新潟  柏崎・刈羽観光案内

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米山さん


新潟県は上越地区と中越地区の境界(柿崎町と柏崎市の境)にそびえる、標高993メートルの死火山。
大昔は海底火山で、その活動により隆起し、現在の地形となった。故に山腹の所々に、海底でしかとれない貝の化石が見られると言う。
火山だったのだから、どこかに火口があったのだろうが、現在は確認できない。
その成り立ち故に日本海に面してる麓は、「米山峠」と呼ばれる険しい街道だった・・・らしい。現在は国道8号がトンエルを貫き、極々普通のルートとなっている、が、さすがに冬の季節風は厳しい。
そのリアス式海岸と、遠くに佐渡を眺める眺望により、福浦八景と称され、国定公園に指定されている。
頂上に奉られている米山薬師は、古くから信仰を集め、また1000メートル弱の標高故に、軽装による登山者が多い。(確かに規模は小さいが、なかなかにハードな登山とも言われている)
柿崎側と、柏崎側では、その稜線が見せる趣が違い、地元関係者は「オラが側が、正面!」とそれぞれ主張している。

米山(伝説編)
仏師として有名な泰澄が、修行もかねてこの山にこもり、薬師を刻んでいたときのことである。
その弟子である沙彌は、托鉢で師と自分の生計をまかなっていた。
伝説によれば、毎日海岸の岬まで下山し、沖を通る船乗りたちに鉢を飛ばして(?法力で・・・と言われている)施しを受けていたという。
そんなある日、米俵を山と積んだ船が通りかかった。
沙彌は『鉢一杯で良いから、米をわけていただけないか?』と、丁重に頼んだのだが、強欲な船主は一粒もわけてくれなかったという。沙彌がなにやら真言を唱えると、どういう訳か船上に積み上げてあった米俵が次々と舞い上がり、山の頂上に積み上がってしまった。困った船主は上陸し、えっちらおっちら登山して、沙彌に自分の欲深さを詫びたところ、またもや見る間に米俵は船上に戻ったという。
以来、米俵の積み上がったこの山を、人々は親しみを込めて『米山さん』と呼ぶようになった。(あくまで『さん』が付くのである)そして、その間に刻まれて完成した薬師は米山薬師と呼ばれ、現在も米山山頂に奉られている。
また、沙彌が鉢を飛ばしていた土地は、『鉢崎』と呼ばれていたのだが、戦後の町村合併と地名改変で『米山町』となった。だがしかし、郵便局はいまだに「鉢崎郵便局」の名を使っており、地元民もその名を使うことが多い。


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