2011年11月19日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 伝記というものは、本人を顕彰するために出版されるのですから、

 都合の悪い話は書かなければ良いようなものですが、

 秋山真之の伝記には、本人の行儀の悪さがいろいろと記載されています。


 例えば、

 『ポケットに煎り豆を忍ばせ、それを?み?み甲板を歩きながら頻りに考えている。

 そうしていて不意に足を留める。

 足を留めると食いかけの煎り豆も何も吐き出して参謀室に急いで帰ってくる。

 それが何か名案のヒントが浮かんだ時だ。』


 果たしてどのような名案のヒントが浮かんだのかは判りませんが、

 これでは、甲板の清掃係がたまったものでは無かったでしょう。


 真之の名案の中で、特筆すべきはやはり「連繋水雷」でしょう。

 これは、軍機兵器とされ、長い間、海軍の最高機密であったのですが、

 真之の伝記は、ある程度のネタばらしまでしているのですから、

 よく発禁処分にならなかったものだと思います。


 発禁処分になる書籍の多くは、思想上のことであったでしょうから、

 軍人を顕彰する伝記については、大目に見てもらえたのかもしれません。


 『一度などは、素晴らしい水雷関係の兵器を考案して、

 それが或る大海戦での勝利の重要原因とさえなった。


 その兵器が如何なるものであるかは、

 今なお軍機の秘密に属しているから明記は出来ぬが、

 しかもその考案を得た動機がはなはだ面白いものであった。』


 黄海海戦の時(明治37年8月10日)、13時30分頃、

 ロシア太平洋艦隊の先頭艦「ツェザレヴィチ」は、

 針路方向に「機雷の浮遊するを発見」し、急きょ左に回頭して、これを避けています。


 日本海軍が機雷を敷設していませんので、

 戦艦ツェザレヴィチは、マボロシを見たことになります。


 ただ、これより前、連合艦隊の駆逐艦は、

 ロシア艦隊の16km手前で、これを横切る時、上甲板の石炭袋を海上に投棄していて、

 これを機雷と事実誤認したことが、マボロシの機雷浮遊となったようです。


 黄海海戦から何日か経過して、外国の新聞に、

 連合艦隊の駆逐艦が機械水雷をどんどん海に投じて逃げたので、

 ロシア艦隊は危険とみて回頭したと書いてあったので、

 これを見た三笠ガンルームの士官たちは、

 石炭袋を投棄したのを、枯れ尾花の幽霊で、機雷と見誤ったのだろうと大笑いしたそうです。


 真之は、この笑い話から何らかのヒントを得て、

 「連繋水雷」を考案したのです。 





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最終更新日  2011年11月20日 00時25分54秒
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