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地球は暴走温室効果の瀬戸際
三章 パラダイムの転換
三章 パラダイムの転換
行き詰まる人類の生存システムと価値観
現代の化石燃料文明を特徴付ける、この巨大で壮大な都市機能とその建物と構造物、そして社会で消費される全ての生産物には、その根元的な段階から設計段階の思想そのものに根本的な誤りがあります。人類の文明誕生より数千年の過去から現在にまで至るまで、人間が生み出した文明の持つ構造的で本質的な欠陥が、大量のゴミを生みだし、自然環境を汚染し破壊している。それはまた先進国と後進国の間でも貧富の格差を拡大し、あるいは豊かな極一部の人々と貧困階級の所得格差を絶望的なまでに拡大している。そして資源を枯渇させ森林を消滅させ砂漠を拡大させ、生存環境の破壊と混乱を引き起こし人類とこの地球の生命を危機に導いているのです。
社会主義国、資本主義国そして開発途上国を問わず、その指導者も経済学者も国民も、物理的に不可能なはずの、無限の経済的な成長への幻想に取り憑かれている。物を造り続けそしてその作った物を廃棄し、あるいは資源を浪費し、自然環境を破壊し続けなければ生活が成り立たない。そしてその経済の枠組み全体を大きくし続けなければ、人間が生きて行く事が出来ない経済システムになっているのです。この機構が有る限り地球全域に渡る環境の破壊も、資源の無駄使いとその枯渇も止める事が出来ない。このような現在の文明の在り方は、すでに滅んだ過去のどの古代文明よりさらに不自然で、決して長続きするものではない。
人類と全ての生命の将来にかかわる大きな問題を抱えて、この文明は黄昏を迎えつつある。世界各国の政治的指導者、あるいはその他の指導的立場に有る人々に、人々を導くビジョンと指導力とその勇気があるでしょうか。現在に生きる全ての人々は今起りつつある事の本質を認識し、人類とこの地球の生命の運命の鍵を握る立場にある人間として、如何なる事をしなければならないかを認識しているでありましょうか。
現在の政治も官僚組織も経済も教育システムも、人類がこれから必然的に迎える未曽有の危機に対応出来ないでしょう。宗教によってもこの最終的な破局から、この地球の人類と生命を救う事は出来ない。宗教家神秘家は人の心を浄化する事は出来ても、社会改革のビジョンも能力も無いし、人の心はその社会環境と密接不可分なものだ。そのその社会環境を変えない限り、人の心を根元的に変える事など出来ないというのが私の認識である。そしてこの社会システムそのものが、人間の生存本能を刺激し人間に貪欲さをもたらすために、森林等の環境破壊などによる生存環境の悪化を止める事は難しい。
現在の私達の混乱の源には、人の心の在り方そのものそして、人の生き方そのものに問題が有り、それが様々な社会的な混乱となって、表面化しているものでも有るからだ。人の心の在り方を含め現在の人間の持つ価値観そのもの、そして農業や牧畜業を含め貨幣を中心とする、現在の世界の経済体制人間のその生存システムそのものが、人類がこの地球上で生き続ける事に適合していない事を如実に物語るものなのです。この人類の生存システムが、この地球の生態系に適合しないかぎり、人類はこの地球で、生続ける事は出来ないのです。人類はその生存システムと、有史以来心の拠り所として来た、その価値観を全面的に変える時が来たようだ。私達には馴染みの深い東洋的な精神による取り組み、あるいは私だけとか各民族や国家だけあるいは人類のためと言った断片的な思考だけでなく、包括的な生命全体が生きる為にと言う視点、あるいはこの地球全体が一つの生命体としての、意識と思考と取り組みが必要になる。そして全体と部分の分離のない社会あるいは境界のない社会の実現を目指さなければならない。
現在の価値観は自由と科学の名のもとに物質的な利益と欲望を第一とする価値観
西欧で誕生した合理主義と自由主義、人道主義、個人主義などの価値観は現代の欧米社会の基盤をなす価値観であり、そして議会制民主主義と私有財産制度とももに現在の科学と物質文明を築く元になりました。そして市場経済と自由企業などの資本主義社会の諸制度は、十七世紀から十八世紀のヨーロッパ諸国、主としてイギリスにおいて完成されたパラダイムであり価値観です。
またそれらの制度と価値観はキリスト教の精神をその根幹とし、それにガリレオやベーコンによってその基礎が造られ、そしてデカルトやニュートンによって完成された。
この懐疑主義的、経験主義と還元主義的な方法論と機械論的な世界観とダーウィンの進化論等によって理論的な裏付けを得る事で、西欧において広く人々に受け入れられる事になった。
この制度と価値観は自由と科学の名の下に欲望と生存競争そして物質的な利益を得る事を正当化するものでありました。しかしこのような制度と価値観は中世以前の伝統的な社会においては本能的に忌避し、あるいはキリスト教等の宗教的な規範によって禁止または暗黙の内に排除されていた価値観であった。
