講演会・展示会・ワークショップのお知らせ 0
全98件 (98件中 1-50件目)
今年の夏のイベントで、とりあえず確定したところからお知らせさせていただきます。まず、今年はミフリ主催の展示会は予定していません。私も年取って、頭が働かない上、荷物の搬送や展示が面倒になってしまった・・・・からなんですけど、今後は個人でのお取引をメインに、講演会、イベントへの出店、展示会への協力をさせていただきたいと思っています。まずは広島県広島市です。「トルコ雑貨サロングレイシー」主催のイ―ネオヤ初級講習会。イーネオヤのコースター(予定)(写真は作品イメージで変更の可能性あり)7月20日(土) 午前の部10:00-12:00 午後の部13:30-15:307月21日(日) 午前の部10:00-12:00 午後の部13:30-15:30講師は平尾直美先生。各回定員は8名です。イ―ネオヤは初めて・・・という方でも、ぜひぜひチャレンジしてみてください。講習会に参加できないけど、お買いものしたいという人にも朗報です。サロングレイシーでは講習会当日、イーネオヤのアクセサリー、アンティークオヤ、オヤ糸、オヤ本などの販売もします。時間などはお問い合わせください。お問い合わせは「トルコ雑貨サロングレイシー」まで。場所は広島駅新幹線口から徒歩6分、愛宕郵便局向いです。連絡先:050-3699-9445(店舗電話 12~19時) 090-2865-9445メールでのお問い合わせは gracystylel@yahoo.co.jpそれから前日の7月19日(金)には、「トルコ雑貨サロングレイシー」にて、私のトルコのお話会を開催させていただきます。こちらはすぐに満席になってしまう人気のサロンイベントですのでご予約はお早めに。お茶やお食事をしながら、各地で撮影した写真をメインに、堅苦しくなく、おしゃべりしながらの会です。質問などもOKです。あまり地方へ行くことはないので、今回は中国地方の方とお会いできるのを楽しみにしています。7月19日(金) 昼の部14:00-16:00 ティータイム トルコのかわいいもののお話 夜の部19:00-21:00 トルコの結婚事情、トルコの女性たちの暮らし、 私のトルコ生活20年、観光おすすめスポットなどお問い合わせ・お申込みは上記サロングレイシーさんまでお願いいたします。私に直接問い合わせしたいという方は、もちろんミフリの野中までご連絡くださっても大丈夫です。ikumi@mihri.org他にもイベント予定がありますが、確定し次第、お知らせいたします。にほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
2013年05月07日
今年の夏の催事のお知らせです。7月9日(金)~11日(日)神戸・ファッション美術館にて第14回世界レース大会OIDFA神戸にイーネオヤ・イーネダンテル・素材などの販売で参加。時間は以下の通りです。毎日時間が異なりますのでご注意ください。7月9日(金)11:00~18:007月10日(土)9:00~18:007月11日(日)9:00~16:00オールド・骨董イーネオヤスカーフ、エフェオヤ(1点のみ)、イーネダンテル、単体イーネオヤ、オールドイーネダンテル、オールドイーネオヤパラケセ(数点)、花嫁の髪飾り(1点のみ)イーネオヤアクセサリー、ビーズオヤ、メキッキオヤ、骨董オスマン刺繍(博物館クラス・コレクションピース)などの出品を予定しております。7月26日(月)~8月1日(日)東京・京橋のギャラリーくぼた別館にて、キリム、絨毯、イーネオヤなどの展示会を開催いたします。年に一度のミフリの大バーゲンです。11:00~19:00(最終日は15:00まで)キリム、絨毯、イーネオヤ関連 手編み靴下、手袋、オスマン刺繍、民族衣装、トカット型押し布、オールドキリムクッションカバー、スザーニなどを展示・販売いたします。とくにリビングなどに敷ける大きなオールドキリムや絨毯の購入をお考えの方には、驚きのプライスです。日本では何十万円もするためなかなか買えなかったという方もぜひこの機会をご利用ください。なお、19:00(最終日は15:00)は閉館時間になります。会場の都合で時間の延長ができないため、できるだけ余裕をもってお越しくださるようお願い申しあげます。トルコ滞在、旅行などのご相談もこの機会にどうぞ。では、みなさまとお会いできることを楽しみにお待ち申し上げております。ミフリ 野中幾美
2010年07月02日
ミフリ社長はこの4日間、何をしていたかというと、引っ越しをしていた。引っ越しと言っても同じビル内で、地下のカフェを1階に、1階にあった絨毯屋を地下へ移動しただけなんだけど・・・・。ときどきモノを移動するのは、掃除にもなる。カレイチからドーガラジへ引っ越しをして、ちょうど1年になる。気分転換にもなるし、新規一転がんばろうという気持ちにもなる。スタッフや常連さんは、隠れ家的な地下カフェがお気に入りで、移動したくなさそうだったけど、地下の広いスペースで好きなだけ絨毯を広げられるミフリ社長はこの移動がちょっとうれしいのである。荷物だけスタッフに運んでもらって、あとは絨毯、キリムを広げながら、楽しみつつ、お片付け。途中、スタッフのお父さんとミフリカフェで待ち合わせしていたアンタルヤ県知事が地下へやってきて、「絨毯屋はこっち(地下)の方がやっぱりいい」と。そして広くなったから目につくようになった古い民具などを「うちにもこういうのがあったよ。人にあげてしまって、もうないけど」と懐かしそうに見ていった。片付けはあと1、2日かかる。でも怖いのは、これだけのスペースがあると、家具系を買いそうなこと。実はいくつか目をつけている古い家具があるのであるが、いままでは置く場所ないしなあ・・・・と諦めていた。トラック運転して、大量に運んできても驚かないでくれ・・・・・。あっ、でもまた引っ越しするとき大変だしなあ・・・とか、揺れているミフリ社長であった・・・・。そして、禁煙になった1階のミフリカフェは・・・・・というと・・・・続く。
2008年09月24日
ライコス時代からずいぶん長くなった社長日記。内容とかテーマの統一性がないから、読む人はなんだ、なんだと思っていることだろう。画像はクルド系のミフラップキリム。総草木染め。ミフリ社長個人コレクションから。続きはこちら。別に代り映えするわけじゃないんだけど・・・。ブログの続編「続・絨毯屋へようこそ トルコの絨緞屋のお仕事記」
2008年08月27日
トルコに戻る準備でバタバタしています。次はトルコからの更新の予定でしたが、メールのお返事が追いつかなくて遅れております。申し訳ございません。現在、イーネオヤは梱包・送付してしまったため、在庫確認ができない状態です。来週末にはトルコに戻っておりますので、できるだけ早く在庫確認をして各ご連絡させていただきますので、少々お待ちください。ヤカも掲載以外にトルコにたくさんの在庫がございますので、それも順次掲載する予定です。よろしくお願いいたします。
2008年08月16日
新聞やテレビニュースの暇ネタによく使ってもらえるミフリ社長・・・・・。昨日は新しくできた地元新聞の人物ルポコーナーの取材。そして今日は大手新聞社の地方版ネタの取材。ちょうど日本人のお友達が来ていたのでお願いして一緒に出演してもらい、きれいどころで色を添えて(私だけじゃどうもね・・・・・)、新聞記者を喜ばせた。かつて取材する側だったせいか、どうもサービス精神旺盛なミフリ社長・・・・・。言われたら(言われなくても)たいていの演出も演技もする。(・・・だったら化粧ぐらい、してこいよ・・・って!?・・・しないけど・・・)今回は皿と100円ショップのウチワを手に着物姿でポーズ・・・。わざわざ着物まで着るなんて・・・・と思うでしょう。実はこんな感じ・・・・。さすが着物を着るのはめんどうなので、着物のコートを着て、帯をただ巻いただけ、セロハンテープなんかもついていたりする。そして恒例、「撮影で作ったものは何がなんでも味見て帰っていただきましょう」のコーナー・・・・もちろん箸で・・・・ね。
2008年07月21日
エフェオヤの話が出たところで、男性用のオヤを引き続き紹介。ブルサからキュタフュヤ方面の山間部の遊牧系の地域。キリムでいえば、染めをしないナチュラルのヤギ毛を紡いだ糸で作った素朴な敷物や袋物などが出るところ。遊牧民のおじさんが集めてきたヤギ毛のキリムを買ったことがあるので、馴染みがある。このオヤはオヤの部分はコットン系の糸で太めなのだが、またそれが大胆でおもしろい。色とりどりで菱形、花型などいくつかパターンがある。これもうまい下手があり、この太めの糸で細やかに編んであるのもあれば、大胆だけど面白い形と雰囲気のものもある。またこれらのオヤスカーフの特徴として、特定のパターンのヤズマを使用していること。このスカーフが基本的には黒地に花柄なのだが、年代ごとに手の型押し、手描き、プリントと変わってきている。濃い紫、白などのヤズマも稀だけど出る。古いヤズマはオヤを無視して、素晴らしい。ヤズマ部分だけが欲しいがために買いあさったこともある。今回、この地域のオヤを、手の型押しの古いものに限定して、しかもオヤの手がいいものだけを選んだ。ミフリ社長は細かく値段設定ができない性格なので、均一価格なのであるが、同じ値段なら、実際の価値がそれよりずっと高いいいものを選びたい・・・よね?はっきり言って早いもの勝ちです。私が自分用に分けたいものも入っています。でも今回はぐっと我慢・・・。・・と前置きがまたまた長くなってしまったけど、こちらが遊牧民系、シンプルで大胆モチーフだけど、色の好みやヤズマの古さがいい味出しているミフリ社長厳選シリーズ。その一部をご紹介。いかがでした?帰国前のイーネオヤ関連の更新はこれが最後です。
