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病歴レポート
はじめに
私は3年前に精神病を発症した。この3年間で私が自己分析したことや受けたカウンセリングについて述べていきたい。
診断名
適応障害(不安と鬱型) パニック障害、不安障害 自律神経失調症 睡眠障害
手首自傷症候群 自殺企図 (ストレス状態がひどくなった場合のみ失声と歩行障害)
薬物療法による副作用→記憶障害 記銘力障害 便秘 アカシジア
治療
主に薬物療法である。カウンセリングはまだしないほうがいいと主治医より言われる。
薬物療法
セロクエル ルーラン リボトリール アキネトン コントミン マイスリー ハルシオン その他副作用止め→一日に飲む薬の量約20錠
治療のためのカウンセリング
主治医より「カウンセリングとは自分で吐き出した気持ちをまた自分の中で整理する強さが必要です。あなたはまだ自殺未遂やリストカット、オーバードーズをするので今カウンセリングするのは危険です。」と言われたため今はカウンセリングをしていない。
経過1(初めて自殺を決意するまで)
幼稚園から小学校まで場面緘黙がある。中学校から短大2年まで対人恐怖があり、学生時代を一人で過ごす。また、一人で過ごすことを恥ずかしいことと思っていたためトイレで隠れたり、人気のないところをさがして泣きながら日々を過ごしていた。そのうち飼い犬や木や想像上の人物と話すようになる。両親がクリスチャンということもあり、宗教に救いを求め、友達はできなかったが心が少し安定するようになる。友達がほしいという気持ちは人一倍あったが人と話すと緊張しすぎてうまく話すことができなかった。
短大生になってからは家族と離れ、一日中声を出す機会がなくなり毎日死にたいと思うようになった。そしてある日自殺を決意する。
経過2(自殺を決意してやめた理由)
自殺を決意したとき、初めて心が楽になるのを感じた。そしてどうせ死ぬのならと「命の電話」に電話してみる。
そのときの電話の内容は以下の通りであった。
私 「友達が一人もいなくてつらいんです。」
命の電話「友達いなくてもいいんじゃない。そういう人いますよ。学校でも一人で行動してる学生さんはね。」
私 「でも・・・・」と何も言い返せない私の沈黙に耐えかねて
命の電話「もういいですか?じゃあ切りますよ」
と言って電話は一方的に切られてしまった。そのときに私はその人に対する憎しみの気も
ちを持った。そして怒りにまかせて両親へ電話した。今まで親に友達がいないことを話し
たことはなかった。なぜなら友達のいない自分は親に見捨てられると考えていたからである。電話をするとたまたま教師をしている父が家におり電話にでた。
私「友達がいないの」
父「大丈夫だよ。学校はいいから家に帰っておいで。父さんがそっちに行こうか。泣かなくても大丈夫だから。」
私は短大までずっと背負ってきたものがそのときはじけたように感じた。それから心の中で思ったことは、「私を自殺にまで追いやった人間をゆるさない。彼らを憎んで復讐しよう。死ぬのはいつでもできる。でも家族だけは私は大事にしよう。」ということである。
それ日を境に私の性格は180度変わった。社交的になり外見までも変わって他の短大生たちにうわさされるほどになった。友達なんていなくてもいいと思ったら皮肉なことにすぐ友達ができるようになった。ただ彼らを信じることはなく苦しんでいても何も思わなかった。そして死に場所を求めるかのように不良とつきあうようになっていった。
経過3(精神病を発症したきっかけ)
短大3年になり、友達はたくさんできたが心を許すことはなかった。しかし、人を信じれなくなった私のなかで孤独はふくらんでいき、時々訳もなく泣いていた。そしていつしか人を信じれない自分の居場所はここにはなく死んだほうがいいと思うようになった。
それから1年看護師として働き今のH大学に編入した。
そんな時好きでもなかったが彼氏ができた。ただ彼の気持ちをコントロールして楽しんでいただけだったが彼は私のすべてを知りがった。私は過去のことを全く話さなかったからである。ある日少しだけ昔のことを話したとき、頭が割れそうになり精神がおかしくなってしまいそうになるのを感じた。それからその彼を信じたいと思う気持ちがでてくるようになり、彼にすべてうちあけた時私の精神は壊れてしまった。
今思えば私は人を信じないことで自分の精神を守っていたように思う。
その時起きた症状は、退行現象と失神、息切れ、尿失禁などである。
経過4(初めての精神科受診)
私はすぐに精神科を受診した。看護師をしていたこともあり特に抵抗もなく受診したところは適当に歩いていたら見つけた診療所であった。私は端的に今までのことを語ると、
「あぁパニックですよ。看護婦してたなら分かるだろうけどまぁ大丈夫ですよ。薬だしときますから。あなたは自分で自分をちゃんと分析できてるしすぐ治るでしょう」
そう医者に言われ再診の予約もなく、軽い抗不安薬であるリーゼだけ渡された。
私はこの診療所には二度と来ないと思ったのは彼の「大丈夫だよ」という言葉のためである。この言葉でこの人には何もわかってもらえないし、治してもらえないと感じた。その予感は当たっており、それからパニックは日常化していった。大学も4年生が始まったが、授業に出るとパニック発作で息切れや動機や不安になり、学校にも行けなくなってしまった。
経過5(現在の主治医との出会い)
そんな私を元看護師の友人は心配してくれ、S医師を紹介してくれた。S医師はなぜ自分のところへ来たのかと最初は思っていた素振りを見せたが、私の話を聞くにつれ顔色が変わっていき、「はぁ、深いと思ったんだよ」とぽつりと言った。私は忙しい先生だと聞いていたため話を切り上げようと何回もしたが彼は話を切り上げようとはせず、3時間話を聞いてくれた。そして薬を何種類も出し、2日後にまた来るようにと約束し、何かあったらいつでもメールしなさいとメールアドレスを教えてくれた。
