KINTYRE’S   DIARY~旧館

KINTYRE’S DIARY~旧館

過去の日記より~私の好きな曲・メルマガ式

2004.4.17
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◇私の好きな曲、~ボズ・スキャッグスの「二人だけ」♪ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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【アーティストの略歴】
ボズ・スキャッグスといえば例えAOR界に詳しくない人でも、大体30代後半~40代半ば位の男性はリアル・タイムで聴いていた人も多いでしょう。最近ではすっかりAORとは関係無い所で活動しているのは、少々寂しい。
元々はスティーブ・ミラーやデゥアン・オールマンとの共演もある、60年代の半ばから音楽活動をしているベテランだ。70年代の半ばからAORの一人者として活動するものの、80年代に入り8年位アルバムを出さない時期もあった。最近では自己のルーツのR&B系のサウンドを取り上げている。日本でも人気が高いアーティストの一人だ。
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【この曲について】『WE'RE ALL ALONE(二人だけ)』作詞:作曲/BOZ SCAGGS
▲この曲はボズの究極の一枚でありAORの名盤との誉れも高い、『SILK DEGREES』(1976)の最後を飾る10曲目に【WE'RE ALL ALONE】というタイトルで収録されている。
このアルバムがAOR時代の到来を告げたと言っても過言ではあるまい。実際にはこれより前にも既にAOR風のアルバムや曲は出ていたのは事実だが、完成度と商業性を兼ねたのはこれが最初ではないかな?。

♪さて本題のこの曲だが、ボズの曲と言えばやはりそのスイートなバラードが魅力である事は否定できない。そのボズの中でもこれは代表的な名バラードで、ボズのコンサートでも必ずアンコールやその前の重要な場面で演奏される。そしてこの曲は既にスタンダード・ナンバーとしても定着していて、多くのカバーを生み出し中にはジャズ系のアーティストにも取り上げられことさえある。

★この曲を演奏しているのはドラムスの故ジェフ・ポーカロ、ベースのデヴィド・ハンゲイト、キーボードのデヴィッド・ペイチであり後のTOTOのメンバーである。演奏面ではピアノの音色が綺麗で演奏を引っ張っていく役割を果たし、ボズのヴォーカルを優しく包んでいる。
曲調も内容もとてもロマンティックで、日本語タイトル見たいに恋人と『二人だけ』のシーンを演出する最高のBGMとなりうる。それも夜のドライヴのお供にこの曲とこのアルバムを持って行けば、最高な一夜を過ごせるでしょうね(自分は未経験ですがそんなシーンは...)。

■窓を閉じて、光を和らげて
 そうすれば全ては最高だね
  何も心配する事なんて無いんだよ
   悩みなんて解き放てば、その気になるように
    スタートが切れるさ■ 

これは私が勝手に自分の拙い英語力を駆使して、中間部分を訳して見ました。歌詞カードには随分と長たらしく意訳していたけど、自分ではこういう風に解釈しました。
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【ヒット・チャート】
残念ながらこの曲は発売当時はシングル・カットされた形跡はありません。しかしこのアルバムからは6曲目の「LOWDOWN」がビルボード・チャートで三位を記録。9曲目の「LIDO SHUFFLE」が同じく11位を、7曲目の「IT'S OVER」が38位を記録しています。
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【最後に】
このアルバムにはこの曲以外にもいい曲が目白押しです。AORとはこういう風にアルバム全体で聞かせることが出来るのが特徴かな。勿論他の多くのアーティストも同様ですが、AORはシングル向きの曲を量産するタイプの音楽ではない。このアルバム見たいに一枚を通して聞いて、始めてその人のカラーが分かる。例えばホール&オーツは典型的なシングル・アーティストで一曲一曲の良し悪しが出るタイプの人たちです。

ボズのこのアルバムは一曲目の『WHAT CAN I SAY』からこの『WE'RE ALL ALONE』まで正に完璧な一つの流れが出来ている。従ってメリハリもあるし何度聞いていても飽きない、そんな素晴らしい一枚です。
まだ未聴の方には、AORに多少でも感心があるなら古典的なフレーズである『騙されたと思って』是非買って下さい。決して損はさせないアルバムですよ!。


