気楽に行こうよ☆

気楽に行こうよ☆

始まり 中1の3学期~進級まで



冬休みから続いた身体的な体調不良と精神的な疲れが、ピークに達したのがそのときだったと思う。

ほどなくして、私はある人と知り合ったことがきっかけでブログの世界へと没頭していく日々の中で、時折、彼のことをポツリポツリと話すことになる。

「誰かに聞いてもらいたい。あいつの気持ちを分かって欲しい。」

そんな思いがどこかにあったのだと思う。不思議と隠そうという気持ちにはならなかった。

だって、イジメが原因だったわけでもないし、息子は精一杯学年を良くしようとがんばった結果、こうなっただけなのだから。


入学した当初から、「こんなに悪い1年生は初めてだ!」と言われつづけてきた学年。

冬休みに入る前に臨時の保護者会が開かれ、彼らの学校生活の現状と家庭における注意を聞かされて、びっくりした保護者の方もかなりいたようだった。

私は、PTAの本部役員として毎週のように学校に通って彼らの現状を見ていたので、ちっとも驚かなかったのだが。

いくら注意しても直らない、服装の乱れ。

当たり前のように持って来る、数々のお菓子など。

はては、先生に挑戦するかのように目に付くところにおいてあるお菓子やタバコの包装紙

見回りしている先生の頭上から、お菓子の箱が落ちてきたこともあったと言う。

PTA室前のトイレでも、たびたびマッチのかすやガムが捨ててあることがあった。

注意しても携帯は持ってくるし、挙句の果てには授業中にセンパイからメールで呼び出される始末。

普通は、ちょっとワルイ奴らが先輩と繋がりを持つのは2学期過ぎなのに、彼らの中に兄弟がいるのがいて入学当初から関係があったため、早くから使いっ走りに使われていたようだ。

そんな学年にあって、小学校高学年から代表委員、児童会副会長、会長と歴任していた息子は、皆からの信頼を集め、中学に入ると当たり前のように学年委員長、生徒会書記と責任ある役職を自分から引き受け、精一杯務めていたのだ。

真面目な子からワルといわれる子たちまで、どちらからも信頼されていた息子は、学年全体をまとめるべく、日々格闘していたのだった。

最初は、めまいと軽い過呼吸のような症状での早退が数回あった。

そして、それが酷くなり朝起きることが出来なくなる。

後でわかったことだが、その頃から常にジェットコースターにのっているような状態が続いていたのだと言う。

もともと色白で低血圧の傾向があったし、お腹が痛むと言って整腸剤を自分で服用することも時々あった。

今となってみれば、この時点ですでに「起立性調節障害」の症状が出ているのであるが、このときはまだその病名も知らずにいた。

妹のアドバイスもあって、かかりつけの内科で「自律神経失調症」の診断を受けたあと、その先生から心療内科を紹介してもらう。

早い時期に、心療内科の先生から今のかれの状態の説明と今後のアドバイスを受けることができたのは、彼にとっても私にとっても大変ラッキーだったと思う。

疲れ果てて精神が敏感になっている息子の心は、ピンとはった糸と同じ。

わずかな刺激にも過敏に反応し、それが元で体調も神経も崩れてしまう。

糸に少しでも遊びがあれば、ちょっとくらいのことでは響くことはないのだそうだ。

ましてや、成長期真っ只中の彼にとって、それが自律神経の成長のバランスを崩すことになっても不思議ではない。

それを聞いて、そうだったのかと納得した。

たしかに、彼の神経がピリピリしているのは普段の生活にも顔を出していた。

「思春期にはよくあることだし、これを乗り越えた子たちは皆ひと回り大きな大人になっているから、大丈夫だよ。」と言われて思わず涙が滲んだことを今でも覚えている。

そして、乱高下する感情を安定させるために、少々の安定剤を飲んで自分自身をコントロールしながら、ストレスの解消と体力の回復に努めることになった。

それからは、学校へ行かなければならない。という意識を捨てて、ゆっくり養生させる日々が続いた。

半月ごとに通う心療内科の先生は、私より少しお姉さんといった感じで、時折ボソッと話す息子の話だけでなく、本人より沢山話してしまう私の話も、穏やかな表情でいつも聞いてくれた。

「好きなことが出来るのは鬱じゃない。」と言われたのに気を良くして、一日中PCの前から離れない彼を見て、旦那が理解を示してくれるようになるまでには、随分時間がかかった。

目に見えるケガや病気とは違い、いつになったら治るのか、まったく想像もつかない日々の中、本人も周りの人間も先が見えない不安に疲れ始めていた。

旦那が息子と話するのがエスカレートして、彼が限界まで葛藤しながら泣くことも数知れずあった。

そんな時は、明け方まで2人で話し合って分かってもらうよう精一杯頑張った。

努力して頑張ってきた旦那にとって、何もしないで毎日過ごすことや、苦労から逃げることが許せないのもよくわかったから。

少しずつ起きていられる時間も多くなっていたが、食欲は相変わらず戻らず、体重は8キロも落ちて、もともと細い彼の身体はまるでガイコツのようになっていった。

もちろん体力は驚くほど低下し、少し歩くだけで息が切れて座り込んでしまう。

それでも、本来責任感が強くプライドの高い息子は、なんとか前に進もうという思いがあったらしく、2年生になったら学校へ行きたいと言う様になっていった。

しかし、そう簡単にはいかないのが人間の体だ。ということをまだ私たちは知らなかったのだ。

そして、2年生になって、気持ちも新たに少しずつ前に進もうという彼の気持ちを生かそうと、1時限でもいいから出席しよう。という日々が始まった。


続く・・・


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