ええ感じ…。

ええ感じ…。

■方法として


-心おだやかにいきるために-

■自己愛を育み、依存心を克服していく方法
具体的に、自己愛を身につけ、依存心を克服していく方法について、
段階的に説明していきたいと思います。

1. 十分に休むこと
2. 腹式呼吸を身につけること
3. 悩みを打ち明けること
4. 与えられていることに感謝すること
5. 信仰心を持つこと
6. 自分を憐れむことをやめること
7. 自分の責任と受け止めること
8. 現実から逃げないこと
9. 他人の是認や賛同を求めないこと
10. 良い思考を選ぶこと
11. 朝起きた時と夜寝る前の時間を大切にすること
12. 嫉妬心を克服すること
13. 行動によって自信を深めていくこと

■1 十分に休むこと

次のアドバイスは、
精神分析医アルフレッド・アドラー博士の鬱病患者へのアドバイスです。

アドバイス その1
「したくないことは決してするな」
アドバイス その2
「この処方どおりにしたら、二週間できっと全快しますよ。
それは、どうしたら他人を喜ばすことができるか、毎日考えてみることです」
「夜、良く眠れない時間を利用して、
どうすれば、他人を喜ばすことができるかを考えたらいい。
それが、病気回復への第一歩ですよ」

D・カーネギー 「道は拓ける」 第18章より


アドラー博士の鬱病患者へのアドバイスの第1は
「したくないことは決してするな」
だそうです。
「したいことだけをして心ゆくまで過ごしなさい」
ということです。

そして、ころあいを見て、第二のアドバイスをするのだそうです。
第1のアドバイスの期間を十分にとるということが、
非常に大事なのだと思います。
現在このブログをお読みなっているかたで、
鬱症状のひどい方の場合…
1番大切なのは、とにもかくにも、
十分に休むことだと思います。
そして、少し症状が回復に向かい始めていると思えたら、
「自己愛」について考えてみることをおすすめします。

■2 腹式呼吸を身につけること

悩み解決の方法論として、
腹式呼吸を身につけていくことを、
まず、最初に上げてみたいと思います。

これは、心おだやかにいきるための方法論として、
全体を貫いて、身につけなくてはならない、
技術的な問題なのですが、
悩みの渦中にあって、なかなか抜け出せない方の共通点として、
呼吸が浅いのではないか、という点があります。
これは一つの習慣なので、
深く、お腹で息をする習慣をつけたほうがいいと思います。

呼吸法というのは、極めて大事です。
理屈ではなくて、人間の機能として、腹式呼吸をすると、
心が落ち着くようにできています。

もし、あなたが、怒りっぽい性格なら、
怒りが込み上げてきたときに、背筋を伸ばして、
深呼吸をしてみてください。
そして、呼吸に合わせて、数字を数えるんです。
1.2.3....というふうに。
これは、テクニック、技術の問題ですし、
習慣の問題でもあります。

これは、仏教における瞑想法の中でも、
第1番目に出てくるものです。
これを「数息観(すそくかん)」といいます。


■3 悩みを打ち明けること

D・カーネギーの「道は開ける」の中に、
悩みを軽減するための最良の方法は、
「だれか信頼できる人に、悩みを打ち明けること」
というくだりがあります。

「だれか信頼できる人に」というところがポイントだとは思いますが、
教会の牧師さんや、お寺のお坊さんが、
今までこの役割を果たしてきたのだろうと思います。
積極思考では、愚痴や不平不満は言ってはいけない、
という基本事項があるのですが、

愚痴や不平不満が習慣になってはいけないけれど、
段階的には、まず最初に、
蓄積したマイナスの思いを吐き出したほうが良いようです。

いままで前向きになりたいという方の悩みを、何人かお伺いしましたが、
いままでの感じでは、その人の状況にもよりますけど、
悩みを打ち明けるということが、1番先決だなぁと感じています。
心に、それが詰まっていると、それから後のいろいろな方法論が、
入っていかないみたいです。

