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TATSUROYAMASHITASPARKLE
2024年07月31日
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The Beach BoysWouldn't It Be NiceWouldn't It Be NiceLive
2024年07月28日
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Edith PiafHymne à L'Amour作詞:エディット・ピアフ、作曲:マルグリット・モノー越路吹雪 愛の讃歌訳詞:岩谷時子Céline DionHymne à L'Amour2024 Olympique Paris宇多田光Hymne à L'Amour愛のAnthem(国歌)訳詞:宇多田光
2024年07月28日
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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)閑しづかさや岩にしみ入いる蝉の声おくのほそ道陸奥みちのくの深山みやまの奥にこのように閑寂なまほろばがあったのか。蝉の声がさざめいて岩に染み入っている。立ちつくしてそれに聞き入っている私はいつしか「無」になっていた。註元禄2年(1689)夏、出羽国(でわのくに、現・山形県)立石寺(通称、山寺)にて詠んだ。芭蕉46歳、代表作の一つで不朽の名句。なお、立石寺の読み方は、現在「りっしゃくじ」と呼ぶのが一般的だが、古くは「りゅうしゃくじ」と呼んだという。「建立」などと同じ呉音であろう。* 本文の表記は、岩波文庫『おくのほそ道』および『芭蕉俳句集』に依拠した。
2024年07月27日
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坂本野原 熊五郎の夏吾輩は熊五郎なり古き良き時代遅れの男なりけりおととひかきのふ初めて蝉の声うるさきほどに空に響きぬ来週は宮まつりだねくまむすめ二十回目の夏のはなやぎその次の週には花火大会が鬼怒川べりで開催される浴衣着て寝そべりたいな鬼怒川の河川敷にて見上ぐる夜空大洗の海の家にて姐さんが焼いたはまぐり焼きすぎだつた大洗の浜辺で蜂に刺されたねUVカットの香りを嗅いで手を引いて歩んだ娘いまはもう自立寸前 行かないでくれ民法や環境科学論じつつ夕餉ゆふげ楽しむ吾子あこの成熟こころみに禁治産者の認定はだうするんだと娘に問ひつ生き写しの娘の顔と対等に向き合ひをればいとどかなしき二十年子育てをして十八年ブログを書いて楽しかりけりそれなりにつらかりしこと多かりし父の来こし方理解してゐる人生はおほむね予定調和にてディテールのみに個性はあらむ父と娘このシミュレーションの恋愛は残念ながら他者へと向かふこのやうにして遺伝子は引き継がれ一代ひとよ過ぎゆく 本望である海がない栃木県にも青空の大海原に涙の漣さざなみ貧乏を背景とする文学の不可能性はやむを得まじよ貧乏の情緒はすでに過去のもの革命なんてもう無理だよねハングリー精神なんてもうないし田中角栄杳とほき伝説レジェンド白河に始発でラーメン食べに行く東北線に乗る目的はオリュムポス山の祭りに神々はつどひたまへどいくさ終はらずまおんだと思ってゐたら意外にもまひねなのだといふ佐々木アナ* 旧かなづかひ。
2024年07月26日
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久石譲 Summer映画『菊次郎の夏』オリジナル・サウンドトラック久石譲 Summerセルフ・カヴァー北野武監督『菊次郎の夏』予告編ビートたけし関口雄介*『菊次郎の夏』は、 日本映画史上屈指の名作『無法松の一生』(稲垣浩監督、原作:岩下俊作『富島松五郎伝』、何度も映画化されているが、初代・坂東妻三郎、二作目・三船敏郎主演が特に有名)の見事なアンチテーゼ(反措定)的な換骨奪胎(パスティーシュ)の一つであろう。山田洋次『男はつらいよ』シリーズも、この名作を下敷きにしたといわれる。他愛のない(一見チンケでくだらない)挿話を積み重ねていきつつ少しずつじわじわと感動を盛り上げていく手法は、結果として僕が大好きで最も尊敬している作家・保坂和志の作風にも近い。そして、久石譲の、この音楽史上に残る神曲。リアルとはかういふことと思ひたり
2024年07月26日
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ダウン・タウン・ブギウギ・バンド港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
2024年07月25日
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Percy Faith& His OrchestraTheme From"A Summer Place"
2024年07月25日