2008年07月19日
引き続いて。イーネオヤの鑑賞会・・・!?新し目のイーネオヤだけど、形がとてもおもしろい。袋状になった花びらのお花。しかもでかい。正統派、骨董イーネオヤ。針金の芯が入っていて、シルクの細い糸で細かに編んでいる。色とりどりで豪華なオヤ。ボリュームもあり、古いものはそれなりに風格がある・・・。エフェオヤというのを過去ブログでも紹介しているけど。エフェと呼ばれる村の若者が使っていたもので、男性用。大きな太陽、星、月などを象徴する特殊なオヤが特徴である。形式的には実際、いろいろあるんだけど、本場アイドゥンのエフェオヤの場合、布がシルクのストライプ柄であるのが正統派。そしてこれが本来のエフェオヤである。オヤは小さいが、男性モチーフ。そしてシルク布。布はかなり古く1900年代と推定。ちなみにこのブログのプロフィール欄の写真もアイドゥン・エフェオヤ。布部分はヤズマ(ガーゼ型押し柄)のものだけど、これが信じられないぐらい薄い。トルコでは「キャート・ヤズマ」と呼んでいるのだけど、薄さのあまり普通に広げると破れてしまうので、息を吹きかけながら開く。ミフリ社長の個人所蔵品。でかいオヤで有名なイズニックもの。迫力。以下、こんなイーネオヤもあります。ひとつひとつの形が見れば見るほどおもしろい。いずれも、なかなか目にできないものばかり。堪能していただけたでしょうか。これらのオールド・イーネオヤを日本で実際に手にとって、見ることができます。8月5日~10日まで、栃木県鹿沼市役所そば、カフェ饗茶庵の花蓮(hanare)にて。
2008年07月17日
イーネオヤ・・・・見ているだけで時間が過ぎていく。ぬい針でシルク糸を自分でよりなおし、結び目を造りながら形を作っていく、実に細かい作業である。トルコで一般的に見られるオヤはトゥオヤといって、かぎ針で編むもので、これは比較的広い範囲で多くの人ができる。しかしイーネオヤとなると、地域が限られ、また作り手も少ないのである。また同じイーネオヤでも、キリムと同じように、地域性、年代、モチーフの珍しさ、手の上手下手、素材の違い、込められた思い・・・などが読み取れ、また女性にとっては昔も今もとても身近な存在なので(日常品)とくに、知れば知るほどおもしろい。ただイーネオヤも、他の伝統手工芸にもれず、作り手の減少、伝統の不継続、需要のなさ、それによる工賃の高騰などで、自然な形としては近いうちに消えうる文化である。・・・・というか、かなり終わっているのを今回見て、体感したけど・・・・。続いているのは新作の普及品。地域性も、モチーフや色へのこだわり、素材へのこだわり、生活の中で継承という意味では、ちょっと遅かったなあ・・・いう感である。まあ、面倒な話は横に置いておいて。イーネオヤを堪能しよう。こういうのを、毎日、毎日見ていると、時間が経つのも忘れ、深みにはまり、そして抜けなくなるのだけど・・・。今年と来年の目標は、(できることならオヤを愛する人たちと)地域を限定したさらに長期に渡る、家庭訪問調査かな・・・・?
2008年07月15日
夏しか帰国できないもので、暑い中大変申し訳ありません。今年も8月5日(火)から10日(日)までの6日間、鹿沼の市役所そば、饗茶庵の花蓮(hanare)で、ミフリの催事をします。本当に暑い時期に、また暑い北関東での催事ということで、毎度ですがその分、満足していただけるように取り計らいますので、どうぞよろしくお願いいたします。今年はメインのキリムなどの他に、「トルコのオールド・イーネオヤ700点大展示」というのがあります。実際は鹿沼にたどり着く前に売れてしまいますので、600点になるか500点になるかはわかりませんが、地域色あり、作り手の好み・センスの差あり、古い手押し型のスカーフもまた面白く、モチーフのそれぞれ異なるイーネオヤによるお花の数々・・・・1日中見ていて飽きません。イーネオヤが何なのか・・・・。これです。こんなのとか・・・。こんなのとか・・・。こんなのとか・・・。まだまだ色々あります。トルコ人個人が放出する貴重で稀少なコレクション・パーツもあります。催事の前とか後に出張販売しにきてくれ、というご要望があれば、相談したいと思います。まずはご連絡ください。
2008年07月10日
気候的には春というか初夏に近いかな・・・。でもどこで見る風景も新緑が美しく、その中に黄色、赤、白、紫と花々が咲き乱れ、暑くもなく寒くもなく、とても心地よいドライブであった。ドライブのついでにこんなものを手に入れてきた。画像だけでわかった人はかなりの通。村人が冬の農閑期に内職で手編みするレース編みである。トルコではオヤと呼ばれているもので、これは女性たちが被るスカーフの縁に縫い付ける飾りである。普通はこのオヤと、オヤのデザインや色に合わせてスカーフを選び、自分で縫い付ける。スカーフ部分が古くなると取り外して、また別のスカーフにつけることができる。それぞれのお花には名称があり、意味もあったりする。これは今ではほとんど作り手がいないという「とうがらしの実と花」。家で保管されていたものをお願いして譲ってもらった。トゥ(かぎ針)で作られたものである。立体的になっている。イーネ(ぬい針)で作られたものでは、私のコレクションにもあるが立体的なとうがらしの赤い実の部分だけのものが存在する。これは個人コレクションなので非公開。これはビーズオヤ。ぬい針でビーズを通して編む。これもスカーフに取り付ける目的のものであるが、かつての流行ものなので、最近は一般には使われない。白いガーゼにつけられたものがあるが、ほとんどが古いものである。ビーズオヤはお花をモチーフにしたものもあるが、多くは実や動物、その他の身の回りにあるものを象っている。いずれも取り付け、取り外しができるもので基本的には360cmの長さ。いろんなものにつけて楽しめるのである。床に広げたレース編みのお花畑に取り囲まれて、とっても幸せな気分である。近日中に弊社のホームページでもご覧いただけるように努力中。興味のある方はどうぞ。
2008年05月18日
ミフリ社長はキリムがあれば、どこへでも駆けつける。今回も個人宅からこんなキリムを見つけてきた。サイズは345×168センチ。重量8500g。現在、アンタルヤ在住の推定60歳ぐらいの女性。トルコ人は老けて見えるからまだ50代半ばかもしれない。自身が結婚するときに、母親と一緒に織り、アンタルヤの婚家に持ってきたものだという。出身はアフィヨンの村である。アンタルヤで、現在はアパート暮らし。そのため敷いて使う場所もなく、保管する場所もなく、売れるものなら売ってしまいたい・・・ということであった。トルコの家が日本に比べて広いと言ったって、やはり大きなキリムを敷くスペースのある家は少ないのである。それに加えて手織りの民族的なキリムより、新しい機械織りの化繊絨毯を好む傾向があり、手織りキリムの価値を見出せない人が多い。手工芸に関しては、どの国もそういう時期を経ていくものだから仕方がないけどね。キリムは広げてみるとわかるけど、2枚織って、真ん中を縫い付けるタイプ。ということは通常はこの倍の大きさで、正方形に近いのである。村では夏にこれらを高原や家のテラスに敷いて、人々がそこで過ごしたものらしい。2枚のうちの半分・・・ということは、もう片方があるのだろうと思って尋ねたが、最初は2枚作る予定だったが、十分大きいものなので半分だけ織って、それを持ってきたそうだ。モチーフはセルチュクのカルタルモデル。モチーフ自体は、他の地域のキリムでも見られる。この大きさで、しかも貴重なビレッジキリムで、コンディションも良く、お値段は日本までの送料込みで現在片手で足りる。それにしても出所や織り手がわかっているキリムって、話を聞くだけでもおもしろいし、キリムの魅力を倍増させる・・・って思う。
2008年05月08日
今日の競売で手に入れたもの。その1、木製スプーン。大きめの木製スプーン。画像の上にあるのがグラスで、それと比較すると大きさがわかると思う。いままでもマルマラ~エーゲ海方面の各地で、集めて周ったので、たくさん持っている。(たくさん持っていてもまだ足りないと思うのが危険信号)これはシンプルだけど、素朴な手彫りがいい。実用品として使い込んだ感じがまたそそる。(スプーンにそそられてどうするのだ・・・・)その2、木製のコーヒー豆冷まし日本では何て名前がついているのかわからなかったので、トルコ語直訳。これもいくつか持っている(でももっとほしいと思うのも危険信号)。金属製の道具でコーヒー豆を炒ったあと、これで冷ますと聞いている。これもサイドにモチーフが彫りこまれているだけのシンプルなもの。年号が入っていて、普通に読むとイスラム暦で「1777年」。でも西暦に直すと2300年代になってしまうので、意味不明。これも実際に使われていたもので、いい感じにこなれている。これ以外に、今回は古いガラスの花瓶を手に入れた。古いガラス製品(主に花瓶)は今年になって集めているものだけど、それはもう少し集めたら一挙公開ということで・・・・。アンタルヤ県コレクター&骨董屋協会主催の競売。売るほうも買うほうも男性メンバーばかり。紅一点のミフリ社長・・・・。
