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私も、このブログで絶賛しました 文句なしの名句と思う。□ 千原ジュニアさんが詠んだ『プレバト』で絶賛の望郷の句が碑に京都・福知山 【毎日新聞 18日】 京都府福知山市出身のお笑い芸人、千原ジュニアさん(50)が詠んだ俳句の句碑が18日、故郷で除幕された。ジュニアさんがテレビ番組で披露した「故郷(ふるさと)の苜蓿(もくしゅく)の香は濃かりけり」で、福知山城のそばに建立された。お披露目セレモニーでジュニアさんは「芸人で句碑を建てていただくことはなかなかないので、非常に光栄です」と喜んでいた。 ジュニアさんは福知山ドッコイセ大使。4月25日放送のテレビ番組「プレバト‼」(毎日放送)の俳句コーナーで「ふるさと」のお題で詠んだ作品だ。俳人の夏井いつきさんが「福知山に句碑を建ててもらいたい」と絶賛。これを受けて福知山市の石材店「中垣石材」が市に句碑寄贈を申し出て実現した。福知山城に隣接する「ゆらのガーデン」に建てられた句碑は、地元産「大江山御影(みかげ)石」製で高さ140センチ、幅63センチ。ジュニアさん直筆の文字が刻まれている。 作中の「苜蓿」はクローバー(シロツメクサ)のこと。式典でジュニアさんは「東京にもクローバーはあるが、やっぱり古里は緑の香りが濃いような気がするという思いを詠んだ」と望郷の気持ちを込めたと説明した。 市民ら約100人が見守る中、ジュニアさんと中垣石材の中垣昇太専務、大橋一夫市長が句碑を除幕。引っ張ったひもが白い幕からはずれてしまい、ジュニアさんは「ひもだけ取れるとは思いませんでした」と会場の笑いを誘っていた。 ジュニアさんは報道陣の取材に「句集が出た暁には(福知山に)呼んでいただけたらと思う」と語った。大橋市長は式典で「福知山城をバックにした絶景の場所。よりにぎわいのある場にしていきたい」と述べた。【庭田学】
2024年11月18日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)10月31日放送。今回の兼題は「外食」。いかにも楽しげな掲題に秀句が多く、豊穣な回だった。おなじみのメンバーに加え、子育て中のママタレントが揃った。千原ジュニア二軒目へ行く汝な帰る吾あ薄月夜名人・千原浩史、心理描写すら感じさせる、相変わらず快刀乱麻の秀句。「汝な」、「吾あ」は、文献に残る中で最も古い、上代の第二人称・第一人称代名詞。古事記、日本書記、万葉集などに出てくる語彙。「吾子あこ」、「吾嬬あづま」などに残る。それを用いた格調高い言葉遊びになっている。現代短歌の秀歌、永井祐「月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね」のシチュエーションをちょっと連想したが、こちらが青春ドラマだとすれば、千原の句はぐっと成熟した大人の世界になっている。フルーツポンチ・村上健志秋爽の皿やオリーブオイルの黄イタリアかフランス料理の前菜のサラダの一皿か。観察眼の細やかな作者らしい、眼前一尺の光景に秋を見てとったおしゃれな逸品。相席スタート・山崎ケイ良夜なりすっぴんママのワイン会幼子を旦那に預けての、ママ友たちとのつかの間の息抜きの楽しさが伝わる、なかなかの佳句。「すっぴんママ」のナチュラルな感じが利いており、上五「良夜なり」が古典的でありつつ、ほのぼのとした素直な表現でいい。今回は、3人揃ってお笑い芸人の、言葉に対する鋭敏なセンスが披露されて、さすがだと思った。三倉茉奈吾子あこ抱きつ食はむや秋刀魚は小骨ごと原作「吾子抱えつまむ秋刀魚は骨多し」を、評者で俳人の夏井いつき氏が添削。諧謔味を生かしつつ、ちょっと重厚な感じになった。「食はむ」は、「食う・食べる」の意味の古語。「ついばむ」(「突きはむ」の音便)や「むしばむ」(「虫はむ」)などに残る。すみれビブの児と夫つまと秋夜の白ワイン原作「秋の宵ビブとあなたと白ワイン」も悪くないとしながらも、夏井氏が添削。「ビブ」は乳幼児が使うよだれかけのこと。漂う幸福感がいい。なお、「つま」はもと「偶つま(配偶者)」の意味なので、伝統的な短歌・俳句表現では「夫・妻」双方に用いる。cf.) 「稲妻」は、もと稲の夫の意味。古来、雷電が米を実らせると信じられていた。
2024年11月02日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)10月3日放送。今回は、芸能界の俳句の手練れたちが集う、四季恒例のスペシャルの一つ『金秋戦』。ちなみに、金秋は錦秋の古語的表記。金魚などと同様。兼題は「自分で撮った写真」(事実上の自由題)。的場浩司(1位・優勝)三日月や真朱まそほの隠岐に藍の波こりゃすごいわ。もはやプロフェッショナル。ホームラン・バッターによる、さすがの特大アーチ。文句なしの優勝。季語は秋の「三日月」。隠岐の島の海辺の美しい夕焼けの光景を、一幅の絵のごとく詠んだ。「真朱まそほ(真赭)」とは天然の辰砂しんしゃの色のことで、やや鈍色にびいろがかった赤だという(HTMLタグなどの16進法表記で#D57C6Bあたり■)。こんな古語、よく見つけて来たよね。感服。kis-My-Ft2 千賀健永(2位)灯台の周期 星月夜の深閑季語「星月夜」。原作「星月夜の無辺」を、評者で俳人の夏井いつき氏が「深閑」に添削。宇宙的な広がりと孤独感がクールで清冽。句またがり破調が現代詩的。フルーツポンチ・村上健志(3位)長き夜や絵本の丸き角を拭く「長き夜」は秋の夜をあらわす季語。幼子を持つ自身の実生活に取材したという佳句。角の丸まった絵本は乳児・幼児用を示し、小さな子が舐めてしまって涎がついた角を拭いている幸福感。ただ、「読書の秋」と「本」の取り合わせの発想が、わずかに即きすぎでやや類型的、既知感があると評された。FUJIWARA 藤本敏史(4位)銀杏を剥き終へ自由なる十指やや雑で散文的な原作「銀杏の実を剥き終へ自由になる十指」を夏井氏が推敲。臭いが強くて面倒なぎんなんの実の殻剥き作業を終えて、手指がようやく解放されたよという諧謔味。kis-My-Ft2 横尾渉(5位)外苑はさやか一人のカチョエペペ季語は「さやか」(秋の冷涼な空気感)。カチョ・エ・ペペは、イタリア語で「チーズと胡椒」の意味で、文字通りそれだけで味付けしたシンプルなパスタのことだという。なんとも旨そうだ。『孤独のグルメ』を意識して、ややスノビズムに走ってしまったという作者の「孤食の」を、夏井氏が素直な「一人の」に添削。おしゃれな一句。
2024年10月06日
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中村汀女(なかむら・ていじょ)外とにも出よ触るるばかりに春の月句集『花影』 (昭和23年・1948)外にも出てごらんなさい。手を伸ばせば触れるほどに春の月。
