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会津八一(あいづ・やいち)かすがのにおしてるつきのほがらかにあきのゆふべとなりにけるかもかすがののみくさをりしきふすしかのつのさへさやにてるつくよかもくわんのんのしろきひたひにやうらくのかげうごかしてかぜわたるみゆふぢはらのおほききさきをうつしみにあひみるごとくあかきくちびるおほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへすゐえんのあまつをとめがころもでのひまにもすめるあきのそらかなあめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほゑむあまごもるやどのひさしにひとりきててまりつくこのこゑのさやけさかすがののしかふすくさのかたよりにわがこふらくはとほつよのひと歌集『南京新唱』(大正13年・1924)歌集『鹿鳴集』(昭和15年・1940)* 作者特有の細かい分かち書き表記は、私個人としては、読みづらく興趣をも削いでいるように思われるので、僭越ながら普通文表記に直して掲載する。cf.) 原文「かすがの の みくさ をり しき ふす しか の ~」。この連作は、古都・平城京奈良を詠んで、短歌詩形表現のひとつの白眉ではないかと思う。註かすがの:奈良の春日大社の境内から東大寺・興福寺へかけてひろがる、平城京東郊の台地。 現在の奈良市春日野町付近。おしてる:照りわたる。一面に照る。みくさをりしき:深草を折り敷き。さやに:さやか(亮)に。くっきりと、清らかに。「爽やか」とは別語。くわんのん:観音。観世音菩薩。やうらく:瓔珞(ようらく)。菩薩や密教の仏の装身具、または仏堂・仏壇の荘厳具の一つ。古代インドの貴族の装身具として用いられていたものが仏教に取り入れられたもので、菩薩以下の仏像に首飾り、胸飾りとして用いる。ふぢはらのおほききさき:光明皇后。父は藤原不比等(ふひと)。うつしみにあひみるごとくあかきくちびる:法華寺本尊十一面観音。光明皇后に現世であいまみえるような心地の紅い唇。おほてらのまろきはしらのつきかげ:大寺の丸い柱の、月に照らされた翳。すゐえん:水煙。塔(ここでは薬師寺東塔)の九輪(くりん)の上にある火炎状の装飾金具。火事の連想を避け、同時に水難をおさえる意味もこめてこう名づけられたといわれる。あまつをとめがころもでの~:薬師寺東塔の水煙に透かし彫りされた天つ乙女(飛天、天女)の衣の隙間にさえ、澄み渡っている秋の空だなあ。かたよりに:かたわらに(いて)。わがこふらくはとほつよのひと:私が恋しくてたまらないのは、遠い昔の世の人である。
2024年10月21日
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古泉千樫(こいずみ・ちかし)秋さびしもののともしさひと本もとの野稗のびえの垂穂たりほ瓶かめにさしたり秋の空ふかみゆくらし瓶かめにさす草稗くさびえの穂のさびたる見れば充ちわたる空の青さを思ひつつかすかにわれはねむりけらしもひとり親しく焚火して居り火のなかに松毬まつかさが見ゆ燃ゆる松かさゆくものは逝きてしづけしこの夕べ土用蜆どようしじみの汁すひにけり遺稿歌集『青牛集』(昭和8年・1933)
2024年10月18日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ歌集『路上』(明治44年・1911)註酒をこよなく愛した名匠のしみじみとした秀歌。強調などの係り結びでないにもかかわらず、文末「けり」が連用形に活用している初出の形。のちに作者自ら、古典文法的に正しく(無難に)「飲むベかりけり」と改作した模様だが、こちらの方に独特の情感があると見るのは私だけではないだろう。多少の文法的破格(違反)は、短歌表現では多数の例があり、古今東西の詩歌に見られる、いわゆる「詩的許容(ポエティック・ライセンス)」の範囲内であろう。敬愛する偉大なる兄貴、サザン桑田の歌詞なんか、そういう視点で見るならば、文法違反のオンパレードである
2024年10月15日
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与謝野鉄幹(よさの・てっかん)神無月かみなづき伊藤哈爾濱ハルピンに狙撃さる この電報の聞きのよろしき詩歌集『相聞(あひぎこへ)』(明治43年・1910)神無月十月、伊藤博文がハルピンで銃撃されて亡くなった。この外報を聞いて、日本男児として見事な生き方、死に様だったと私はいっそ痛快に思った。註初代内閣総理大臣で、当時の前・朝鮮総督だった伊藤博文は、明治42年(1909)10月26日、当時満洲のハルピン(現・中国黒龍江省都)駅頭で、韓国人過激派活動家・安重根(アン・ジュングン、あん・じゅうこん)に狙撃され、暗殺された。妻・晶子とともに短歌結社「明星」を主宰するとともに、今でいう保守派知識人のような立場でも鳴った作者はこの知らせを聞いて、激動の幕末から明治維新、そして近代日本の草創期を駆け抜けた伊藤の生き方・死に様を、日本人として、政治家として、男として、人として立派だったと讃えている、一種の壮絶な追悼詠。この目も眩むような凶報を、明治時代の日本人がどのように受け止めたのかが分かる貴重な肉声であり、短歌の形で示された歴史的証言であるとも言えるだろう。漢字を多用し、「聞きのよろしき」という、韻を踏みつつ聞きなれない言い回しの硬質な文体を用い、遺憾なく重厚鮮烈な表現になっている雄渾な秀歌。初句「神無月」は、縁語である「紅葉」を暗喩し、鮮血の赤のイメージを響かせていると思われる。
