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前回のつづきグループホームにいる母が「疥癬」となり、なぜか、私たち夫婦も感染していた・・・っと、その後の話。通院していた皮膚科が7月末で閉院することになり、最後の通院日に、母の爪を少し切って検査すると、ヒゼンダニの卵がまだあるある!皮膚はスミスリンローションで駆除できても、爪の中の卵は効果がないらしい。分厚くなってしまった爪を短く切って、ヤスリで削るように指示された。さぁ~次に通院する皮膚科を探さねば!参考に、市内の皮膚科を調べてみたけど・・・S医院は、駐車場が狭くて車椅子の母を連れて行くのに気が引ける。N皮膚科は、駅前のビルに入っているので、車椅子では行けない。M皮膚科は、待合室が狭く、いつも混みあっているという情報を聞いて、車椅子で待つのは辛い?他の皮膚科もある病院に連絡するも、「疥癬」だと言うと、みごとにお断りされた。近隣には車椅子の母を連れていける皮膚科はない!!(>_<)そこで、隣の市の大きな病院の皮膚科に電話して受け入れてくれるか確認したところ、やっとOKとなって、準備万端となっていたのだけど・・・グループホームの看護師さんから電話があって、「爪の中に卵があると完治が難しい。爪を剥がしたいので、ご家族の許可をいただきたい」訪問診療で外科の先生がやってくださるとのことだった。爪、そのものを無くすことで、これ以上疥癬を広げなくて済む。隔離生活も長くなり、食欲も落ちて、精神的にもよろしくないので、決断することにした。その考えは皮膚科の先生では、発想できないかも!?外科の先生の判断はすごい!(@ ̄□ ̄@;)!!指の爪を2本剥がして、縫合して、しばらく包帯をして過ごすことになった麻酔をしても、指先の爪を剥がすのはさぞや痛かったと思う。数日後、かゆみが軽減されて、ついに、隔離生活が終了!みなさんと同じ空間で過ごせることになった。閉院した皮膚科の先生は「完治は難しい。」ずっと、皮膚科で経過観察をするようにと紹介状を3通(母、私、夫)も、書いてもらったが、しばらくこのまま様子をみることになった。私たちも薬を塗り続け、アレルギーを抑える薬を飲み続け、かゆみが治まった。長かった・・・3か月以上も苦しんだ。暑くて、かゆくて、眠れない毎日から解放!母は、もっと長い間、疥癬のかゆみに苦しんでいたと思う。恐ろしい「疥癬」は、ちゃんと治療すれば、終息するんだとわかった。グループホームの看護師さん、介護士さんのおかげで、また日常生活が送れることになって本当によかった。怖い先生だったけど、閉院した皮膚科にも感謝。(^^♪その後、母は食欲も増えて、食べたいものを食べたいだけ食べる!という、人生の楽しみを掲げて、過ごしている。食べたいものがある!食べられる!って、なんと幸せなことだろう。(/・ω・)/「疥癬」からの卒業宣言!!
2022年07月27日
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前回のつづきグループホームに居る母のかゆみの原因が「疥癬」だと発覚!なぜか、母と1年以上会っていないかみさん(夫)も「疥癬」になっていた。そして、私も「ダニ駆除」するハメになり、かゆみとの闘いが始まった。疥癬とは・・・疥癬虫(ヒトヒゼンダニ)による感染症皮膚の角層内にヒゼンダニが寄生することで、おきる。臨床的特徴1.夜間の激しいかゆみ2.全身にブツブツ3.疥癬トンネル(手指間にブツ)4.疥癬結節(腋、陰嚢のシコリ)5.湿疹等の治療で治らない6.顔面・頭部に湿疹がない7.家庭内、施設内で発生私もかみさん(夫)も、ほぼこれに該当している。ただ、運命の分かれ道は、かみさんの皮膚にはダニがいて、私にはいなかった。いなくてよかったと思ったけど、いや、いた方がよかったか?(;'∀')ダニが皮膚に寄生していたら、ストロメクトール錠が処方され内服することができる。ストロメクトールを飲んでからの数日間は、さらにかゆみが悪化したかのようになるのだだ、1週間経過したころで、不思議とスッとかゆみが楽になったそうだ。そして、さらに1週間後にもう一度服用すると、どんどんぶつぶつがなくなっていった。ぶつぶつ以外に、身体中にあせものような細かい湿疹がたくさんあったけど、服用から2週間後に明らかに湿疹が減っているのがわかった。内服薬を処方されなかった私は、ローションで駆除しているけど・・・そもそも、ダニが寄生しているかわからない。(;^ω^)1週間に一度、母を皮膚科に連れて行く時に、車に同乗し母に触れなければならない。そのために、ビニールカッパとビニール手袋をして母を車いすから降ろしたり、車に乗せたりしている時に、めっちゃ汗をかく。そして、またかゆくなる。(>_<)ダニアレルギーが強くなり、もう、ダニじゃない何かに反応しているのか?下着の締め付けなどにも反応してきたのだった。そして、母は「角質増殖型疥癬」なので、爪の中まで「ヒゼンダニ」が入り込んでいて、爪を切って顕微鏡で見ると、ダニの卵がいっぱい!(;^ω^)もう、身体のいたるところにダニが寄生しているので、薬を服用するだけでは駆除できなかった。ストロメクトールを2回服用し、スミスリンローションを2回やって、様子をみることになった。じゃ、なぜ?一度も母と会っていないかみさん(夫)に、ヒゼンダニがいたのか?皮膚科の先生の質問に答えているうちに、もしや?っと思うことがあった。母が前にいた施設に週2回、洗濯物を取りに行って、自宅で洗っていた。できるだけ母のものだけ洗っていたが、少量の時は家族の洗濯ものと一緒にしていた。それを数か月続けているうちに、衣類を介して我が家に入り込んでいたのかも?知らないうちに、疥癬になっていたの?と思い始めた。かみさん(夫)がかゆみを感じ始めたのが4月の終わりで、花粉症のアレルギーを疑い、内科と皮膚科に通院し、飲み薬や塗り薬を処方してもらって、さらに、アレルギーを抑えるお注射まで打ってもらった。それでも、かゆみが治まらなくて、2か月苦しんでいた。そこに「疥癬」疑惑の症状を知って、納得することができた。ずっと、ダニが寄生していたとはね~(;^ω^)母の「疥癬」の診断が出るまで、疑うほどの知識もなかった。症状が悪化するまで、気が付かないのが「疥癬」の恐ろしいところでもある。ちなみに、疥癬には2種類あって通常の疥癬なら隔離は不要で、普通に社会生活は送れる。が、角質型増殖疥癬の場合、隔離生活となり、居室、衣類、シーツなどのリネンも殺虫が必要になるので、集団生活の中では本人もつらいし、関わるスタッフの方も気を遣うので、とにかく大変。では、ヒゼンダニはどうやったら、やっつけられるのか?色々試してみた。まず、家の中の各部屋にダニ駆除できるアースレッドをセット!【第2類医薬品】アース製薬 ダニアースレッド6-8畳 10GX3個煙があまりでない寝室用タイプもあり【第2類医薬品】アース製薬 アースレッド 寝室・子供部屋用 ダニを 簡単 駆除 殺虫剤 66.7MLその後、廊下に殺虫剤(アースジェット)を撒いて掃除機をかける。アース製薬 アースジェット 450ml 2本パックソファには、ダニアースを撒く。アース製薬 ダニアーススプレー ハーブの香り 300ml(4901080010919)洗濯物は晴れた日は天日干しだけど、洗濯乾燥器も使用。ダニは50℃の環境に10分で、死滅するという。ヒゼンダニは人から離れて2週間以上は生きていけないので、衣類などをビニール袋に入れて2週間放置すれば死滅するとののことだった。今まで、ダニ関係にまったくお金も手間もかけたことなかったけど、一年に一度はやったほうがよかったし、引っ越したら、家具を入れる前に必ずやるべきだったのだ。知らなかった・・・ま、この方法でヒゼンダニが死滅するかどうかは別として、世の中のダニと名の付くものを退治したい!!疥癬との闘いはつづく・・・