2024年05月23日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)5月2日放送。「渋滞」という憂鬱な掲題で皆苦吟したようだが、中には秀逸な句も。とろサーモン・村田秀亮渋滞や柩の母とゐる深春普段なら歓迎できない車の渋滞だが、亡くなった母の柩ひつぎを載せた霊柩車が渋滞に巻き込まれて、母と少しでも長く一緒にいられたことが、むしろ嬉しかったという繊細な心理を詠んで、発想がユニークな秀句。原作「渋滞の柩車に妣ははと春深し」も非凡であり、このままでもいいとしながらも、評者の俳人・夏井いつき氏がワンランク上の添削。「ゐる」という動詞を加えたことで、さらに臨場感のあるリアルな(生々しい)情感が増した。なお、原作の「妣」は、これ一文字で「亡き母」を意味し、詩的表現ではしばしば使われる。立川志らく桜雨走れり色の無き渋滞原作「色も無き渋滞にふと桜雨」を添削。季語「桜雨」は、そのまま桜の花が咲く頃の雨を意味する情緒纏綿たる言葉。一読して「ふと」が弱点であることは一目瞭然である。夏井氏によれば、2音足りない時の「ふと」、3音思いつかない時の「すこし」だという。わたくしくまんパパ坂本野原を含め、実作者がやりがちな罠の、まことに耳が痛い指摘である(苦笑)。添削後は、「走る(色っぽい)桜雨」と「走らない(無色の)車列」の渋滞が対比された面白い表現になった。さすがである。なお、「色も」の「も」もやや理屈っぽく散文的であり、韻文ではなるべく避けるべきであろう。ここも夏井氏がさりげなく直している。作者ほどの手練れが、今回はちょっと雑駁だったか。長野智子祝日の官庁街や落椿原作の「静寂の官庁街や落椿」を添削。作者によれば、祝日も仕事で東京・霞が関の官庁街を歩いていたところ、いつもと違って人も車も少ない道端に、鮮やかな深紅の寒椿の花が落ちていて、はっとした。ツバキ類は、萼から花ごとぼてっと落ちるのが特徴であり、印象的である。ちょっと類句もある(発想に既知感がある)ような気もするが、まずまずの佳句。・・・そういえば、作者の明朗な個性と美貌は、ちょっとツバキっぽいかも、なんて思う。
2024年05月07日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)25日放送。今回の兼題は「ふるさと」。評者で俳人の夏井いつき氏によると、「凡人」が安易に使って、良い俳句が出来たと思い込みがちながら、実際は星の数ほど凡作がゴロゴロ転がっている凡庸で陳腐な(臭い)「凡人ワード」が少なからずあるという。その代表格が「無人駅」、「木漏れ日」、「小さい手」などだという。なるほどなと思う。いかにも平板かつ既知感(デジャヴ)そのもので、句全体の内容もあらかた想像がつく。実作者であれば、なるべく避けて通りたいのが人情というものであろう。しかし、これらをあえて使ってワンランク上の表現を目指すという、一種の酔狂で偏奇な、意地悪でさえある趣向の企画が、結果としては毎回なかなか面白い。今回もまさにドツボにはまった「ふるさと」である。これをどう料理するか。案の定、「名人、特待生」の出演者3人ともだいぶ苦吟した模様。千原ジュニア故郷の苜蓿もくしゅくの香は濃かりけりこれはもう「秀句」を通り越して、「名句」と言うべきではないか。俳句の世界で「名句」という言葉は、歴史をも踏まえた、めったなことで用いてはならない最高の賛辞であるが、それを使っていいんじゃないか。千原ジュニアって人は、本当にすごいな。怖いぐらいである。すでに一流俳人・千原浩史でもあると言えるだろう。尊敬している。苜蓿もくしゅくは、植物のウマゴヤシの漢語で、俗にシロツメクサ(クローバー)をも意味するという。ここでは後者のクローバーのこと。作者の故郷・京都福知山市近郊の、作物を植え付けする前の春まだ浅き田畑一面に、肥料にするための可憐なシロツメクサの花が咲いている。そこには、ある種の田舎臭いような何とも言えない匂いが漂っている。わが栃木・宇都宮近郊にも、昔はこんな光景が当たり前にあったことを、ありありと思い出した。夏井氏が「福知山に(この句の)句碑を建ててもらいたい」と絶賛したほどの傑作。助詞「は」の強調がいい。これをあえて枯淡に「の」にする手もあると思うが、ニュアンスは明らかに変わる。ここはやはり「は」か。「苜蓿もくしゅく」という聞きなれない単語が、日本文芸に永遠に銘記された。犬山紙子生家のこでまり甘やかな退屈前半の映像と、後半の心理が一対になっていて、破調と下の句の表現が、現代詩的な抒情を醸している。エッセイストとしてキレのいい批評性を発揮している作者らしい、陰翳のある表現がいい。FUJIWARA 藤本敏史ふるさとや乗ってゆくかと春の雲夏井氏が、原作「『乗りますか』ふるさと経由春の雲」を添削。フジモン持ち味のファンタスティックな文意がすっきりと明瞭になった。醜聞(スキャンダル)による半年間の謹慎の「長期休暇」明けの更生の一句。「もうホンマの廃人(俳人)ですわ」などと言って笑わせてくれた。個人的には大ファンなので、復帰を祝福したい。芸は身を助く。禊は済んだと思うので、俳句もガヤ芸も、ますますのご活躍を祈念します。
2024年04月27日
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坪内稔典(つぼうち・としのり、ねんてん)ゆびきりの指が落ちてる春の空春の蛇口は「下向きばかりにあきました」花冷えのイカリソースに恋慕せよ春の坂丸大ハムが泣いている桜散るあなたも河馬になりなさい註現代俳句のシュール(シュルリアリスティック、超現実主義的)な名句群であり、論理的な意味などは割とどうでもいいのだろうけど、一点あえて詮索すれば、「河馬」は、やっぱり「ばか」ということだろうか。それを詩的に変換した(?)のだろうか。そう思うと、割と腑に落ちる。芸術芸能って、ある意味バカになること、そのように演じることだと思うから。作者は、碩学の大学教授である。
2024年04月26日
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池田澄子(いけだ・すみこ)葉桜や生きていて腑におちぬ日の春風に此処はいやだとおもって居る
2024年04月25日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)春の海終日ひねもすのたりのたり哉かな
2024年04月25日
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山口素堂(やまぐち・そどう)目には青葉山ほととぎすはつ鰹かつを『あら野』(延宝6年・1678)註目にはあざやかな新緑、耳には山のほととぎすの恋の鳴き声、口には今年初めてのかつおの刺身。十七音では書けないが、もちろん匂いと触覚もあるよね。五感で楽しむ春の幸福。