2008年04月04日
先日は某テレビ局の取材でカレイチを散策するミフリ社長・・・という、イメージ映像の撮影をした。しかも当日は風がゴウゴウ吹いている日で、メドューサの蛇の髪のように飛ぶ髪の毛を押さえるのに精一杯。全くのお笑い映像になってしまったのだけど・・・。(ニュース素材になぜイメージ映像が・・・という疑問を抱きつつ、言われるがままに遠い目で地中海を望む演技までしてしまったミフリ社長・・・・)今度は前から話があったのだけど、地元大学建築学科の学生への課題の取材対象になってしまった。建築学科というからには、インテリア・内装に関連してキリムや絨毯のモチーフや染色についての取材協力かと思ったら(というか、そういう話だった)、なぜか訪問してきた教授や学生たちの質問は、名前に始まる自己紹介から、いつトルコへ来たのか、なぜトルコの手工芸品に興味を持ったのか、トルコでどこへ行ったのか、どんなものを集めたのか、手に入れたときのエピソードなど、ミフリ社長のトルコ手工芸のコレクターとしての取材内容であった。おおーい、店にあるものは売りものだよ、ここは絨毯屋なんだよ、と大声で言いたいけど、実態が商売人というよりは、ただの欲しいモノを集めている人に近いから、だんだん小声になっていく・・・。実際、売り物より自分用に集めているものの方が数段多いから何も言えないし、私のコレクションは自分で言うのも何だけどなかなかである・・・・。トルコ手工芸品のコレクターとして名前が挙がるようになったのだから、それはそれで喜ぶべきこと・・・と。外国人というのは、ある種特別な立場にもいるわけで、あくまで個人なんだけど、やはり国を背負っていたり、どこか見世物パンダ的なところもある。そういう特殊性を嫌がる人もいると思う。私の場合、前職で取材する側の人間だったから、取材する側の気持ちもよくわかる。で、しかもサービス精神旺盛な方だから、気にしないで何でもやってしまうのだけど。15年経っても少しも上達しないトルコ語で、臆面もなく。それでもあえて言わせてもらえば、アンタルヤに住む外国人として、なんらかの形で地元に貢献できること、お役に立てることがあることをうれしく思う次第である・・・・・。
2008年04月02日
正確には8.2平方メートルのオールド絨毯。トルコ人の友人がおじいさんから譲り受けたものであるが、都市生活はトルコも例外でなく、なかなか敷けるスペースがない。引き取ってくれる人いないかしら・・・・と言っても、同じアンタルヤじゃ住宅事情はそう変わらず、私のところへやってきた。縦433cm×横190cm。1956年3月14日の文字が入っている。CEMALは男性の名前。尋ねるのを忘れたけど、たぶんおじいさんの名前。重量約25kg。ほとんど使っていないため、状態は良好である。小さい修理はもちろん弊社で点検・修復。これだけ大きいオールド絨毯、敷ける場所は限られると思うけど、大きめのリビングなどがあったら、真ん中にどーんと、迫力あるでしょう。
2008年04月01日
これも普通に考えたら「ミル」系の道具なんだろうけど、ふに落ちないのが、1本木をくりぬいたものにもかかわらず、底が別パーツで、釘で取り付けられているところ。香辛料、または胡桃やナッツ類の殻を割る目的なら、底は別パーツじゃないほうが頑丈で都合がいいと思うのだけど・・・・。サイズや形からお米や麦の殻を取るためかとも思ったけど、(日本でガラス瓶にお米を入れて棒でついていたのが思い浮かんだ)それも底が別パーツになる理由にはならないなあ・・・・と。村の70歳ぐらいのおばあちゃんたちに見せて尋ねると、「子供のころ、こういう道具で木の棒で、香辛料を砕いた」というのだけど、ちょっと納得できないでいる。それにしてもこの歪み具合といい、使いこなれ具合といい、置いておくだけで魅かれるものがある。なかに細い花瓶を入れて、お花を飾ってもいいなあ・・・・。高さ26cm、底幅14.5cm、口幅11.5cm。重量920g。
2008年02月27日
これは以前からいくつか収集しているもののひとつ。一本木をくりぬいたもので、香辛料などをすり潰す道具(だと思う)である。トルコ国内からだが、地方は不明。年代も不明。石製の棒とセットになっているものが多い。各国でもあるものだが、石製、金属性、木製、大理石製などで、皿型、鉢形など材質や形状もいろいろあって、おもしろい。素朴なものもあれば、外側に細かい彫りが見られるすばらしいものもある。いずれも手造りで1点ものなので、形も太さもいろいろで個性がある。素朴なものも、豪勢なものも、日常と結びついた用途というのが気に入っている。これは細かい彫りのタイプではないが、取っ手があり、素朴であるがモチーフを彫りこんであり、状態もかなりよいもの。材質は何の木かは不明だが、固めの木である。高さ約15cm、口の部分はまん丸ではなく、多少歪みがあり、16×13.5cm。重量1280g。タイプとしては、今までも何点か見たが、小ぶりでコンディションが良いので迷わず手に入れた。ミフリ社長のコレクションで現在持っているものは砂時計型の、外見にくびれがあるもの。これは非公開。売るつもりのないものは残念ながらお見せしないことにしている。他に持っていたけど売却してしまったものでは、外側に細かい彫りが隙間なく施された、かなり古い、でも状態のよいもので、棒は金属。あれを手放したのは失敗だったなあ・・・・と後悔。
2008年02月25日
骨董屋の競売でこんなものを手に入れた。なんだかわからなかったのだけど、古ければ、手作りであれば、釘でもなんでもほしいミフリ社長。手に入れてみたら、これが何のためのものなのか気になったので調べてみた。(競売で馬の脚につけるとか言われたけど、えーって思ったもん。そりゃ蹄鉄だ)そしたら馬具のひとつであった。(馬の部分だけ正解)競馬も乗馬も農耕馬も知らないミフリ社長。これを手に入れなかったら、全く縁のない世界であったのであるから、何がきっかけとなるか、世の中わからないものである。(大げさ)ゲム。日本では大勒(たいろく)ハミというらしい。簡単に言えば、馬の口に入れて、その両端に手綱が結ばれ、馬を引く人のコントロールをしやすくするための道具らしい。わっか部分を含めて長さ28cm、幅11cm。重量320g。こちらはカンタルマ水勒(すいろく)ハミ。使用目的は同上。長さ23cm、両端の長さ12cm。重量200g。現在の馬具は形のちゃんと整っているものを使っているらしいけど、これらはいかにも村の鍛冶屋さんが造りました。って感じで、わっかも歪んでいるし、なんともいい雰囲気である。ただのパーツでもなんでも集めて喜んでいるわけだけど、こんな風に用途がわかると、さらに当時の様子などを想像して楽しくなる。って一人で楽しんでいます。
2008年02月24日
トルコの木製「絨毯・キリム」垂直織り機が日本(大阪)に1台あります。以前にトルコから日本へ送られたものです。縦130cm、横100cm、奥行き80cm。アンタルヤ地方で使用されていたオリジナル型です。村の織り機大工に特別に小さめに作らせたもので、幅60cmぐらいまでのキリム、絨毯を、トルコの伝統的な織り方で織ることができます。全ての備品が揃った状態で、織り機としては未使用、キリムをかけたりなどのインテリアとして使用していたものです。画像は現物ではなく、ミフリ社長のものですが、これと同型で、ピンクの塗料がないだけと思ってください。金具なども全て揃っています。興味があるかたはミフリのHPからメールをお願いします。持ち主が国外に引越しするため、泣く泣くの処分だそうです。
2008年01月15日
エーゲ海地方イズミルの旧家からの出物。台は金属性。板は大理石の1枚板。ただし大理石は、当時のものではなく、あとの時代に、作り直したものと思われる。そのため大理石はきれい。予想重量は台5kg、大理石8~10kg、トータルで13~15kgぐらい。(持ち上げて計測したのみ)台の脚は猫脚。高さは40cm、大理石の板は60×60cm。台部分は研磨で以前の姿(ピカピカ)にすることが可能。個人的にはこのままの方が雰囲気あっていいとは思うけど・・・・。
2008年01月11日
ミフリのキリムの店はこんな感じ。お待ちしております~。
2008年01月04日
もういい加減、投げ出したいと思いつつ、あと少しで完成である。・・・ミフリカフェの話である。今日、トイレへの入り口と、ふたつの出口への内ドア3つがついた。大きな窓がついた。キッチンと店内に換気扇がついた。ガラスが入った。あとは入り口の階段の床と、壁の装飾用の木材である。スピーカーの設置も。ああ、入り口の大きなドアに何か書かなきゃ・・・・。人を使うって本当に大変である。しかも人数が多ければ多いほど、大変である。家でゆっくりしていることもままならない。大晦日はカフェで巻き寿司やら、料理を作って、お酒を買い込んで、友人、知人、その日来てくれたお客さんとパーティーの予定。アンタルヤのお偉いさん方を呼んでの、公式オープニングパーティーは、この調子だと年明けになりそうである。そのときまで(カンペ棒読みにならないように)トルコ語でのスピーチの練習でもしておくか・・・・。今年もあとわずかである。引越しと、カフェのオープンに明け暮れた2007年の後半であった。
2007年12月26日