西欧において創始されたこの制度と価値観は、人間が本来持っている物質的で世俗的な欲望を刺激する事より、経済活動を活発にし資本の蓄積と物資の生産を増大させた。そして様々な産業の勃興と発展を促し、また科学技術の発展をさせる事にもなった。それは西欧、特にそれらの価値観の発祥の地となったイギリスに経済的、軍事的に相対的な優位をもたらす事になった。そして近代的な科学技術と産業の成果である、戦艦や大砲等の近代兵器で武装し、その武力を背景に、アジア・アフリカの諸国家、諸民族を恫喝し征服し植民地化して行き、これらの国々の人々の価値観や社会や産業の基盤やさらにその国の自然をも破壊し構造的に搾取し続けるための社会に変えてしまった。そしてそれらの国からのあがりで人類の歴史上に例の無い豊かな社会と、揺り籠から墓場までと言われる福祉社会を実現させる事が出来たのだった。またそれらの行為は宗教やダーウィンの進化論によって、それは自然で正当な行為であるとされたのです。
その他のヨーロッパ諸国も我国もそして現在に至り世界の国々の大部分の国々の人々が伝統的で生態的には合理的とも言えるそれまでの社会制度と価値観を、近代化の名の元に捨て去ってしまった。我国も過去においてこの帝国主義社会と言われるイギリス誕生したその社会制度とその価値観を近代化という大義名分の元に争うようにして取り入れた。この人間の持つ暗い欲望や情念を神と自由の名の元に正当化して、その欲望を強調する事によって弱肉強食を原則とする社会を乗り切ろうとしたのである。
この制度を取り入れる事が出来なかった国や、それに乗り遅れた国は全て、イギリス等のヨーロッパ列強諸国や我国の欲するままに掠奪され搾取される植民地か属国となるしかなかった。現在に於いても此等植民地や属国となった国々では、消す事の出来ない傷跡をその自然や様々な分野に残している。
この文明はその内部に構造的とも言える矛盾や欠陥を抱えている。
自己の欲望と生存競争そして物質的な利益を第一とするこの価値観は必然的に他者に対する根深い不信感を呼び起こす事になる。それは国と国の関係に於いて強く表れ、列強諸国で起った、植民地の分捕り合戦は此等の諸国の間でも所得や生存資源の不公平をもたらし、それは此等の諸国の間でも度重なる大きな戦争をもたらした。特に遅れて植民地の分捕り合戦に参加して来た、ドイツや日本やイタリアとイギリス、フランス、アメリカ等の連合国との戦いになった第二次世界大戦に於いては、国と国の国力と産業や科学技術の総力を挙げた戦いとなり急速な進歩を遂げつつあった、科学技術のもたらした近代兵器はアメリカ以外の全ての参戦国に甚大な被害をもたらす事になった。
このこの文明の制度が必然的に生み出す事になる他者に対する根深い恐怖と不信感と不平等は犯罪を呼び起こす温床ともなり、それが国と国の間では軍備の拡張競争をもたらす事になった。新兵器の開発は敵国より優位に立つため、その努力は国力を挙げてなされた。兵器の進歩と発展を生むと共に科学技術の進歩を促す事になった。その科学の進歩は人類が生み出した最も恐るべき兵器である核兵器を生み出す事になった。第二次世界大戦終了間際に、我国は世界最初にその核兵器の洗礼を受け、広島と長崎に落とされた原爆によって一瞬にして数十万人の人々が、強烈な熱線と爆風そして放射能によって殺戮された。そして今尚その時に被爆した放射能による、悪性腫瘍や白血病等の後遺症に苦しむ人々が多数いる。
第二次世界大戦後にヨーロッパ列強諸国の植民地だったアジア・アフリカ諸国が次々に独立し、ヨーロッパ列強諸国は没落した。それに変わってアメリカ・ソ連の両超大国による世界の覇権をめぐる冷戦が、核兵器などの軍拡競争を呼び起こしたがME革命に遅れをとったソ連が自由主義陣営との経済競争に敗れソ連が崩壊し軍拡競争に終止符をうつ事になり核ミサイルが廃棄されているがそれでも現在の世界には数千のミサイルがあり、その破壊力はTNT換算で数万メガトンにも及ぶ様々な核兵器があり、これは全人類を二十回以上も絶滅させる事が出来る程の量だという。現在でも両国とも大陸間弾道弾と核ミサイルを登載した潜水艦などが常時海低に待機しており、有事には直ちに相手国とその同盟国に核ミサイルを打ち込める体制が出来ている。
現在、核と核兵器に関する技術は原子力発電共に世界に拡散し、核兵器を持ち、あるいはすぐにでも造る事の出来る国は、数十ケ国にも及ぶ。そのため米・ソの間で核戦争が起らなくても、此等の国の間で核戦争の起る可能性が常にある。核の技術は、それによる利益と危険とは常に表裏一体のもので切り離す事は出来ない。それによる利益が大きければ、危険もまた極めて大きいのがこの技術の特色でもある。
核における平和的な利用でもある原子力発電にも、それは言える事で大事故の可能性は常に有る。アメリカのスリーマイル島での事故や、ソ連のウラルの軍事用の核施設の事故、そしてチェルノヴィリ発電所での大事故など、大小を含めるなら数百件もの事故が毎年起きている。中でもチェルノヴィリでの破滅的な事故は、数十人の死者とヨーロッパ全域に深刻な放射能汚染をもたらし、今尚全世界の各国に放射能による汚染を広げ、そこに住む人々に悪性腫瘍を多発させ平均寿命を大幅に引き下げた。
先進国間の戦争は全面核戦争の危険を伴うため、現在までは注意深く避けられ平和な状態が続いて来たが。戦後独立したアジア・アフリカ・中南米諸国等では米・ソ両超大国の代理戦争とでも言うべき戦争や、その他の民族問題による紛争や戦争が絶える事は無かった。そのため世界の大部分を占める貧しい諸国にあっても、そして戦争の無い平時に於いてさえも、その武力を外交的な発言力の強化のため、あるいは国内の民族間の紛争の解決の為に軍事費は常に増大させ続けている。
