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不妊治療からぷー太を迎えるまでの日記を読みやすくフリーページにまとめてみました。順番に読んでいただけたらなぁ~と思っています(^^)今後も主な話は移行していくつもりです。宜しくお願い致します。
2006.04.10
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子育て研修最終日。午前中で終える。今日このままぷー太は わが家へ帰るのだ。これから3ヶ月 会の試験期間になる。3ヶ月一緒に暮らして大丈夫となると本格的に委託 特別養子縁組の申請となるのだ。ただ、、もしそれまでの間に産みのお母さんが やっぱり育てますということになれば返さなければならない(><)そういう念書にもサインをした。(したくはなかったけど サインしなければ 子供は渡してもらえない)3日過ごして この時点ですでに絶対手放せない!!って気持ちになっている。いや、、3日過ごしてじゃなくきっとあの出会ったときから絶対返せないのだ。昼前に施設の方に挨拶をして帰途につく。外は雨。買ったばかりのベビーカーにぷー太を大事に大事に乗せ、寒くないように服を着せてベビーカー用のカッパをかける。慣れない手つきでベビーカーを押しながら電車を乗り継ぐ。自分がベビーカーを押す日が来ようとは、、、。周りの視線や何もかもがくすぐったく感じられた。家につくと中にはいらず そのまま近所のショッピングセンターのベビー用品売り場へ直行。大買い物(^^;)布団 オムツ ミルク おしりふき ゴミ箱服 下着 とにかくすごい。店の人も何事か?というようにあっけにとられている(^^;)たぶん普通は妊娠中に少しずつそろえるのでここまでまとめ買いはしないんだろうな。タクシーのトランクからはみ出しそうなくらい買いまくった(笑)そしてやっと家。「ただいま!今日からここが ぷー太の家ですよ」3人で一緒に家に入る。これから本当に3人家族の生活がはじまるのだ。お父さんと お母さんと ぷー太♪
2006.03.26
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前の日は興奮の一日だった。はじめてのミルク。げっぷもうまくさせらない(^^;)オムツを替えるのもはじめて。ぷー太はまだ首が微妙にすわっていなくて抱っこするのにも緊張する。突然泣き出すぷー太。オロオロする新米父と母。3時間おきにミルク。夜もぜんぜん寝られない。一日で二人の目の下にはクマができた(笑)昼間 ぷー太を職員の人に預かってもらって必要な物をベビー用品店に買いに行く。途中そば屋で昼食。二人でそばを食べてるとさっきまでのことが夢のような気がしてくる。昨日子供迎えたんだよねえ、、ウソみたいだねえ。いや 夢じゃない。急がなくちゃ!急いで店に向かう。店では 何を買っていいのか正直とまどった。こんな店にはいるのは初めてでテンパってしまう二人(^^;)とりあえず 哺乳瓶 洗剤 下着服を何枚かと ベビーカーを買う。色々選んでるうちにとても楽しくなってあっという間に時間が過ぎてしまう。早く帰らなくちゃ!!ぷー太が待ってる!!急いで施設に戻ると職員さんが ぷー太くん元気に遊んでましたよとぷー太を連れてきてくれる。「お待たせしました ぷー太」と 抱っこすると 満面の笑みのぷー太。あううううぅ かわいい♪(=>
2006.03.24
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その日 全然眠れないまま朝がきた。急いで身支度を整えて施設に向かう。前の日の夜はとても複雑だった。こうやって旦那と二人きりなのも今日までなのだ。3人家族になる、、、。外は桜が咲いていた。施設につくのが少し早かったので近くの公園で桜を見ながらおにぎりを食べた。二人とも口数が少ない。どんな子だろう、、ドキドキする。施設に着くと 会の代表の方もいらした。他愛もない世間話を30分くらいする。こうしてる間も胸はドキドキしてとても苦しい。代表の方はニコニコしている。そうするうち3日間過ごすことになる部屋に通された。今日から3日間ここで研修するのだ。ドキドキは絶頂だった。コンコンとノックする音がして戸が開いた。