先日、日本人先生による調理講習会で、日本風ナポリタンとたまご炒飯を作った。講習を受けているのはミフリのトルコ人スタッフ全員。まずナポリタンを見てトルコ語風に言うと「このスパゲティに入っていないものはない!」と驚きの声。家庭では茹でただけのスパゲティを塩とかケチャップだけとか、チーズをのせるだけで食べるのが普通なので、野菜とかチキンハムとか入っていて、しかもケチャップを入れて炒めるというのが不思議だったらしい。次にたまご炒飯。こちらは先生が手本をしめし、そのあと、それぞれが自分で作った。炒め方が悪いせいか、ご飯がべちゃっとしてしまったが、それ以外は焦がすこともなく、見た目にはうまく言った。トルコにはバター、塩を入れて炊くピラフがあるが、日本風に水だけで炊くことはまずない。炒飯を作るにあたって炊いた白飯に驚きの声。「油も塩も入れないでどうやって食うの!?」そのあと「油なしで食うから日本人は太らないんだね。・・・キミ以外は」・・・余計なお世話である。パフェとか食べたいので、アイスクリームにフルーツと生クリームをこう盛って・・・・と言ったら、全員の目が丸くなった。「アイスクリームって・・・・冬に病気になりたいのか・・・!?」ここ数年はトルコで冬でもアイスクリームを売っているところはあるが、以前は夏が終わった時点で店頭から消えるのが普通であった。最近はCM効果もあって、ファミリーサイズの大きなものなら、1年中買える。それでも「身体を壊す」と、私が食べているのにさえ干渉する人が多くてこまる。ナポリタンと炒飯は、味に関しては両方ともスタッフ全員に大変好評であった。私としてもスタッフ・メニューは日本風がいいなあ・・・・と。
2007年12月07日
今朝のアンタルヤはすごかった。何がすごいかというと、強風と大雨、雷で町も人も大変なことになっていた。大荒れの天気の中、出勤したが、道路は水びたし、街路樹は風で根から倒れていた。市が道路の街路樹の撤去と、倒れる可能性のある木の枝落しをしたりしていた。我が家も店も大きな被害はなかったが、ペンキ塗りたての店に壁の隙間から雨が侵入。壁ににじんで広い範囲で汚れてしまったが、この大雨で命を失ったり、家を失った人がいることを考えたらたいしたことはない。今日は朝から税務署通い。夕方からはテーブルクロス縫いをして、帰宅できたのは9時過ぎである。テーブルクロスは2枚組で、濃紺を下に、上に真っ赤。62メートル分の布を、カットしてアイロンかけて縫製。これを何人かで流れ作業。これができるのも日本から来た友人のおかげ。昨日、こなかった電気工事屋は、どういうわけか、大雨と強風のなか、やってきて、店内の全ての工事を見事終わらせて帰っていった。天気が悪いから絶対こないと思っていたんだけど・・・・・。そして大工はやはり来なかったけど、テーブルも天気のせいで明日になった。台所の棚もやっとついて、少しはそれらしくなってきたところ。まだまだ足りないものはたくさんあるし、お金もかけたいところだけど、先立つものがないのだから仕方がない。夕方には雨もおさまって、気温も雨のおかげで温かいのだが、疲労と風邪でミフリ社長ダウン寸前。でも倒れない。めまいもするなあ・・・と思ったけど、そういえば、今日もちゃんとご飯を食べる暇がなかった・・・・。こういうときのために、身体に蓄えをしてあるのだけど・・・・その蓄えはなぜか使われた様子はないのである。明日は最終お買い物。エアコンと冷凍庫、お皿類と食品。そろそろプレ開店。本格的なオープンは、たぶん年末か来年か。今年の年末年始パーティーは・・・・って、ホテルのちらしを見る暇もなかったけど、きっと大きいところは満席だろう。まあ、いいや・・・ちょっと早いけど・・・と、○○技師協会会員向け、12月中旬、5つ星リゾートホテルの格安宿泊プランの名簿に名前を書いてきた。宿泊(食べ放題、飲み放題)はお一人様35TL(約3500円)、12歳以下の子供は無料。・・・・って家からクルマで3、40分ぐらいのところなんだけど。ご飯を作らなくてもいいし。年末パーティーは我がミフリ・カフェで食べ放題、飲み放題。・・・と話が飛んだ。
2007年12月06日
実はミフリ社長は一児の母親である。言わなくたって、そんなことは知っていると言われると思う。それで実は毎週火曜日に学校の母親学級なるものに通っていた。なんで通っているのか、よくわからないのだけど、学校からのお誘いの手紙によくわからないまま初回に出席したら、その次も行かなきゃいけないという義務感と責任感で毎週行っていた。出席者は毎回20人程度で、子供のしつけや気持ち、接し方など実例を挙げての対処方法を児童心理学を学んだ(だろう)先生が講義する。日本だと関連の本とか雑誌とかがあるので、いずれにも常識的なものだったり、どこかで読んだことのある内容なのだけど、トルコではこれらの一般向けの情報が少ないので、父兄たちは結構真剣に聞いていたりする。内容はさておき、義務感に駆られて、毎週通っていたのだけど、ついに今週は行くことができなかった。決めたことは、どんなに億劫でも行く、やる、続ける! というのが主義であるが、今回はどうしてもできなかった。ギリギリまでいくつもりで調整していたのだけど、レジスターの変更の件があって急ぎで税理士から呼び出し、税務署へ行き、書類を持ってレジスターの調整のために電器メーカーへ。トルコじゃレジの扱いが非常に厳しい。税務署の管理下で、いろいろ手間がかかる。それでも明日にはなんとか使えそうなので、ほっとしたところ。・・・というわけで学校に行けるどころじゃなくて、夕方6時過ぎまで振り回された。午前は午前で電話会社で2時間待ち。電話会社のストライキがやっと終わって、新規電話の申し込みができるようになったのはいいのだけど、1か月以上も作業ができなかったため、連日大混雑である。毎日、寄ってみてはあきらめて帰ってきていた。でももうリミットである。昨日の夕方ギリギリに申込書を受け付けてもらって、今朝9時には列を待っていたのだけど、名前が呼ばれたのは2時間以上経ってからである。それまで狭い空間の人ごみで酸欠になりながら、立っていたわけである。民間になったんだから、もっと客サービスを考えろ! っていいたいのだけど、勤めているほうはまだ役人気分が抜けないわけだから、すごく高慢である。加えて1日に10人の受付しかないような田舎のシステムでやっているから、お客の数に対応しきれない。書類の書き込みとか、受付方法とか、システムを整理したら、もっと早くはけるのに・・・・っていつも思う。そうしたらお客も働いている人も、もっと気持ちよく応対できるのになあ。2時間待たされて、なんとか1週間後には取り付けしてもらえることになった。新しい電話番号とFAX番号はホームページで確認してくださるよう、お願いいたします。・・・・というわけで、朝から食事を取る時間もなく、やっと食事をしようとしたところで呼び出されたものだから、食べそこねたまま、夕方になった。空腹と疲労でヘトヘトのまま、食事をとれたのは夕方の7時。しかも近くのドゥルム屋から持ってきてもらった3TL(約300円)のレバーのドゥルムを食べただけ。そして今日くるはずの、電気工事屋と大工は連絡ないまま雲隠れ。明日はテーブルの残りがくるはずなんだけど、もう期待しない。来週は母親学級に行くんだ。そして明日も時間がないから行けないけど、今週中には絶対美容院にも行くんだ!(先月から一度も行っていないので、眉毛とひげが伸びている)
2007年12月04日
店の引越しをした。というか荷物の移動をした。今の店は小さいので、見た目にそれほど荷物がないと思っていたけど、実はかなり大変であった。2トントラックで2回に分けないと乗り切らず、6人体制で作業したけど、終わったらぐったりである。いったい何があったんだろう・・・・と考えてみると、高さ250cm幅250cm程度のキリムの棚が2つ、高さ120cm幅300cmのが1つあり、その他に戸棚やら小さい棚やら、縁台が3つ、キリム織り機が木製1台、金属製が1台、冷蔵庫が1台・・・細かい器具のほか、バックやオヤや刺繍布、バスク、その他遊牧民のテント用品など細かいものは超特大チュワル詰めにしてそれらがが20袋前後。これがトラック1台分。いったいこれだけのものがあの小さな店にどうやって詰まっていたのだろう・・・と不思議なほどである。そしてキリムと絨毯は2トントラックに山積みにして、なんとか運んだけど、まだ店に残っている。あとは自分のクルマで少しずつ運ぶしかない。引越しのどたばたではあったが、下のほうにあってなかなか見れなかったキリムを目にしてい、「なになに、こんないいキリムがあるんじゃない」と自己満足のミフリ社長。とりあえず、引越し先に詰め込んできたけど、今日から片付けをしなきゃならないわけで・・・・。掃除やらはいままでは人任せだったけど、キリムの分類、場所の指定などは私がいかなきゃならないわけで・・・・・・。ああ、恐ろしい。ショールームのほうの片付けが終わったら、いよいよカフェテリアのオープンへ向けての室内装飾やら器具類の準備が始まる。あと少し、あと少し・・・・である。電話はトゥルクテレコムがまだストの最中で、やはり移動も新規も受け付けてくれない。電話の停止はなぜか受け付けてくれるので、店の電話は一時的ですが今月末をもって停止させていただきます。その後は電話番号の方はスト後に再開する予定ですが、FAXは今後、使用できませんので、お間違えのないようによろしくお願いいたします。また新しい店の電話・FAX番号はストが終わり次第、番号を取得しお知らせいたします。また携帯、メールは継続して使用できます。
2007年11月24日
