日台国際結婚  in横浜  withワンちゃん

日台国際結婚 in横浜 withワンちゃん

台湾POPは、けっこういけるぞ!! 第3号




 台湾のポップミュージックをご紹介したいと思います。


 天才!周杰倫(Jay)

 私が周杰倫(Jay)を知ったのは、台北市内のとあるホテルでのことでした。miniと結婚する前、台湾と日本を行き来した頃、台北のホテルでCATVをよく寝る前に見ていました。台湾はケーブルテレビが発達していて、100チャンネルくらいあるCATVをどこでも見ることができます。ある日、一日中音楽番組を流しているチャンネルを見ていたら、一日にかける曲数は決まっているのか、何度も何度も同じ曲が何曲か流れていました。その中の一曲がJayの曲だったのです。その時は知らずにいい曲だと思って聴いていて、ビデオクリップもゆっくりと動く映像で、その映像・音楽だけで、あるひとつ世界観を感じられるもので、非常に印象に残っていました。
 ある日、miniと西門町でデートをしているときに、タワーレコードに入って、「このCDいいよ!」ってminiから渡されたのが、JayのCDだったのです。それで、日本に帰って聴いてみたら、あのCATVで流していた曲も入っていたのです。これはいいCDだと思って、何度も聴きました。その中で、一番お気に入りの曲が「龍捲風」。この曲は、作詞がビビアン。割とゆっくりのテンポだったので、何度も聴いて、覚えました。
覚えた曲を電話越しで歌ってminiに聴いてもらったら、発音も音程もGU---!これは、北京語もいけるかな!と思いきや、歌わずに歌詞を普通に喋ったら、全然、意味がわからない。やっぱり、北京語は発音だ!!いまだに、北京語はだめです。なんとかしないといけないと思っているけれども、才能がないのか、努力がたりないのか、進歩しません。miniの家族とも障害なく話せたらいいのですが、最大の課題です。ははは^^|

 北京語の話は置いといて・・・・周杰倫(Jay)は天才だ!!憂いがかったメロディーと話すように歌うRAP。とにかく、うるさい曲でもどんな曲でも、耳触りな曲がない。自然にすうっと入っていけて、気づいたらその歌のドラマの中に引き込まれている。軽やかに軽快に、さりげなくリズムが刻まれる。彼の音楽には国境を越えるものを感じられ(たまに日本語もでてきます!)、あらゆる色々な文化がミックスされて、彼独特なものを形成しています。素晴らしい。歌詞はいまいち分からないけれども、miniから聞けば、社会的な問題を曲にしたものもあるそうで、ますます彼の魅力に引き付けられます。音楽活動も積極的で、台湾のいろいろなアーティストに曲を提供しているようで、蔡依林(JOLIN)の「愛説○」「布拉格広場」「騎士精神」なんかがそうです。とにかく彼に注目していれば、台湾popを理解できるでしょう!!

 結婚式のケーキ入刃のときは、Jayの「簡単愛」を流しました。会場全体が、とてもいい雰囲気になりました。今は、家でVCDで彼のビデオクリップを見たりしています。(台湾のCDはセットで、ビデオクリップが入っているVCDがくっついているものが多く、なんか得した気分になります。)とにかく、台湾pop一押しのアーティストは周杰倫(Jay)です^^!

 その他、孫燕姿の曲も、すごくいいです。可憐で、素直な切ない気持ちを伝えられる。彼女の曲は、心地よいそよ風のようなイメージです。最近、レンタル屋で倉木麻衣のCDをたまたま、借りたら、その最後の曲に孫燕姿の名前があったのです。一緒に歌っているようですが、とても驚きました。そういえば、2人は傾向として同じタイプかも。声質とかも。。。

