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朝から民間のNPO団体の説明会に行った。午前中はビデオをみたり会の方針システムの説明。午後からは実際に会で子供を迎えた方との個別面接があった。会の説明会はショッキングだった。児童相談所とは色々な面において考え方が違う。まず養子という言葉も使わない。子供のための縁組というのだ。会は私達のような子供に恵まれない夫婦に子供を斡旋するためにあるのではなく、まず第一に子供の命を守り精一杯幸せにしてあげたい、そして2番目に産んだお母さんにも幸せになってほしい、産んだお母さんに安心してもらえるよう 幸せになってもらえるよう その延長線上にそれでは信用のおける夫婦に子供を紹介しましょうというものだった。だから子供はなるべく小さいうちに親になる夫婦に委託される。生後数ヶ月の赤ちゃんもめずらしくない。児童相談所でいっていた後からでる障害の有無などそういうことを言う夫婦は会に登録すらできない。子供の年齢(赤ちゃんがくるとは限らない)、性別、国籍、障害の有無子供の背負っている事情のすべてを無条件で引き受ける覚悟のある夫婦だけが登録できるとのことだった。子供を選ぶ事は出来ないのだ。何も知らされない状態で子供を迎えそして親子になる。また児童相談所で子供を委託される場合子供にかかる費用というのは税金で支払われいるが民間の場合その全てを会が負担している。親が見つかるまでの施設利用料や交通費、調査費、医療費、中には出産費用まで。それをずっと会が負担し続けていくのは無理なのでもし子供を迎えるとなれば費用負担をしなくてはならなった。金額は正直 不妊治療でお金を使い果たした私達には高額だったがその費用の内容は納得できるものだった。午後から実際に子供を迎えたご夫婦とお話させてもらった。どのご夫婦も生き生きとして子供も言われなければ養子なんてわからない。全く普通の親子に見える。皆不妊治療の末この会に辿りついたと境遇は全く同じなのだ。「登録できれば春には子供を抱いているかもよ」この先輩夫婦の言葉が胸にささった。児童相談所では1~2年待つがもしここに登録できれば ひょっとしたら春には子供が抱けるのかも!?期待で胸がいっぱいになった。費用負担のお金の工面がまったくできてなかったけど親に相談しよう まずは面接を受けようと思った。会の面接はとても厳しく登録できる夫婦は10組中1~2組くらいだと聞いていたが挑戦しようと思った。この時点で児童相談所のお話は断りの電話をいれた。まだ会に登録できるかわからなかったが二股はよくないと思ったからだ。児童相談所も悪くなかったがこの会の方針や先輩夫婦の生き生きとした笑顔そして何より早く子供に出会えるかもという期待が私達に決断をさせたのだった。
2006.02.23
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どきどきしながら施設にいった。まず職員の方からお話があった。「ここの施設は定員が50人だけど満員状態で3歳から15歳くらいまでの子がいる。だけどこんなに子供がいても養子縁組できる子は一人もいないのです。何故かというと年に1度も面会に来ない親が親権を手放さないからなのです。大人になるまでここで育ててくださいという親までいる。あと 子供たちのほとんどが虐待を受けている子供です。ですから子供は愛情に飢えてとても懐いてきますが本音のところで大人を信用していないというところがあります。それを知ったうえで今日一日子供と遊んで過ごしてみてください。」というお話だった。そっか、、、やっぱ縁組できる子はいないんだ、、と少しショックを受けた。でも気持ちを直して いも(旦那)と二人ドキドキしながら案内されて子供達のところへ向かった。子供たちはすごーく懐いてくる。不思議な感じだった。普通4~5歳くらいの子って人見知りして知らない大人にまとわりついたりしないものだけどここの子供たちは我先にと旦那の膝の取りあいをする。絵を描いて~と抱きついてせがんでくる。鬼ごっこをしても 私のおじちゃんよ!おばちゃんよ!といった感じで私達はひっぱりだこ。、、、愛情に飢えてる一日研修していも(旦那)と 施設にいる子供たちというのは今日会った子供達がんばって親子になっていけるかもしれない。短期里親がやりたかったわけではないけどそれをやりながら いつか養子にきてくれる子供を待とうかという話になった。翌日は民間のNPO団体の説明会があったがこの時点は気持ちは里親登録しようと思っていた。
