全41件 (41件中 1-41件目)
1
還暦を迎えた第60回NHK 紅白歌合戦に、やはり還暦になった“最後の大物”「永ちゃん」こと矢沢永吉が出場か~っ!?!・・・しかも、中継などではなく、会場のNHK ホールでの出演らしいという驚異のニュースが、今日の日本列島を駆け巡った。けさのスポーツニッポン(スポニチ)などの紙面を飾った一大スクープだった模様。■白組サプライズゲストは、あの還暦大物歌手記事によれば、午後11時前後の台本が丸々4ページ空白になっており、ここに隠密作戦のビッグ・サプライズが用意されているとのことで、推測の記事とはいえ、信憑性はきわめて高いと思われる。世界のVIPスーザン・ボイルの来日生出演にもけっこう驚いたが、も~それどころじゃないよね~っ僕らの世代にとっては、全く別格の永遠のアニキであるよくやったNHK ! これはもう大金星といって間違いないだろう。そして、何よりも永ちゃんの大英断に敬意を表したい。・・・それでは皆さま、良いお年を~
2009年12月31日
コメント(4)
今年も残すところあと3日。いよいよ押しつまってきましたね~。皆様、年末をいかがお過ごしですか~。さて、25日に発売された「週刊現代」(講談社)の最新号(1/9・16合併号)が、先週号の「人気ではなく、実力で選んだ 決定! 日本のいい役者ランキング・男優篇」に引き続き、全男子待望の「女優篇」を載せているので、結果のみご紹介する。・・・一読してみて、なるほど納得の内容だとうなずく。except わが女神・真木よう子さまが10位以内にかすりもしなかったのは若干ショックではあるが、この強力な面子(めんつ)を見れば、しょうがないかな~と思わざるを得ない。興味のある方は、まだ売っていると思うので、詳しくは本誌を買ってご照覧下さい(税込400円)。 俳優 年齢 くまんパパ寸評 1 余貴美子 53 通好みのバイプレイヤー。上手すぎ。2 菅野美穂 32 正岡律、余人に換え難し。かわゆい妹。3 竹内結子 29 美人薄命。実像は芸能界有数の強気女。4 大竹しのぶ52 天才大女優。巨匠。言うことなし。5 永作博美 39 妖気と狂気、酒豪もキュート。6 松たか子 32 梨園の娘、下町娘。大和撫子の品格。7 蒼井優 24 言葉で言いようのない魔力、磁力。 8 若尾文子 76 熟年世代のサンシャインらしい。9 安藤サクラ23 芸術系サラブレッド。運否天賦。 10沢尻エリカ23 素行不良も女優魂。一日も早い復活を。
2009年12月29日
コメント(4)
前川佐美雄(まえかわ・さみお)堂塔のまうへの空も暮れゆきて寒き師走の古雲がをる歌集「捜神」(平成5年・1993)註古雲:「ふるぐも」と読めばいいのだろうか。聞き慣れない言葉だが、情景に嵌っているように感じられる。をる:「ゐる」ではないところに、独特の味がある。いずれにしても、あたかも雲を生きもののように見ている。元祖「いきものがかり」か(・・・なんのこっちゃ?)
2009年12月28日
コメント(0)
くまんパパ シンクロニシティはなやげるもつてのほかの酢の物を家内五人やぬちいつたりわいわい食みぬ *1ギャグのごと君はわが背にぶら下がる何してんだよ気持ちいいけどヒステリーときをりおこす身近なるその人の名はとても言へない満月の夜のシンクロニシティは僕のかりかり君のぎすぎすまあだかいまあだだよのこゑこだまするとほきあの日の菩提寺の墓所「まあだだよ」妻と見し夜のよもすがら人恋しさにじんじんしたり *2あるものがなくなつてゆくことこそがもののあはれとたれかいひにき焼け跡にどつこい生きし伝統は小津安二郎の生み出せしもの歌詠みは日本映画を見るべしと黒田氏あにでし言ふは尤もならむ失恋の歌だと思ふそんな歌もううたへない齢のかなしさ僕たちは松下奈緒にあくがるるのとおなじほど歌にあくがる美化されし思ひ出に合ふひとひらの古き槇原敬之の歌脳天にアンメルツ塗り歌作る河野裕子のとある雨の日 *3プルーストのプチマドレーヌとしてあり関東栃木レモン牛乳 *4宇都宮十四師団と満洲の間に「みんみん」の餃子はあらむ*1 「もってのほか」食用菊の異名。*2 黒澤明監督の遺作。*3 河野裕子「雨の日は歌の出来る日、首を越え頭のてつぺんまでアンメルツ塗る」(歌集「歩く」2001年)*4 マルセル・プルースト「失われた時を求めて」著作権を有します。© 2010 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009年12月28日
コメント(0)
くまんパパ 「短歌人」1月号掲載作品ヒステリーときをりおこす身近なるその人の名はとても言へない満月の夜のシンクロニシティは僕の苛々君のぎすぎす「まあだだよ」妻と見し夜のよもすがら人恋しさにじんじんしたり *1焼け跡にどつこい生きし伝統は小津安二郎の生み出せしもの美化されし思ひ出に合ふひとひらの古き槇原敬之の歌プルーストのプチマドレーヌとしてあり関東栃木レモン牛乳 *2*1 黒澤明監督遺作。*2 マルセル・プルースト「失われた時を求めて」著作権を有します。© 2010 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009年12月27日
コメント(0)
クリスマスソングに、1曲サプリメント(補遺)します~12月の天使達 MY LITTLE LOVER作詞作曲編曲:小林武史のコバタケ節全開の名曲だ~!NEW ADVENTURE / MY LITTLE LOVER
2009年12月25日
コメント(0)
上田三四二(うえだ・みよじ)ゆるやかに鴛鴦をしふたつゆく水の輪は彩あやある胸の尖さきより生あれて歌集「遊行」(昭和58年・1983)仲睦まじいオシドリの番(つがい)が揃ってゆるやかに滑ってゆく水面(みなも)の輪は、雄の美しい胸先の尖端から生れて拡がって。註毎回感動して見ている司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で、香川照之扮する明治の俳人・歌人の正岡子規が、「俳句(と短歌)は『写生』(写実)であるべきです」などと力説しているシーンが堪らなく嬉しい。近代日本の伝説の巨人が、まるで眼前に生き生きと蘇って喋りかけているようだ。このように明治期の子規は、それまでの理屈や言葉遊びや封建的な家元制度などで形骸化していた伝統的な「発句・和歌」を「月並」であるとして激しく論難し、西洋リアリズムや自然主義の流れを踏まえ、万葉集などを規範とする新文学を提唱し、自ら「俳句」「短歌」と名づけた。これらの主張は、「旧派」の代表格であった佐佐木信綱らにも大きな影響を与えた。これらの点は、自由民権運動の渦中にもあった誇り高き没落士族の子規に、多少やりすぎな面もあったのではないかとさえ思える。例えば、「和歌」は「和歌」で良かったと、僕は思っている。何も「短歌」と言い換える必要はなかったのではないか?