ああ、気がついたら今月もあと残り2週間。いったい店舗の引越しはできるのであろうか・・・と気持ちはあせるけど、行動がついていけない。ペンキ塗りと壁作り、壁壊しは終わった。明日は女の子たちが来てくれるので、その後片付けと掃除。水道屋さんにはトイレと台所の水まわり。不要な洗面所のキャンセル。店舗以外のこともなんだかたくさんあるのだけど、頭がついていけない。メモを作ろうとすると、その瞬間、脳みそがストップするので無駄。それより一番困っているのは、まだ続いている電話会社のスト。おかげで引越し先に電話がつけられない。ガイドブックの訂正に間に合わない。名刺が作れない。看板に電話番号が書けない。領収書その他に電話番号が書けない。パンフレット、チラシに電話番号が書けない。社版だけは必要だし、法的強制がないので電話番号なしで作ってもらうことにした。実際は携帯電話で用は済むのだけど、公式には電話、FAXが決まらないと何もできない。これって、営業に影響すると思うんだけど、いい加減にストやめてほしいよ~。
2007年11月14日
引越しに伴ってカフェテリアをオープンするため、会社名と事業内容に訂正と追加が行われた。社名は一単語を追加して変更。主な内容の追加はカフェテリアなんだけど、ホテルなどの宿泊施設、レストラン、スポーツ施設などの観光関係、施設の営業も全てできるらしい・・・これはカフェテリアのための項目に入っているので、おまけのようなもの。冷蔵庫、洗濯機、照明器具など電化製品。パソコン類、ゲーム機器、音楽関連機器、楽器などを追加したどういうわけか、四輪車、二輪車、トラック、ダンプ、船舶、飛行機とそれらのパーツまで取り扱えるようになった。もちろん、絨毯、キリム、手工芸品、お土産ものに含まれる全ての商品とその修復、洗浄、服、布、靴、帽子、かばん、タオル、布など、その材料といったテキスタイル関係、ソファセット、テーブル、椅子、鏡、その他なんでも家具類、キッチン用品、食器類加工品、調味料、香辛料を含む食品、モノを売るだけじゃなくて、アドバイスや相談、代行などのサービスなども継続。大きい区分で全部で19項目ある。これじゃますます何屋かわからなくなってきた・・・・。全部やれたらそりゃすごい。でも、資本があるわけじゃないから、やれることしかやれない・・・・。というわけでミフリ社長は変わらず今年も穴の開いた靴下を履いている・・・・・。
2007年11月08日
時間があんまりないのに、移転準備も開店準備も、何もやっていないで、どうなることやら・・・・・。エアコン屋さんに来てもらって、このスペースに必要なエアコンの大きさ、数を見積もってもらった。トルコってエアコン、まだまだ高いんだよね・・・・・。今度の店は店舗スペースが大きく3つに分かれているので、エアコンは最低3台・・・・トホホの出費。建築屋の親分さんに来てもらって、壁の変更や、入り口、壁のタイルはり、ペンキ塗り、その他の変更を打ち合わせ。壁を新たに作ったり、ある壁を壊したり、それでも最低の変更だけにしてもらった。壁もペンキでもいいのだけど、タイルにしたほうが汚れないし、見た目にきれい。でもイメージする内装と、どんどんかけ離れていく・・・・・・。大工さんには、テーブルと椅子などを注文するつもりで、あいさつだけ。実は今回の引越し先は、知り合いがたくさんいる地区。「暇つぶし場所」ができる・・・と期待も大きい。だから店舗の下見、内装の打ち合わせをするたびに、無関係の見物人がゾロゾロ・・・・と。そしてみんな勝手に「ここはこうしたらいい」と口出ししていく。なんか客より自称スタッフの数が多くなる、予感・・・・・・。う~ん。
2007年10月27日
新店舗のカフェの内装を少しずつ始めることにした。って私が作業するわけじゃないのだけど、支持したり、決定したり。1か月以内には引越し、年末年始までにはカフェのお披露目パーティー・・・・の予定なんだけど、体力ないし、やる気満々での作業じゃないから、誰か代わりにやってくれないかなあ・・・って思いつつ、でも誰も代わりにやってくれるわけじゃないから、自分でやるしかないのである・・・と、うなだれる。もう一店のショールームの方は前の人が手入れして、そのまま使っていないから、棚とか細かい部品とエアコン、看板などの設置のみ・・・・にした。本当は内装も凝ってかっこよくしたいところだけど、このままでいいかな・・・・って。(だってズクなし・・・・)ああ~。誰か助けてくれ~。って叫んでみる・・・・。
2007年10月26日
なんてタイトルを書くと大げさなんだけど、税理士と大家からGOサインが出て、どうやら移転することになりそうである(まるで他人ごとのよう・・・)。目安は1か月半後。店と会社自体は13年モノであるから、トルコでこれから開業したい人の参考にはならないけど、移転の場合でも手続きとか、関連官庁は同じようなところへ行ったり来たりもするので、へえ・・と思って読んでください。ただし頭がこんがらがる細かいことや、面倒なことは書かないし、わかりやすく大筋をはしょって書くから、真剣に詳細を知りたい人はメールでもください。トルコでの外国人の開業は現在は実はそれほど面倒じゃない。というか、すごく簡単である。以前は条件がいろいろあったし、外国人には制限もあった。資金も必要であった。ところが今は、いくつかの業種を除けばほぼ自由だし、いくらでも業種を組み込むことができる。私が会社を作ったころに比べると雲泥の差である。ほぼトルコ人と同じ条件でほぼどの業種でも簡単に会社設立はできる。(その後の就労ビザは実際の会社オーナーとは言え簡単ではない。外国人で会社は設立できたけど就労ビザがもらえないという話もよく聞く。むしろ雇用される人のほうがビザ取得は簡単のようである。)以前は会社設立に100000ドル(約1200万円)、さらにひとつの業種を加えるだけでも、最低資金として50000ドル(約600万円)を設立資金として用意しなければならなかった。今はというと、0円からできる。あとは手続き費用とか実際の運営費用を用意すればいいだけである。話は飛ぶけど不動産購入も日本人はすごく簡単になった。以前は名義をとるのに条件、制限があって、無理なケースがほとんどだったけど、今じゃ申請するだけである程度の時間は待つことになるが、ほぼ問題なく自分名義で購入できる。トルコに住んでいない人、トルコでの滞在許可がない人でもである。トルコに別荘でも・・・・というのも夢ではないのである。話を元に戻すと、今回の弊社の主な手続きは・・・・。今回、店舗を移転をするので、まず会社の住所が変わる。カフェ業務を加えるので、業務内容の追加がある。カフェ業務は、ツーリズムに分類されるため、TUR.を会社名に加えなければならない、つまり社名の変更がある。これらの手続き変更に、商工会議所、税務署などに届出をするため、それらに関する費用で約1000YTL(約10万円)かかる。これに公証役場での手数料などもある。どうせ費用がかかるのだから、この際、ほかの業務も書き加えておく。そうしないと業務を増やすごとに、やはり約10万円の費用がかかってしまうからである。実は昨年テキスタイル関連の業務を加えて、社名が変更になったばかりである。そのときにもいくつか追加したのであるが、うっかり忘れていたものがあったので、この際に追加する。思いつくもので、絶対やることがないだろうものと、農業関係は除いた。なぜ農業関係は除くかというと、私の卒業した大学の学部が農学部森林工学科であり、トルコじゃ農学部卒の外国人は、農業関係の職業では就労ビザをもらえないのである。前回の就労ビザではこれが問題となり、もめた。その前までの数回の就労ビザではこれについて全く言及されなかったのであるにもかかわらす・・・。結局、農学部でも森林工学は農業とは関係ないと納得してもらって就労ビザはもらったけど・・・。(逆に調理人は専門家じゃないとなれないだろうし、ほかの業種は知らない。その時々によって問題になるときと、全くならないときとあるから、法律の変更を追跡していくしかない・・・・)と話がそれたが、店舗に関しても今回はとても運がよかった。見た目には2店舗だけど1店舗扱いになる建物で、2店舗の場合、出入り口をひとつにしないと2つの店舗として、つまり本店、支店として登録しなければならない。しかし今回は諸条件が整っていて、1店舗として数えられるため、支店の開設をしなくてもいいことになった。ただ、業種の違う業務を1店舗でするため、それに関する届出をする。カフェに予定している場所は約200平方メートル。空間を埋めるのに、結構大変かもしれないと思っている。いくつかの部屋に分けられているが、さらに分けないと落ち着かないので、仕切りを障子風にするかとか、しまいにはお蔵風にするかとか、考えている。こういうのは考えているうちが華で、実際は資金不足に、あきらめることになるのであるが、夢見るのは自由であるから、思いっきり頭の中で膨らませて楽しませてもらう。(資金なしの私にとって、現実はそんなに甘くない・・・・。)展示スペースとコレクションルームは地下と1階、中2階の合計で約80平方メートル。こちらはとりあえず、現店舗をそのまま移動する。とりあえず、明日から片付けと壁のペンキ塗りでも始めてもらおう・・・・。あんまり開業のためには参考にはならないけど、ごくわずかな資金で、どうやって店舗作りをするかでは、もしかしたら参考になるかも・・・? なんて今、ふと思ったわけである。(リアルタイムで続く・・・・?)