彼を信頼しようと思った会話は以下の通りである。私は自殺する気であったが止められるのが分かっていたためわざとニコニコしながら自殺のことにはふれず、会話をしていた。そして私がもう帰ろうと沈黙した時に
主治医「私はね。あなたが心配なんだよ」
私は笑って
私 「先生、それは私が死ぬということですか?」
主治医は頷いて見せた
私 「そうですね。よく分かりましたね。わざと気付かれないようにしてたんだけど」
主治医「分かるよ。何年精神科やってると思ってるんだ」
「死のうと思ったらまずメールするんだ。分かったね。あなたは今見てる患者さんのなかで一番たちが悪いよ。」
そんな話をして、私はこの人は私が死にたいまでつらいということを分かってくれる。そ
してわざと笑顔で暗い話をしているのも分かってくれる。そう思いこの人を信頼してみようかなと思えたのを覚えている。
それから3年現在に至るまで私はこの先生のもとで治療を受けている。
主治医との会話(私がよく笑う理由)
主治医「あなたはよく笑うね。それはとてもいいことだし、長所なんだろうね。
でもね、私にはあなたの笑顔の後ろでピューって風がふいているように感じるん だ。」
私 「ふふふ。そうですか?」
主治医「その風はね。あなたが生きてくるにあってそうやって笑うことを身につけてしまったんだろうね。いつか本当の笑顔になればいいと思うよ」
これを聞いて初めてそういう自分に気がついた。私は辛いとき、苦しい時も笑って育ってきた。そうすることでしか生きてこれなかった。そんな寂しい自分にきずかされた瞬間だった。
私のトラウマ
私のトラウマに関して、私は対人恐怖だとずっと思ってきた。しかし主治医はトラウマの話にふれようとしなかった。しかし、彼は気付いていたのである。私にそれを指摘することで症状がひどくなるのを防いでいた。そんなある日夢を見た。それは私のトラウマそのものだった。
それを主治医に言うとびっくりしたように「よく気付けたね」と言った。
私のトラウマは、やはり幼いころにあった。私は3人兄弟の長女であったのだがいつも妹と比べられていた。妹は外見がよくかわいがられる性格であったため祖父は妹ばかりをかわいがって私たちと遊んでくれなかった。そして親戚たちも妹だけをほめていた。私はそんな妹が嫌いだがそう思う自分に罪悪感を感じ自分も嫌いだった。あるとき、勇気を出して両親に相談してみた。私が「おじいちゃんも親戚の人も妹ばかり差別してるよね」と言うと両親は「そんなことないわよ」と言われてしまった。私は自分が悪い子だからそう思うのだと思った。それとともに人間は見た目で判断されるのだ。私はかわいくないからこの世にいる資格がないのだと思うようになった。それから人と話すことができなくなっていってしまったのである。
またそれに拍車をかけるように、妹は私のまねばかりしてきた。そしてまねなのに要領のいい妹ばかりが評価される。あるときから私は自分を殺して生きていくようになった。もうまねされないように何もしなくなっていった。これが私の本当のトラウマである。
まとめ
私は幼いころから妹と差別されて育ってきた。そのため自分のように醜い人間には生きている資格がないという思いから場面緘黙、そして対人恐怖になり、毎日泣いてすごした。短大になって死を決意したが、両親のおかげで自殺をやめることができたがそれがきっかけで性格も外見も変わり友達もできる。しかし人を信じれなくなってしまう。しかし人を信じたいという気持ちが出てきたことで信じないことで守っていた心が壊れて精神病になってしまった。
はじめに行った精神科では「大丈夫」という言葉で、自分のつらさを分かってもらえないと不信感を抱く。
次にS医師の所を受診し、「死にたい」ということを訴えることができたおかげで気持ちが楽になるのを感じる。そのことにより、精神科医との会話(カウンセリング)で、患者は生きるか死ぬかが決まってしまうことが分かった。現在、S医師のところで治療中である。
考察
私がカウンセリングとして今回取り上げたのは、「命の電話」、「両親との電話」「初めて行った精神科での会話」「S医師との会話」である。
まず、「命の電話」に電話したときのこと、泣きながら「友達がいないのがつらい」と訴える私に「友達いなくていいんじゃない?そういう人いますよ」と考えを押し付け、結局カウンセリングに必要な沈黙に耐えられず電話を切ってしまう。結果、私に残ったのは彼女に対する不信感と憎しみだけである。
次に「両親との電話」では、友達のいないそのままの私を受け入れてくれ、結果、私は今までの苦しみから逃れることができており、カウンセリングとしてはいい結果になっている。
また、「初めて行った精神科での会話」では、初めて出たパニック発作で不安な私に「大丈夫」と軽くあしらわれることで、「この人は私のつらさを分かってくれないのだ、私はこんなにつらいのに」と路頭に迷うことになっている。
そして最後に「S医師との会話」では、まず3時間話しを聞いて、死にたい気持ちを表出させること、つらさに共感してくれること、次回受診日を早めに設定することで、私はこの人なら分かってくれると思うと同時に自殺するのをとりあえず先延ばしにしている。
これらのことからカウンセリングとは、一歩間違えれば相手を死に招き、良好なカウンセリングが行われれば、人の命を救うことができるという様にカウンセリングを行う側の人格や知識、経験の重さが必要であり、軽い気持ちで行うものではないことを学んだ。
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