・・・こんなこと書くと、歌壇のお歴々からぶん殴られそうな気もするが。「ベースボール」の訳語「野球」の初出が、子規自身の幼名「升(のぼる)」に掛けた戯号「野球(ノボール)」であったことも、ドラマにも出てきたし、よく知られている事実だ。どうやら、今でいうプロデューサー的な資質を持つ大変なアイデアマンだったらしい。ただ、子規の打ち出した「写生説」に基づく俳論・歌論そのものが、現代短歌において必ずしも大勢を占めているとは言い難い。子規が否定した「言葉遊び(“言葉のパズル”的な遊戯性)」の側面や、「言霊(言語アニミズム)」の側面など、もっと多様な要素が盛り込まれており、現状の歌壇はますます隆盛、豊穣を極めつつあると僕は楽観的に見ている。その全てがすごく楽しい。むろん、韻文表現における「写生」の理念が死んだわけではない。1世紀以上を経ても、写生の重要性は不動である。そういう意味では、上田三四二のこの歌は、草葉の蔭で子規が泣いて喜びそうな作品である。「写生」とは、簡単に言えば「見たままを書く」ということであるが、実作的な観点でいうと、それほど単純なものでもない。「見たままのように表現する」ということは、多くの言葉の中から最も適切な言葉を選択し、「言い当てる」ということである。これが実際にはなかなか困難な作業である。・・・が、現代短歌最高の叙景歌人だった上田氏は、見事にこの情景を言い当てている。美しい歌だ。言葉の珠(たま)だ。
2009年12月25日
コメント(2)
馬場あき子鴛鴦えんおうの思羽おもいば立つる夕照りに書かざりしこと余情のごとし歌集「ふぶき浜」(昭和56年・1981)鴛鴦(おしどり)の冬の思い羽が立っている夕照りに、あえて何も言葉にしないことが「言わぬが花」の余情のようね。註言い回しが凝っていてやや難解だが、言わんとするところは伝わる。・・・上三句の、それ自体美しい叙景句を、下二句で意識のメタの入れ子細工にして再構築した、・・・みたいな感じ?思羽おもいば:オシドリの雄の両翼にあるイチョウの葉の形の羽。風切り羽の内側の一対が発達したもので、橙(だいだい)色。銀杏羽(いちょうば)、剣羽(つるぎば)。冬はとりわけ鮮やかになることで知られる。
2009年12月24日
コメント(0)
お~っと~! 今ふと気がついたら、はや明日はクリスマス・イヴではないか~っ!!うかつにも忘れるところであったぞ~っついでに言えば、わがプロポーズ記念日でもあるのだ~あれから何年、・・・ずいぶん経つのう。が、あの感激は忘れていない。そこで、遅ればせながら取り急ぎ、定番クリスマスソングをいくつかメモしておくことにしよう。クリスマスイブ 山下達郎【CD】これはもう、定番中の定番名曲。歌詞の中の青年に、「君」という天使は舞い降りたのだろうか?・・・あ、天使じゃなくて聖母「まりや」が舞い降りたのか今なお、聴くたびにウルウルしちゃう。この曲の間奏として、見事なアカペラ風アレンジで丸々引用されているのが、ヨハン・パッヘルベル作曲「カノン ニ長調」。バロックの名曲中の名曲。アルビノーニのアダージョ、パッヘルベルのカノン、バッハ・G線上のアリア ジャン・フランソワ・パイヤール【CD】定評あるパイヤール指揮で、J.S.バッハ「G線上のアリア」、アルビノーニ「アダージョ」なども入ってこの値段は超お買い得~。一家に1枚あってもいいと思う名盤。クラシックからの連想でいくと、音楽の父ヨハン・セバスチャン・バッハの曲は、どれをとっても天上の至福と神の恩寵に溢れているが、中でもカンタータ(合唱曲)第147番「心と口と行いと生きざまもて」の中の「主よ、人の望みの喜びよ」などは、至高。J.S.バッハ オルガン超名曲集~トッカータとフーガ 二短調、主よ人の望みの喜びよ ほか【CD】一方、山下達郎つながりで行くと、女房の竹内まりやの「すてきなホリデイ」もナイス。ノスタルジア/すてきなホリデイ 竹内まりや【CD】海の向こうの泰西では、なんといってもこれ。映画「ホワイト・クリスマス」スペシャル・エディション【DVD】同「ホワイト・クリスマス」サウンドトラック【中古CD】そして、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」。この曲は、手放しのクリスマス賛歌というよりは、「戦争は終わった(ヴェトナム戦争終結祝賀!)」の歌であり、好みはかなり分かれるところだろうが、僕らの世代にとっては、なんつってもこれだよね、これ。ザ・ジョン・レノン コレクション若き日のビートたけしの悲哀を秘めた帝国陸軍鬼軍曹の雄姿とともに永遠に記憶される「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲、坂本龍一「Merry Christmas Mr.Lawrence」も忘れ難い。恋人たちのクリスマス マライア・キャリー 【中古シングルCD】松任谷由実の「恋人はサンタクロース」とか、ラスト・クリスマス ワム!【CD】もいいよね。・・・まだまだいくらでも思いつく気がするけど、ちょっと忙しくなってしまったので、今日のところはこの辺で~
2009年12月23日
コメント(4)
おわ~っ! ビックラこいた~!!今や大御所格の俳優・津川雅彦さんって、こんなスゴイ論客だったんですか~っ!?■津川雅彦『遊び』ブログ サンタの隠れ家・・・中身もお見事。スゴイ、スゴすぎる。感服、尊敬まさに、老練&気鋭の政治評論家そのもの。近頃、これほど驚いたこともないよ~ん。楽天ブロガー仲間のうさぎ仙人さんのところで見つけましただよ。さすが、見る目がありますね~やっぱり、男はある一定の年齢になったら自分の意見ってものを持たないとな~と痛感させられ、勇気づけられる津川氏のブログである。あんまりビックリしたので、とりあえずご紹介しときます~。
2009年12月23日
コメント(2)
枡野浩一(ますの・こういち)ビクビクと食うな畜生 ゴミ置き場なんかジャンジャン散らかして食え第一歌集「ハッピーロンリーウォーリーソング」(平成13年・2001) けさ、近所で撮影。
2009年12月22日
コメント(2)
