2011年07月20日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 もしも、秋山真之が海軍を定年になるまで生きていたとしたなら、

 「将軍は何故海軍に入ったのですか?」と改めて聞く者がいたことでしょう。

 しかし、真之は現役のまま逝ってしまって、その答えは今に残っていません。


 そこで、真之と同時代に生まれて、海軍に入った人の自伝があるのであれば参考になると思うのです。

 今、一般に入手できる事例は少なく、私は2つしか知りません。


 その内の一つが、海軍3長官のポストの内、軍令部長と連合艦隊司令長官を歴任し、退役した後、太平洋戦争が泥沼化してから総理大臣となり、これを終結させ日本を救った「鈴木貫太郎」の事例です。

 鈴木貫太郎は何故海軍に入ったのでしょうか?

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 鈴木貫太郎は、真之より3ヶ月ほど早い、慶応3年12月24日(1868年1月18日)に関宿(セキヤド)藩(千葉県野田市)の飛び地である久世村(大阪府堺市)に生まれています。

 鈴木家も秋山家と同じく下級武士であったにも関わらず、父親は学問に通じていて就職には困らなかったので、ご維新を迎えても生活が困窮するというようなことは無かったようです。


 父親が群馬県庁に勤めることになり、貫太郎は前橋の小学校に入学します。

 しかし、他所者ですから地元の子供達にいじめられるわけです。

 それを予期した貫太郎の父親は次のように言い聞かせたそうです。

 『人間は怒るものではないよ、

 怒るのは自分の根性がたりないからだ、

 短気は損気ということがある、

 怒ってすることは成功しない、

 皆自分の損になるんだよ。』


 貫太郎は後に、この一語が自身の将来の修養の上にどんなに役立ったかもしれないと回想しています。

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最終更新日  2011年07月21日 01時24分05秒
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