2022年07月20日
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いろいろあって、実母はグループホームでお世話になって2か月経過。介護士さん、看護師さんにとてもよくしていただき、以前より元気になって会話も弾み、私が差し入れを持って行っても笑顔を見ることができて本当に良かった。なのに、その生活は一変することになる。((+_+))以前から手のひらのかゆみを訴えていたのは知っていた。前の施設で面会した時に、第一声は「かゆい」だった。冬だったので、乾燥してかゆいのだろうと思っていた。施設の看護師さんにもいつもかゆみを訴えているのでどうなっているのか聞いたところ、クリームや薬を塗っているとのことだった。かゆみの原因を追究することなく、施設を出てグループホームに移った。その際も病院で手のひらの皮膚を採取して検査に出してくれた。かゆみの原因はわからないまま、2か月経過しようとしていたある日のこと・・・グループホームの看護師さんから連絡が来て、「かいせんかもしれない。感染するので皮膚科の受診をお願いします。」と言われた。「かいせん?」「かんせん?」「かいせんがかんせん?」電話では「かいせん」を漢字変換できず、「かいせん」と「かんせん」がごちゃごちゃでとにかく、皮膚科へ母を連れていくことになった。施設から近い内科で皮膚科もやっているところに電話をして予約してみる。電話では「かんせんならよいけど、かいせんだと診られません」と言っていた。私はどっちなのかわからないので、とりあえず、その病院へ行ってみた。院内の待合室で問診票を書いて、予約時刻になったら、看護師さんが来て「うちでは診られませんのでお帰りください」と、診察お断り。( ;∀;)仕方がないので、別の皮膚科に電話して診ていただけることになった。車いすの母を車の助手席に乗せたり降ろしたり・・・汗だくになりながら、車を走らせる。皮膚科の駐車場は車いす用スペースはないけど、なんとか、母を降ろして診たもらえたのでほっとした。が、母のかゆみの原因は「疥癬(かいせん)」だった。母の手のひらの皮膚を削って顕微鏡で見ると、ヒゼンダニが居ると言われた。ヒゼンダニ??ダニが身体に居たって事?疥癬はヒゼンダニが身体に寄生する皮膚の疾患だと、やっとわかった。疥癬には種類があって、母は「角質増殖型疥癬」だと診断された。ストロメ久トール錠を内服し、オイラクッス軟膏を塗って様子をみることになった。母が「かいせん」という、感染力のある皮膚病だとわかったけれど、その時はまだ疥癬の恐ろしさに気付いていなかった。母を車椅子から車に乗せてグループホームに戻ると、ホームの看護師さんや介護士さんが防護服と手袋の完全防備で待っていてくれた。私は、半袖で手袋もせず、無防備な状態で車で皮膚科へ行ってしまったことをその数日後に後悔することになる。母は隔離生活を余儀なくされることになった。母が動くと乾燥している身体中の皮膚がふわーと落ちていた。手のひらは「きな粉」をまぶしたような感じだったので、このきな粉がふわーっと落ちて、そのふわーっとした中に大量のダニがいたのだ。せっかく、利用者さんとも慣れて毎日楽しかったのに、一人ぼっちで部屋で生活するなんてかわいそうでたまらない。それでも、グループホームの職員さんは頑張ってお世話してれて本当にありがたい。母を皮膚科に連れて行った3日後、ものすごいかゆみに襲われる。もぉー----!かゆくて、かゆくて、かきむしってしまって、身体に青あざが!Σ( ̄ロ ̄lll)ガーンまったく痒みで眠れない。かゆくて、暑くて、頭がおかしくなる!身体のいたるところに赤いぽつぽつが・・・えー--!(@ ̄□ ̄@;)!!これは、私にもダニが???すると、かみん(夫)も、かゆみがひどくなっていた!これはただ事ではないと、私も皮膚科へ行ってみる。以前も、贅肉のかたまりがまとわりついている腹部を診てもらったけど、また見せることになるとはね。タルタルのお腹や胸の下、脇の下など、躊躇することはく、惜しげもなく、さらけ出す。手の指の間なども診てもらうが「疥癬」とは断定できない。で、お腹の赤いぽつぽつから皮膚を採取して顕微鏡で見ても、ダニは居なかった。こんなにかゆいのはなぜ???私からダニは見つからなかったけど、念のため「ダニ駆除」するようにと、スミスリンローションなるものが処方された。で、先生に「私は、この後、仕事へ行ってもいいのでしょうか?」と聞いてみると先生:「職場で来てもよいと言われたら行けばよい。」っと、アッサリ。スミスリンローションの使用方法を見たら、職場へ行くなんてできるのか?いや、当然、ローションを塗りたくった人が仕事するのは無理でしょー!ってことで、正直に同僚や上司に「これからダニの駆除をするので休みます。」と連絡。職場の人は、いきなり「ダニ駆除」と聞いてもピンとくるわけないのにね。(^^;そんなこんなで、私は自宅に戻り、家の中でまっぱ(裸)になり、ローションを塗る塗る。首の下から足の指先、足の裏まで塗り残しないように、塗り塗りし続ける。想像するだけで、ひどい絵図が浮かぶけど、かゆみと闘いながら、ローションを塗って、最小限の衣類を身に着けてじっとしていた。外に出ることもできず、じっと過ごすしかない12時間・・・(;^ω^)暑いし、何にもでいない12時間・・・(;^ω^)私にとっては、真夏の苦行だった。ローション苦行をしながら、もしや?かみん(夫)のかゆみもこれが原因?事情を話して、かみさん(夫)も皮膚科へ行ってほしいと伝え、その日のうちに、皮膚科へ行って、皮膚を採取して顕微鏡で見たら・・・いたー-----!Σ(・ω・ノ)ノ!母とは、もう1年以上対面したことのないかみさん(夫)の体にヒゼンダニが居た!なぜ?なぜ?私から移った?ダニが発見されたので、ローション駆除ではなくて、ストロメクトールが処方されて、服用することになった。疥癬との闘いはつづく・・・
2022年07月01日
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特別養護老人ホームを見学し、いよいよ申し込みをすることを決断した。母はリハビリを頑張って自宅復帰を目指して老健で過ごしているけど、私の体調不良と兄の病気が追い打ちをかけて、自宅介護は諦めるしかなかった。(-_-;)特別養護老人ホームに決めた理由は、1.母がデイサービスでお世話になっていたので、見たことのある景色。2.特養の施設にいるケアマネさんが以前、母の担当だった。3.うちから車で5分の近さ。4.コロナ禍になり、面会は制限があるけれど、1対1ではなく、1対2でもOk。5.特養なので、介護限度額認定の対象となれば、料金が軽減される。6.以前は、家族も部屋に入って過ごすことができたそうだ。(今後も期待)などなど、一人でも多く母の知り合いがいるかもしれないという期待もあって、全く知らない施設に行って、全く知らない人ばかりの中で過ごすのは心配だった。まず、申込みが入所への第一歩なんだけど、ここからがまた長い!(^^ゞ特別養護老人ホームにすでに申し込みしている人が60人??( ゚Д゚)どうやら、何か所か申し込みをするのが普通のことのようで、60人が本命と決めて入所を待っているのか?は不明なんだとか。さらに、入所できる優先順位の評価基準なるものが存在していた。〇介護の必要程度 (要介護度と認知症の程度)2~34点まで〇介護者の状況1.主たる介護者の年齢2.主たる介護者の障害や疾病の状況3.主たる介護者の育児又は家族の病気状況4.主たる介護者が複数の介護をしている5.主たる介護者の就労状況6.従たる同居介護者の状況7.