読売歌壇 読売新聞12月21日付より (*は、くまんパパ寸評)岡野弘彦選川崎市 大同きみゑ母の名は「こはる」と言ひき霜月の小春日和の日々を母恋ふ* 岡野氏評によれば、作者は94歳だという。ほのぼのとした中に人生の味わいを感じさせる佳作。「霜月」は11月のこと。京都市 高橋雅雄穴の開いたアルマイト弁当まん中に梅干し入れて行きし学校小池光選東京都 加藤あんぷおおつぶの雨にうたれてわらいだす何に勝とうとしてたんだろう佐賀市 草下弓子もう一度振り返ってみる扉とは開かれるためそこにあるのだ* 象徴的、暗喩的、黙示的表現。意味は曖昧模糊としているが、これでいいのだ。十和田市 久米新吉校庭の今朝の雪にはみちくさをせし山兎の足の跡あり* ルビは振ってないが、たぶん「山兎」は「のうさぎ」と読ませるのだろう。爽やかな叙景の歌。久喜市 深沢ふさ江風のやうに過ぐるマラソンの集団を見送つてゐる大根だいこ抱へて*「大根だいこ抱へて」が、まさに表現のドツボ。これで歌になっている。栗木京子選横須賀市 浜口祥子ようやくに熱の下がりし幼な子は椅子に坐りて医者の真似する* お孫さんだろうか。痛々しくていとおしい。いわば「いたおしい」?瑞穂市 渡部芳郎思ひ出し笑ひにあらむ風抜ける向かひのホームに妊婦微笑む俵万智選弘前市 竹内正史ぬけ道のある林檎園に少年の友を呼びゐる甲高き声大垣市 岡田薫人類が滅ぶ映画を見た後に君とカレーを食べる幸せ* 話題のSFXディザスター映画「2012」か。時事的要素を盛り込んで楽しい。八千代市 諏訪俊一会話なき住まいをいでて物言わぬスポーツクラブのマシーンと真向う
2009年12月22日
コメント(3)
今野寿美(こんの・すみ)冬ごもりふたり重かさぬる時のほか殖えゆくもののあらば教へよ歌集「星刈り」(昭和58年・1983)註上品で淫靡、幽(かそ)けきエロティシズムと諧謔味が渾然一体となっていて、思わずにんまりとしてしまうような、手練(てだれ)の技巧的な佳品。「殖」の文字も「生殖」を示唆して微苦笑。3度の「ふ」音の頭韻が、技あり。結句「教えよ」の挑発的な命令形もカッコいい。W.H.オーデンの典拠不明ながら一人歩きしている有名な詩句「われらの狂気を生き延びる道を教えよ O teach us to outgrow our madness」(深瀬基寛訳)を意識か。** この原詩と訳詩が存在することはネット上で確認できるが、タイトルやその他の内容などが確認できない。・・・今度図書館で調べてきますだ~。歌集のタイトル「星刈り」も、「欲しがり」の隠喩か。・・・欲しがりません、勝つまでは(・・・何のこっちゃ?)。註殖え:「殖ゆ」はヤ行の下二段活用なので、連用形の旧かなづかいもヤ行の「殖え」。
2009年12月21日
コメント(0)
作者未詳朝霜の消けやすき命誰たがために 千歳ちとせもがもとわが思はなくに万葉集 1375真っ白な朝の霜のように消えやすい命は誰のためにあるのだろうか?(あなたのために。)・・・まさか、千年あればいいとまでは思わないけれど。註もがも:「・・・であったらいいなあ」。係助詞「も」に、希望を示す助詞「がも」が接続した形。なくに:否定の助動詞「ず」の「く」用法「なく」に、接続助詞「に」のついたもの。「・・・ないのに」、「ないのだから」、「ないことよ」。
2009年12月21日
コメント(0)
俊恵(しゅんえ)夜もすがらもの思ふころは明けやらで 閨ねやのひまさへつれなかりけり千載せんざい和歌集 766あの人の冷たさが恨めしく一晩中物思いに沈んでいるこの頃はなかなか夜が明けやらず寝所の板戸の隙間さえ冷たいのよ。
2009年12月20日
コメント(0)
aiko「神様 あなたはいるのでしょうか?」「神様 あたしに笑ってみせて」歌姫(1999)枡野浩一神様はいると思うよ 冗談の好きなモテないやつだろうけど歌集「ハッピーロンリーウォーリーソング」(平成13年・2001)
2009年12月19日
コメント(0)
槇原敬之(まきはら・のりゆき)No.1にならなくてもいいもともと特別な Only one世界に一つだけの花(2003)〔歌:SMAP〕■歌詞全文今となっては少々旧聞に属するが、民主党政権の「事業仕分け」作業で、蓮舫衆院議員がいわゆる「スパコン開発費」に関して「世界一を目指す理由は何ですか? 2位ではだめなのですか?」と質問するや否や アズ・スーン・アズ、・・・あれ~? この言葉ってなんかデジャヴ(既知)だよな~と思ったが、それっきりになっていた。・・・が、その後何となく不意に思い当たった。そうそう、槇原敬之作詞作曲の「世界に一つだけの花」の歌詞であった。ウチは家族揃ってSMAPはお気に入りで、妻が剛くん、長女がキムタク、次女が吾郎くん、三女が慎吾くん、僕が中居くんの大ファンと、バランスも取れている(?)。この歌を、今年の紅白歌合戦でも彼らが歌うそうで、それ自体は別に問題ないどころかむしろ楽しみだ。SMAPに対して親しみこそあれ、何ら恨みはない。・・・がしかし、これはけっこう政治的な含みのある歌詞だよな~と思うのも、これまた事実ではある。僕らの若い頃は「政治と文学」が盛んに論議された。たかがブンガク、されどブンガクである。政治と文学(特に共産主義革命方面)について、ここに実例をいくつか書いたのだが、それぞれの作家や詩人などの熱烈支持者もいるだろうし、突っ込まれても面倒だし~、いろいろと差し障りがあるような気がするので、削除した(笑)現在は、歌の文句が政治に与える影響が甚大である。この歌が社民党・プロレタリアート系のデモ行進でガンガン流れていたのを実際に目にしたし、「プータロー賛歌」になっているという批判もよく聞いた。「反戦歌(反米・反帝国主義)応援歌」であるという向きも、当然あるだろう。特に深読みしなくても、そう読むなという方が無理であろう。確かに、紛うことなき天才たる槇原敬之ともあろうものが、策士が(作詞の)策に溺れたか、ちょっと変な歌詞であるという憾は否めない。1行目「No.1にならなくてもいい」のはその通りだろう。世の中がそう甘いはずもなく、なろうったってトップになれるもんじゃなし、これはよしとしよう。ただ、「ならなくてもいい」のであって、「なってもいい」というのが微妙な含みである。何といっても問題は2行目だ。「もともと特別な Only one」。・・・へえ? そうですかね?もともと?(生まれながらに?)特別な?(スペシャルな?)オンリーワン?(唯一無二の?・・・天上天下唯我独尊の?)お前はゴータマ・シッダルータ(お釈迦様)かよっ!と、思わずツッコミを入れたくなるような文句である。・・・と、今アドリブで書いたら、本当にそうらしい。ウィキペディアによると、作詞中の槇原敬之の頭の中には、実際に「天上天下唯我独尊」という言葉があったという。・・・恐れ入りました。あまりにもナルシスティックなお言葉じゃないかねと、やっぱり僕は批判的なのである。〔ウィキペディア「蓮舫」より引用〕2009年11月13日、民主党政権下に内閣府が設置した行政刷新会議事業仕分けの文部省予算仕分けの際に、蓮舫議員は日本の次世代スーパーコンピューターへの予算編成に対し「世界一を目指す理由は何ですか? 2位ではだめなのですか?」と発言し、次世代スーパーコンピューターへの予算編成削減を決めた。この発言について、ノーベル賞・フィールズ賞受賞者5人の科学者が記者会見で批判し、中でも野依良治は、「全く不見識であり、将来、(蓮舫を含む仕分け人は)歴史という法廷に立つ覚悟はできているのか」と述べ、利根川進も「“世界1である必要はない”と語った人(=蓮舫)がいるが、1位を目指さなければ2位、3位にもなれない」と続き、鳩山由紀夫総理へ次世代スーパーコンピューターへの予算編成を行うべきだと直談判した。また、石原都知事は彼女を「文明工学的に白痴的」「技術に関してはあの発言は論外」と批評した。