 また、陶吉吉の「ultrasound」という1997-2003のベスト版もかなりいいと思います。台湾ごきげんハッピーサウンド。聴いているだけで幸せになれます。



この場を借りて、私の好きな「U2」とアイルランドの政状を紹介しちゃいます。ははは^^

 U2偵察機 

 話は台湾ポップから脱線して、私の好きなバンドである「U2」について書きます。世間では、進化しつづけるアイリッシュスーパーロックバンドといわれいます。結成当初から同じメンバーでとおしており、1970年代終わりから活動をはじめ、1986年の「The JOSHA TREE」で大ブレイクして、一躍その名をとどろかせました。その後も精力的な活動を展開しており、ワールドライブツアーでは、世界何十カ国数十都市を回っており、全世界の人々から支持されています。私も1993年「ZOO TV TOUR」にいって、「Dirty Day」の光の演出に驚き、映像と音楽の融合のステージに興奮し、1998年popツアーでのbonoのマッスルスタイルに笑い、すごく楽しい時間を過ごしました。
 彼らにどうして、そこまで惹かれるのかというと、彼らの姿勢にあるといえます。自らに忠実で、常に新しいスタイルを見出そうと努力しており、オーディエンスの期待に振り回され、単調な音楽になることなく、うまくかわし、新たなものを模索している。つまり、常に進化しており、現状から脱皮しようと格闘し成功を収めているのである。音楽的にも実験的な試みをなしており、新しいものを創ろうとしているその姿勢に憧れるし、尊敬しているのです。社会的にも、北アイルランドでの紛争や南アフリカの人種差別、アメリカの問題なども取り上げたり、社会になんらかのアクションを起こしている。自分達に何ができるのか?ということを常に念頭におき、行動を起こしている。そんな姿に憧れるのです。 「人間の価値は、何をしたかではなく、何をなそうとしたかにある」とよくいわれます。この言葉を思い起こしたとき、彼らが輝いて見えるのです。私の好きな曲は、全部の曲が好きですが、どれか1つと言われたら、「ZOOROPA」にある「stay」ですね。最近の「all that you can't leave behind」も、肩の力が抜けたって感じで、とても聴きやすく、いいアルバムで大好きな1枚です!

 ここで余談ですが、U2を育んだアイルランドという国の歴史を宗教対立という面から解説している文章があったので、抜粋します。
(THE U2 FILE 以下抜粋)
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 アイルランドには紀元前5世紀頃からケルト系民族が居住し、自然崇拝的なドルイド教を信仰していたが、西暦432年に聖パトリックによって伝えられたカトリックに改修した。その後12世紀に英国により征服され、16世紀に英国国教会がローマのカトリック教会から分離した結果、アイルランドにおけるカトリック教徒弾圧が厳しさを増し、プロテスタントとカトリック抗争が続いた。1800年の連合法で英国に併合されていたアイルランドは、1922年の英国・アイルランド条約で北アイルランド6州(アルスター)を除いた26州が自治領となった。その後1937年12月に憲法を制定し、英連邦内の共和国として独立し、1949年4月に正式に英連邦から脱退した。

 アイルランドの多数派宗教はカトリックであるが、英国統治下にある北アイルランド地方では人口の7割がプロテスタントを占める。このため北アイルランドのカトリック系住民が選挙権、就職、公営住宅の割引などで差別されるなどして両者の対立に拍車をかけた。

 1969年8月、北アイルランドでプロテスタント過激派とカトリック系住民との間で大規模な衝突事件が発生、イギリス軍も介入した。これを契機に一部カトリック過激派は戦前からの対英テロ組織の名を借りて、IRAとしてアイルランドの完全独立を目指す闘争を激化。プロテスタント過激派はこれに対してアルスター防衛軍を組織している。既にこの闘争に巻き込まれた死者は2000人以上にも達する。

 アイルランド国民は北アイルランドとの統合を悲願しているが、英国と1985年、北アイルランド問題に関する協定に調印した。この協定は両国の閣僚委員と国会議員議会の設置などを定め、北アイルランドに関するアイルランド政府の発言権がはじめて認められた。

 IRAのテロ事件として最も有名なのは1979年8月のマウントバッテン伯爵爆殺事件。アイルランド北部で釣りをしていた英女王の夫君、エジンバラ公の伯父、マウントバッテン伯爵以下7人の乗り込んだヨットが爆発された事件がある。」
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(2003.9.21)



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