ポイントはとしては、日常の愚痴よりも、過去の鬱積したものを吐き出す、
というほうに重点をおいたほうがいいと思います。
今の日常の問題は、過去の思いと行いの結果が表面化したものですから、
表面の対処法では、なかなか、最終的な解決にはいたらずに、
どうどうめぐりをしてしまうようです。

気持ちを吐き出すには、
やはり、1番辛かったことからでしょうか...
そして、たいてい、その辛い思い出の中心になっているのは、
ご両親との葛藤ではないでしょうか…

なので、まず、吐き出す順番はご両親とのことから...
そして、葛藤が生まれた瞬間、事件、エポックがあったと思うんです。
最終的には、幼少時の最初の問題を見つけることが大事ですが、
順番としては、今の年齢に近い事件からの方が、思い出しやすいかもしれません。
でも、その事件が生まれたのも、その前の事件があったからで、
その前の事件が生まれたのも、その前の前の事件があったからで...
これを、因果の理法といいますが…
原因結果の法則です。

原因が結果を生み、その結果が原因を生んでいるんですね。
そして、悩みの渦中にある場合、
両親との葛藤と、
両親以外の人間関係における葛藤の、原因と結果が、
もつれた糸みたいになっていることが多いと思います。
だから、最終的には、それらの原因、エポック、事件に、
すべて折り合いをつけていく必要があります。

そして、すべて、もつれた糸を解きほぐして、もとにもどさなきゃいけな...
そんなかんじでしょうか。
病気になったときなどは、あせって、何かをするよりは、
この解きほぐす時間を神さまから与えられたと思って、
ゆっくり休みながら、じっくり、考えていったほうがいいだろうと思います。

何から吐き出して良いかわからない場合は、
そうしたことを念頭において、
今までの過去について、
その原因結果とか、
解決するにはどうしたらいいか、
順番は、
とか、そういうことは、今は、考えないで、
それは、あとからで良いので、
とにかく、あの時悲しかった、辛かった、
こうして欲しかった、
お父さんが、悪いんだ!
お母さんが悪いんだ!
という気持ちを、そのまま、
書きなぐってみたほうが良いかもしれません。

目を閉じて、背筋をのばして、深呼吸をして、
ぱっと、目の前に、頭に浮かんできたことを書けばいいんですけど...
それが、まず、最初は、両親のことでないなら、
それはそれで、かまわないですし、べつに文章になってなくていいと思います。

ただ、思い出すことが辛い場合は、休んで心の傷が癒えるまで、
時間の経過を待つ必要があるかもしれませんが…
そのときは、これから先に進まず、
「十分に休むこと」
にもどって、ゆっくり休んでみてください。

■4 与えられていることに感謝すること

悩みは、書き出せましたか?
きっと、辛かったこと、悲しかったこと、
恨み、辛み…たくさんあふれ出てきたことでしょう。
その内容は、危害を受けて、悲しかったことと、
してもらえなくて、悲しかったこと、
に分けられるのではないでしょうか?

では、今度は、見方を変えて、与えられているものを数えていきましょう。
そのまず最初は、自分の肉体についてから…
「自分を愛したことのない人間は、本当に人を愛することはできない。
自分自身を愛したことのある人こそが、他人をもよく愛することができる。」
これは、フランシス・ベーコンの言葉です。

悩みに渦中にある人は、真の意味で、
「自分を愛していない」といえると思います。

まず、10代には解決しないといけないと思われる問題に、
自分の容姿に関する劣等感があります。
もしも、これを解決できていないとすれば、
この容姿に関する劣等感は、
第1番目に解消しなくてならない問題だと僕は考えています。
容姿に深い劣等感を持っている場合…
でも、それは、他の人と比較して、どうか、という考え方でなのです。
親が、あなたと他の子と比較して、
ひどい言葉をいってきた場合もあると思いますけど….
他の人との比較ではなくて、
自分自身の存在そのものを愛することが大事です。

「存在」というのは、
たとえば、「目」...
目の形がどうとかではなくてね、
目の機能について考えてみましょう。
花を見られる目、
青い空を見られる目、
青い海を見られる目、
その目、すごい機能です。
世界最高のデジタルカメラもデジタルビデオもかないません。