2024年10月10日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)児等こら病めば昼はえ喰はず 小夜さよ更けてひそかには喰ふこの梨の実をこほろぎのしとどに鳴ける真夜中に 喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ歌集『くろ土』(大正10年・1921)子供たちが病やまいで臥せっている手前昼は食べられず清らかな夜が更けてからはひそかに食う。この梨の実を。秋の虫がはなはだしく鳴いている真夜中に食う梨の実の汁は滴って。註こほろぎ:今でいうコオロギだけではなく、広く鳴く虫全般を指した古来の意味で用いていると見て間違いないだろう。しとどに:はなはだしく。したたかに。ひどく。やや被害的な感情を含意する。ここでは、秋の虫が「うるさいぐらいに」鳴いていて、その合唱と夜陰にまぎれて、といった意味合いか。垂り(つつ):現代語の動詞「垂れる」ではもちろんなく、中近世以降の「垂る」(下二段活用)でもなく、鎌倉時代頃までの、とりわけ(おそらく作者の意識としては)万葉時代(奈良時代)の上古語としての「垂る」(四段活用)の連用形なので、この形になる。動詞「したたる(滴る←下・垂る)」の造語成分。一種の古拙(アルカイック)な素朴さと格調を醸し出している。私の勝手な印象では、牧水はこういった古典文法的な技巧に凝るのが好きで、かつ得意だったと思う。言葉に対して、今でいうマニアックな気質があったのだろう。詩歌人としては、とても幸福な資質だと思う。
2024年10月07日
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島木赤彦(しまき・あかひこ)森深く鳥鳴きやみてたそがるる木の間の水のほの明りかも第一歌集『馬鈴薯の花』(大正2年・1913)
2024年06月18日
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)どつちにある、こつちといへば片頬笑かたほゑみひらく掌たなそこの赤きさくらんぼ歌集『黎明』(昭和21年・1946)(右の手と左の手と)どっちにあるでしょうと孫が問う。こっちだと当ててしまったので、少しがっかりしてはにかんだほほ笑みで開く掌てのひらの赤いさくらんぼ。
2024年06月16日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)これまでに吾に食はれし鰻らは佛ほとけとなりてかがよふらむか歌集『小園』(昭和24年・1949)
2024年06月06日
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)夏は来ぬ卯の花の匂ふ垣根に 時鳥ほととぎすはやも来鳴きて忍音しのびねもらす 夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に 早乙女さをとめが裳裾もすそ濡らして玉苗たまなへ植うる 夏は来ぬ橘たちばなの香る軒端の 窓近く蛍飛び交ひ怠り諌いさむる 夏は来ぬ楝あふち散る川べの宿の 門かど遠く水鶏くひな声して夕月涼しき 夏は来ぬさつきやみ蛍飛び交ひ 水鶏鳴き卯の花咲きて早苗植ゑわたす 夏は来ぬ作曲:小山作之助明治29年(1896)5月刊『新編教育唱歌集』所収註最後の「夏は来ぬ」の5音を除けば、それぞれが短歌の形になっている、さすが近代短歌の巨匠にふさわしい名歌詞。忍音しのびね:春に鳴きはじめてまだ日が浅いホトトギスやウグイスが、自信がなさそうに声をひそめて鳴く声。初音はつね。雄鳥の求愛行動。さみだれ:五月雨。梅雨。旧暦五月(現行暦のほぼ6月)頃に降る長雨。「さ」は「さつき(五月)」の「さ」と同源の接頭語。「みだれ」は「乱れ」ではなく、雨が降る意味の「水垂」といわれる。玉苗たまなへ:美しく瑞々しい稲の苗、早苗の美称。蛍飛び交ひ怠り諌いさむ:「蛍の光、窓の雪」の故事にちなんで、怠け心をいさめる。楝あふち(おうち):栴檀(せんだん)。香り高いことで知られる。さつきやみ:五月闇。旧暦五月、梅雨どきの闇。昼ですら小暗く、照明のほとんどない時代の、月も見えない夕方以降は、本当に真っ暗に感じられのだろう。
2024年05月21日
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与謝野晶子(よさの・あきこ)春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳ちを手にさぐらせぬ第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)春も青春も短いのよ。いったい何に永遠の生命が宿るのでしょうかとこのわたしの力の満ちあふれた乳房をあなたの手のひらにまさぐらせたのよ。註短歌の音数の制限もあって非常に圧縮・捨象された表現だが、紙背を読み解いて敷衍すれば、おおむね拙訳のような意味だろうか。明治の老若男女を瞠目させた秀歌の一つ。この歌集の名義は、旧姓の「鳳晶子」。「乳を手にさぐらせ」た相手は、のちに夫となる与謝野寛(鉄幹)。