別居している血縁者による介護の可能性*単身生活者で介護するものが全くいない場合は最高で36点〇在宅介護の状況在宅サービスの利用状況や在宅介護期間8~14点〇本人の住所施設所在地と同一市町村内か、県外か?0~10点など、細かく点数を付けていき、点数が高い人が入所の優先順位が上になるというもの。私が感じたのは、施設に今まで何らかの形でお世話になっていて、家庭状況がわかってもらっている方が受け入れてもらえるのでは?っと思った。我が家の場合、母は単身高齢者世帯。介護する同居者はいない。さらに、主たる介護者の私には、単身独身者の兄がいて、入退院を繰り返しているので、在宅介護ができない理由が満点になるのだけど・・・申し込みした翌月に届いた手紙には、待機の順番が30番になったと。ふぅ~とりあえず、優先順位がアップしたので、このまま待つことに・・・。他の施設も見学に行くべきか?他にも申し込みするべきか?悩んでいる。(´ε`;)ウーン…話は変わるが、現在お世話になっている老健の施設は面会予約して許可が出たら1名だけ会えることになっているのだけど、今まで母の友達2名と孫(私の娘)を連れて行って、私は待っていた。一番反応が良かったのは、孫娘だった。孫に対しては掛ける言葉があったようで、娘の私が面会するより話ができたのではないかと思う。私の存在って何なんだろうな・・・って、思うことがあった。母の友達を私の車に乗せて、面会に連れて行った時に言われた言葉が、またグサッ。「私が母に厳しく接していたのに、歩行が厳しくなってしまったんだね」という主旨の事を言われた。母は私が厳しいから、リハビリを頑張っている。母は私に怒られるから、リハビリをやっている・・・と言っていたというのだ。Σ(゚Д゚;エーッ! Σ(゚Д゚;エーッ! Σ(゚Д゚;エーッ!厳しい???怒る?いや、私が母に対して甘かったのを後悔しているのに・・・もちろん、強い口調で励ましたり、応援していたけど、それが厳しいと言われるとがっくり。なんだか、泣ける。介護生活の中で、母を励ます為に毎日声をかけてきたことも、受け止める側の感じ方で大きく変わる。母が周囲の人に「娘は厳しい。怒る。怖い。」と話していたとしたら、やるせない気持ちでいっぱい。私は誰かに褒めてもらいたいわけでもないけど、毎日、頑張っていたことを母にも母の友達にも知って欲しかったと改めて思ってしまった。私の言葉が、母には「愛情」だと理解されていなかったとしたら、ここまでの毎日は何だったのだろう?と、ただただ、悲しくなった。介護は相手になんと思われようとも自己満足するしかないのだ。自分で自分を褒めることで、モヤモヤを消化するしかないのかと思うと、さらにモヤモヤしてしまう。(*´ω`)
2021年12月14日
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要介護4の母がお世話になっている施設は「介護老人保健施設」であ~る。こちらに9月に入所して2ヵ月半。最初は個室に居て、そのあと、途中で4人部屋に移動。夜はその中の誰かが歌を歌い始めるようで、母からの電話のBGMとなっている。最初の3ヶ月はリハビリ強化ということで、週に3日はリハビリをきちんとやってくれるというリハビリプランを立ててもらっている。実際には見ていないけど、母の機能はそれほど変化がないと本人は言っていた。でも、電話の内容はいつも意味不明なんだよね。10月末の夕食後の時間に母の携帯から電話がかかってきた。母「びっくりしたよ。ご飯食べた後に聞いたんだけど、この施設が今日で終わりになるんだって。」私「えーーーーー????どういう意味?」母「詳しいことはわからないけど、もう、今日で終わりだから、明日迎えに来てね。」私「何も聞いてないから、迎えには行けないよ。」母「じゃ、頼むよ。」ってな事を私と兄にも話して一方的に電話を切られた。次の日、施設の介護士さんに電話すると、「利用者さん同士で会話している時に、そんなことを話す人がいるのかもしれません。」と、全くのデマだと教えてもらって、安堵。閉鎖的な空間で家族や知り合いに会えない毎日で、おかしな妄想を本当のように話す利用者さんに振り回される人もいるらしい。母はそのデマを信じているので、次の日も「まだ迎えに来ないのか?みんなと大広間で待っている。」と、さも、迎えをみんなが待っているという場面を演じている電話で、困った。母の様子はなんとなくわかるものの、やっぱり会って顔を見て話したいとずっと思っていた。「迎えに来て!」と、また言われるかもしれないし、どんな突き刺さるような言葉も受け止めるつもりだった。他の施設はすでに、面会や少しの外出も許可されているそうだけど、母がいる施設はとにかく厳しい。県の方から「新型コロナウィルス感染対策優良施設」に、認定されているというのも納得できる。厳しいと言うのは、感染対策が万全で、安心なんだけど、もどかしい面もある。11月15日に面会できるようにするかの判定をして、そこから決めるとHPに掲載されていた。市内の感染者も減り、感染者0人の日が続いて、やっと、面会できることが決まった。予約できるのは、月曜、水曜日のみ。時間も午前の数時間中の10分間だけ。土日、祝日は面会時間が設けられていない。面会者は1人だけで、予約は7日間に1回。面会許可の連絡が来て、すぐにLINEで予約がとれた。やっと、母と面会!っと、少し緊張の面持ちで施設へと向かった。受付で、検温や住所氏名なども書いて、コロナワクチン接種証明を提示する。玄関に入ってすぐの事務室の前の廊下の空きスペースが面会場所だった。大きなアクリル板が置いてあって、さらに、他の面会者さんたちと同じ空間にいる!!車椅子の母が目の前に連れてこられたものの、お互いマスクしているし、アクリル板のおかげで何言ってるかよくわかんない!!(;^ω^)筆談できるようにホワイトボードも置いてあったけど、面会しているのに、筆談ってね・・・(笑)母の小さい声が全く聞き取れないだけでなく、他の面会者さんの声が耳に入ってきて、雑音の中での面会となってしまった。母に伝えた事、聞きたい事、何も話せないまま・・・母はただただ「かゆくてかゆくて大変だ」と、訴えていた。今までも身体が乾燥して、お風呂上りにクリームをつけてたけど、施設にいたらそれも難しいのか?「かゆみ止めの薬は塗ってるの?」という、問いに何と返答したかもわからないまま・・・制限時間終了!!(@ ̄□ ̄@;)!!切ない、もどかしい、やりきれない10分間。母の「帰りたい」の言葉を聞かずに済んだのはよかったのか・・・(一一")そして、次の日の母からの電話は「かゆくて、食べたり飲んだりできない。」その次の日は「年賀状の注文をとりにきてくれたから、50枚?100枚にする?メールで連絡して。」っと。意味不明な会話だけど、電話の方がまだ聞き取れて理解できる時もある。いや、内容は理解できないけどね・・・(-_-;)次回の面会では、筆談で、〇×を出してもらうかな・・・っと計画中。(笑)
2021年11月22日