愛するっていうことは、
この場合、「素晴らしさを発見する」ということです。
自分の体、肉体、この中に、どれだけ素晴らしさを発見できるかということです。
他の人と、比較しては、いけない。
比較して、いいか、悪いかではないのです。
その考えでは、いつまでたっても、心が落ち着くことはありません。
存在そのものを愛することです。

目の素晴らしさ、
耳の素晴らしさ、
鼻の素晴らしさ、
口の素晴らしさ、
手の素晴らしさ、
足の素晴らしさ...
まずは、そうした自分の肉体の素晴らしさを発見するところからはじめてみませんか?

自己愛とは、自分自身を愛することです。
他人の愛を要求したりしないものなのです。
他人を納得させる必要もありません。
心の中で受け入れれば、それで十分なのです。
他人の視点とは何の関係もありません。」

ウエイン・W・ダイアー 「自分のための人生」 三笠書房 より

僕の体のことを書きます。
僕は、すごく足がみじかい…
ちょっとびっくりするぐらいに短い...
10代の時は、悩みました。
15才から、18才ぐらいまではかなり…
足を伸ばす体操みたいなものを、自分で一生懸命考えたりして。
しかし、その後の19才から今まで、
ほとんど足の短さを考えたことがない…
どうして、そうなったのか、よくわかりませんけど...
僕は、その頃から、あんまり、人と自分を比べなくなっていきました。
今では、ほとんど、考えない。
僕の年代でも、人と比べること、たくさんあります。
年収とかね、肩書きとか…
でも、僕は、ほとんど、そういった人と比べるようなことを考えない。

どうやったら、自分らしくあることができるか。
そして、自分らしくありながら、
最大限に人の役にたつにはどうしたらよいか。
これにしか興味がありません。

女性の場合、容姿を気にする気持ちもわからなくもないけれど、
比べるからこそ、いい、わるい、の順番ができるのであって、
比べなければ、人間の体ってのは、
これ、素晴らしさのかたまりです。

世界中のお金を集めて、世界中の科学者を集めて研究しても、
あなたの体ね、これ以上のものをつくることは、
不可能です。
これを、「奇跡」といいます。
これが「この世で1番の奇跡」なのです。

長いこと、悲しい気持ちで生きてこられた方の場合、
この「この世で1番の奇跡」を受け入れることも、簡単ではないと思いますけど…
でも、たとえば、
あるものを好きになる時って、どういう時ですか?
この花が好きだな、と思える時、それは、どんな時でしょう?
それは、理屈ではなくて、
その花が素晴らしいなって思えたとき、感じたときではないでしょうか?
だから、
まずは「素晴らしさの発見」なのです。
これは、寝っ転がっていてもできることです。
寝っ転がって、自分の手を見てください。
人と比べずに…
大きいとか、小さいとか、そんな見方でなく…
生まれてから今まで、この手があったおかげで、
ごはん食べてこられたなぁって。
すごいなぁって。
そう思えたら、自然と好きになる。
これも、ひとつの自己愛だろうと思います。

それを、いろんなことにあてはめて考えてみましょう。
目、耳、鼻、口、手、足...
これについて深く考えてみてください。
もしも、この意味もよくわからなくても、
こうした考えの出来ている人は、ほとんどいませんからので、
できなくて、当然、わからなくて、当然です。
でも、毎日考えていると、
自然とね、そうなっていきます。
まぁ、あせらないで、すこしづつ、
この考えを深めていってください。

先ほどの腹式呼吸をしながら、心を深く落ち着けて、
そして、自分の肉体に関することから順番に、
自分に与えられているもの、自分が現在持っているものに、
思いをはせていってみてください。

目…耳…鼻…口…手…足…筋肉…神経…心臓…皮膚…肺…血液…そして、脳…
すべてに対して、あって当たり前という考えを捨て去り、
与えられているものであると、考えて見てください。
そして、そうした肉体的なものから、更に、過去の出来事について、
思いをはせてみてください。

危害を受けたこと、
してもらえなかったこと、については書き出しましたね。
では、してもらったことについてはどうでしょう?