2007年10月18日
実は年内に店舗を移転する予定である。あくまで予定で、最終結論はまだ出ていない。90%というところ。移転先は以前から話があって、私自身も考えていた場所なのだが、カレイチから離れることになるので、なかなか決心できないでいた。カレイチの同じ通りで13年間商売し、同じ通りに通算10年近く住み、馴染み親しんだカレイチ。観光客対象の商売じゃないから、カレイチに執着する必要は全くないのだけど、住んだところが故郷になるとは、よく言ったもんだ。でも5年後の商売を考えると、やはりカレイチから出るべきであり、そこへ広さといい、家賃といい、都合のよい物件が現れたのであるから、これはこの機会を逃すな・・・ということなのであろう。予定している店舗は、1階が弊社のキリム、絨毯以外の輸出、輸入両面からの取り扱い商品の展示ルームと相談室。地下がミフリ社長のキリムと手工芸品のコレクションルーム。そしてもう1店舗、隣接した地下ルームがカフェになる・・・・あくまで予定は未定。花の40代も、もう半ば。年齢的にもこれが最後の事業展開となると思うけど、ミフリ社長のことである、引越しが面倒になったら、あっさり移転をあきらめるかもしれない。というわけで、もし引越ししたら、後に正式な告知は出すけど、電話番号なども変わるので、電話が使われていないとか、来てみてカレイチの店舗がも抜けの殻でも驚かないでください・・・・という予告である。日本へ帰ったとか、廃業したとか、そういう話はくれぐれも信じないでください・・・・。(あと20年は日本にも帰らないし、廃業もしない・・・と思う)ちなみに引越し予定場所はカレイチから徒歩5分である。
2007年10月15日
お客さんに頼まれて、チャイバルダウ(チャイグラス)を見に行った。最近はいろんなモデルが出ているので、見ているだけでも楽しい。以前はチャイバルダウといえば、チャイ屋で見られるシンプルなものか、あってカットグラスか、銀や金の縁付きか・・・ってぐらいしか、選択肢がなかった。このところ、モチーフがいろいろだったり、形が変わっていたり、取っ手がついていたり、色もいろいろ・・・・。家でチャイを飲む習慣もないくせに、つい欲しくなってしまうほどである。・・・欲しくなってしまったので、自分用に2客セットのネコモチーフのチャイバルダウを買った。ケース付きである。久しぶりにチャイでも入れてみようかと思う。実はミフリ社長はトルコ人からチャイのいれかたがうまいと評判である(自分で言う)。・・・・近々、小売、卸売り向けにキッチン用品、食品専門のページを開設します。
2007年10月02日
ミフリに正社員として新しいスタッフが入った。以前からの知り合いである。絨毯屋とは無関係の経歴だけど(そのほうがいいのである)、新聞記者と不動産業で培った営業力と地元での顔の広さに期待する。いままでやりたくてもスタッフ不足でできなかった、新業種がこれで展開できるかも・・・。クルマの運転もお手のもの。これで長距離ドライブ出張も問題なしである。彼のフォロー役のアルバイト君も一人。まだ10代の青年。サッカーの選手で、その練習がないときだけのお手伝い。彼ら以外に、日本語講座の生徒だった女性2人と男性1人が、それぞれ子供を連れて遊びにきて、我が家の息子もいて、今日は店の中が久しぶりに賑わった。サボり魔のミフリ社長も、これでしばらくは出勤しないといけない状態に追い込まれたなあ・・・と思いつつ・・・・。というわけで、今後はちゃんと店は開けますので(開けさせますので)、いつでもどうぞ~!!来月から市の日本語講座も始まる。予定はしていなかったのだけど、帰国中にスケジュールが組まれていて、なんだかまた私がやるみたいなんだけど、今度は週4日になるかもしれない・・・・。あたらしい生徒にはどんな人がいるのか、どんな顔ぶれになるのか。いろいろいいながらも、それも楽しみである。ちょっと涼しくなってきて(といっても今日は真夏なみに暑かったなあ・・・)、やる気と元気がでてきたミフリ社長である。
2007年09月30日
これは「ナマズルック」。イスラムの1日5回のお祈りの際に、下に敷いて、この上でお祈りをしたのである。通常、ミフラップと呼ばれるメッカの方向を示すくぼみの形をかたどったモチーフが用いられ、ときにはモスクだったり、ランプなどを描き、モスクの内部を現したりもする。これは、若い夫婦が持ち込んだ絨毯である。ほとんど未使用で、生活費の捻出のために売りたいと言った。骨董ではないけど、モチーフのおもしろさと、状態の良さにひかれて買った。モスクを描いたであろうモチーフが上部にあり、下部に足の位置を示す円がふたつある。足の位置を示すモチーフというのはあるけど、足型にふたつの円というダイレクトなモチーフはかなり珍しい。毛足は長めで、グレーの部分は染めをしていないナチュラル・ウール。蛍光青の糸は、当時はやった化繊糸。そのギャップがいやみがなく、おもしろい。そして、このモチーフのすごさ。なんだか空中に浮かぶモスクみたいで、不思議な絵である。これを織った女性は独特な発想の持ち主だったのだろうと思う。
2007年09月21日
今年も絨毯畑の季節がやってきた。正確には今年は6月15日から始まっているわけだけど、太陽光線の強さと気温の高さは今年は特別で、まあ、1番絨毯たちがすでにできあがっていた・・・・。絨毯畑とは、絨毯やキリムのどぎつい色や、濃い目の色を太陽にさらすことで、雰囲気のある色に落ち着かせる作業である。太陽下に1週間から1か月ほどの期間おいておくので、晴天日が多く、気温の高い地域であることが条件である。アンタルヤ、ボドルムなどで行われる。特にアンタルヤではコースによって飛行機から地上を見ると色とりどりの絨毯やキリムが高原の平地に敷き詰められているのを見ることができるのである。トルコ中の業者から送られてきた絨毯、キリムが広げられているわけであるが、これを見ると今年の売れ筋がよくわかる。絨毯は真っ白になるほど褪めさせられている。私ならこんな褪めた絨毯はパスであるが、なんでもここ2,3年アメリカでヒットしているらしく、大量に持ち込まれる。・・・・というわけで、今回はホームページ用に絨毯畑に預けてあるキリムを50点ほど画像に収めてきた。いつもなら日陰で撮影するのであるが、ここでは日陰を探すのが難しく、太陽下での撮影になったが、アンタルヤの太陽光線がいかに強いかがわかってもらえるかと思う。詳しくはホームページの「ミフリ本店」「絨毯畑のキリム」で。来週頭にはUPの予定なので興味のある方はどうぞご覧ください。通信社のフセインも同行したので、そのあとはニュース撮り。私もモデルになったからそのうちテレビと新聞で絨毯畑ネタで記事が載るかも・・・?