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■ 池上彰氏のテレ朝番組内容に異論「テレビで放送すべきではありません」三省堂国語辞典編纂者・飯間浩明氏が指摘【日刊スポーツ 20日】〔記事引用〕国語辞典編纂(へんさん)者の飯間浩明氏が21日までに自身のX(旧ツイッター)を更新し、ジャーナリスト池上彰氏が時事問題などを解説するテレビ朝日系番組「池上彰のニュースそうだったのか!!」の内容について、意見を表明した。飯間氏は「三省堂国語辞典」編集委員で、日本語の専門家として多数の著書出版や番組出演をしていることで知られる。飯間氏は投稿で「7月20日のテレビ朝日『池上彰のニュースそうだったのか!!』で、『日本』の読みが『ニッポン』から『ニホン』になったのは〈せっかちな江戸っ子が早口で話し〉たためと解説」との番組内容を紹介すると「これはきわめて明白な俗説中の俗説で、『※諸説あり』と断ったとしても、テレビで放送すべきではありません」と指摘した。続く投稿でも「『諸説あり』という表現は、専門家が真実を追究して、それでもなおいくつかの説に分かれる、という場合にこそ使うべきです。専門家なら『それは事実に反する』とあっさり否定できるような説を『諸説』の中に加えるべきではありません。『諸説あり』がフェイクを拡散させる免罪符になってはいけません」と記した。自身の見解については「あと、『ニッポン』と『ニホン』の発音はどちらが正しいか、という話は、私はしていません。それは番組の言うとおり『どちらも正しい』と考えて差し支えありません。このことは『日本語はこわくない』(PHP研究所)に書きました」と言及。「江戸時代の前の時代からすでにnifonの発音があったので、江戸時代にもnifonまたはnihonがあったことは疑いありません。私が指摘するのは、『ニッポン』が江戸時代にせっかちな江戸っ子の早口によって『ニホン』になったわけではないよ、ということです」と強調した。さらに「もとの『nippon』系から『nifon(nihon)』系が生まれた理由のひとつはp→fという子音弱化ですが、もうひとつ、『持ちて行く→持って行く→持て行く』のような促音の脱落も理由でしょう。(『持て行く』と書いても発音上は「っ」を入れたとも言われますが、発音しない場合もあったと考えられます)」などと変化の背景について、持論を展開した。池上氏の番組では「ニッポン」「ニホン」について、政府が09年に「統一する必要はない」と見解を表明したことを紹介。その上で、池上氏は「諸説あるんですけど、ニッポンと言っていた時代、江戸時代、せっかちな江戸っ子が早口で話しているうちに『ニホン』となって広がっていった、とも言われています」と伝えていた。〔引用終わり〕なんか気難しそうな人だと思っていたが、やっぱり小難しかった。・・・まあ、学者らしいと言えば言えるか。言ってることは分からないではないが、「『にほん』江戸っ子起源説」が「明白な俗説中の俗説」とまで言うのは言い過ぎじゃないだろうか。専門家、必ずしも万能ならず。言葉ヲタクである私は、飯間氏の言っているような内容はつとにおおむね知っていたが、根拠(エヴィデンス)が盤石でないように見え、子音弱化と促音(小さい「っ」)脱落の時期についてなどは、歴史的史料からは断言できず推論の部分も少なくなく、「最終的に(ダメ押し的に)、気が短くて早口な江戸っ子が『にほん』にした」という言説もあながち間違いとは言い切れないと思う。私は飯間氏にやや批判的である。今も東京(江戸)では「にほんばし」、大阪では「にっぽんばし」と読む事実は、一つの有力な傍証である。なお、この問題は事実上、ナショナリスティック(民族主義的)な感覚にも絡んでくるので、なかなか厄介ではあるが、本来はそういったこととは無関係であり、純粋に歴史的事実の問題である。ただ、いずれにしても、もともとは「にっぽん」であり、それが室町・戦国時代あたりから安土桃山・江戸期にかけて徐々に簡略化・音便化されてゆき、「にっぽん」→「にっふぉん」→「にふぉん」→「にほん」という読みも生じたという歴史的な流れの大筋は間違いないだろう。もちろん現在では、麻生太郎首相(当時)の国会答弁*もあり、「にほん」「にっぽん」どちらでもいいことは言うまでもないが、あえてどちらが正統的なのかと問うならば、「にっぽん」に軍配が上がるのは事実だろう。少なくとも、公式的な国号の呼称としては、そうであろう。・・・まあ僕もふだんは、気軽に発音しやすくて言葉の響きもやさしい「にほん」と言ってるけどね。*平成21年(2009)9月30日、民主党(当時)岩國哲人衆議院議員の「日本国号に関する質問」に対する麻生太郎内閣総理大臣(当時)の国会答弁(日本政府としての公式見解、現在も有権・有効)「『にっぽん』又は『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている。」
2024年07月21日
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山下達郎Sync Of Summer
2024年07月21日