2006.02.23
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里親認定の申し込みをするにはまず施設での研修をしてみてそれでも気持ちが変わらなかったら申し込み用紙をお渡ししますと言われ研修をお願いしていたのだがなかなか日程があわず(こちらはいつでも大丈夫だったのだけど施設の予定が決まらない)ずるずると1ヶ月半が過ぎていた。翌年の2月に年に2回しかない里親認定の審議会があることになっていたのでなんとかそれまでに申し込みしたいのにうまくいかない、、、(><)研修→申し込み→家庭訪問→面接ここまで済んでいないと審議会で審議してもらえないのだ。すごく焦っていた。そんな12月のはじめにようやく研修が決まった。ちょうど同じ頃前に問い合わせていた別の民間団体(NPO)から説明会の通知があった。日程は施設研修の翌日だった。まずは施設研修にいくことにした。
2006.02.23
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児童相談所の里親担当の方とお会いした。話の内容としては・ここの管轄はわりかし子供の委託がされているほうだ。・養子縁組できる子供も1~2年待ってもらえれば 紹介できる可能性がある。・ただし養子縁組だけを目的とされる方には登録を断っている。 登録するからには子供を迎えた後も週末里親などの 短期里親活動をしてくれることが条件になる。・子供の年齢はたぶん小さい子を紹介できると思うが 2歳未満の子は難しい。・登録の申し込みは まず施設への研修が先でその後でないと 申し込み用紙を渡せない。というようなものだった。児童相談所では乳幼児の委託はほとんどないということだった。仮に乳児院に赤ちゃんがいたとしてもある程度の歳(2歳くらい)になるまでは後からでる障害などの有無を確認できないので委託しないのだそうだ。何故なら障害があるとわかると返してくる里親などがいてかえって子供を傷つけることになるからということだった。ネットで小さい子を望めば望むほど子供に出会う可能性が低くなると知っていたので乳幼児にこだわりはなかった。できたら3歳くらいまでの子供だといいなと考えていた。(これも今考えるとおこがましい考えなのだが(^^;))短期里親活動をするということは自分達の計画の中には全くはいってなかったというか考えたこともなかったことだったけどその活動をすれば 将来 養子縁組できる子供を紹介してもらえるかもしれない、、、だったらそれもやってみようかと思った。施設研修をするので申し込みさせてくださいとお願いした。
2006.02.23
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養子を迎えたいと本格的に行動をはじめた自分だったけど調べれば調べるほど絶望的な気持ちになってくる。子供はいない、、、いくつかの民間団体にも電話してみたりした。「まず里親登録をとってきたください」そう事務的に言われて切られたこともある。日に日に不安と焦りが募ったけどとにかく里親認定をとらなくては!と思った。まず児童相談所に電話で予約をいれて説明を聞きにいくことにした。しかし電話の時点で児童相談所の方に「もしかしたら思うような話にならないかもしれませんよ。うちは斡旋所ではないのですから」と釘をさされていた。重たい気持ちだった。ネットで色々と児童相談所のことを調べてみた。すると児童相談所といっても各管轄の相談所によってずいぶん温度差や特色があり積極的に里親に子供を委託するところもあれば里親登録の数はたくさんあり子供もいるのにほとんど子供を委託しないといった所もあるらしい。何故そういった差がでるのかは詳しくわからないが各所長の考えに一任されることが一要因かもしれない。そして電話で予約した日 児童相談所の担当の方とお会いした。
2006.02.23