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9月~10月は体調不良が続いて、もう、胃も腸も戻らないんじゃないか?って思っていたけど、食事制限をするようになって、だいぶ落ち着いた。変ったものは食べない。たくさん食べない。冷たいものは食べない。一日1300カロリーに抑える生活を続けて、ダイエットも続投中~(^^♪やっと、腸の調子が良くなってきたので、いよいよ・・・介護施設について考えなければ!!現在、介護老人保健施設に居る母から、毎日のように「迎えに来て!!」「どこにいるかわからない!」「悲しい!」「泣きたい!」と、切ない内容の電話が来て、一方的に電話を切られてしまうのが辛かった。「わたしのことが可哀想だと思わないのか?」と、怒り口調の言葉が胸に突き刺さる。母の「家に帰りたい。早く迎えに来て!」の気持ちは変わってないのだが、自分の体調不良の連続と実兄の病気を考えると、自宅で介護は無理というより、してはいけないと思うようになった。そんな事情を母は知る由もなく、ただただ、「帰りたい。」それだけ。母と面と向かって話したいと思っても、面会もできない。オンライン面会では、声が伝わりぬくいので、会話しずらい。電話でも、長く話すことは難しい。どうやっても、私の気持ちを話すタイミングはなくて、老健生活2ヵ月半になろうとしている。果たして、事情を話したとして理解してもらうことができるか?という疑問の方が大きい。(~_~;)とりあえず、母がデイサービスでお世話になったことのある施設が「特別養護老人ホーム」でもあったので、見学の予約をお願いしてみた。我が家から車で5分くらい。一番興味を持ったのが、お部屋について。従来型個室と従来型多床室、さらにユニット??ずっと、このユニットが(。´・ω・)?なぞだった。ユニットとは、寝るお部屋は個室のように分かれているけど、日中は10人のグループで同じ空間(リビング)で過ごすそうだ。10人を数人の介護士さんで24時間(シフト勤務)介護してくれるので利用者と、より密な関係になり、ユニットの方が安心できるという利用者さんもいるそうだ。食事も利用者一人一人に合わせて刻んだりしてくれたり、その人に合わせた過ごし方を考えてくれるというのは、魅力的だと思った。従来型よりもユニット型の料金は高めになっている。コロナ禍ではあるけれど、施設の中やユニットのお部屋やお風呂まで見学させてくださってとてもありがたかった。私の質問にも全て答えてくれて、不安はかなり払拭できたような気がした。次に、「有料老人ホーム」へ行ってみた。こちらは、大きな3階建てのホテルというイメージ。入口に入ると「〇〇様」と、私宛てのウエルカムボードがあって、びっくり。(*_*;女性の館長さんが、資料を見せながら丁寧にご説明してくれた。全室個室で、150人の利用者さんが居るとのことだった。敷地内にパン工房とカフェがあって、利用者さんはそちらでコーヒーやパンをいただき、くつろげるとのこと。さすが、有料の老人ホーム!将来、介護が必要になるかもしれない元気な人も利用してるわけで、ちょっと私が訪問するのは場違いな感じもした。(^▽^;)県内から来ている人よりも東京や県外の人が多いそうだ。お値段もお高い!入居する際に費用がかかり、要介護4の母がお世話になるとしたら、毎月20万円以上かかりそうだった。年間で240万円以上をビビるような人(私)には、不向きだと思う。(^^ゞ施設の中は一切見学できず・・・中の様子はわからなかった。他にもサービス付き高齢者向け住宅やグループホーム、ケアハウス・・・色々な施設があるとわかったが、はやり、自宅から近いのが一番のような気もして、他にはまだ行けてない。それから、介護限度額認定についても、最近まで知らなかった。令和3年8月から限度額認定の申請をする際の所得状況や預貯金等の資産額が変更になった。対象者は、居住費と食費の負担が軽くなり、介護にかかる費用を抑えられるとわかった。介護の世界、まだまだわかないことがたくさんあったね。つづく♪
2021年11月20日
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施設に入るのも大変!!の巻偽痛風をきっかけに歩行困難となり入院していた実母の介護のお話。誰かのお役に立てるといいな~ってのと、将来の自分の為に残しておきます。レスパイト入院も兼ねて入院させていただいていたけど、治療方法はもうなくてあとはリハビリをして自宅に帰るか、入所できる施設をどこか探すかということになったのが7月末。いろいろ考えたけど、看護師さんからもいきなり「老人ホーム」へ行かないで、リハビリのできる施設に行ってもう一度自宅に帰るチャンスを!!ってことで、「介護老人保健施設」へ相談に行くことにした。(8月4日)施設は外部の人を完全シャットアウト。入口はテーブルでバリケードされていた。相談員さんの話を聞いて、「介護老人保健施設」のことがやっと理解できた。もう、あれこれ迷ってる時間はない!その場で申込み!!ケアマネさんがいろいろデータを揃えてくれて、入院しているソーシャルワーカーさんとも話していただいて、病院で母の現状を調査する予定になっていた。施設の相談員さん、私、看護師さんが同席するべきだったんだけど、コロナの感染拡大の影響で、「調査なし!」、電話で看護師さんに様子を聞くだけとなってしまった。調査は簡単になってしまったけど、施設側の会議の結果、入所可能となった。可能となったけど、すでに、入所待ちの人がいて、空が出たら入れるとのこと・・・。その間も、病院は母を入院させてくれて、入所できる日まで過ごせたことはありがたかった。いよいよ、入所の日が決まったものの・・・私から母に入所することを伝えるチャンスがなくて(;^_^A看護師さんにお願いして、母に自宅には帰れない旨を伝えてもらった。入所の手続きも、かなり、大変。書類へのサインや、細かい施設のルールや、母の状態・状況などを話して、3時間かかった。入所できたのは、9月4日と、相談した日から1か月後となった。母と久しぶりに会えたのは、施設に入る日、つまり退院の日の朝。退院の手続きや支払いなどを済ませ、母を車に乗せて自宅の前まで向かう。コロナの関係で、病院から施設に直接入所することが条件だったけど、「家に帰りたい」と強く望んでいた母の為に見慣れた自宅の景色を見せてあげることにした。(ここまでは許可が出た)わずか、数分だったけど、自宅の前を通り、急いで施設に向かった。施設が見えてきたら母は「考えれば考えるほど、辛い」と言って泣いた。ここで私が泣いたら意味がない。母のこれからを思えば、施設でしっかり介護が受けれるしリハビリを頑張ることで、生きる意欲や希望を持ってほしいと思って、気丈にふるまった。いや、少し強い口調で話していた。なぜか、一緒に車に乗っていた兄に対しては「お母さんにはもう、頼れないから一人でもガンバレ」と声をかけていたが、私には何にもなかった・・・(;^_^A施設に入るための行動をしていたのは、娘の私。母にとっては、家に帰りたいのに、帰してもらえないことになったのだから、ヒドイ娘には何の言葉もなかったのかも・・・。施設入所に至るまで、どれだけ大変だったかなんて、母は知る由もない。施設に着いても声をあげて泣いている母。私は最後の最後まで、しんみりする空気を作りたくなかった。母も私も、家族みんなが安心して、暮らせるための第一歩だと心に言い聞かせて母と別れた。とにかくツライ時間だった。この後も、ずっと私は辛くて、何とも言えない感情で過ごした。母が入所して2日後には、自宅を施設の相談員さんとリハビリの担当者が調査にきてくれた。自宅での過ごし方を知って、どのようなリハビリが必要か?自宅復帰を目指して、何をするべきなのか?リハビリ計画を立ててくれることになった。家に帰れるか?帰れないか?リハビリ強化が3ヶ月。3ヶ月後には、自宅か?別の施設か?またまた、悩むことになる。そう、老健とは、ずっと居られない場所なのだ。少し心が軽くなったけど、悩みは尽きることがない。施設には洗濯物を取りに行ったり、届けたりできるけど、面会は一切なし。オンライン面会と、介護士さんを窓口にして電話で少しだけなら話ができる。母が持ち込んだ携帯電話からは一度も連絡が来ることはない。私から施設経由で電話しても、会話があまり続かない。それは、今の生活に満足してくれているのか?慣れてくれたのか?面会して面と向かって話せないというのは、本当にもどかしい。ここまでなんとか、頑張ってきたけど・・・私にはさらなる、色々な事件が巻き起こる。(?_?)