また、それに対して、自分がしてあげたことについてはどうでしょう?
そして、時には、自分の方が迷惑をかけたこともあるのでは?
先ほどは、悲しい思いばかりが込み上げて、
そうした思い出ばかりがよみがえってきたことだと思いますが、

楽しい思い出もあったのではないですか?
うれしいこともあったのではないですか?
そういった、与えられていることを数え上げていきましょう。
これも、仏教の中にある瞑想法の一つです。
「内観」といいます。

そして、それが、出来たなら、更に、自分の内面へと、
目を向けていってみてください。そう「心」です。
冒頭に書いたように、目に見えない心にまで、思いをはせてみてください。
その心の奥底には、潜在意識が、
そして、そのまた奥底には、人間仏の子、神の子の本質があるのです。
「心」…
これは、そんなには、すぐには発見できないでしょうが、
けれども、自分の心の奥底に、
仏、あるいは、神と呼ばれる偉大なるエネルギーと同質のものが、
あることを信じていただきたいのです。
これこそが、すべての人に与えられている、偉大な力の根源なのです。


■5 信仰心を持つこと

さぁ、こうして与えられているものに思いをはせていると、
不思議なことに気づかないでしょうか?
僕はつくづくそう感じるのですが、
まさしく、これらの与えられているものは、
偉大な力によって創られている、
そして、与えられているとしか考えられないのです。

はじめの言葉で書きましたように、僕はこのブログで、
特定の宗教の勧誘をするつもりはないのですが、
自分が、仏、あるいは、神と呼ばれる偉大なる創造主によってつくられ、
生かされているということだけは、信じていただきたいと考えています。
これは、いずれかの宗教に属していなくても、
誰しも出来る信仰であると考えています。

僕は、こうした、自分にたくさんのものが与えられているという考えと、
自分が仏の子、神の子であるという、
この根本的な事を受け入れていただけない方に、
この先の、感情のコントロールの方法等をいくら説明しても、
悩みを解決することはむずかしいと考えています。

少なくとも、僕は、この点を抜きにして、これから先の、
悩み解決の言葉をお伝えすることができません。
僕が学んできた、どの先人達もこの「信仰の力」を、
悩み解決の方法論の中核にしています。

日本人だけが、異様に「信仰」について正しい認識を持っていないのです。
もしも、この「信仰」について、感覚的に良くわからないとしても、
最低限、人の心の奥底にある潜在意識には、大きな力が宿っているという、
このことだけは、信じていただきたいと考えています。

潜在意識理論は普遍的なものです。
そして、信じるという強い力を機縁として、
潜在意識の力が引き出され、現実に素晴らしい現象を起こすのです。
特に、自信の欠如や依存心の問題を抱えている方の場合、
その根本的な原因は、
「自分や、自分の周りの環境を肯定することができないこと」
にあるといえるでしょう。

反対にいえば、
「自分やこの世界が素晴らしいものである」
と絶対に信じられるかということが、
悩みを打ち破る根本的な力でなのです。
「絶対的な自信」を得るということです。
その力はどこからくるか。

それは、
「自分が、仏の子、神の子であるという自覚からである」というのが、
僕の基本的な主張です。
健全な家庭に育ち、両親の十分な愛にはぐぐまれて育ったならば、
その両親の愛を基に、自信を深めることもできるでしょう。
子供の頃から非常に優秀で、学力や体力で、
他の子供たちより秀でている自分を自覚することができたなら、
自分の能力を信じて生きていくことも可能でしょう。

しかし、
親もいなかった、
いてもひどい親だった、
周りの環境も劣悪だった、
優秀でもなかった、
体が弱かった、
生まれたときから肉体的なハンディを負っていた
理不尽ないじめを受けた
人に言えないような罪の意識がある...
そんな子供たちが、
どこでどうやって自信を持つことができるでしょうか。

