伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2017年06月04日
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2017年5月31日午前5時30分、老衰のため、静岡県熱海市の自宅で死去されました。

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杉本苑子(そのこ)さんは「華の碑文―世阿弥元清 」という観阿弥伊賀
出生説に基づいて書かれた作品を残して議論を巻き起こした人です。

1964年昭和39年に刊行にされたこの作品は 昭和三十二年伊賀市(当時は
上野市)の久保文雄氏によって学会照会された 「伊賀観世の系図」の
観阿弥、世阿弥が伊賀の生まれで 観阿弥の母は楠木正成の姉か妹だった
という説が基になった小説です。

「伊賀観世の系図」は 伊賀の 旧家 上島家から発見された上嶋家文書
(江戸時代末期の写本)が基になっています。

昭和三十二年、「伊賀観世の系図」が、同地の久保文雄によって学界に
照会されました。江戸末期の写しですが、これによると驚くべきことが
明らかになります。元雅の死は足利方の手によるものであり、さらに観
阿弥の母は楠木正成の姉か妹たちだったというものでので 信憑性を巡っ
ては議論が分かれていました。

しかし 後に発見された兵庫県播州の永富家文書を傍証に、この記載を真
とする意見が多くなりました。
この 永富家とは、兵庫県揖保川町新在家の旧家で、鹿島建設社長だった
鹿島守之助氏(昭和54年74歳没)の生家で鹿島氏が成城大学教授の今田
に依頼し出版が具体化した段階で突如、伊賀の上島家蔵の系図に永富家
との縁戚関係の記事、永富家は先祖が伊賀出身らしいということで信憑
性が増しました。

上島家文書は江戸時代の写しだとしても他に永富家文書も見つかったと
いうことは元になった文書が有ったということになります。
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昭和50年11月28日に観阿弥や世阿弥を顕彰するための小公園を建設する
起工式が 竣工後に鹿島守之助氏が上野市に寄付すべく企画した工事が 上
野市内ではじまり後に世阿弥公園と名付けられ、「世阿弥の母の像」が
建てられ、その銅像に鹿島氏の文を刻んだ銅版が添えられています。
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永富家は服部家に連なる家系で、娘が観阿弥に嫁いでいるとあります、
つまり世阿弥の母になり、この文書のとおりだと世阿弥の祖母が楠木
正成の姉か妹で母が鹿島家の出ということになります。

神戸市湊川神社に掲載されている系譜















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Last updated  2020年07月16日 12時43分17秒
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