2024年05月02日
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与謝野晶子(よさの・あきこ)清水きよみづへ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)註与謝野鉄幹(寛)との、当時としては珍しかった熱烈な恋愛のさなかに詠まれた作者の代表作のひとつ。この至福感たるや、天上のごときである。三句目は、のちに作者自身が「花月夜」と改稿した(現在の岩波文庫版の自選による「与謝野晶子歌集」もそうなっている)が、引用した『みだれ髪』初版本の「桜月夜」の方が、字余りであっても私個人は好みである。
2024年04月08日
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岡本かの子桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命いのちをかけてわが眺めたり狂人のわれが見にける十年まへの真赤きさくら真黒きさくらおのづからなる生命のいろに花さけりわが咲く色をわれは知らぬに美しき亡命客のさみえるに薄茶たてつつ外とは春の雨あはれあはれ寒けき世かな寒き世になど生みけむと吾子あこ見つつおもふ歌集『浴身』(大正14年・1925)* 吾子あこ:岡本太郎。
2024年04月04日
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木下利玄(きのした・りげん)妹の小さき歩みいそがせて千代紙買ひに行く月夜かな註写実と抒情が同居している作者による、不思議な魅力がある一首である。ただ、文意は分かるが、どういう状況なのかは不明。
2024年02月27日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)陸奥みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ歌集『白桃』(昭和17年・1942)みちのくを二つに分けるさまに聳えていらっしゃる蔵王の山の雲海の中に私は佇たたずんでいる。註昭和8~9年頃の作。ふたわけざまに:蔵王連峰は、分水嶺の剣が峰として、奥羽地方を東西二つに分けているようだ。「ふたわけざま」なんて言い回し、読めばたちどころに意味は分かるが、一般人が逆立ちしても出てこない、簡潔にして雄渾強靭な表現である。優れた詩歌人にのみ許容される造語が比較的多いといわれる茂吉の、これも造語だろうか。聳え:古語動詞「聳ゆ」は、ヤ行の(下二段)活用だから、連用形の送り仮名は「(ヤ行の)え」になる。「見ゆ」と同様。
2024年02月09日
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窪田空穂(くぼた・うつぼ)冬空の澄み極まりし青きより現はれいでて雪の散り来る歌集『泉のほとり』(大正6年・1917)
2024年02月07日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)最上川逆白波さかしらなみのたつまでに ふぶくゆふべとなりにけるかも歌集『白き山』(昭和24年・1949)註巨匠晩年の代表作の一つ。見事な複合名詞「逆白波さかしらなみ」は、それまでに用例がなく、作者の造語といわれる。
2024年02月07日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)木立より雪解ゆきげのしづく落つるおと聞きつつわれはあゆみをとどむ
2024年02月06日
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与謝野晶子(よさの・あきこ)その子二十はたち 櫛くしに流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)二十歳はたちとはロングヘアーをなびかせて畏おそれを知らぬ春のヴィーナス俵万智『みだれ髪 チョコレート語訳』(平成10年・1998)註与謝野晶子、二十歳の自画像。明治時代の老若男女を瞠目、驚倒させた。