その瞬間から私は涙で前が見れなくなった。職員の方が赤ちゃんを抱っこして中に入ってこられた。涙で視界がはっきりしないけど青い服を着ているのがわかる。男の子だ!!!運命の子だ!!!「ぷー太くんです。3ヶ月になりました。」おしゃぶりをくわえ、目をくりくりさせたちょっぴりプクプクな男の子。「どっちが先にだっこされますか?」私はすごく抱っこしたかったのだけど涙でどうにもならず先に いも(旦那)が抱っこした。「へへ かわいい」いも(旦那)がつぶやく。そして私が抱っこ。涙は抑えられない。「、、やっと会えたね」そう言って抱きしめてそれから私達は3人家族になった。苦しかった不妊治療の日々も全てはこの子に出会うためだったんだなぁって思った。産みのお母さんはこの日来ることはなかったが将来会えるときがきたら連絡しますとのことだった。この日はじめて親子3人で眠った。ふと横をみるとかわいい寝顔がある。夢じゃないかと何度も頬をつねった。夢じゃない。出会えたんだね。
2006.03.23
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話は前後してしまうけど、ここで親の話を。不妊治療を終了して子供を迎えようと夫婦で決心したときそれぞれの親に相談、、というか報告しました。私の親のほうは実はもっと前から、、1年以上は前にすでに相談はしていました。養子という道を考えていると話したとき母はカンカンになって怒りとんでもない!子供がいないならいないでも仲良くやっている夫婦は沢山いると全く取り付く島もありませんでした。しかし その後も体外受精失敗の度に泣きながら電話してくる娘を不憫に思ったのか だんだん態度は変わって治療を終了するといった頃には二人が望むならそういう道もいいのかもしれない。結局は二人が決めることなので思うようにがんばれと応援してくれるようになった。ただ父のほうは やっぱり賛成というわけではなさそうだった。いも(旦那)の親には治療終了して向かえる活動を始めることになったとき話ました。父は「俺は孫としてかわいがってやるぞ」と言ってくれたのですが母のほうは やっぱり血の繋がらない子を引き取ってまで苦労することはないと賛成ではない様子でしたが(心配していたのでしょう)自分達の意思が固いことを説明し 半ばごり押しのような形で承諾してもらいました。たぶんこれが親の普通の反応だと思う。親は子供が心配なのと同時にまだどこかで子供はできるんじゃ?と思ってるところがある。根気よく説得するしかないと思っていた。会で子供を迎える場合、面接を受ける前までに親に話をしておくことが必須になる。了解をとってくる必要はないが内緒というのはダメなのだ。もし、親と同居している場合は賛成をもらっておかなければならない。誰からも望まれている状態でないと子供が幸せになれないからだ。
2006.03.20
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家庭訪問が終わって3日経った日の昼間。いも(旦那)から電話がかかってきた。「あれ どうしたん?会社でしょ?」「、、、今 会の人から電話があった」「、、なんて?」「明日から子育て研修だって」!!!!!!!!!!!!!!!!キターーーーーー(><)子育て研修というのは子供を迎えることになった場合会に協力してくださっている施設で子供と3日間過ごす研修でそこでオムツ替えなどのノウハウを教えてもらう。そして3日目には子供をつれて我が家に帰る。つまり 子育て研修の電話というのは子供を迎えますよという電話なのだ。ほんとに?ほんとに?夢にまで見た日が突然やってくる。ほっぺをつねってみる。夢じゃない(><。)うおおおおおお!!!!!どんな子だろう、、会ったときは泣いちゃうかな~色々考えて昼からは挙動不審な私(^^;)夜も全く寝られない。、、、今考えると あの日ちゃんと寝ておけばよかった。だってちゃんと長時間熟睡できるのはあの日が最後だったのだから(笑)
2006.03.20
