まきちゃん@全羅北道.扶安の日記。

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ホーバクの思い出・3


私と健作さんはもしかして妊娠?と思い始めた。



何時病院に行って確かめるか?と言うことばかりが頭にあった。
一応、2週間以上高温期が続いたら病院に行こうと思って様子を見ていた。



その間もシオモニにはちょくちょくいびられていたが。



1998年、7月23日。妊娠検査薬を試してみる。
午前3時に試して、それから眠れなくなってしまった。陽性反応が出たからだ。
次の日、病院に行って本当に妊娠したのかを確かめに行った。



そのとき6週。
ただ心配なのはちょっと出血があり、いわゆる切迫流産だと言うのだ。
絶対安静だと病院の先生に言われた。



それをそのごとく、シオモニに告げたのだが・・・。



シオモニは亡くなった子供は多いが、早産流産の経験はない。
だから、切迫流産と言うものが分からない。



怠け者の病気だと言うふうにしか思ってくれない。
ベッドに横になっていると、叱られる。



その当時はガラス窓のない昔ながらの韓屋に住んでいたので、昼間も電気をつけなければならない。
ベッドに横になり、本を読もうと電気をつけると怒られる。
本を読もうとする事自体がシオモニには癪に障ったらしい。



「お前は学校の先生でもあるまいし!」
怒鳴りつけられた。



ツワリも本格的になってきた。
もう、韓国食は食べられない。
冷蔵庫を開けるだけで、吐き気を催す。
それで日本の実家から、食べられそうなものを送ってもらった。
それがまた、シオモニの気に入らない。



わざと匂いのキツイものをこしらえては私に食べさせようとする。
鯖のテンジャンチゲとか。



私が別献立で食べようとすると、また嫌味を言われる。
「自分の食べ物ばかり準備して、自分だけ食べる」と。
別献立といってもカップの焼きそば。食パン、卵焼き程度だ。
ご大層なものは口に入らない。



それに、その頃はシオモニも料理ができる状態だった。
シオモニが準備しても無理はないだろう。
私は絶対安静といわれているのに。



でも、でもよ。
シオモニは、御自分がツワリの時はキムチが食べられなかったそうだ。
家にあるキムチをよそに上げてしまうほどだったそうだ。



それでなんで私に嫌味を言うの?
炊き立てのご飯の匂いも駄目だったので、食パンを買ってきてもらうと
「金がもったいない」とも言われた。



何かにつけて金ばかり使う嫁だと言われた。
そして、なかなか横になってもいられなかった。

続きは コチラ


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