僕は、本当に多くの人に人生の素晴らしさを知ってもらいたいのです。
一人でも多くの悲しむ人に、
一人での多くの苦しむ人に、
一人でも多くの挫折のさなかにある人々に訴えかけたいのです。
あなたは仏の子なんだよ、と
神さまの子なんだよ、と
そんなふうに、この苦しみの世界に放り出されて、
何年も苦しむためだけに生まれてきたのではないのだよ、と
そう、訴えたいのです。

アメーバや猿から進化して、
食べるためだけに生きているような人生観で、
どうして根本的な自信など湧いてきましょうか。

人間には永遠の魂があって、
その魂は、仏あるいは神といわれる愛と慈悲の存在の一部であることを、
そして、永遠の転生輪廻を繰り返し、
この地上で、魂修行をしているのだということを、
人生の中でおこる一切のことは、魂を磨くために存在し
どんな苦しいこと、悲しいことも、
自分の魂を成長させる課題であることを、

魂を磨くとは、
どれだけ愛深い人間として、
生きていけるかということであることを、
人生とは、愛深き人になるための、一冊の問題集であることを、
仏あるいは神といわれる愛と慈悲の存在は、
けっして、あなたに解決できない問題は与えないことを、
その問題を説き、そのことから教訓を学び取ることが、
あなたの人生の目的であることを、
教訓を得て成長する過程で、縁あって出会った人々に、
愛をもって接することこそ、人生の使命であることを、

そして、僕たちには、
仏あるいは神といわれる愛と慈悲の存在の一部であるがゆえに、
その潜在意識の奥底に、
無限の愛とエネルギーとパワーが眠っているということを、
だからこそ、それに気付いたならば、
魂の奥深くから、
無限の力があふれきて、あふれきてとどまることがないのだということを、
そんな、鎖に縛られて、閉じ込められて、
暗闇の中に、
何日も何年も何十年もとどまっているような、
そんな人生であっていてたまるか!と...
そう、訴えたいのです。

どんな苦難にも困難にも負けないパワーの源泉は、
何度倒れても倒れても起きあがって人生に挑戦するパワーの源は、
人間仏の子、神の子の自覚にあると、

僕は、
あなたに、
祈りを込めて、
心の底からお伝えしたいと思います。
アメリカで大ベストセラーとなった、
ノーマン・ヴィンセント・ピールの著書「積極的考え方の力」の、
の第1章も「自分自身を信じなさい!」という言葉から始まります。

自分の力に対する謙譲ながら確固たる自信がなければ、
成功することも幸福になることもできない。
健全な自信こそ、成功の原因をつくるものである。
そして、自信の欠如に対する確実な治療法の一つは、
神が現実にあなたとともに在って、
あなたを助けているという考え方である。
これは宗教の単純な教えの一つである。
全能の神はあなたの伴侶となり、
あなたの側に立ち、
あなたを助け、
あなたを見守るだろうと考えることである。

他のどんな考えよりも、
この単純な信仰ほど自信を発展させるにの役立つものはない。
これを実行するには、たんに、
「神、我とともに在り、神、我を助け給う、神、我を導き給う」
ということを肯定すればよいのである。
「積極的考え方の力」 ノーマン・ヴィンセント・ピール

理不尽な不幸が続くと、
神さまなんかいない、いるなら恨む!と思いたくなります。
僕も一度や二度ならず、そういうときがありました。
でも、その苦しみや悲しみを乗り越えると、
それは、自分が成長するためにどうしても必要だったことがわかるんです。

神さまの考えている幸福とは、
親が子にお菓子を与えるような、
そんな甘いだけの幸福ではありません。
神さまの考えている幸福とは、
あなたの魂が成長するために必要な試練を、
乗り越えたときにだけ味わえる、深い深い幸福感です。

辛いときも苦しいときも、
あなたがその状況を乗り越えて、
素晴らしい人格へと成長することを期待して、
じっと、暖かく、そして時には涙を流しながら、
それでも、助け舟など出さず、
遠くから見守っている父や母の愛にも似た、
目に見えない存在があると信じることです。


© Rakuten Group, Inc.
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