Oh To Be Wicked Once Again

Oh To Be Wicked Once Again

ノイズミュージックについて

ノイズミュージックのよさ、たとえばOVALのよさは、その生々しさにあると思う。
すなわち、世界のあらゆる場面において純粋物はほとんどなくて、
99%は混じりけのある不純物であるという事実がそこには示されている。
そして実は人間の感性においても同じことがあてはまるのではないかと思う。
(たとえば悲しいといっても日常生活で
100%完全に悲しいということはまれで、たいがいは、
いつまでも悲しんでいるわけにはいかない、
でも今日くらいは泣いてもいいんじゃないか、
しかしこのままだと明日は目の周りがひどいことになりそう、
ということを考えているうちにどうでもよくなってきた、
というようにいろんな感情が綯い交ぜになって存在しているだろう)

そのような現実をありのまま音楽という形で表現しようとすると
ふつうの音楽(ってなんだってことはとりあえず置いといて)にあるような
単なる音の重なりでは限界がある。その限界を乗り越える試みとして、
ノイズミュージックはかなり成功してるのではないか。
少なくとも僕は、登場人物の感情の描写において細部に至るこだわりが
感じられる短編映画を見るときと同じレベルで、OVALの音楽に感動を覚える。


そこであらためてovalprocessのライナーノートを見てみると、
佐々木敦は、コンピューターミュージックに対して批判的なovalことマーカス・ポップと、
メロコアやギターポップが好きなマーカス・ポップと2人のマーカス・ポップが
存在することを示した上で、以下のように述べている。

「両者は、結果として互いに対して補完的に働いている。
むしろそこに生じる矛盾やズレこそがオヴァルの魅力のコアを
成しているとさえ言ってもいいのではないかと思うのである。」


うまく言葉ではいえないけれど、おそらく佐々木氏も僕と同じ事を感じてる
ように思った。オヴァルの魅力は、ひとつのモノの中に相矛盾するような事柄が
渾然一体とした状態で含まれていること、そのこと自体をありのまま表現しようと
している(ように思われる)ことにあると思う。

佐々木氏はまた、
「この音は聴く者の心を激しく揺り動かすが、それが本当のところ、
いかなる感動なのか、我々はまだ分かっていない。
それを表現できる言葉をまだ我々は見つけていない。」

と述べているが、僕の言葉であえて一言でいうならそれは、
「生々しさ」「リアリティ」になるのではないかと思う。

そのように感じるのは僕自身が
「楽しいことも悲しいこともあるのが人生であって、
大事なのはそういういろんなハプニングを
長いスパンにたった高い視線から見つめることによって、
すべて『楽しむ』ということに転化してしまうことだ」
という人生観を持っていることに
大きく依拠しているからだと思うのであるが。

つまり、たとえ今は悲しいと思っても、時間が経てばいい思い出に変わる。
むしろそのときつらい思いをしたのが自分自身の成長の機会だったことが後になってわかる。
今悲しいと思っていることが将来そういう位置づけになることを、
今の悲しい瞬間に同時に感じることができれば、
悲しいことも素晴らしいことのように思えてくる、
そういう感覚を常に持っているからこそ、
「矛盾という現実」に人一倍反応してしまうのかもしれない。


世界を自分に都合よく解釈するのもいいけど、
都合の悪い部分も含めた解釈をするのもありだと思いますが、いかがでしょうか。
都合悪い部分に秘められた人間くささも僕は好きです。


060702


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