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不妊治療に終止符をうち養子という選択を本気で歩みはじめた。2度目の体外受精が失敗に終わってから治療と同時進行で養子のことも調べてはいた。調べてみると驚くことが沢山ある。まずは 日本ではそうそう養子にできる子はいないということ。児童相談所に登録しても3年待ちなどはザラでそれどころか何年待っても一度も子供の委託の打診がないということも多いというのだ。ひええもし0歳児で女児希望などとすると可能性はほぼ0に近いそうだ。不妊治療をしている頃不妊の仲間同士の掲示板などでもし妊娠できなかったら最後の保険のように養子という道もあるよね なんて話したこともあったけどとんでもない!!!!養子を迎えるというのは不妊治療と同じ、、いやもしかしたらもっと険しい道のりかもしれなかった。もしこの日記を見て養子のことを考えてらっしゃる方がいたら大きな声でいいたい。子供は本当にいません!!簡単ではないです。、、、、、と
2006.02.21
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がんばった治療はここで終了することにした。やるだけのことをやったのである意味すがすがしい気持ちにさえなった。先生は「これだけやってダメとなると原因がないのではなく原因があるのだけど今の技術で見つけてあげられないと言ったほうがいい、、ごめんね」と言われた。いえいえ ありがとうございます。今までがんばってこれたのは先生が精一杯努力してくださったからです。一緒にがんばってくださったからです。本当に感謝しています。だからこそ私達は気持ちよく治療を終了させることができるのです。こうして治療を終了し前々から考えていた「養子」という選択に向け新たなステップを踏むことになった。
2006.02.20
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5度目の挑戦がはじまった。新しい薬を使い痛い注射にも耐えて14個の卵が採れた。9個受精。全部長期培養をお願いした。どきどきの5日目 胚盤胞が2つできていた(><=)うおおおおおおお!!嬉しい!すごく嬉しい!!夢の5日目胚盤胞。これが移植できれば今までのいどの挑戦のときより妊娠できる確率が高いのだ。この月にすぐに戻すことはやめて凍結して3ヶ月体を休ませて万全の状態で胚移植することにした。今までフレッシュ胚で戻すようにしていたけど採卵した直後は薬でホルモン値が異常になってることが多く、それよりは少し時間をあけたほうがいいということになったのだ。それからの3ヶ月は楽しかった。夢の5日目胚盤胞がある♪それだけで気持ちは楽だしウキウキしていた。そして移植日が近づいてくると 今度はだんだん怖くなってきた。なんだか移植したくない気持ちになってきたのだ。移植してまた陰性だったらまた一からやり直し、、、(><)夢の胚盤胞も水の泡。このショックに耐えられるか不安。ストックがあってウキウキしている今のままがいいような気さえしてくる。でも移植しなければいつまでたっても妊娠できないのだ。覚悟をきめて移植することにした。移植は前に凍結していた分割卵を3日目に戻しそして5日目に二つ胚盤胞を戻した。この回のときから通っていた病院が建て変わり設備も新しくなって移植する卵の写真ももらえるようになった。きれいな胚盤胞、、、これ私達の子供なんだと感激する。やるだけのこと全部やってそして結果を待った。判定、、、陰性。
2006.02.20
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ラバロが終わり 体を少し休ませてから次の体外受精の相談を先生とした。5日目の胚盤胞を目指したい。培養液を変えてみた。誘発方法を今までのアゴニストからアンタゴニストにする。今でこそアンタゴを使う病院も増えてるのかもしれないけどこのときはまだアンタゴは日本では未承認薬で先生にお願いしてアメリカから取り寄せてもらった。もし5日目の胚盤胞ができたら前に凍結しておいた卵とで2段階移植する。今やれるだけのことを全部試してみようということになった。
2006.02.20