先進国においては軍事費は減少する傾向にあるが、常に新兵器の開発や兵器の更新など兵力の維持にに追われ、絶えずに軍事費の増大への圧力が続いている。その額は米国だけで二千億ドル以上世界全体では一兆ドル以上の軍事費が毎年使われている。これらに使用される資金は何も生産的な意味を持たず、資本と資源と労力を浪費しそして自然の破壊を助長し、先進国の極一部の産業と特権階級にある人間の懐を潤すだけに終わってしまう。
もしそれらの資金を後進国の開発や援助に廻す事が出来たら、南北の格差や累積債務の問題など一気に解決可能なのだが、社会性度と西洋で生まれた価値観とこの文明の在り方がそれを許さない。この文明が持つ一つの原則、いわゆる自由という大義名分の元に行われる生存競争による弱肉強食と自然淘汰の原則は、国家と国家の間では覇権を運る争い軍拡競争や戦争となって表面化するのだが。この生存競争は国家や民族や企業の間だけに行われるものではなく、それは人と人の間でもその原則は働き、それがもっと悲惨な形で表面化する。先進国内に於いても著しい不平等と所得格差を生み出し、それが人々の心を荒廃させ犯罪を生み出す。そして貧しい国々ではそれはまさに人の生死を分ける格差となる。
ヨーロッパで誕生し発展した文明とこれらの社会制度とその価値観は、またたくまにヨーロッパ全域からアメリカや日本など全世界に広がるに至った。そして今日では自動車と石油という安くて使い良いエネルギーと結びつき、全世界の全ての国々を網の目のような様々な関係で結び、世界を一つの経済圏とする、地球的な規模の市場経済にまで発展する事になった。これまでのどんな文明も成し得なかったような、経済的な豊かさと物質的繁栄と科学技術の進歩を成し遂げ、人類史上これまでに例の無い華麗で壮大な文明を築き上げたのです。しかしこの社会制度や価値観は、人口が少なく天然資源も自然も豊にあった時代においては、十分通用した価値観ではあったが、それが人口も多く限られた資源と、地球的な規模の社会においては通用しない、価値観であり社会制度である事が明らかになりつつある。
文明誕生から現代まで人の作りだした文明は、弱い者や自然から搾取しなければ成り立たない文明だった
古代文明から現代の物質文明に至るまで、人類が作り出した文明は全て他の国家や民族や征服しそして勝者と敗者、搾取するものとされる者、騙す者と騙される者の不信の構図。そしてそのような構造の中で現在の社会性度と文明は自然を破壊し搾取し続けなければ、人々が生きて行けないし成り立たない文明なのです。またその文明の構成員としての人間は人間を恐怖し信じず騙し征服し搾取し、自然を破壊し搾取し殺戮を続けなければ、生きて行けない仕組みの中に組み込まれているのです。ここに人類の文明誕生以来の文明の本質的な欠陥があります。この部分を変えないかぎり、人類がこの地球で生き続ける事は不可能なのです。そしてこの地球の自然を破壊し搾取する事で成り立つ文明は必ず崩壊します。過去の古代文明が森林の消滅と共消滅したように、現代の物質文明も崩壊し阿鼻叫喚の地獄絵図をこの世に実現する事は避けられないでしょう。
中近東や西欧で生まれた、この文明の根幹を為している価値観によると、自然は人間が利益を得るため利用すべき物であって、科学はそのための手法であるのです。しかし人類はこの地球の主人でもなければ支配者でもなく、他の様々な生命の様々な形での助けがなくては人類は生きて行けない存在です。人類だけではこの地球上で生きて行く事など決して出来ない。それなのに私達人類は自分自身の目先の物質的な欲望から、他の生命を殺戮し追い出し絶滅させている。
J.E.ラブロックの言うようにこの地球に住む生命は全体で一つの生命体です。どの生命もこの地球で生きて行くために某かの役割を担っており、そこには支配者も管理者も存在してはならない。そしてこの地球に生きる生物種の、どれ一つ欠けてもこの地球の生態系は不安定な状態になり、完全では無くなる。それは将来において貴重な薬剤を作るために、生物種を保護しなければならないと言ったような、人間側からみた自然保護の考え方は誤りです。それらの生命は他の全ての生命のために存在しているのであって、人のためにだけに存在しているのではないのです。人間にとって有害な害虫や病原菌でさえこの地球に存在しなければならない理由が有る。それを人間の勝手な都合だけで追い出し絶滅させてしまった。エイズやエボラ出血熱の例を持ち出すまでもなく、いずれそれら殺戮し追い出し、絶滅させた影響が生態系を巡り巡って人間自身に跳ね返ってくるはず。それが人類がいま迎えようとしている破局的な危機の本質です。
現在のこの危機的な状況は還元主義的な手法によっては、理解する事もこの問題を解決する事も出来ない
現代の文明を生み出す事になった科学的な手法に合理主義と、デカルトの生み出した還元主義的な思考法があるが、これは複雑な問題を部分に分けてそれら個別の問題の理解のうえに、全体を理解し問題を解決しようとする手法である。それらの手法は科学的な問題の解決は言うに及ばず、様々な組織や教育や行政にも広く取り入れられてきた。これまでこの手法は文明と科学の進歩に多大な貢献をして来たが、現在に至り様々な否定的な面が表れてきている。