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シンポジウムの翌日。電話は突然鳴った。「家庭訪問に伺いたいんですけど」!!!!!!!待ちに待ったこの電話!「はい!宜しくお願いします。それでいつでしょう?」「今日は空いてないかしら」!?!?、、、、、今日!!!??「ご主人は会社ですよね?」「はい、、いえ、早退させますので!」こんなふうに話は進みいも(旦那)には会社を早退して急遽帰ってきてもらった。心臓はバクバク。夕方会の代表の方が家庭訪問にいらした。部屋を見てもらったり近所の学校や病院、お店などの説明。そして研修での話しや世間話など 家庭訪問はなごやかな雰囲気で終わった。帰り際 代表の方が「家庭訪問があったからといって子供がいるわけではないです。もしあなたたちにご縁があったらそのときは電話します」そう言われた。でも とにかく家庭訪問が終わったことにホッとした。少しでも前に進んだと思ったからだ。
2006.03.20
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会のシンポジウムに参加した。シンポジウムというのは一般の人も参加可能で毎回議題を決めてそれについて意見を出し合ったりグループディスカッションしたりあとは懇親会をかねたようなものだ。私達は登録できているので「一般」ではないのだがまだ育て親になれてないので他のメンバーとも少し違う。なんか微妙な立場だった。この日 同期のOさん夫婦に再会した。あの研修以来久しぶりだった。Oさん夫婦の腕にはかわいい9ヶ月になる女の子が抱かれていた。とても幸せそうで まぶしく見えた。会場には会の代表の方もいらしていた。代表にも研修以来会うのは久しぶり。沢山の育て親が挨拶をしていらしていたが自分達もその合間のみつけて挨拶にいった。「こんにちは お久しぶりです。研修ではとても勉強になりました。私達も早く他の先輩育て親の方々のお仲間になれるよう努力いたしますので宜しくお願い致します。」、、、、精一杯だった。もしあの研修のとき自分達に何かが足りないと思われていたのだとしたらがんばりますと こうやって挨拶するしか他に方法がなかった。朝から始まったシンポジウムは夕方まで行われたが帰り間際 もう一度今度は いも(旦那)だけががんばりますと挨拶した。自分達ができることはやったと思った。あとは連絡を待とう、、、。シンポジウムの翌日 電話が鳴った。
2006.03.17
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ずーっと連絡がないままの日が続きこのごろの私はかなり焦ってました。一日中 鳴らない電話の前で電話が鳴るのを待ち続けいも(旦那)が帰ってくると今日も何もなかったと愚痴ぐち、、(><)たまに同期の奥さんと電話。「今子供がいないだけだよ。大丈夫。絶対子供は来るって」などと 励ましてもらう。不妊治療をしている頃先に妊娠していった仲間が私を励まそうと思って「私も妊娠できたんだから 大丈夫絶対 まぐだって妊娠できるよ!」と言ってくれたことが何度もあった。だけど 全く治療の結果の出ない毎日を送っている自分にはそれを素直に受け止めることはできず「なんで絶対っていえるの?医者でもないくせに!自分が妊娠できたから言えるんでしょ人事だと思って!神様じゃないんだから絶対なんてわからないじゃん」って思ってました(--;)もはや 絶対~できる って言葉は勝者だからこそ言える言葉で自分にとっては聞きたくない言葉ランクNo.1でした。そのときと同じように同期の奥さんに「絶対子供はくる」と言われるとやっぱりそれは自分達はすでに子供を迎えているから言える台詞で今だ家庭訪問さえ連絡のない自分達には 何の慰めにもならない。今思うとこんなこと考えいるから尚 子供がこなかったんじゃ?と思う(^^;)でも 不妊とか経験した人にはわかってもらえると思うけど自分でも自分が嫌になるくらいかなり追い詰められているのだ。そして連絡のないまま会のシンポジウムがありそれに参加することにした。
2006.03.17