2009年12月18日
コメント(0)
枡野浩一(ますの・こういち)傷口をなめ合おうよと近づいて「なおったから」と拒まれている歌集「ハッピーロンリーウォーリーソング」(平成13年・2001)
2009年12月18日
コメント(0)
早いもので師走も半ばとなり、週刊誌各誌も今年一年の回顧モードに入っているが、「週刊現代」(講談社)の最新号(12/26・1/2合併号)が、「人気ではなく、実力で選んだ 決定! 日本のいい役者ランキング・男優篇」という特集記事を載せている。映画・演劇通の26人の目利きが、現在の旬な俳優の実力を厳正に選考しており、いわゆる人気や興行収入・視聴率などに左右されない「なるほど納得」な内容だと感服したので、結論のみ簡単にご紹介する。 俳優 年齢 最近の代表作/評価の要約 1 香川照之 44 「トウキョウソナタ」「剱岳 点の記」「坂の上の雲」* 市川猿之助と宝塚・浜木綿子の息子のサラブレッド。得難い役者。2 三浦友和 57 「東京DOGS」「沈まぬ太陽」*“山口百恵の旦那”と言われ続けて苦節30年、大器晩成の花開く。3 大森南朋なお 37 「ハゲタカ」「笑う警官」*「大駱駝鑑」の舞踏家・磨赤児の次男。男の色気で女性ファン悩殺。4 渡辺謙 50 「硫黄島からの手紙」「ラストサムライ」「沈まぬ太陽」* 日本人離れしたスケール。「独眼竜政宗」の頃から大物だった。5 岸部一徳 62 「死の棘」「フラガール」「僕らはみんな生きている」* ワン&オンリー。“曖昧という存在感”を演じ、何でも出来る。6 本木雅弘 43 「おくりびと」「シコふんじゃった。」* クールで熱い。距離を持って、自分を作れている。“銀幕の人”。7 阿部寛 45 「自虐の詩」「結婚できない男」* 味のある“アベカン・ワールド”を醸し出せている。8 西田敏行 62 「釣りバカ日誌シリーズ」「功名が辻」* 何でも出来る役者バカ。芸人の匂いも持っている大スター。9 山田孝之 26 「電車男」「クローズZERO」* カッコつけず、自分をさらけ出せる。腹の据え方が違う。10 山崎努 73 「おくりびと」「クライマーズ・ハイ」* 別格。年齢を重ねるほどに深みを増し、もはや人間国宝級の大御所。10 佐藤浩市 49 「壬生義士伝」「ホワイトアウト」* 父親は名優・三國連太郎。大物感を漂わせる職人気質(かたぎ)。10 柄本佑たすく 22 「子宮の記憶 ここにあなたがいる」* 演技派役者・柄本明の長男。唯一無二の存在感。13 松山ケンイチ 24 「デトロイト・メタル・シティ」「銭ゲバ」* 今風の妙な存在感。訛ってるところもいい(笑)。13 石橋蓮司 68 次週の「週刊現代」は、待望の「女優篇」だそうである。わが女神降臨の真木よう子さまは入っているのだろうか。・・・こりゃ何があろうと買わにゃあなるめえ
2009年12月17日
コメント(2)
読売歌壇 読売新聞12月7日付より* 久しぶりに新聞歌壇をチェックしてみたくなったが、14日(月)の新聞休刊日の関係か、今週の読売歌壇は休載みたいなので、先週掲載分から拾ってみる(適宜、ルビを振りました。*のあとは、筆者くまんパパ評)。岡野弘彦選滋賀市 若林豪秀かの果てに戦艦大和沈めりと凪なぐ海をゆきこころ波だつ長野市 上野ただし障子貼る母が鋭くかみそりを口にくはへてゐたる年の瀬小池光選福井市 佐々木博之木に止まり身体を揺する楽しさを椋鳥むくどりは知りわれは忘れき南房総市 小鷹美佐子猫も老いキャットフードの他ほか食べぬ早よ逝きませよ吾わが死なぬうち栗木京子選高槻市 上辻正七郎献金の記事読み捨てて八と九に溢れるスーパーへ自転車を漕ぐ* 鳩山首相は、実の母親から月額1500万円、少なくとも6年間で11億円の献金(お小遣い?)を貰っていたという。どこの世界の話かと吐き捨てつつ、99円や98円の数字で溢れるスーパーへ急ぐ。篠山市 清水矢一その後に妻の去る日のあるやなしいま定年の祝宴に居る* 定年後、ここぞとばかりに熟年離婚を切り出されて慌てる夫が世に多いらしい。そう思うと、これは針のムシロのような定年の祝宴である。俵万智選青梅市 諸井末男焼きたてのパンの香りも昇りゆくエレベーターの箱の形に
2009年12月16日
コメント(0)
天皇陛下の特例会見問題で、民主党の小沢一郎幹事長(67)その人が“炎上”している民主党本部がある東京・千代田区は、すでに事実上の“戒厳令布告状態”になっている模様。情報を総合すれば、小沢“上皇”は、慣例を無視した天皇陛下の中国副主席との異例の会見を、内々に鳩山内閣総理大臣に“指示命令”し、鳩山首相は官房長官を通じて宮内庁長官に正式に指示したという流れのようである。形式的な責任は鳩山首相にあるようだが、天気図は「党高政低」の冬型の気圧配置である。将軍様(チャングンニム)の北朝鮮に似た構造だ。どの段階にせよ、誰か止めるヤツはいなかったのかね?・・・いないんだろうな、猫の首に鈴を付ける鼠は。なにしろ小沢氏といえば、よく言えば「白い猫でも黒い猫でも鼠を捕る猫」(力量がある政治家への褒め言葉)だから。さらに、小沢氏が記者会見で、この横紙破りのゴリ押し・無茶振りを批判した羽毛田信吾宮内庁長官の辞任を公然と要求したことで、一気に重大な政治問題となった。・・・いや~、相変わらずのコワモテ意気軒昂ぶりには恐れ入るが、こりゃもう、虎の尾を踏んじゃってますよ~。もはやタダでは済みそうにない、上や下への大騒ぎである。小沢幹事長の記者会見発言全文【読売新聞】民主党の小沢幹事長が14日夕の定例記者会見で、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見に関して述べた内容は以下の通り。──皇室外交について、どのような考えを持っているか。【小沢氏】どういう意味?──習副主席が来日したが、天皇陛下との会見が30日(1か月)ルールにのっとらない形で行われることになった。【小沢氏】30日ルールって誰が作ったの。知らないんだろ、君は。──2005年に。【小沢氏】法律で決まっているわけでもなんでもないでしょ、そんなもの。それはそれとして、君は日本国憲法を読んでいるか。天皇の行為は何て書いてある。それはどういう風に書いてある、憲法に。国事行為は、内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ。だから、何とかという宮内庁の役人がどうだこうだ言ったそうだけれども、全く日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。ちょっと私には信じられない。しかも内閣の一部局じゃないですか、政府の。一部局の一役人が内閣の方針、内閣の決定したことについて会見して、方針をどうだこうだと言うのは、日本国憲法の精神、理念を理解していない。