2024年04月24日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)菜の花や月は東に日は西に註柿本人麻呂の和歌(短歌)の名歌「東ひむがしの野に炎かぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾かたぶきぬ」(万葉集 48)を踏まえる。蕪村の句は、古典文学の該博な知識に基づく縦横な引用と、絵画的表現が特徴で、この代表作はその典型例と言えよう。私の個人的な意見だが、これから俳句を目指そうという人は、とりあえず蕪村を読むことから始めるといいかも知れない。そこには、日本語表現の一つの到達地点というべき、イマジナティヴ(映像的)でクリエイティヴ(創造的)な、懐かしい世界が広がっている。俳聖・芭蕉は別格として、最高峰のひとつであることに間違いない。初めて読んで、詩歌人に憧れて、その末席に列なりたいと思った思春期の頃から、そう思っている。ただし、詩的表現には付きものの、読む者が選ばれる一定の難解・晦渋性はやはりありますので、そこいらのところはご容赦・ご了承・ご覚悟を。私自身、俗世・濁世の仕事が毎日忙しくてへとへとの身ではあるが、時間ができたら改めてじっくり読み返してみたいと思っている。(上の文章、何やら調子に乗って、ずいぶんと偉そうな筆致になってしまった。が、まあいいか。)蕪村句集 現代語訳付き角川ソフィア文庫価格:1,364円(税込、送料無料)(2024/4/25時点) 楽天で購入
2024年04月23日
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富安風生(とみやす・ふうせい)淋しさの蚊帳釣草かやつりぐさを割きにけり何もかも知つてをるなり竈猫かまどねこ街の雨鶯餅うぐひすもちがもう出たかまさをなる空よりしだれざくらかな露寒つゆざむや凛々しきことは美しきわが机妻が占めをり土筆つくしむく一片の落花の意をばよみとりぬ山萩のまつすぐに立つ性さがかなし遠花火寂寥せきれう水のごとくなり一生の楽しきころのソーダ水菜の花といふ平凡を愛しけりかげろふと字にかくやうにかげろへるきちきちといはねばとべぬあはれなり奇はつひに凡に及ばず草紅葉
2024年04月17日
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種田山頭火(たねだ・さんとうか)分け入つても分け入つても青い山笠にとんぼをとまらせてあるく鴉啼いてわたしも一人まつすぐな道でさみしいしぐるるや死なないでゐる雪がふるふる雪見てをればしぐるるやしぐるる山へ歩み入るどうしようもないわたしが歩いてゐるぶらさがつてゐる烏瓜は二つ枯山飲むほどの水はありてうしろすがたのしぐれてゆくか鉄鉢の中へも霰けふは凩のはがき一枚しぐるる土をふみしめてゆく病めば梅ぼしのあかさなるほど信濃の月が出てゐる句集『草木塔』(昭和15年・1940)自由律俳句○ 山頭火句集(ちくま文庫)山頭火句集【送料無料】価格:1,320円(税込)山頭火 草木塔復刻版売り切れました 種田山頭火像 山口・JR防府駅北口前ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2024年04月16日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)4日放送。このところちょっと見たり見なかったりなのだが、今回は充実していた。兼題は「スニーカー」。梅沢富美男花衣はなごろも運転席のスニーカー「花衣」は花見に着ていく晴れ着。この一語で作者(作中主体)が和服姿であることが分かる、巧みな季語の遣い方。草履で運転するのは危ないので、履き替え用のスニーカーが置いてある。いわゆる「あるある」系の軽やかな俳諧味。Kis-My-Ft2 横尾渉風光るピボットの軸は逞たくまし「ピボット pivot」は「軸、枢軸、回転軸、(昔の牛車・馬車の)轂こしき」などを言うが、ここではバスケットボールの「ボールを持った状態で片足を軸足として固定し、もう片方の足を動かすステップ」で、軸足を中心に回転するように見える動作。映像で見れば、ああ、あれかとすぐ分かる。私を含め、知らなかった人が多いだろうが、時には一般読者の知識水準を一歩超える専門用語を用いるのも、詩的技術の一つだろう。これはスポーツを詠んだ句であると同時に、青春の句でもある。春の季語「風光る」が爽やかで清冽な画竜点睛となっている秀句。破調は気にならず、むしろ躍動感をもたらしている。ペナルティ・ヒデ春落葉片方だけのスニーカー「春落葉」は、檜などの常緑樹が、新芽の出る春に落とす古い葉。作者は番組初出演だそうだが、とてもそうとは思えない秀句だ(ビギナーズ・ラックかも知れないが)。そこはかとなき侘び寂びさえ漂わせてしまっている。村山輝星きらりわれ反抗期春夕焼の波見つむ作者の原作「われ反抗期春夕焼の海岸へ」を、評者で俳人の夏井いつき氏が添削。一句目の字余り破調は、内容とマッチしていてOKである。金子恵実入社式一人は白きコンバース原作「入社式一人馴染まぬコンバース」を添削。ぐっと鮮烈になった。ニュースを見ていたら、近頃は入社式にジーパンで出る猛者もいるらしいが、まだまだ例外的な少数派であろう。そのへんのおかしみ。
2024年04月05日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)1月25日放送。兼題は「美容院」。アインシュタイン・河井ゆずる待春たいしゅんの病室祖母に巻くロッド出来が良(ウェルメイド)すぎて、一瞥あんまり面白くないと見えるほどの秀句。芸術の名作とは、えてしてそういったものだとも思う。・・・と言ったら褒めすぎか(まあいいか)美容師さんを呼んで、闘病中の祖母の髪をセットしてもらった。カールのロッドを巻かれて嬉しそうな顔をしているおばあちゃん、早く元気になってね。春が待ち遠しい冬の病室である。視聴者を毎回唸らせる作者は、番組構成上この一句で「特待生」に昇格。相方・稲田は「レベルが高すぎてついていけへん」と泣いて笑わせた。ただ、個人的には、「待春」という漢語がちょっと硬いので、「春待ち」ではどうかなと思う。柏木由紀(AKB48)ほのほのとパーマヒーター冬の朝評者で俳人の夏井いつき氏添削。原作は「ほっとするパーマのヒーター冬の朝」。夏井氏は、濁らない「ほのほのと」という万葉集のごとき上品な上古語文語を持ってきて推敲、表現の格調が加わった。全体の発想はありきたりかも知れないが、パーマネントのヒーターが暖かくて春を思ったというあたりに小さな発見と新味があり、悪くない出来。森口瑤子就活の黒髪木枯に束たばぬ原作「就活の黒髪は艶失せて冬」。女性のかなしみみたいなものの表現に長けている作者の原作もまずまずなのだが、「艶失せて」と「冬」が即つきすぎて説明的・散文的なところを、夏井氏がさすがの大胆な改変。きりっとした鮮烈なイメージの詩(韻文)になった。武尊金髪に変え一月のゴング待つ原作「金に染め宙舞う一月勝ち儀式」。格闘家ながら俳句もけっこう上手い、まさに文武両道を地で行く作者だが、今回は思いと素材をあれこれ詰め込みすぎて失敗。ちょっと何言ってるか分からなくなってしまった。夏井氏の見事な添削で、すっきりとした佳句になった。試合の方も頑張ってください。