2024年01月16日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)とほき世のかりようびんがのわたくし児ご田螺たにしはぬるきみづ恋ひにけり赤光しやくくわうのなかの歩みはひそか夜の細きかほそきこころにか似むしろがねの雪降る山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり自殺せし狂者きやうじゃの棺くわんのうしろより眩暈めまひして行けり道に入日あかくにんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけりしんしんと雪降りし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか死にたまふ母みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげるひた走るわが道暗ししんしんと怺こらへかねたるわが道暗し死に近き母に添寢そひねのしんしんと遠田とほだのかはづ天に聞ゆる母が目をしまし離かれ来て目守まもりたりあな悲しもよ蚕かふこのねむり我が母よ死にたまひゆく我が母よ生まし乳足らひし母よのど赤き玄鳥つばくらめふたつ屋梁はりにゐて足乳根たらちねの母は死にたまふなりいのちある人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを第一歌集『赤光しゃっこう』(大正2年・1913)註かりようびんが(かりょうびんが):迦陵頻伽。想像上の鳥。雪山(せっせん)または極楽浄土に棲み、美しい声で鳴くという。上半身は美女、下半身は鳥の姿をしており、その美声を仏陀の声の形容とする。わたくし児ご:私生児、非嫡出子、落胤、落し子。一首目、のちに客観写生を標榜した作者としては極めて異色な、なかなかシュールで難解な一首である。よく分からないのだが、「田螺」とは、もしかすると作者自身の隠喩(メタファー)なのだろうか。もしそうだとすると、自分は迦陵頻伽の落し子だと言っているのか。満々たる自恃と野心の披歴なのか。玄鳥つばくらめ:燕。足乳根たらちねの:「母」にかかる枕詞(まくらことば)。*NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』(16日放送分)で、主人公・福来スズ子(趣里)の母親(水川あさみ)が亡くなる嫋々たる名場面を見て、ふとこの近代短歌の傑作を思い出した。 斎藤茂吉歌集 岩波文庫
2023年11月26日
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宮沢賢治(みやざわ・けんじ)霜腐れ青きトマトの実を裂けばさびしきにほひ空に行きたり。霜枯れしトマトの氣根しみじみとうちならびつゝ冬きたるらし。大正5年(1916)* 改行、句点は原文のまま。
2023年11月26日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)吾木香(われもかう)すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ歌集『別離』(明治43年・1910)吾木香、芒、かるかや秋草の寂しさの極みを君に贈ろう。註吾木香(われもかう):ワレモコウ。かるかや(刈萱):カルカヤ。
2023年11月07日
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与謝野晶子(よさの・あきこ)なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)何となくあなたが待っているような気がして上弦の月の夜の秋の花が咲き乱れる野辺に出てみたのよ。註花野:七草などの花が咲く秋の野辺の意味。こういうのは、伝統文化として問答無用で決まっている事柄であり、論理的に文句を言っても始まらない。夕月:上弦の月。早くも夕方には東の空に出る。
2023年09月30日
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長塚節(ながつか・たかし)馬追虫うまおひの髭ひげのそよろに来る秋は まなこを閉ぢて想ひ見るべし明治40年(1907)作『長塚節歌集』(昭和8年・1933)うまおいの長い髭が風にそよぐようにそよろそよろと来る秋はまぶたを閉じて想いめぐらすのがいい。註馬追虫うまおひ:直翅目(バッタの類)キリギリス科の昆虫。俗称スイッチョ。長い触角を持つ。
2023年09月26日
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窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔5〕丸の内死ねる子を箱にをさめて 親の名をねんごろに書きて路に棄ててあり* ねんごろ(懇)に:(死んだ子の霊に、またそれを見る人に対して)懇切丁寧に。死ねる子を親の棄てたりみ濠ほりばた柳青くしてすずしきところ* 残暑なお厳しい九月初め、途方に暮れた親の、少しでも美しく涼しいところにという、せめてもの親心だったのだろう。哀れなその子の亡骸(なきがら)は、皇居お濠端に青々と茂って垂れている柳並木の涼やかな木蔭に棄ててあった。時計台時計台残りて高し十二時まへ二分にてとまるその大き針* 銀座四丁目交差点、服部時計店(現・和光)時計台。関東大震災は大正12年(1932)9月1日午前11時58分発生。被服廠址ひふくしょうあとあたり東京に地平線を見ぬここにして思ひかけねば見つつ驚く* 墨田区横網にあった陸軍被服廠址(現・墨田区横網町公園)。「空のない東京に地平線を見てしまった。何ともここで、思いがけないことだったので、見て驚いた。」焼瓦やけがはらうち光りつつはるかなり列なす人の小ちさくもぞ見ゆる五重の塔焼原越しに立てる見つ何ぞやと我が怪しみしかな* 台東区・上野公園内、寛永寺の五重塔か。呆然自失の中で、焼け野原を見下ろして屹立するものを、一見してわけが分からず「あれはいったい何だろうと、私はいぶかしんだ。」鉄橋の焼けとろけたり水にうかぶ一人一人は嘆かずあらむ* 隅田川。「(もはや)嘆きもしないだろう。」川岸にただよひよれる死骸しかばねを手もてかき分け水を飲むひと了歌集『鏡葉』(大正15年・1926)