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『サタデープラス』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)20日朝放送より。吾輩はめんつゆってものが幼少期から大好きで、ほぼ中毒・アディクテッドなのである。蕎麦、そうめん、冷奴などは、半ば以上めんつゆの味を味わっているとも言えるだろう。日本の食文化のひとつの粋であると言ってもいいだろう。暑すぎるこの夏は、めんつゆを冷水で薄く割って日常的に飲んでるぐらいだ。実にうまい。・・・塩分の取りすぎがやや心配だけどそんな私にとって絶対に見逃せない「ひたすら試して『めんつゆ』ランキング」が登場した。この「ひたすら試してランキング」シリーズは『サタデープラス』の名物企画で、MBSの看板女子アナと一流料理人や専門家たちが、丸一日かけて体を張って食品や日用品をランク付けしていくコーナーで、非常に面白くてけっこうよく見ている。録画したので、内容を簡明にお伝えする。〇1位 ヤマキ めんつゆ発売45年。そうめんとの相性は揺るぎなくトップ。鰹の香りがしっかりしていて、めんによく絡んで引き立たせつつ一体化する。どんな料理にも合う。何に対しても裏切らない素晴らしいつゆ。万能。〇2位 ヤマサ 昆布つゆ昆布の甘みの余韻。上品で角の取れたまろやかな味。しっかりと昆布が利いた出汁に「こし」がある。昆布の扱いが優秀。〇3位 ヤマエ 高千穂峡つゆ しいたけ味九州の一地方メーカーが、並み居る全国区の強豪を向こうに回してランクインの快挙。椎茸の存在感がしっかりしている。一口で、いわば鍋を食べている気分。冷奴、炊き込みご飯に、深みのある絶品。煮物などの料理がワンランクアップ。〇4位 ヤマサ これ!うま‼ つゆ新参のヒット商品が上位入選。大泉洋の「これ使っとけばだいたいうまいよ」のCMでおなじみ。同社お家芸の「白だし」が入っている。冷奴との相性では、まさかのトップ評価。出汁がしっかりしているので、大根・蕪の煮物や茄子の煮浸しなどにも合う。〇5位 ヤマキ お塩ひかえめ めんつゆ塩分30%カットでも鰹の風味はしっかり。減塩のイメージを覆した。〔くまんパパ寸評〕以下は筆者独自の感想。ヤマキとヤマサの定評ある両雄に、こちらもヤマが付く九州の地方メーカーが食い込むというランキングになった。おおむね予想通りの結果に、自分の味覚の確かさに改めて自信を持ってしまったのである。昆布が健康にいいというイメージなどからか、なんとなくヤマサ昆布つゆをいろんなものに使いたがる妻に、これはめんつゆとしてはちょっと違うんだよね~と控えめ遠慮がちにぶつぶつ呟き続けて幾星霜。最近では時々(セールの時などに)「お父ちゃんが好きだから」などと言いつつヤマキめんつゆを買ってきてくれるようになったのが、素直に嬉しいのです。ありがとう、妻。おめでとう、自分ヤマキが至上なのは、蕎麦やそうめん好きには自明だと思う。もちろん、一流の蕎麦屋の丹精込めたつゆには及ばないが、けっこう肉薄していると思う。ヤマサ昆布つゆは、確かにまろやかであり完成度は高いが、あえて言うならば、まろやかすぎる。誤解を恐れずに表現すれば、やや甘ったるい。オーセンティック(正統、伝統的)な蕎麦つゆの味からみると、ちょっとパンチが足りず、満足度が落ちる。微妙に違うんだよな、となる。出汁の風味は、逆にあまり濃厚でもちょっとくどいと感じることがある。固有名詞を出しては悪いかもしれないが、創味のつゆは、私にはちょっとしつこい。物事には程度というものがあり、うまみも濃ければ濃いほどいいってものでもないのが難しいところだ。あれはやっぱり関西・近畿文化圏の味だろうか。うどんなどには合いそうな気もするが、あいにく私は関東人である。また、体調や気分によっては、豆腐などには生醤油寄りで出汁控えめのシンプルな味がいい時もある。そんな時はキッコーマンが悪くないと思う。これはさすがに世界最大手の醬油メーカーだなと思う。
2024年07月21日
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藤原定子(ふじわらのさだこ、ていし)夜もすがら契ちぎりしことを忘れずば 恋ひむ涙の色ぞゆかしき栄花物語後拾遺ごしゅうい和歌集 536私との夜よを忘れずにいたならば君の涙の色は何色―― 俵万智訳(『NHK短歌』8月11日放送)ひと晩中ともに過ごして契ったことを忘れないでいてくださるならばわたくしに恋い焦がれるあなたの涙の色が何色なのか知りたいのです(それは、血の涙・紅涙の紅でしょうか)。註この歌を贈られた相手は、一条天皇(今年の大河ドラマでは塩野瑛久)。ドラマでこのところ展開されつつある、中宮(皇后)として次第に孤立を深める八方塞がりの状況の中で詠んだ絶唱。けっこう怖い情念と執炎の歌か。日本女性のトップの地位ともいえる皇后だが、ドラマの中で何度も言及されているように、幸せとは言い切れないようだ。むしろこの回のタイトル「いけにえの姫」の通り、いわば人身御供なのかも知れない。この歌は、ほぼ辞世(この世を辞するに当たって詠んだ歌)に近い。作者はこのあと第三子を出産直後、逝去。享年24歳。