2007年07月10日
知り合いの絨毯屋が、こんなもの作った・・・って持ってきた。こちらは古い一色のキリムと羊・山羊の革のパッチワーク。45×45cmこちらは革のみのパッチワーク。40×40cm今回1点ずつのみです。
2007年04月27日
仕事が佳境に入っていて、ここ数日は日本語講座の時間以外は外出していない状況です。今月末には原稿がアップしますので、今週末ごろから通常作業に戻れます。多くの作業がストップした状態で、ご迷惑をおかけしていますが、あと少しですので、もう少しお待ちいただけるよう、お願い申し上げます。
2007年01月30日
キュタフヤのエフェオヤが出たところで、もうひとつエフェオヤをお見せしよう。同じくガーゼ地のヤズマについているタイプ。これは昨年アイドゥン県境の山奥の村民バザールで見つけたもの。がくの部分が立体で、その上に丸い花がついている。ちゃんと雄しべもついている。花がきれいに円形を保っているのは、なかに細い芯が入っているからである。ヤズマは同じくキャートヤズマ。とても薄くて、広げるときにかなり気を遣う。その繊細で極薄のヤズマに、こんな大胆なお花がついているというのもおもしろい。(お花も大胆だけど繊細・・・・)
2007年01月11日
トルコの民族衣装。今回は黒海沿いのバルトゥンのものをシリーズ。衣装の布や装飾など特色があって、わかりやすい地域のひとつである。長上着。バルトゥンの衣装は中綿入りのものが多い。日本で言う半纏風で、なんだか懐かしい気持ちになる。バルトゥンの特徴あるジャケット。ボタンをかける部分が下にあり、胸の開き方が独特なのがよくわかる。胸や袖口などの装飾がたいていの衣装にある。これは長上着の袖なし版。中綿入り。ますます半纏風でおもしろい。タートルネックのセーターでも着て、これを羽織ったら、田舎風で今でもいけるかも・・・・。これもジャケット。プリント柄のビロード風生地に、左右の胸に装飾がある。上のジャケットと形も同じ。これも特徴あるベスト。この人絹のアンテップクマシュを使ったベスト、ジャケットともによく出る。装飾が特徴的であり、また統一されている。これもよく使われるタイプの柄の布。ジャケットで、通常上のようなベストで同じ布から作られたものと組で使用される。そしてこれがバルトゥンの民族衣装で特徴となっている装飾部分の拡大。バルトゥンものは、骨董扱いされるような上等なものはあまりないのだけど、地域的な特徴があって、わかりやすいし、おもしろい。同じような感じで、ホームページでも紹介しているブルサのアリベイ村とか、アフィヨンの遊牧民系の赤い衣装など、衣装そのものは雑で骨董ものもでないのだけど、地域や村、集落ごとの統一された特徴がある。
2006年12月22日
トルコの民族衣装シリーズ第12回・・・・!!今回はアンカラの民家から出た若い女性用のジェプケン2点。2点とも100~120年前のものである。画像では紫っぽく見えるが、ワインカラーとバラ色の中間の色。シルク素材のベルベットで、金色とも銀色ともいえない色の金属装飾が施されている。とてもきれいである。こちらは黒の綿素材のベルベット。金色の金属装飾が施されている。内側の緑の布がちょっと配慮が欠けているなあ・・・って残念なんだけど、装飾はすばらしいし、コンディションのよさも魅力である。若い女性用・・・・ってサイズが小さめなんだよね。まだまだ衣装はいっぱいあるのだけど、ちょっとここらで休憩。またそのうち気が向いたらシリーズの続きをすることにしよう。衣装を載せてみて、思ったわけだけど、あたらめてみると、本当にどれもすばらしいし、そこから読みだされる時代の背景や、持ち主の生活環境や、その土地その時代の人々の考え方など、モノのすばらしさ以上におもしろい。これだからやめられないんだよね、古いものコレクションって・・・・・。(・・・掲載したものは一応全て売ってもいいと思って出したのだけど・・・見ているうちにだんだん惜しくなってきているミフリ社長・・・・)
2006年12月18日
トルコの民族衣装シリーズ第11回・・・!!今回はビンダル。ビンダルっていうと、綿素材のベルベットの厚めのドレスなんだけど、金属装飾が見事である。花嫁さんのドレスである。エーゲ海のエディレミットから出たもの。持ち主の話や経緯から少なくとも90年前のものと推測される。とても状態がよく、布の繊維のこぼれなどまったくない。婚礼のときのみまど、使用頻度が低かったのだと思う。しいていえば端のレース編みの部分が使用したことによってすれている程度。こちらが表側で、金属装飾は全て手刺繍で銀糸で施されている。こちらは裏側。裏にまでこれだけの装飾を施しているのである。これらの金属装飾の特徴は、遠くから見てとても映えるということである。
2006年12月17日
トルコの民族衣装シリーズ第10回・・・・!!今回も衣装ではないけれど、手仕事の布、民具関係から。これは子供のゆりかご。ゆりかごと言ってもかごの形をしているものではなく、赤ん坊を寝かせて揺らすためのもの。金属糸で手刺繍をした布の周囲を牛革で補強し、木の棒に固定している。木の棒の部分に紐をつけ、昔の家の天井には必ずと言っていいほどついているけど、金属のわっかにかけてブランコのように揺らすのである。これは先日、ブルサの古いお屋敷から出たばかりのもので、80-90年前のものと推定される。棒の長さは62cm、布と牛革部分のサイズは82×51cm。ゆりかごというと、コーカサスの箱型のものはよく出ているので、見る機会は多いと思う(それでもいい骨董は少ないけど・・・・)。トルコでは箱型のものはほとんどなく、つるすタイプではこういう平面タイプになる。今でも村へ行けば、天井から紐を二組つるし、その紐にシーツなどを巻いて、そこに赤ん坊を乗せたりしている。布なので自然な重みで赤ん坊が落ちないようになっているのである。トルコの赤ん坊のあやし方はまさにゆりかご風ブランコで大きく揺らすことである。ゆりかごがない場合でも、座った状態で足を伸ばし、その足の上に赤ん坊を寝かせ左右にブンブン揺らしてあやしたり、寝かしたりする。見ている私は赤ん坊の脳みそがどうにかなっちゃうのではないかと心配で心配でたまらないけど、そうしないと寝てくれない赤ちゃんもいるのである。次回から金属装飾がすばらしい骨董のビンダルとジェプケンなどを。
2006年12月16日
トルコの民族衣装シリーズ第9回・・・・!!今回は衣装ではないが、布関連、民具関連ということで古い更紗を紹介。これはセッジャーデと呼ばれるもの。キリムでセッジャーデというのはサイズの呼称にもなっているけど、イスラムの1日5回のお祈りのときに下に敷く敷物のこと。綿布に手造りの型(くるみの木などを繰り抜いたもの)を手作業で押していったもので、更紗といえばわかりやすいだろう。カンディルリというモチーフで、下がりランプがついたものという意味であるが、ミフラップ柄でお祈り用であることを意味している。裏に布がついていて、中には綿が入っている。サイズは146×86cm。全て手縫い、手作業で作られている。更紗はトルコでは型押しという意味でバスクと呼ばれているが、これはイスタンブルにバスクの工房があったころのもの。当時、トルコ人とアルメニア人の熟練工たちが、共同で作業をしたと言われている。今から100年ほど前の話である。余談であるが、今でもセッジャーデとして手織りのキリム、絨毯以外に、化繊の機械織りの絨毯などを使うが、このバスクのようなベルベットなどの布製のものもある。デニズリのファブリック関係の問屋街へ行くと手に入るが、濃紺や濃赤などの布にミシン刺繍でミフラップのモチーフが施されている。中綿が入っていてサイズもちょうどいいので、これを赤ちゃんのお包みやお布団として買っていかれる日本のお客さんもいる。
2006年12月15日
トルコの民族衣装シリーズ第8回・・・!!今回はエデルミット地方のカズ山脈系の遊牧民の女性用衣装。遊牧民の衣装の面白さは、この前も書いたけど、前掛け、腰巻、ベルト、靴下などのウールの手織り製品のおもしろさ。言ってしまえば野暮ったいのだけど、それがウチュエテッキやジャケットに妙に合ってしまう。これはジェプケン。前回の19世紀ものに負けないぐらい、金属装飾がびっちり。私も前から何かに似ているな・・・・と思っていたのだけど、バッハさんの言う「闘牛士のジャケット」に思わず納得してしまった。どういうわけか、このジェップケンは男性的だよね。もちろん男性用もあるのだけど・・・・。これがエプロン。通常カズ山脈系の遊牧民のエプロンは2枚のパーツをキリム・ジジムと同じテクニックでウール糸で織り、中央を縫い合わせ長方形の形にする。上部の両端を小さく三角にたたみ、そこに4つ編みにしたウール紐か、布で作ったリボンを縫いつけ、腰に巻くようになっている。エプロンと言っても服を固定するベルトの役目と前部を隠す目的で使用する。これは下に着るシャツ。麻混かもしれないけど、コットン糸の手織り布でできている。バルケシールとその近郊のものは前と後ろについた刺繍が特徴で、この刺繍はもともとは細い手紬ぎのウール糸で施されていた。(貴族のものはシルク糸も使われていた)最近のものは(30-40年以下のものは)コットン糸である。通常はこの刺繍部分だけを別パーツでつくり、シャツが古くなると新しいシャツに付け替えたり、母親から娘へと伝えられていったそうである。この刺繍部分だけのコレクションというのもある。次回はイスタンブルに工房があった時代の、年代もののバスク(更紗)を紹介する。
