全31件 (31件中 1-31件目)
1
自然界は常に、高いものが低いものを無くそうとします。 それは当然のことで、そうでなかったら進化が真実でなくなります。 人間は低いところから高いところに成長しようとする、進化性を持った存在です。 進化するためには、光へ向けての絶え間ない葛藤がなければなりません。
2019.07.31
アメリカ人は自由主義を誇りにしていますが、現実には自由とは言えない人が無数にいます。有色人種を見て下さい。世界中のどの国よりも寛容を大切にしているアメリカでさえ、劣等民族の扱いを受けています。私たち霊がいつも、これで良いと思ってはいけないと言う理由はそこにあります。世の中は、いくらでも明るく、いくらでも清らかに、いくらでも幸せになるのです。
2019.07.30
地上の出来事で、埋め合わせのないものはありません。 もしも神の働きが妨害され、報われるべき行動が報われずに終わることがあれば、それは神の公正を嘲笑う深刻な事態となります。 埋め合わせの原理が、厳として存在します。 そして法則に逆らったことをしながら、神の法則とは別の結果が出るようにいくら望んでも、神はごまかされません。
2019.07.29
一人は五体満足で、もう一人はどこかに障害がある場合、後者は死後も永遠にその障害を抱えるわけではありません。 つまり、肉体の健康状態がそのまま、魂の状態を表すのではありません。 魂には魂の進化の道があります。 その魂がどんな体に宿っても、必ず埋め合わせと償いの法則がついてきます。
2019.07.28
霊的知識を少しばかりかじった人は、よく、なぜ霊界からこうしてくれないのか、ああしてくれないのかと文句を言うようですが、実際にはそう言う人ほど、霊界から援助する条件を整えてくれません。 この苦悩に満ちた世界、暗闇と不安に覆われた世界で、皆さんは灯台になって下さい。 あなたの自信に満ちた生き方を見て、人々が苦悩の中の憩いの場、聖域、波静かな港を発見できるようにして下さい。 皆さんは、そういう人たちの心の嵐を鎮め、魂に静寂を取り戻す霊力を持っています。
2019.07.27
地上の人間は、無限なる精神のほんの一部を表現しているに過ぎません。 精神には五感という五つの窓があるだけです。 それも至ってお粗末です。 肉体から解放されると、表現の範囲が広くなります。 精神が本領を発揮しはじめます。 表現器官の性能が良くなるからです。
2019.07.26
私たち霊にとってはどの人間もみな “肉体を持ったスピリット” です。 私の目には、ドイツ人もイギリス人もアメリカ人もありません。 みなスピリットであり、神の一部であり、神の子供です。 時にはやむを得ず対症療法として罰を与えねばならないこともあるかも知れません。 が、新しい世界は憎しみや復讐心からは生まれません。 全ての人間に対する思いやりからしか生まれません。 復讐を叫ぶ人 一 目には目を歯には歯をの考えを持つ人は、未来の戦争のタネを蒔いています。
2019.07.25
もしも私の言うことが、あなたの理性を反発させ、知性を侮辱し、その結果あなたが認められないと判断するなら、どうぞ捨て去って下さい。 拒絶してもらって結構です。 拒絶されたからといって、私が気を悪くすることはありません。 腹も立てません。 愛する気持ちも変わりません。
2019.07.24
私もあなたと同じ一人の人間です。 ただ私は、今あなたが使っている肉体をずいぶん前に捨ててしまいました。 あなたと私の根本的な違いはそれだけです。 あなたは物的身体を通して自分を表現しているスピリットであり、私は霊的身体を通して自分を表現しているスピリットです。
2019.07.23
一 祈りは叶えられますか? 「叶えられる時もあります。 祈りの中身と動機次第です。 人間は進歩の妨げになったり、人生観を壊しかねない祈りをしがちです。 そもそも祈りとは、人間が何かを要求し、それを私たち霊が聞き、会議を開いてイエスかノーの返事を出すといったものではありません。 祈りとは、要求が自動的に叶うように自分の波長を高めて、高い界層と霊的に交わることです。」
2019.07.22