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腹腔鏡手術をすることになった。手術前日から入院して手術当日翌日そして翌々日には退院するという日程だった。手術前日から手術に向けて腸内洗浄のために下剤を飲む うえええ(><)夜ご飯もなし。生まれてこの方一度も入院なんてしたことないので慣れないベッドも緊張する。寝付けない、、、どきどき手術当日 朝毛をそられる(><=)いやんそんで有り得ない量の浣腸もされる。前日から下剤飲んでてもうこれ以上は何も出ないよ~無理!無理!ってな感じ。旦那は当日会社で手術時間には間に合わないけど終わる頃には様子を見にくると言ってくれてた。昼過ぎ まぐさーん手術ですよ~と担架が運ばれてきて乗せられる。いよいよか!!点滴を付けられて 「はい麻酔が入ります数を数えてくださいね」と言われ麻酔注入。「1、、、、」こっから先覚えてないです(--=)一数えて意識なくなりました。次に気がついたのは ベッドに戻され気管につけていた管が抜かれるときだった。終わったんだ~ふと横をみるといも(旦那)もいる。いつの間にか2~3時間過ぎてたのだ。後で聞いた話だけどいも(旦那)は昔から顎のラインがはっきりしない顔をしているのだが手術が終わり戻ってきた私は「いもの顎がないよ~顎がないよ~うわーん うわわぁん」と大声でうなされていたらしい。看護婦と医者はチラっといもの顎を見る、、、ぷぷ殺す!といもは思ったらしい(--;)わざとじゃないって!!!翌日検査結果を聞く。2年前に両方きれいに通ってたはずの卵管だったが右側は詰まっていたらしい。でもそれ以外は内膜症も癒着もなく異常なし、、ということだった。これ!といった決定的な原因が私にもいも(旦那)にもない。じゃなんで妊娠できないんだろう、、
2006.02.20
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3度目の挑戦が撃沈してから またカウフマンで子宮を休ませそして4度目の挑戦にはいった。前回6日目とはいえ胚盤胞ができたので今度こそ5日目で胚盤胞にならないかなぁとすごく期待した。採れた卵は14個受精したのは10個だった。3日目に5分割の卵1つと8分割の卵2つをアシスト八ッチングして戻してもらった。アシスト八ッチングというのは簡単に言えば卵の殻の部分に少し剥いてもらいより着床しやすくするというものだ。そして残りは続けて培養してもらった。6日目に胚盤胞になったのがひとつあったがやはり6日目、、、がっくり(><。)なかなか夢の5日目胚盤胞にはならない。それほど胚盤胞は難しいのだ。でもお腹に戻した3個の卵に期待して2週間待った。結果、、、陰性(;;)やっぱダメだった。もう無理なのかなぁと思う。なぜここまでやっても一度も着床しないのか、、先生と相談して一度腹腔鏡手術で検査してみようという話になる。げげ お腹切るのか、、、、でも もしそれで何かわかるなら、、手術の予約を陰性判定のでたその日にいれた。そしてその月の後半には手術したのだった。
2006.02.20
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体外受精2回目が失敗に終わってから養子という選択を真剣に考えはじめた。旦那はどちらでもいいよ と言う。私もすごく子供が欲しい。でもまだ実子をあきらめきれない、、、(><)ふんぎりをつけるのはどうしたらいいのか?とにかく体外受精を納得できるまで挑戦してみようと思った。前回の失敗の後からカウフマン治療という次の採卵までは完全に子宮 卵巣を休ませるということをした。そして3度目の採卵。この回から顕微授精(ICSI)をした。11個の卵が採れ6個受精した。3日後に4分割と8分割の卵を戻し残りは長期培養をお願いした。6日目に遅めの胚盤胞が1個できた。6日目の胚盤胞では可能性は低いと知っていたけどとにかく胚盤胞まで育ったことが嬉しかった。だって前回は全滅だったのだから。その1個は凍結して戻した二つの判定を待った。結果は陰性、、、(;;)あうう
2006.02.17
