古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

太融寺



太融寺→大阪天満宮→阿倍野神社→阿倍野王子神社→安倍晴明神社
です。

『古寺名刹 巡拝の旅』の3つの寺社に行ってきましたが、うち一つは二度目の参拝なので、今回は2つ増えました。
現在150のうちの110社ということになります。

まず一つ目は太融寺


太融寺は弘仁12年(西暦821年)に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、この地に創建されま した。 

ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏を下賜され、天皇の皇子河原左大臣源融公がこの地に八町四面を画して、七堂伽藍を建立され、浪華の名刹として参詣者でにぎわいました。

寺号を源融公の『融』の一字をとって、太融寺としているのだそうです。



太融寺



太融寺は市街地の例にもれずたびたびの火災に見舞われ、大坂夏の陣では広大な寺域に立ち並ぶ伽藍のことごとくが消失する憂き目にあいました。
寺社は往時の数分の一に縮小されたそうです。


その後の太融寺は庶民の寺として力強く復興し、
今ではビルの中に都会の寺社となっていますが、広く人々の信仰をあつめ今も昔も線香の絶える日はありません。



ビルの中




ぼけ封じの観音さんのもっているハスの茎をもつおじいさんとおばあさんの柔らかな表情は、微笑ましくもあります。




ぼけ封じ



境内北西隅には、豊臣秀頼の母・淀君の御墓がひっそりとありました。
また、一願堂では一願不動さんが古くから庶民の深い進行をあつめています。


行ってみて思ったことは大阪の人にとっては大切なお寺なんだなということです。
本来は寺社は大きな木がある森のようなところや山の上にあるのが良いのですが、ここはビルの谷間にありながら都会の人々の心のよりどころになっているかもしれません。
こういうお寺も必要なのだと思いました。


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