民主主義を理解していないと同時に、もしどうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ。当たり前でしょう。役人だもん。そうでしょう。だからマスコミがそういうところを全然理解せずに、役人の言う通りの発言を報道ばっかりしていてはいけません。ちゃんとよく憲法を読んで。そして、天皇陛下のお体がすぐれないと、体調がすぐれないというのならば、それよりも優位性の低い行事を、お休みになればいいことじゃないですか。そうでしょ、わかった?──天皇陛下の健康上の問題にかかわらなければ、1か月ルールはよろしいとの認識か。【小沢氏】1か月ルールというのは、誰が作ったんですか、というんですよ。──なくてもいいものだと。【小沢氏】なくてもいいものじゃない。それ、誰が作ったか調べてからもう一度質問しなさい。私は、何でもかんでもいいと言っているんじゃないんだよ。ルールを無視していいと言っているんじゃないよ。宮内庁の役人が作ったから、金科玉条で絶対だなんて、そんなばかな話あるかっていうことなんですよ。天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょうと、必ずそうおっしゃると思うよ。わかった?──小沢幹事長が平野官房長官に、習副主席と天皇陛下の会見を要請したと報道されている。事実関係はどうか。また、天皇陛下の政治利用だという議論が起こっているが、どう考えるか。【小沢氏】君も少し、憲法をもう一度読み直しなさい。今、説明したじゃないですか。天皇陛下の国事行為、行動は、国民の代表である内閣、政府の助言と承認で行うことなんですよ。それじゃ、国事行為は全部、政治利用になっちゃうじゃない。諸君の理解がまったくおかしいんだよ、マスコミの。そうでしょ。何をするにしたって、天皇陛下は内閣の助言と承認でと、それは憲法にちゃんと書いてあるでしょうが。それを政治利用だといわれたら、天皇陛下は何もできないじゃない。じゃあ、内閣に何も助言も承認も求めないで、天皇陛下個人で行うの? そうじゃないでしょう。──平野官房長官に要請したかどうかの事実関係だけ教えてほしい。【小沢氏】事実関係だけというなら、先の質問は勉強してから聞きなさい、もう少し。さっきも言ったけど、政府の決めることですから、私が、習副主席と天皇陛下を会見させるべきだとか、させるべきでないとかというようなことを言った事実はありません。──明日予定されていた幹事長と習副主席の会談が中止になったそうだが、この経緯は。【小沢氏】予定していたわけではございません。ただ、会いたいという連絡は、あったそうですけれども。非常にお忙しい日程で、3日間で、いろんな方とお会いするでしょう。私は中国に行ってきたばかりですし、お忙しいだろうと思って、ご無理なさらんでもよろしいと。〔読売新聞 12月14日21時26分配信〕宮内庁、外務省、広がる懸念 「亡国」批判も天皇特例会見問題【産経新聞】 民主党の小沢一郎幹事長は14日の記者会見で、羽毛田信吾宮内庁長官に辞任を迫るという激しい反発をみせた。宮内庁だけでなく、外務省にも今回の決定への強い懸念が広がる中で小沢氏が、異論を封じ込めようと、強気の姿勢を示したようだ。複数の日中関係筋の証言によると、鳩山政権は、中国側の度重なる申し入れに逡巡(しゅんじゅん)し、それでも抵抗できなかった。こうした対応に外務省関係者からは「外交では筋を通してほしい」、宮内庁幹部からも「問題を安易に考えている」と強い批判が出てきた。実は、政府は11月30日、正式に中国側に「会見は無理」と通告した。「1カ月ルール」と、75歳と高齢の陛下のご健康が万全とまではいえないことが理由だった。ところが、駐日大使館を中心とする中国側の巻き返しが始まる。政府・民主党だけでなく、野党・自民党の中曽根康弘元首相ら中国とパイプの太い政治家らにも「なりふり構わず」(外交筋)働きかけた。「日本が一度断れば、中国が必死に動いてくることは分かっていたことだ。なのに、鳩山政権は中国側の動きに動揺してしまった」別の外交筋はこう解説する。中曽根氏ら自民党の政治家は「われわれが『ルール破りはダメです』と説明したら理解してくれたが、民主党側は、まるで中国の走狗(そうく)となった」という。平野博文官房長官は12月9日、首相官邸を訪ねて重ねて会見実現を求めた中国の崔天凱大使に「陛下の体もあって大変厳しい」と明言を避けていた。だが、翌10日には小沢氏ら民主党議員143人の訪中団出発が控えており、結局、同日中に宮内庁長官に2回目となる指示を出し、宮内庁を押し切った。「官房長官から内閣府の外局である宮内庁の長官へという指揮命令系統を使ったということは、実質的に陛下に直接指示するのと同じだ」宮内庁幹部はこう指摘する。また外務省幹部の一人は、一連の政府・民主党の動きをこう言い切った。「亡国政権。小沢氏の意向が背後にあるのだろう」外交当局が、時の政権を「中国の走狗」「亡国政権」とまで形容するのは極めて異例だ。一方、政府筋は14日、「前政権のルールは知らないし、報道に違和感を持っている」と語った。陛下の政治利用の重大性や外交の継続性は見えなくなっているようだ。(阿比留瑠比)〔産経新聞 12月15日 0:14配信〕
2009年12月15日
コメント(8)
民主党政治は、松平定信の「寛政の改革」に酷似しているという言説を最近目にして、はたと膝を打った。「週刊ポスト」の先週号誌上でぶち上げたのは、舛添要一・前厚生労働大臣である。自民党陣営としてのプロパガンダの臭いが多少漂うとはいえ、さすが日本を代表するハイパー・インテリジェンス、言うことが違うわな~と感服至極である。現代の政治経済状況について、歴史的な事跡との類推でものを言うのは、若干短絡的かつ図式的との謗りも免れまいが、そう言われて改めて考えてみると、確かに似ている点は多々あるようにも思われ、この比喩はけっこう正鵠を射ているように思われる。■危機的状況にある経済と財政に対する無知と軽視に基づく、成長戦略皆無のケチケチ緊縮財政政策。■有能な官吏を多数罷免し幕府の信頼感が揺らいだことと、現今の官僚組織の政府への面従腹背的な離間。■金融活動への裁判・公的関与を停止、裁定機能を中止し、経済を混乱に陥れた相対済令(あいたいすましれい)と、中小企業の金融機関への債務返済猶予政策の類似。■非現実的な理想主義(儒教の中でも特に観念性が強い朱子学への依拠と、現代のエコロジー)の押し付けによる庶民生活の索漠化・窮乏および怨嗟。■外交の軽視と鎖国の再強化、アメリカとの同盟関係の重大な危機。・・・などなどである(ちょっと語彙が難しくなっちまった)。寛政の改革は非難轟々で、時間の流れがゆったりしていた当時でさえわずか6年でおおむね失敗に終わったといわれるが、それときわめて似ているように見える今回の諸改革は、いったいどうなるのであろうか?