思念には地上の人間が発したものを、地上の他の人間が受け取るものと、霊界からのものがあります。 思念は常に循環しています。 そのうちのあるものが同質の性格の人に引き寄せられます。 これは絶え間なく行われています。 しかしインスピレーションは霊界の霊が、ある共通の関心や衝動を覚えて、自分が達成したものを地上の人間に伝えようとする目的のある行動です。 地上の音楽、詩、小説、絵画の多くは、実質的には霊界で創作されたものです。
2019.07.21
魂は向上するにつれて、つまり過去の不完全という不純物を払い落とすにつれて、さらに大きく進歩する必要があることを自覚します。 進化するほど、なお進化すべき余地があることに気づくのです。 高く登るほど、その先にまだ登らねばならない高い所があることを知ります。 その連続です。
2019.07.20
イエス・キリストを真実の目で見なくてはいけません。 キリストも一人の人間であり、霊の協力者であり、神の僕でした。 あなた方もキリストがしたことの全て、またはそれ以上のことをしようと思えば出来るのです。 そうすることで、真理の光と悟りの道に人類を導いてきた人たちと、同じ霊力を発揮するようになります。
2019.07.19
霊力は教会や組織の独占物ではなく、通路になる人のいるところなら、世界中どこにでも働きかけます。 牧師には、そのことが理解できません。 君主や教会からの許可があってもなくても、そんなことには一切お構いなく、老若男女に働きかけているのです。 太古からずっとそうでしたし、これからもずっと変わらない真実です。
2019.07.18
自分を救う道は、日常の言動にしかないのに、キリストへの信仰を告白した人だけが救われるというキリスト教の教義を、一般社会にどう説明するのでしょう。 正義は諸刃の剣です。 それを振りかざす人は、他人に対して求める前に、まず自分に正義を求めなくてはいけません。
2019.07.17
今日の霊の働きかけの背後には、イエス・キリストが控え、同じように地上の病気の人を癒し、悲しむ人を慰め、基本的な霊的真理を地上に確立しようと努力しています。 その真理には、教会も大主教も牧師も聖典もいりません。 愛に満ちた心と善意、素朴さがあればいいのです。
2019.07.16
私たち霊は、礼拝に出席することが神に尽くすことになるとは言いません。 出席する人は、真面目な気持ちでそうしているかもしれませんが、本当の宗教心は、その人の生き方の中でしか発揮されないのです。 一人一人の魂に宿る、崇高なる神性の働きと離れたところに宗教は存在しません。
2019.07.15
ラベルには気をつけなければなりません。 なぜならそのうち、ラベルに象徴されていた中身に代わって、ラベルそのものが大切にされてしまうからです。 ついにはラベルだけを崇拝し、真理を忘れてしまいます。 大切なのは真理です。 ラベルはどうでもよろしい。
2019.07.14
内部に宿る神性を発揮すれば、高級界から届く霊力とインスピレーションを活用する霊的法則を身につければ、神が意図した生き方が出来るようになります。 自分を捨て、世間に目を向け、体の不自由な人を癒し、苦しむ人を援助し、飢えた人に食べ物を与え、渇いた人に水を与え、道に迷っている人に勇気と導きを与え、愛と優しさと思いやりを、それらを必要とする全ての人に与えるようになるでしょう。 そうなった時こそ、自分を役立てていることになります。 それが唯一の宗教です。 それ以外の宗教を私たち霊は知りません。
2019.07.13
人間も根本的に霊であり、その霊が肉体を使っているのです。 付属品として霊を宿した、肉体的存在ではありません。 肉体は霊に従属しています。 地上人生の全目的は、その内部に宿る霊に修行の場を与え、様々な経験を通して霊を育て、死によってもたらされる肉体からの解放に備えて、身支度することです。 それから本当の意味での “生きる” が始まるのです。
2019.07.12
私たち霊は、人間のまわりに片時も休むことなく打ち寄せる、偉大で素晴らしい霊の世界があることを教えています。 障害を破壊し、莫大な霊力、全てに活力を与えるダイナミックな生命力を、全ての人間が自由に手に出来るようにするためです。 その生命力がこれまでの人間の歴史を通して、多くの人を鼓舞してきました。 今でも多くの人に啓示を与えています。 そして、これからも与え続けるでしょう。