2024年01月26日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)1月18日放送。兼題は「毛布の猫」。徳川家康を祭る日光東照宮の名物彫刻「眠り猫」と同様、平和・平穏・天下泰平の象徴である。呂布りょふカルマどこまでが猫でどこから毛布かな寒い日に、猫が毛布に半ば潜りこんで気持ちよさそうにすやすや眠っているのを見たら、その猫と毛布が薄茶の同系色同士なので、どこまでが猫でどこからが毛布なのかよく分からなくなっちゃってるよ。一瞬のおかしみを見事に捉えて、これぞ俳諧味。人気ラッパーによる、まさかの秀句。千原ジュニア吾あに見えぬもの見えておる炬燵猫猫あるあるである。何なのか分からないが、何もないような中空をじっと見ている時がある。私も、今は飼っていないが、子供のころは祖母や母が猫好きで常に身近に猫がいたので、この習性はよく知っている。「見えておる」は「吾輩は猫である」のちょっと威張った滑稽味を意識したか。新木優子冬晴れのパリの街並み猫二匹今をときめく美人女優による、実体験だというおしゃれな一句。評者で俳人の夏井いつき氏は、このままでもいいが、下の句を「猫と吾あと」にする手もあると提案。なるほど、人懐っこい野良猫とじゃれあっている作者自身の存在を入れて、この方がいいかもしれない。サルゴリラ・児玉老猫のいびきは父似日向ぼここれはまた、正統派・伝統的な佳句である。
2024年01月25日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)21日放送。今回の兼題は「号外」。的場浩司昭和逝く凍星いてぼし今日もそこにある秀句「職質をするもされるも着膨れて」が俳句愛好家必携の参考書である「歳時記」に掲載されている、研ぎ澄まされた感性を持つ作者が、またもやってくれた感がある。季語「凍星」。掲題から、昭和天皇の崩御と昭和の終わりに思いを馳せ、冬の清冽なイメージとともにまとめた。作者や読者の多くが生まれ育った昭和という激動の時代への鎮魂と懐旧の思いがこもった、柄の大きな秀句となった。中村草田男の、俳句史上の名句「降る雪や明治は遠くなりにけり」を連想したのは、私だけではないだろう。千原ジュニア極月ごくげつの号外無傷のチャンピオン季語「極月」(12月の意)。昨年末の、井上尚弥選手のボクシング4団体統一王者達成を報じる号外を手堅く詠んだ。「極」の字の「極み」「極まる」「極める」といったニュアンスも利いている。松田和佳悴むや皺の号外握りしめ原作「かじかむ手シワの号外握りしめ」を俳人・夏井いつき氏が添削。母校・慶応高校の夏の甲子園優勝の感激を思い出し、冬の俳句にアレンジした工夫もナイス。
2023年12月22日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)14日放送。今回の兼題は「小さい手」、乳幼児の代名詞ともいえるワードである。評者で俳人の夏井いつき氏によると、「凡人」が安易に使いがちな、凡作ゴロゴロの凡庸で陳腐な(臭い)表現が少なからずあるという。その代表格の「無人駅」、「木漏れ日」などとともに挙げられる「小さい手」を、あえて使ってワンランク上の表現を目指すという、一種の酔狂で偏奇な(意地悪な)趣向が、結果としてはなかなか面白かった。案の定、出演者3人ともだいぶ苦吟した模様。以下、3者とも夏井氏の添削が入った。フルーツポンチ・村上健志レノン忌やまだ利き手なき小さき手季語「レノン忌」。原作「レノン忌や小さき手にまだ利き手なし」も悪くないが、やや散文的か。夏井氏が語順を推敲し、ぐっと良くなった。ロック音楽に愛と平和のテーマを高らかに掲げたジョン・レノンの命日の12月8日は、太平洋戦争の開戦日でもある。そのレノンも、理不尽なテロリズムの凶弾に斃れている。それらの背景事情と不即不離(つかず離れず)のイメージの展開が見事。戦争か平和か、まだ利き手がないといわれる赤ちゃんの小さな手に、人類の未来はかかっているという、深い象徴性とメッセージを湛えた秀句となった。(ただし、番組的には、添削が入ってしまったので「ボツ」判定。お気の毒さま)・・・私個人は、世界映画史上に屹立する傑作『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督)の、謎めいたラストシーンの、あの赤ちゃんを連想した。水野真紀泥だんご光れ地球の冬うらら原作「冬うらら小さな手に砂の地球」も悪くないのだが、必要以上に深い意味があるような思わせぶりで読む者を混乱・当惑させるのを、夏井氏が添削。「泥だんご」と「地球」のイメージ的な連関はやや薄れたが、すっきりと作者の意図に近い佳句になった。犬山紙子子の指や冬のコントラバスぼぼん原作「冴ゆる夜やコントラバスに小さな手」。季語「冴ゆ」。クラシックのコントラバス奏者の夫を持つ作者の日常生活の一齣だが、「小さな手」が何をしたのか、どうしたのかが今一つ読み取れない隔靴掻痒の憾みがあるのを、夏井氏が添削。夏井氏も案外苦しまぎれなのかも知れないオノマトペ「ぼぼん」が、いい意味で引っかかる、面白い表現効果となった。
2023年12月15日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)11月23日放送。秀句・佳句揃いで、なにげに神回だった。兼題は「コロコロ」(掃除道具)。梅沢富美男コロコロのミシン目ずれている四温コロコロという道具そのものに着目した即物詠。コロコロを使い終わって、粘着紙をミシン目で切ろうと思ったら、使い慣れていないので切れ目が破けてずれてしまった。・・・が、まあいいや。小春日和の暖かな昼下がりである。「四温」は「三寒四温」の四温。この季語の使い方が見事で、春風駘蕩たる諧謔味と滋味溢るる秀句となった。第一句集『一人十色いちにんといろ』を上梓し絶好調の作者による、俳句のお手本のような一句。皆藤愛子着膨れた背中 猫の毛あちこちに寒い朝、目の前を歩いて行く人の背中に、ふわふわした猫の毛がちらほらとついていた。季語は「着膨れ」。日常生活の中の細かい観察眼に長けた作者の、おかしみと面白がりを漂わせた、これもまさに俳句。さすがに名人の一角。アインシュタイン・河井ゆずる初冬はつふゆのラグかの愛犬の尨毛むくげあり初冬になり、ラグ(洋風の敷物)を押入れから出してみたら、長年飼って今年亡くなった愛犬の尨毛が付いていて、はっとした。「初冬」「かの」の2語で、説明的(散文的)でなく詩的(韻文的)に、その背景事情を推察させる技巧の冴えは、本物。YOU手入れしてたたむセーター弛たゆむ歌「たたむ」と「弛む」、「セーター」と「歌」で韻を踏んだ。お見事。短歌・俳句は、真剣な言葉遊びでもある。
2023年12月01日
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小林一茶(こばやし・いっさ)あの月を取つてくれろと泣く子かな『七番日記』(文化・文政時代、1810年代)
2023年09月27日
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葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 辞世人魂ひとだまでゆく気散きさんじや夏野原 嘉永2年(1849)初夏なあに、ちょっとそこまで人魂になって気晴らしに行くのさ。生き死にの夢の跡なる夏の野原へ。註辞世:この世を辞するに当たって一首の和歌(短歌)または一句の俳句を詠むこと。また、その歌・俳句。日本の伝統的風習。気散じ:気鬱を散らすこと。気晴らし。レクリエーション。