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oさん夫婦に家庭訪問があってすぐもう一組の夫婦 Yさん夫婦にも家庭訪問の連絡がきた。うわ~~いいなぁ。うちもすぐかなぁ?とめいっぱい期待する。そうするうちYさん夫婦も子供を迎えることになった。5ヶ月の女の子。とても可愛い写真がメールされてくる。しかし うちにはまだ家庭訪問の連絡はない、、、、毎日毎日 電話の前に座り込んで電話を待つ。、、、、かかってこない(;;)全員が全員子供を迎えられるわけじゃない。そのことが頭をよぎる。うちはダメなのか?なんで?研修のことを思いだす。なにか研修でダメだと思われるようなことしたかな?いも(旦那)が無口なタイプで他のご夫婦の旦那さんのようにぱきぱきとは喋られなかった。それがマイナスだった?うちら夫婦は未熟だと思われた?悪いことばかり頭をかすめる。いも(旦那)とも毎晩討論になる。「うちらダメなんじゃん?」「なにが悪かったよ。」「あんたが喋らんからでしょ。」「終わったこと言ってもしょうがない。」同じ話を何度もする。でも やっぱ電話はかかってこない。Oさん夫婦が子供を迎えてから一月半以上たってもうちには家庭訪問の連絡はなかった、、。
2006.03.14
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研修が終わってからは毎日ドキドキだった。今度は家庭訪問があるはすなんだけどいつ電話があるかわからないのでなかなか外出もできない。子供にめぐり会えるのは縁なので焦ってもしょうがないのだけどでもやっぱ気持ちは逸ってしまう(^^;)研修に参加して登録できたからといって全員が子供を迎えられるわけではない。事実会に登録しても迎えられなかった人もいるのだ。私達育ての親は子供を選ぶことはできないが産みの親は育て親を選ぶことができる。地域や年齢などの条件をつけてこういう方に託したいと言える。それは大切な命を託すのだから当然のこと。だから産みの親のだす条件によってなかなか縁がない場合もあるのだ。そんな中私たちは今回自分をいれ3組の夫婦が一緒に研修したのだがそのうちの一組 oさん夫婦に家庭訪問の連絡がきたとメールがきた。うちもそろそろそろか?とドキドキがさらにドキドキ。そうすると今度は更に数日後0さん夫婦が子供を迎えにいくという。おお!!!まじで?!いいなぁ~~~(><=)子供を迎える場合会に協力してくれる施設で3日間泊り込みで研修をうけることになる。そこで 子育ての基本をひととおり教えてもらうのだ。オムツ替えや沐浴など。oさん夫婦が迎えたのは8ヶ月の女の子だった。かわいい写真が送られてきた。
2006.03.14
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研修最終日。3日間の研修は厳しいこともたくさんあった。いも(旦那)などは「何甘えて生きてきてるの?そんなのは今まではよかったかもしれないけどもし子供迎えてたら責任があるのよ。そんなままじゃだめでしょ」と何故にこうまでケチョンケチョンに言われなければならいのか?と悔しくなるようなこともあった。でも大人になった自分たちにこうまで言ってくれる人は今までいなかったと思う。最後に代表の方が「あなたたちが縁があって夫婦になったように子供の縁もあるのですから」という話をされた。そして「でもチャンスは一度だけですよ」という話もされた。会が子供を紹介できるチャンスは一回だけ。それを断るなら2度目はないのだ。厳しいようだけどでも 無条件で子供を受け入れることが会の方針で 私達もそれを納得したのだからその話はとても当たり前のことだった。研修が終わり同じ研修に参加した同期の夫婦達ともしかしたら私達の子供はもうどこかにいるのかもしれない。運命の子はきっといるんだね。といつか迎えることができるかもしれない子供の話で盛り上がった。胸がわくわくした。充実した研修だった。
2006.03.10
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合格通知をもらってから1ヶ月くらいして育て親研修の参加の案内がきた。会に登録するためにはこの研修に参加することが必須なのです。内容は子供を迎えるにあたっての心構えの確立や養子というものに対する間違ったイメージの払拭。養子縁組手続きの法律的な話などだった。研修初日。会の代表の方のこの民間団体を立ち上げるにいたった話があった。「私の人生を子供たちのために、、」というお話は胸を打たれた。やっぱりこうやって団体を立ち上げるまでの方はすごい信念と熱意があるのだと思った。この会では「養子」という言葉は使わない。あくまで「子」それだけ。「別に養ってあげてる子供じゃないでしょ」と言われ なるほどと頷く。そして 実母とか本当の親とか養親という言葉も使わない。実のお母さんは「産みの親」私達は「育ての親」「実の親っていうなら 産んだ親もそうかもしれないけど育てている貴方達だって実の親じゃない。子供にとってはどちらも本当の親なのよ」この言葉には涙が出そうになった。「本当の親」、、そっか私達も本当の親になれるんだね。こうして研修は始まった。