2019.07.11
過ぎ去ったことは、そこから教訓を学ぶためでなければ、むやみに振り返るべきではありません。 つまり失敗をどう正すか、二度と過ちをしないためにどうすべきかを反省するためでなければ、むやみに振り返るべきではありません。 未来に目を向け、今日の行動を立派な未来のための基礎にすべきです。
2019.07.10
私たち霊の活動は、必ず一人の人間から始めます。人類全体も、個人が集まって構成されているからです。一人また一人と、非常にゆっくりとした根気のいる活動ですが、それ以外に方法がないのです。大勢の人を一度に変えようとしても、必ず失敗します。暗示が解け、普通に戻った時、全てが忘れ去られます。そうした一時の興奮から覚めた人は、恥ずかしささえ味わいます。
2019.07.09
一体何を悲しむのでしょう。 人の死に対して悲しむのは、進化が足りないことを意味します。 地上にいることの方が苦痛です。 地上を去ることは、苦痛からの解放であり、暗黒の世界から出て光の世界に入ることであり、騒乱の世の中から平和な境涯に移ることを意味します。 そのことを思えば尚さらです。 霊的知識を得た人がなぜ、その知識と矛盾する悲しみに心を傷めるのか、私たち霊は理解に苦しみます。
2019.07.08
真理を語る私たちが神のメッセンジャーであることを証明するには、ひたすら人に奉仕するしかありません。 つまり、脅しや恐怖、心配を吹き込まず、ただただ薄幸の人を救いたいと望んでいることを身をもって証明するしかありません。
2019.07.07
霊と人間が愛で結ばれていれば、その人間が肉体と分離しはじめると、霊は必ず察知します。 そして、その分離がスムーズに行われるのを援助するために、その場に行きます。 霊界の全ての霊に知られるわけではありません。 いずれにしても、死ぬ時に一人ぽっちの人はいません。 必ず、例外なく、まわりに縁ある霊が何人かいて、その人を温かく迎え、新しく素晴らしい第二の人生を始めるために指導します。
2019.07.06
もしも子供が生まれつき欲が深い場合、死後もその欲が意識に刻まれたままか 一 それはあり得ます。 ですが寿命が短ければ、その欲が発現するチャンスも少なくなりますから、それだけ矯正が簡単です。 地上でほとんど発現しなかった欲と、五十年も七十年も生き、完全にその人の本性の一部になった欲とでは、大変な違いがあります。
2019.07.05
確かに中にはある種の悪だくみを抱いて、地上に来る人はいます。 しかし、その数は極めて限られます。 真の悪人と言える人は、幸いにも極めて少数です。 罪悪の大半は 一 それを罪悪と呼ぶならば、ですが 一 無知、間違った育ち方、過った教育、迷信などから生まれています。
2019.07.04
誰であっても、状況に応じて自然法則が働きます。 法則の働きは完璧です。 原因に対して数学的正確さで結果が生じます。 その因果関係を、髪の毛一本ほども変えることは出来ません。 刈り取らされるものは、自分がタネを蒔いたものばかりです。 その魂には地上人生の結果が、深く刻まれています。 法則に反したことをした人は、その結果が魂に刻まれます。 その一つ一つについて、ちゃんと償いを終えるまで向上は許されません。
2019.07.03
一方が脚光を浴びる立場にあれば、もう一方はその陰にいなければなりません。 陰の存在がいなければ、脚光を浴びる人もいないでしょう。 私たち霊の目から見れば、人への貢献は、黙って人知れずされたものでも、大勢の観衆を前に華々しくされたものでも、その評価に少しの違いもありません。
2019.07.02
病気の大半は主に、精神と体と魂の連絡が正しく行われていないことが原因です。 正しく行われていれば、つまり完全に一体であれば、完全な健康と安定と落ち着きと機敏性をそなえています。 もっとも、そういう人は地上には滅多にいません。
2019.07.01
全31件 (31件中 1-31件目)
1