【編集後記、余談】
▲今日はここまで4月に入ってからの疲れが出たのかどうか知らないが、何だか一日体調が優れなかった。でも、まだ日曜日もあるので何とか体調を整えて月曜日を迎えたい。やはり、一年遊んでいたツケがまわって来たのかな?。疲れていない積りでも、体は正直に反応したみたいだ。ここ一週間は寝不足だったし、昨日も何故だかあまり寝れなかったから今日こそ(明日こそ?)タップリと睡眠時間をとるのダァッ~。

△今日は西武がダイエーと地元で戦い6点リードを追いつかれて、9回にエラーで1点リードされる嫌な展開。しかし打順の良かったその裏に2点を挙げてサヨナラ勝だ。これで6連勝後に1敗してから再び6連勝だ。
開幕直前に順位予想でBクラスに挙げていた評論家の連中出て来い!。今の快進撃をどう分析するのだ!。

♪AORって聴いているとやはり歳のせいかとてもリラックス出来る。最近のヒップ・ホップ系の音楽には今ひとつ違和感があるので、一服の清涼剤のような存在がずばりAORだ。

■ここまで付き合って読んでくれた人、有り難うございました。今日の日記はメルマガっぽく仕上げて見ました、如何でしたでしょうか?。もし感想があれば何なりとお知らせいただければ、とても嬉しいです。
将来的にはメルマガを発行したいという色気があるので、今回はチョッとそういう訳でこういうスタイルを取りました。

では、皆さん春の一日を楽しくお過ごし下さい。

2004.4.25
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■私の好きな曲2、~ポール・マッカートニー&ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【アーティストの略歴】
改めてここで経歴を振り返る必要の無い人ではあるが、敢えて初心者向けに簡単に紹介する。ポール・マッカートニーは英国のリバプール出身で1942年6月18日生まれ。学生時代に故ジョン・レノンと出会いクオリーメンに参加する。その後ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターが加わり、ザ・ビートルズとしてレコード・デビューを果たす。1970年にグループ解散後は1971年にウイングスを結成する。ウイングスは10年後に解散するが、その後はソロ名義で活動をして来月からは欧州ツアーが控えている。
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【この曲について】『BAND ON THE RUN』作詞:作曲/PAUL McCARTNEY
▲ポール・マッカートニーが1973年にウイングスとして発表した曲で、同名タイトルのアルバムの冒頭を飾る。
この曲は大きく分けて3つのパートから構成されていて、これはポールの曲に度々登場するパターンだ。冒頭の部分はリンダのシンセとポールのギターが交互に絡む展開で、その後にポールのボーカルが入る。その次のパートではギターが少しテンポアップして、「IF WE EVER GET OUT OF HERE」でこのパートは終わり。そしてここでオーケストラが入りアコギがこれからのパートを引っ張っていく。
ポールのボーカルは徐々に力強くなってきて「FOR THE RABBITS ON THE RUN」と「BUT WE NEVER WILL BE FOUND」の部分は力を込めてシャウトする。

○この曲はその後のポールのライヴでも重要な部分で演奏されて、ファンの間でも今でも人気が高い曲である。VENUS AND MARS発表後のOVER AMERICAツアー、1979年の英国ツアーでもアンコール前後に披露されていた。'80年の後半からワールド・ツアーを再開してからは、大量のビートルズ・ソングが採用されているがそれでもこの曲は必ず演奏される。

★このアルバムの大部分はアフリカのナイジェリアで録音された。ところが録音の為に出発する直前にドラマーとギタリストの二人が脱退してしまう。出発を取りやめることはせずにとりあえずポール夫妻とデニー・レインの三人で録音した。ドラマーが抜けた穴はポール自らがドラムを担当したが、このドラミングには高い評価が下された。ポールはドラム、ギターも積極的に演奏してロンドンに戻ってからは、オーケストラをオーバーダビングして完成させた。

☆解散後は他のメンバーの快進撃に押されていたポールだったが、このアルバムの完成度の高さで3人を一気に抜いた。
曲の内容は『刑務所から抜け出して逃げて逃げる為に走りまくるんだ。そうしてバンドは走りまくって(BAND ON THE RUN)振り切って見せる。そして裁判官は怒りだすだろうが、僕らは決して捕まらないさ』と歌う。