2021年09月11日
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前回からずーっと続き♪現在、実家で一人暮らしの母は「レスパイト入院」中・・・介護生活から解放されてもうすぐ1カ月。最初の1週間はずっと溜まっていた疲れがダラダラと出て(笑)スッキリしない感じだった。毎朝、時間に追われ、早く実家へ行かなくちゃ!っと母の心配をすることから始まり、母が調子良いと仕事に行けるし、ダメな日は遅刻したり、お休みしたり・・・自分のことはいつも後回しするしかなくて、母のスケジュールが最優先。24時間、母のコトで、心も身体も支配されていた。ゆっくりとか、のんびりとか、趣味で〇〇するとか、そんな事、私の辞書から消え去った!不安と不満だけがフツフツと湧き出る日々に気が遠くなることもあった。だけど、今は、ちょっとのんびりしてもイイ?ゆっくり、本を読んでもイイの?そんなことしたら、何か悪い事でも起きるんじゃないか?って、思ったり・・・普通の生活を送ることができているって、なんて幸せなんだ!!って気づかされた。介護を通じてたくさんの学びがあった。いや、母の前に父のがん闘病もかなり貴重な経験ができた。気付けば、父、母・・・今は兄も少し混ざってきて、みんなのおかげで色んなことを知った。母とは一緒に笑ったり、喜んだり、運動したり、歌ったり・・・母のおかげで、色々な人と知り合えて、楽しいこともいっぱいあった。親子の時間をたくさん作ることができた事は、本当にありがたい。親とゆっくり過ごす時間って、結婚してしまうと持てなくなりそうだけど、私は結婚して子供に恵まれてからの方が断然多くなった。特に、介護生活の中で自分の親のことを改めてではなく、新鮮に知った!母は穏やかで優しい。そして、弱い。気持ちが弱いから、無理して大変なことはやらない。辛いリハビリもできることならやりたくなかった。末っ子の甘えん坊で、みんなに甘やかされて大切に育てられた。何でも周りの人がやってくれたので、(良く言えば)お嬢様気質。(;^_^A専業主婦の人が世間知らずとは言わないけど、母は色んなことを知らなかったなぁ。でも、ご近所に友達がいて、毎日のように遊びにくてくれて、よくしてくれて幸せ者だった。私は、母に叱られた記憶も何かを強制されたこともない。「勉強しなさい」だとか、「片付けなさい」とか、「もっと〇〇しなさい」とか、一度も言われないで、大人になった!(笑)自由奔放の放任主義?で、幸せだった。(それが良かったのかどうかは別として・・・)時々、この人に育てられたのが信じられないって思う時もあったり・・・。母とは、全く違う人生を送ってきたので、お互い分かり合えないことも多かった。母の性格や考え方が今になってようやくわかって、ビックリの連続だった。私をずっと苦しめているのは「娘が親の介護を最期までするのは当たり前」という、母の考え。そうしてあげらえない自分は”親不孝”なんだろうか・・・?っと、今も責められている気がしている。だけど!在宅介護の限界はやってくる。母ともっと一緒に過ごしたいという気持ちを超えて、もう無理だ~っと大きなため息が増えていく、身体中の細胞が良くない分裂をして、いつか、自分は壊れるのではないかと不安になり、いっそのこと病気になって倒れたらどうなるんだろう?とネガティブな発想にもなった。共倒れになってどうする?もう充分頑張ったから休んだ方がイイと、一番近くで私を見守ってくれて、家事をやってくれ、支えてくれたのはかみさん(夫)だった。もう一人、偶然見つけた!吉田潮さん!フリーライター吉田潮さんの「親の介護をしないとダメですか?」の著書をが私を救ってくれた。そう、そう考えてもいいのね?そう、考えたい!わかる!わかる!!そして、吉田潮さんのように、ブログに書き留めておこうと思った。もしかしたら、自分のブログが誰かの参考になったり、誰かの心を軽くするかもしれない。何にも役に立たないかもしれないけど、いつか、自分の為にもなるはずだから。(;^ω^)今日、2021年8月15日は、母の82歳の誕生日。「お誕生日おめでとう!」初めて、病院で迎える誕生日は寂しくて悲しいと思う。(>_<)
2021年08月15日
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前回のつづき♪要介護の母が「偽痛風」と診断され、立つことも歩くこともできなくなり、「レスパイト入院」をさせてもらった。入院して10日経過した頃に、病院から連絡があり母のリハビリの成果を見せてもらえることになった。認知症になっていたら???と心配になったが、母はまだ正常だった。(^▽^;)確かに、入院する前よりは少し動きがよくなってきている。ギリギリ、何かにつかまってなら立っていられる。歩行も見守りがあれば少しはできるかもしれないけど、シルバーカーや杖を使っての歩行はもう困難。歩行中もフラフラで転倒の危険性が大だった。今まで通り自宅で過ごすには常に誰かが側に着いていないと危ないし、不安がつきまとう。先生の見解は「偽痛風」はこれ以上治療法はない。もう、いつでも退院して良いので、これからどう過ごすのか、方向性を決めてくださいと言われる。(;^ω^) その方向性を決めていくのが難しい。看護師さんからは、ショートステイを繋いで、自宅に週に2日だけでも居られるプランはどうかと提案される。母の気持ちもわかってくれている看護師さんなので、1カ月だけでもいいので、自宅に帰らせてあげたい!っとお願いされた。母は善い人達と出会って本当に幸せだと思った。ショートステイを繋ぐとはどういうことかというと・・・例えば日曜日~木曜日まで4泊5日をショートステイ木曜日の夕方~金、土曜日は自宅でごすということで、自宅と施設を行ったり来たりしながら介護する人の負担を減らし、本人も数日は自宅で過ごせるので納得できるのでは?ということだった。そんな事ができるのか???ケアマネさんに相談すると、一度もショートステイを利用したことがない施設を毎週のように利用することは、難しい。コロナ禍で受け入れる施設も慎重になっているそうだ。こちらの希望する条件の施設を探すまで時間かかるし、ショートステイの本来の利用方法は一時的なものであるから、無理なお願いをすることになるのかとも思った。じっくり考えて検討するには、時間がない!そして、ケアマネさんも介護の経験者であるので、これからは優先すべきは「介護をする人」と言ってくださった。そこで、老健(介護老人保健施設)への入所を提案される。老健とは、介護保険が適用されるかごサービスで、在宅への復帰を目指して、機能回復訓練をする施設。入所期間は3ヶ月~6ヶ月となる。む・・・・(=_=)デイケアサービスでお世話になっていた施設へ相談に行ってみる。一番びっくりしたのは、個室は20万円以上!(@_@;)老健のなぞを色々教えてもらった。老人ホームと老健の違いがやっとわかってきた。(笑)この数年で介護について、すんごい勉強(実体験)してるぞー!介護の世界は複雑で、変化し続けている。それを把握しているケアマネさんは本当に”神”だわ。!(^^)!でも、老健に入所したら今までお世話になってきたケアマネさんとのお付き合いが終わるという事でもある。病院を退院してしまうとお世話になてきた看護師さんともお別れ。私の悩みや苦悩をいつも聞いてもらい、相談に乗ってくれたチームが解散!!o(T◇T)oオェェーン すごい心細いんですけど???(T_T)ポツンと取り残される気分で老健の申込書を記入。(一一")母の気持ちを考えると揺れるし、自宅で介護できないことに罪悪感もある。毎日、毎日、モヤモヤする。(*´з`)その間に、兄が二度目の「尿管結石」手術のため入院。前回のこともあり、手術中は私が病院に待機して、急変に備えることになった。母と兄は同じ病院で、母が4階、兄は3階。母と兄は同じ建物で階が違うだけなのに、会うことはできないのがコロナ禍のツライところ。兄の手術が無事に終わって、結石が砕かれて摘出された。今後は、機能停止中で、結石がのめり込んで大変なことになっているもう片方の腎臓をどうするのか?そっちの手術の方が大変だ!!!( ̄▽ ̄)2人の病院へ行ったり、介護施設へ行ったり、ケアマネさんと相談したり・・・母が入院していても、心は落ち着かないってのに、母からの(携帯)電話が追い打ちをかける。真夜中、早朝、母がわけわからない状況になると「ここはどこ?」「連れ去られた」「誰か助けて!」の連続攻撃!!ナースコールを押さないで、やって欲しいことを連絡してくるって、なんと遠回しなナースコール!(;^_^Aおまけに、愛犬カレンも腎臓が悪くて、通院しなければならないし、顔中に広がった炎症ニキビが悪化した息子も通院になり、毎日心配が絶えないっつーの。( ;∀;)つづく♪
2021年08月13日
