伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2017年04月01日
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成瀬平馬家長屋門
成瀬平馬は天保13年(1842年)に加判奉行の記録があります。
加判奉行とは家老、侍大将に次ぐ役職で二千石を戴いて侍大将の
半分にも満ちませんが実務を仕切っていたのはこの加判奉行でした。

伊賀市教育委員会は3月30日、市が所有する上野丸之内の「成瀬平馬家長
屋門」を有形文化財(建造物)、同市長田の常住寺が所有する「松寿院
供養塔」を史跡として市の文化財に指定したと発表した。
 成瀬平馬家は城代に次ぐ加判奉行の職に就いていたとされる。上野の
城下町に残る長屋門としては、上野相生町の「入交家住宅」(県指定有
形文化財)と赤井家住宅(国登録有形文化財)の2軒が残っているが、
城内では成瀬平馬家が唯一ということです。


 市が取得したのは2012年7月。長屋門は寄付、土地は約6500万円で買い取りました。


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 供養塔は2基あり、1つは常住寺の境内で大きさが総高2・15メート
ル、幅60センチ、厚さ30センチ。松寿院は慶安元(1648)年に亡くなっ
た藤堂高虎の側室で、2代藩主の高次(1602‐76)の生母にあたり、高次
が13回忌に閻魔堂の再建とあわせて西側に建立したとされる。

一昨年にアップした「藤堂高久の長田山の御陵 何故ここに」にも書か
せてもらいましたが藤堂高次の生母は天台宗に改宗して松寿院と号して
いたので日蓮宗の伊賀、上行寺には、供養塔を建てられなかったのだと
思われます。常住寺は天台宗門の寺院です。


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 もう一つは寺西側の裏山にあり、形状は駒形、総高3・14メー
トル、幅が最長90センチ、厚さ45・5センチで、高次が23回忌に建立した
可能性が高いという。
寺の西側にある丘陵(長田山)には、3代藩主の高久公墓所(県指定史
跡)があり、伊賀市文化財課は「高久公墓所や常住寺閻魔堂、松寿院供
養塔がある長田山は、17世紀後半の藤堂家にとって特別な場所であった
といえる」と説明しました。

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3代藩主の高久公墓所(県指定史跡)
祖母、松寿院供養塔から丘陵地を100mほど登った所に在ります。

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常住寺

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常住寺閻魔堂、閻魔本尊厨子

長田山は、上野城から西に約2.5km、標高207mの低山で頂上から北東に
位置し180mの高さに高久公御陵はあります。






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Last updated  2017年04月02日 17時08分37秒
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