2006.03.08
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面接が終わって気持ちは沈んだままだった。その日の夜二人は話あった。たぶん面接は不合格。その場合どうするか。また日を改めて面接を希望するか、、それとも一度は断ってしまったが頭を下げて児童相談所に登録をお願いするか。一度断っておきながら民間が落ちましたのでお願いしますというのはあまりに勝手。バツも悪い。かといって民間のほうも何が悪いのか正直よくわからない。だからまた受けてもダメなんじゃ?という気持ちになる。でも とにかく2週間待ってみようということになった。翌日速達郵便が届く。中には会の育ての親登録申し込み用紙!!!!ほっぺをつねった。涙が溢れて二人で抱き合った。合格!?合格だったんだ!!ええ~~?なんで?なんで?でも嬉しくてたまらない。今思うと 私は不妊治療中一度も妊娠の陽性反応を見たことがなかったのだがもし陽性がでたら こういう嬉しさなのかもと思った。子供を持てる微かな希望が見えたのだから。
2006.03.02
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説明会から2週間ほどして登録のための面接を受けることになった。前の日はドキドキして眠れなかった。この面接はとても厳しくてなかなか合格できないと聞いていたからだ。年齢 性別 国籍 障害の有無 その子の背負う全ての事情を受け入れるという条件は大丈夫だと何度もいも(旦那)と確認しあった。こう聞かれたらこう答えようとシュミレーションもしてみた。面接は中央に会の代表の方そして横に事務局の方そして反対側にすでに育ての親になられてる方が2人座れていた。緊張はピーク(><=)あうう~~~~~!!!質問はこちらが用意していた答えのものはほとんどされなかった。ハズれた~(;;)そして思いもしなかった質問が飛ぶ。、、、、!?言葉がつまる、、、(--;)ろくな答えをしなかったと思う。ダメだ、、最後にいも(旦那)が「夫婦でも子供がいないとどこか恋人の延長線といった感じがあります。今のままでも十分楽しいのですがでも自分達は子供を迎えて一緒に苦労してそしてより家族になって幸せになりたいです」と言った。これが精一杯だった。もし面接が合格なら今日から2週間以内に登録用紙を送ります。なにもない場合今回は登録を見合わせたいととってくださいといわれ、なぜ不合格なのかは自分達で考えてくださいと言われた。ありがとうございましたと言ってお辞儀をして部屋をでた。涙が溢れてくる。きっと落ちた(;;)きっと不合格だ(;;)帰りに いも(旦那)と二人の大好きな店のラーメンを食べた。何も味がしなかった。
2006.03.02
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朝から民間のNPO団体の説明会に行った。午前中はビデオをみたり会の方針システムの説明。午後からは実際に会で子供を迎えた方との個別面接があった。会の説明会はショッキングだった。児童相談所とは色々な面において考え方が違う。まず養子という言葉も使わない。子供のための縁組というのだ。会は私達のような子供に恵まれない夫婦に子供を斡旋するためにあるのではなく、まず第一に子供の命を守り精一杯幸せにしてあげたい、そして2番目に産んだお母さんにも幸せになってほしい、産んだお母さんに安心してもらえるよう 幸せになってもらえるよう その延長線上にそれでは信用のおける夫婦に子供を紹介しましょうというものだった。だから子供はなるべく小さいうちに親になる夫婦に委託される。生後数ヶ月の赤ちゃんもめずらしくない。児童相談所でいっていた後からでる障害の有無などそういうことを言う夫婦は会に登録すらできない。