老人や医療の問題そして家庭や学校における暴力、失業や犯罪の増大や極端な資源の無駄使いから来る、大量の廃棄物と大気汚染や汚染物質、そしてそれらによる自然環境の汚染と破壊などを引き起こし、核戦争の危機や原発による放射能汚染などをもたらし、先進国と後進国との間に中世や古代の社会においては考えられないほどの、所得格差を生み出し、後進国と自然を搾取する事によって、資源の枯渇や森林の消滅や砂漠化など、全地球的な規模で自然環境を破壊し汚染し、人類だけでなく全ての生命の生存環境の悪化を招く原因となっているのです。これらの現代社会が迎えつつある様々な危機的な事態の本質は、私達人類が生きて行くための、経済システムと政治行政のシステムと教育制度、そして私達の持つ物質至上主義と、機械論的で還元主義的で自己中心的な価値観が、私たち人類がこの地球で生き続けて行くための社会システムや価値観としては、不適当だからなのです。
それは科学や経済や産業の発展と共に、学問や防衛や行政や教育など様々なの仕事が極度に複雑化して多様化と細分化して、そして専門化と官僚化を招く事になった。そのためそれぞれの専門家はそれぞれの専門の領域に閉籠もって自分に関係ある領域しか関心を示さずそれ以外の事は理解する事が出来ず関心も無い。それらの専門家は無数の抽象的な言葉と概念を玩び、自分達と同類の人間以外の人々とのコミニケーションは限りなく難しい。そのため外部の人間や一般市民からは伺い知る事の出来ない、入ろうとしても入る事の出来ない閉鎖的な社会と組織を作り挙げる事になる。このような組織では現在起きつつあるよな危機的な事態にはなんらの有効な対策を講じるには不適当な手法であり組織なのです。またこれらの社会制度や価値観を支えてきた西洋の機械論的、還元主義的な価値観は、最近の量子物理学や分子遺伝学の進歩によって、限られた範囲における物事について十分説明する事が出来るが、この世界の全てを説明するものではない事が明らかになって来た。
パラダイムの転換
あまたの粒子の飛跡それは宇宙の創造と破壊の
絶え間無いリズムの証でありシヴァの踊りの姿である。
このコズミックダンスに古代神話、宗教芸術、現代物理学の統合の姿がある。
神秘家は道の根は理解してもその枝は理解せず、
科学者は枝は理解してもその根は理解しない。
科学に神秘思想はいらないし神秘思想に科学はいらない。
だが人間には両方とも必要なのだ。
フリッチョフ・カプラ (タオ自然学)
古代ギリシャから中世まで、哲学者あるいは科学者と呼ばれた人の思索の対象は、人間を含めた自然界を観察して、そこに表れている神の意志と秩序を探し求める事が哲学と科学の目的だった。
中世までのヨーロッパ社会においては、キリスト教の影響を強く受け太陽が、この地球の回りを回っているという、天動説が当時の世界観を強く支配しており、それが一六世紀に入りコペルニクスが地球が太陽の回りを回っているという地動説を唱えたが、これはその頃の社会に容易に受け入れられるものではなく、この天動説を覆して地動説が受け入れられる迄には、ヨハネス・ケプラーやガリレオやベーコンが近代科学の基礎を築き、デカルトやニュートンがそれを完成させ、これらの近代科学の創始者達の長い努力の末、やっと社会の常識としてとして定着する事になった。
それまで常識とされてきた、社会の通念の転換や新しい価値観の創造を、パラダイムの転換あるいは創造と呼んでいるが。いちど此等の価値観や概念が受け入れられると、もう誰もそれを疑うものは無くなる。このようなパラダイムの転換を、パラダイム・シフトと言っている。科学に客観性を求めたガリレオは(自然を理解するためには、自然の言葉を理解しなければならない、その言葉とは数学であり、その文字は幾何学的な形をしている)と考え、その活動を数学的に客観性を持つ対象に限定し、数量化できないものをその対象から除外して考える新しい概念を創出する事によって、近代科学の基礎を築く事に多大な貢献をした。
ガリレオとベーコンによって、新しい科学の手法が生み出されると、中世のキリスト教のまさに頑迷とも言える、キリスト教の支配から客観性と論理と数学によって抜け出し来た近代科学は、その反動としての徹底した合理性と客観性が重視され、それはまた客観的で論理的な言葉で記述可能な部分においては、きわめて有効に効果を発揮し近代科学の飛躍的な発展の基になった。それと共にヨーロッパ社会がその他の社会よりその優位性か顕著になってきたのは事実である。
これら近代科学の根幹となったのは、デカルトやニュートンの生み出した機械論的な世界観で、事象を理解するのにその対象を構成要素に分けて理解しようとする、還元主義的な世界観が近代科学のその根幹をなしている。
そしてそれら近代科学の華々しい成果のために、科学的である事が何事かを語るときいかに説得力を持つかが分かると思う。その為に科学が語る事は全て真実である、という認識を我々に与えており、中世の時代においてキリストの教えに疑いを持つことは、罪深い事であると考えられたように、我々もまた科学に対して信仰に近い思いを持つに至っている。そのために科学的である事に疑いを持つ事に、後ろめたい思いを持つのではないでしょうか。
しかしこの西洋的な合理主義は懐疑主義的で物質至上主義的で個人主義的で、ある意味では自己中心的な側面を必然的に備えている。それらの西洋的な思考形式と価値観が、現在の地球の生態系と社会に危機的な事態を生み出しているのも事実である。