2023年09月01日
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窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔4〕水道橋ほとり深溝ふかみぞにおちいりて死ぬる小ちさき馬 たてがみ燃えし面つらを空に向けてお茶の水橋妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く橋板踏みて男ゆく神田錦町あたり石造の氷室ひようしつくづれ溶けのこる氷ひかれり焼原の上に氷室にひろへる氷背おひては男うろつく雫垂らしつつ京橋あたり焼け残る洋館の前に犬あわて人来る毎ごとに顔あふぎまわる* 主(あるじ)を失った犬なのであろう。人が歩いて来るたびに、すわ、ご主人様かと慌てて顔を仰ぎまわっている。一石橋一石橋いちこくばし石ばしの上ゆ見おろせば照る日あかるく川に人くさるあふ向きて浮かぶは男うつ伏してしづむは女 小ちさきはその子か人の上とえやは思はむ親子三みたり 火に焼かれては川に身のくさる* 「人の上(に折り重なっている)と、よもや思えるだろうか」。歌集『鏡葉』(大正15年・1926)
2023年09月01日
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窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔3〕夜は月さやかにいとゞわびし電燈のつかざる店にはだか火の蝋燭ともり通りに月照る屋根がはら落ち残りては 軒先にかかれる見せて月さやかに照る大き荷を背負へる母の袖とらへもの食ひつつも童小走る遠望して大東京もゆるけむりの雲と凝こり 空にはびこりて三日みかをくずれず大東京もゆるけむりの日の三日を くづれずあれど鳴る鐘のなき神田区の家毎いへごとにゐる南京虫一つ残らじと笑ひてかなしきあやしくも凝りてかがやくましら雲木に蝉なけど人の音はなき震災のあとを見にと出づ人間のなるらむ相すがた眼にし見む悲しみ聞けど見ずはあり難き* 「人間の、こうなってしまうのだという真実の諸相をこの目で見に行こう。悲しみを聞いているのに、見ないでいることなどあり得ない。」歌集『鏡葉』(大正15年・1926)
2023年09月01日
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窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔2〕甥きたるこの家に落ちつきてゐれば わが家もある心地すと甥のつぶやく平気にも舞ふ蝶かなとさびしげに庭見る甥のつぶやきにけり十夜とよ十日考へてのみゐたる甥 ばらつく建てむといひ出せりけり* ばらつく:バラック。二日の夜蝋燭のをぐらきあかりとりかこみ ゐならべる子らものをしいはぬ* ものをしいはぬ:「し」は強調の助辞。恐怖におののいて「(ひと言も)ものを言わない」。地震来こばだきだしやらむ今は寝よと いへばうなづきわれ見る童* 「(もしまた)地震が来たら、抱いて連れ出してやろう、(だから安心して)今は寝なさいと」。/ 童:「わらべ」または「わらは(わらわ)」と読む。地震来こば路のべの戸板の上に寝たる子の 寝顔ほのじろし提灯の灯に家やの内のあかりは消せと鋭声とごゑして暗き門かどより人いましむるあかり消せる町は真暗なり鬨ときの声近く東の小路におこる夜警はじまる火あやふ夜も寝ぬるなと乱れ打つ拍子木の音そこにかしこに大雨にしとどに濡れて夜警よりわが子帰りぬしらしら明けを歌集『鏡葉』(大正15年・1926)
2023年09月01日
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窪田空穂(くぼた・うつぼ) 関東大震災連作 抜萃〔1〕大正十二年九月一日の大震災に、我が家は幸さいはひにも被害をまぬかれぬ。あやぶまるる人は数多あまたあれども訪おとなひぬべきよすがもなし。二日、震動のおとろへしをたのみて、先まず神田猿楽町なる甥の家あとを見んものとゆく。燃え残るほのほの原を行きもどり 見れども分かず甥が家やあたり地はすべて赤き熾火おきなり この下に甥のありとも我がいかにせむ帰路焼け残り赤き火燃ゆる神保町三崎町ゆけど人ひとり見ず焼け残るほのほのなかに路もとめ ゆきつつここをいずこと知らず飯田橋のあたりに接待の水あり、被害者むらがりて飲む水を見てよろめき寄れる老いし人 手のわななきて茶碗の持てぬ負へる子に水飲ませむとする女 手のわななくにみなこぼしたり火のなき方へと、人列なしてゆくとぼとぼとのろのろとふらふらと来る人ら ひとみ据わりてただにけはしき新聞紙腰にまとへるまはだかの女あゆめり眼に人を見ぬ* 放心状態の女の「眼は常人のものとは見えなかった」。 歌集『鏡葉』(大正15年・1926)* 今では難読と思われる字に適宜ルビ(振り仮名)を付けましたが、原文にはほとんどルビは振ってありません。また、〔1〕~〔5〕の段落分けも、私が便宜的に振り分けたもので、原文は一連の連作です。ご了承下さい。