高畑充希が、悲運の高貴な姫君を渾身で演じて、見事なはまり役。ゆかし:もとは動詞「行く」を形容詞化したもの。「行ってみたい」の原義から、「見てみたい、知りたい」、「慕わしい、いとおしい」などの多義的なニュアンスを伴って現代語「ゆかしい」に至った。「奥ゆかしい」の語も派生した。ちなみに、清少納言は作者の女房(おそば付きの侍女兼家庭教師のような女官・官女)だったが、作者の死没とともに零落したともいわれる。また、のちに歌聖と呼ばれた若き西行(佐藤義清)は、のちに最高権力者となった同い年の平清盛とともに、一条天皇の北面の武士(御所を守護する近衛兵)だった。平安の世(日本古代の最後期)の絢爛たる文化はこのころピークを迎え、その終末(武士の世への変革)をも微かに兆していた。
2024年07月07日
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小泉今日子 優しい雨
2024年07月06日
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俵万智(たわら・まち)「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)Because you told me"Yes, that tasted pretty good"July the Sixthshall be from this day forwardSalad Anniversary英訳 ジャック・スタム Jack Stamm【俵万智さん自註】 サラダがおいしかったというような、ささやかなことが記念日になる。それが恋というものだし、それを記念日として刻印してくれるものが、自分にとっての短歌だ。(角川「短歌」2009年7月号)註今では国語の教科書にも載っている現代短歌の記念碑的名歌。この一首によって、7月6日は、いわば「短歌記念日」にもなったと私は思う。きわめて技巧的に組み立てられた作品である。表向きの社交辞令的公式解題というべき上記の「自註」はそれなりに諒として、著書『短歌をよむ』(岩波新書)で自白しているところによると、手帳に書きとめた初稿は、「カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日」だったという。「サラダ」も「七月六日」も、影も形もなかった。そこから、「からあげ記念日」なども含め、文字として残っているだけで8パターンもの推敲案の苦闘を経て、発表された形になったという。日付の改稿についても、季節感に配慮しつつ、七夕の7月7日では恋の歌には即つきすぎとして斥けるなど、周到な創作過程であることが分かる。これほど苦心の彫琢ではないにしても、短歌実作者であれば、まず例外なく着想から推敲・脱稿に至るまで、呻吟しながらこれに近いようなことはけっこうやっている(そこがまた楽しからずや、ではある)ので、こちらの勝手な一方通行ながら、共感と惻隠の情を禁じえない。作者は口を噤んでいるが、おそらく実際には7月4日がアメリカ合衆国の(イギリス植民地からの)「独立記念日(インディペンデンス・デイ)」であることも踏まえているのだろう(筆者くまんパパ説)。この解釈が成り立つとすれば、作者が独立したのは、それまで庇護してくれた「両親」からだろうか。「これゆえに、人はその父母を離れて偶つまと契りを結び合う」という旧約聖書・創世記のアダムとエヴァ(イヴ)説話の結語エピローグが想起される。そうだとすると、この歌は若い女性が親元から離れて世の荒波に身を投じつつ、自由な生き方と恋愛の海に出帆する宣言であり、それとなく悲壮な覚悟さえ織り込まれていると読めそうだ。そんなこんなにもかかわらず、一見してそうした技巧を全く感じさせない軽やかで自然な表現にまで持っていった手際の妙。この一首を表題作とするデビュー歌集を引っ提げ登場した、作歌当時芳紀二十歳そこそこだったひとりの女の子のたくらみが、1300年の歴史を誇る短歌の可能性を大きく拓き、作者は短歌中興の祖(ネット的な表現でいえば「神」)となった歴史的傑作。・・・ ちなみに、自分のことはどうでもいいんだけど、ついでに書いちゃえば、私もこの歌集に影響され自作を始めた一人である。思春期の頃から詩や短歌・俳句は大好きで、かなりの詩歌を読んでいたが、非常に難しいものと感じていて、自分で詠んでみたい気も十分にあったが、とてもじゃないがハードルは高すぎると感じていた。が、この歌集に深く感動するとともに、「あ、こんな(一見)ゆるい口語体のライトな表現でもいいんだ」と啓蒙され、やがて自分でも作歌の真似ごとをしはじめ、仲のいい同級生の男女の親友たちにワープロでこしらえた粗末な「歌集」を贈って絶賛を得たのが、私の実作者としての出発点である。近ごろでは、謙遜抜きで言ってしまえば、ご覧の通りまずまずセミプロフェッショナル的な立ち位置にまで到達できているのかなと思う。・・・俵さんには、生涯足を向けて寝られない* 2014年7月6日の記事に加筆修正して再掲。
2024年07月06日
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