経験主義それはベーコンが考案し、現代においてもよく用いられている。科学的な手法の一つでまず仮説に基ずいて実験を行ない、一般的な結論を得たうえで始めの仮説を検証する。いわゆる(帰納法)を用いて旧来の学派の思想を徹底的に攻撃し、伝統的な思想を一切を否定した。ベーコンが求めていたものは、科学的知識の確実性を求め、自然を支配するための知識を、科学によって得ることであった。そのために中世までの科学と哲学の、一つの柱でもあった自然の秩序を理解し、自然との調和を求める姿勢は否定され失われる事になったのです。
人間との利害関係によってのみ自然をとらえ、自然を利益を得るための対象としてしか見ない、現代の人々の思想的な源となり、人間をこの地球の支配者あるいは管理者と考える誤った考えの元になり、それが現在の地球の生態系と、人類社会に危機的な事態を生み出す事になったとも言える。
(方法序説)の著書で知られる、デカルトはガリレオやベーコンの思想の影響を受け、新しい哲学の大系を生み出した。その哲学の主幹は徹底した懐疑主義で、複雑な問題を構成要素その要素を古代ギリシャ以来の二元論に分けて、客観的でないもの数値に置き換えられないもの疑わしいものを排除する事によって、全ての自然現象を数学と結びつけて考えを創始したのである。そして自然は究極的には数式で表すことが出来る機械であると考えるにいたった。その中の動物も植物も全ての生物は精巧な自動機械であると考え、世界はそれらの機械の集合体であると考えていた。この還元主義的な思考法は此迄の科学の進歩にに大いに貢献し、現代の科学と社会の基盤となっている。
しかしこの二0世紀になってからの、アインシュタインによる相対性理論や、ハイゼルベルクの量子力学の発見と発展が先駆けとなって、機械論的な世界観や還元主義的な思考法では、理解する事の出来ない事象の発見があり。それまで絶対と思われていた時間と空間の概念は崩壊し、それと観察者の意志をそのまま写すように、ある時は粒子のように振る舞い、ある時は波のようにも振る舞う光りや電子の振る舞など、これらのあたかも意志を持つかのように振る舞う、物質の性質は旧来の科学的な思考様式、還元主義的な思考法や機械論的な、物の見方では説明することは出来ない事を、物理科学者認めざるを得なかった。このように還元主義的な取り組み方も、それを突き詰めて行くと、その還元主義的な思考法そのものを超えてしまい、人の認識の在り方や、秩序、そして全体性がより重視されるようになる。
この世に存在する全ての物質、全ての生命はそれぞれに孤立した存在ではなく、孤立しては存在し得ない、織込まれた秩序のなかに、時間と空間を超えて互いに不可分に結ばれている。それらは様々な関係によって、有機的で網の目のような繋がりを持っており、それらの集合体としての、物質や蛋白質やその上の階層である、生命体さらにそれの上の階層の地球生態系としての、全体は個々の部分の寄せ集めとは全く違う意味を持っている。
世界を理解するには旧来の科学的な思考法、還元主義的な取り組みと同時に、東洋の神秘主義的な視点ともきわめて似通った、包括的で生態的な視点もなければ、この世界は理解できないし、生きて行く事も出来ない事が明らかになった。
しかし東洋的な神秘主義思想が、全てではない事は確かだ。近代科学の持っている合理性が無ければ此れ程、文明が進歩することは無かっただろうし、東洋的な物の見方を認めるまで、人間が成長する事も無かっただろうし、東洋的な思想だけでは、個々の生物と自然に対する理解も、此れ程高まる事は無かっただろう。
古典物理学の言葉を使って、電子や光を説明しようとすると、波の性質と粒子の性質の両方を持つように、相互に関連を持ちながらも、同時に定義することの出来ない、対になった概念が存在してしまう。
私は西洋的な合理主義、と東洋の包括的で生態的な物の考え方とは、お互いがその欠点と長所を補いあう相互補完的なもので、その両方が在って完全なものに成るのではないでしょうか。
それらの要因と現代の社会に、中世ヨーロッパで起きたような、パラダイムの転換が現代の社会において、此迄に無かったような規模で起こりつつある。過去の人類の歴史において何度か経験して来た、パラダイムの転換は、現在のような深刻な危機を、伴ったものではなかったと考えられ、エネルギー資源の枯渇と、人間による、地球的な規模の生態系の破壊と、それらに伴う人類全体の生存の危機と、パラダイムの転換が重なり会うような今回の転換は、人類の存亡さえもそれに懸かっていると言えると思う。
多様な価値観は幻想だ。
生か死かを問われれば選ぶべき道は一つしかない。人の生き方に様々な生き方や価値観といったものがあると見えるのは、真実の生き方を知らない人の戯言にしか聞こえない。多様な生き方とか、価値観などなどは幻想でしかない事に気づくべきだ。たしかに見た目には数えきれないほどの進むべき道があるように見える、その道のほとんどは入ったら出てくる事が出来ない迷路と袋小路、未来に繋がる道は一しかない。人に多様な生き方というのは無いのと同様に多様な政治、多様な教育の在り方は存在しない、現在の政治も教育もこのまま変えることが出来ず、二一世紀に入るとしたら悲惨な未来が待っているのは間違いないと思う。政治も教育もそして人の生き方も、多様な選択肢があるように見えるとしても人が選び得る道は一つしかない。