♪この曲の第二部に「IF I(WE) EVER GET OUT OF HERE」というフレーズがあるのは前の文章で紹介したけど、おぼえているかな?。このフレーズはビートルズの解散前に連日の会議に嫌気がさしたジョージが、ふと『ここから抜け出せたらな~』と呟いた言葉をポールが引用したのだ。

このアルバムにはこの曲以外にも名曲が目白押しだ。収録曲は9曲だが全ての曲の完成度が高くて、ポールの解散後の最高傑作と言っても過言ではない。 2曲目の「JET」3曲目の「BLUEBIRD」までの流れは文句のつけようが無い。このアルバムからは最近のツアーでも「JET」「LET ME ROLL IT」が披露されている。デニーとの共作の「NO WORDS」はポールのチョッと苦しそうなファルセットも聞けるし、これは'79年の英国ツアーで披露された。その他ではチョッとアフリカのリズムを取り入れて「MAMUNIA」や「MRS.VANDEBILT」もリズム感があってメリハリが利いている。是非、このアルバムはお薦めだから未聴な方はすぐにでもCDショップに駆け込んでね。
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【ヒット・チャート】
'73年の12月にアルバムは発売されてシングル・チャートでは翌年6月に1週1位を獲得。アルバムの方は通算4週間1位を獲得した。バンド・オン・ザ・ランの前に第一弾シングルとしてリリースされた「JET」は7位だった。
'74年のグラミー賞では最優秀ポップ・グループと最優秀録音(受賞者はジェフ・エメリック)の二部門で授賞した。
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【最後に】
ポールは'70年代をウイングスの活動に力を注いできた。その中で今回紹介したアルバムと、その後'75年の『VENUS AND MARS』の二枚が一番勢いがあった。当然この後のツアーでは日本公演が決まっていたが、直前に法務省が過去の麻薬逮捕歴を理由に査証を取り消したので中止となった。当時全盛だったウイングスのライヴが武道館で見れなかったのは残念。結局その後の'79年の日本公演も成田空港で麻薬所持の現行犯で逮捕されたのでパアー。
是非、'70年代のポールを知りたければ上で紹介した二枚を聴いて下さい。当時のポールの勢いと音楽の完成度の高さを感じる事でしょう。
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【編集後記】
今回はポールの'70年代を代表する曲を取り上げてみました。
当分は'70年代のロックの名曲を取り上げる予定です。それでは予告編として今後考えているのは...。(順不同)
1.STAIRWAY TO HEAVEN
2.HOTEL CALIFORNIA
3.KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG
です。
最後までお付き合い戴いて感謝しております。

2004.5.2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━VOL.3▲△▲△▲
■私の好きな曲3、~レッド・ツェッペリンの「天国への階段」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
【アーティストの略歴】
1968年秋に英国で結成されて1969年初頭にレコード・デビューを果たした。メンバーはリーダーのジミー・ペイジ(ギター)、ロバート・プラント(ボーカル)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース、キーボード)、ジョン・ボーナム(ドラムス)の四名。'80年9月25日にジョン・ボーナムが亡くなり事実上バンドはピリオドを打った。
その後何度かチャリティー・ライヴで復活コンサートを開いたり、プラントとページが一緒に活動したこともある。
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【この曲について】
○この曲を含む『4』は1971年11月に米国で発売された。しかしZEPのライヴでは同年3月に既に披露されて、それ以来彼らのライヴでは定番となった。グループが解散後の'80年代にはあのLIVE AIDでも披露されたが、この時はドラムスはフィル・コリンズとバーナード・エドワーズの二人が務めた。アトランティック・レコード40周年記念ライヴでは、ジョン・ボーナムの息子ジェイソンがドラムスを担当した。