2023年08月13日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)2日放送より。兼題は「雨の日のカフェ」。今回も楽しかった。梅沢富美男濁りゆくソーダフロート減らぬまま今のように便利なスマホがなかった時代の喫茶店(カフェ)での人待ちであろう。アイスクリームが溶け出してソーダが濁ってゆく時間経過。帰るわけにもいかない無聊さと、もどかしく不安定な気分が、映像として切り取られている。文節を完結させない「まま」の着地(言いさし)も効果的。第一句集『一人十色いちにんといろ』を上梓し、ますます絶好調の作者による、俳句のお手本のような一句。千原ジュニア珈琲は冷めて怯者きょうしゃの梅雨の闇怯者きょうしゃは臆病者、優柔不断な小心者。「冷め」、「怯者」、「梅雨の闇」(季語)と、ネガティヴな言葉を畳みかけながら、独特の憂愁ある陰鬱な抒情(情感)を醸し出している。どことなくクールでスタイリッシュな感覚が漂っているのも、さすが手練れの作者。皆藤愛子梅雨寒のカフェ愛犬の熱腿ももに夏井いつき氏の添削は、語順と韻律を直した。原作「梅雨寒のカフェ腿に愛犬の熱」。作者自家薬籠中の身体(皮膚)感覚が生きている佳品。
2023年06月03日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)18日放送より。兼題は「お子様ランチ」。『プレバト』について書こうとすると、俳句と短歌の違いはあれど、実作者の端くれであるわが身の非才をいやでも意識させられてしまうのだが、とりあえず自分のことは棚に上げて書こうと思う。梅沢富美男日の丸とグリンピースの残る皿俳句らしい軽やかなひねりが利いている、名手によるさすがの秀句。ひと・ものがなくなってゆくことは、日本文化・文学の重要な情緒である「もののあわれ」の原理である。しかし、子供が食べ終わったお皿に、日の丸の旗とグリンピースだけは残っていたという諧謔味。まさに名人の技。 千原ジュニア矯正箸はちりめんじゃこを摘まみけり「矯正箸」という単語が、まずホームランである。何となく知っていて、幼い子供が使うものだと分かる。そして「ちりめんじゃこ」という、箸で摘まみにくい(が食べればおいしい)ものとの取り合わせが2ランホームランである。あとはこれをどうまとめるか。上掲のジュニアの原作は、矯正箸を擬人化して、それを持っている子供を暗示した。これに対し、夏井いつき氏の添削は、ちりめんじゃこを擬人化して矯正箸の先にちりめんじゃこ笑うだったが、これははっきり異論の余地があるんじゃないかと思った。確かに上手いし面白いのだが、やや技巧的にいじりすぎではないか。バラエティ番組構成上、無理やりいちゃもんをつけているのじゃないかとすら思われた。原作は(対象へのクローズアップの視線の)淡々とした客観写生で、いわば、いわゆる「巨匠のノリ」さえ感じさせる。好みの問題でもあろうか。尊敬申し上げる現代俳句の名匠・夏井氏にも、人間である以上、嗜好のバイアス(偏倚)はあるだろう。「けり」や「かな」といった古風な着地がお嫌いらしいという噂は、本当なのかも知れない。ビスケットブラザーズ・きん(番組初挑戦)旗楊枝こっそり半ズボンのポッケ夏井いつき氏添削。原作「旗楊枝忍ばす半ズボンのポッケ」。お笑い芸人の、言葉へのセンスの良さが如実。西山茉希(番組初挑戦)添えられる家族の笑顔とさくらんぼ【以下は、私ごときが偉そうに言えることじゃないのは重々分かっているが、偉い先生方は意外とここまでは言わないので、あえて私が悪役になって講釈します。】売れっ子声優・ナレーター銀河万丈の美声で読み上げられた瞬間、スタジオに失笑が走った。「これを(番組として)どう処理すればいいんだ?」というニュアンスの、当惑まじりの苦笑である。面白くもないし、ひらめきや自爆覚悟の破天荒な挑戦もないし、しかしながら、まあ何とかぎりぎり俳句らしき形にはなっているという線の、よくあるダメな初心者の句である。ある意味で、一番たちが悪い。MCの浜ちゃんをはじめ、コメントせざるをえないハイレベルの真剣な共演者に、迷惑すらかけていると思う。私は西山茉希さんに何のうらみもないし、むしろけっこう好きなタレントではあるが、ご覧の通り、これはもう典型的な、「凡作」の見本と言わざるを得ないだろう。最近の『プレバト』の俳句コーナーの水準は非常に高くなっている。よく見ている方なら先刻ご承知だろう。これはまずいなと即座に思った。さくらんぼって、考えてみればけっこう鮮烈な印象のある果実である。初夏を彩る深紅の色、林檎のミニチュアのような形態、可愛らしい小ささ、口に含めば爽やかな芳香と甘酸っぱさ、買えばけっこう高価、しかも日本の国花の実でもある。熟すれば野鳥が大喜びで大挙して群れ成してついばんでゆく。これらの特性をうまく生かせば、言語表現として大化けする可能性がある季語と言えよう。作者の句は、言うまでもなく、これらの魅力を全く生かせていない。なんといっても、中七の「家族の笑顔」という陳腐極まる凡庸な語句が、致命的だろう。たぶん本人は、何に「添えられる」のか説明のない謎かけみたいなところで、多少ひねりを利かせたつもりなのかも知れないが、ただわけが分からなくなっているだけである。偉い先生方は不言実行でくどくど言わないけれども、俳句はその400年の歴史で、和歌(短歌)1300年の歴史を吸収摂取しつつ、より研ぎ澄まされた表現に純化した、世界最高水準の、洗練された「詩」である。このことは常に銘記すべきであろう。初心者に対しても、凡作は凡作とはっきり宣告する夏井氏の「毒舌」は、実は最も親切と言うべきなのかもしれない。
2023年05月23日
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梅沢富美男(うめざわ・とみお)湯玉ふつふつ春の厨の砂時計『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)23日放送芸能人俳句の「永世名人」(番組構成上の称号)梅沢富美男氏が、上掲の文句のつけようがない秀句で、句集完成に必要な50句認定(これも番組構成上の「お約束」、俳人・夏井いつき氏選)に到達、晴れて第一句集上梓の運びとなった。上掲作は、兼題「レトルト」により、そのものずばりの季語「春」を用いて春爛漫の台所の情景を生き生きと詠んだ名句となった。俳句の十七音の小さなフォーマットにジャストフィットな描写である。上の句の字余り破調は、気にならないどころか、躍動感を感じさせてむしろ効果的。下の句の「砂時計」の着地もお洒落で、その形状や砂の色まで想像させる。第一句集『一人十色』は4月7日に発売される。句集としては異例のベストセラーになること請け合いであろう。・・・なお、句集完成と同時に番組を卒業すると、つとにたびたび公言していた「公約」は、一瞬にしてあっさり撤回このご都合主義(笑)は、しかしながら一視聴者・ファンとして大歓迎であり、もろ手を挙げて諒としたい