子供の年齢(赤ちゃんがくるとは限らない)、性別、国籍、障害の有無子供の背負っている事情のすべてを無条件で引き受ける覚悟のある夫婦だけが登録できるとのことだった。子供を選ぶ事は出来ないのだ。何も知らされない状態で子供を迎えそして親子になる。また児童相談所で子供を委託される場合子供にかかる費用というのは税金で支払われいるが民間の場合その全てを会が負担している。親が見つかるまでの施設利用料や交通費、調査費、医療費、中には出産費用まで。それをずっと会が負担し続けていくのは無理なのでもし子供を迎えるとなれば費用負担をしなくてはならなった。金額は正直 不妊治療でお金を使い果たした私達には高額だったがその費用の内容は納得できるものだった。午後から実際に子供を迎えたご夫婦とお話させてもらった。どのご夫婦も生き生きとして子供も言われなければ養子なんてわからない。全く普通の親子に見える。皆不妊治療の末この会に辿りついたと境遇は全く同じなのだ。「登録できれば春には子供を抱いているかもよ」この先輩夫婦の言葉が胸にささった。児童相談所では1~2年待つがもしここに登録できれば ひょっとしたら春には子供が抱けるのかも!?期待で胸がいっぱいになった。費用負担のお金の工面がまったくできてなかったけど親に相談しよう まずは面接を受けようと思った。会の面接はとても厳しく登録できる夫婦は10組中1~2組くらいだと聞いていたが挑戦しようと思った。この時点で児童相談所のお話は断りの電話をいれた。まだ会に登録できるかわからなかったが二股はよくないと思ったからだ。児童相談所も悪くなかったがこの会の方針や先輩夫婦の生き生きとした笑顔そして何より早く子供に出会えるかもという期待が私達に決断をさせたのだった。
2006.02.23
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どきどきしながら施設にいった。まず職員の方からお話があった。「ここの施設は定員が50人だけど満員状態で3歳から15歳くらいまでの子がいる。だけどこんなに子供がいても養子縁組できる子は一人もいないのです。何故かというと年に1度も面会に来ない親が親権を手放さないからなのです。大人になるまでここで育ててくださいという親までいる。あと 子供たちのほとんどが虐待を受けている子供です。ですから子供は愛情に飢えてとても懐いてきますが本音のところで大人を信用していないというところがあります。それを知ったうえで今日一日子供と遊んで過ごしてみてください。」というお話だった。そっか、、、やっぱ縁組できる子はいないんだ、、と少しショックを受けた。でも気持ちを直して いも(旦那)と二人ドキドキしながら案内されて子供達のところへ向かった。子供たちはすごーく懐いてくる。不思議な感じだった。普通4~5歳くらいの子って人見知りして知らない大人にまとわりついたりしないものだけどここの子供たちは我先にと旦那の膝の取りあいをする。絵を描いて~と抱きついてせがんでくる。鬼ごっこをしても 私のおじちゃんよ!おばちゃんよ!といった感じで私達はひっぱりだこ。、、、愛情に飢えてる一日研修していも(旦那)と 施設にいる子供たちというのは今日会った子供達がんばって親子になっていけるかもしれない。短期里親がやりたかったわけではないけどそれをやりながら いつか養子にきてくれる子供を待とうかという話になった。翌日は民間のNPO団体の説明会があったがこの時点は気持ちは里親登録しようと思っていた。
2006.02.23
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里親認定の申し込みをするにはまず施設での研修をしてみてそれでも気持ちが変わらなかったら申し込み用紙をお渡ししますと言われ研修をお願いしていたのだがなかなか日程があわず(こちらはいつでも大丈夫だったのだけど施設の予定が決まらない)ずるずると1ヶ月半が過ぎていた。翌年の2月に年に2回しかない里親認定の審議会があることになっていたのでなんとかそれまでに申し込みしたいのにうまくいかない、、、(><)研修→申し込み→家庭訪問→面接ここまで済んでいないと審議会で審議してもらえないのだ。すごく焦っていた。そんな12月のはじめにようやく研修が決まった。ちょうど同じ頃前に問い合わせていた別の民間団体(NPO)から説明会の通知があった。日程は施設研修の翌日だった。まずは施設研修にいくことにした。