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前回のつづき♪母の介護に、兄の病気がプラスされ、ギプアップ!!寸前 (/ω\)これから、何回入退院を繰り返すかわからない兄のことで、気持ちがザワザワ。その前に私が病気になったら、母のことも、兄のこともどうにもできない。私だけでなく私の家族に何かあったら、このギリギリの介護生活もできなくなる。って、ことで、ケアマネさんや訪問看護の看護師さんに「ショートステイ」を勧められた。ショートステイとは、介護施設で一時的に宿泊し介護サービスを利用できるというもの。私の「もしも・・・」の時に備えるつもりで、母に「ショートステイ」のお泊り練習を提案した。訪問看護師さんと一緒にざっくばらんに話していたら、母が突然、猛烈な拒絶反応を起こした。「施設に行く」「施設に泊まる」そんな言葉が耳に入ったら、全身で受け入れない体制!!(@ ̄□ ̄@;)!!まぁ、すごいことになった。もう、何を言っても聞く耳なし。(>_<)母に対して今までこんな気持ちを持ったことないけど、もう、心穏やかでいられなくなっていた。聞き捨てならないひどい言葉を浴びせられ、我慢できなくなって私の何かがプチンっと切れた。Σ( ̄□ ̄|||)何が何でも自宅にいたいという気持ちだけを優先されて、参った。(T_T)そんなぁ~(ToT)なんだか、もう泣けた。私は不死身じゃないっつーの。(≧◇≦)そこで、兄が病気で入院して生死をさまよう大変なことがあったと話し、私は1人しかいないのだから、2人が同時に具合悪くなったら、どうする??と話すと少し理解できたらしい。兄も母に事情を話して、母がやっと聞く耳を持ち、冷静になって「ショートステイ」を(仕方なく)受け入れた。そこまでこぎつけて、ショートステイの手続きを進めていたのに、「偽痛風」となり、もっと歩けなくなる・・・(>_<)もう、自宅での介護は難しいと看護師さんが入院を勧めてくれた。母の膝の痛みを軽減するのとリハビリが目的だったけど、私の介護休暇も考慮。「レスパイト入院」って、知らなかった。最長で60日以内で、医療処置が必要な人のショートステイ利用。施設に入所できるまでの入院ということでも利用できるとわかった。母が自宅で過ごしたい気持ちは十分わかっている。病院へ連れて行くのは可哀想なんだけど、歩けない人を動かすのはすごい労力が必要。無理やり母を動かしていたので私の身体は筋肉痛!!さらに腰痛になる予感・・・。素人の私にはもう無理だと看護師さんがわかってくれて、助かった。母が入院し、帰宅した私はものすごい脱力感で起きていられなかった。何カ月も気持ちが張り詰めていたので、ピンっと張っていた糸が緩んで、疲労困憊。自分の代わりがどこにもいないという、プレッシャーとストレス。ケアマネさん、看護師さん、友達、職場の人、近所の人、家族、みんなに助けてもらったけどやっぱり、介護は孤独でツライことがたくさんあった。そして、「子供は親の介護をするのが当たり前」という考え方が私を苦しめる。もちろん限界まで頑張りたい。それでも限界はあるよ。(=_=)つづく♪
2021年08月12日
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前回のつづき♪母はワクチン接種2回目の副反応で便が緩み、倦怠感で歩くのがまた大変な感じになってしまった。そんな最中、入院している兄の容体が急変し、どうなってしまうのだろう・・・?近所に住んでいる兄は未婚で一人暮らし。万が一の時、誰に連絡すべきなのか?マンションのローンはどうする?などなど、兄のことを全く知らない妹は、落ち着いてはいられない。きっかけは、高熱と腹部の激痛で病院へ行ったそうだ。「尿管結石」→「即入院」と言われたのに、「自宅に帰る」という、選択をしてしまったから、さぁ大変。(ToT)/40度も熱があるのに、帰ってきてきた???なぜ、そのまま入院しない??入院の準備もあったし、用事があったというが、命より大切な用事などない!結局、3日も40度の熱と激痛に耐えた末の入院となった。手術は尿管の石を砕くだけのはずだったのに、砕く前に尿管にステントを入れて尿の通り道を作ることになった。それ自体は難しい手術ではなかったのに、夕方、急に肺が機能しなくなってしまった。肺が機能しない=脳に酸素が行かない ・・・・→ 麻酔して人工呼吸器挿管の流れ。人工呼吸器を使用する時は家族の許可が必要だったので、私が呼び出されたということだった。40度の熱と激痛で体力が落ちていたところに、日常的な喫煙でダメージを受けていた肺が悲鳴をあげたのではないの?っと、思わざるおえない。入院するまでの流れ、さらに、今までヘビースモーカーだったことも要因だと思うと、モヤモヤする。兄の病状を先生から教えてもらって、レントゲンを見せてもらって絶句!左の腎臓付近に見える結石?これは何かのボール?ピンポン玉みたいなのが3個見えるんですけど??先生が「こっちの腎臓は死んでるかも」って。えーーーー!(@ ̄□ ̄@;)!!素人の私でも、正常じゃないってわかるよ。やっと、機能してた左の腎臓の尿管に詰まっている結石は小さいものだった。こんなにちっこい石で高熱が出てるの?機能していない腎臓は何も訴えなかったのか?色々わからないことだらけで、とても危険な状態だとわかったけど、一人暮らしの母の介護のために帰らねばならなかった。何も知らない(兄は元気に会社へ行っていると思っている)母には、何も言わず過ごすのが辛かった。母に話してもただ心配するだけで、プラス二なることは思いつかなかった。そして、手術から3日後に兄の人工呼吸器が外れて意識が戻ったと連絡があって、本人の声を聞いたときは泣けた。そして、心配し過ぎて、怒りが込み上げてきた。(;^ω^)兄は奇跡的に回復したので、同じ棟の患者さん、看護師さんも目を丸くしたそうだ。(@_@;)本当に無事に生還できてよかった。そんな事があったことも母にはまだ言えなくて、兄が退院して元気な姿を見せられる時に話そうと思っていた。つづく♪
2021年07月17日
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介護生活一時休止中~真っ只中の時はブログは書けないものですな。(^▽^;)6月初旬まで、朝7時前に実家へ行き母の着替え、排泄、食事の世話まで1時間でミッションクリアだったのに・・・(。´・ω・)?朝7時に実家へ行くという事は、すでに仕事へ行ける(外出できる)自分になっているってこと。そのためには、化粧はもちろんしない。(これは、30歳の誕生日からやめた)一番煩わらしいのが、寝ぐせの髪を直すこと!!もう、これに時間とられるのがもったいない。ってことで、初の「縮毛矯正」を経験したら、もう、やめられない!!朝起きて、ササっと手ぐしだけで、終了!寝ぐせとは無縁になれるなんて幸せ。(^^♪寝ぐせなしの生活になって5分は節約できて、さらに以前より10分早起きして、15分の余裕が嬉しい。6月の終わりくらいから、母が「膝が痛い」と言い始めた。時には胸が苦しい。あごが外れて痛い。巻き爪で指が痛い。などなど、毎日のように色々あってその都度、なんとか対処してきたけど、膝が痛いのは一番困る。歩けないのがとにかく困る。ケアマネさんに相談して、すぐに福祉用具の担当者さんに来てもらい、母が椅子から立ち上がる所からトイレにいくまでの廊下に(簡単に移動できるタイプの)手すりを3つ増設してもらった。気付いたのは、シルバーカーで歩けるってまだまだぜんぜん歩ける!ってこと!!母はシルバーカーを押して歩くことはもうできなくなってきていた。手すりにつかまって歩くのもかなり時間かかるので、右手は手すり、左手はシルバカーを押してどうにかこうにか、廊下を進み、カメとどっちが速い?? (>_<)運動不足で腸が動かないせいで、排便も出にくくなり、1週間便秘になることも当たり前。便意問題も大変で、出たいけど、便座に座ると出ない。出ないからトイレから出ると、やっぱり出たい。トイレに座ったり、立ったり、部屋に戻ったらすぐにトイレに行きたくなったり・・・と、そんな事を半日やっていたら、私も優しい心で居られなくなりそうだった。週に2回のデイケアサービスに行く日の朝にも排便ができないと「行きたくない」となってしまうので、お迎えが来るまで時計とにらめっこしながら、母の排便をアシスト!肛門にシャワーを当ててみたり、指で刺激してみたり、狭いトイレの中で汗だくになり母の排便と闘う私。ツルっと出た朝は、母と手を取り合って喜んだ。(笑)どんな達成感??(^o^)今まで1時間で終わっていた朝の世話が終わらなくなってしまった7月。病院に行きたくないと拒絶されていたが、いよいよ、膝の痛みが強くなって、かかりつけの病院の整形外科へ母を連れて行くことになった。先生の診断は「偽痛風」「ぎつうふう?」って?痛風ではないけど、痛風のような痛みがある関節炎のようで、痛み止めの注射をしてもらってきた。