●この曲の構成(8:01):
0~0:53 もの悲しげなイントロが始まる。ペイジのアコギとその後にジョーンズのリコーダーが重なる。
0:54~2:13 プラントのどこか哀愁を含んだボーカルが入る。バックの演奏は基本的にアコギがリードする。
2:14~4:17 ここからはバックのペイジの演奏にエレキが加わる。このパートになると徐々に音に厚みが出てくる。プラントのボーカルも最初の哀愁を含んだ声から力強さが感じられるようになる。
4:18~5:33 ボーナムの迫力のあるドラムスが待ち構えていたかのように入る。いよいよこの曲の演奏陣が揃った。
5:34~6:44 5:56あたりからペイジのギターソロが入る。この一分近く展開される演奏が有ることでこの曲が、確かにZEPの曲だと認識される。曲全体の構成からしてもこの部分が有るおかげでメリハリが利いている。流石ZEPだと感じさせられる。
6:45~7:45 そしてここから一分間は再びプラントの絶叫調のボーカルが聴ける。まさにZEPがハード・ロックのバンドであると感じる瞬間だ。
7:46~8:01 頂点までに上り詰めた曲は最後にプラントの、♪and she's buying the stairway to heaven♪の呟きで幕となる。それも最後の語尾はF.O.されて何だか風の中に消えて行くかのようだ。

☆この曲を聴いていると特に出だしの部分には、英国のトラッド風音楽の影響が色濃く反映されている。ZEPは曲作りにおいてかなりこの英国トラッド音楽の影響を感じさせる。アコギとリコーダーのイントロなんかはそこだけ聴いていたら、とてもZEPの曲とは思えない。このアルバム収録曲の「THE BATTLE OF EVERMORE(限りなき戦い)」も同様にトラッド色が強く出ている。

★この曲の歌詞にも目を凝らしているとそこかしこに英国の色が出ている。
例えば:and it whispered that soon(そしてそこでささやいているのは、間もなく)
    if we all called the tune(我々があの調べを歌って呼び起こせば)
then the piper will lead us to reason(そうすれば笛吹きが我々をその源に導いてくれる)
    and the new day will dawn,for those who stand long(そしてそこで長く待った者には、新しい夜明けが待っているだろう)
    and the forests will echo with laughter(そうすれば森には笑いがこだまするのだ) 

この歌詞の中で出てくるpiper(笛吹き)forests(森)等は英国の昔物語を思い起こさせる。それに貴婦人(Lady)が天国への階段を買おうとしている物語そのものが、この曲を格調のあるものにしていると私は思う。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【ヒット・チャート】
これだけ有名な曲になると当然シングル・カットされて1位になっているだろうと、多くの人は想像するだろう。だがこの曲はZEP側の要望もあり、レコード会社からの再三再四のシングル化の要求を却下してきた。なのでアルバムをシングル感覚で買った人は多いはずだ。
ラジオ局ではこの曲のオンエアが連日流されて、遂にオンエア回数では歴代一位を記録して未だに更新されている。
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【最後に】
ZEPは'70年代のロックを牽引してきたグループで有ることに間違いはない。そのZEPのキャリアの中でもこのアルバムは代表的な一枚だ。この曲以外にも彼らのライヴでは欠かせない「BLACK DOG」「ROCK AND ROLL」も収録されている。そして数多くこなしたライヴは既に伝説となり、海賊盤市場では今でも高額で取り引きされている。
ビートルズ同様に既にメンバーが死んでいるので再結成は有り得ないが、何時までもロック史上に残るグループとして語り継がれるだろう。
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【編集後記】
最近のヒップホップ音楽に着いて行けない筆者としては、こういう気骨のあった時代のロック・グループの音楽に郷愁を感じる。今でも筆者が主に聴くのは'70年代から'80年代の音楽だ。それはこの時代の音楽を体験してきた者としてこの時代の音楽を知らない人にも、少しでもその素晴らしさを伝えられたらうれしい。
最後まで読んで戴いて有り難うございました。

2004.5.8
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━VOL.4▲△▲△▲
■私の好きな曲4、~ロバータ・フラックの「やさしく歌って」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
【アーティストの略歴】
ロバータ・フラックは主に'70年代に活躍した黒人女性歌手で特に'70年代の前半から中盤にかけての活躍は目覚しいものがあった。ソウルのカテゴリーに分けられるフラックではあるが、クラシックの素養もありピアノも演奏出来る。'83年には「愛のセレブレーション」をピーボ・ブライソンとのデュエットでヒットさせたのは有名だ。
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【この曲について】
○1973年初頭にアルバム「KILLING ME SOFTLY」の中の収録曲として発表された。フラックが情感をタップリ込めて歌うこの曲は、今ではすっかりスタンダード・ナンバーとして定着し毎夜世界のどこかのバーで歌われていることだろう。
その一方で日本ではこの曲はネスレ社のコーヒーのCMのバックにかかっているので、何気なく知っている人も多いのでは。ヨーロッパの映像を背景にコーヒーをすすっているCMで、今の商品名は「エクセラ」だと思う。今度CMがTVで流れたら注目して聞いて欲しいが、残念ながら曲はフラックのバージョンではないようだ。