2023年09月01日
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与謝野晶子(よさの・あきこ)やは肌のあつき血汐ちしほに触れも見で さびしからずや道を説く君第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)このやわ肌の熱い血潮に触れてもみないで寂しくないのですか。滔々と道学を語っている、あなた。燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの俵万智『みだれ髪 チョコレート語訳』(平成10年・1998)註作者の代表作で、新時代・明治の文学を切り拓いた傑作の一つ。女の方から男を誘う。現代では何ということもない普通のことだが、男尊女卑の当時にあっては驚天動地の大胆な表現だった。君:のちに夫となる与謝野寛(鉄幹)。短歌結社「明星」を主宰する歌人であると同時に、(今でいう保守派知識人論客のような)憂国の士でもあった。
2022年12月06日
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木下利玄(きのした・りげん)街をゆき子供の傍そばを通るとき蜜柑みかんの香かせり冬がまた来る歌集『紅玉』(大正8年・1919) 温州みかんウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2022年12月04日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)ゆふされば大根の葉にふる時雨しぐれいたく寂しく降りにけるかも歌集『あらたま』(大正10年・1912)註ゆふされば:夕方になって。夕刻が来て。時雨しぐれ:晩秋から初冬にかけて、ひとしきりぱらぱらと降る雨。 大根ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2022年12月01日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)ウヰスキイに煮湯にえゆそそげば匂ひ立つ白しらけて寒き朝の灯ほかげに歌集『黒松』(昭和13年・1938)註ううっ、うまそう。筆者も休日にはたまにやることがあるが、早朝に飲む酒はうまい。一晩ぐっすり寝て体調も良く、まだ十分に目覚めていない夢見心地の脳に利いてくる、一種の背徳的な快感が堪らない。その至悦をそのまま詠んで秀歌となった。「ウヰスキイ」という旧仮名遣いが、今の目で見るとまさに昭和レトロで、渋すぎる。酒にまつわる秀歌多数の作者は、ほぼアル中(アルコール依存症)だった。古今東西、天才的な詩歌人にはよくあることである。* 原文にルビは振ってありません。
2022年11月15日
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与謝野鉄幹(よさの・てっかん)神無月かみなづき伊藤哈爾濱ハルピンに狙撃さる この電報の聞きのよろしき詩歌集『相聞(あひぎこへ)』(明治43年・1910)神無月十月、伊藤博文氏がハルピンで銃撃されて亡くなった。この外報を聞いて、日本男児として見事な生き方、死に様だったと私はいっそ痛快に思った。註初代内閣総理大臣で、当時の前・朝鮮総督だった伊藤博文は、明治42年(1909)10月26日、当時満洲のハルピン(現・中国黒龍江省都)駅頭で、韓国人過激派活動家・安重根(アン・ジュングン、あん・じゅうこん)に狙撃され、暗殺された。妻・晶子とともに短歌結社「明星」を主宰するとともに、今でいう保守派知識人のような立場でも鳴った作者はこの知らせを聞いて、激動の幕末から明治維新、そして近代日本の草創期を駆け抜けた伊藤の生き方・死に様を、日本人として、政治家として、男として立派だったと称えている、一種の壮絶な追悼詠。この目も眩むような凶報を、明治時代の日本人がどのように受け止めたのかが分かる貴重な肉声であり、短歌の形で示された歴史的証言であるとも言えるだろう。漢字を多用し、「聞きのよろしき」という、韻を踏みつつ聞きなれない言い回しの硬質な文体を用い、遺憾なく重厚鮮烈な表現になっている雄渾な秀歌。初句「神無月」は、縁語である「紅葉」を暗喩し、鮮血の赤のイメージを響かせていると思われる。
2022年07月10日
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岡本かの子桜ばないのち一ぱいに咲くからに 生命いのちをかけてわが眺めたり歌集『浴身』(大正14年・1925)
2022年04月20日
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)秋の日の白光びやくくわうにしも我が澄みて思おもひふかきは為すなきごとし歌集『牡丹の木』(昭和18年・1943)秋の日のおだやかな白光びゃっこうに私の心は澄みきって深く満ち足りた思いはもはやこの上何もなすべきことはないかのようだ。