湿布を貼って、痛み止めを飲んで様子をみることになった。が、痛み止めがあまり効いていないようで、歩くのがツライというので、トイレに間に合わないときの為に、いつもより多めに吸収できる尿取りパッドをセット。紙パンツの中にパッドが2枚、もう、お尻だけがパンパンになっていた。トイレに行くのが大変だからトイレに行かないと、ますます歩けなくなる。どんなに痛くても、遅くても、トイレまで頑張るのがリハビリだと思って、毎日トイレに行くことだけを目標に歩いてもらうことにしていた。そのトイレへのリハビリも一人では難しくなって、1時間半おきに母をトイレに連れて行かねばならなくなった。昨年の秋から、一日中、母の排泄、食事などの世話で、自分の時間は仕事に行ってる時と母を寝かせてからの数時間となっていた。毎日「自由な時間が欲しい」「ゆっくり食べたい」「ゆっくり寝たい」そんな欲求が沸いてしまう。でも、母の日常をスムーズにするためには、自分の時間を削るしかなかった。私が追い込まれていく理由が、他にもあって、遡ること6月初旬のこと。兄の病気が発覚した。1週間で退院できると言って、気軽に入院して手術を受けた兄が生死をさまよう事態になってしまい、病院からすぐに来てくださいと緊急呼び出しが来た。母には、まさか兄が危ない状態になっているとは言えず、母には内緒で兄のいる病院へ向かう。一人暮らしの兄の容体が急変すると、もれなく呼ばれるのは妹の私。もうダメかも・・・っという空気を感じつつ、とりあえず、兄の会社名だけはわかっていたので、会社の方に事情を説明し、目覚めることだけを祈って母の介護を続けていた。兄のことを何も知らない私は、もしこのまま目覚めなかったら、どうしよう???っとますます寝不足になった。重なる時は、重なる。兄が人工呼吸器で過ごしている病院へ母をコロナワクチン接種に連れて行くのもしんどかった。母の2回目のワクチン接種の後、便が緩くなり「う~もうどうにもとまらない~」(◎_◎;)熱は出なかったけど、倦怠感と軟便で、これまた大変!一日中、母のお尻を拭くことになってしまった。出ないもの困るけど、出続けるのも困る。母の介護と、兄の心配で、6月は辛かったな~('Д')つづく♪
2021年07月16日
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介護生活に欠かせなくなるトイレ問題・・・ やっと、紙おむつの種類が理解できるようになってきた。(笑) 在宅介護をする人と少しでも情報共有できるように~!(^^)! 2020年9月に歩行困難で入院した母は現在要介護4 母が一人でできることは〇自分でトイレに行く。 〇自分で食べる。 この二つができればなんとか自宅で過ごせるとわかった。 では、介護4の母が日常どうやってトイレに行っているかというと 居間からトイレまでが意外と遠い。(^▽^;) 廊下の壁に手すりを取り付けてあるのだけど、ここはシルバーカー(押し車)で通過してしまう。 入院する前までは母が物干し竿のように使っていた。(現在は洗濯物を干すことはできず・・・) トイレが近くなると、シルバーカーを止めて、設置するタイプの手すりにつかまって横歩き。 廊下の真ん中をふさぐように設置してあるので、私が廊下の向こうへ行く時は 隙間をすり抜けるしかない。(^^; そして、右側にトイレがあるのだけど、トイレのドアは開けっぱなし。(^^; 常にオープンドア!!(気づけば私自身もオープンのまま)トイレの中も便座まで手すりが付けてあり、便座にも両脇にフレーム型の手すりを固定してあるので、手放しで歩くことはなし。 掴まる箇所はたくさんあるのだけど、トイレまで行くのにカメの歩みだから時間がかかるかかる。 それでもまだトイレに行ってズボンを下げて、便座に座ることができるって素晴らしい。 ちなみに、ポータルブルトイレもあるのだけど、便座の高さが合わなくて使ってない。 便座の高さも重要で、高さによっては座るのが怖かったり、座れるけど立てなくなったり、微妙な違いで使えないという繊細な問題がたくさんある。 母がトイレに入ってる風景は、お茶を飲んだり、ご飯を食べてるのを見るのと同じで、全部完了するまで見守るのが日常となっている。(笑) で、前から拭くのか?後ろから拭くのか?問題が勃発して、母は前で私は後ろという事が判明して、色々な人にアンケートをとって、論争が繰り広げられた。!(^^)! 本人がちゃんと拭けない場合は、「流せるタイプのおしりふき」を大活躍させて拭き拭き! 流せる、流せないでお値段は違うけど、流せた方がとっても便利~!(^^)! ってことで、昼間はトイレに行っているのだけど、問題は夜中。 母はこのトイレに一番近い場所・・・一般的にリビングっていうのか?客間っていうのか?とにかく、ソファーが並んでいるのに、介護用ベットも置いてあって、母にとっては寝室となっている。 ベットから起き上がって、廊下を横切るとトイレに入れるようになっていてるが夜中は行けない。 入院前は夜中に3回くらい行っていたけど、それは危険!ってことで 就寝中は紙おむつをすることになった。 あ、昼間も紙製のリハビリパンツを使っているので布製のパンツはもう履いていない。 まずは、夜の紙おむつ 左が夜用のおしっこ10回分吸収!って書いてある大きなパッド。 こちらは、厚みがあって使用している本人はかなり股下がもたついてしまう。 中古品を販売しているハードオフで1,000円でお試しで買ってみたんだった。 右はお腹をベルトでしっかり留めて赤ちゃんの布おむつような要領?いわゆるフンドシみたいに使うタイプ。薄いのに、安心設計なのが素晴らしい。 こちらはSサイズを使用していたが、最近、お腹に巻くベルトがきつくなったのでMサイズを購入。 TENA フレックスマキシ M 22枚 1袋 病院で使われてるもので、通販でないと購入できない。 紙おむつとしてはお高いのだけど、漏れる心配がかなり少ない。 この紙おむつの上にさらにリハビリパンツを履いて、3カ月間で漏れてしまったのは2回だけ。 (^^; 万が一のためには、シーツの下には防水シートを敷いておかねばなのだ。 防水シートは紙製と布製の両方を買ってみたけど、断然紙製の使い捨ての方が便利! これがリハビリパンツで、左がM~Lサイズ。 右はL~LLサイズとなっている。 体重37キロで退院して、現在43キロにまで増えた母はL~LLサイズを使用している。 リハビリパンツの中に必ずパッドを装着するので、大きめサイズの方がよい。 で、こちらが尿取りパッド アテント紙パンツ用尿取りパッド(2回吸収) 色々使ってみたけど、リハビリパンツの中に敷いて使う尿取りパッドはこれが一番使いやすい。 前後にあるズレ止めテープと脚まわりの安心立体ギャザーが素晴らしい。 ズレ止めテープと言っても粘着力あるものではないので貼り付いてしまうこともない。 少量の漏れならばパッドを交換するだけで済むので、装着しやすくて、着脱しやすいのがベスト! 同じアテントのパッドでもう少し大きいのもあるが、2回吸収タイプがサイズ的にも使いやすいと思う。 母が要介護1→要介護4になったことで、ショックを受けていたが、 民生委員さんに相談して、申請書を社会福祉協議会に提出すると、紙パンツやパッドを支給していただけることになった。 1カ月分の紙おむつを自宅に届けてくれるので助かっている。 それでも、使いやすい製品を求めてついつい紙おむつコーナーで立ち止まってしまうのよね。(≧◇≦) トイレ問題がスムーズだと介護の負担も楽になる~ あとは、出たり出なかったり、漏れたり、出すぎたり・・・毎日、色々ある。 トラブルをいかに最小限にするか、それが私の毎日の課題でもある。(^^; つづく♪
2021年02月02日
