古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

紀三井寺






西国三十三所観音霊場第2番目の札所である紀三井寺は、観音信仰の隆盛に伴い、いつも大勢の参拝者でにぎわっています。





紀三井寺とは、紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれ、今も境内には、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、吉祥水(きっしょうすい)の三井より清水がこんこんと湧き出して、年中絶えることがないのです。




紀三井寺門





紀三井寺の楼門から上に、231段の急な石段があります。


参詣者泣かせの急坂ですが、この坂は、結縁坂(けちえんざか)と呼ばれ、次のような”いわれ”が伝えられています。

「江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む、貧しいけれど孝心篤い青年でした。

 ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお詣りしておりましたところ、草履の鼻緒が切れてしまいました。

困っていた文左衛門を見かけて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌浦湾、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘「おかよ」でした。

 これがきっかけとなって、文左衛門とおかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれました。

 後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送って大もうけをしたのでした。

 紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂は、それ以来「結縁坂」と呼ばれるようになりました。」 と。


この人と結ばれたいという恋人が出来たら、この坂を登ると良いのかもしれませんね。



紀三井寺本殿




実は、私はこの時和歌山生まれの和歌山在住の友達と参拝したのですが、彼女は紀三井寺から車でわずか10分のところに住んでいるのにもかかわらず、ここへ来るのは生まれて初めてとのことでした。

そんなものかもしれませんね。
なんせ、私も和歌山市に7年も住んでいたのに、当時は参拝したことは一度もありませんでしたから。

遠くにあるゆえに、憧れにも似た気持ちになることもあるようです。
男女の中も似たようなことが言えるかもしれませんね。

もう少し夫と大事にしなければなんて思ったりしたのでした。


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