2023年03月24日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)年守としもるや乾鮭からざけの太刀たち鱈たらの棒年越しを見守っているのか立派な太刀のような新巻鮭と棒鱈よ。註年守る:大晦日から元旦にかけて家中の者が集まり、潔斎して(身を清めて)夜明かしし、新年を迎える習俗。一般の祭りや神事に伴う「(お)日待ち」と同様である。年越しではないが、筆者の地元・栃木県宇都宮市の近郊・徳次郎(とくじら)地区では、少なくとも近年までこうした祭礼の習俗が残っていたのを(縁あってお手伝いに行ったことがあり)体験・確認している。「祭り」というものの厳粛な原型が分かる習俗といえる。神輿や山車を繰り出して大騒ぎするのは、江戸期に発達した町人階級による陽気な「付け祭り」であって、本来の祭りはきわめて静かなものであった。ただし、「日待ち」は神様に奉納した神酒(みき・じんしゅ)のお下がりを参加者皆で戴く「直会(なおらい)」と混同されて、現在では祭礼の後の宴(うたげ)・宴会のニュアンスが強い。筆者の町内でもそうである。乾鮭からざけの太刀たち:「今昔物語」巻28「右近馬場殿上人種合語第三十五」を踏まえる。蕪村の句は、(絵画的な表現とともに)古典文学からの縦横な引用が特徴である。現在でも、『紅白歌合戦』などを見たり除夜の鐘を撞きに行ったり初詣に出かけたりして夜更かしするのは、こうした風習の民俗的な名残りといえるかも知れない。
2022年12月31日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)3日放送より千原ジュニア春の駅白杖はくじょうの傷夥おびただし秀句。さすがと思う。白杖:目の不自由な人が持つ杖。皆藤愛子悴かじかめる手のひらを刺す乗車券身体感覚(皮膚感覚)に着目して秀逸。季語(冬)、悴む。馬場典子渋谷駅はダンジョン春は遅々として夏井いつき氏添削。原作「春遅々として渋谷駅はダンジョン」。ダンジョンは、西洋の昔の地下牢、転じてロール・プレイング・ゲームなどの迷路のような空間のこと。季語「春遅し」を、ゆったりと滞るようにアレンジした工夫も評価。三人ともプロ級、というより、こりゃもうプロだわ。継続は力なりである。研ぎ澄まされた感性が横溢している。
2022年02月04日
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梅沢富美男冬ざれや交差点蹴る明け烏FUJIWARA藤本陸橋を渡れば熱を持つマスク皆藤愛子オリオンと重機の湯気と土煙『プレバト』(9日放送)より。兼題「交差点」。今回のプレバトは豊穣な収穫で楽しかった。俳人・夏井いつき氏評価の通り、いずれも秀句・佳句揃いだと思った。梅沢永世名人の句は、やや大げさに言えば、芭蕉の代表作で日本文学史上の最高傑作である「古池や蛙とびこむ水の音」をちらりと連想させる構造となっている。そこに、大衆演劇の大御所らしい「明け烏」という色っぽいニュアンスを持つ言葉をあしらった洒落っ気。「明け烏(暁烏)」は、文字通り早朝のカラスを示すとともに、和歌伝統の言葉でいえば「きぬぎぬ(後朝、衣々)」に当たる、一夜を共にした男女の朝の別れも意味し、侘しさ・寂しさ(わびさび)や「もののあわれ」を含意するが、いかにも江戸期に成立したと思われる庶民的で俗っぽい感じもある言葉。フジモン、皆藤の2句も、手練れの両人にふさわしく、それぞれ現代俳句として完成度の高い佳品。なお、初出演らしい島崎遥香の一句「交差点視線ぶつかり頬カイロ」は、バラエティ仕立ての番組とあってボロクソにけなされて笑いにされていたが、「ヤンキーのケンカ寸前の一触即発か」(笑)とかさんざんに言われるほど悪くはないと思った。このままで意味も取れなくはない。冬の季語「カイロ」をちゃんと用いた上で、恋する女の子が素敵な彼氏のまなざしに恥じらい上気することを「頬にカイロ」と表現した意欲もけっこう買える。乙女チックな初心者の作としてはなかなかではないか。・・・が、確かに恋愛を詠んだとはちょっと分かりづらい。「交差点」などをばっさり切って、「君からの視線や頬に点つくカイロ」あたりでどうだろうか。
2021年12月10日
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小林一茶(こばやし・いっさ)あの月を取つてくれろと泣く子かな『七番日記』(文化・文政時代、1810年代)註人口に膾炙した、一茶のほのぼの・しみじみとした代表作のひとつ。内容は明らかにユーモラスであり、やや川柳寄りかとも思うが、それほどカテゴリーにこだわる必要もないであろう。なお、初句を「名月を」とする別案も残されているので、この月が中秋の名月であることは疑いない。幼児は、しばしば些細なことで駄々をこねる。それをどこまで許すか。日本人はこれをかなりの程度まで許容し、むしろ微笑ましい・可愛らしいものとさえ感じる。この感性は、世界的に見て意外に珍しいことなのだという指摘がある。そういう意味では、この名句は、日本人の国民性の一端の機微を表現していると言えるかもしれない。ちなみに、今宵は「中秋の名月(十五夜)」だが、天文学上の望(ぼう、満月=太陽・地球・月がおおむね一直線上に並んだ状態)と、暦の上のいわゆる十五夜が一致することは、意外と稀なのだという。
2021年09月21日
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梅沢富美男南国の果実色してハンディファン7月8日放送『プレバト』より(兼題:扇風機)これはまた軽やかで華やかで爽やかな一句だ。さすがは自他ともに認める芸能界随一の俳句名人。本人の弁によれば、大好きな藤田ニコルちゃんとのデート(?)の最中に電器店で詠んだのだという。そのうきうきした気分さえも伝わる。出来栄えは、きわめて大げさに言えばであるが、俳聖・芭蕉が掲げた理念の一つ「かろみ」に近づき得たといえるのではないか。「果実色した」ではなく、少しずらした感じの「して」にした点も、微かな諧謔味と動きを醸し出していて、さり気なく的確な配慮。*ハンディファンは、近頃流行りの小型携帯扇風機のこと。
2021年07月08日