物知り顔の学者とか知識人と称する人間が言うような、多様な生き方とか多様な価値観といったようなものは本来ない。鳥には鳥の生き方、犬には犬の生き方しかないのと同様に人には人の生き方しかない。自然の摂理に存在する生き方かどうか、それが自然の摂理に合った価値観かどうかが、人の生き方であり価値観となる。
ただ現在に生きる人々から見ると、人それぞれの生き方があるのと同様に様々な価値観というのは有ってしかるべき、全体主義国家でもあるまいし一つの価値観や生き方を押し付けられるのはたまらない、その考えには私も納得する。あのカンボジアの悲劇も一つの思想、一人の人間の思想を、全ての国民に押し付けようとする事から、必然的に発生した悲劇の一つ。このような事は、過去の歴史において、何度となく繰り返されたことでもある。同じような過ちをまた繰り返すことは、許される事ではない。
しかしまた現在世界の各地で起こりつつある状況を見ると、人々がこれまで持ち続けてきた、価値観そのものが問われているのは事実なのは間違いない。私達が伝統的に持ち続けてきた価値観は、人口も少なく資源もたっぷり有ったときの、価値観で世界的な人口の爆発的な増加と砂漠化や資源の枯渇、森林の消滅、炭酸ガスによる温室効果による海面の上昇など危機的な状況を控え、古い価値観に固執できる状況ではない。いま私達が迎えつつある状況は人類の存在そのものが問われている。
生か死かを問われれば選ぶべき道は一つしかない。人の生き方に様々な生き方や価値観といったものがあると見えるのは、真実の生き方を知らない人の戯言にしか聞こえない。多様な生き方とか、価値観などなどは幻想でしかない事に気づくべきだ。たしかに見た目には数えきれないほどの進むべき道があるように見える、その道のほとんどは入ったら出てくる事が出来ない迷路と袋小路、未来に繋がる道は一しかない。人に多様な生き方というのは無いのと同様に多様な政治、多様な教育の在り方は存在しない、現在の政治も教育もこのまま変えることが出来ず、二一世紀に入るとしたら悲惨な未来が待っているのは間違いないと思う。政治も教育もそして人の生き方も、多様な選択肢があるように見えるとしても人が選び得る道は一つしかない。
現在は古い政治制度や教育制度に官僚制度、そして経済システムに縛られていたら、人類の未来の芽も詰み取る事になりかねない。今まで人類は自業自得とはいえ、これほど幾重にも重なった、危機状況を経験した事はないだろう。人類の絶滅もあるかも知れない。散逸構造論的な表現をするなら、ゆらぎと言うのだが、既存のシステムではこのゆらぎは吸収出来まい。この全面的なシステムの改変をして、新しく安定したシステムへの、移行をせざるをえないだろう。私達現在に生きる人々はその社会の進化を、見ることの出来る好運な人々なのかもしれない。
パラダイムの転換を成し遂げなければ人類がこの地球で生き続ける事は出来ない。
現在私達が経験している事はかって、中世キリスト教の頑迷な世界観を突き崩し、人々に天動説から地動説を受け入れさせた時のような、パラダイムの大規模なシフトを経験しており、いま我々が体験しつつある変化は、人類が経験した事の無い大規模で劇的な変化を体験しているのかも知れない。それは現代の化石燃料の枯渇による物質文明の終焉と、家父長制の衰退そして現在のような、中央集権政治や巨大官僚機構や地球的な規模の市場経済の終焉と、これまで人類が経験したことの無い超高齢化社会と、教育制度や人の持つ価値観の根本的な転換などが、全て同時に平行して起こるだろう。言うならば人の全生存システムの本質的な転換が今後三0年以内に起きるでしょう。それを成し遂げなければ人類の生存そのものが、破局的な事態に直面する事は避ける事が出来ないのです。このような局面において大事な事は、大規模な社会変革時に必然的に生じる混乱と苦難を最小限に止め、それへの移行は穏やかな苦しみの無いものとしなくてはならないだろう。
ターニング・ポイント著者フリチョフカプラは次の様にその著書で書いている。(マルクスの見解によるとによると社会進化は、階級闘争がその原動力で歴史を動かしたものは全て対立と闘争と暴力的な革命の中で生まれると考えた。人の苦しみや犠牲は社会進化のための支払われるべき当然の代償と考えたのだ。社会進化に対してマルクスが闘争を強調したことは、生物の進化に関してダウィンが競争を強調した事と似ている。マルクス好んだ自分自身に対するイメージは(社会学のダーウィン)であったと言われている。ダーウィンもマルクスも生命の進化は、間断なき生存競争の結果とみなすようになったのは、経済学者トーマス・マルサスの影響受けたと考えられるが、こうした考えは一九世紀のダーウィン主義者によって大いにもてはやされ、多数のマルクスの信奉者達に大きな影響を与えた。彼らの社会進化に対する考え方は、余りにも対立と闘争を強調しすぎており、自然における闘争は全て協力という、より広い脈絡のなかで起きている事を見落としている)と述べている。