2009年12月14日
コメント(2)
朝日歌壇 朝日新聞12月13日付より馬場あき子選瀬戸内市 児山たつ子すみませんすみませんといいながら人かきわけて老いてゆくなり佐世保市 近藤福代おもしろき言葉ありけり「山笑う」「膝笑う」庭のコスモス笑う ** 山笑う:枯木ばかりだった山に花が咲き揃うさまをいう、言い得て妙なる春の季語。ちなみに、漢字「咲」と「笑」は本来同義。「膝笑う」は、24時間テレビで120kmマラソンを走りきったイモトアヤコのヒザ状態。高野公彦選気仙沼市 畠山登美子霜消えて大根を干し、柿を干し、白菜を干す 雪虫が飛ぶ松山市 曽我部澄江つけくれし廊下の隅の豆球を夜ごとにつけて亡き夫つまに逢う永田和宏選東京都 内藤麻夕子母だってなりたいだろう孫馬鹿と叔母を笑いし心の奥は ** 一読して、意味不明とまではいわないが、非常に意味が取りづらい難解晦渋な一首だと思った。キーワードは「孫馬鹿」である。こんな言葉があるはずがないと勝手に思い込んでいたので、ワケが分からず暗中模索だったのだが、JiM*NYさんのコメントで、「親バカ」に準(なぞら)えた「孫バカ」だと分かって、やっと一首の意味が解読できた。・・・思い込みって恐ろしいし、日本語って難しいとつくづく思う――作者から見て「叔母」すなわち母の妹を「孫バカ」だと母が笑った(嘲笑った?)が、母も内心(その「孫バカ」に)なりたいのだろうと、(子がいない?)作者が思っているということか。なるほど、そうして見ると、なかなか深い心理を抉った作品かも知れない。
2009年12月13日
コメント(2)
文春文庫版の「日本映画ベスト150 ──大アンケートによる──」(文藝春秋、昭和64年・1989刊、絶版)という本に、今は亡き現代短歌の巨匠・塚本邦雄氏の日本映画ランキング・ベスト10が載っている(当時66歳とクレジットされている)。■参考:文藝春秋版・日本映画ランキング塚本氏といえば、短歌愛好者の世界では、ほぼ神様といって過言でない方である。小さなアンケートの書き込みであるが、きわめて示唆に富み、興味を惹かれる方も少なくないと思うので、ここにご紹介することにする。 タイトル 公開年 監督 主演俳優1 祇園の姉妹 昭11/1936 溝口健二 山田五十鈴、梅村蓉子2 ツィゴイネルワイゼン 55/1980 鈴木清順 原田芳雄、藤田敏八 大楠(安田)道代3 太陽の墓場 35/1960 大島渚 津川雅彦、炎加世子4 日本の悲劇 28/1953 木下恵介 望月優子、桂木洋子 上原謙5 限りなき前進 12/1937 内田吐夢 小杉勇、轟夕起子6 生きる 27/1952 黒澤明 志村喬、小田切みき7 戦場のメリークリスマス 58/1983 大島渚 坂本龍一、ビートたけし デイヴィッド・ボウイ8 怪談 40/1965 小林正樹 岸恵子、仲代達矢9 幕末太陽傳 32/1957 川島雄三 フランキー堺、左幸子 石原裕次郎、南田洋子10砂の女 39/1964 勅使河原宏 岡田英二、岸田今日子【歌人・塚本邦雄氏「祇園の姉妹きょうだい」評】同時期に同じく溝口監督の「浪華悲歌なにわエレジー」というのもありましたが、「祇園の姉妹」は当時としては最も鋭い感覚をもって美しい京都の景色の中に風俗を描き、世相批判をしている、そういうところを評価します。山田五十鈴が、本当に美しい梅村蓉子という女優さんと姉妹役で、昨今のいいかげんな関西弁でなく、完璧な京都弁をしゃべっています。脇役も溝口監督の常連で、生彩を添えています。なるほどな~と唸らされる。僕は、3位の「太陽の墓場」、4位の「日本の悲劇」、5位の「限りなき前進」、8位の「怪談」を見ていないが、ほか6作品は劇場やテレビ、ビデオで見たことがある。やはり、耽美的で濃密な作品がお好きらしいとお見受けでき、納得できる。■参考:鈴木清順「ピストルオペラ」トレイラー
2009年12月12日
コメント(0)
尾崎左永子(おざき・さえこ)氷雨ひさめふる街より入りし地下道に雛ひな売られゐて夜のそのこゑ歌集「彩紅帖」(平成2年・1990)
2009年12月11日
コメント(0)
思い起こせばつい先日、初秋の9月16日に鳩山内閣が鳴り物入りで発足してからまだわずか3ヶ月も経っていないというのに、早くも政権は完全に座礁し、すでに事実上のレームダック(死に体)化しているというのが、専門家から床屋政談子に至るまでのもっぱらの見方である。政治的にいうならば、“お前はすでに死んでいる”である。円高デフレーション瀕死経済へのあっけに取られるほどの無為無策、米軍普天間基地の名護市辺野古(へのこ)キャンプシュワブ沖への移設という重大な安全保障問題のこじれから日米関係全般の急激な悪化、そして自らのブリジストン・ママからの11億円(毎月1500万円!)のおこづかいの贈与税脱税疑惑の三重苦と、ど~にもこ~にも厚顔無恥のハットトリック・オウンゴールである。全てが「人ごと」のようで、リーダーシップというものを全く感じさせない軽やかな挙措動作が、何とも爽やかというか、虚しくも清々しくも痛々しい。祝・政権交代成就前後には新政権への期待は澎湃たるものがあっただけに、このところのメラニン色素沈着の燻(くす)みぶりには、なお一層落差が目立っている。今回の本年度第2次補正予算編成でも、国民新党のもしもし亀よ亀さんよ VS ぽっぽっぽ鳩ぽっぽの対立となり、業を煮やしたイラ菅の恫喝炸裂でなんとか大した事なきを得たようだが、結果的にはだいたいドン亀の要求どおりの満額回答、7.2兆円で“妥結”した。ことほど然様に、なべて押し込まれっぱなしである。・・・まあ、予算については、これはこれで結果的には良かったと、経済界などは歓迎している模様だが。あの飄々として無表情なかんばせから、かねてより、もしやとは思わないでもなかったが、これほどまでに“本物・純正”だとは、政権に就いた時点では誰ひとり想像だにし得なかったろう。まことに情けないと呟くほかはない。むろん、内閣総理大臣の地位はきわめて重く保障されており、自分で辞めると言わない限り、続けようと思えば続けられるともいわれるが、もしそんなゴリ押しをすれば、政権は立ち腐れのまま“炎上”し、地響きを立てて崩壊するであろう。ただ、僕は、あの華やかなりし「事業仕分け」だけは、まあまあ一定程度評価している。確かに、吊るし上げの中世魔女狩り・毛沢東の人民裁判みたいではあったが、これまで伏魔殿の深窓で行われていた予算編成作業を白日のもとに引きずり出しさらけ出したことはなかなかの見ものであったし、一定の意義はあったと思われる。野党・自民党筋からさえ、「なぜあれを自民党政権時代にやれなかったんだ」という怨み節が洩れ伝わってくるほどの、ちょっとした快挙ではあったと思う。ただし、頑張った人は、あくまで鳩山首相ではなく、同じユキオでも民主党若頭の枝野幸男氏や、鉄の女・蓮舫議員などであった。また、その過程で官僚機構の深い怨みを買ったことも間違いない。「この怨み晴らさでおくべきか」的な陰湿な反撃も、今後予想される。在日米軍再編・普天間基地問題では、日米両政府の予(かね)てからの合意通り、辺野古移設以外に道はないだろう。これはいわば、バラク・オバマと福島瑞穂オバサンのどちらを採るのかという問題だ。米国と握手し、社民党は切り捨てるほかに方途はないと思われる。進むも地獄退くも地獄であるが、こちらの方が傷は浅いといえる。・・・とはいえ、どっちみち限りなく致命傷に近いことは言うまでもない。政界では、早くも菅直人氏へのタナボタ政権禅譲の時期が最大の関心事になっている。鳩山氏に対しては、日米両政界とも、つとに冷ややかな総力無視(シカト)の音無しの構えに入ったといわれている。