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明智光秀(あけち・みつひで)ときは今あめが下しる五月さつきかな天正十年(1582)旧暦五月二十四日(もしくは二十八日)連歌会「愛宕百韻」にて* 本能寺の変は、同年旧暦六月二日(新暦換算6月21日)発生。〔1〕時は今雨が下領しる五月かな(時節は今、梅雨が下界を覆い尽くし「領有」する五月だなあ。)〔2〕土岐は今天が下治しる五月かな(わが土岐一族が、いま天下をしろしめす時の五月であることよ。)註 表向きの〔1〕の意味は、「降り続く梅雨の雨が、地上の全てを覆い尽して(いわば)占領してしまうよ」という、一種の気宇壮大なユーモアを漂わせた戯咲的で諧謔的な発句で、これ自体、教養ある武将にふさわしい風格の佳句ではないかと思う。小室等「雨が空から降れば」を連想する。 ただ、〔2〕の、よく知られた政治的な意趣を読み取ることも十分に可能であり、短歌実作者の端くれとしての直観でいえば、確証があろうはずもないが、たぶん広く言われる通り本能寺の変における謀反の意思をほのめかしたと推測していいのだろう。とき:「時」(時節、時季)と、作者の本姓の「土岐」を掛けている。あめ:「天」と「雨」を掛けている。「天」が天皇(朝廷)の意味であるとする説もあり、ややうがちすぎかとも思うが、捨てがたい解釈である。あめが下:天下。しる:知る。しろしめす。統すべる。治める。支配する。統治する。領する。占める。平らげる。「知事」などの語に残滓的痕跡。五月さつき:皐月。旧暦の五月。ほぼ現行暦の6月に当たる。梅雨時。語源は「さみだれ月」(梅雨の月)ともいわれる。「さつき晴れ」は、もと梅雨の晴れ間を言った。* 江戸中期の儒学者・湯浅常山の戦国武将の逸話集『常山紀談』によると、本能寺の変・山崎合戦後にこの発句を知った秀吉らが「愛宕百韻」に同席した里村紹巴を詰問したが、紹巴は光秀の自筆懐紙を持参し、光秀の発句の部分を示した。そこには「下なる」を「下しる」に書き直した跡があり、当初は「下なる」であったものを、誰かが自分を貶めるために「下しる」と書き直したものと弁明し、追及をかわしたと伝える。本当は、最初から「下しる」とあったものを、咎めを懼れた紹巴が「し」を消したうえで改めて「し」を書いた小細工ともいう。 仮に「時は今天が下なる五月かな」(時は今、天下の五月だなあ)でも意味が通らないことはないが、あまりにも凡庸になるように思われる。 明智光秀像ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2021年06月19日
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梅沢富美男 子の傘に透ける窓あり青蛙17日放送の『プレバト・富美男のお手本』より。(兼題:折り畳み傘)さすがは永世名人、相変わらずうまいなあ。僕も、わが子がまだ小さかったころ、今どきのカラフルな子供傘に「窓がある」(透明な部分がある)ことに一瞬ハッと感じ入ったことを思い出した。その詩情の小さな発見を簡明に表現した。・・・とはいうものの、上2句はこのことのやや散文的な状況説明ともいえ、俳句の世界では蛇蝎のごとく嫌われる「理」に堕ちるかどうかの瀬戸際である。ここまではツーアウト満塁のレオナルド・ダ・ピンチである。俳句にならない。が、下の句の「青蛙」の一語で、梅雨時の季節感をまとった非凡な着地になっている。一種の爽やかな清涼感、清冽ささえ感じさせる。地味ながらなかなかの離れ業であり、手練れの所業であった。この、ぽつんと配置された一匹の小さなアオガエル(という言葉と、それから喚起されるイメージ)が、実に可愛い。いとおしい。美しい。ひとつの宝石や~っ。この「子」が青蛙をどうしているのか、ただ「傘の窓」を通して眺めているのか、それとも、友達と大騒ぎした挙句にとっ捕まえて傘の窓に乗せて遊んだりしているのかは分からない。というか、はっきりと言い表すにはもはや到底字数がない。が、それはそれでいい。そこは読む者の想像に委ねる。むしろ十七音の制約が楽しい想像をかき立てる。われわれ韻文マニアは、これを肴にしばらく飲める。酒が美味くなる。韻文(短歌・俳句・詩)を玩味するということは、興味のない人から見れば、こういう変態チックな行為である(笑)季節感・清涼感という観点で言えば、季節は違うが万葉集の名歌、志貴皇子(しこのみこ)「石(いは)走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」をちょっと連想した。・・・と言ったら、いくら何でも言いすぎだろうか。
2021年06月18日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)菜の花や月は東に日は西に註柿本人麻呂「東ひむがしの野に炎かぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾かたぶきぬ」(万葉集 48)を踏まえる。
2017年05月06日
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服部嵐雪(はっとり・らんせつ)梅一輪一輪ほどのあたたかさ 句集『玄峰集』(江戸前期)
2016年02月29日
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種田山頭火(たねだ・さんとうか)鴉啼いてわたしも一人まつすぐな道でさみしいしぐるるや死なないでゐる雪がふるふる雪見てをればしぐるるやしぐるる山へ歩み入るどうしようもないわたしが歩いてゐるぶらさがつてゐる烏瓜は二つ枯山飲むほどの水はありてうしろすがたのしぐれてゆくか鉄鉢の中へも霰けふは凩のはがき一枚しぐるる土をふみしめてゆく句集『草木塔』(昭和15年・1940)自由律俳句○ 山頭火句集(ちくま文庫)山頭火 句集【送料無料】価格:1,260円(税込)山頭火 草木塔復刻版【送料無料】2,520円(税込) 種田山頭火像(山口・JR防府駅北口前)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年12月01日
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小林一茶(こばやし・いっさ)あの月を取つてくれろと泣く子かな『七番日記』註推敲案「名月を」を採る向きもあるが、この初案の方が自然だろうか。昨晩は「中秋の名月(十五夜)」だったが、天文学上の望(ぼう、満月=太陽・地球・月がおおむね一直線上に並んだ状態)は本日だという。
2014年09月09日
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池田澄子(いけだ・すみこ)葉桜や生きていて腑におちぬ日の春風に此処はいやだとおもって居る
2014年05月17日
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種田山頭火(たねだ・さんとうか)ほととぎすあすはあの山こえて行かう昭和8年(1933)作句集『草木塔』(昭和15年・1940)
2014年05月03日
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千代女(ちよじょ、加賀の千代)春雨はるさめや土の笑ひも野に余り千代尼句集春の慈雨が降り注いで大地の喜びの笑いが野に溢れている。
2014年04月20日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)菜の花や月は東に日は西に註柿本人麻呂「東ひむがしの野に炎かぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾かたぶきぬ」(万葉集 48)を踏まえる。