2021年11月14日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)児等こら病めば昼はえ喰はず 小夜さよ更けてひそかには喰ふこの梨の実をこほろぎのしとどに鳴ける真夜中に 喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ歌集『くろ土』(大正10年・1921)子供たちが病やまいで臥せっている手前昼は食べられず清らかな夜が更けてからはひそかに食う。この梨の実を。秋の虫がはなはだしく鳴いている真夜中に食う梨の実のつゆは垂れつつあって。註こほろぎ:今でいうコオロギ類だけではなく、広く鳴く虫全般を指した古来の意味で用いていると見て間違いないだろう。しとどに:はなはだしく。したたかに。ひどく。やや被害的な感情を含意する。ここでは、秋の虫が「うるさいぐらいに」鳴いていて、その合唱と夜陰にまぎれて、といった意味合いか。垂り(つつ):現代語の動詞「垂れる」ではもちろんなく、中近世以降の「垂る」(下二段活用)でもなく、鎌倉時代頃までの、とりわけ(おそらく作者の意識としては)万葉時代(奈良時代)の上古語としての「垂る」(四段活用)の連用形なので、この形になる。一種の古拙(アルカイック)な素朴さと格調を醸し出している。私の印象では、牧水はこういった文法的な技巧に凝るのが好きで、かつ得意だったと思う。言葉に対して、今でいうマニアックな気質があったのだろう。詩歌人としては、なかなか幸福な資質である。
2021年09月19日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ歌集『路上』(明治44年・1911)註酒をこよなく愛した名匠のしみじみとした秀歌。係り結びでないにもかかわらず、文末「けり」が連用形に活用している初出の形。のちに作者自ら、文法的に正しく(無難に)「飲むベかりけり」と改作した模様だが、こちらの方に独特の情感があると見るのは私だけではないだろう。多少の文法的破格は、短歌表現では多数の例があり、詩的許容(ポエティック・ライセンス)の範囲内と思う。吉川宏志の現代短歌の秀作「旅なんて死んでからでも行けるなり鯖街道に赤い月出る」も、厳密にいえば文語と口語の混淆が文法的におかしく、物言いをつけられる余地はあるが、完全に許容されていると見るべきだろう。
2016年10月06日
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与謝野晶子(よさの・あきこ)清水きよみづへ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)註与謝野鉄幹(寛)との、当時としては珍しかった熱烈な恋愛のさなかに詠まれた作者の代表作のひとつ。この至福感たるや、天上のごときである。三句目は、のちに作者自身が「花月夜」と改稿した(現在の岩波文庫版の自選による「与謝野晶子歌集」もそうなっている)が、引用した『みだれ髪』初版本の「桜月夜」の方が、字余りであっても私個人は好みである。なお、この改稿の経緯などについては、この歌を以前にご紹介した際に何人かの方々から懇切なご教示をいただいたので、当該記事にリンクしておく。→ こちら
2016年04月04日
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岡本かの子(おかもと・かのこ)かの子かの子●●●●●●●はや泣きやめて淋しげに添ひ臥す雛に子守歌せよ歌集『愛のなやみ』(大正8年・1919)* 「かの子かの子」の傍点は、実際には読点「、」ですが、画面上に表示できませんので、ご了承下さい。
2016年03月01日
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木下利玄(きのした・りげん)街をゆき子供の傍そばを通るとき蜜柑みかんの香かせり冬がまた来る歌集『紅玉』(大正8年・1919) ウンシュウミカンウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年12月06日
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)あかあかと紅葉もみぢを焚たきぬいにしへは三千の威儀おこなはれけむ歌集『天平雲』(昭和17年・1942) 註赫々としたもみじ葉の焚き火を眺めながら、作者は何らかの古代の儀式を思い浮かべているのだろう。 紅葉 嵐山(京都)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年12月02日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)ゆふされば大根の葉にふる時雨しぐれいたく寂しく降りにけるかも歌集『あらたま』(大正10年・1912)註ゆふされば:夕方になって。夕刻が来て。時雨しぐれ:晩秋から初冬にかけて、ひとしきりぱらぱらと降る雨。 大根ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年12月01日