岡田克也外相とともに、失脚・追放・クズィ~お払い~の運命であろう。政治の一発屋にすらなれなかった。一方、野党の雄たる自民党も、決して余裕綽々・高見の見物とまでは行かず、政策総路線の見直し再構築と党勢建て直しにまだまだ時間がかかる見通しなので、そうそう簡単に民主党が最期的瓦解・四分五裂してもらっては困るのである。時間がほし~のなのである。来年夏の参院選前ぐらいまでに、ゆっくりとおもむろに民主党政権が自壊してくれれば、自民党にとっては最良のシナリオとなるだろうが、下手するとどうもその時期が早まりそうな気配も漂っているのが不気味だ。まさか、いくら何でも衆議院解散・総選挙とのダブル選挙なんてことはないと思いたいが、一寸先は闇の政界、何があるのか分からないのも、これまでの例に照らしてもあり得ることじゃわいな。お話変わって、「お塩様」こと押尾学容疑者って人は、よく知ってるわけじゃないが、芸能界周辺部あたりによくうろついている、絵に描いたようなジゴロ・チンピラ・ゴロツキって感じですかね。こういう人がすごく悪いことをして、逮捕されて、嘘八百の弁解をして、その結果お白洲で厳しい裁きを受けるのは、巨視的・傍観者的に見ればすごくいいことだと、いっそ微笑ましい心持ちさえするのである。何やらこの人、ずいぶんと根拠のない自信とビッグ・マウスの、ずば抜けた大ボラ吹き・無責任男だったらしいね~。しかも、含羞とかテレとかがこれっぽっちもなくて、ある意味大真面目なところが、オイオイである。・・・ただでさえ日本社会では嫌われるタイプだよね~。ウザイとか言われつつ、憎まれっ子世にはばかって。わざわざ自ら進んで反感を買いたいらしいね。真正のおバカですね~。・・・そこのところに若干愛嬌が漂ってしまふのが、ミョ~な人気の源泉なのか。おまけに、今般のケースでは、さらに薬物使用と保護責任者遺棄致死(≒未必の故意で殺人罪適用も検討?)の、三拍子の芸者ワルツときては、この人の自力更生・社会復帰はとこしえに無理だろうね。ま~なんつ~か、自己と言うものを客観的に見つめられない弱い男の悲劇であり、末路である、ってなところかね(・・・同情はいたしませぬが)。それにしても、お塩との交友関係で浮上しているという、誰でも名前を知っているチョ~大物運動選手はどうなっつまうのかね? 無罪放免かね。・・・この件につきましては、これだけです
2009年12月10日
コメント(2)
正岡子規(まさおか・しき)ベースボールの歌久方のアメリカ人びとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来きたる人の手の中に今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸のうちさわぐかな九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり明治31年(1898)註久方の:「天(あめ)」、「雨」などに掛かる枕詞(まくらことば)。
2009年12月08日
コメント(0)
正岡子規(まさおか・しき)鶏頭の十四五本もありぬべし明治33年(1900)作鶏頭が十四、五本も咲いているだろうなあ。ケイトウ(アカザ科)註子規の俳句の最高傑作の一つ。当時不治の病であった結核・脊椎カリエスに苦しみ死の床に臥した子規が、いつか見た秋の庭の鶏頭のささやかな、しかしながら鮮やかな光景を、万感の思いを以って回想している再晩年の作。天下の岩波文庫の「子規句集」などの編纂に当たって、同郷の高弟・高浜虚子は、明らかな名句であるこの作品を見逃し(・・・もしくは意図的に除外し?)、巨人・斎藤茂吉をはじめ、長塚節(たかし)、加藤楸邨(しゅうそん)、山本健吉らに強く批判されたが、その後も頑なに黙殺し続け、虚子の選句眼は大きく疑われるに至った。こういうことはしばしばきっかけに過ぎず、一事が万事であって、虚子の頑迷固陋で権威主義的な人格攻撃にまで及んだ、曰く因縁つきの名句。私も、何ら虚子に同情しない。現在の岩波文庫「子規句集」(高浜虚子選)にもこの句は収録されていない。この本は、いわば欠陥商品といってもいいだろう。・・・個人的には、洒落の分かる碩学の俳人・坪内稔典(ねんてん、としのり)辺りの選で、初めから全部編集し直した方がいいと思う。
2009年12月08日
コメント(0)
松尾芭蕉蛤はまぐりのふたみに別れ行く秋ぞ奥の細道蛤の蓋(ふた)と身が二つに引き裂かれ分かたれるように私は親しい人々と別れて伊勢の二見に向って行く。折しも時節は行く秋である。註「不易流行」を具現化した日本古典文学不朽の名作「奥の細道」の掉尾を飾る記念碑的名句。生涯を通じて、いわば“ナチュラルな枯淡”とでもいうべき「侘び寂び」「軽み、萎(しお)り」の句風を追求し続けたさしもの芭蕉も、畢生(ひっせい)の著作のラストとあってか、珍しくここでは和歌的ともいえる華麗な技巧を凝らしたアーティフィシャル(人工的)な詠風を見せている。「蓋」と「身」、「二身」、「(伊勢)二見」、「分かれ」と「別れ」、「(別れて)行く」と「行く秋」が、それぞれ重層的に掛かっている。
2009年12月07日
コメント(0)
イロハカエデ(カエデ科)── けさ、近所で写す。
2009年12月06日
コメント(0)
ヤツデ(ウコギ科)の花トキワサンザシ(ピラカンサ、バラ科)2日、市内で写す。
2009年12月05日
コメント(0)
松尾芭蕉波の間まや小貝にまじる萩の塵奥の細道波の合間の渚を見ると、ますおの小貝に交じって萩の花びらが美しく散りわたっている。註〔別案〕小萩散れ ますほの小貝小盃(こさかづき)越前(福井)敦賀・種(いろ)の浜(現・色浜)にて。ますほの小貝:チドリマスオガイ。大きさは、米粒ないし小豆(あずき)粒大。種(いろ)の浜(色浜)の名もこれに由来するという。
2009年12月05日
コメント(2)
斎藤茂吉(さいとう・もきち)ゆふされば大根の葉にふる時雨しぐれいたく寂しく降りにけるかも歌集「あらたま」(大正10年・1912)註さる:古語では、おおむね「来る」「訪れる」の意味。時雨しぐれ:晩秋から初冬にかけて、ひとしきりぱらぱらと降ったり、また晴れたりする雨。
2009年12月05日
コメント(0)
2日に近所で写す。
2009年12月04日
コメント(2)
北沢郁子(きたざわ・いくこ)密かにもここにありしかピラカンサ燃ゆるがごときものを忘るる註燃ゆるがごときものを忘るる:燃えるような感情の昂(たかぶ)り(・・・恋情? 憤怒?)を忘れてしまうほどに赫々(あかあか)として。文法的には、動詞「忘る」の連体形「忘るる」が、「ほど(に)」などの体言(名詞)に接続している形で、体言は省略されている。
2009年12月04日
コメント(0)
小池光(こいけ・ひかる)詞ことば書きのうるささに似てピラカンサ房実垂れ垂る行きずりの家角川「短歌」2009年1月号トキワサンザシ(ピラカンサ Pyracantha ── バラ科)きのう2日、近所で写す。
2009年12月03日
コメント(0)
栃木・宇都宮市内で、2日に写す。
2009年12月02日
コメント(0)
