。拓郎のおくさんになりかねない、タイプですね無事でよかった、とおもいきや芦屋の金持ちの実家は、丸焼け!!アルバムも服もすべて!やけてしまい。長渕に、涙の相談。。。しかし、その相談のおかげで、恋におちました。あちち、ファンはがっかり。ハルラらら・・最後に、狼なんか怖くないこの歌も拓郎ですね、かせぎすぎです。狼にかわりますか?かわいいですね。最後に次の歌手はなんとまあ、石原裕次郎。しかし、あの番組はよかったな。いい時代だ。いまは、見る機会も医師もない
2007.05.13
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吉田拓郎というひとは、すごいひとなのか普通のおっさんか、どっちかな。つまごいの感動も覚めやらぬまま。よくみると、ラストの「落陽」を歌う彼は、どこか、胸の動きがちがうな、と感じた。どこか、体をかばうような感じもした。吉田拓郎、というのは、ある意味、1980年前後でかわったような気がする、というか、聞かなくなった、心に響かなくなった。時代が、バブルに向かい、恋愛とか、砂浜とかやたらロックとか、拓郎の中の詩は、封印してしまったんだ。しかし、あんなにすごい、詩を編んで、曲を作っていたのに。いま、どうなんだろう。どうして、かけないのか拓郎の行動をみていると、本能と理性が交差し人間本来のもつ感情や、人生など「本能として感じる」ものが、初期作品にはおおい。イメージの詩なんてのは、ほんと、あの時の理性でふさがっていない拓郎でしか、書けない、孤独をいつのまにか寂しがりやと勘違いしてキザナ台詞 並べたてるそんな自分をみたいまの拓郎に書いて欲しい、今の自分の人生を
2007.05.04
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吉田拓郎これが青春 ヤング・ギター・クロニクル Vol.1 出版社名 シンコーミュージック・エンタテイメント (ISBN:978-4-401-63085-1) 発本の内容 『ヤング・ギター』誌に掲載された、拓郎関係の全記事・資料を収録。第一線を走り続ける吉田拓郎の魅力と原点に迫る!斬新な歌と、圧倒的に面白いステージの語りで、一躍、人気が沸騰した吉田拓郎。「売れるフォーク」に対する軋轢も跳ね返し、歌謡曲との垣根を取り払って日本の音楽シーンを変容させていく。カラーで見る拓郎史平山コレクション+プラス―ファン垂涎の幻のお宝グッズ1970フォークの枠を越えていた「新しい歌」 よしだたくろう登場1971歓声と帰れコールの中で 時代を引き寄せた瞬間1972売れるフォークはダメなのか それでも僕は元気です1973出過ぎた釘は打たれまいに 心に傘を。唇に詩を1974狂気の1年が過ぎ去って 新しい船は進む1975誰もやっていないことを目指して 今日から吉田拓郎です1976カーニバルの後 走り続けること1977プロデューサー宣言 信じる気持ち1978~2006歩みは止まらない 今日より明日を1970~2006拓郎資料室しかし、この本は忽然と本屋から消え去り売り切れ状態。ファンは、呆然。増刷しろよっっ!
2007.04.05
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拓郎は、いわば、フォークそのものだという認識であるが。アングラのフォークの時代を見ていると、僕の結論としては「フォークソングを変えてしまって、消滅させた人げん。」それが、吉田拓郎である。拓郎以前のフォークは、主なものが、反体制であり、アンダーグランド(アングラ)であった、日のあたらない地下でひっそりとやっていたものを拓郎が日のあたるところにさらけ出していった。吉田拓郎は、吉田拓郎そのものでない。拓郎はある意味、作りあげられた虚像と実像が3Dのように存在する。岡本まさみの旅もの、松本隆の人としてもの、拓郎自身のもの、拓郎の独特な漢学旋律。中津川のふぉーくジャンボリーはアングラがメインであり、舞台では、「帰れ!」コールがおきるのである。彼らには岡林か三上しかいないのである。拓郎は、サブステージに立ち、六文銭と即興の「人間なんて」を声をがらがらにして90分間も歌い叫ぶ。(なぎらさんのほんより)このときに、岡林の時代から拓郎の時代になったということである。拓郎は、ルックスもよく、女の子のファンもおおく。また、客の気持ちがわかっていた。その後の活躍は、いうまでまでもない。フォークの歌を演歌の人が歌い、アイドルの歌を提供し、フォークとかいう誰かが勝手につけたレッテルを消してゆくようにである。アングラの人々は、商業ベースになりにくい。
2007.01.15
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拓郎が、オフコース休止してるときに「オフコースにいれてくれよ」と真剣にいったそうである。小田さんはもちろん、NO.小田さんは拓郎の生き方に影響を受けてる。拓郎は逃げないで、会社をつくり、すごい負債を抱えた。小田さんもその後を追うように、オフコースカンパニーを立ち上げた。祭り上げられた神様をやるほどつらいものはない。苦悩と苦闘の歴史だろう。バカみたいに熱いファンばぁかり、拓郎が、この10年みてると、「実におとなしい、普通、大人、」の感覚を受ける。なんか、違う。これも、そのへんの、調子をもどそうとしてるのだろうか?
2006.12.03
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