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一回目の体外受精撃沈から2ヶ月後私は2回目の体外受精に挑戦しました。体外受精の2度目って一度目よりもすごく緊張する。前の撃沈があるから そう簡単には妊娠できないってわかってるしかといってまたダメだったらまたあのショックに耐えられるのか?とものすごく怖い気持ちだった。とれた卵は15個。受精は10個。ここまではまずまずだった。採卵から2日後やはり通常より遅めの分割スピードの卵2つをお腹に戻した。残りの卵は胚盤胞まで培養してくださいとお願いした。普通受精卵は2分割4分割8分割、桑実胚、初期胚盤胞、胚盤胞と分割していきます。胚盤胞というのはお腹に着床する寸前の卵の形のことでここまで卵が育つ確率は40%くらいなのです。しかも分割速度にも目安があり5日目で胚盤胞になったものと6日目までかかったものとでは妊娠する確率がかなり違います。ちなみに7日目までかかってしまうと可能性はほとんどないです。採卵から5日後 培養してもらってる卵の様子を聞きにいきました。結果は 全滅、、、全部5日までに分割が止まってしまったとのことでした。そして判定日 陰性。このとき初めて私達は子供はできないかも、、、と思いました。そしてこの撃沈の後から もしもできないときは養子 そういう選択もあるのかと真剣に話し合うようになりました。
2006.02.17
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妊娠できるかも!!と内心ウキウウキで挑んだ体外受精はあえなく撃沈でした。あんなにエコーでは沢山見えてた卵胞なのにいざ採卵してみると4個。受精したのは3個。しかも分割速度が遅い、、、、(;;)それでも2つお腹に戻して祈るような気持ちで待った2週間。陰性だったときのショックは今までタイミングや人工授精でダメだったときの比ではなかった。あんなに痛かった注射も 期待した毎日もたくさんのお金も全部ふっとんだ一瞬だった。しかも私は凍結するほどの卵がとれなかったので次回はまた採卵からなのだ。、、、でもあきらめたくなかった。すぐ2回目の体外受精の予約をいれた。
2006.02.17
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人工授精を3回したけど まったく結果がでない。普通人工授精は6回くらいが目安らしいそれで出来ない人はそれ以上やっても可能性は低いとのことだった。そっから先は体外受精となる。私たちは人工授精3回目が終了したところで検査の意味もかねて体外受精へすすむことにした。体外受精をすると受精障害とかそういうのがわかるので もしそうならいくら人工授精やタイミングを続けても無駄なのです。私はことのとき実はすごく期待してました。これで子供ができる!!今体外受精したら生まれるのは何月頃で友達のとこの子供と同級かなぁなんて内心うきうきしてました。
2006.02.17
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タイミングをはじめて半年くらいしても全く妊娠する気配はなかった。タイミングしながら卵管造営などの検査もやった。異常なし。旦那の精子の検査もやった。数が多いときと少ないときとバラつきはあるものの決定的ではなかった。旦那には漢方なども飲んでもらったがなかなか結果がでず人工授精しましょうということになった。
2006.02.17
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2002年少し遅めの結婚をしました。結婚したらすぐ子供はできると思うの半分と年齢的なことから子供ができるか不安な部分とあり、結婚してすぐ不妊病院の門をたたきました。最初は軽い検査のつもりで。どこも異常ありませんよ 子供の産める体ですと言われれば安心すると思いからでした。基礎体温はちゃんと2層に分かれてるし生理も毎月ちゃんとある。少しフプロラクチンの値が高いがそれも薬でなんとかなる程度のことで検査は異常なしだった。早く子供の欲しかった私はすぐタイミングをはじめた。
2006.02.16
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やっと本格起動しようかと日記開始です。不妊治療の日記を書く日がくるとは思ってもみませんでした。治療中は辛くて辛くて治療をしてる最中にはとても日記を書くなんて気分にはなれなかった。いつか治療が終わったとき、、、一昨年 自分の意思で長い治療に終止符を打ちました。そしてもうひとつの選択。もし私の話が参考になれば、、と思いぼちぼちと今までのことを綴っていこうかと思います。ぼちぼち、、です(^^;)
2006.02.16
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