過去の歴史においてはこのような大変革が起こる時は、必ず激しい闘争と暴力によって為されてきたのは歴史的な事実であるが、その結果生み出されてきた社会も、極めて暴力的な社会で理想社会とは程遠いものであったのも事実でした。暴力によって生まれた社会は、暴力と抑圧の社会しか生まない事は現在世界で進行中の事件と歴史が証明しています。暴力と抑圧によって人間が開放される事は決してありません。新しい社会進化は対立と闘争でなく協力と合意によって行なわれるべきです。
労組や学会や教育や宗教や政治活動における様々な圧力団体や官僚行政機構など、文明誕生以来人間は様々な組織を造り挙げてきた。此等の様々な組織は一度手にした特権や利権を自らが手放す事はまず無いし、その特権を取り上げようとするなら猛烈な抵抗に逢う。そのため組織は巨大化し複雑に肥大化して、国民からは理解する事も、それをコントロールする事も出来ない、強大な特権を持った専制的な組織に成長する。また人はその様々な組織を離れて生きて行けなくなる。人間が作り上げる此等の組織は在る程度以上大きくなると、人間の意図を越えて一人歩きをするようになり、組織自体が人間の思考そのものを変える。これらの組織の集合体である人間の社会が、人類の社会とこの地球の全ての生命に様々な悪影響を及ぼしてきた。
新しい社会進化の道は一人一人の人間が組織を越え、あらゆる枠組みと利害を越え、未来の子孫と全ての生命達の存亡の鍵を握る人間である事を知り、未来に重要な責任を持つ一人の人間として行動する事でしか道は開けません。人類が迎えつつある危機的な事態を認識し、一人の人間として精神を持つ生命として、いま人として何が出来るかを知り、人として出来る事をする事でしか、社会を変革しこの危機的な事態を回避する方法は有りません。
この社会の進化の鍵を握り、私達の子孫とこの地球に生きる生命全ての生死を決めるのは、一人一人の人間の心の在り方そのものです。それは現在迎えつつある危機の本質が人の心そのものに在るからです。現在のような一人一人の人間の心が孤立し分断され、そして怠慢で貪欲で自己本位の考え方しか出来ないとしたら、人類の運命は極めて暗く後数世代しか生きて行くことは出来ないかもしれない。
このままの状態で手をこまねいて見ているしかないとしたら、これから数十年もすればこの日本もそして世界中が、永年かかって築き上げた経済システムと社会基盤の全てを、炭酸ガスの温室効果による海面の上昇によって全てを失い、あるいはフロンガスによる生態系の崩壊によって、人類がこれまで経験したことの無い、大混乱の時代に突入するのは間違いないでしょう。
その中で生き残れる人々はどれほどいるでしょうか。しかしこのような事態を回避する道は有るのです。この文明と価値観の持つ本質的な欠陥を見極め、そしてこの地球に半永久的に続く理想郷と新文明を誕生させ、そして人間を種として完成させるのも、あるいは飢えと、病気と、戦乱の未曽有の大混乱のなかで、この地球に住む何百万種類の生命を道連れに絶滅して行くのも、それは貴方個人のの考え方と、行動次第です。貴方の子孫の運命も貴方に繋がる全ての人々と、この地球に生きる全ての生命の存亡は、貴方の心の在り方にかかっているのです。
生命の誕生から心をも説明出来る散逸構造論
ベルギー出身の化学者イリア・プリゴジンの提唱した散逸構造論は、エントロピー増大の法則として知られている、熱力学の第二法則つまり全ての物質は、エネルギーの他にエントロピーという量を持ち、エントロピーの総量が減少するような、現象は自然界には起こらない。例えるなら炭を燃やしたら熱と炭酸ガスになるが、その熱と炭酸ガスを合わせても、元の炭には戻ることはない。そのような法則を熱力学の第二法則というのですが、プリゴジンの提唱した散逸構造論は、この法則を根本から変革し修正し、新しい意味を持たせるものでした。この事はアインシュタインの、相対性理論とも並び称される二十世紀の科学上の大発見で、生命の誕生や進化さらには、心そのものをも説明する事を可能とする理論で、この業績により一九七七年にノーベル化学賞を受賞した。
外部から物質やエネルギーを取り入れる事で、長期わたって自らの秩序を維持し続ける事、つまりエントロピーを生産しそこで、生じたエントロピーは、外部に放出し続けることで、自らの秩序を維持し安定構造を、自分で組織化してゆくような、システムを散逸構造と呼ぶ。フリゴジンはこの非平衡状態でのみ、維持されるこの構造を、生命の本質であると考えたのたった。この事は一九五八年に発見された、ベルーソフ・ジャボチンスキー反応によって実証された。この反応ではセリウムイオンが含まれる希硫酸のなかで、マロン酸が臭化塩によって酸化される。ある条件が満たされると、同心円あるいは回転する渦巻状の波が現われ、時計のような正確さで自己組織化し、その中にある様々な物質の溶液の濃度が、周期的に振動し溶液の色を次々に変えてゆく、この様子はまるで生きているかのように見える。そのまま放置すると、この反応は止まるが、新鮮な材料を補い、その生成物を取り除くようにしてやると、この色の変化は続いてゆく。
散逸構造を理解するには、身近にあるもので考えるのがいちばん理解しやすい、人や犬や猫に限らずその他の動物や植物も、食物や必要とする必要とする養分とエネルギーを、体内に取り入れ、それが体内での活動のエネルギーとなり、そして体を作る養分となりつまり秩序を造る事はエントロピー減少の状態、つまりエントロピーを作り出している事になる。そして不要になったもの、つまりエントロピーが増大したものを、外に出し生体を維持している。
