伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2017年07月09日
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映画「忍びの国」で爆破炎上する丸山城跡に行って来ました。


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丸山城跡の登り口付近の芭蕉句碑

城跡や何やらゆかし菫 (すみれ) 草 
はせを 明二巳(明治二年)

山路来てなにやらゆかし菫草の句を替えたもので城跡やの句は
芭蕉の句としては残っていない。
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表側には
右;あをいせ道
と刻印

信雄の古城 是より三丁左
;天照大■(神)御舊■(高)穴穗宮(あなほのみや) 是より 西へ十二丁  
とあります。
神戸神社を表していると思います。


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この様な急な坂道を10分ほどおじさん達で登りました。


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立派な石碑が頂上にあり、城郭があったと思われます。
5,5mの石垣の上に11mの天守台が載っていたといわれています。

織田信長の次男、信雄はここに伊賀を治める居城を建設しますが
完成間近に伊賀衆に襲われ炎上した。
信雄はこれを口実に信長の了解を得ずに伊賀に八千の兵を率いて
来襲しますが伊賀衆は得意のゲリラ戦で追い散らしました。
これが第一次天正伊賀の乱です(1578年)

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第一次天正伊賀の乱 地図 
竜仙寺 辺りが一番の戦闘地で 織田方重鎮、柘植三郎左衛門はここで
死亡している。


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町井家住宅 1744年建設の主屋は当初から瓦葺きで全国的にも大変
早かった
伊賀十二人衆の一人
木興の地の豪族だった町井左馬允貞親は伊東潤さんの小説
「山河果てるとも」では第二次天正伊賀の乱で
織田方に寝返った伊賀者に焼き討ちに合ったとあります。
息子の清兵衛は長田の比自山にこもり抵抗したそうです。





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Last updated  2017年07月12日 16時06分56秒
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