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佐佐木信綱ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲歌集『新月』(大正元年・1912)註 今では、映画技法(カメラワーク)の用語を用いて「ズーム・アップの歌」といわれるようになった近代の名歌。格助詞「の」を6つも畳み掛けて、対象をぐんぐん絞り込んでゆく話法が斬新。 万葉集に詳しいブロガー仲間のけん家持さんに以前ご教示いただいたところによれば、この歌は志貴皇子の名歌「石走る垂水の上のさ蕨の萌えいづる春になりにけるかも」(万葉集 1418)の本歌取りではないかという。まことに鋭いご指摘であり、首肯できる。皇子の歌の方は視野の変化が「ズーム・ダウン」になっており、「(来る)春」と「行く秋」もちょうど逆の好対照になっている。万葉研究の泰斗でもあった作者による見事なパステーシュである。 国宝 薬師寺 東塔ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年12月01日
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)秋の日の白光びやくくわうにしも我が澄みて思おもひふかきは為すなきごとし歌集『牡丹の木』(昭和18年・1943)秋の日のおだやかな白光びゃっこうに私の心は澄みきって深く満ち足りた思いにもはやこのうえ何もなすべきことはないかのようだ。 Carterhaugh スコットランドウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年09月23日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ歌集『路上』(明治44年・1911)註酒をこよなく愛した名匠のしみじみとした秀歌。係り結びでないにもかかわらず、文末「けり」が連用形に活用している初出の形。のちに作者自ら、文法的に正しく(無難に)「飲むベかりけり」と改作した模様だが、こちらの方に独特の情感があると見るのは私だけではないだろう。多少の文法的破格は、短歌表現では多数の例があり、詩的許容(ポエティック・ライセンス)の範囲内と思う。吉川宏志の現代短歌の秀作「旅なんて死んでからでも行けるなり鯖街道に赤い月出る」も、厳密にいえば文語と口語の混淆が文法的におかしく、物言いをつけられる余地はあるが、完全に許容されていると見るべきだろう。
2014年09月20日
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吉井勇(よしい・いさむ)大空はかぎりもあらぬ眼まなこもてわれらを眺む秘めがたきかな『吉井勇歌集』大空は限りもないまなざしでわれらを眺めている。人間は卑小な秘密など持ちようがないのだなあ。 コーンウォール(イギリス) Chun Quoit 空ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大
2014年09月19日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)児等こら病めば昼はえ喰はず 小夜さよ更けてひそかには喰ふこの梨の実をこほろぎのしとどに鳴ける真夜中に 喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ歌集『くろ土』(大正10年・1921)子供たちが病やまいで臥せっている手前昼は食べられず清らかな夜が更けてからはひそかに食う。この梨の実を。こおろぎがはなはだしく鳴いている真夜中に食う梨の実のつゆは垂れつつあって。註しとどに:はなはだしく。したたかに。ひどく。やや被害的な感情を含意する。ここでは、コオロギが「うるさいぐらいに」鳴いていて、その合唱の声と夜陰にまぎれて、といったニュアンスか。垂りつつ:中近世以降の動詞「垂る」(下二段活用)ではなく、鎌倉時代頃までの古語動詞「垂る」(四段活用)の連用形なので、この形になる。一種の古拙(アルカイック)な格調ある表現になっている。
2014年09月13日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ歌集「死か藝術か」(大正元年・1912) 日本酒 濁り酒ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年08月03日
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窪田空穂(くぼた・うつぼ)朧夜の月の光にあゆみつつあはれとぞ見る古りしわが妻歌集『鳥声集』(大正5年・1916)
2014年05月11日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふひとのあれかし歌集『路上』(明治44年・1911)註あれかし:あってほしい。いてください。
2014年04月28日
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