また散逸構造論は人の社会や組織にも適用でき、例えば私達の住む都市について考えると、そこで人々が必要とする食料や物資を、郊外の農村やあるいは外国から取り入れます。一方古くなった家屋やビルは取り壊され、廃棄物となります。そして取り入れた物資で、新しく家やビルを建てたり、人々を養い都市自身を維持しています、つまりエントロピーを作り出している事になります。そしてそこで不要になった廃棄物を、埋め立てたり焼却したりして処理しています。これは高いエントロピー状態の物を、その系の外に出している事になります。このように私達の住む社会は秩序そのもの、負のエントロピーそのものです。
散逸構造は通常の状態においては、安定状態にありその構造を破壊しょうとする力(ゆらぎ)が加わったとしても、散逸構造はそれ自身でもとの安定状態に復元して、ゆくつまり恒常性を持っている、つまりここに最も原始的な、心に近いものを観ることが出来る。だがエネルギーの流れが、あまり複雑になるとその構造が吸収出来ないほどの、ゆらぎを生じるすると、自らの構造を次々に変えて(自己組織化)、新しい安定状態へと移ってゆく、しかし再組織化が行なわれると、エネルギーの流れは一層複雑になり、ゆらぎもまた大きくなってゆく。こうした不安定性の増大がまた、再組織化をもたらし組織を進化させる。ここに生物が次々に新しい構造に生まれ変わる、進化を観ることが出来る。
この地球そのものが一つの生命体であるというガイア仮説
J.E.ラブロックの、この地球そのものが一つの生命体であるというガイア仮説について紹介します。詳しくは工作舎発行J.E.ラブロック著地球生命圏GAIAを読んでください。ラブロックは宇宙開発によって人類は、初めて宇宙からこの地球を宇宙の深い闇に浮かぶ、瑠璃色に輝く美しい惑星この地球を見たときの感動から、この仮説のヒントを得たとの事です。母なる大地という概念は遠い昔ギリシャ人達が、大地の女神をガイア(Gaia)彼女と呼んだように、各国各地域で広く見られた考え方でした。
車や家電製品といった物はそれが、個々の部品に特別な意味と意図を持たせて組立るなら、単なる金属の部品の寄せ集めとは、まったく違う意味を持つよぅに、生態学の進展と最近の自然に対する様々な事実の集積によって、私達人類や様々な生命の生きる、土壌や海洋や空中を含めたこの生命圏は単に全ての生命たちの生きている場所というだけでなく、それ以上の物ではないかと推測されるよぅになって来た。
最初にこの地球上に生命が現われたのは、三十五億年前の事である。それから太陽は少しづつ暑くなってきているにもかかわらず、その時から現在までこの地球の気候も大気の成分もほとんど変化していない。現在この地球の気候にもっとも大きな影響を与えているのは二酸化炭素と海洋であるが、もし大気中の二酸化炭素の濃度が一パーセントを越えるとその温室効果で気温は加速度的に上昇し、水の沸点を越え最終的には金星の様な惑星になるだろうといわれているし、また大気中の二酸化炭素が無くなればまた加速度的に冷凍化が起こりこの地球の大部分を雪と氷が覆ってしまうといわれている。
酸素は化学的に活性が高く、現在の酸素の濃度二一パーセントというのは、生命が安全に生きて行くことの出来る上限であり、これよりほんの少し濃度が増すだけでも、火事の危険は増大し、二五パーセントになれば止めることの出来ない火事が、熱帯雨林からツンドラ地帯まで焼き尽くしてしまうだろう。また大気上層部にはオゾン層があり、生命にとって有害な紫外線から生命を守る大切な役割を荷なつている。
これら大気中の成分は地表から二酸化炭素は植物や海水によって、また酸素は動物や嫌気性微生物の出すメタン等によって、窒素は動物や微生物によって、日々地表からコントロールを受けており、それによって大気は安定状態になっている。
海の生命は海水の塩分の濃度が、六パーセント以内でないと生きていられない。その塩分濃度は現在の三・四パーセントは過去何十億年の間ほとんど変化しておらず、大陸から河川による流入よって、あるいは海底からの湧出によって、本来ならばこれの何倍も塩分濃度は高くなっているはず、それが過去から現在までその濃度はほとんど変化していない。それは海水の塩分濃度は、微生物などによってコントロールを受けているとしか思えない。
現在の大気の化学的組成は安定状態からは程遠い状態である。メタンや窒素は酸化大気のなかでは存在出来ないものだし、大気中の酸素やアンモニアはそれから少しでも多くても少なくても、生命にとっては危険なものになってくる。過去から現在までそうならない最適値に保たれ続けてきた。これ程大幅な化学的な非平衡は、この大気がただ生物が作り上げたものだけではなく、大気はすべての生命にとって生きるための条件を最適にするための構造物である事を示している。動物、植物、バクテリアからヴィルスまでこの地球上に生きる、全ての生命はそれらを構造物を維持するため、何かの役割を担っており、それを構成するための意味のある部品であり、あるいは臓器であり、骨格なのかも知れない、それら全ての物の総体がガイアといえるのではなかろうか。
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