2014年04月19日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)春の海 終日ひねもすのたりのたり哉かな
2014年04月18日
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坪内稔典(つぼうち・としのり)桜散るあなたも河馬になりなさい句集『落花落日』(昭和59年・1984)
2014年04月16日
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中村汀女(なかむら・ていじょ)外とにも出よ触るるばかりに春の月句集『花影』 (昭和23年・1948)外にも出てごらんなさい。手を伸ばせば触れてしまうほどに春の月。
2014年04月14日
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大江丸(おおえまる)ちぎりきなかたみに渋き柿二つ江戸中期ちぎったなあ。互いの掌に渋柿二つ。註清原元輔「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」の本歌取り。恋の名歌である本歌の初句は「契りきな」(約束したね)の意味だが、この俳句では柿の実を「千切った」意味に換骨奪胎しつつ、幼少期の淡い思い出を詠んでいる軽妙洒脱な一句。かたみに(互に):「互いに、交互に、かわるがわるに」の意味だが、ここでは「形見」(古語としては「思い出を偲ぶよすがとなるもの」の意味)も掛けてあるかも知れない。
2013年10月29日
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やなせたかしさん追悼句 「よみうり時事川柳」より市原 野々宮光昌駆けつけるアンパンマンとばいきんまん西東京 長沼潔手のひらをかざしアンパン食べてみる府中 阪本敬彦見ていてね僕らはみんな生きていく東京 鈴江淡白しっぽまでアンの詰まった漫画道〔選者・長井好弘氏 寸評〕やなせさんの追悼句続々と。思わずアンパン購入。【読売新聞 東京本社版 19日~20日付朝刊】
2013年10月20日
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河合曽良(かわい・そら)かさねとは八重撫子やへなでしこの名成なるべし『おくのほそ道』(元禄15年・1702)「かさね(重ね、襲)」とは八重咲きの撫子の花にちなんで名づけられたのだろう。そんな優しい名前の大和撫子の女の子。註元禄2年(1689)旧暦四月の初め(新暦5月頃)、奥の細道の旅の途上、下野の国(栃木県)那須(なす)黒羽(くろばね)で、親切に馬を貸してくれた農夫の可憐な女の子の名前を「かさね」と聞いて詠んだ儀礼・贈答的な一句。「かさね」は、現代ではあまり聞かないが、これはこれでなかなかいい名前と思う。人生に幸せが重なりそうである。さりげなく味わい深い佳作。
2013年10月17日
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河合曽良(かわい・そら)行き行きてたふれ伏ふすとも萩の原『おくのほそ道』(元禄15年・1702)行き行きて歩いて歩いてその果てに斃たおれ伏したとしてもそこは萩の花が咲きわたる秋の原。註〔別案〕跡あらん倒れ臥すとも花野原(足跡は残るだろう、花咲く野辺で野垂れ死んだとしても)。作者は、俳聖・芭蕉が特に生活面などで終生頼りにした側近的な弟子。「奥の細道」の旅にも同行した。曽良の俳号は、「空」の意味であるという説が有力。自ら名乗った苗字「河合」と合わせて、故郷・信濃(現・長野県諏訪市)の河の合流地点と青空の雄大な光景をペンネームにしたともいわれるこの人は、骨の髄までロマンティストだったようである。* 拙作で、この句を本歌取りしたことがある。「秋されば萩の花野をゆきゆきて顛たふれ伏すてふ人ぞゆかしき」(「短歌人」2007年11月号)
2013年10月15日
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松尾芭蕉(まつお・ばしょう)波の間まや小貝にまじる萩の塵『おくのほそ道』(元禄15年・1702)渚の波の合間にはますおの小貝にまじって可憐な萩の花びらが散りわたっている。註〔作者別案〕小萩散れ ますほの小貝小盃こさかづき別案は、貝殻を盃に見立て、そこに萩の花びらが散りかかれといっている。まことに風流な発想であり、これはこれで捨てがたい一句と思う。越前(福井県)敦賀・種いろの浜(現・色浜)にて。ますほの小貝:チドリマスオガイ。大きさは、米粒ないし小豆あずき粒ほど。種いろの浜(色浜)の名もこれに由来するという。
2013年10月15日
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星野立子(ほしの・たつこ)持ち重る茄子やトマトや水見舞水見舞:水害の見舞い。
2013年09月07日
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長谷川櫂(はせがわ・かい)水底の砂の涼しく動くかな句集「天球」(平成4年・1992)
2013年09月07日
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きのう17日(土)の夜、眠れないままに何気なくラジオをつけたら、NHKラジオ第1で『スゴいつぶやきを詠む深夜の句会(スゴつぶ)』という番組をやっていた。いつもなら『wktk(ワクテカ)ラヂオ学園』という、時々聴いている陽気な番組の枠だ。 ツイッターで「スゴいつぶやき」、すなわち自由律俳句を募集して紹介する番組で、詳しい事情は知らないけれども、NHK山口放送局発のローカル番組として何回かやっていたらしいが、昨晩初めて全国ネットで夏の単発特番としてオンエアされた模様だ。 MCに南海キャンディーズの山崎亮太、師範格のコメンテーターには俳人としても知られるピースの又吉直樹、朗詠には人気声優の三石琴乃と、まさにベストメンバーの布陣で、一瞬にして引き込まれ、深夜0時のエンディングまで聴いてしまった。 ぜひ月1回ぐらいのレギュラー化を望みたい。作品は、例えばkanjyou_bugyou軍手の綺麗な部分探して涙を拭うなどは見事だと思う。解釈はいろいろできるだろうが、鋭い観察眼によって青春の痛みを感じさせる一行の詩になっている(ただし、細かいことを言えば、「部分を探して」の方が自然かも)。□ 上掲作品への作家・山内マリコさん選評「敗北感があるけど、若くて未来がある感じがいいなと思いました」(NHK『スゴつぶ』公式ツイッター)その他もすばらしい作品が多い。poemjapanきれいな水に変えたら死んだ5_rockets生まれただけでよかったはずの子を叱る□ NHKラジオ『スゴつぶ』18日放送作品□ NHK山口放送局『スゴつぶ』オフィシャルウェブサイト
2013年08月18日
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