2006.02.23
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児童相談所の里親担当の方とお会いした。話の内容としては・ここの管轄はわりかし子供の委託がされているほうだ。・養子縁組できる子供も1~2年待ってもらえれば 紹介できる可能性がある。・ただし養子縁組だけを目的とされる方には登録を断っている。 登録するからには子供を迎えた後も週末里親などの 短期里親活動をしてくれることが条件になる。・子供の年齢はたぶん小さい子を紹介できると思うが 2歳未満の子は難しい。・登録の申し込みは まず施設への研修が先でその後でないと 申し込み用紙を渡せない。というようなものだった。児童相談所では乳幼児の委託はほとんどないということだった。仮に乳児院に赤ちゃんがいたとしてもある程度の歳(2歳くらい)になるまでは後からでる障害などの有無を確認できないので委託しないのだそうだ。何故なら障害があるとわかると返してくる里親などがいてかえって子供を傷つけることになるからということだった。ネットで小さい子を望めば望むほど子供に出会う可能性が低くなると知っていたので乳幼児にこだわりはなかった。できたら3歳くらいまでの子供だといいなと考えていた。(これも今考えるとおこがましい考えなのだが(^^;))短期里親活動をするということは自分達の計画の中には全くはいってなかったというか考えたこともなかったことだったけどその活動をすれば 将来 養子縁組できる子供を紹介してもらえるかもしれない、、、だったらそれもやってみようかと思った。施設研修をするので申し込みさせてくださいとお願いした。
2006.02.23
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養子を迎えたいと本格的に行動をはじめた自分だったけど調べれば調べるほど絶望的な気持ちになってくる。子供はいない、、、いくつかの民間団体にも電話してみたりした。「まず里親登録をとってきたください」そう事務的に言われて切られたこともある。日に日に不安と焦りが募ったけどとにかく里親認定をとらなくては!と思った。まず児童相談所に電話で予約をいれて説明を聞きにいくことにした。しかし電話の時点で児童相談所の方に「もしかしたら思うような話にならないかもしれませんよ。うちは斡旋所ではないのですから」と釘をさされていた。重たい気持ちだった。ネットで色々と児童相談所のことを調べてみた。すると児童相談所といっても各管轄の相談所によってずいぶん温度差や特色があり積極的に里親に子供を委託するところもあれば里親登録の数はたくさんあり子供もいるのにほとんど子供を委託しないといった所もあるらしい。何故そういった差がでるのかは詳しくわからないが各所長の考えに一任されることが一要因かもしれない。そして電話で予約した日 児童相談所の担当の方とお会いした。
2006.02.23
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不妊治療に終止符をうち養子という選択を本気で歩みはじめた。2度目の体外受精が失敗に終わってから治療と同時進行で養子のことも調べてはいた。調べてみると驚くことが沢山ある。まずは 日本ではそうそう養子にできる子はいないということ。児童相談所に登録しても3年待ちなどはザラでそれどころか何年待っても一度も子供の委託の打診がないということも多いというのだ。ひええもし0歳児で女児希望などとすると可能性はほぼ0に近いそうだ。不妊治療をしている頃不妊の仲間同士の掲示板などでもし妊娠できなかったら最後の保険のように養子という道もあるよね なんて話したこともあったけどとんでもない!!!!養子を迎えるというのは不妊治療と同じ、、いやもしかしたらもっと険しい道のりかもしれなかった。もしこの日記を見て養子のことを考えてらっしゃる方がいたら大きな声でいいたい。子供は本当にいません!!簡単ではないです。、、、、、と
2006.02.21
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