●この曲の原題は 「KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG」 というタイトルで日本語タイトルはこの原題を全て表しているとは言えない。何故ならこの原題の「KILLING ME SOFTLY」は、『やさしく私をメロメロにして、やさしく私を虜にして』の様なニュアンスを含んでいる。「WITH HIS SONG」は簡単で『彼の歌で』だ。故にこの曲のタイトルは『彼の歌でやさしく私を虜にして、彼の歌でやさしく私をメロメロにして』と言った意味なのだ。判ってくれたかな?。

☆さてこの曲の内容をもう少し掘り下げて聴いて見るとこうなる。サビの部分の:

KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG(x2)
(和訳は↑を参照)
TELLING MY WHOLE LIFE WITH HIS WORDS
(私の人生の全てを彼の言葉で語って欲しい)

という事は私は彼の人生の一部になりたいと言うことだと私は解釈する。このサビの部分に入る直前にはSINGING MY LIFE WITH HIS WORDS(彼の言葉と共に私の人生を歌う(歌っている))というフレーズも出てくる。どちらも同じ意味だがこういうチョッと表現を変えるだけで、曲の中のイメージも豊かになってくる。

★曲調は終始スローな雰囲気であり特に中間での盛り上がりもない。だが逆にそんなこの曲のメロディー・ラインをフラックのヴォーカルは表現力豊に歌い上げている。ジョエル・ドーンのプロデュースもそんな彼女の歌唱力を上手く引き出している。決して飾り過ぎない演奏やさり気無いバック・ボーカルも見事にはまっている。
クラシックを学んでいた彼女はこの曲を録音した時も色色な事を試した。何度も繰り返して彼女が満足するまで録音は続き、一部のコードの進行を彼女自らが学んだクラシックを参考にして変えた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【ヒット・チャート】
この曲は1973年の1月に54位で初登場して以来5週目で、エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」に替わって1位を獲得して5週間続いた。尚年間チャートでも3位と好成績を収めた。
グラミー賞ではこの年の最優秀レコード(シングル),最優秀楽曲(ソングライターが対象),最優秀女性ポップ歌手を授賞した。尚、アルバム部門でも候補に入ったが残念ながらこちらはスティーヴィー・ワンダーの「インナーヴィジョンズ」にさらわれた。
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【最後に】
やはりロバータ・フラックはこの曲を発表した頃が一番旬だった。今でも活動はしているがその活動状況がニュースになる事は殆どない。
彼女はこの頃は長年の友人で恋人だったダニー・ハザウェイの自殺はかなりショックだったようだ。二人の連名でアルバムも出していただけにその後はショック状態が続いたと聞いている。
ソウル歌手としてはやはりその筋のファンからは慕われてはいないようだ。でもそう言った批判は別にして彼女のこの頃の曲『THE CLOSER I GET TO YOU』(1977)もこの曲同様に名曲の誉れが高い。是非この曲と共に一緒に聴いてもらいたいので、未聴の方はベスト盤を捜して聴いてね。
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【編集後記】
■今回取り上げたのはこのシリーズでは始めての女性が歌う曲だ。この曲も今までの3曲同様に私の大好きな歌で、まだこの曲を知らない人にも知ってもらいたい名曲だ。どちらかと言えば若い人よりは大人向けの名曲だ。
□ロバータ・フラックは最近は新譜が出ても話題にならないから知らない人も多いだろうが、過去にはこういういい曲を歌って一世を風靡した事を今回の企画で知ってもらいたかった。もっとも40代半ば以上の人達には同時進行で聴いていただろうから、懐かしいと思えるだろう。
▲予告編(順不同):
1.TAKE ON ME
2.HOTEL CALIFORNIA
3.LOVE
今後取り上げて欲しい曲や感想があれば何なりとBBSへ書き込んで下さい。お待ちしております。

最後まで読んで戴いて有り難うございました。






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