マリコの酒場



桜坂の新しい道のあたりに昔
「この辺りだよな。なつかしいよな。もうないんだ。「マリコの酒場」」
男は、想い出に浸っているようだった。
「マリコ、いい女だったな」
「確か、14年前だった。あの日、あの女とおれは結ばれた」
「あのときのおれにとって、あの女は、ガールフレンドの一人。あれっきり、行くこともなかった」
男は、桜坂映画劇場に向かって、歩き出す。
しばらくすると、黄色いネオンが目に入った。書かれていたのは、「マリコの酒場」
「マリコの酒場、そんなはずはない。とにかく、覗いてみよう」
男は、おそるおそるドアを開けた。
「いらっしゃい」なかから、女性の声がした。
そして、カウンターの中の中年の女性と目があった。
「あんた、あんたなの」
「マリコか」
「帰って、帰って、あんたなんかに会いたくなかった。お願いだから、帰って」
その女の尋常じゃない態度に男はその訳を聞きたくなった。
「どうして、そんなに怒るんだ」
女は、態度を変えようとしない。男もしつこく聞き出そうとして、そしてとうとう
女は、一枚の写真、それも中学生の女の子の写真を男に見せた。
「この子、おまえの娘か、かわいい娘じゃないか。あっ、ひょっとしてそうなのか?」
女は、ひとつうなずいた。
「どうして、産んだんだよ。こんなおれの子供で。おれは、何も知らず、それきりだったって言うのに」
「私にもわからない。でもうれしかったの。子供ができたことが。そして私のこと遊びだと解っていたし、おろすべきだったかもしれないけど、わからない。わからないまま、今まできちゃった」
女は、何故か、微笑んだ。
男は、言った。
「すまない。本当にすまない。これからでもおれができることは、させてもらう」
女は言った。
「いいの。勝手に産んで、勝手に育てただけ」
「今日、あなにに会えて、何となく事実を告げることが出来て、そしてあなたが嘘でもいいから、こんなこと言ってもらえたことで充分」
「ごめん」
そして女は言った。
「いいのよ。私が勝手にやったことだから」
女の目から、涙がこぼれた。でもすぐに女は、涙と拭いて、男に言った。
「もう帰って、そしてもう来ないで。ねえ」
男は、立ち上がって、女の両肩に手を置いて、女を引き寄せた。
そして、女の唇を奪ったまま、そのまま動こうとしなかった。
女の目からは、再び、涙が流れた。・・・・おしまい


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