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実家の母の介護生活について (覚え書き)歩行困難となって、50日間の入院生活でリハビリを頑張っていた母。2020年10月26日退院し、現在は一人暮らし。朝、7時に実家へ自転車でε≡≡ヘ( ´Д`)ノ ダッシュ!母を起こして着替えさせて、紙おむつを外して、トイレに連れて行く。ベッドはトイレの目の前の部屋で、歩いて(普通の人なら)3歩くらいのところにあり。トイレまで手すりを設置したので、1週間くらいすると自分で紙おむつを外して、自力でトイレに行っていたのにはびっくり。Σ(・ω・ノ)ノ!居間の椅子に座ったら、顔をホットタオル(濡らしたタオルを電子レンジで1分温める)で、拭いてスッキリ。体をすっぽり隠すくらい大きな前掛けをして、すくい易くこぼれないスプーンと箸で自力で朝食を食べる。朝昼夜と必ず飲んでいるのは1箱で200カロリー摂取できる栄養成分が豊富な森永の「クリミール」。退院時37キロまで落ちた体重が1カ月後に40キロ以上に増加。1日600カロリーの飲む栄養は大きい。病院から処方されている薬を飲んで、歯磨き、トイレを見守りで済ませる。鏡を見ながら髪をとかして、身支度を整える。*薬は1包にまとまっていないので、自分で薬を毎日準備している。→これも脳トレ。朝の準備で大切なこと。その1 着替え当たり前だけどちゃんと着替えて、清潔な洋服を着ること。入院する前は、普段着ている洋服のまま寝て、次の日も同じ。2.3日は同じ服を着ていた。それは、着替えるのが面倒だったから!!これは、かなりよくない習慣だった。(;^_^A着替えるという一連の動作は、自然とリハビリになっていたのに。日常使わない腕や足の動き、全身を動かして、簡単な柔軟体操ができることに気付かなかった。母がいつしか着替えるのに時間がかかるので、毎日の着替えをやめてしまっていたのを黙認していた私。(反省)着替えるのが楽しくなるように、母の好きな色の洋服やズボンを新調♪その2 食事毎朝きちんと食べること。準備するのがだんだん面倒になっていた母は、パン1個とか、おにぎり1個で朝食を済ませていた。水分もお茶を飲む程度で、朝の栄養がかなり不足している状態で1日がスタートしていた。現在の朝食は野菜の煮物などを中心にご飯、パン、果物、納豆を食べて、昼と夜は配食サービスを利用している。その3 排泄と歯磨きの習慣。毎朝、排便がないのがあたりまえで、1週間便秘とういうのがずっと続いていた。出ても出なくても朝はトイレに行ってみる。そして、3日以上出ない場合は処方されている下剤を飲むようにして、排泄コントロールをする。これって、とっても大切。歯磨きも本人任せにしていたので、したり、しなかったり。歯磨きの後、歯周病・口臭予防の液体でうがいをして、さっぱりするようにした。お腹も口の中もスッキリすると気持ちいい。朝のリズムってとても重要で、特に排泄がうまくできると1日の始まりがスムーズ。起床から着替え、食事、トイレ、歯磨きまで2時間くらいかかっていたのが、1カ月後には1時間でできるようになった。母が着替えや部屋のカーテンを開けたりと、できることを少しずつやる気になってきたのも大きい。出来た時には、母を褒める褒める!!すごい! すごい! できるようになってえらい!褒められて嬉しいのは子供も大人も同じ? (^_^)1カ月過ぎたころ・・・朝だけでなく、夜も着替えができるようになり、母のできることが増えると私の負担も軽減されて、嬉しくなってきた。要介護4ながら、なんとか、日常生活が自宅ですごせている!!\(^o^)/では、要介護4の母が日常どうやって1人で暮らしているか?〇 週2で訪問リハビリをお願いしている。入院している時にお世話になった理学療法士さんが来て家でリハビリ(40分)する。ベッドから立ち上がる、椅子から立ち上がる動作を確認してもらう。ただし、昨日できたことが突然できなくなることもある。その日の体調で、できることが変わってしまうと、だんだん気が付いた。(^▽^;)調子が良いとシルバカーで外へ出ることができるようになった。家の中と外を歩くのでは感じがまた違って、外を歩けると嬉しい。(^^♪訪問リハビリは3ヶ月の期限付きで、ある程度できるようになったら卒業となる。〇 週2で訪問看護をお願いしている。父が闘病している頃からのお付き合いで、ずっと来てもらっているかかりつけの病院の看護師さん。母にとっては、娘のように何でも話せて、頼りになる存在。主に自宅のお風呂に入れてもらう。お風呂の洗い場に介護用の椅子を置いて、浴槽にも介護用の台、滑らないマットを敷いてなんとか入っている。自宅のお風呂に入れるって幸せ。他にも体の状態を常に観察してもらっているので、とにかく安心。〇 週2で通所のリハビリ施設へ行っている。1日のリハビリプログラムが決まっていて、階段の上り下りやマシンを使ったトレーニング。家ではなかなかできない内容でとても充実している。クラブ活動もあって、手芸クラブや音読クラブなど、その人の趣味に合わせて楽しく過ごせるレクレーションもある。母は音読クラブで、文字を読み、声に出すというのもとても大切。他には、コップに洗濯ばさみを100個付けるというゲームをやったそうだ。洗濯ばさみを100個付けて、100個外すというのは、指のリハビリに最適。リハビリは楽しみながら、達成感を感じながら進めることが大事なんだな~って思った。家で過ごすために重要なのは「自分で食べる」、「トイレに行ける」この2つだけ。これをちゃんとできるようにする為には、とにかく気持ちを前向きにすること!できることは、自分でやれるように、できたら、一緒に喜ぶこと!だと思う。次に、紙おむつと配食サービスについて・・・またいつか♪
2020年12月12日
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9月7日の早朝、実家(自転車で2分)の母がトイレに行けなくなった。Σ(゚д゚lll)ガーン全てはコロナのせい???デイサービスに週1日行っていたのに、一時お休みとなって・・・その後、再開したけど1日中、マスクをつけたまま過ごすのに抵抗があると拒み続けて半年・・・母が椅子から立ち上がれない!歩行できない!つまり、トイレに行けない! (>_<)6月くらいからどんどんできることが減って、ご飯の準備もやらなくなってしまった。朝、母のところへ行って朝ご飯を準備して、昼間は宅配弁当を配達してもらい、夜はまた私が準備するようになってしまったのもよくなかった??食べる・トイレに行くの2つができるので、なんとか一人で暮らせていたけれどトイレに行けなくなったら、もうどうにもオテアゲ状態となった。 (T_T)頭を抱える私・・・o(T◇T)oかかりつけの病院へε≡≡ヘ( ´Д`)ノ 気持ちはダッシュ!歩けない母を車の乗せようとしたらお隣の方が来てくれて、2人でなんとか抱きかかえて車に乗せる。お隣さんはめっちゃ善い人で、病院に着いて母を車椅子に乗せる所まで付き合ってくれた。(;O;)訪問看護でお世話になっている看護師さんへメールを送って、事情を話すとすぐに外来の待合室にきてくださった。内科の主治医の先生に診てもらって、レントゲンやら血液検査の結果、特に異常なし。足がパンパンにむくんでいるののも、病気ではなくて、長時間座って歩いていないのが原因??このままでは自宅に帰れないと困っている私の気持ちを察してくれて、入院することになった。入院してリハビリ開始!!が、またコロナのおかげで面会禁止!もう、母の様子がわからないのでもどかしい。携帯電話が使用できる個室にしてもらて、時々電話越しに母の「帰りたい」「ツライ」「寂しい」の言葉を聞いていると、胸が痛くて、こっちも辛くなる。(=_=)入院して2週間くらい経過して、介護認定の区分変更の申請をお願いした。病院まで調査員の方に来ていただいたところ、1カ月後に要介護1→要介護4と認定された。要介護4とはね~ Σ( ̄□ ̄|||)歩くことができない母とどうやって向き合っていけばよいか、悶々と過ごしていた。リハビリを頑張って少しずつ動けるようになったところで、一時帰宅の許可が出て帰ってきた。これから自宅でどのように過ごすのが良いか、リハビリの先生(理学療法士さん)、看護師、ケアマネージャーさん、福祉用具専門相談員さんの方4人が来てくださった。なんと、ありがたいことか!!日本の社会福祉は素晴らしい!!と、感動してしまった。ベッドの位置や、トイレまでの動線など考えて、自宅で過ごすことを目標にしようと決まった。が、退院して自宅に帰ってきても、今までのように過ごしていたのではまた歩けなくなる!!そこで、次の手段は・・・リハビリをどうするか?リハビリ施設の見学へ~ε≡≡ヘ( ´Д`)ノケアマネさんに5か所の施設を紹介していただいて、3か所に電話して見学の予約を入れた。まずは私が見学して、母が気になるだろうと思うことを質問しまくった。気になる問題がクリアとなった2つの施設に絞って、母と一緒に見学に行った。これを退院後にやったのでは遅すぎる。入院中に一時外出をして、見学しておけば、手続きがスムーズに進み、退院後にすぐに通所できるようになるはず!病院の看護師さん、ソーシャルワーカーさん、ケアマネさんと連絡を取り合って、走り抜けた1カ月。ついに、週2回の訪問リハビリ、週2回の訪問介護、週2回の通所リハビリの日程が決まったので、母の退院の日も見えて来た。悩むより動く。不安になるなら動く。助けてくれるすべての人に力を借りて、自分でできることはすべてやった。入院から50日後、やっと、母が退院して自宅に戻った。そして、母の介護生活が始まった・・・今までよくわかっていなかった紙おむつ、紙パンツ、紙パッドの区別がやっとわかった!!介護は無理なくというけど、最初は無理しないとできない。その無理が無理じゃなくて自然にできるようになるまでは、介護される側もする側も努力が必要だと思う。介護生活はつづく♪
2020年12月07日
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