2011年06月27日
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 昨日、エッチングパーツは魚雷よけだけ付ければ完成と書いたのですが、スタンウォーク(艦尾回廊)が残っていました。

 三笠の艦尾には司令長官室があって、スタンウォークはこれに直結していましたので、天気が良ければ、東郷長官がスタンウォークに出て物思いにふけっていたのかもしれません。



 スタンウォークを船体に取り付けました。

 かろうじて「みかさ」の文字が読めます。

 でも、戦時中はこの銘板は取り外されるか、塗りつぶされていたそうです。



 フォア・マスト(船体前部のマスト)です。船体に取り付ける前に、張り線も張って置きます。



 メイン・マスト(船体後部のマスト)です。軍艦旗も取り付けました。




 ワシントン軍縮会議のエピソード

 『秋山(真之)はあれほど偉い傑出した男であったが、日本海海戦をクライマックスとして、晩年は下り坂になった』

 と、評する人がいたそうですが、真之と「三笠」には何か相通じるものがあったような気がします。


 三笠は、日露戦争において、連合艦隊旗艦としてロシア帝国艦隊から狙われ、最も多く被弾したにも関わらず、艦隊の先頭に立って旗艦としての役目を全うしました。

 しかし、戦争が終わると、佐世保で爆発事故を起こして沈没し、その後も1921年(大正10年)にウラジオストック港外で座礁したり、1923年の関東大震災では岸壁に衝突して着底してしまうなど、災難続きだったのです。


 1921年から22年に行われたワシントン軍縮会議では、軍艦の保有比率をアメリカとイギリスは、米:英:日を5:5:3と主張し、日本側は米:英:日を5:5:3.5と主張し譲らず、激しい論争が行われたそうです。

 しかし、「三笠」を記念艦として永久に保管したいので、「三笠」を除外してもらいたいと言う日本側の申し出に対しては、

 会議に参加しているアメリカやイギリスの提督たちが

 『三笠は日本海軍の魂である』

 と言って、満場和やかに三笠の永久保存が決議されたそうです。


 1925年、この条約に基づき、三笠の船体の外周部はコンクリートで埋められ、日本開戦当時の艤装が施されて、記念艦としての開艦式が盛大に行われました。

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最終更新日  2011年06月28日 01時05分39秒
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