松尾芭蕉古き名の角鹿つぬがや恋し秋の月芭蕉翁 月一夜十五句皓々たる月光に照らし出された敦賀の湊を眺めているとこの世ならぬ気分に包まれてきて遠い昔の角鹿という古名が恋しくなった。註「奥の細道」には収録されなかったが、4つ前のエントリーの句と同じく、元禄2年(1689)旧暦8月中旬(新暦の10月初め頃)に越前(福井)敦賀で詠んだもの。なかなかロマンチックな雰囲気がある作品である。芭蕉自家薬籠中の用法である「や」の切れ字がまたしても効果的に使われて、余韻を醸し出している。角鹿つぬが:敦賀の古名。「日本書紀」にこの名で登場する。同様に、日本の地名・苗字には縁起を担いだ当て字が多いことはよく知られており、枚挙にいとまがない。山門→大和、黍の国→吉備の国、木の国→紀の国(紀伊国)、葭原(あしはら→よしはら)→吉原、窪田→久保田、新堀(にいぼり)→日暮里・・・等々。徳川という苗字も、江川→得川(えがわ→とくがわ)→徳川となったという説がある(・・・何かの本で読んだ覚えがあるが、どの本だったか出典は忘れて不詳)。
2009年12月01日
コメント(0)
今年のNHK大河ドラマ「天地人」が、歴史に詳しい方々のブログなどでは悪評サクサク、絶不評だったのは記憶に新しい。全般的に時代考証をあまりにも無視して綺麗事に流れすぎ、話も小細工を弄してご都合主義で作りすぎ~、一部では当時の戦国時代・封建主義社会の通念からしておよそあり得ない設定で、捏造だ~というような意見も散見された。まあ、こういったあたりが、おおよそのブーイングの中身だったようである。歴史は好きだが、マイナーな部分までさほど詳しいわけではない僕は、最初は「そんなにヒドイかな~? まあまあじゃないすかね~?」ぐらいに思っていたが、徐々に、ナンボなんでもこれはないだろ~と、見ていておケツがこそばゆくなるような場面が次々と出てくるに至って、批判はけっこう正鵠を射ているのだろうと思うようになった。あんまり作り話が多いと、これだけのネット社会、それはどこかで誰かに見透かされ周知され、結局白けてしまう。ドラマだから、多少のデフォルマシオンや演出で盛り上げるのはいいとしても、全体的にもうちょっとリアルに作った方がいいのではないだろうか。歴史は、それ自体が十分に面白いのだから。・・・なお、受信料きちんと払ってますから、このぐらい要求する権利はあると思うさて、それはそれとして、誰が何と言おうと、とにかく最高に良かったのは、主人公・直江兼続が60歳の還暦で、まことに穏やかな死を迎えるラストシーンである。うわ~、いいなあと、素直に思った。人生の幕切れはかくありたきものよと、涙がとどまることを知らなかった。今もなお、録画したDVDを繰り返し見ては、ウルウルしている有様であるわが妻よ、大事にしますから、その際はよろしくね~紅葉(もみじ)舞い散る、更け行く秋の庭に面した縁側の露台で、妻・お船(せん)が拾った、鮮やかに色づいたひとひらの楓の紅葉を両掌(てのひら)に挟んでもらい、万感迫る面持ちで看取られ寄りかかられながら、戦乱の世を駆け抜けた大いなる男の魂は、故郷・越後の大地に向って飛び立って行くのだった。ラストシーンの中でも、特にラストショット(カット)は、まさに一幅の名画のようだった。老け作りのメイクをした常盤貴子の、黙(しじま)の中の静かな涙の演技が、超絶の美しさであった。
2009年12月01日
コメント(2)
前々項の松尾芭蕉の俳句に関して、いつもご愛読いただいている楽天ブロガー仲間でネット友のJiM*NYさんから、コメントで鋭いご指摘を受け、きわめて的確な問題提起だと思いました。いつもありがと~、感謝してます~俳句や短歌の途中で、「や」とか「かな」とか、終止形でいったん文が終わるのを「切れ字」と言うが、芭蕉はこの手法を完成させた天才であり、特に「や」の用法はまさに独壇場といえる。まさに、工夫の句風、詠風、作風である。芸能の淵源、能の用語で言えば「芸風」と言ってもいいだろう。代表作といわれる名句でも、古池や蛙とびこむ水の音夏草やつはものどもが夢の跡しづかさや岩にしみ入る蝉の声荒海や佐渡に横たふ天の河・・・など、驚くほど愛用・多用している。まことに見事というほかはない。なお、「や」は、「か」と並び、もともと疑問の係助詞・終助詞だったが、その後疑問の意味はほとんど失われて、詠嘆や強調の間投助詞になった。ちなみに、芭蕉は伊賀出身の関西人である。現在の関西弁の語尾の「や」(「あいつはほんまもんのアホや」などと使う)は「にてあり(にてある)」が転訛して→「ぢゃる(おぢゃる)」→「ぢゃ(じゃ)」→「や」と音便化したもので、文法的には助動詞に分類され、語源は全く異なると思われる。来年のNHK大河ドラマで頻出するであろう土佐弁の語尾「ぜよ」は、おそらく「ぢゃ(じゃ)」が別に変化した「ぜ」に「よ」が付いたものだろう。・・・が、言葉の来歴はそう単純明快なものではなく、一部は助詞の「や」の詠嘆的なニュアンスも取り込まれているとも考えられなくもない。「にて」は現代語でも決して死語ではない。改まった表現では普通に用いられる。「ホテルにて挙式」、「ホテルで挙式」、どちらも可である。が、日常語としての趨勢は「で」が優勢であろう。「にて」を含む文節は、口語としてはたいてい「ダ」行になってしまうようである。これは、現代語「じゃん」ときわめて似た経緯である。僕と妻は普段、ごく普通に「じゃん」言葉で話しているが、これも「にてはないか」→「ぢゃないか」→「じゃない?」→「じゃん」と転訛したものである。
2009年12月01日
コメント(0)
この夏、あわれ野党に転落し、「金襴緞子(きんらんどんす)」から「貧すれば鈍す」の境遇をかこつに至った自民党が、党名変更(改称)を検討していることが明らかになった。どこまで本気なのかは知らないが、久しぶりに微爆笑できた話題ではあった。問題提起をしたのは、天下に隠れもなき論客、前厚生労働大臣の舛添要一氏であるという。・・・う~む、さすがに問題意識が鋭いなあ~。保守層である自民党支持層の国民が保守的であるのは、言うを俟たない同義反復・自己完結的な事実である。ゆえに、こんなことが実現する見込みはほぼ皆無に近いとは思うが、言葉の表現のお稽古、なかなか高度な言語遊戯、思考実験、頭の体操&暇つぶしとしては格好のモチーフかも知れない。浮き世の義理で形だけに過ぎないとはいえ、レッキとした自民党員の端くれである僕は、この話に乗ってみることにする。前置きはともかくとして、とっとと行ってみよう~!日本党日本国民党自由改革党日本国の古来よりの美称「敷島」と「瑞穂の国」を合わせて、敷島瑞穂党・・・これは誤解を招く恐れが大である自由民主党-民主党= すなわち、自由党日本伝統党共産主義(共有財産)に反対し、私有財産を尊重・保護する立場から、日本私産党日本共和党・・・とりあえず、こんなところが思い浮かびますた~皆様も、建設的なご意見があれば、コメントを下さいませ~。政権奪回へ自民が3理念、党名変更も検討課題 【読売新聞】 自民党の政権構想会議が年内にまとめる政権奪回に向けた基本理念の原案が25日、明らかになった。 政府の市場への過剰介入を避けることなど、三つの目標を掲げたほか、検討課題として党名の変更を挙げた。党所属議員の議論を経て、来年1月24日の党大会での承認を目指している。 原案では「国民に『自由民主党』という党名に対する拒否反応がある」と指摘した上で、党名や綱領の変更を検討項目として提案した。党名変更は1993年の細川政権成立で下野した際も議論されたことがあるが、94年に村山政権で与党に復帰したことや、比例選での党名投票で不利になるなどの意見を考慮して、シンボルマークの変更にとどめた経緯がある。 一方、三つの目標として〔1〕資本主義制度を円滑に機能させる〔2〕民主主義を堅持する〔3〕社会の安定を確保する――ことを挙げた。その方策として、経済成長を通じた歳入増による社会保障分野の充実、多様な意見を反映できる選挙制度への改正、地域共同体を利用した国民の「協同連帯」の強化の必要性などを示した。(11月25日14時35分配信 読売新聞)
2009年12月01日
コメント(2)
全41件 (41件中 1-41件目)
1