2006年12月14日
トルコの民族衣装シリーズ第7回・・・!!今回は19世紀のエデルミットのジェプケン。・・・ジャケットのことである。生地は綿素材のベルベット。そこに金属糸の装飾がびっちり施されている。年代が古いため、内側の布にやぶれはあるものの、外側は小さなやぶれといくつかの虫食い跡がある程度で非常にコンディションがよい。特に金属装飾の部分は破損は皆無と言っていいほどである。もちろん縫製も装飾部分も全て手縫い。こちらが裏側。裏も装飾がしっかり施されており、モチーフも遠目にとてもまとまっていて、美しい。金属装飾の拡大画像はこちら・・・・・。ジェプケンはウチュエテッキ、またはそのうちお見せするがビンダルと併せて花嫁衣裳として使用される。トルコ各地で(その多くは西から中央にかけてであるが・・)同様のジェプケンを見ることができるが、西トルコのものが一番気合が入っている。
2006年12月12日
トルコの民族衣装シリーズ第6回・・!!!ちょっと面倒になってきたのでやめようかと思ったけど、思った以上に反響が大きいので、もう少しがんばろうかと・・・・。今回はタウシャンル、オルハネリなどの遊牧民の女性用衣装。これらの村がどこにあるかというと、ウシャクまたはキュタフヤからブルサの間の道で、一般的にはボズユックを経由をするのだけど、ちょっと寄り道して山間部経由で通る道の途中にある。この近辺は遊牧民が定住した地で、今でも民族的なフェスティバルが春か秋に行われている。そのときにはオリジナルの民族衣装を見ることもできる。これはごく一般的な女性用衣装。シャツにウチュエテッキ、ジャケットを着る。ウチュエテッキやジャケットは素朴なもので、素材的にとかテクニック的にとか、これはすごいというのはないのだけど、遊牧民的なのはウールで手織りされた布による腰巻やビーズの首飾りである。これはスカーフである。手押し型のガーゼにビーズで装飾をしたもので、私は個人的にはこの手押し型のガーゼ布にめちゃくちゃ弱い。いまどきの工場製品にない、味がある。ビーズの首飾り。これはブルサ近郊の遊牧民が好んでつけるタイプで、長くてたらすのではなく、短めに首につける。これが腰巻。大抵は正方形から長方形に形をつくり、それを三角に折って、腰に巻く。布がお尻を隠すようになっているが、隠すというよりは膨らませてボリュームをつけるといった感じ。色の好みはいろいろだが、たいてい明るい配色でかわいらしい印象になる。このウール糸を使った手織り布だけでもコレクションする価値あり・・・・で、私も腰巻、エプロンなどウール素材で手織り布でできている衣装パーツはもちろんしている。これまたかわいらしい色彩の手編みウール靴下。これは新し目のものではあるが、この色彩といい、モチーフといい、私たちにはない感覚でとても魅かれる。腰巻と合っている。靴下コレクションももちろんしている・・・・。靴下コレクションについて付け加えておくと、靴下は使用すると痛むし、保存に気を使わないので虫くいがある。古い靴下はなかなか難しいのであるが、それでもなんとか揃った。でも元の持ち主はまさか、自分がはいた靴下がコレクション対象になっている・・・・なんて想像もしていないだろう・・・・。衣類のコレクションというのは、特に下着関係はそういうものなんだけど・・・・。
2006年12月11日
トルコの民族衣装シリーズ第5回・・・!!今回もウチュエテッキ。ウチュエテッキとは、トルコ語で3つのスカート(ってすごい直訳)なんだけど、裾の部分が前開きで、腰から下は両サイドにそれぞれスリットが入っている。つまり腰から下は後部、右前、左前の3つの部分に分かれていて、それが3つのスカートになるわけである。エーゲ海地方のティレ。幹線道路からかなり山へ入ったところにある小さな町。そこと繋がっている小さな村々がいくつかある。そこのものである。約90-100年前のものと思われる。ティレやその先のオデミッシュは、私のなかでマイブーム(死語・・・・!?)があり、たびたび訪れた場所のひとつである。村民バザールがあり、民族衣装用の古い手織り布が手に入るので(家に保管されていたものが時々出てくる)、それを求めてなんだけど、やはり最後に行ったときは出尽くし感があって、ここも終わったな、と思いながら帰ってきた。フェルト工房もここにあり、昔ながらの手作業でフェルトを作っていたりする。今はフェルトを敷く家庭もテントもないので、文化行事用の特別注文だったり、各地の観光地向けのお土産ものだったり。話をもとに戻すと、このウチュエテッキはウールの手紡ぎ糸と金糸で手織りした布で出来ている。金属糸や紐の装飾もなく、見た目にジミであるが、この布自体がとても価値があり、衣装に興味がないときでもこの布は私のコレクション対象であった。このめちゃくちゃ細いウール糸が手で紡がれたというところに弱い・・・・この細さの糸はキリムでは使われないが、エルズルムの女性用のショールがある。それらにも使われていた。このウールの手織り布は、近年は工場で作られてる柄だけ同じ化繊ものが出回っているので、似たようなものを見たことがある人もいると思う。縦ストライプに細かいモチーフが入ったもので、ガジアンテップなどでは、昔はこの布(工場製の化繊布)で衣類やチュワルなども作ったらしい。
2006年12月08日
トルコの民族衣装シリーズ第4回・・・!!今回からウチュエテッキを何点か紹介しようと思う。ウチュエテッキとは、トルコ語で3つのスカート(ってすごい直訳)なんだけど、裾の部分が前開きで、腰から下は両サイドにそれぞれスリットが入っている。つまり腰から下は後部、右前、左前の3つの部分に分かれていて、それが3つのスカートになるわけである。これは19世紀半ばから後半と思われる、ボルのギョウヌックのウチュエテッキ。シルクと金属糸の手織り布で、それに縁取りで金属紐が装飾されている。お金持ちのものだったと想像する。ウチュエテッキも婚礼用に使用されたが、普段も着ていた。下にパンツを履き、上にはシャツを着て、その上にウチュエテッキを着る。さらにベスト、ジャケットを羽織る。腰には布ベルトか、金属ベルト、遊牧民風には前掛けなどをつけ、ウチュエテッキが広がらないように押さえるのである。余談であるが、以前、村々を周っていたときに、村のゴミ屋(家にある不用品を何でも引き取ってきて並べてあるところ・・・・骨董屋とはいいがたく、ゴミ屋としか言えない)というのがあるのだが、そこでこれと同じ年代の金属糸とシルクのウチュエテッキを見つけた。もっともっとボロボロだったし、薄いものだったので、もしかしたら、さらに古い時代のものだったかもしれない。店主も私も価値がわからないまま、とても安い値段で譲ってもらった。もしかしたらおまけでタダでもらったかもしれない・・・払ったとしてもそれぐらいの金額である。当時は衣装にはあまり執着心がなかったので、この価値がわかる日本の専門家に安価でお譲した。この衣装を見つけたとき、そのことをふと思い出し、初めて価値に気がついたという話・・・。
2006年12月07日
トルコの民族衣装シリーズ第3回!!(勝手にタイトルをつける・・・)2回目のバルケシールの女性用上下セットと比較するために、今回はアイワルックの女性用上下セット。ジャケットとシャルワルは同じシルク布でお揃いで作られたもの。それほど古いものではなく、40年~50年前のものと思われる。前回のものよりは少し動きやすい形。シャルワルは一応裁断してあって、パンツ風になっているけど、やっぱりだぼっとしていて、もんぺ風。腰回りにはゴムではなく、紐が通してあって、それをしぼってきるようになっている。パンツの装飾の位置がちょっと気になるけど(しかも黒糸で・・・)。上下ともの装飾はテクニックの名前を忘れたけど、刺繍ではなく紐状のものを細い糸で押さえて固定して模様を作っていくもの。丁寧で上手。トルコでは同様のテクニックで金属紐で婚礼用のベルベットの上着ジェプケンなどを装飾しているけど、あまり動きのある場合には適さないかも・・・。次回からは様々な地域の様々な素材、テクニックの布を使ったウチュエテッキを紹介。(このシリーズはミフリ社長があきるまで続く・・・・・つまり面倒になったらやめる・・・ってこと!?)
2006年12月07日
全98件 (98件中 1-50件目)